祖父の心孫知らず(下)
嫌に広い革張りの座席。悲しいことに駅から遠い我が家。本当に悲しいことに川に帰ってしまった河童。
無言の車内。
「.......」
「和臣、手は平気なの?」
「.......大丈夫です。治療ありがとうございました」
「そう」
また静寂。ダラダラと止まらない冷や汗は、先程予備校のセンター試験解答速報の時間になったからではない。
厳しい顔の先代が、ずっと俺を睨みつけているからだ。あと葉月が完全無表情。怖え。どうしようどうしたらいいんだ。なんでこの2人が一緒にいたのかよりも、これから俺はどうなるのかが恐ろしくてたまらない。しかもこの場に俺の味方は小さい頃遊んでくれた運転手さんだけだ。助けて。
「和臣。お前はなぜあんなことをしていた?」
とうとう来た。とうとう先代から質問が来た。そして俺はベストアンサーを知っている。できるだけ穏便に、最短でここを逃れる最適解を。
「申し訳ございませんでした!!!!!」
自分の膝に額をつけるほど頭を下げて、大声で謝罪。もう謝り続けるしかない。
「何に謝っている」
「.......し、七条の.......名に、泥を塗るような.......その、降格という、処分には.......本当に反省.......していて.......」
俺よ、もっとハキハキ話せ。もう堂々と言ってやればいいじゃないか。俺はボヤ騒ぎパワハラ騒ぎに盗んだ酒を未成年飲酒のスリーアウトで始末書謹慎降格コンプリートの、七条本家前代未聞のスーパーボーイだってな! .......俺死んだ方がよくないかこれ。
「続きは家で聞く。さっさと降りるんだな」
いつの間にか家の門の前に止まった車から先代が降りる。そして外から葉月側のドアへまわって、急ににこやかに葉月の手を取って車から降ろしていた。俺は運転手さんに肩を優しく叩かれた。涙が出た。
「.......葉月さぁん.......」
俺の方を見向きもせず、先代の隣りをぴしっと姿勢を伸ばして歩いている葉月は。
「お話のお邪魔のようだから私は自己採点でもしているわ。あなたの分もやってあげましょうか?」
「見捨てないでぇ.......」
「和臣。しゃんとしろ、みっともない」
「ひぃん.......」
葉月に鞄ごと俺のセンター試験問題用紙が持っていかれた。そして、玄関を開けるとどこか遠い目をした父が出てきた。妹は着物を着て、ムスッとして父の後ろに立っていた。妹よ、ちょっと愛想ふりまいてくれないか。先代俺以外の孫には優しいから。
「話がある。久臣と和臣は来い」
「「はい.......」」
妹は葉月を見て、尻尾があったらちぎれるレベルで喜んで葉月の腕を引いて奥へ消えた。俺も仲間に入れてくれ。
俺はコートを着たまま客間の真ん中へ正座させられた。もう俺の心は一周まわって静かに落ち着いていた。まるで午後の柔らかな日差しのよう。
「和臣」
「はい」
「色々言いたいことはあるが」
色々あるのか。困った困った。でももうここまで来たら大人しく聞こうじゃないか。センター試験も終わったしな。
「お前、さっきなぜ術を使わなかった。土蜘蛛に素手で敵うわけないだろう」
しまった免停のこと言ってなかった。どれだけ罪を重ねる気だ俺は。先代倒れちゃうんじゃないかこんなこと聞いたら。
「.......僕は今、め、免許停止処分中でして.......術の使用を禁止されています」
「あの状況でそんな事を言っている場合か? .......大体! なぜ河童を庇って前に出る! さっさと逃げればいいだろう! 死にたいのか!」
俺の中に河童のお願いを聞かないなんて選択肢はない。たとえ何があろうと河童は守り抜く。そしていつかくちばし触らしてもらいたい。あともう一度あのぺとっとした肌を触りたい。
「お前の最近の話は聞いている。お前は結局何がしたいんだ。隊長という役職ですら不満か? 部下も立場も.......随分簡単に手放したものだな!」
「.......」
「しかも自分から怪我ばかりしているそうだな! 前に言ったはずだ! 責任と立場を自覚しろと! お前はなぜそんなに投げやりに生きているんだ! 長く生きたいと思わんのか!」
羊が1匹。
羊が2匹。
「鬼の前で毒酒まで飲んだらしいな! 判断を誤るな! お前は七条本家の者としても上に立つ者としても自覚がない! そもそも! なぜお山を怒らせる! 愛されているなら考えて行動をしろ! 殺されたいのか!」
トカゲと河童を10匹まで数えたところで顔を上げる。すると目の前には、わなわなと震えている先代と、じっと俺を見ている父。
しまった話を聞かない間に状況が悪化している。レスポンスが足りなかったか。
「申し訳ございませんでした!!」
「「.......」」
座ったまま頭を下げる。完全に土下座だ。それでも前の2人は動く気配がなかったので、大声で続ける。
「反省しています! 申し訳ありません!」
「.......和臣、聞いてなかったな?」
