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Hello, Uptown Future.

作者: 朝霞 敦

 1



 瞳を開いてみると、僕の目の前には相変わらずなモノクロの世界が待っていた。

 昔から空は青いし夕焼けもごくたまに僕たちを紅色に染め上げてはくれるのだけれど、僕を待ってくれたこの世界だとかこの生活に生きづくコンクリートジャングルだとかには、色彩やら色気のようなものがすっぽりと抜け落ちているのだ。

 僕で例えてみれば、そう、四六時中顔面蒼白で無表情のまま意中の女の子を口説いているのと何ら変わりない。もし仮に「魅力(つまら)ない」と口を滑らせてしまっても、間違いだと非難されることはないのだろう。

 良くフィクションで出会えたカラフルな街並みが、今の僕の目の前に現れたとしてみよう。

 たぶん、僕はその瞬間、今まで見たこと経験したことのないカラフルな景色に酔いを起こしてしまって、胃袋の詰め込んだものが逆走することだろう。

 それは単に、僕が神経質すぎて人並みならない拒絶反応をするわけではない。

 これは普通の反応、つまりは「常識」ということになる。「何故?」と聞かれると答えを窮するのかもしれないのだけれど、そう僕が断言してしまえるくらいに、この世界には色がないのだ。

 この「何故?」には答えられる。

「漂白された」と表現しても差し違えないほど、世界は色を、色気を失くしてしまった確固たる理由と原因を僕たちは知っているし、この世界は持ち合わせている。


「少子高齢化問題」。


 僕の一つ上の世代が子供であった頃に浮上してきたこの社会問題は、民主主義によって正当化された「後回しの精神」によって知らんぷりを決め込んだ政治に、逃れようもない致命傷を与えた。

 それが、僕が物心つく頃であったから、もう一四・五年ほど前のことになるか。

 高齢者の犯罪率や福祉にかかる費用は忽ち眼を覆いたくなるくらい悲惨なものになり、実体の経済はその機能をすっかりと失くしてしまった。そこで慌てふためいた人々の目に留まったのが、唯一この日本に残っていた産業……、VR産業だった。元来ゲーム産業から分裂して生まれたこのVR産業であったのだけれど、旅行やシミュレーションなどに応用され、本来別物であった「拡張現実(AR)」の役割も持つようになってしまった。


 ここで「何故」VR産業がこの「少子高齢化問題」で注目されたのかという話なのだけれど。

 身体と乖離されたVR空間において、普段行動が過労によって制限されてしまう高齢者の活動を刺激、促進することによって、現状を打破しようという思惑なのだろう。結果として、この日本という国自体は首の皮一枚つながった形となっている。


 さて、最初の「何故?」に戻ってみるとしよう。

 そう「漂白された」のところ。

 これまでの話であらかた察しが付くこともあろうかと思うけれど、つまり現在の日本にとって、資本の中心であるVR空間の外側である僕たちの住む世界は、社会の瞳の外にある。

 花びらが生殖のために華やかな色をつけるように、この世界には社会が僕たちの購買意欲をあおるためにいろんな配色に気を使って商品たちを彩ってゆくはずだったのだけれど、今の経済の中心はVR空間、だから特にうまみのない僕たちの世界に不要なものは排除されつくされてしまった次第なのだ。

 そんなわけで、僕はVR空間を「都会(アップタウン)」、生活しているこの世界を「田舎(ダウンタウン)」と呼んでいる。社会の構われ方となけなしの給料で買った本の知識で、どうにか捻り出したジョークめいた例えの名称。

 僕自身は結構気に入っていたりする。

 ここいらで、ご都合主義の解説は終わりとしておこう。

 僕の一日と朝はまだ始まっていない。




 *

 朝、僕は目を覚ます。

 布団から起き上がって靄のかかっていた思考が晴れ渡ってくると、ようやく僕の脳みそはコーヒーの独特の香りにその心を躍らせる。

 行政に配給されたこの借家には住居人の生活を管理するために、AIが仕込まれていて住居人の変化に応じてそれに適したサービスを僕たちに提供してくれる。

 例えば、毎朝起きたと同時に朝食の準備を始めてくれたり、僕なんかは給料でコーヒー豆なんかも購入しているから朝食の前に淹れてくれたりする。

 僕が独り立ちした時からこのシステムが普及していたのだから、特段便利だとか技術の進歩に感動したりだとかはしないのだけれど、こんな気怠い朝の中で家事をしなければいけなかった昔の人々のことに思いをはせてゆくと、生活面において、僕は相当楽をさせてもらっているのだな、とちびちびコーヒーを飲みながら考えている次第だ。


