人形は持ち帰られる
これはラメトクに渡すものだ。もし名前が必要ならば彼が付けるだろう。
ポトフも人形を作っている間に出来上がっており、既に火も消してある。
「それじゃあ暗くならない内に行ってくるよ」
アペが人形と小分けされた鍋を持って出掛ける。
「行ってらっしゃい。気を付けてね」
兄妹の家からラメトクの家はそこまで離れていない。だからこそ、親同士もよく行き来していたのだ。
視界の片隅では、野草もちらほらと花をつけ始めている。とうに冬は過ぎた。この辺りの匂いもそうだ。ちょっと前まで感じなかった土や草の匂いが濃くなってきている。
「ラメトク兄さん、いる?」
扉を叩き、尋ねる。返事は無い。
もう一度ノックし、声を掛ける。暫く待っても誰も出てこないが、中に人がいる気配は感じられる。
試しにドアノブを捻ると、開いた。
「ラメトク兄さん? アペだけど入るよ?」
そっと中に入る。ラメトクは、椅子に腰掛けていた。視線だけ、こちらに向ける。
「……ん、ああ、アペか。悪い、気付かなかった」
恐らく、嘘だ。ラメトクは仮にもそれで生計を立てられている冒険者だ。いや、もっと言うならば、それなりに腕は立つという話は街でも耳にする。そんな彼が、戸を叩く音に気付かなかった筈が無い。或いは、昼間の様子からいって1度目は気付かなかったこともあるかもしれない。それでも、2回目はより強く叩いたのだ。声だって最初よりは大きくした。それに気付かないことなど有り得ない。
となると、居留守だったのか。それにしたって鍵も掛けていないとは、やはり今のラメトクはおかしい。
「もしかしてうたた寝でもしてた? 貰った肉でヌイがポトフを作ったんだ。それのお裾分け」
鍋ごと置いていくから温めて食べてよ。そう言ったアペは迷った。これと一緒に渡すつもりで人形を持ってきたものの、今のラメトクには差し出せる雰囲気ではない。どうせ彼はまだこの街にいるのだ。アペは出直すことにした。
「鍋は明日取りに来るよ。それじゃあまた」
「いや、ちゃんと返しに行くよ。今日はわざわざありがとうな。ヌイちゃんにもよろしく言っておいてくれ」
アペが帰った後も、ラメトクはそのまま座り続けていた。特に何か思索に耽っているわけでもなく、ただ向かいの壁を見つめている。
日が落ちた頃に、ようやく立ち上がった。鍋の蓋を開けると、ふわっと良い匂いがしてきた。だが、空腹感は無い。
それでも、折角の厚意だ。ラメトクは鍋を温め始めた。
身体を動かす自分の為なのか、塩気が強めだ。肉はしっかりと血抜きをしていたのに加え、先に焼いているお蔭で全く臭みが無い。野菜も柔らかく煮えている。空腹を感じていなかっただけで、悪心などがあったわけではない。食べ始めると匙が進んだ。
さて、どうするか。
まだ寝るには早い。というよりも寝たくない。近頃は、毎夜、悪夢を見るのだ。そのせいで、最近は夜が厭で堪らない。
と言って、取り立てて他にすることも無い。
本来ならば武器や防具の手入れでもすればよいのだろうが、自覚しているぐらいに、かなり注意力が散漫な状態でそういった物は扱いたくない。
いや、眠らなければいいだけだ。軽く溜息を吐き、ラメトクはベッドに潜り込んだ。眠ってしまわぬよう、目を開けて天井に視線を遣る。
いっそ酒でも飲んでから床に就けば、夢など見なくても済むのかもしれない。それでも、ラメトクはそうするつもりは無い。それは一時的な逃げに他ならない。殊この件に関してそれは許されない。許してはいけない。
悶々と考え込んでいると、調理台からカタ、という音が聞こえた。鍋の蓋でもずれたのだろう。
明日は、アペとヌイのところに鍋を返しに行かねばならない。昔からの付き合いだ。今日の自分の様子が酷いことに気付いているだろう。まあ、最初に肉を持っていった時はともかく、アペが鍋を持ってきたときは、俺の方でも隠すつもりがあるとは言えない態度だったか。
ただ、2人共何も言ってこない。自分を気遣っているのであろうその行動に、子供の成長は早いなと感じ入る。彼らの両親が亡くなった時は、今よりもずっと幼かった。
昔の事を思い出している内に、ラメトクは眠りに落ちた。