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七条家の糸使い(旧タイトル:学年一の美少女は、夜の方が凄かった)  作者: 藍依青糸
世の中にたえて桜のなかりせば

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303/304

面食

 京都総能本部。

 その最奥、白い掛け軸のある部屋で。


「七条和臣。頭を上げろ」


 白い人と二人、座っていた。


「今回。幹部が暴走した。責は取らせる。お前には、手間をかけたな」

「いえ。全て私の不徳の致すところでございます」


 白い人は表情を変えない。真っ赤な唇だけが動く。


「あの山は。手を出さないと決めてあった」

「はっ。申し訳ありません」

「あれは強い山だ。霊山としてはお前たちの家の山に劣るが、人を殺した数ならあれの方が上だろう。長らく管理ができていないからな」


 目を閉じた。あの山は、気象が荒いわけでも人が嫌いなわけでもなかった。ただ、人で遊ぶのが好きだった。それだけだ。


「管理はしないと決めた。七代前の私が」

「はっ」

「いや。管理できないと結論づけた。七代前の私が」


 零様の声は揺るがない。ただ事実だけを並べている。


「十代前から。蘆屋道満《私》の名でヌシと契約ができなくなった。」


 事実だけを、並べている。


「なぜかわかるか」

「……恐れおおくも」

「良い。言え」

「この名は。別の人の名前だからだと、思います」


 続けろ、と目で示される。俺は、前を見て続けた。


「零様は、代々この名前を継いでいらっしゃると、お聞きしました。それにより、擬似的に蘆屋道満は生き続け、我々術者の主は、今も生きていると」

「その通りだ。私がいる限り、お前たち術者は下手に死なない。私の術者だ、私の好きにする」

「はい」


 思わず口角が上がってしまった。だってこの人は、この人たちは、ずっと俺たちを守っていてくれたのだ。ずっと、ずっと名を継いで、俺たちが死なないように。高いところから目をかけてくれていた。お人よし、なんて言ったら失礼すぎるが、思わずにはいられない。


「ですが」


 零様を見据える。俺の主。総能の主。現代の術者のその頂点。その人は。


「もうこの名前は、別の人の名前になってしまったのでしょう。神を下した一人の男ではなく、今のあなたを指す名前。ですから、この名で契約は、もうできない」


 零様が目を閉じた。きっと、俺なんかが言わずとも、もう気づいていたのだ。

 自分の先祖の名前。千年絶やさず継いだその名に、もうその男との繋がりを見つけられなくなっていたことなど。

 ヌシとの契約は、あくまで蘆屋道満という一人の男の偉業によって成されるものだ。その男がいないのならば、もう誰も、ヌシと対等に渡り合うことなど出来はしない。


「……では」


 零様が目を開けた。その白い瞳で、温度もなく俺を見下ろして。


「お前はなぜ、新たに契約ができた」

「……」


 押し潰さんばかりの威圧感。俺が術者である限り、この人には敵わない。


「……私は、その人を覚えています」

「お前は19年前に生まれた。千年前の男を覚えているはずがない」


 小さく首を傾げた。もちろんこんなことでは零様は誤魔化されてくれなどしないので、ただ白い声で告げられる。


「契約は糸だ。お前は、全ての契約を好きにできる。たとえ、ヌシとの契約であっても」

「いいえ。人である限り、そんな無法は許されません」


 ゆーびきーりげんまん。


「七条和臣。私に、嘘をつくか?」


 白い瞳を、まっすぐ見返した。

 零様が、その右手を、掲げる。








「ふーふーん、友達百人でーきるーかな」

「おい」

「へぶっ」


 廊下を歩いていたら唐突に後ろからチョップをくらわされた。なんでだ。


「終わったら隣の部屋の兄ちゃんに声かけろって、あれほど言ったよな」

「あ、ごめんごめん忘れてた」

「このバカタレーーー!!」

「ぎゃあああ!!」


 こめかみをぐりぐりやられる。ぎぶぎぶ、ギブです。

 兄は、あの騒動の後、山まで迎えに来てくれた。そこから特別隊のみんなと、気を失っている監視の人の病院を手配してくれたり、俺に説教したりと色々やってくれた。そして零様に呼ばれた今日も迎えに来てくれた。スケジュールは大丈夫なのか第七隊隊長。