 そうだ、田舎(ダウンタウン)での食事の話をしておこうか。


 行政から支給される基本的な食事(もの)といったら、遺伝子改良された小麦に必要な栄養剤を練りこんで適当にテイスティングされたフレーク(どちらかと言ったらギリシアのお粥の方が近い)なのだけれど、僕が本だとかコーヒー豆だとかに自分の給料を割いているのだから、当然食事のグレードアップに給料を使っている人もいる訳で、小説の中の登場人物たちがやるように生の食材から「料理」と楽しんだりしているらしい。

 まぁ、そんなことをする人は少数派であって、ほとんどの人々は自分が七十五歳に設定された「定年」を機に都会(アップタウン)へ移住することを控えて、自分にあてがわれる容量を買い取るために貯金をしている。

 世間的にはそれが「堅実」というものだし、僕たちのようにこの色気のない田舎(ダウンタウン)をアップグレードしようと給料を割く人間なんて「浪費家」として忌避されるのは、仕方のないことだとは思うのだけれど、僕はなんだかムスッとその顔をしかめてしまう。


 そんな「浪費家」たちの集まったSNSを見回しながら朝食をパクついているうちに、いつの間にか出勤の時間になる。

 僕の仕事についてなのだけれど、何も大層な仕事をしているわけではない。

 この日本の労働者人口の三割を占めている「介護士」、僕もその中に名前を連ねている一人だ。元々は自分の世話ができなくなってしまった高齢者を補助するのが「介護士」の仕事だったらしいのだけれど、今僕たちが行っている業務とは似て非なるものだ。

 僕たち「介護士」のサービスの対象となるのは、専ら都会(アップタウン)に生活を移してしまった人たちになる。そのほとんどは七十五歳を過ぎた高齢者なのだけれど、中には田舎ダウンタウンで財を成して若年定年を申請して都会アップタウンに移住した富豪もいるから、同業者の周りでは「敬老者」なんてふざけた呼び方をしている。

 僕たち介護士が担当する「敬老者」は、一か月おきに再分配されその健康状態の維持度が自分たちの給料の査定に影響するのだからみんなそれなりにこなしているのだけれど、中には適当にやって「敬老者」の健康状態を害して都会アップタウンから強制ログアウトさせてしまう怠け者が出てしまうのだから、あまり笑えない。

 僕はと言えば、生活の生命線である本とコーヒー豆を捻出するために必死で仕事をしていたせいか、自分の歳に似つかわしくない役職になってしまって常識から飛びだしそうなVIPの「敬老者」の専属になりかけたこともある。

 そんな僕が今月担当することになった「敬老者」は八人。その全員が元高額所得者で七十五歳の定年を全うした、所謂まじめな「敬老者」。

 僕は、彼らの身体情報やその注意点がまとまった資料を自分のデバイスにインストールしに事務所へと向かった。




 *

 心理的健康に気を使って灰色に配色された僕の部屋のすべてが、太陽に他の色に塗りつけられる前にそそくさと家を後にする。

 自分用に設定されたバスの時間に間に合うように停留所に到着。乗車率百二十パーセント程度に整頓された人間たちやそれを支えるシステムによって、日本の古き良き通勤・通学ラッシュというものはフィクションの中の世界、つまりは数少ない「浪費者」の一部しか知らないものとなってしまった。

 これもまた本の知識になってしまうのだけれど、こういった公共機関のそこいら中に企業の広告がひしめいていたようで、今やそのスペースに、


都会アップタウンとはいかに理想郷か」


 だとか、


田舎ダウンタウンで精一杯稼いで都会アップタウンに繰り出そう」


 だとか。

 ビックブラザー顔負けな情報操作が目立っている。

 少なくともこの行政が運営しているバスだとそんな具合だ。

 何時もの如く手持ち無沙汰になってしまった乗客たちが空虚に誰もいない空間を見つめだしたころ、僕が手にした紙でできた本に好奇の目が寄せられてくる。まぁ、そんな視線を快感にしてしまう僕だから、こういった周りの雰囲気にある一種の愉悦心なんか見出してしまって、我ながら気持ち悪いなぁ、と思うのだけれど。

 事務所に行き着いてしまえば、二十年間もその姿をガラパゴスに置き去りにされてしまった薄型のデバイスに、今月担当する「敬老者」の情報を仕入れる。

 そもそも一つの事務所に所属する介護士たちに割り振られる「敬老者」は、収容されている地区に分かれていて、都会(アップタウン)に移住するときに購入した容量に応じて区別されている。どの区画も事務所からさほど遠くないところにあるのだけれど、区画それぞれの環境の整え具合だとかそこに向かう介護士たちの顔つきだとかを見てみると、誰がどの区画に割り当てられたか分かるのだから趣味が悪い。

