拾九.無邪気な赤鬼。でもホントに八十なんですか?
「…………うぅ」
目を覚ます。心地良い、ほんわかした気持ちを振り払い、周りを見渡す。
学園長室だ。質素でも豪華でもなく、しかし生活感が溢れているような、そんな部屋。
そして、すぐ横で真っ白になっているシャリーを発見する。なんか、口からぼひゅ〜と魂が抜けてしまった感じだ。
そして、気付いた。
自分たちが、鎖によって拘束されているという事に。では無く、
目の前に、『鬼』がいる事に。
「…………」
見間違える筈も無かった。
服装は、真っ黒Tシャツ。筆のような字体で、右胸の辺りに白文字で『酒命』と書かれている。きっと後ろにはでかでかと書いてあるのだろう。
そしてダボダボのカーゴパンツ、色は黒。
――年齢八十を超えた人間にしては、有り得ない様な若い服装。
髪はもう、真っ赤な、燃え上がる炎のような赤。そのくせ艶々とした、美しく長い髪の毛。
そして鮮血を湛える瞳。爛々と輝く、真紅の瞳。ちょっと切れ目の、その目。
――年齢八十を超えた人間にしては、有り得ない様な若い容姿。
そして特筆すべきは、その瞳に刻まれた縦に裂ける瞳孔。猫の目。
そんな『人間』が、一升瓶とお猪口を片手に酒を飲んでいる。
しかし、これを、『人間』と呼ぶには少し無理があった。
彼女は、人間よりも美しく、妖しく、そして恐ろしい雰囲気を持っていた。
――黒宮雪魅。黒宮秀兎の祖母が居た。
◇◆◇
「……おぉ、起きたか秀兎」
そう、彼女が言う。気怠げな声。
「……一体何が…………」
引き擦り込まれてからの記憶が無い。
洗脳?記憶操作?それとも単に一時的な記憶の欠落?
しかし、人体の何処にも痛みは無い。
「相変わらず嫌な頭だねぇ。今の一瞬で『八通りは考えた』な?」
「ああ、でも全部没。今ので解った」
「正解、たくイヤらしい頭だこと」
「ちくしょー。俺どれくらい気絶してた?」
「三」
「うわおそー……」
はぁ、と溜息を吐きながら、俺は《闇》を使って鎖を断ち切る。
「おい。シャリー、起きろシャリー」
「あ、それ止めといた方が……」
シャリーを起こそうと肩を揺するが、どうも反応が無い。
それどころか、なんだか頬が上気し始めて、ほんのりと紅くなっている。
呼吸も少し荒くなった。
「え?え?何?何これ?どゆ事?」
呪いか何かの類?
しかし呼吸はさらに荒くなっていく。
「おいおいババァ。シャリーに何した?え、ていうかこれちょっとやばくね?」
シャリーがちょっと身悶えし始める。
「あ〜あ、だから言ったのに。今、お前が触った事で『呪い』が発動したんよ」
「なっ!い、一体どんな?」
「多分今、シャリーはお前とベッドの上で絡み合ってる夢を見てるだろうよ」
「ってどんな呪いだぁぁああああああああ!?」
「いやちょっと実験段階でさぁ、どうかなぁ〜って使ってみました。テヘッ♪」
「てへじゃねぇぇぇええええええ!!」
え、ちょっとそれやばいよ?ホントにやばいよ?この後のシャリーとの間がちょっと気まずくなるんじゃない?
なんて、少し考えて、
「……それはちょっとやだなぁ」
「だったらさっさと呪いを取り除いてあげればいいんさね」
何て事を、ババァは面白そうに言う。
「……ババァまた俺を試すの?」
「いいじゃないかい減るもんじゃなし。孫の成長は誰だって見たいもんよ」
とかいいながら、酒をあおる。
そんな、実の祖母の態度に頭を痛くしつつ、そんな場合じゃないなと、俺はシャリーの額に指を突きつけ、ちょっと神経を集中する。
指先から、『呪い』の情報を喰う。
指を伝って頭に情報が流れ込んでくる。
「わ、わ、ちょっと何これ。ちょい複雑……」
視覚情報、要するに目から直接脳に侵入し、強制的に身体活動を休眠させて夢を見させる。
しかも発動キーは《休眠中に自分に他人が触れる事》で、触った相手との殺し合い、性交、等々などの夢、というより悪夢を見せる『呪い』だった。
でも、簡単だ。
「こことここを切り離して、あ、巻きついてやがる、えっと、こうしてこうして……」
ゆっくりと、『呪い』を喰いちぎっていく。
「よし、こんなもんかなっと!」
俺が指を離すと、シャリーの額からどす黒い粘液みたいなのが出て来て、俺の指と額にアーチを作った。
しかし、これで終わりじゃない。
「よっと」
そんな事を言うと同時に、指先に神経を集中させる。
むむ、っと眉間にシワを寄せる。
すると、黒い粘液が指先に引き擦り込まれ始めた。
その黒い粘液は指先に引き摺り込まれていく。
いや穴がある訳じゃない。でも、指先に吸い込まれていっているのだ。それ以外に表現できない。
黒い粘液も、必死で抵抗しようとウネウネ動く。
