用意
「ヌシって神様じゃ、ないわよね?」
私の質問を、町田さんがバカにしたように鼻で笑った。
「はいはい、ヌシは神様じゃないから人でも勝てるはずだわ、って? バカじゃないの? ヌシと神様はね、ほとんど一緒。勝てないの」
「でも違うんでしょう? 何が違うのよ」
「……天に御坐す神様は、この世界の上にいる。だから、下のものは全部見えてる。知ってる。好きにできる。ヌシってのは、もうちょっと狭い世界、たとえば山のてっぺんにいる。だからその下、山は全部見えてる。好きにできる。いわば範囲の違いよ。だから、地上にいる人間が倒せないことに変わりはない」
「じゃあ山の外に出してしまえば勝てるのね?」
町田さんが目を丸くして、「はぁ〜〜?」といつもの調子で声を上げた。しかし、すぐにハッと口を押さえる。そしてまた私をバカにしたように顎をあげ、この間出演していたドラマの役と全く同じ表情になった。ちなみに、そのドラマの中で町田さんはいじめっ子役だった。それを見た和臣は、「ゆかりん怖かわいいー! さすがアイドル!」と喜んでいた。私も概ね同意見だ。
「出るわけないでしょ、ヌシが、外に。だって中にいたら神様なんだもん。わざわざ出るわけないでしょ」
「すごく欲しいものがあったら?」
「持ってこさせるでしょ」
当たり前だと言うように町田さんが肩をすくめる。
元々、これはヌシが和臣よりも欲しがりそうなものを用意できない時点で実行不可能な案だ。本命は次。
「気づかないうちに、外に出させればいいわ」
「はぁ〜〜? ちょっと葉月、あんた一回休んだ方がいいわよ」
今度こそすっかりいつもの表情に戻った町田さんが、腰に手をやって私を見た。
わかっている。町田さんは優しい。それもすごく。
だからさっきも、術者の先輩として、もしかしたら今いない和臣の分までも、無謀な私を叱ってくれたのだ。全部、私のためにいってくれたと、わかっている。
「……どうやって、ですか」
町田さんが目を丸くする。私の後ろで椅子から立ち上がった監視役の人が、涙で濡れる瞳で私を見ていたから。その横にいた中田さんはとても嫌そうに顔を歪めた後、いつもの笑顔に戻った。花田さんはずっと静かに聞いてくれている。
「酔わせる、なんてどうかしら?」
「ヌシを〜? アレ、酔うとかいう概念あんの?」
「酒呑童子だって酔ってたじゃない。きっと酔うわ」
「しゅっ!! だからその名前呼ぶんじゃないわよ葉月!」
町田さんが嫌そうに片足を上げて身を捩る。申し訳ないが、今、私に怖いものなどない。
「でも水瀬さん、お酒はどう用意するんですか? あの時使った毒酒は、もうありませんよ? 和臣隊長が全部飲んじゃいましたからっ!」
「確かに……ってか今考えると七条和臣、アイツ何やってんのよ……」
町田さんがうんうん唸っている。そう、この案の問題はここなのだ。
そんな中監視役の人が、部屋を出ようと歩き出した。
「この辺りにある酒屋を全て調べきます」
「たとえここにあるお酒を全部買い占めたとして、どうやって運ぶんですか? それに、ただの酒でどれだけ効果があるんでしょうね」
ぴしゃりと中田さんが言って、監視役の人が動きを止める。私だってこの人に言ってやりたいことがたくさんあるが、中田さんがこんなにも敵意を剥き出しにするなんて意外だった。中田さんはいつも笑顔で優しい、術者の先輩だったから。
「……。管理部にあの毒酒に似たようなものが保管されていないか確認してきます」
今まで黙っていた花田さんが、それだけ言って少し足早に部屋を出ていった。監視役の人が驚いたようにその背中を見ている。その様子を見ていた中田さんが、ため息をついてから吐き捨てるように監視役の人に言った。
「私も、総能職員ですから。助けてあげますよ」
中田さんは冷たい顔で監視役の人を一瞥して、こちらに向かって「少し電話してきますっ!」と笑って部屋を出ていった。監視役の人は俯いたまま。
それを見かねたように、町田さんが気まずそうに声を上げた。
「ど、どうする? あたしたちは酔わせた後のこと、もっと考える? それとも一応お神酒とか買ってくる?」
「そうね。なら酔わせた後のことを考えましょう。ヌシを倒すと言っても、私たちの目的はそこじゃないわ。倒せなくたって、酔っ払ったヌシから和臣を奪ってしまえばそれでいいんだもの」
「確かに……じゃあ、山に残る人もいないとダメね。七条和臣を持って外に出るとは限らないし」
しかし、そうなるとヌシの対応に人手が足りない。山の外に出たといっても、おそらくその強さは並の妖怪とは比べられないだろう。そんな相手とやりあえる術者は、今の特別隊には花田さんしかない。しかしそれも1人では厳しいものがあるはずだ。
「……鞠華様に連絡してみる」
「三条隊長に?」
「まあ、ダメもとよ。零様の判断で、この件には誰も手出しできないことになってるから。鞠華様だって零様に逆らってまで、門下生一人の頼みは聞いてくれないと思う、けど……っだーーー!! しょうがないじゃない!! だって私が頼れる一番強い術者鞠華様だもん!! 万が一来てくれたらめちゃくちゃ嬉しいじゃない!!」
町田さんが携帯をいじり始める。その横で、監視役の人が私を見た。
「七条第七隊隊長にも連絡しましょう。一番可能性がある方かと」
「ええ」
携帯を取り出そうとして、ふと指が止まる。
「……どうかしましたか?」
一番、強い、術者?
