Be a Good Student !
家の電話番号を忘れたことを家族全員に呆れられる、と言うより本気で心配された俺は、危うく病院に逆戻りするところだった。バカも過ぎると病気か。
「和兄のバカぁ.......全部、遅いし.......!」
「ごめん.......でも本能寺の変の年号は覚えた」
葉月を含め家族全員で、ぎゅうぎゅうになりながら台所にいた。俺が買ってきたチョコレートケーキの材料を取り出しながら、妹の頭を撫でくり回す。
兄貴と父はげっそりした顔で床に座っていた。そこに座られると危ないんだけど。
「そんなの私だって知ってるもん。1582年でしょ」
「うっそだろ清香、お前将来歴史学者になれるぞ!」
「バッカじゃないの.......!」
泣いている妹にひっつかれながら粉を測る。姉は黙ってバターやら砂糖やらを混ぜていた。葉月はじっと卵と睨み合っている。可哀想に、あの卵。
「.......なんで帰ってこなかったのっ!」
「んー」
全員が俺の答えを聞いていた。姉も、ボウルを混ぜていた手を止めている。
「兄ちゃんな.......」
「うん.......」
妹を引き剥がして目を見つめる。やっぱり姉に似ているその瞳が、まっすぐ俺を捉えた。そして俺は、半べそになった妹の口にチョコを突っ込んで。
「割と重大な犯罪者になっちゃって! いや、本当は問答無用で処刑だったんだけどさ! 色々あったみたいで解放してもらえたんだ! ははは! 法の支配の敗北!」
誰も笑わないし、父と兄貴は床に座ったまま両手で顔をおおった。姉も片手で頭を押さえている。葉月はむっとした顔で卵を握りしめていた。危ない、割るぞこの子。
「.......えっと。実は犯罪は飲酒だけっていうか.......本当は罰則規定をちょいちょい破ったのと.......ちょ、ちょっと知っちゃいけないこと知ったり考えたりしちゃって.......降格処分になっちゃった。てへぺろ」
罰則規定にすら書かれていないような、俺たちの本当の“タブー”。白い人が、なぜ白いのかを考えること。俺はそれをなんとなーくふわっと考え、さらには答えらしき物を聞いてしまったために幽閉された。勝博さんもそうだ。.......あと俺は昔、変態に呪いについてベラベラと教わったこともあった気もするが、それは隠し通した。あれ俺のせいじゃないし。忘れたしほとんど。本当に忘れたし。
「.......それで済むかーーーーー!!!」
いきなり兄貴が立ち上がって俺の胸ぐらを揺する。父は顔を覆ったまま1人ぶつぶつ言っていた。どんな罪でももういい.......一条に悪いことをした.......とか何とか。
「お前!! お前それとんでもない違反じゃないか!! 何してるんだこのバカ!! バカ!! 首はついてるな!? 一条に追われてないな!? なんで、なんでそんな違反してこんな所にいるんだーー!!?? よかったよーー!!!」
きっと兄貴はまだ知らない。父さん達当主の間でも、本当に詳しく知っている人はいないと思う。居ては、ならないのだと思う。まあハルと一条さんは知ってたっぽいけどな。あの二人も昔幽閉とかされたのだろうか。今後の生き方気をつけよう。
「だから処分はあったんだって。俺は今、九州沖縄離島管理部の末席、七条和臣(免許停止処分中)だぞ? 首は繋がったけど色々失ったな!」
「バカだろ!! お前.......お前バカだろ!! 兄ちゃんの弟なのにバカなんだろ!! 」
「受験生にバカバカ言うなよ。今神経質な時期なんだから」
「このバカーーーーー!!!」
「いやああああああああ!?」
ぐりぐりとこめかみを拳で押さえつけられる。父はもう半泣きだった。ごめんね七条本家前代未聞の経歴になっちゃって。
「か、和兄沖縄行っちゃうの.......?」
「いや、沖縄には行かない」
ほっとしたような妹に、兄貴の拳から解放された俺はもう一度チョコをあげた。
「.......沖縄には?」
姉の凍えるような声で、台所の空気が凍る。冷凍庫になったな。
「.......聞いてくれ姉ちゃん」
俺は、持っていたゴムベラを置いて。
