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暗転

 監視の人がご乱心と思ったら、零様に痛いイタズラを仕掛けてきた当主が落ちてきた。


「.......俺、お腹痛いから帰る」


「私は頭が痛くなってきたわ」


 冷たい目で当主を見下ろしている葉月の頭を、ゆかりんがよしよしと撫でていた。俺今日イタズラ怒りに来たんだけどな。どんどん怒る気が失せていく。ごめんなさい零様。


「.......ぁ、い、急いで」


 いきなり立ち上がった当主が、監視の人の手を引く。さっきの暗い瞳ではなく、本気で焦った目だった。


「来て、お願い、お願い来て、お願い」


 いや、違う。この目は。


「あそこなら誰も聞けないから」



 怯えている目だ。



「いいですよ。行きましょうか」


「!」


 一応、花田さん達に1つ式神を出しておく。その様子に一瞬動きを止めた当主は、それでも監視の人の手を引いて走り出した。

 そのあとについて俺達も走る。正直、当主の足が遅すぎてほぼ早歩きで追いつけた。大丈夫かなこの人。

 俺達は早歩きでどんどん長い廊下の奥へと進み、そのまま建物を出て裏庭へ。


「はぁっ、息、はぁっ、いきを、」


 走りながら、息も絶え絶えに当主が話す。まだ大して走っていないのにここまで息が上がっているのは本気で心配になる。俺だってこれぐらいなら走れるのに。


「っ、息をしないでっ!」


 唐突な罵倒かと思ったが、違う。



 いきなり、心臓を掴まれたような感覚。



 痛む目玉を動かして捉えたのは、庭の奥。日の当たらない暗い一角。


 ぽつんとある、古そうな井戸。



「っ!」


 いつの間にか目の前にあった小屋に、監視の人の手を引いた当主が飛び込んだ。俺も葉月とゆかりんを押し込んで、自分の体を入れると同時に引き戸を閉める。

 そのあとは、ありったけの札を。


「はあっ、はぁっ、はぁっ、っ、」


 小屋に入った瞬間倒れ込んでいた当主が立ち上がり、俺の横に来て震える手で鍵を閉めた。それでもしばらく、札だらけの戸に耳をつけ外の音を聞く。


「.......いつから?」


「っ」


 当主が震え、俯いた。

 戸の外が静かなのを確認して、そのままぽかんとした葉月とゆかりんの横を通り過ぎて小屋の奥に入った。窓を確認しようと思ったが、そもそもそんなものはこの部屋になかった。

 座布団も、机も、テレビも照明も。正方形のこの部屋には、何も無かった。


 先程眠から覚めて、胸を張って得意げなトカゲを、暗い部屋の中央に置く。一気に部屋が明るくなった。お前、照明としてのポテンシャル高すぎだろ。


「まあ、とりあえずお話しましょう、十条さん。.......3人も、こっち来て。話は聞かなくてもいいから」


 トカゲを挟んで、十条の当主と向かい合う。相変わらず視線はこちらに向かない。背中に3人の困惑した息遣いを感じた。


「俺は七条和臣と言います。先程はどうも」


 当主の手が握りこまれた。唇を噛みすぎて、ぱた、と着物に血が落ちる。そんなに後悔するなら、あんなこと言わなきゃ良かったのに。


「ところでこれ、あなたが書いたんですよね?」


 胸元から、昨日本部にやってきた式神の札を取り出す。あのイタズラをちぐはぐにした赤い文字。この札にある歪んだSOSは、きっとこの人が書いたのだ。

 どういう事だ、と葉月とゆかりんがこちらを見る。だが、こちらへの説明はあとだ。今は、目の前のことを。


「まず、俺は七条本家の次男ですが、正直遊んでいて手伝いなどしてこなかったのでこういったことには詳しくありません」


 当主の目から生気が消える。深い深い絶望が、おそらく初めてではなく彼女を襲っている。


「ですが。」


 俺達、いや、俺達をここへ向かわせた、零様は。



 この「たすけて」を、(すくう)お方だ。



「総能は能力者(あなた)達のための組織です。何かありましたら、いつでもご連絡ください。お仕事の紹介から妖怪退治、その他諸々まで精いっぱい対応させていただきます! 大丈夫、今日はプロ中のプロが来てますから。ちゃんとどうにかしますよ」


 後ろの3人が驚いている。見たか、これが元管理部の対応力だ。電話対応だってできるんだぞ。


 黙りこくっていた目の前の当主の顔から、またぱたりと雫が落ちた。


「.......っ、た、すけて」


「はい」


「たすけて」


「はい。もちろん」


「助けて、助けて助けて助けてっ! 助けて!」


「うん。助けるよ、(すい)ちゃん」


 わあっ、と泣き声が上がる。急に幼く見えた、いや、歳相応に見えた、俺より年下の女の子。この家の当主。ボロボロ流れる涙を俺の着物の袖で拭ってやる。ハンカチ持ってなくてごめんね、と思ったら葉月がハンカチで真っ赤な頬を優しく押さえた。ゆかりんが不規則に震える背中をゆっくり叩く。


「お、おかしいの! この家は、おかしいの! みんなおかしいの!」


「うん。もう大丈夫、俺達が来たからね」


 監視の人が眉を寄せギリギリと歯を食いしばった末に、長く震えるため息をついた。それから、覚悟を決めたように、璻ちゃんの隣に座った。璻ちゃんは、またぶわりと涙を溢れさせて監視の人の服を握りながら泣いた。


