錬金術師と聖剣
ドイツ郊外。ある屋敷にて。
「.......そうだわ」
本に埋もれるようにして、古く大きな本を読んでいた金髪の少女。輝く金髪はひとつに束ねられ、部屋の中だというのにその小さな体には大きすぎるコートを着ている。彼女は、ぽつりと呟いて本から顔を上げた。
「日本に行きましょう」
小さな彼女には大きすぎる本を閉じて、埋もれていた本の山を抜け出す。金細工の眩しいランプを棚にしまって、彼女は軽やかな足取りで部屋を出た。そして、1人で屋敷の玄関の重い扉を開ける。その瞬間。
「こんにちは、ドイツの先生。.......そして、さようなら」
「ふふふ。お客様なんて、珍しいわね」
玄関の目の前に立っていたのは、背の高い女。金色の髪は短く揃えられ、濃い緑色のジャケットとズボンを見に纏い、青い瞳はただ真っ直ぐ小さな彼女を見つめていた。
「最期の慈悲です。あなたを殺す者の名を教えましょう。私は、教会の聖剣.......竜を統べる者、ペンドラゴンです」
「ふふふ、まあ怖い」
背の高い女は、左の腰元に手を伸ばす。真っ白な手袋をしたその手が、しっかりと何かを掴んだ。そして、ゆっくり、勿体ぶるように、見せつけるように。その白金に輝く絶対を、鞘から引き抜いた。
「Good bye」
流暢な英語とともに、白金の剣が小さな少女に振り下ろされた。
その白金には血の一滴すら着かなかったが、背の高い女は剣を1度大きく振るうと、ちらりと目の前の血溜まりに目をやってから剣を収めた。そして、その血溜まりに背を向け歩き出す。
震える右手を、左手でアザになるほど強く押さえつけながら。
「ふふふ、痛い痛い。聖剣って怖いのねぇ」
「っ!?」
女ははじかれたように、剣に手を置きながら後ろを振り返った。そこには。
「エクスカリバー.......ドイツに送るのがソレだなんて、ふふふ。教会は頭が固いと思っていたけど、随分ユニークね」
「.......なぜですか」
少しの赤い汚れも無いコートを着た、紅い瞳の少女が立っていた。
「ふふふ。なぜって、素敵な質問ね。いいわ、答えてあげる。.......私は、随分昔に辿り着いたのよ? 真っ赤な、石にね」
「.......やはり、あなたは教会の脅威だ。私が送られたことも納得できます」
「数世紀ぶりに現れたペンドラゴンに、教会もお熱だものね。あなた、今の教会の聖剣の中で1番武闘派なんですって? ふふふ、こんなに小さな女の子なのに、面白いわ」
背の高い女は、少しも表情を変えないまま剣を抜いた。今度もゆっくりと、見せつけるように。
「私は女である前にペンドラゴンです。賢者の石を手に入れたあなたですら、私の前では散る運命にある」
「あら、どうして?」
女がそっと目を閉じた。深く息を吸って、良く通る声で高らかに宣言する。
「皆が望むのなら、私はそれを与えなければならないのです。私は、聖剣に選ばれた。私は、常に与える側にあらなければならない」
女が、白金の剣を大きく振りかぶった。そのまま、なんの躊躇いもなく。誰よりも美しい動きで、剣自体の重さを乗せて振り下した。
「ねえ? ペンドラゴン」
「.......」
小さな頭の真上、髪の毛1本にも満たない隙間を開けてピタリと止められた剣には目もくれず、少女は女に笑いかけた。
「あなたの本当の名前を教えて? ペンドラゴンは、名前では無いでしょう?」
「.......」
「あら、忘れてしまったの?」
背の高い女は、また大げさに剣を振るってから鞘に収めた。今度は震えていない両手を背中で組み、今度は震える唇を噛み締める。しばらく黙って見つめあっていた2人が動き出したのは、背の高い女が消え入りそうな、震える高音でこう答えたから。
「.......はい」
「あらあら、大丈夫よ。あなたの名前がペンドラゴンでは無いことは分かっているのだから」
下を向いて強く目を瞑り、唇を噛み締める女。それに、小さな少女がそっと手を伸ばした。
「あなたはなぜ私を殺しに来たの?」
「.......あ、なたが。教会の、脅威であるからです」
「あなたはなぜ教会へ入ったの? 悪魔やドラゴンに恨みがあったから? この世から塵一つ残さず消し去りたかったから? これが教会の大まかな目的よ。能力者が組織に入るのは、その目的に賛同して同じゴールを目指すためでしょう」
「.......」
「ねえ? あなた、私を殺し損ねたらどうすると言われたの?」
