道中
ぼけー、と車の窓に頬をつけて外を眺める。もうかれこれ2時間ずっと同じ緑しか目にはいらない。
あの地獄のような幹部会のあと、俺はすぐさま近くにいたタクシーで指定された場所へと向かっていた。今日は休みだったので仕事道具は大して持っていなかったが、家には帰らなかった。先程からずっと、トカゲが不安そうに俺を見上げている。
「お客さん、本当にこっちでいいの? こっち、山しかないよ」
「……大丈夫でーす」
タクシーの運転手さんはなおも怪訝そうな顔で、ミラー越しにちらちらと俺をみていた。
「……お兄ちゃん、何があったかは知らないけどね。親御さんにもらった大事な命、無駄にしちゃあいけんよ。生きてりゃ辛いこともあるけどね、いいこともあるもんだ」
「……そう、ですよね」
ふ、と自分の両手を見下ろした。
俺は今から、本当に。
「……死んだら、どうなるんだろう」
ききー、と急ブレーキがかかった。当然ぼけっとしていた俺は前の座席の背もたれに顔面を打ち悶絶する。なになに何が起きたんですか事故ですか。
「お兄ちゃん! おっちゃんが話聞いたる! だから自殺なんてするな! 死んだらなんもできんくなるんよ!!」
「へ、え、え?」
「若者が早まるんじゃない! 必ず助けてくれる人がおる!!」
運転手さんはとうとう車を降りて、俺の席のドアを開けた。両手を握られ強くさすられる。なになになに。
「よし! おっちゃんの胸で泣け!」
「うおおおお!!? 離してえええ!!」
突然抱きしめられ本気で抵抗する。これ新手の詐欺かなんかですか。
「大丈夫です! 俺死にません!! だから離して! むしろどちらかと言うと……いやまあ、死ぬか」
ヌシ殺しなんて確実な負け戦に行くのだ。死ぬわ。
「うわああん!! どうしようおじさーーーん!!」
「よしよし」
「し、死にたくないーーー!! でも行かないといけないーーー!!!」
おじさんの胸で泣いた。なんでこんなことに。
「なんであの人たち俺の話1個も聞いてくれなかったの!? あの後何言っても君ならできるの一点張りだよ! 誰の何を信じてるの!? 人間には絶対無理なんだよーーー!!」
「そうか、パワハラか……」
「無理無理無理、どんな準備しても無理。勝てないからヌシなの、勝てないから人間なの。だから俺ん家とかがあるの。それがなんでわからない!?」
「クレーマーか……」
「でも行かないとみんなの戸籍無くなっちゃうよーー!! 怖いよーーー!!!」
「闇バイトか……」
もう嫌だ、帰らせてくれ。他のことならなんでもするから許してくれ。妖怪退治ならいくらでもする、この先ずっと休みなくやったっていい。いややっぱりそれは少し嫌だが、とにかくこれだけはできない。大体できてたらとっくに誰かがやってんだよ。でもできないから管理者は毎日毎日ご機嫌とって昔は生贄まであげてたんだよ。ヌシってのはそれぐらい位が違う生き物なんだ。殺せるわけないだろボケが。
「……もしかして、あの人たち実はめっちゃ頭悪いんじゃないか? ならなんとか誤魔化せるか? まず殺せるはずがないんだから、どうにか別の土産を作って……」
「……よし、お兄ちゃん。おっちゃんちょっと手に負えねえや。警察呼ぼう」
俺が急にぶつぶつ言い出したからか、運転手さんが携帯を取り出して110の番号を打ち始めたのを慌てて止める。こんなにうだうだ言っておいてなんだが、行かないのは本当にまずい。特別隊のみんな、ひいては俺の関係者たちが何をされるか。
「運転手さん、目的地までお願いします」
「いや、最寄りの駅まで送ってやるから、あんな山行くのやめな。だいたいあの山はな、自殺の名所ってだけじゃなくて、何度も工事が失敗してるいわくつきの山なんだ。行かねえ方がいい」
ふと、幹部たちに貰った資料を思い出す。たしか、昔からあの山を通して高速道路をつくる計画があったと書いてあった。しかし工事は難航し、死者も出ている。それで、あの山に道が作れないせいで、周りの地域の発展が妨げられている。過疎化や医療の問題、その他色々な文字があの資料にはあったが、分かったのは一つだけだった。一刻も早く道を作らねば、人が死ぬ。数え切れぬほど、人が死ぬ。
だから、ヌシを殺せと、命じられた。
あの白く、美しい生き物の、首を手折れと。
「……行かないと」
「お兄ちゃん」
「じゃあ、歩きます。ありがとうございました」
お代を置き、荷物を持って歩きだした。
零様は、なぜこの山を。管理しないと、決めたのだろうか。
「待ちなお兄ちゃん!」
「大丈夫です。なんとかしますから」
「ちげえそっちは崖だ! 死ぬぞ!」
「ひいっ!」
危うく真っ逆さまだったところを運転手さんに助けられる。結構重めの考え事をしていたこともあり心臓バックバクである。もうやだこの方向音痴。
「……わかった、わかったよ。おっちゃんが山まで連れてったる。連れてったるけどな、帰りも呼べよ」
「ありがとうございます。朝になると思いますけど、呼びますね」
俺が笑えば、運転手さんはため息をついてから運転席へ戻った。俺も後部座席に乗り込んでドアを閉めれば、運転手さんがつまみを捻って車内のラジオの音量を上げる。車が走り出すと同時に、聞いたこともない陽気なポップスが流れた。
「お?」
どうやってうまく幹部たちを納得させようかと考えていたとき、ポケットに入れた携帯が震えた。取り出してみれば着信はアホの藤田から。やばい、昼のこいつらとの約束忘れてた。もう夜の6時だし。
「悪い、和臣だけど」
「和臣! お前今どこにいるんだ!」
「あー……や、田舎? 悪い、約束すっぽかして」
「無事なら良い。でも、俺たちお前があまりにも来ないから家まで迎えに行ったんだ! そしたら、そしたら……」
それは駅からも遠い我が家まで、わざわざ悪いことをしたと思って頬をかけば。
「なんだあの家!? なんだあの美人なお姉様!? 今度紹介し」
ぶち、と電話を切った。人の姉に興奮するな。天誅。
「……お兄ちゃん、友達おったんか」
「彼女も家族もいますよ。死ぬ気はないんです、はじめっから」
「……わからんねえ」
目的地の山が近づく。
俺は、どうしたものかなあ、と思って、目を瞑った。
もう、夢は見なかった。