発表
「.......」
コートのポケットに手を突っ込み、マフラーに鼻まで顔を埋める。トカゲがじんわり暖かい鞄を持って、自分のつま先だけを見つめて電車に乗ること早30分。
「和臣、次で降りるわよ」
「了解でありまするます」
「.......落ち着きなさいよ」
停車した電車から降りるのが怖くてグズグズしていた所を、葉月に引きずられるようにして駅を出た。多くの学生の流れに乗って歩く。泣きそうになってきた。
「まだ何も見てないわよ」
「俺の受験番号さ.......たぶん学科の中で1番初めなんだ」
葉月がとても優しく俺の肩を叩いた。やめて泣いちゃうから。
そう、今日は大学の合格発表。運の悪いことに受験番号が先頭の俺の合否は一瞬で分かる。葉月の合否なんて聞くまでもない。センター試験で4科目満点のモンスターだぞこの子は。
「うわあああ!! 見たくないよぉおお!!」
視界にちらりと白い掲示板が見えた瞬間吐き気がした。何かの手違いで掲示板が爆破されて全員合格になりますように。
「早く前に行きましょう。ここからじゃよく見えないわ」
「もういいよおおおおお!!」
両手で目を覆いながら葉月に引きずられる。嫌だ嫌だ行きたくない傷つきたくない心穏やかに卒業式に出たい。
「和臣、せーので目を開けましょう?」
「無理。.......番号後ろから確認してっていい?」
「あなたそれで心臓持つの?」
「即死か爆死かの違いだから.......」
「意味不明ね。なら、私の番号を探してからにしましょう? 1行目は見ないようにするから」
半泣きで目を開けた。1行目を全力で視界から消す。早く爆発しないかな掲示板。そろそろ覚悟を決めようとした時、いきなり隣で大きくガッツポーズをした男に大げさに肩がはねた。
「あったわ」
「なああああ!! なんで冷静なのおおお!!」
隣の男に気を取られている隙に葉月が自分の番号を見つけていた。おめでとうもっと喜んでいいんだよ。
「さあ、1行目を見るわよ」
「世の中って厳しいよな.......」
「早く目を開けなさいよ」
逃げ出さないように葉月にガッツリホールドされながら掲示板を見る。下から順に、ゆっくりと。なるべくゆっくりと。1228番まで見上げたところで、急に1207番に飛んで気を失いかけた。俺の受験番号は1200番。心臓飛び出しそう。
「.......和臣」
「今まで悪いことばっかりしてごめんなさいこれからは盆栽割らないし兄貴の服も脱色しないし朝は姉貴が起こす前に起きるし清香のことからかわないから許して」
「何に許しを求めてるのよ」
もうどうにでもなれ、と一気に目線を上げた。1行目の、1番初めにかかれた数字は。
「.......せん、にひゃくばん」
「おめでとう和臣! 頑張ったわね!」
鼻と頬を赤く染めた葉月が、にっこりと俺の横で微笑んでいた。
「.......?」
「よかったわね! あなた、ここの倉田教授に教わりたかったんでしょう? あなたが古典文学に興味があったなんて驚きだわ」
「.......うん」
「入学資料を貰いに行くわよ」
嬉しそうな葉月と、状況においてけぼりな俺。せんにひゃくばん? だいいちしぼう? 俺明日死ぬ?
「.......なんで受かったんだろ」
「私、あなたが夏前からずっと英語の勉強をしていたの知ってるわ」
葉月が鞄から、俺が使っていた表紙が取れてボロボロの英単語帳を取り出した。受験が終わってから捨てたはずのそれを、葉月は得意げに掲げる。
「.......ありがとう葉月」
「あなたの実力よ」
「ありがとう、おめでとう葉月!」
抱き上げようとしたら殴られた。公衆の面前で1人胴上げはお気に召さなかったらしい。
家にサクラサクの連絡をすれば、異音が響いたあと不自然に電話が切れた。大丈夫か俺の家。
隣に立つ葉月が無表情で電話に合格を告げると、そのあと3秒も経たずに携帯をポケットにしまった。しかし、その顔がいつもよりほんの少しだけ晴れやかだったので、俺は特に何も言わずに葉月の手を取った。
「俺さ。桜だけは、咲かせたかったんだ」
「? そうね」
不思議そうに俺を見上げる葉月を見て。
「春から大学生かー! 楽しみだな!」
「その前に明日は卒業式よ。私のお母さんとお父さんも見に来るって言ってたわ」
「お義父さんが!? 将棋やめてじゃんけんでいいかな!?」
「急に運任せね」
「うおおおおお!! 来い俺の運ーーー!!」
葉月の手を離して右手に全神経を集中させていると。
「ねえ、和臣。私.......」
「ん?」
震えながら鳴り出した携帯をポケットから取り出す。葉月にことわって電話に出ると。
「和臣! おめぇはやる奴だって思ってたぜ! 今度焼肉連れてってやるから好きなだけ食え!」
「先輩!? どうしたんですかこんな時間に.......」
やけに上機嫌な釘次先輩が、電話の向こうで大声で笑っていた。こんな昼間に起きているなんて珍しい。毎日仕事がある隊の人達は昼夜逆転が当たり前だからだ。葉月も不思議そうに先輩の声がもれる携帯を見つめている。
「そりゃ後輩の合格発表だからな! その反応.......俺が1番早かったみてぇだな! ふはは! よくやった和臣! 合格おめでとうな!」
「ありがとうございます! .......ん? 1番?」
「ああ、お前の試験結果は隊長と当主の間に知れ渡ってる」
「ん!?」
「お前が浪人でもしたら仕事に支障が出るからな! まあでも単純に祝ってるってら奴らも多いぜ? じゃあ、4月に本部で待ってるぜ和臣! よく食って寝ろよ!」
「あ、お疲れ様です! ありがとうございました!」
嬉しそうな笑い声と共に電話が切れた。先輩に喜んで貰えて俺も嬉しい。しかし、俺の受験結果があの人たちに知れ渡っているなんて初耳だ。もしかしてあの大学落ちたのも知れ渡ってるのか。恥ずかしいからやめて。
携帯のメールボックスには、詩太さんと六条当主の調唄さんからメールが届いていた。長文の上絵文字がいっぱいだ。それに返信していると。
「あ、優止?」
「和臣! やっぱりお前は漢だ!」
それからひっきりなしにかかってきた電話に、頭を下げたりお礼を言ったりするだけで結構な時間になってしまった。
「葉月、ごめん。帰るか?」
「ええ。きっとお姉さん達が待ってるわ」
まだ山の桜は咲かない3月の初め。
もうここには居ない人達に、桜を見せることが出来たと、そう信じて。
葉月と手を繋いで、バスに乗らずに歩いて坂を登った。