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夏が来るたび

作者: 四季

2018年7月19日、山の上から空を見下ろしていると、突然何かがやって来た……ので、一気に書いたものです。

 夏が来るたび思い出す。

 特別だった、あの人のことを。



 ある初夏の昼下がり。私は一人で電車に乗って、四角い窓から見える景色を眺めていた。


 空には、まだ真夏ではないというのに、大きな白い雲が広がっている。人の手など決して届かない遥か上空にある、雲。それは、どこまでも続く空の壮大さを、教えてくれているみたいだ。眺めているだけで涙が出そうな、美しい空である。


 車内は既に冷房がかかっており、時折心地よい風が頬を撫でていく。薄手のカーディガンを羽織ってちょうど良いくらいの温度である。暑すぎず、寒すぎることもない。そんな快適な温度が保たれている。


 今年もまた、夏が来たのか——。


 電車に揺られながら、私はぼんやりとそんなことを考えた。



 あの人と初めて知り合ったのも、こんな、初夏の晴れた日だった気がする。


 私たちの出会いは、本当に何ということのない、ありふれたもので。人に語れるようなドラマチックな出会いではない。


 駅のホームにある自販機で飲み物を買った私は、お釣りの十円玉を一枚取り忘れてしまっており、たまたま次に並んでいたあの人が、それを教えてくれた。


 ただそれだけの出会いである。


 けれども、そこから私とあの人は、みるみるうちに距離を縮めていった。もし本当に運命というものが存在するとしたら、多分、それが私たちをくっつけたのだろう。そんな風に思わずにはいられない。


 だいぶ親しくなってから、私たちは、二人で色々な場所へ出掛けた。買い物をしたり食事をしたり。そんな日々の中で、あの人は、「いつか海の向こうへ行きたい」とよく言っていた。なので、「二人で行こうね」と約束した。

 私たちは決して贅沢な日々を送ったわけではない。けれど、それでも、あの人と共に過ごしているだけで、私の目に映る世界は輝いていた。何もかも、すべてが。


 夏が終わり、秋になり、冬が訪れる。そしてやがて春が来て、また夏が——そう思っていた。その頃の私は、そういうものだと、当たり前のように思い込んでいたのだ。愛しい人と同じ時間を生きられることのありがたさなんて、すっかり忘れてしまっていたのだろう。


 私は感謝の心を忘れていた。

 だから、こんなことになってしまったのかもしれない。


 ——というのも、次の夏、あの人は命を落としてしまったのである。


 海外への往路にて飛行機事故に巻き込まれ、突然、亡くなった。


 これからもずっと続くと思っていた、二人の時間。それは、『あの人の死』というどうしようもない事実によって、止まってしまった。そして、もう二度と動き出すことはない。


 特別な人の葬儀は、悲しいものなのだと思っていたが、意外にも涙は出なかった。

 なぜだろうか。理由は分からない。

 ただ、予想したよりかは悲しくなかった。寂しくもなかった。


 ようやく涙が出たのは、葬儀の後、家に帰って、あの人と二人で写った写真を目にした時。その瞬間の、それまで凍りついていた何かが一気に解凍される感覚は、今でもはっきりと思い出せる。


 二人で行こう。


 あの約束は何だったのか。

 勝手に海の向こうへ一人で行こうとして、私だけをこの世界へ残して逝くなんて。


「せっかち」


 写真に写る笑顔のあの人に、私はそう言ってやった。


 ……いや、それしか言えなかったのだ。この世からいなくなってしまったあの人へかけられる言葉なんて、あるわけがないではないか。



 時の流れとは早いもので、あの人の死から、もう五年が経った。


 当時は泣いて泣いたが、じきに立ち直り、今は普通の生活に戻っている。仕事にも就けているし、家族や友人もいるし、それなりに幸せな人生だと思う。日常の中で泣きたくなることも、ほぼなくなった。


 ただ、こうして一人で電車に乗っていると、たまに、あの人と過ごしていた頃の幸せな私の幻影が見える。また、駅のホームで知り合った時のことや、二人で出掛けた時のことが、次から次へと脳内に浮かんできて、ほんの少し切ない気分になる。


 それでも、世界は変わらない。


 広大な空、柔らかな木々、人や車の行き交う街。車窓から望む景色は、今日も変わらず美しい。

 あの人と一緒にいた頃、この世界はもっと鮮やかだったけれど……今見ている世界も、モノクロなわけではない。


 夏が来るたび思い出す。

 特別だった、あの人のことを。


 思い出しはするけれど——過去に囚われてはいたくない。


 あの人がそれを望んでいるとは思えないから。あの人ならきっと、前を向いて進んでほしい、と言うだろうから。


 そんなことを考えながら、私は今日も、電車に乗る。

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― 新着の感想 ―
[良い点]  淡々と語られるのは、主人公が現状を受け入れることが出来たから、なのでしょうか…。  凍りついた感情が溶け出した瞬間。二度と戻らぬと自覚したその瞬間の情景が、とても切なく。  呟かれたひ…
[良い点] 感動です。1つ1つの描写が丁寧でしっかりと僕の中まで入り込んできます。「やっぱりロマンチックなのは冬だ」なんて思っていたけど、四季さんの作品を読ませてもらって、考えを改めました。「夏も冬も…
[良い点] とても美しい文章で、そして出だし、終わり方が呼応している点が優れています。 夏が来る度にあの人が亡くなったのを思い出す…哀しいですね。 でも、終わり方はどこか前向きで救いがあるのが良かった…
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