不等
ゆーびきーりげんまん
うそついたら
はりせんぼんのーます
指切った
「っっ!!」
布団を蹴って跳ね起きた。
どくどくとうるさい心臓もそのままに、錆びた動きで目線を下げていく。
いつの間にか自分の荒い呼吸音だけが響く部屋の中、震える自分の右手、その小指を見れば。
「っはぁーーーー」
いつも通りそこにあった指を見て、どっとため息が溢れた。夢の中では真っ赤な血液を引き連れ地に落ちていた小指は、今はきちんと俺の手に付いて動いている。痛みもなければ違和感すらない。本当に、いつも通りだ。
ふと目をやった枕元のランプの中では、トカゲがおろおろと動き回っていた。
「……嫌な夢みちゃったなー」
汗で額に張り付いた髪を払いながら、ランプを持ち上げる。トカゲの火が揺らめく部屋はまだ真っ暗で、時計を見れば深夜3時すぎだった。
「トカゲ。俺さあ、指切りって人生で一度しかしたことないんだよ」
トカゲがピタリと動きを止め、こちらを見上げた。爬虫類特有の真っ黒な小さな瞳からは、何の感情も読み取れない。
「……俺は、あの人と。本当は何を、約束したんだろうな」
いつかの京都。白く小さな小指と、指を絡めて交わした約束。
零様に『呪い』に対する声、総能からの離脱を禁止されたあの約束は。
本当に、それだけだったのだろうか。
「……」
自分より高位の何かと、対等に契約を結ぶことなど、出来るはずがないのだ。
◆◇◆◇
「不平等だーー!!!」
絶望のままに食堂の机に突っ伏す。向かいに座った葉月はそんな俺に一瞥もくれないまま弁当箱を開けていた。監視の人は遠くの柱の裏からこちらを見て頭と弁当箱を抱えている。
「楽単って聞いてたのに! 去年までは出席さえしてれば良かったらしいのに!! 今年からレポートがあるなんて聞いてないよおおお!! しかも期限が明後日だよおおおお!!」
「……ちくわの、かっぱ?」
葉月が箸で持ち上げたちくわをまじまじと見ている。そう、今日は渾身の河童キャラ弁、ではなくて。
「葉月ー!!! 助けてくれえええ!!」
「無理よ。私、その授業受けていないもの」
「うわああ!! 終わったーー!! せめてメールをもっと早く確認するんだったーーー!!」
「静かにしてちょうだい。この子たちと真剣に向き合いたいのよ」
葉月が無表情でぱくりとちくわを口に入れた。もぐもぐと頬を動かす間にも、じっと別のちくわを見つめている。どういう感情なんだ。
「……ふっ。まあそう騒ぐな、和臣」
「そ、その声は!?」
突然の声に振り返れば。
「俺たちも何もやってないぜ!」
「提出期限は知ってたんだけどなー」
「諦めるな! 俺たちならできる!」
アホラグビー部3人だった。全員当然のようにレポートはやっていないし葉月を見た瞬間でれでれと鼻の下を伸ばし始めた。天誅かつ学力面でも戦力外だ。去れアホども、多分俺一人でやった方が早く終わる。
「というわけで和臣! 今日この後は図書館行ってレポートやるぞ! 誰もパソコン持ってないけどな!」
「いや、俺この後デートだから無理」
ばき、と音がした方を見れば、葉月が無表情で箸を握りしめたまま真っ二つに折っていた。マジかよ。
対して静かになったアホどもの方を見れば、全員腕で顔を覆って泣いていた。もう無視して弁当の蓋を閉める。残りは帰ってから食べよう。
「葉月、行こうぜ。映画の時間そろそろだろ」
「……え、ええ」
葉月は慌てたように折れた箸をしまって、弁当箱をカバンに入れた。箸を折ったのがよほど恥ずかしかったのか、耳が赤い。帰りに新しい箸買ってくか。
「じゃあなアホども。授業ノートの写真なら送ってやるよ」
返事がない。ただのあほのようだ。
食堂を後にして、映画館への道を進む。しかしどうやら道を間違えたようで、三歩目で葉月に引きずり戻された。俺の前を歩く葉月が、どうしてか気まずそうに口を開いた。
「……和臣、良かったの? あなた、レポート……みんなと一緒にやった方が、良かったんじゃないかしら?」
「いいよ。どうせあいつら真面目にやんないし」
「……そ、そう」
「それに葉月との約束の方が先だったし。映画、楽しみだな!」
財布から、今朝葉月にもらった映画のチケットを取り出して見せれば、葉月が俯いて立ち止まる。どうしたのかと思って顔を覗き込めば。
「……で、デートだと、お、思ってたの?」
「え、うん。……違うの!?」
ぎょっと手の中の映画のチケットを見つめる。確かに全く聞き覚えのないタイトルだし全く見覚えのない小さな映画館だが、彼女に映画に誘われたらもうそれはデートではないのか。じゃあ逆にこれはなんだ。罠か、罠なのか。
「だ、だって、本当なら、あの人と二人で行くつもりで……でも、あなたから離れられないって言うんだもの」
葉月に指をさされた、少し離れた物陰にいた監視の人が髪を乱して映画のチケットを持って呻き声をあげていた。え、俺今負けた? 自分の監視の人に負けた? デート相手として?
「そ、それに……」
葉月がぎゅっと両手を胸の前で握った。困惑する俺から目を逸らすように、明後日の方を向いた葉月は。
「この映画館……この時間の上映だけ、幽霊が出るらしいの。だから館長さんがチケットをタダでくれて、退治したら今後も映画のチケットを、タダでくれるって言われて……」
俺と監視の人が同時に膝を折った。誰かこの子にタダという言葉の恐ろしさと管理部の電話番号を教えてください。
「だ、だから、デートなら、もう少し、準備が……私、今日何も……」
耳を赤くして葉月が何か言っているが、もう聞いていなかった。
絶望と共に見た映画は、なぜか白黒無音声のホラー映画だった。
だるそうにスクリーンの上にぶら下がっていた妖怪は、監視の人が無言で消した。