「で、罰則は!」

「なし」

「嘘をつけーーー!!! 零様の判断に逆らって山を捻って崩して燃やして、全国級の大ニュースにしておいてお咎めなしなわけないだろうがーー!!!」

「てへぺろ」


 舌を出したらスパンと頭を叩かれた。流石に涙が出る。最近のテレビは毎日あの山のニュースしかやってないし。精神的にくるものがある。


「お前、本当に、なんなんだもう……。本当に、降格も減封もないのか? 特別隊取り壊しは?」

「縁起でもないこと言うなよバカ兄貴」


 ドン引きして答えれば、兄はやっと安心したようにため息をついた。


「まあ、今回お前が脅されてやったと証拠は上がってる。全く罰がないとは驚いたが、そこまで重くはならないとは思ってたよ」

「なんだよ知ってたんじゃ、」


 笑いながら両手の人差し指で兄を指差した瞬間。

 が、っと右手を掴み上げられた。兄の顔から表情が抜け落ちて、ただ俺の右手だけを見ている。


「あ、兄貴……?」

「お前」


 兄の声が震えている。ああ、バレたかと、兄の細かすぎる性格にげんなりした。


「小指、どうした!!!」




 指切りげんまん。

 嘘をつくのならば、その指を切ってよこせ。




「いや普通にあるって。ちょっとたまに動かないだけ、マジで」


 いつも通りそこにある、自分の右手の小指をわきわきと動かしてみた。先ほどほんの一瞬動かなかっただけでめざとく見つけた兄がおかしいのだ。


「動かないってなんだ!」

「ちょっと貸出中? ん? 俺が貸してもらってる側なのか?」


 兄は顔から血の気をひかせて、ふらりとよろけた。慌てて支えるが、心ここにあらずといったようで頼りない。


「……なんで。怪我、か?」

「いや。あげちゃった、零様に」

「……は?」


 どんどん真っ白に近くなっていく顔色の兄が、のそりと顔を上げる。流石に心配になってきた、早く医務室へ行こう。


「あ、げた?」

「うん、そう。糸ごとあげた」


 あの山との契約。俺が今回の件で零様に差し出したのは、それだった。あの山は、いや、この新しい契約は、零様自らが管理なさると決めたそうだ。

 だからあげた。契約の糸を、俺の指ごと。

 白い人は、零様の下術者を続けるという指切り(契約)は破っていないのだから指はいらないと仰ったが、まああったほうが便利ですから、とほぼ無理やり差し上げた。俺の小指があれば糸も零様の言うことを聞くだろう。


「は……?」

「だーからぁー。あげたの。でも零様が糸使わない時は指だけ返してくれんの。だから動く時は動く。わかった?」

「わからん……」


 兄はそういうと、ぐりんと白目をむいて倒れた。俺は泣いた。すぐに管理部の人たちが来て兄を医務室まで連れて行ってくれた。





 アイスを二箱も食べすっかり元気になったトカゲを受け取り、ぐったりした兄を家に連れ帰って、布団に寝かせた後。

 隊服のまま、家から一番近い総合病院へと向かった。


「あ、どうもみなさん。お揃いで」

「隊長!」


 そこにいたのは特別隊のみんなと、病院着の監視の人。監視の人は怪我はほとんど俺が治したが、脇腹にとんでもない内出血があったので一応検査入院となっていた。そのせいでゆかりんは可哀想なほど落ち込んで、俺の家に泊まり込んで毎日見舞いに来ている。

 そんな監視の人は、俺を見るなりぼとりと食べかけのリンゴを落とした。そのリンゴがやけにボロボロだなと思ってみれば、半泣きのゆかりんがナイフ片手に残り半分をボロボロにしている最中だった。なぜわざわざボロボロに。