私が頼れる、零様の命令に背いてくれそうな、強い、術者。
「っどこに行くんですか!」
「お兄さんにはあなたから連絡しておいてちょうだい!」
脳裏に、腹の立つ白い着物が、よぎった。
支部を出て、すぐ近くの川の橋の上で立ち止まる。なんとなく屋外の方がいいかと思って出てきたが、もしかしたら関係がなかったのかもしれない。だって、アレは、いつでもどこでも、気がつけばすぐそばに現れていたのだから。
「……変態」
和臣は、アレをそう呼んでいた。
「お願い、出てきてちょうだい! 和臣を助けて欲しいの!」
昼間の川。そこで一人叫んでいる私は、相当おかしな人だと思われているに違いない。
でも、そんなのどうでもいい。
「お願い、お願いよ! 少しでいいから力を貸して! 和臣のために! 変態!」
返事はないし、誰もこない。やはり、アレは和臣にしか返事をしないのだろうか。それでも、今回だけは答えてほしい。数年前に、和臣が少し寂しそうに「もう変態はいないよ。死んだ」と言った。確かに、それ以来あの白い姿を見たことはない。でも、でも。
「あなた死んでないでしょ! 分かるわよ、だってたまに寝てる時嫌な気配があるもの! どこかから和臣のこと見ているでしょ! なら来なさい! 今回は本当に危ないって分かるでしょ! お願い、来て変態ー!」
叫びすぎて、少しくらりときた。
もうずっと、一人であまりにおかしなことを叫びすぎて、このままでは私が通報される方が早いかもしれない。そう、思った時。
「きゃっ」
突風が吹いて、顔に何かが張り付いた。焦って剥がすと、それは和臣の寝顔写真だった。しかも少し古い、多分高校生の時だ。そして、その裏に。
「ごめん! 今出たから、歩いて行くと4月になりそう。和臣くんの誕生日には間に合うよ。追伸:寝顔はあの世から見てたから安心して!……ですって?」
血管でもキレそうだった。
和臣の写真に罪はないので袂に入れて、さっさと携帯の電話帳から私が頼れる一番強い術者にかける。
「もしもし、お兄さんですか? ええ、その件で……内緒で来てくださるんですか? ありがとうございます。はい、お待ちしています」
やはり、変質者に頼るべきではなかった。
支部に戻り、気を取り直して、特別隊全員と監視役の人でヌシから和臣を取り返す作戦を練る。
お兄さんがくるのは明日の朝になると言う。お兄さん以外の隊長には断られたと、花田さんが淡々と言った。五条隊長は来ないのか、と少し落胆していれば、どうやら日本にすらいないらしく電話が繋がらないと説明してくれた。
花田さんは私がバカなことをしている間に、いろいろな手配をしてくれていた。
「まず、管理部に毒酒は保管されていませんでした。ただ、大蛇の毒ならあるとのことで、急いで取り寄せています。早くてあと2時間ほどで到着します」
「それを酒に混ぜて呑ますってことね! さっきお神酒買ってきてよかったわ!」
町田さんが胸を張ってビニール袋から酒瓶を取り出した。私がバカなことをしている間に買ってきてくれたようだ。
「私も車買ってきました! オフロードですから、これで山に突っ込めますよっ!」
「「え?」」
中田さんが言ったことに、花田さんと町田さん声をあげて固まる。私はよくわからず首を傾げただけだった。
「和臣隊長もヌシも、山の上の方にいたらたどり着くのも大変じゃないですか。だから、車買ってきましたっ!」
「ま、待て中田……車って、あの車か? お前が好きな?」
「はい。今日で廃車にする予定ですから、困ったらヌシでも轢いてみましょうっ!」
「な、中田さん……マジなの?」
「マジ、ですよっ!」
うふ、と楽しそうに笑った中田さん。その指にはピカピカの車のキーがあった。よくわからないが、車は、高いのではないか。不安になって目線を送れば、ばちんとウィンクをされた。そしてその流れで、中田さんはずっと部屋の隅に立っていた監視役の人に目をやった。
「和臣隊長のGPS、持ってますよね? 責任とって、和臣隊長のところまでナビしてくださいねっ!」
「……っ」
監視役の人は、何か言おうとして、結局何も言わずにただ深く頭を下げただけだった。
「では、あとは毒と七条隊長の到着を待ちながら、体を休めましょう。みなさんは仮眠室をお使いください。……おい中田、少し来い」
「はいはい、ちゃんとポケットマネーですよ、部長っ!」
二人が出ていって、3人になった部屋で。
「水瀬、さん」
「水瀬葉月でいいわ。今更おかしな気分になるもの」
「……水瀬葉月」
監視役の人は、もう下を向いていなかった。強く光る目で、私をまっすぐ見つめている。
「ありがとう。助けてくれて」
「当然よ。それに、私だって和臣を取り返したいもの」
「ええ。大丈夫。あなたは、暗いところには行かせない」
監視役の人が、そっと私の前に跪いた。止めるまもなく、監視の人は私の手を取って額に当てた。
「あなたは光だ。あなたがいる限り、私は大丈夫」
「え?」
呟くような声量で、よく聞き取れず聞き返す。しかし、監視役の人は微笑むだけだった。
そんな私たちの横にいた町田さんが、急に声をあげた。
「……明るい!」
「ええ。本当に、眩しいほどに」
監視役の人が私を見て目を細めた。また町田さんの声が上がる。
「赤い!!」
「赤……? まあ、生命の色という意味では、確かにそうとも言えるかもしれませんが」
「燃えてる!!!」
「ええ。燃えるように美しいですが」
「っじゃなくて!!」
外!!!
町田さんの叫び声に目を向ければ。
山が、燃えていた。