神様
俺の上に乗った葉月は、なんでもないように服についた枯葉を払った。そして、いつも通りの表情で。
「ぶつかってごめんなさい。ところで、ここはどこかしら? あんなに小さな森だったのに、ここは広すぎるわ」
「.......」
「昼間だったのに暗いし.......その子が居ないと真っ暗かもしれないわね」
「違うだろ!! なんで飛び込んでくるんだ!! 入っちゃダメだから禁足地なんだよ!! 俺は許可貰ってるの!! 葉月はダメなの!! 兄貴も花田さんもダメなの!!」
葉月の両肩を揺すって怒鳴った。くそ、くそなんで。まずいぞ、どうすれば。
「だってあなたが急に入るんだもの」
「俺の話を聞け!!」
俺と一緒に居ることが不幸中の幸いなのか、こんな所に来てしまった事が不幸すぎるのか。
外とは確実に違う別世界。
この世界の神様は、きっと今も俺達を見ている。しかも、ここはどこかおかしい。俺では、いや、現代の術者には、理解できない何かがある。
「聞いて」
急に葉月が真剣な顔になって、俺の頬を両手で挟む。
「あなたと五条隊長だけじゃ、帰ってこられない気がするの」
「だからってこんな事するなよ.......!」
ギリッと奥歯が鳴る。それから、大きく息を吸って。
「はぁ.......葉月、トカゲ持ってて」
「え?」
葉月にランプを持たせると、トカゲがびたんっとガラスに張り付いた。その後とうとう死んだフリまで。
「葉月。何かあったらランプの蓋を開けろ。鍵は開けてある」
「この子、とても嫌がってるけど.......」
トカゲが弱火になった事で、辺りが一気に暗くなる。
「トカゲ。頼むよ、お前が頼りなんだ」
めらっと炎が上がった。俺が言うのもなんだが、お前そんなチョロくて大丈夫か。後でアイス買おうな。
「じゃあ行くぞ。ハルを探して、早く帰ろう」
「ええ」
左手で札を撒きながら進む。花田さんに持ってもらった糸を引けば、抵抗もなくずるりと引けた。辺りは真っ暗な森。トカゲの灯りが無ければ目も慣れないであろう暗闇。
たとえ何があっても慣れないであろう、押し潰されそうな圧迫感。
「神隠しの理由を知ってるか?」
「え?」
葉月の手を取って、強く引いて前に進む。
「1つ。天狗、またはそれに準ずる位の妖怪に攫われること」
「和臣?」
前を向いたまま、手を引いて走り出す。
「2つ。自身、または周囲の今に対する軸がズレて、今ではないどこかへ迷い込むこと」
「嫌! そっちは嫌よ! 行きたくない! 行きたくないわ!」
「3つ。」
「そっちには行きたくないの!!」
ピタリと足を止めた。そのまま勢いにのせて葉月の腕を引いて、葉月の前に立つ。そして、思い切り振り返った。
「神様に、隠されちゃうこと」
目玉を触られる。指が絡まり、髪を梳かれる。耳の中に何かが触れて、身体中の皮膚を確認される。
「ここでの神様の定義が難しいって話は、また今度。それよりも、今回の神隠しの理由は分かるか?」
「.......!」
葉月はぎゅっと固く目を閉じて、小さく震えていた。
奥歯をつん、とつつかれた。腹の下の方で、ぐっと何かを握られた。
「答えは、3つ目.......神様の仕業だな。でもこれはちょっとイレギュラー過ぎるから、答えられなくても仕方ない。俺もここに来るまで分からなかったから」
「ど、」
「葉月。俺を、信じてくれる?」
「ぁ.......当たり、前!」
「ありがとう。.......じゃあ、また後で」
「え?」
「【六面・守護・隠】!!」
ずるっと。
俺の全てが、移動した。
先程よりももっとプライベートな世界に。
神様の世界に。
「やっほーハル。来ちゃった」
「やっほー和臣ぃ! 弟子ちゃん1人にしたらダメだよぉ?」
目の前に座る、いつもと何ら変わらない、ゴスロリ姿のハル。彼女はいつものようにニコニコ笑って、その小さな両手で頬杖をついた。