真剣に、姉と向かい合った。一方姉は泡立て器を持って仁王立ちしている。
「助けに行かなくちゃいけないヤツがいるんだ」
「.......」
「俺は.......何があっても、たとえ相手が誰であっても。絶対にアイツを救い出す」
ぐっと拳を握りしめた。全ての指が滑らかに動くのを確かめるように、指を曲げ伸ばしして見せる。七条の人間にとって、指は何より大切だ。俺がかつてバスケで突き指したと知れば全員卒倒するだろう。
「.......どういうことなの」
「俺の全身全霊をかけて、何があっても勝つってことだ」
台所に緊張が走った。そう、俺は今離島管理部の末席(免停中)の身ではあるが、一応前職は隊長。いくつかの討伐記録持ちでもあり、特免取得の最年少記録保持者。そんな俺(免停中)が本気を出す理由。
それは。
「.......ペットがっ!!! 攫われたら!!! 飼い主は助けに行くだろおおおお!!!」
その場に崩れ落ちた。ああトカゲ。ごめんな、俺がいなくてちゃんとご飯食べてるのかな。死んだフリしてないかな。ごめんな、すぐ助けてやるからな。あんな危なそうな金髪女に盗まれるなんて、本当にごめんな。
「.......どこに行くの。あんたもうすぐ受験でしょ? ちゃんと両立できるの?」
姉が心做しか優しい。
「.......ドイツ? イギリス? バチカン?」
「はぁ!?」
やっぱり怖かった。
「だって手がかりが少なすぎるんだよおおおお!!! たぶん小さい方はドイツの人っぽいけど、聖剣って何!? どこの何!? エクスカリバーでOK!? 専門外なんだよおおおお!!!」
くそ、俺が幽閉されている間にあの二人は国外へ。一条隊長が何をしたのか知らないが、1本刀を折ったとかなんとか聞いた。何したんだろう。生きてはいると思うけど、どうなったんだろうあの二人。というかトカゲ。
「あんた何言ってるの! 分かるように話しな!」
いつも台所のコンロの横に置いていたランプ。今はないそれを思い出しながら。
「取り返す。必ず」
涙を拭いて立ち上がった。葉月が、なんで今までで1番キリッとしてるのよ.......と卵を握りつぶした。どんな握力。卵って握り潰せないんじゃなかったっけ。
「ん? お客さんか?」
ぴんぽーん、と玄関のベルがなった。
温めたオーブンにケーキの生地を入れて、ぞろぞろと全員を引き連れて玄関へ向かう。カルガモの親の気分だ。本当の親がついてきてるんだけども。
玄関を開けると、郵便局のおじさんがいた。
「七条和臣様ですか? 受取人指定です」
「ああ、俺です」
「はい。では失礼します」
受け取ったのは、横長の白い封筒。漫画でよく見る赤い蝋封がしてあった。
それを開けて中を見ると。
「.......春特別講座のお知らせ.......?」
何やら塾の勧誘のような文句だけが書かれた便箋が出てきた。そして、他の中身に目を丸くした。
「トカゲ!」
メラメラと元気そう炎を上げ、小さなリンゴに齧り付いているトカゲのランプのモノクロ写真に、筆記体で「Welcome!」と書かれている。そして、もう1つの中身は。
「.......飛行機のチケット? .......2月28日の、日本発ドイツ行き.......2枚」
そして、よく見れば封筒の蓋の裏に。流れるような達筆で、「サラマンダーはしばらく預かります。日本の大学の入学テストに合格すれば、またお返しします。学び舎はいくつあっても良いものです。きちんと合格するように。 追伸・私は今ドイツにはいないので、きちんと指定の日の飛行機で来るように」とあった。
「和臣.......これ.......」
「.......こんなの」
ぐしゃり、と封筒を握りつぶした。そして。
「こんなの、俺がいなくても楽しそうじゃないかああああああああああ!!!」
楽しそうなトカゲの写真を抱きしめた。トカゲ、お前俺のことそこまで好きじゃないだろ。エサくれたら誰でもいいんだろ。そう思ったものの、やっぱりペットは最後まで面倒を見なくてはいけない。会いたいし。
まあ、とりあえず。2月28日が、俺のトカゲ争奪戦となるらしい。
そして現在、その前哨戦。受験生七条和臣(免停中)の受験本番が、はじまった。