時間
衝撃は右肩から。
崖の斜面に打ち付けたそこを、痛いと感じるより早く。世界を回転させながら、転がって斜面を落ちていった。上か下か、右か左かも分からない。
ただ、ひたすらに腕の中の女性の頭を強く胸に押し付ける。人間、頭さえ守れば大体なんとかなるもんだ。
「.......」
地面が平らだと、気がつけば。
左肩を下に、動かない地面に横になっていた。
腕の中の彼女は気絶している。なら、今のうちに。
「くそっ、圏外かよ!」
起き上がることなく、横になったまま出した携帯をしまう。
次は式神を出す。鳥型で、なるべく早く飛ぶように。
「花田さん、俺達は生きてます。警察と消防、救急に連絡を。それから、今日は俺達を置いて帰ってください。ここから一般人抱えて俺が自力で登るのは無理だ。今そっちに天狗が出たら俺は何も出来ない。いいな、一般人連れて、帰れ!」
言うだけ言って、それを覚えさせた式神を真上に飛ばす。どうか上手く一般人から隠れながら聞いてくれ。
そして、気を失った一般人女性に目を下ろす。見たところ大きな外傷は無し。ズボンに隠れた足は分からないが、とりあえず治療できそうな箇所は見当たらない。
腰に付けたランプの中では、トカゲが死んだフリをしていた。ピクリとも動かないトカゲに一瞬恐ろしくなって歪みひとつ無い金のランプを揺すってみたら、いきなりガバッと起き上がって擦り寄ってきた。良かった、ごめんなめちゃくちゃして。
次は俺だ。これはまあ、分かってはいたが酷い。右腕が動かないのは、肩が外れたのだろうか。外れた肩は1人でどう治せばいいんだ。そして、腕や足は所々石で切ったのかばっくり切れている。そこを治療していく。早く、この女性が起きる前に。これぐらいの怪我ですんだのだと、笑うために。
「んぅ.......」
まずい、起きる。一般人の前では術は使えないし、一般人の前でした怪我を治療するのもご法度だ。
「.......あ、れ」
「起きましたか? 怪我は? 痛いところは?」
治療を止めて、起き上がった女性の顔を見る。混乱はしているが、恐怖はない。良かった、と頬が緩んだが。
「あっ、あなた! ち、血が!」
「え?」
恐怖する女性の指さす額に手をやれば、ぬるりとした感覚。しまった、額が切れていると自分じゃ気が付かなかった。
「大丈夫、大丈夫だから落ち着いて! 頭は血が出るだけです! 大した怪我じゃない! 死なないから!」
「.......え、う、」
泣き出した女性を抱きとめて、左手で背中をゆっくり叩く。右肩治せなかったな。これからどうしようか。
「大丈夫ですよ、1人じゃないし、すぐ助けは来ます。幸いどちらも大した怪我はないですし、気楽にしりとりでもして待ちましょうよ」
「うぅ.......」
近くに鳥が止まった。花田さんの式神だ、と気が付き、泣いている女性に気づかれないようそっと左手を伸ばす。手のひらに落とされたのは、ピンクのスケジュール帳の1ページ。
そこには「指示通り一般人を連れ1度ここを離れます。消防に連絡したところ、ここへ来るのは明日の昼になるそうです。できるなら、自力でここから西に5キロ先の工事場あとへ向かってください」とあった。その紙をもう一度式神に渡せば、鳥はまた空へと上がった。
「ふふ」
「え.......?」
思わず零れた笑いに、女性が顔をあげた。
「いや、すいません。なんでもないんです.......ふふ」
「はぁ.......」
花田さん、相当動揺しているな。いつも冷静だと思ったが、そうでも無いらしい。
なんせ、俺に自力で歩いて戻って来いなど、普段なら誰も言うはずがないのだ。
「お姉さん、歩けますか?」
しかし、ここで夜を越すことはできない。なにせ、ここには天狗も霊も出るのだ。術が使えない今、この人を守ることは不可能に近い。ならば歩いた方がマシだ。
少し遠くに転がっていたLEDの懐中電灯を拾うと、大きく割れていた上電池が片方失くなっていた。腰に下げたランプがめらっと光る。さすがだ、やっぱりLEDよりトカゲだったな。
「え、えぇ.......痛っ!」
立ち上がった女性が、右足首を押さえてうずくまる。見れば、靴下の下の足首が青く腫れ上がっていた。
「大丈夫、骨は折れてなさそうです。捻挫ですね」
「.......はい」
「よし、俺がおんぶしますから、行きましょう! その代わり、道案内お願い出来ますか?」
「えっ! で、でも、道なんて、私」
