改訂
久しぶりだった。
兄貴の背中に隠れて泣きじゃくったのは。
「和臣.......もう泣くな。ゆっくりでいいからもう1回話してみろ。帰りジュース買ってやるから」
「.......無理」
先程遅れてこの地獄の部屋にやってきたハルが近づいてきて、よしよしと頭を撫でられた。余計に泣ける。
京都総能本部の一室で、教科書改訂のために集められたメンバーに昨日のことを質問責めされて早2時間。頑張ったつもりだ。ちゃんと話したつもりだ。なのにそんなため息と同じ質問ばかりされては心が折れる。大体今の俺は管理部だぞ。こんな所に呼ばないでくれ。
「理論上は可能とされていても、実際百を超えた回数指定は不可能でした。術式が霊力に耐えられず崩壊したり、霊力の流れが不均一になり術が起動しません。我々専門家の間でも百が上限であるという定説が支持されています」
全く知らない爺さんが話し始める。ちょっと優しそうだと思ったら大間違いだった。俺の渾身の説明になぜ、どうして、の言葉を真顔で延々とぶつけてくる爺さんだった。他の専門家の人達は目が怖い。瞬きが少ないのだとさっき気がついた。
「そんな術の上限を、七条くんはどうやって超えたのですか? 教えてください」
八条隊長はずっとにこにこしているが腹の中では俺のことを嫌っているし、四条隊長には姿勢が悪いですよと注意される。帰りたい。
すっと、俺の頭を撫でていた小さな手が離れた。小さなゴスロリ少女は。
「和臣はちゃんと教えてあげたでしょお? 和臣は教科書通りやったのにぃ、分からないのぉ?」
あれ、風向きが怪しい。
「自分で書いたのに、おバカさんねぇ。だから術が上手にならないのよぉ?」
部屋が静まり返る。
もうどうにでもなれ。俺はゆかりんの新しい表紙が見られればそれでいい。術者を辞めても教科書を買い続けた理由はゆかりんの写真が可愛いからだ。
「では五条さんはできるのですか? 百を超える回数指定が」
八条隊長の質問に。
ゆっくりと、真っ赤な唇を引き上げたハルは。
「だってぇ、今和臣が教えてくれたでしょお? 崩さないようにどうやるか、教えてくれたでしょお?」
「.......そう、ですか」
俺がやったのは、今までの術式に従っただけのいつもの術だ。霊力の流し方に少しコツがいるが、それさえできれば霊力や処理能力がある程度あれば誰でもできる。元々俺より術が上手い上霊力も多いハルなら、簡単にこなしてしまうかもしれない。
はい、七条くん早速没個性化しました。さよならー。
「でもぉ、和臣の方が上手だよぉ。和臣は大きい術が好きなのねぇ」
また頭を撫でられた。そしてピンク色の飴をくれる。
「和臣ぃ、帰ろぉ? たかちゃんジュース買ってぇ!」
「好きなだけ買ってやるから仕事をしろ!」
「むぅ。でももうお話することないよぉ?」
兄貴がハルにくどくど説教を初め、俺は配られた資料の裏に落書きをして時間を潰す。他の人達は別の話をし始めた。俺もう二度とここに来たくない。
「.......はぁ」
何となく紙に退職、の文字を書いたところでいきなり目の前の襖が開いた。そこには唇がツヤツヤの杉原さんが。
「お疲れ様です! 少々部下をお借りしますねん!」
そのまま太い腕に首根っこを掴まれ、廊下をものすごい速さで移動する。
「杉原部長、どうなさったんですか? 書類に不備が?」
「違うわよん! やめてよねん退職なんてん!」
謎の花が生けられた部屋に放り込まれ、両肩を掴まれて揺すられる。あ、死ぬ。パワーの違いを感じる。
「教科書のことは頑張って欲しいわよん! でもそれで辞められちゃ困るのよん! アタシがなるべく調整するから耐えてん! 牧原にお茶出させるからん!」
「辞めないですけど」
「アタシに話してくれたらアタシ経由で伝えるわん!あとちょっとで隊長に戻れるんだからん! だからそれまで耐えてん!」
「いや、辞めないですよ。フリーでやってく自信ないし」
「ありがとうんんん!!!」
いきなり抱きしめられた。訂正、圧死寸前まで追い込まれた。あの地獄から連れ出してくれたのは大変嬉しいし、今後もうあそこに行かなくていいようにしてくれることには感謝している。しかしこのままだと圧死する。そしてゆっくりと頬に近づいてくる艶やかな唇から逃げるすべを教えてくれ。教科書に書いておいてくれ。
「貴様あああああ!!」
襖を蹴破った花田さんに、申し訳なさそうに俺を迎えに来た兄貴。既にジュースを買ってもらっていたハルに、楽しそうに俺を見て帰っていった八条隊長。
カオスであった。
「和臣、お前もうちょっと頑張れよ。他人と話すのも重要だぞ」
「もう嫌だ、もう嫌だ」
「あとちょっと頑張れ。今日はもうすぐ終わりだから」
横目に見える杉原さんと花田さんが、本気の殴り合いを始めようとした所で。
「お、お茶をお持ちしましたっ! つ、辛いことがありましたら、こ、この牧原に、なんなりとお申し付けください!」
お盆を持った小柄な女性、顔を赤くした牧原さんがやってきた。兄貴が動きを止め、ハルは嬉しそうにお茶菓子をもらい、牧原さんは気絶した。
兄貴が役に立たなくなったその後の話し合いは散々で、俺は専門家の人達に確実に嫌われた。四条隊長には茶道を勧められた。
今後、教科書のことで呼ばれた時はふぁっくすでの参加にしてもらった。
なんだかんだあって新しいゆかりんの写真が表紙の教科書が出来たのは、約半年後の事だった。