おかしな怪談
現在、本部管理部を騒がせている怪談がある。
井戸からはい出てくる女の霊? いや、そんな生温いものでは決してない。
バイト警備員に手を出した者全員、火あぶりにされるという恐ろしすぎる話だ。
「.......」
本部管理部のメインオフィス。昨日の現場に居合わせた職員全員が、それぞれが自分の机に向かいながら、真っ青な頭を抱えて震えていた。
「.......お、俺は、特別隊隊長に、なんて暴言を.......!!」
「はっ、お前はまだいいぜ.......。俺なんて、体重乗せて地面に押さえつけたんだぜ.......? 普通に、クビだろ」
ガタガタと震え出す先輩達。その中でも、最早真っ白な顔色でぴくりとも動かない人が数名いた。
「.............俺.......あの人の、手、ひねりあげたんだ.......」
「「「っ!!!」」」
部屋の空気が凍る。その行為は、一条から刀を奪うこと、三条の足を折るのと同義である。
つまり、彼らにとって最大限の侮辱行為。
「.......ウチは末代まで、七条家に報復される.......!!!」
大の大人、それも上司が泣き出した。それに釣られるようにして、ほかの上司達も泣き出した。
「.......出しゃ、ばるなと.......暴言の、数々を.......!!」
「頭をっ!! 泥に!!」
「謀反者は俺じゃないかっ!!! せ、切腹すら許されない.......!!」
まさに阿鼻叫喚。地獄絵図。
大の大人達の本気の涙と絶望が、この部屋を満たす全てだった。俺の隣の席に座る、俺の指導係でもある牧原先輩はよりによって休み。なんでもあの事件のあとから熱が出たそうだ。たとえ五条門下のエリートでも体調を崩すのは仕方ないと言わざるを得ない。
「やっだん、何よんこの空気! 辛気臭いとか超えてるわよん!」
何も知らない部長が、鼻をつまみながら部屋に入ってきた。いつもならそれで少しは空気が変わるはずが、今日は空気が重くなることも軽くなることも無かった。どう足掻いても、この部屋は最悪から動かない。
「どうしたのよん、みんなダイエットでも始めたのん? やめなさいよん、アタシ達にとって体は資本なんだからん!」
静まりかえる室内。部長の声に反応が一切ない。いつもなら誰もが縦社会の強さを存分に見せつけて、エリート街道の切符を掴もうと部長の言葉に何らかの反応を示すところが、今のみんなにはその余裕すら無かった。なにせ火あぶりがかかっている。生と死の瀬戸際なのだ。
「.......ちょっとん、何よん気持ち悪いわねん。まさか昨日の配布弁当、傷んでたのん? 集団食中毒?」
それだったらどれだけ気が楽か。何せ、悪いのは傷んでいた弁当であって、自分達ではないのだ。昨日の件は、どうしようもなく、逃げ場など1ミクロンも存在しないほど、自分達の過失100パーセントなのだ。泣き出したくもなる。
「.......っうわあああああああ!!!!」
「何よんいきなり!?」
唐突に、顔面蒼白だった1人が奇声をあげながら立ち上がった。しかしすぐにスイッチが切れたように動かなくなる。あの人は完全に壊れてしまった。
「.......はぁ」
自分の、重苦しいため息すらこの部屋では最軽量級だ。俺は確実にエリート街道を閉ざされたが、生死のかかった悩みでは無い。人生お先真っ暗なのは同じだが、まだ命がある。
昨日、気絶から目が覚めて、先輩達の暴虐を見た瞬間の気持ちは今でも説明できない。ただ、全身の血が一瞬動きを止めた。むしろ逆流していた気すらする。一刻も早く止めなければ、と思うのに、実際動き出すまでに数分かかった。あんな経験、二度とごめんだ。
「.......助けて、牧原先輩.......!!」
地獄の中で、今ここには居ない先輩に祈った。
「こんにちはー。昨日借りたペンと紙返しに来ましたー」
のほほん、とやけに間延びした声。さらには、その声が聞こえる前には室内へ入ってきていたあの体。
胸元に白い円の染め抜き。袖に2本の線。腰元には金のランプ。
見間違えるはずのない、昨日見た、俺達管理部により泥だらけにされた、例のあの人。
「あ、すみません杉原さん。昨日好き放題使っちゃって.......紙とか、めちゃくちゃ使っちゃったんです」
どさ、と紙の束と数本のペンを机に置いたその人。笑顔こそないものの、表情も雰囲気もとても穏やかに見える。そう、見えるだけだ。きっと本当は俺達管理部を燃やしに来たに違いない。だって昨日のアレはさすがに酷すぎる。俺がやられたって、誰だって怒る。それを、あれだけの実績を残した、立場ある天才術者にやったのだ。その怒りは並大抵のものであるはずがない。もしかしたらこの建物ごと焼き殺されるかもしれない。
田舎の母さん、父さん、ごめん。俺は出世どころか、実家に帰ることもできなそうだ。あんなに喜んで送り出してくれたのに、ごめんなさい。
「あ、あとですね.......これ。お詫びにおにぎり握ってきたんです。皆さんでどうぞ。.......葉月が炊く量間違えたんで、遠慮せず、むしろ助けると思って引き取ってください」
「やっだん、気にしなくていいのにん! 紙まで返しに来てくれるなんてん、和臣隊長ったら律儀でとっても可愛いんだからん! おにぎりじゃなくてこっちが食べたいわよん!」