「帰りなさぁい、和臣」
「一緒に帰ろう、ハル」
ハルは、ふふっとその赤い唇を引き上げる。
「分かってるでしょお? 私はねぇ、生贄ちゃんなのよ。欲しがりな神様が、もう持っていかないように」
「俺来ちゃったけど?」
「あはは! おかしぃ! すぐに出られるから、大丈夫だよぉ!」
「俺だったら、ハルの代わりになれるよ」
すっと。ハルの笑顔が消える。
「代わりの代わり? おかしいねぇ」
「ハル。俺の肉も、血も、目玉もあげる。だから、外へ出よう」
ケラケラと、ハルが笑い出す。きっとここの神様も笑っている。バカな人間だと。
「この、私とぉ。和臣の、血肉ぅ? 釣り合わないわぁ」
「プレミア物だぞ? 一定層からは熱い支持を受けてる」
ある山とか、ある変態とか。そう言えばトカゲって肉食だっけ。
「帰りなさぁい。五条治は、元々みんなの所にはいないのよぉ」
「ハル」
「なぁに?」
「俺じゃ足りないかな」
「うん!」
元気いっぱい、笑顔満開で言われてしまった。そうか、俺では足りないか。俺では、五条治に勝てないか。
聞いたか、神様。
「さあさあ! 今からご覧いただきますは世紀の逆転劇! 最強の座の代替わりにございます!!」
「え?」
ハルが目を丸くする。俺は、両腕を広げて高らかに告げる。
「絶対の強者、五条治! なみはずれた才覚に、桁外れの経験を備えた、まさに最強の術者でございます!」
「和臣ぃ、何してるのぉ?」
「対して私、七条和臣! まあまあの才能に、貧相な経験値! なんと4年も術者を辞しており、現在も1番になりたくないなどとほざいていた怠け者でございます!」
声を張る。抑揚に、大げさな身振り手振りと声音で物を言う。興味を引かれるような、心躍るような見世物の説明を。
「あなた様にとっては分かりきったつまらぬ試合.......ですが! 今回はなんと!! 雑魚の和臣君が勝ちます!! 本気でやり合い、本気で勝ってご覧にいれましょう!」
そして、胸に手を当て、大げさな礼をする。西洋式で。
「ショーのお代は彼女で結構でございます。最強では無くなった彼女で、手を打ちましょう」
ぐらり、と。神様の心が揺れるのを感じた。あと一押し。あと一押しでこの賭けがスタートラインに乗る。
やはり、世界の神様達は。世界の主達は。
面白い物がお好きなのだ。
「.......ただいまより30分以内にご決断いただいた方に限り! オマケに和臣君の血肉も付けましょう! あの山の主に差がつきますよ!!」
『乗った!!!』
小さな子供の声が、息を弾ませそう言った。
「ご契約ありがとうございます!! では、これより最強術者の真剣勝負!! 存分にお楽しみください!!」
スタートラインには立った。
これで、あとは。
俺がハルに勝てばいい話。
「.......和臣ぃ。よく考えたねぇ。私達を見世物にしたのねぇ?」
「いい役者同士だろ? 絶対名演になる。高額チケットにも頷けるよ」
「.......和臣が負けてもぉ、私達が本気でやらなくてもぉ、2人とも殺されちゃうよぉ?」
「だから。本気でやり合って、本気で俺がハルに勝てばいい」
札を確かめ、手袋と指環をはめ直す。足は肩幅に、口角を上げて歯を見せて。
かつてない最強と、向かい合う。
「あはっ! あはは! 和臣、おっかしぃ!! あはは! 和臣が七条の山に好かれるの、なんでか分かるよぉ!」
「モテ男は辛いよ」
困ったもんだぜ。本当に.......本当に。
「でも、和臣ぃ。私に勝っても、いいのぉ?」
「本気でやろうと決めたんだ」
かつん、と靴を鳴らして立ち上がったハルが札を握る。
この空間が、ショーのステージに変わる。主が望むような、最高の楽しみに。
「五条治、君より俺が上に行く。その席は、俺が貰うよ」
「だーめっ!」
お互い、同時に1歩踏み込んだ。