 おおかた、その不快感を業務の効率に転じろ、という行政の思惑なのだろうけれど、周りを見回して察しの付けるその顔ぶれは、そんな殊勝な考えと根性を持ち合わせているとは到底思えない。

 もちろん、「浪費者」と言われる僕も同じだ。


 真っ白な部屋。

 大体の塗装は僕たち労働者の部屋と同じだけれど、部屋の色に同調して垂れ下がるカーテンが心地よく太陽の光線を透かして、僕たちのものとは比べることすらできないほどの高級感を演出していた。

 元高額所得者で都会アップタウンの要領を多く買い取って豪遊を繰り返す「敬老者」の収容所、というものは意識を捨てたこの空っぽな身体《抜け殻》をしまい込む倉庫と変わりなくても、僕たちにそのくだらない尊厳とやらと見せつけている。

 たぶん、僕がいくら頑張ってVIPの専属介護士になったとしても、その給料で彼らのような倉庫を宛がわれることはない。

 所詮「介護士」という職業は、基本的人権のためにアンドロイドに譲らせなかった底辺職であって、昔から花形であった「商売」をする人種は強い運とコネがなければなれるはずもない。

 そんな職に就いていた人種を僕は「敬老者」以外見たことがないのだから、本当は存在しないのかもしれない、と半分あきらめている。 

 真綿で僕の首を締め付けるようなこの優しいお部屋には、二メートルほどのジェルベットがあるだけの「殺風景」なものだった。

 この「殺風景」というのも本の中しか知り得なかった死語だから本当はどんなものかは知らないのだけれど、たぶんこの生活感というものがてんで感じられないこの部屋の状態をいうのだろう。

 そして、この部屋に唯一存在を許された物質、ジェルベットは田舎ダウンタウンで敬老者を確認できるこれまた唯一の装置と言えよう。ジェルベットこそが、敬老者の命を延命させて「生きている」と主張する、敬老者の命綱であり都会アップタウン田舎ダウンタウンの楔ともいえる。使用者の身体的な負担をほとんどゼロに軽減し、代謝によって生じる垢などを抑制する、「寝たきり」をノンストレスに実現させる夢のような代物だ。

 しかし、これも機械には変わりない。僕たち介護士の基本的な業務は、このジェルベットの管理と整備にある。

「介護士」と名乗っている以上、担当する敬老者の栄養パックの交換なども業務のうちに入るのだけれど、そんな単純作業は決められた時間にその通りにやればいいため、重要性はジェルベットの方が圧倒的に高い。二十四時間常に受信するジェルベットの状態を確認して必要に応じてするべき作業をする。場合によっては就寝中であっても業務に行かなければいけないのだから、サボタージュするわけもいかない。


 ピロリ、と僕のデバイスに陽気な着信音が走る。


『介護士様へ。今月のお世話をよろしくお願いします』


 僕にメールを送ってきた彼女は、リノと名乗った。

 他人との関係が希薄になった田舎ダウンタウンでは自分の名前を教えるという習慣はすたれていて、当の彼女も「貴方も名乗る必要はないのだけれど……」と前置きをした後にその名前を持ち出した。

 慣れ親しんだ都会アップタウンの狂騒に少しばかり飽きが来て面白半分親切半分で介護士に接触する敬老者は少なからずいるのだけれど、時代に置いていかれたはずの「名乗り」を挙げたリノは、なんだかそういった輩とは違うようであった。

 リノ曰く、彼女が僕くらいの年齢の頃はアイドルだったらしい。

「どのような業務だったのですか」と聞いてみれば、ジェルベットから映し出された彼女のアバターは「業務、だなんてそんな仰々しいものじゃなくて……」と恥ずかしく照れながら僕にその笑顔をふるまうだけだった。


VR空間ここではね、みんながアイドルなの……」


 彼女が悲しくそうぼやいたのは、僕が担当になって一週間が過ぎようとしている日の夕方のことだった。

 今日やるべき業務を終え手持ち無沙汰になったついでに、僕はリノに問いを投げつけた。


「『アイドル』というのは、特定の職業ではないのですか?」


「特定の職業、というより業種カテゴリーに近いのかしら。私がアイドルをやっていた頃は、歌手と女優の合いの子という位置づけだったわ。あぁ、歌手と女優というのはご存知?」