「これが梅干しで、こっちが昆布で.......それなんだったかな。あ、これシャケです。あとキツネも喜ぶおいなりさんもありますよ」
部長と楽しそうに大量のおにぎりを見ているのも、俺達を油断させて火あぶりにするための演技なのだろう。だってあんな大きなおにぎり見たことない。 あんなに美味しそうに光るおいなりさん見たことない。こんな気分なのにヨダレが出る。
「あれ、そう言えば今日牧原さん居ないんですね」
「ああ、熱出ちゃったのよん。孝臣隊長がステキすぎてっ! きゃー! やっだん恋の病よんーー!!」
「こじらせ病だ.......」
牧原先輩がいないと聞いて露骨に落ち込む特別隊隊長。あぁ、俺達はおしまいだ。牧原先輩さえいれば、命乞いくらいは聞いてくれたかもしれないのに。
「もっ!!」
突然、俺の後ろの席の上司が立ち上がり奇声をあげた。やめろ本気で今だけは変な事すんな。
特別隊隊長は、びく、と肩を震わせてから恐る恐るこちらを見ていた。視線はきょろきょろと忙しない。きっと火あぶりのためのベストポジションを探っているのだ。
「申し訳ありませんでしたっっ!!!!」
後ろの席の上司が頭を下げ、次の瞬間には土下座した。それに続くように、この部屋にいる全員が涙でぐしょぐしょになりながら床に頭を擦り付ける。もちろん俺もだ。この波には乗るしかない。これを逃したら謝罪のタイミングは一生来ない、それだけは分かる。
「.......す、杉原さん.......恐怖政治過ぎません.......?」
怯えたように部長を見上げる特別隊隊長。
「やっだんアタシじゃないわよん! みんな和臣隊長に謝ってるのん! .......この部下達が昨日とんでもない粗相をしたんですってん? 本当にごめんなさいねん。アタシにめんじて、許してやってくれないかしらん?」
部長、世界で1番尊敬します。残業も雑用も喜んでやります。
「え? あぁ、昨日押さえつけられたやつか」
「んま! そんなに酷いことだったのん!? そんなの許されなくていいわよん! 和臣隊長悪くないじゃないのん!」
やっぱり残業は二度としません。
「あはは、別に気にしなくていいですよ。俺あの時完全プライベートだったし。この服着ずに現場に横槍入れた俺が悪いんです」
聞けば聞くほど自分達の罪を実感する。完全プライベートなこの人に龍から守って貰った挙句、礼も言わずドロドロの地面に数人がかりで押さえつけ、暴言をぶつけまくった。メロスでなくても耐えられない暴虐ぶりだ。
「それに、部外者への対応が迅速で関心しちゃいました。皆さんいい術者ですね。.......是非今度の春からは特別隊へ! お待ちしてます!」
「あっ! ちょっとん和臣隊長! ウチから引き抜きはナシよん! こっちだって万年人手不足なんだからん!」
「お待ちしてまぁあーーす!!」
部長に引きずられるようにして、特別隊隊長は部屋を出ていった。その去り際、致死量のハグを投入しようとした部長に抵抗した時にちらりと見えた手首に、押さえつけられた時にできた痣が見えて、俺は本当に、心の底から反省した。
怖がって、顔も見ずに謝罪なんてすべきではなかった。俺達は本当に、あの人に酷いことをしたんだ。誠心誠意、たとえ許されずとも、謝らなければならなかった。
こんな小学生でも分かるような事が出来なかったなんて、牧原先輩がいたら絶対怒られている。
がん、と机にぶつかりながらも立ち上がって、廊下へ走り出ようとして。
「あ、そうそう」
ひょこん、と扉の横から出てきたにこやかな顔。
思わず腰が抜けて尻もちをついた。すると後ろから沢山のどた、という音がしたので、恐らくみんな特別隊隊長を追いかけようとしていたのだろう。
「良かったらおいなりさんの感想ください。実は人間に食べてもらうの初めてなんです。.......あと、本当に昨日のは気にしなくていいですからね。別に、痛くなかったし」
最後に笑顔を見せて、長い指をヒラヒラとふって。その人は足取り軽く帰ってしまった。
俺達は全員、真剣におにぎりとおいなりさんを食べた。そして、1人最低A4用紙3枚の感想文を提出した。これが、あの人への唯一の謝罪だと信じて。
「隊長! あの唇筋肉からやけに分厚い資料を隊長当てに預かりまして。怪しいので破棄しましょうか?」
「いやいや花田さん、さすがに.......」
ぺらり、とファイルを捲る音がして。
「.......え、こんなガチの感想なの? 不味かったのかな.......」
「管理部は商品開発部に変わったんですかねぇ」
「今度リベンジするか.......」
現在、本部管理部を騒がせている怪談がある。
警備員に火あぶりにされる? いや、違う。
あんなに美味しかったおいなりさんの感想が、作者に正しく伝わらない、という恐ろしすぎる話だ。
「.......し、七条特別隊隊長! あの! この間の、その!」
牧原先輩に背中を押され、震える体のまま特別隊隊長のいる廊下に出た。なんとか目線だけでも上げられた時。
「あ!あなたは牧原さんの後輩の.......榊原さん!」
「名前おb@huo〜!」
「えっ!?」
気絶した。