父が引き攣った顔で聞いてきた。まずい、怒られる時に話を聞いていないとバレるのは相当まずい。余計怒られるからな。
「あの.......申し訳ございませんでした」
逃げ切るスキルゼロか。もうちょっとマシな誤魔化し方あっただろ俺。こんなんだから本部なんとか委員の人に怒られるんだよ。
先代が、ぶるぶるとふるえる拳を握りしめて立ち上がった。やばい殴られる、そう思ってぎゅっと目を瞑って肩を竦めた。
しかし、待っても待っても拳は振り下ろされない。恐る恐る目を開けると。
「.......お前はさっさと結婚しろ」
「なあああああ!?!?」
またか。そう思って走って逃げ出そうとした後ろ襟を掴まれた。しまった見透かされてた。
「そろそろ身を固めろ! 執着する物を持て! いい加減フラフラするのもやめたらどうだ!」
「うわああああ!! それ兄貴に言ってよおおおお!! 助けて父さあああん!!」
「.......和臣」
そっと、先代に組み伏せられた俺の目の前に父が屈んだ。この状況は傍から見れば暴行事件の真っ最中だろう。助けてくれ。
「.......結婚したらどうだ? 子供を作ればいいじゃないか」
「わああああ!! 兄ちゃんのせいだあああああ!!」
兄貴がなかなか結婚しないから父さんがこんなことに。早く孫見せてやれよ。可哀想だろ。
「あ、こら、大人しくしなさい」
「いやだああああ!! 俺好きな子いるって言ったじゃんかあああああ!! 姉ちゃんに言いつけてやるううあああ!!」
「だから葉月ちゃんと結婚すればいいだろう」
「ひぇっ」
「そうだ。あのお嬢さんを貰え。そのためならなんでもしろ」
「わ、」
息が止まる。ぶわっと顔に血が集まってくるのがわかった。恥っず。顔を見られたくなくてばっと下を向いた。乙女か俺は。でも見ないでくれ。
「「.......」」
「.......」
「「.......」」
「.......」
恥ずかしい静寂。顔の熱は冷めるどころか、どんどん熱くなってくる。本格的に恥ずかしい。なんだって俺は彼女より先に父と祖父にこんな話してんだ。俺の馬鹿、本格的に考えやがって、気が早いんだよ恥ずかしい奴め。
突然、俺を組み伏せている先代も、俺の前にしゃがんだ父もピクリとも動かなくなった。なぜなら。
「.......お邪魔だったかしら」
「うわあああ!! 殺せ!! 俺を殺せえええ!!」
ちょうど葉月がお茶を持って部屋に入ってきたからだ。聞かれたかも知れない。殺してくれ。
「は、早まるのはやめなさい和臣! 父さんが何とかする!」
「落ち着けみっともない! 騒ぐほどのことでもないだろう!」
「2人が悪いんだああああ!! バカあああああ!!」
緩くなった拘束から抜け出して、急いでこの部屋から出ようとして。
「ねえ和臣」
「.......」
ばっと片腕で入口を塞いだ葉月が。
「耳も顔も真っ赤よ。.......センター試験のご褒美も兼ねて、何かあげるわ。好きな物を言いなさい?」
ニヤッと、顎を上げて俺を見る。
くそ、やられっぱなしでたまるか。そう思うのに、もう顔が熱すぎて言葉が出ない。脳が茹だっている。
「.......河童!」
「あ、ちょっと和臣!」
走って逃げた。
それから、部屋に篭って約1時間。
「おじいちゃんもう帰るの?」
「ああ。今日は元々和臣に話があって来たからな」
先代は妹に飴をこぼすほど握らせて、頭を撫でて玄関を出た。やけに上機嫌な葉月と、げっそりした俺と父。車まで見送りに行こうとした俺達を、先代が止める。
「和臣、お前は」
「わぁ!」
慌てて先代と2人で外に出て、玄関の戸を押さえる。もう葉月の前で蒸し返すのはやめてくれ。
「.......お前は、なぜ総能に残った。執着するほどでもないのなら、この機に辞めてしまえば良かっただろう。無理やり管理部に残ってどうする気だ」
驚いた。この人からこんな言葉が出るのか。意地でもしがみつけぐらいに思ってるのかと。それとも本家なのに管理部の平職員なのが気に食わないのかな。いっそ不出来な次男の存在は消せ的なあれかな。ごめんなさい4月には隊長に戻る予定だから許して。
「義務感だけで死ぬのは馬鹿だ」
相変わらず厳しい顔の先代に。
「.......僕が.......いや、俺が総能に残ったのは.......」
笑って、胸を張って答えた。
「好きだからだ、全部」
「.......どういうことだ?」
「俺は、命の懸け時だけは1度だって間違えた事ないってことです」
先代は、やっぱり怖い顔で。
「はっ。お前は河童の為に死ねるのか?」
「トカゲの為でも死ねます。.......まぁ、本気で死にはしないですけど」
「ふん」
鼻を鳴らした先代は、俺が裸足なのを見つけてまた怒り始めた。そして玄関を開けて俺を中に押し込む。
今度こそ本当に帰ろうとした先代は。
「和臣、結婚が決まったら挨拶しに来い。あと子供ができた時だな。怖気付くなよ」
「なあああああ!!」
思い切り玄関の戸を閉めた。
しばらく、葉月の顔が正面から見られなくなった。
孫の心祖父知らず