断絶
タクシーを降り、運転手さんと別れてしばらく。
目的の山の目の前にぽつんとあった街灯の下で、持ち物を並べてしゃがんでいた。
「トカゲと、弁当五つと、札がまあ最低限。指環と手袋はあって……残りは財布とレポート用紙と文房具か。うん、終わってる」
この装備でヌシに挑もうなんてバカどこにいる。俺だ。いますぐ存在から考え直せ。
「やっぱり一回家帰った方が良かったかな……でも誰かにヌシ殺しに行くってバレたらまずいし」
いつもの休日の格好そのままで来てしまったが、一応装備は揃えて全力でやった感は出した方が良かったかもしれない。隊服で札をばら撒いておけば雰囲気は出ただろう。幹部たちも俺の奮闘を讃えて全部許してくれたかもしれない。
「はぁ。ここのヌシも弁当とかあげたら色々許してくんないかな。ウチの山だったら大喜びだと思うんだけどなあ」
トカゲがびたんと跳ねた。そうか、お前も喜んでくれるのか。デザートに持ってきたゼリーをやろう。ぬるくなってるけど。
トカゲにゼリーをやりながら、俺も弁当をひとつ開けて地べたに座って食べる。そこで、ふと気がついた。
「あれ、そうじゃんお願いすればいいじゃんか! ハルの神隠しのときみたいに、もっといいモンあげてさ、そしたら代わりに工事ぐらい許してくれるだろ。大体幹部の人たちも殺せっていうより、工事させて欲しいだけだもんな。これなら零様も許してくれるだろ!」
完璧な案を閃いてしまった。天才かな。これで帰れる。
「よーし、ならどっかでヌシが喜びそうな手土産でも買って」
『話し合う、か?』
くすり、とした白い声を、振り返るより前。
『いいぞ。いいぞ。お前は、楽しそうだからな』
首と右手首を掴まれ、山に引きずり込まれる。まずい。
『きゃはっ』
「……いてっ!」
気がついた時には、枯れ葉の山に落とされていた。夜の山特有の動物の声や木々の音を聞きながら、落ちた時に打った尻をさする。くそ、完全に油断した。まさか、あそこもこの山の範囲だったとは。電灯が立っていたから大丈夫だろうと思っていた。
『愚かだなあ。お前たちは虫のようにアレに集まって』
気がついた時には背後に真っ白な子供が立っていた。子供は無邪気に、にこりと笑っている。
『でも、お前は違うな。私も欲しい』
ずいと、瞬きの間に鼻先が触れるほど近くに子供の顔が近付いていた。息を乱しそうになったのを、必死に堪える。
ここはこの子供の世界だ。ここではこの子供が神である。見透かされるのも、敵わないのも、全て当たり前だ。
だから、焦るな。逆らうな。機嫌を損ねるな。人はただ、上を見上げて、願えばいい。
この、清く美しい生き物に。
「……こんばんは。突然、すみません。……人と。私たちと一緒に、生きてくれませんか」
『いいよ』
「へ?」
思わぬ快諾に拍子抜けする。なんだこの山めちゃくちゃ優しいじゃん。ウチの山なんて今でも機嫌悪いと人間その他諸々捻り潰そうとしてるのに。
「あ、ありがとうございます! じゃあ、これから仲良く」
ずい、と子供が手を出してきた。向けられた小さな手のひらを見て、納得する。
「もちろん、対価はきっちりと。俺のが良ければ目玉でも何でも。あ、でもちゃんと潔斎とかしないと、」
『んふっ!』
「……あ」
間違えた。
『愚かだなあ。……自分より高位の存在と、』
「【隠】!!」
せめて、彼女だけは逃げられるようにと。札を飛ばした。
『どうして、対等に契りを結べようか』
この日。
この山にあった全ての街灯、重機や足場など、人が作った全てのものが、真っ二つに捩り切られた。山中に人が拓いた土地は全て土砂に埋もれ、人里へ続く川はその流れを変えた。
この惨劇は後日、人知の及ばぬ大災害として、日本中で報じられることになる。
『この世は全て、私のものだ』
白く、穢れなきモノ。
貴く、高いモノ。
ただ、畏ろしく美しい神が、そこに在る。