「みんな食べられちゃう! 殺されちゃうのに! それが普通なんだってっ! あるべき姿なんだって言うの! そうじゃない家はみんなダメだって言うのっ!」


「.......うん」


 先程の井戸。

 あそこには主がいる。間違いなく、あの井戸の、水の世界の神がいる。


 それも、怒り狂った主が。


 この、血なまぐさい小屋の外で。この子を見て舌舐めずりをしながら。


「生贄を出さないあなた達がおかしいって言う! 零の家のせいだってみんな言う! でも、でも! 私、そんな普通なら! おかしくたっていいっ!」


 さっき、八条隊長の前で璻ちゃんが言った言葉を思い出す。

 てっきり、術者と陰陽師、陰と陽の話かと思っていた。零様が白を1人で背負って、俺達が黒だということが気に食わないのだと。でも、違ったのだ。


 俺達の家の本質。最大級の霊山の管理者。


 古くからある10の家。生贄を出さずとも、他のどの家より難しい管理をやり遂げる家達。

 総能発足時、生贄によっての管理は完全に禁止された。しかし、それでなお生贄を捧げることを止められなかった家を、その山の姿を、俺達は過去に見た。


 きっとこの家も、止められなかったのだ。


 ずっとずっと止めたかったのに、どうしても止められなかったのだ。総能に頼ることも、全部諦めて逃げることも、できなかったのだ。だから、どうにもならない感情の説明に、全てをこなす零様を使ったのだろう。


「次は私が食べられちゃう! 主様がずっと怒ってるから!50年に1回だったのに、もう毎年食べられてる! だ、だからおばさんが、零の家を無くせば主様が許してくれるって! もう食べられないからって! 京都に式神を出しなさいって、あなた達にあぁ言いなさいって!」


「大丈夫。ここの管理は、総能が引き継ぐよ。もう誰も」


 ばごん、と。あまりに唐突な破壊音と共に、何も無い小屋の壁に穴が開いた。


「隠れてろ!」


 腰を浮かせ印を結び、ランプを持った方の腕で4人を背に隠し。


「.......は?」


 壁をぶち破った数人の男と、その中にいる斧とナタを持った2人に、思考が停止した。


「璻様。なにをなさっているのです?」


 男達の後ろからやってきた、黒い着物のにこやかな中年女性。壁から入ってきた男達には、戸に貼っていた札は全く意味をなさない。あれは、人以外に対する札だから。


「この小屋は、主様に迎えられる前に身を清めるための場所。悪戯に使われては困ります。ただでさえ、主様はご機嫌が優れないのですから」


「.......」


「いえ、璻様がそのようなことするはずがございませんね。この者達に連れ込まれたのでしょう。ああ、壁が薄くて助かりました。今お助け致します」


 じりじりと、武器を持った男達が迫ってくる。部屋の終わりはすぐそこに。飛び出そうとしたゆかりんを、なんとか片腕で制した。さすがに、この体格の男があれだけの刃渡りの武器を持っているのを、暴れさせてはいけない。全員無傷でいるためには、言葉での説得が必要だ。大丈夫、相手は人間なのだ。通じるはずだ。


「全員落ち着け! ここの管理は総能が引き継ぐ! もう生贄なんて出さなくていい!」


「そう言って零はわたくし達からこの土地と主様を取り上げるつもりだろう! 零は全部自分のものにしたいだけだ! 忌々しい、安倍晴明っ!!」


 中年女性がいきなり鬼のような顔をして怒鳴った。あまりの豹変に息を詰めた璻ちゃんを、監視の人が抱きしめる。葉月とゆかりんはその前に出て札をにぎっていた。


「.......違う。あの人はそんなことしない、その名前じゃない。ソイツじゃない」


「ふん、上手く飼われたものですね、あなた方も。元々、あなた方の方が零の家より古くからの、正当な管理者だったと言うのに.......嘆かわしい」


「冷静になれよ! そんな妄想、もういい加減に」


「妄想? ふふふ、ふふふふふふ! 違う! 我が家もお前達と同等に長く続く家だ! 舐めるな! 」


 監視の人の背中が壁につく。逃げ場が無くなった。斧を持った男は、もう目の前に。


「だから、わたくし達が恨むのは零だけ。あなた方かつての同胞を恨んだ十河は、江戸より前に破門した」


「! それは」


「本当に忘れたのですか? 嘆かわしい.......嘆かわしい.......。あなた方だって、生贄をだしていたでしょう? それなのに零の家が現れてから、急に出さなくなった。十河はそれをみて、あろう事かあなた方を恨んだ。恨むべくは、古来よりの主従関係を歪めた零だというのに」


 何を。


「.......あなた方の家の血は、生贄に向いているらしいですね。ほんの噂ですが、主様のご機嫌が直るか、試してみましょうか」


 おかしい。この人は、おかしい。


「.......助けてください」


 なんだって、俺に刃を向けながら、泣いて助けて欲しがってるんだ。


「.......だから。助けるから!! 絶対助けるから!!」


 俺の叫び声に、目の前の男が動いた。もう糸を出そうと、視線をズラした時。


「うわっ!」


 いきなり、何かスプレーをかけられる。目が開けられない。喉が痛い。葉月の咳き込みが聞こえる。ゆかりんの怒鳴り声と監視の人の叫び声も、璻ちゃんの泣き声も。


「.......!」


 術をかけようとして、痛む喉から声が出ないことに気がついた。ならばと、ぼやけた視界を無理やり開けて4人の前に立ち上がり、数人を縛り上げたところで。


「っ」


 ごづん、と何か自分の側頭部から硬い音がして。

 訳の分からぬまま、何か口元に布が当てられて。



 意識が、落ちた。














 ぴちゃん、と。水の音がした。


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