「.......聖剣に見合わぬ者は不要です。私は、常に与える側の、教会のペンドラゴンでなくてはならない」
金髪の少女は、ぶわっと頬を染めた。どうしても吊りあがる薔薇色の唇を無理やり下げて、艷めく吐息に蓋をする。
「あなた.......私を殺して?」
「.......え?」
「何度でも、いつまででもチャレンジしていいの。いつかきっと成功するわ」
目を丸くして、青い顔で1本後ろへ下がった女を、金髪の少女が両手で引き止めた。
「日本行きは後にするわ! ふふふ! だって、聖剣なんてなかなかお目にかかれないもの! 色々知りたいわ!」
女は腰元の剣を庇いながら、小さな手を振りほどいて走り出した。しかし。
「あら、どこに行くの? 私はまだ生きてるのよ? ふふふ、あなたはまだ帰れないんじゃなくて?」
「!」
ビタっと女が動きを止める。たらりと、白い頬を冷や汗が伝った。
「私を殺すまで、あなたは教会には帰れない。私を殺すために、あなたは私のそばにいなくてはいけない。そして私はあなたをずっとそばで見たい。ふふふ、利害の一致ね!」
「い、嫌です.......」
「あら? ならあなたを使い回す教会に殺されるの? 誰もあなたの名前を呼ぶ気がない、頭の硬い教会に? あなた、彼らに何かしてもらったことはある?」
背の高い女は、へなへなとその場に座り込んだ。そして。
「も、もうハラキリしかありません.......うぅ」
今まで人には決して見せなかった涙を流しながら、腰の剣を外した。剣を鞘から引き抜いて、雑に鞘を投げ捨てる。
「あら、日本語?」
「飛天御剣流を習得したかったのに〜! 斬魄刀だって手に入れてない〜! うわ〜ん! ハラキリ怖い〜!!」
「もしかして、あなた日本語が得意なの?」
「愛のない吹き替えなんてクソ喰らえです〜! キャラ変わってるんですよ〜! 原作をリアタイで追いたいのに〜! 私はなんでこんな所に〜!」
テレビと漫画の前と自室のベッドでは頻繁に流す涙で顔をぐちゃぐちゃにしている女の頬を、金髪の少女が両手でそっと包んだ。そして。
「Großartig!!」
その額にキスを落とす。固まった女を小さな体で抱きしめて、少女は言った。
「さ、中に入って紅茶を入れましょう。長い付き合いになるんですもの、ふふふ。きちんと話し合いましょう? あなたの部屋は、あの窓の大きな所なんてどうかしら?」
女は、涙で汚れた顔で目の前に建つ屋敷を見つめて。
「.......テレビ、ネット環境は完備されていますか? 本の持ち込みは可能ですか?」
「好きにしていいわ」
「あなたを殺したら出ていきますからね〜!」
「ふふふ! 素敵ね!」
それから、女が屋敷の一部屋にある種の城を築くまで、そう時間はかから無かった。
そして女と少女が、誰も手のつけられない錬金術師とそれを殺す聖剣から、先生とオタクの関係に変わっても。
「ねえ、シャワールームにまで聖剣を持っていくの?」
「きゃーー! 先生覗かないでください〜! セクハラですよ〜〜!」
「殺しても構わないから、聖剣を持った筋肉のスケッチをしてもいいかしら?」
「嫌です! その裸スケッチどうする気ですか!」
「ふふふ、飽きたら教会に送ってみるのもいいわね」
「うわ〜ん! 私殺されます〜! タダでさえ何年かかってるんだって怒られてるんですから〜!」
毎月諦めた顔で先生を殺しにかかる生徒と、生徒を弄くり回す先生の関係に変わっても。
「先生〜! 私のノートどこにやったんですか? 昨日の錬金についての講義の内容が書いてあったんです〜!」
「このジュースを飲んでくれたら探してあげるわ」
「明らかに人体に影響がある色してるじゃないですか〜!」
「ふふふ、ビタミンたっぷりなの」
「この間もそんな事言って食べさせたクッキーのせいで、抜いたはずの親知らずがまた生えました〜! 怖いんですよ〜!」
「聖剣を持つあなたの親知らず.......何が違うのか気になったの」
「人体実験ばかり〜! この人でなし〜!」
たとえ相手を殺そうとしても、相手で実験しようとも。
漫画におかしな薬品をかけたことがバレて、本当にあと一歩で聖剣が賢者の石を越えそうになっても。
「先生〜! どこ行くんですか〜!」
「ふふふ、今度は日本よ。今日の飛行機で行く予定なの」
「急なんですよ全部〜! でも日本! 日本萌えーー!! ンンン、ちょうど薄い本の季節じゃないですか!」
錬金術師と聖剣は共に、まだ知らない世界を駆け抜ける。
たまに聖剣が置いていかれても。