青年はそこまでではない
「お帰りなさい」
「……ただいま」
「ラメトク兄さん、何か言ってた?」
「ヌイにもよろしくって。あと、鍋は明日持ってきてくれるって」
「人形、渡さなかったの?」
頷いて見せるアペに、取り敢えず続きは食べながらにしようかと言ってヌイがポトフを温め直す。
「美味しい」
ヌイの方から、ラメトクの家での事について再度訊くことはしなかった。
「ラメトク兄さんさ、俺が行ったのに気付かなかったんだよね」
「うん」
「それでもう1回ノックして声もかけ直したんだけど、それでも気付かなくて」
「うん」
「試しにドアを開けてみたら鍵も掛かってなくてさ」
「うん」
「椅子に座ってたんだよね」
「うん」
「うたた寝でもしてたの? って訊いたけど、それにも乗ってこなくて。これは人形を置いて来られる状態じゃないなと思って、鍋だけ置いてきた」
「うん」
そうだったんだ、とヌイは呟いた。
「そっか。うん、ありがとう」
「いや……ごめん」
「何で謝るの?」
ヌイは笑う。
「それで、お鍋は明日持ってきてくれるって?」
「うん、取りに来るって言ったんだけど、いいって」
「じゃあその時に渡せばいっか」
ああ、そうだなと答えたアペは、話を切り上げる様に食べ終えていた器を下げた。
食器を洗いながら、ヌイはアペの話を反芻していた。ラメトクが昼間にこちらを訪ねてきたときは、自分達にはいつも通りに振る舞おうとしていた。けれど、その後でアペが向こうに行った際にはそうではなかった。
自分達が考えていた以上に、彼は参っているのかもしれない。せめてもの気休めになればと思って人形を作ってはみたが、時間をおくと、やはりあれは自己満足に過ぎないとの思いが頭をもたげてきた。
渡さない方がいいのではないか。
「ねえ、藁太郎はどう思う?」
藁太郎が置かれている方に視線を向けて、呟いてみるが、当然答えは返ってこない。
どう思う、と問われ、自分は話すことが出来なくて良かったなとまず浮かんだ。仮に自分が声を発することの出来る身であっても、彼女の問いに答えられる気はしない。
ラメトク青年の考え自体は分からないが、兄妹が彼に対してどう考えているかは、どんどんと流れ込んでくる。
それによると、彼は現在、相当参っているらしい。かつて、OLの人もよく参っている様子を見せていたなと思い出す。
◇
「ただいまー藁太郎!」
彼女がただいまと口にすることは珍しい。いつもは帰宅しても無言でドアを開け、そのまま洗面所に直行している。
ドアのところには、エコバッグが1つとスーパーの袋が1つ置かれている。手洗いを済ませると、冷凍庫に大量に買ってきたアイスクリームを詰め込んでいく。目で追っていると、12個あった。それから、次はプリンやゼリーを冷蔵庫に入れていく。ジュース類の半分は冷蔵庫に入れ、残り半分は冷凍庫に入れている。
そこまで済ませると、服を脱ぎ始める。歩いてきたので暑いのだろう、部屋着すら身に着けず、完全な下着姿だ。そして中身の入った買い物袋を持ってPCの前に胡座をかく。PCの電源は常に入れっぱなしだ。以前、彼女が電気代が高いと姉との電話でぼやいていたが、それも大きいと思う。
袋から物を取り出す前に、机の上にのコップに手を伸ばしている。彼女は真夏でもない限り、作り置いているお茶は冷蔵庫に入れずに放置している。それどころか、飲みかけのすら放置だ。今も朝に飲み残したものを飲んでいる。
一息吐くと、袋から次々と弁当に惣菜のパックを出していく。明らかに一人分ではない。それらを出し終えると、袋をひっくり返す。ガサガサとお菓子やカップ麺が放り出される。
弁当をレンジに入れ、温める。その間におにぎりと焼鳥を食べ始めた。ガツガツと食べたせいでしゃっくりが出そうになっている。ノンアルコールの酎ハイ風飲料で抑えるが、今度は炭酸に悶えている。そうこうしている間にレンジがピーピー鳴った。
温まった弁当を取り出し、床を漁る。ゴミに埋もれていた割箸を探し出す。もう3日ぐらい同じ物を使っている。
さすがに脳髄の代わりに藁が詰まった身でも、その衛生観念はどうかしているというのは分かる。このOLの人、心が荒んでくると分りやすく生活が荒れてくる。そしてそういう時は自分に食事を与えてくれはしない。というよりも自分もゴミに埋もれさせられている。今日はたまたま顔は出せているので、OLの人の様子を観察できたのだ。
◇
ラメトク青年はそこまであからさまな様子を見せてはいないようだが、気にはなる。彼は自分の飼い主である兄妹にとっては家族同然の存在らしい。そんな人が、あんな風になっていく様は見たくない。
いずれにせよ、彼は明日ここに来る。