「えぇ、意味くらいは」


「アイドル《わたし》達はシンボルだったの。女の子はこうあるべきだ、ってあらかじめ用意された『かわいい』を鎧代わりに着込んだサムライだったのよ。だから、本来主張して尊重されるべきだった自分を捨てて、私はアイドルの『リノ』になった。そうしなければアイドルになれなかったから……」


 今まで笑顔しか写さなかったリノのアバターは、俯いてその暗い表情を見せる。

 それがまるで人間であった彼女が、アイドルであったリノをノスタルジックに思いをはせているのだと感じた。少しの間をおいて、リノであった彼女は続ける。


「けれど、VR空間(いま)はどう?みんなVR空間ここに来るとすぐに『理想のアバター』を作って興奮しているの。自分の証だった肉体を他人に委ねて、当の自分は偶像アイドルになって自由気ままに暮らしているのよ。私が移住して真っ先に悩んだのはアバターだったわ。だって、自分を忘れることは慣れっこだったもの……」


 少し、リノの口調が荒立っている。

 上品さが魅力的な彼女には珍しいその物言いに、僕の目、いや耳には彼女が「自棄になった」ようにも見えた。

 あまり人付き合いの少ない僕であったけれど、こういった状況は黙って自分の意見は挟まずにいたほうが良い。ソースはもちろん恋愛小説。


「ごめんなさいね。何もVR空間ここの生活に不満を持っているわけではないのよ。私が裕福に暮らしていることも、貴方たちにみたいに不便な暮らしを強いられていることも知ってる。老人のたわ言だと思って忘れてちょうだい」


 何時ものリノに戻った彼女は、世間話をはさんで通信を切った。

 僕はただ、リノが最後に言い残した「少し疲れたのかしら」という言葉に一筋の不安を曇らせた。魂だけの都会アップタウンでは、疲れるはずもないというのに。

 




 2


 あれから十日ほど経って、担当変更まで残すところ一週間となった。

 リノからの接触はぱったりと止んで、僕はいつも通りの静かな日常を満喫するところだったのだけれど、どうもこの十日間、彼女の「疲れた」に気を取られてしまって調子が狂ってしまった。

 担当する敬老者に精神的不調が予測された場合には、即座に報告をしなければならないが、都会アップタウンでは身体が本人の操作対象ではない以上、「自殺」という手段は取りようがない。

 最近話題になった「安楽死」もリノに彼女の遺産を引き継ぐパートナーや保証人がいなければ許可が下りない。

 リノが自らアクションを起こせないのは大方僕に負い目でも感じて距離を置いているからだ、と勝手に解釈していた。

 逆に決心をつけたリノからその提案がくれば、僕に断る理由はない。

 こういうのを「玉の輿」というらしいが、少なくともリノに納得をした上で「安楽死」は諦めてほしい。いくらひねくれた僕でも、死人のおこぼれで暮らしたくはない。


 そう自室で一人っきりの瞑想で考え込んでいたところを、玄関から響く圧力が遮った。

 このご時世、他人の部屋に客人が訪れることはなく、そういった輩は大抵役人と決まっている。


「貴方には業務上過失致死の疑いがかけられている。同行を願えるかな」


 ギィィと部屋から顔を出した僕に冷水のような宣言が下される。

 一瞬浮かんできたのはリノのアバターだったけれど、僕の目の前にいる警官が示した被害者はリノではない別の敬老者であった。


 亡くなった彼の死因は、脳内の大量出血によるものだった。

 彼は定年を迎えるまでの間に健康障害を患い、定期的に治療を行っていたのだけれど、都会アップタウンに移住することを機により多く容量を購入するために介護士の管理による治療を拒否していたようだ。

 その内こういう風な結果になってしまうと資料には書いてあったものの、なんの前触れもなければ彼を介護していた僕の職務怠慢を疑われるのも仕方がない。

 それに、僕は「浪費者」だ。

 より良い社会を提供しなければならない行政にとって、僕のような社会規範に沿わない異端者が善良な市民に何かしらの悪影響を及ぼすかもしれない、と気が気でないらしい。

 つまり、彼らから言わせてみれば「腐ったリンゴ」。いち早く切除したい悩みの種というわけだ。。

 というわけで、僕はこの国伝統の強力な同調圧力の化身たちによって、二十時間以上拘束され、職も大幅降格されることになってしまった。

 本を置く空間もないような物置部屋に住まいを移されて、半分以下になってしまった給料では楽しみであったコーヒーも購入できない。

 まだそんな生活をしていないのだから、本当は案外酷くないかもしれないのだけれど。ただ、こんな想像を繰り返していると、「みんなは僕たちを盾にして暮らしているのだなぁ」と行き着く先のない思慮にふけってしまう。