 何も言わずにゆかりんの奇行を見ている俺に、花田さんが眉を下げた。


「お戻りになっていたのですね。申し訳ありません、私がお供すべきでしたのに」

「いえいえ。みなさんをここに集めたのは俺ですし。それにほら、京都ぐらいもう一人で行け」


 ごほん、と葉月の咳払いが聞こえて口を閉じる。すみません、本当はちょっとまだ電車と道が不安です。


「えー、まあ。本日お集まりいただいたのはですね」


 胸元から一枚の封筒を取り出す。真っ黒な黒封筒は、この場にいる人数分あった。


「特別隊隊員は全員謹慎! 1ヶ月! それと減封! 3ヶ月!」

「「ええー!!」


 中田さんとゆかりんが声をあげた。花田さんはわかっていたようで、苦く笑っている。葉月は表情を変えない。


「零様がダメって言ったら絶対やらない! 俺が言っても説得力はないけどとにかくダメです! 次からはこんなこと絶対にしないでくださいね! わかりましたか!」


 返事がない。やだ俺隊長なのに。一応みんなの処分が軽くなるように当主たちにお願い(祈り)まで捧げたのに。ちなみに八条の当主は怒鳴りすぎて倒れた。俺のせいだった。ごめんなさい。


「はあ……俺ももうしないから。みんなももうしないでくれ。……隣にいてくれるって言ったじゃんか、嘘かよ」


 最後は少しぶすくれて言えば、葉月が抱きついていた。花田さんと中田さんは大慌てと言ったように右往左往していて、ゆかりんはリンゴを片手で砕いた。嘘だろゆかりん。


「大丈夫、離さないから大丈夫よ。和臣」

「ありがとう!」


 笑って言えば、みんな落ち着きを取り戻したように着席した。さて。


「まあまあみなさん、それより1ヶ月の謹慎の間どうします? 俺旅行パンフレット持ってきたんですけど」

「隊長……謹慎中ですので」

「まあまあ。あ、ここなんてどうです、沖縄の離島」

「七条和臣、あんたそれ前行った水原さんの島でしょ……」

「まあまあゆかりん、絶対楽しいから」


 みんな呆れたような顔をしながらも、結局すぐに旅行パンフレットを見始めた。さて、もう話題はない。


「あ、あのー、監視の人……」

「北浦麻子です。今まで名乗らず、申し訳ありませんでした」


 監視の人が立ち上がって頭を下げてきた。慌てて座ってもらう。もう緊張で変な汗が止まらない。


「あのー、聞きました。総能お辞めになったって……」

「はい。先日退職届を出しました。……今まで、本当に、申し訳ありませんでした。……酷いこと、ばかり、……な、なのに、助けてもら、……っ!!」


 言い切れなかった監視の人が俯いて泣き出してしまった。両手で髪を握りしめ、ひくひくと嗚咽に肩を振るわせている。その背中をゆかりんが一生懸命撫でている。

 まずい。もう気まずすぎてどうしていいかわからない。監視の人の泣き声だけが響く病室で、一人何も言えずうだうだやっていたら葉月に肘で小突かれた。はい、わかってます。


「すみませんその、入れ違っちゃって……」


 監視の人がよくわからないというように、ぐしゃぐしゃの顔をあげた。最近毎日持ち歩くようにしているハンカチを差し出す。受け取ってもらえずより緊張でガチガチに固まってきた。


「あの、そのですね……」

「和臣、シャキッとしなさい」

「はい。……俺の召集状が、先に受理されちゃってて。俺のとこに、きちゃって」


 胸元から、真っ白な封筒を取り出した。そこには大きく「退職届」と書かれており、監視の人の名前がある。監視の人がひく、と口元を歪めた。その様子を見たなぜか中田さんが、ぶ、と吹き出して声を殺して大笑いしている。ゆかりんは訳がわからないというように俺を見ていた。


「ほんっとすみません! 俺、まさか自分の召集状にそこまで強制力あるなんて思ってなくて! いや、黒封筒に入れましたけどね!? でもまさか、その日提出された他の書類全部押しのけて受理されるなんて……! ていうかこんな簡単に人を異動させられるなんて知らなくて! さ、最終決定権は本人にあるとばかり……」


 花田さんまで笑い出した。こんなやばい書類なんだったら書く前に教えておいてくれ。軽い気持ちでだしちゃったじゃないか。


「特別隊に入れちゃいました! すみません! だから辞めたかったら退職願の役職名書き直してください! ……でも、辞めないでくれると助かったり……」


 頭を下げ、退職届と正式な異動辞令が入った黒封筒を差し出した俺を見た監視の人は、自分の退職願だけをぎこちない動きで受け取った。そのまま動かなくなる。


「いや、大丈夫です! わかってますから! 監視の……北浦さんがこの仕事やめたいのは! だから、こんな無理やりやるつもりは本当になくて……ただうちもかなり人手不足だなーって……思って……」


