弐拾六.《魔王》と《魔女》、《姉》と《弟》。
深い、深い闇に堕ちて行くような感覚。
奈落の底へ、落ちて行くような、そんな感覚。
「ん?何故お前がここに居る?」
そう声をかけられて、我に返る。
「へ?」
落ちていく感覚は無い。嘘のようだった。確かに自分は、赤い光の球に当たって、それが爆発し、余りの痛さに《闇》の操作が出来なくなって墜落したはずだった。
そうだ、ちゃんと憶えている。
……。
いや、でも、身体はなんとも無い。何処を見ても、いつも通りの、火傷一つ無い健康体だ。
でも、ちゃんと痛みを覚えている。
エルデリカの声が聞こえた気がする。
ひどく、ひどくおかしな感覚だった。夢と現実が入り混じったような、そんな感覚。
と、
「おい、何を呆けている?」
そんな声をかけられて、思わず秀兎はその方向に顔を向けた。
秀兎はその声を知っていた。
ずっと前から、知っていた。
凛とした、はっきりとした声。
彼女は自分の《相棒》だと言う。
自分に《闇》の使い方を教えてくれた。
その声の主を見て、秀兎は溜息を吐いた。
真っ白な、雪のように白い、艶やかな、色が抜けて脱色したような物とは大違いの髪。
細い、しなやかな肢体に、美しい肌。
悪戯っぽい、吊り気味の、鮮血を湛えた瞳、長い睫毛。
可愛らしい様で、それでいて大人びた、不思議な容姿。
女神、では無い。
彼女を女神と呼ぶには、余りにも妖し過ぎる。
そう、一番しっくり来る表現は、
《魔女》、《女王》、その類。
「『ルシア』」
彼女の名を、呼ぶ。
とそこで、
「あ痛」
目の奥が、ずきりとする。
だが、ほんの一瞬でおさまった。
「な、何……?ていうか、ここ、どこだ……?」
ゆっくりと見回すと、そこは、円状の広間だ。
円を分断するように赤いカーペットが敷かれ、片方には《魔女》が座る椅子、もう片方は扉だ。
屋根は、等間隔に設置された石造りの柱で支えられ、その間から外が見える。
月明かりに照らされた、綺麗な雲海と、優しい闇色の空が見える。
ますます分からなくなる。
「ていうかなんで俺こんなところに……」
その、なんの引っ掛かりも無いような一言に、《魔女》が、一瞬だけ悲しげな顔をする。
自然と目が合う。
「そうか、まだ……」
その言葉を、秀兎は聞き逃さない。
「ん?」
「いや、こっちの話だ。それより秀兎、何故お前がここに……」
と、突然、彼女は言葉を中断した。
いやそれどころか、今まで合わしていた目が、見開かれて自分の後ろの方を見ていた。
「ん……?」
怪訝に思い、後ろを振り向いて、
「……ッ!」
瞬間、身体に悪寒が走った。
《鬼》だ。
《鬼》がいる。
紅蓮の髪。小学五年生ほどの体躯にしなやかな四肢。
鬼の面。そして、目の部分から見える鮮血の双眸。
彼女は白い、金色の装飾が施された法衣の様な物を纏い、そこに立っていた。
――黒宮美烏だ。
しかし、攻撃されそうだから悪寒が走った訳ではない。
殺気だ。恐ろしい程の莫大な殺気。それが誰に向けていられるのかは解らないが、それでも気を抜いたら殺されそうなほどの濃い殺気だ。
「…………なんのつもりだ、黒宮美烏。勝手に入り込んできて何をそんなに殺気立っている」
魔女の声には、緊迫感と、殺気が篭っていた。
「解っているはずだルシア。もう、時間が無いんだ」
美烏は低い声音で言う。
「勇者はもう、駄目だ。呪われた。いや狂ったと言うほうが正しいか、なんにしても、勇者はもう『あちら側』についてしまった」
「待て、アイツは本当の勇者じゃない。まだ『こちら』には《光の姫君》がいるじゃないか」
「姫君の封印は堅牢だ。あの閉じ込められた姫君では絶対に《呪れた皇子》に勝てない」
「まだだ、世界はまだ狂っていない、軋みを上げていない」
「では、弟を見殺せというのか?」
「………」
「はっ、到底無理な話だ。むざむざと殺されてしまう弟を放って置くほど私は愚かではない」
「無理だ。お前では、お前でも《呪われた皇子》に勝てるはずが無い」
「解っている。だから……」
「……」
「《扉》を、開く!」
突然、美烏は法衣をはためかせ、疾走。
人間を超えた速度。
手には、紅い刀身の剣が握られていた。
さぁ、ちょっと意味不明な単語が沢山出てきましたー!
やっと序章が完結しそう……。