「キモっ!なにこれキモ!」
と、言いながらも、黒い粘液は俺の指先に引き擦り込まれていく。
なんと言うのだろう、黒いミミズが物凄い勢いで蟻地獄に引き擦り込まれていく感じ。そんな感じ。
そして、遂にシャリーの頭から黒い粘液が離れた。
それを最後に、黒い粘液は俺の指先に完全に吸い込まれた。「きゅぽん」と言う音と共に。
「ふぅ、…………ご馳走様でした」
呪いを解いた。
「ふ、ふはは、中々の余興だったよ」
酒をあおりながらババァが言う。ふざけんなよこのアマ……!と言う怒りはちょっとしまっておこう。それよりシャリーだ。
「んっ……んぁ…………」
シャリーが目を覚ます。
解呪の時、一緒に記憶もちょい操作したから夢の内容は覚えてないはずだ。
「大丈夫か?」
しかし、
「んぁ、あぁ〜!秀兎ちゃぁ〜ん!」
予想外な事に、シャリーは奇声を発する。
「へ?」
な、何これ?どゆ事?いや、いやいや、アイツなんで俺のこと『ちゃん』付け?それって十二歳の時にもう止めた筈じゃ……
そこで一言。
「あ、やべ、もう一個発動した」
「ふざっけんなぁぁぁぁぁあああああああ!!」
しかし、
「いや〜ん秀兎ちゃん怒鳴っちゃいやぁ〜」
「う……」
シャリーが抱きついてくる。
「えへへ〜、秀兎ちゃんカッコいいねぇ〜」
「解ったから、解ったからシャリー。ちょっと落ち着こう?離れよう?」
「やだ〜。だって私秀兎ちゃん好きなんだもん〜」
「わかった。好きなのはわかった。だから退いて」
「ええ〜やだ〜。じゃぁ秀兎ちゃん何かして〜」
「今度、今度何かするから」
おぉ、と自分でも驚く。子供のあやし方が上手くなっていた。
「ほんと?じゃ、いいよ〜退いてあげる〜」
あれ、めっちゃ物分り良いじゃん?昔はもっと融通の利かない奴だったのに……。
――と、思った刹那。
「ちゅ〜」
重なった。唇と、唇が、重なったのだ。
シャリーが、俺にキスした。
昔からキス魔だったシャリーが、俺にキスをした。
ヤバイと思った。
キスした事ではなく。
重なった瞬間、俺の闇が『呪い』の情報を喰った。そして知った。いや知ってしまった。
発動キーは《声をかける事》。幼児退行する呪い。
解呪方法は、《キスする事》。
だから、呪いが解ける。
キスをしたまま、呪いが解ける。
「…………」
シャリーの頬が、急激に赤くなっていく。
ああ、やべぇ、これ、もう、アウト?
「――――!!???!!??!(声にならない悲鳴、かな?)」
ちょ、ちょと、こんな至近距離で魔法展開なんて!
「いやぁぁぁぁあああああああああ!!」
ああ、だよねぇ………………。『ドウンドウンドドドドドウウウゥゥゥゥゥン!!』。
◇◆◇
「はっはっは、最近の若い輩は随分と大胆なんだな!」
「てめぇクソババァ〜……!うぅ……痛い」
「うぅ……ごめんなさい」
シャリーが思いっきりぶっ放してくださった対暴漢用魔法(風を利用して真空砲弾を当てまくる)。身体全体が超痛い。マジ痛い。イタイイタイ。
まぁ何とか誤解も解けたし、結果オーライだけどね。
雪魅は酒をあおり、聞く。
「で、なんで二人はうちんとこに来た?」
あ、と、秀兎とシャリーが言う。
「あーえー?なんだっけ……?」
「あーうー?あれ?本当になんだっけ?」
色々あって思い出せない……?
「用が無いなら帰った帰った。うちは一人で月見酒を楽しみたいんよ」
え、と秀兎とシャリーが言う。
「あ、あれ?もう夜?」
そういえば、辺りが暗い。遮光カーテンの所為かと思ったが……。
「さっきまで昼だったのに、ていうか私たち、どれくらい気絶して……」
「ざっと三時間ぐらい?」
「ながぁぁぁああああ!?ってえ?三分じゃなくて?てことは……」
「もう七時じゃないですかぁぁぁああああ!!」
「さ、さ、帰れ帰れ!」
しっしとはらわれる。
魔法で部屋から追い出される。
「う〜ん……」
「あうぅ?」
何か釈然としない。何か忘れてる気がする。なんだっけ?なんでこんな所に?
「どう?」
「無理です」
どうやらシャリーも同様のようだ。
「……帰るか」
「……そうですねぇ」
二人は、釈然としないまま、帰る事になった。
◇◆◇
ちなみに、二人が、『気絶している間に雪魅に記憶操作された』と言う事に気付いたのは、帰ってヒナにボロ雑巾にされた時にだった。
こうして、雪魅の思惑は闇に葬られた。
知っているのは、自身だけになった。
一人の学園長室で、雪魅は呟く。
「……まぁ、ぶちゃっけた話…………」
虚空に向かって、誰も居ない筈の虚空に向かって呟きかける。
「心配、なんよ……」
未来を憂う瞳で、そう呟く。
次回からは短編集のように進んでいくと思います。