 俺はなんてことしてしまったんだ。今回の件で俺も正式に監視が外れることになり、「あ、じゃあ監視の人勧誘できるじゃんラッキー」なんて軽い気持ちで書類を出してしまった。まさかこんな恐ろしい強制力を持っている書類だとは思わなかったのだ。

 書類を出した当日、すぐに退職届が届いて大パニックだった。そして今も大パニックである。俺はこんなに泣いてまで仕事を辞めようとしていた人になんてちょっかいを。

 しかも今も、中田さんや葉月が「アットホームな職場」だの「不定期で長距離移動が多い」だの、「隊車は四駆」だの色々吹き込んでいる。ゆかりんは「け、結構楽しいわよ!」だとかよくわからないアピールをしている。やめてやめてこれ以上北浦さんに嫌われたくない。


「あの……和臣様」

「ぜ、全然呼び捨てでいいですよー。クズおみとか呼んでもらっても」


 監視の人がベットをおり床に正座して、すっと頭を下げた。


「……あなたの思うままに。謹んで拝命いたします」


 そっと俺の手から黒封筒が抜き取られる。北浦さんは、ただ静かに下を向いているだけだった。もしかして黒封筒のせいで断れなかっただけで俺は無理やり……と青くなったところで。


「ちょっと何浸ってるんですか? あなた、無許可発砲した上に非合法の証拠まで揃えて幹部3人クビにさせてる、キャリアガタガタ術者なんですからねっ! 覚悟しとかないと、人生長いんですから。あ、旅行は南国と雪国どっちがいいですか? 私は雪国ですっ!」


 中田さんがぐいっと北浦さんの背中にもたれて言った。一応怪我人だぞ、とみんな慌てたところで。


「ん゛ーーそればかりしつこい人ですね! 非常時の発砲は許可されてたんですよ! あの銃は国から正式に支給されてるものなんですから!」

「やだぁー、怖ーい! だって普通術者が銃使いますかぁー?」

「あなたの方が怖い噂が立ってるんですよ! なんですかその婚活への執着心は!」

「あなたが焦らなすぎじゃないですかぁ? 同い年なのにっ!」


 北浦さんが勢いよく立ち上がって中田さんを振り落とす。じゃれ合うように軽く言い合ってから、中田さんはけろりと笑顔になって俺の方へやってきた。なんだこの二人、いつの間にこんなに仲良くなってんだ。