 暗がりに視界を塞がれてしまった僕の未来予想図に、気が滅入ってしまったのか、僕はいつの間にかリノにコールをかけていた。

 返還を迫られた旧式のデバイスが古典的なコーリングをかけてゆく。


「……」


 ほどなくして応答してくれたリノは何も話そうとはしなかった。

 以前のことがまだ気まずく感じているのか、それとも単に除け者にされてしまった僕に同乗しているのか、もし後者であれば僕は彼女にやり場のない理不尽じみた怒りを抱いてしまうところなのだけれど、僕とリノに流れるこの静寂は、僕の鼓膜を振動させることなくただデジタルになった時の流れを数えているだけだった。


「気の毒…、だったわね。まさかここまで浪費者あなたたちを嫌っていただなんて……」


 いったいどんな心情でリノはこの言葉を紡ぎだしたのだろう。

 静寂から放たれるのを待っていたかのように、僕の口からは怒りが漏れ出していた。


「もう疲れてしまいました。社会はみんな口をそろえて『労働する喜び』だったり『未来のための労働』だったりを美徳にしていますが、僕はこんな妄想では満足できなかったんですよ。退屈な現実の延長線にある都会アップタウンに僕は何も期待できない。違う世代の貴女には分からないことでしょうけれど、僕にとってこの身体こそが世界のすべてだったんですよ」


 情けない。

 ただ声を荒げるだけで、僕の口から理性だとか知性だとかが全く伴っていないのが分かる。

 一方でリノは僕の喚きに挟むことなく、僕の瞳を覗きながらただその耳を傾けているだけであった。

 そして、嫌悪に陥ってしまった僕に、諭すようにリノは言葉を紡ぐ。


「なら、貴方みたいな人こそVR世界こちらに移住するべきだわ」




 *

 《僕は姿を生まれたままにしてそこいら中に様々な管が刺さる身体は、ジェルベットにその重さを預けている》


 つまりは、そういうことだ。

 リノは二日前にしかるべき手続きを踏んで「安楽死」を選び、僕は薬品でドロドロになってしまったリノの遺産の一部を受け継いで慣れ親しんだ身体を捨てる決意をした。

 いや、僕が下したのは「決意」というそんな大層なものではなくて、どちらかと言えば「言いくるめられた」と表現する方が正しいのだろう。


「きっと貴方は、自分の肉体に執着していないのよ」


 だから、僕には「将来を憂う」という必要を感じられないし、色気のない田舎ダウンタウンに心の充足を求めているのだ、と彼女は言った。

 僕はリノに見透かされて気分になってしまって、すっかりとその心が冷めてしまった。

 そして、今まで怒っていた理不尽は未知への好奇心へと姿を変えて彼女を死に導く結果となった。


 《僕の頭に武骨な器具が装着されてゆく》


 薄情な人間だとつくづく思う。

 けれど、僕の気持ちは期待と想像で溢れている。


 フィクションの中だけにある色づいた街並みはどうなっているのだろう。 


 自分の欲を抑圧されてきた大部分の人々は、どんな生活をしているのだろう。


 そして、欠かせてはならないのが「都会(アップタウン)のコーヒーはどんな味なのだろう」という僕の唯一のフェチズムが疑問の最上位に居座っている。

 今までに体験した美味を夢想して、口の中に唾液と期待が溢れてくる。


「それでは、意識の移行を開始します」


 係りの作業員が都会アップタウンに飛び立つ準備を終える。


 《そして、僕の意識は真っ白になった》


 最後まで読んでくれてありがとう!

 これからは不定期にこうした短編を投稿してゆくので、応援よろしくお願いします!

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― 新着の感想 ―
[良い点] 少子高齢化、というのをVRで解決しようというのはよくあるかなと思ったのですが、高齢者の方が仮想世界に入ってしまうというのは面白いですね。案外今の老人世代なら、たくましいので適応してしまうか…
[良い点] こういう小説ってなろうでやるのほんとに難しいですよね。 小難しく思われたらページをめくってもらえないわけですし。 だからこそ面白いものを見つけると嬉しく思います。楽しませていただきました…
[良い点] Twitterの相山タツヤです。 近年の深刻な社会問題である少子高齢化と、最近ブームになりつつあるVRを掛け合わせた、意欲的な社会派短編だと思いました。 確かに、この現実の社会にVRが…
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