「大丈夫です。西に5キロ歩くだけですから。携帯でコンパス見て、俺に西を教えてください。もしそこに着く前に携帯の電波が入ったら教えてくださいね」
「.......はい」
「大丈夫! 俺よりは絶対正しい道を選べますよ! それに、たとえ迷子になっても2人です! それは迷子じゃなくて、寄り道ですから!」
女性が話す間もなく喋り続ける。考える間も無いよう背中に背負って、西へと歩き出した。
「あの人達とはサークル仲間だって言ってましたけど、何のサークルですか?」
「て、天文サークルの、2年生です。.......あなたは?」
「マツタケサークルの隊長です」
「えっ?」
「うそです。もうすぐ大学1年の、七条和臣と言います。トンネルの外であなた達の車を見かけて、急いで追いかけてきました」
「.......ごめんなさい」
「反省してくださいね。まあ、それは後ででいいです。今は楽しいことだけ考えましょう。好きな食べ物はなんですか? 俺は肉全般と、ナスの天ぷらが好きです」
ぽつぽつと帰ってくる返事に安心しつつ、自分の体調に不安が募る。さっきまで気が付かなかったが、段々と身体中の悲鳴に気がついた。これこのまま5キロも歩けるのか俺。痛み止めの札はあとどれくらい持つだろうか。
「.......あの、七条さん、あなた、右肩.......」
「え? 右肩がどうかしましたか? 幸運の青い鳥でも止まってました? 捕まえといてもらえますか?」
「.......怪我して、ますか?」
「大丈夫です。大丈夫ですよ、割と簡単に着脱できるんです。心配しないで」
左手だけで背中の女性を背負い直した。右肩などどうでもいい。それより、右手の奥にいる顔の半分がぐちゃぐちゃな霊がこちらに気がついた。本当にとんでもない場所だな。2年前の富士山程ではないが、霊が多すぎる。
「七条さん.......! ごめんなさい!」
「全然大丈夫ですよー。ほら、泣かないでください。そうだ、好きなテレビ教えてくださいよ。好きなアイドルとかは?」
「私.......! さっきは、混乱してしまって! なんで自分から、崖なんかに.......!」
「分かった! 少し休みましょうか! 俺は歩いとくんで、寝ちゃっても大丈夫ですよ!!」
「そんな! 私のせいなのに! 休めません!!」
「全然構わないんですよー.......」
自主的に寝てもらうのは無理か。どうする。走って逃げるか? 無理だな、霊の方が早い。逃げ切れはしないだろう。
なら、どうする。
「本当に、ごめんなさい.......!」
『憎ィ.......! ニクい憎い憎い憎い! 生きて! ただ生きているお前が憎い! 殺してやる!!』
「私、私がもっとちゃんと断れたら良かったんです! こんなこと、やめようって言えば良かった! さっき、トンネルで電気が消えた時! 絶対、殺してやるって聞こえたんですっ! こんなとこ、来なきゃ良かった.......!」
「お姉さん。俺トイレ行きたくなってきたので、あっち向いててください。出来れば耳も塞いでほしいです。俺も.......花も恥じらうピュアボーイなので」
暗闇でもかっと赤くなったのが分かる女性を下ろして、しっかり耳を塞いでくれたことを確認する。そして、こちらを見ないように札を撒いて俺達を殺そうとやってくる霊に向かい合う。
「大丈夫だから、早く還りな.......ってマジかよ」
霊は一体ではなかった。2、3とあちこちから集まってくる。さらに、木々の上から一際強い風と共に現れたのは、大きな大きな黒い鳥。猛禽類を思わせるその鋭さに、明らかな妖怪としての位の高さ。
木の葉天狗。
最悪のタイミングだった。
「早く来いよ、くそ雑魚共。俺はトイレが長いと思われたくないんだ」
時間をかけるつもりは無い。左手1本、三分で片付けてやる。
結論から言えば。
霊は全部還したし、木の葉天狗も塵も残さず消し飛ばした。時間は三分きっかり。なかなかの好タイム、女性からトイレが長いと思われるギリギリのラインで踏みとどまった。
ただ、色々限界を超えた。
「はぁっ.......」
色々な無茶を霊力だけで押し通したために、割と空っぽだ。自分の中にあるエネルギーが消えた分、身体も何もかも重い。
糸を出しつつ片手で札を出すのは大変で、たかが木の葉天狗ごときに少しやられた。天狗の中でも最低ランクのそれにやられた左腕の傷にイライラする。これは一般人に見られていないので治療して、さっさと女性の元へ帰った。
「お姉さん、すみませんお待たせして。行きましょうか」
無理やり笑顔を作って女性を背負い、歩き出した。