「それでは和臣隊長っ! 私、今日はこの辺りで」

「あ、あぁ……そうですね。みんなも解散ー」


 ゆかりんはもう少し病院に残るそうなので、葉月と2人で帰路に着く。なんでもないような話をしながら、目の前にそびえる我が家の裏山を見上げた。


「和臣?」

「なあ。葉月」


 立ち止まった俺を怪訝そうに見やる葉月の、手を取った。


「俺は貴女のものだと、印をつけてくれないか。誰が見てもわかるように」

「な、何言ってるのよ!! ばかでしょ、馬鹿なんでしょう!」


 べしん、と強烈な一発をもらった。背中に紅葉ができただろう。もうこれでわかるだろ、俺が誰の尻に敷かれてるか。


「……どうして?」


 しかし、すぐに不安そうに小さな声で聞いてきた葉月に。


「いやぁ、俺結構人気みたいでさ。みんな自分の自分の言うから、ハッキリさせとこうと思って」

「消すわ」

「わー! 待って待って浮気じゃない、浮気じゃない一方的な関係ーー!!」

「より、消すわ」


 拳を握った葉月に、思わずぎゅっと目を閉じた。

 しかし思っていた衝撃は来なかった。代わりにあったのは、肩に置かれた細い手の感覚と、首元に落ちた熱い吐息。


「大丈夫よ。あなたが何を捨てようとしたって、何度だって止めてあげる。あなたが私の隣にいるように」


 次にあったのは硬い感触だった。肩口に、硬く鋭利なものを当てられる。

 まさか暗殺、と思って慌てて目を開ければ。


「いっってぇ!!」


 ガブリといかれた。ちゅ、となんだか変な気持ちになる音を立てながら俺の肩から口を離した葉月が、じっと無表情で見上げてくる。


「印をつけたわ」

「い、いや。そのもっと軽い感じを期待してて……」


 これ血とか出てるんじゃないか。そう思って手をやった。


「あれに言っておきなさい。あなたは私のもので、ただの人よ。そんなに特別なものじゃないわ」

「……」


 葉月が裏山をチラリと見ていった。あの山は、俺が帰ってきてから沈黙したままだ。父や姉が行っても、あの白い子供は姿を見せないらしい。


「夕飯はコロッケだから、早く帰ってきなさい。町田さんが全部食べちゃうわよ」

「おう!」


 葉月に見送られ、山に向かった。山に近づいても、何も起きない。とうとう山の目の前にきても、何も感じなかった。歓迎されている気配も、機嫌を損ねている気配もない。

 ただただ不気味なほど生き物の気配を感じない山に、ザクザクと足を踏み入れた。


「なあ、ごめん」


 返事はない。ただ枯れた葉を踏む音だけが響いている。


「聞きたいことがあるんだ」


 立ち止まって、小さな岩に腰掛けた。気配はない。


「……俺を好きな理由ってさ。…………線を、引けるから?」


 瞬きの間に隣に白い子供が座っていた。俯いて、黙っている。感情は読み取れない。


『うん』

「……そっか」

『だから大事にしたのに。お前は、私たちと契約したな。下に見た、私を』


 雨が降り出す。胸を引き裂きそうな悲しみが、この山に満ちている。


『線を引け、和臣。引いて、引いてくれ。私たちを元に戻して。見えないんだ、昔見ていた景色が、もう』

「……」


 子供の悲痛な声が落ちる。こんな山は、初めて見た。


「……ごめん」

『殺したい。殺してしまいたい。でも殺せない、そんな印をつけられた、汚いお前を殺せない』


 契約に縛られた子供。神から引きずり落とされた気高き生き物。それが泣く姿など、人が見ていいはずがなかった。


『殺せないんだ、和臣。お前は、私を愛しているから。お前だけが、私たちに愛を返すから』

「え?」


 聞こえた言葉に、顔を上げた時。

 岩の上に立った小さな子供は、きゅうと一等優しく俺の頭を胸に抱いた。


『私たちは落ちたのだ。だから愛されない。人を好きにする私を、人を愛する私を、人は愛さない』


 雫が落ちる。そっと、小さな子供の背中に腕を回した。この子供が、人を愛していることなど知っている。だって、この子供がいるから、この山は、この土地は、これほど豊かだ。俺たちは与えられて生きている。


『和臣、和臣、私の和臣。お前が生まれた時、私がどんなに嬉しかったかわからないだろう。待ってたんだ、お前を。千年苦渋に耐えながら。だからお前は私のものだ、線を引く子。愛を返す子。こんな子供はもういない。お前を離せば私たちは戻れない、愛されない』


 離さないでと泣いている。ここにいてと泣いている。予想していなかった理由で俺を求める白い子供。

 そんな子供に、俺は、何を言えるだろう。


「……悲しい時、どうすればいいか知ってる?」

『知らない。私を悲しませたのはお前だけだ』

「気が済むまで泣くといいよ。俺、泣き止むまでここにいるから」


 ぴょっと子供がはねた。雨が上がる。木々がさざめく。

 おい、めちゃくちゃすぐ泣き止んでんじゃねえか。チョロ。

 子供は、俺の頭を離してすぐに、上から俺の目を覗き込んだ。


『あそぼ?』

「……いいよ。でも俺夕飯コロッケだから、30分で帰る」

『ふふ、許してやろう、私の愛子。私を愛す可愛い人よ。たとえお前が私を下に見ても、いつかお前は線を引く。私たちは戻る。そうすればお前は、私の好きにしてやろう』

「不穏だなー」

『きゃはっ!』


 楽しそうに昔俺があげたシャボン玉を持ってきた子供と、それを吹いて遊ぶ。子供の頃、この子供に遊んでもらったのを思い出す。そうだ、俺は昔、この子供より小さい頃があったのだ。


『あとな、和臣』

「うん?」

『私はお前の顔が好きだ! 優香も顔が好きだった!』


 まさかの、面食いだった。


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― 新着の感想 ―
お人よしは先祖譲りなのかな ハルもずれているんだろうけど糸という拡大解釈がしやすい物の主だからか、 そんな一瞬のことに気づく兄がすごいしかわいそう あと指一本貸してるってことは操れる糸の数が指一本分減…
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