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白銀のヘカトンケイル  作者: 北十五条東一丁目
第一章 第二節
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9.骨と影

 沼地のスケルトンは下級のアンデッドだ。正しい弔いを受けずに放置された骸に死霊が取り付き、骨だけになった体を動かしている。一般的な下級のアンデッドには他にゾンビなどがいるが、その違いはせいぜい肉の有る無しだという。

 結界内にあり、管理の行き届いた町の墓地で、これらのアンデッドが発生することはほとんどない。しかし一歩町を出れば、行き倒れた死体が不死者と化してさ迷っていることはままあった。


 ――……普通に歩いてるんですね。


 アルフェにとっては初めて見る奇妙な光景だが、沼地にはそこかしこにスケルトンが闊歩していた。これだけアンデッドがいるということは、かつてこの地でそれだけの人間が死んだということだが、組合の説明によるとこの辺りは大昔の古戦場なのだそうだ。

 スケルトンと一口に言っても、朽ちた鎧を付けているものや片腕を失っているものなど、その姿は様々だ。ゾンビ的なものが見当たらないのは、ここが戦場となった時代を想像すればわかる。彼らの肉など、とうに風化してなくなってしまったのだろう。


 ――その時からずっと……。


 何百年という昔からずっと、彼らはここでさ迷っているのだろうか。

 アルフェは少し感慨にふけってしまったが、それは無用のものだと気持ちを切り替えた。少なくとも、今の彼女の腹の足しにはならない。

 早速素材の採集を始めたいところだ。しかし、少し見た限りでもかなりの数のスケルトンが、沼地のあちらこちらにたたずんでおり、時折カタカタという骨の擦れ合う音を立ててている。


 ――刺激を与えなければ、大丈夫でしょうか?


 アルフェはそう考え、物音を立てないようにスケルトンとスケルトンの間をすり抜けようとした。だが、ある距離まで近づくと、一体がギョロリと彼女の方を振り向いた。


「……だめですよね」


 アンデッドは、その特性として生者を憎んでいる。彼らは生命を宿すものを見かけると、見境無しに自らの仲間に引き入れようと群がってくる。やり過ごすことは困難だ。

 まずは彼らを片付けないと、落ち着いて採取はできそうにない。アルフェは腕を伸ばして体をほぐす。


「――まずは、お掃除からですね」


 そう言うと、アルフェは両の拳を打ちつけた。


「せやァッ!」


 頭部が砕け、スケルトンが後方に倒れる。その白い体はばしゃりという音を立てて泥たまりに沈んだ。

 戦闘音を聞きつけた近くのスケルトンが、次から次へと集まってくる。一体一体の強さはそれほどでもない。ただ腕を振り回してこちらにつかみかかってくるだけだ。動きものろく単調なので、一体だけならゴブリンよりも弱いかもしれない。


 ――やりにくいッ! ですね!


 それでもアルフェは、楽には戦えていない。

 ゴブリンの場合は、相手の体の一部に魔力を打ち込むだけで容易に屠ることができた。しかしスケルトンは魔力の効き目が薄いのだろうか。その一部を砕くことはできるが、完全に活動停止させるには至らない。


 ――頭を砕いただけじゃ止まらないし……。さすがにバラバラになったら止まるけど……、それより、体がスカスカで狙いにくい!


 最も的が大きいはずの胴体には、普通の人間のように肉や内臓がなく、あばらがむき出しになっている。しかも肋骨を一本二本砕いただけでは、その動きになんの変化も見られない。背骨を吹き飛ばせばほぼ無力化できるが、スケルトンの正面から脊椎を狙うのは、間合いが遠くて距離感を狂わされる。


 骨を砕かなければ、スケルトンに有効なダメージを与えられない。ここまでアルフェは魔力を通すために掌打を使っていたが、拳で殴ったほうが早いと考えたようだ。一旦スケルトンから距離を取ると、少女は拳を握りこんだ。


 硬体術。アルフェが最近コンラッドに習い始めた技である。


 コンラッドが編み出した戦闘技術――武神流の真髄は、相手の体内に魔力を流し込んで破壊することにあった。しかしそれ以外に、体に魔力をめぐらせることで、自らの身体能力を強化する技もある。

 硬体術はその名の通り、魔力によって体の強度を上げることを眼目にしている。拳の先に薄く魔力をまとわせて、アルフェは突きを繰り出した。


「破ァ!!」


 パカンという小気味のよい音がして、スケルトンの体が砕け散った。

 やはり掌打を使うよりずっといい。この種類の魔物には、このやり方のほうが向いている。アルフェはそう思いながら拳をふるい続けた。


「――ふぅ」


 数十分後、汗で顔を濡らしたアルフェは、彼女の銀の長髪をさらりと掻き上げてから息をついた。

 もう彼女の周囲に立っているスケルトンはいない。アルフェはしばらく荒い息を吐いていたが、それもすぐに回復した。ここ最近の生活は、少女をずいぶんと逞しくしているようである。


 上半身だけになったスケルトンが、腕だけでアルフェに足元に這いよって来た。彼女は自分の腰に取りすがろうとするその腕を避け、右足でその頭を踏み砕く。

 アルフェの周りには、二十体ほどのスケルトンの残骸が転がっている。まだぴくぴく動いている部分もあるが、戦闘能力は残されていない。


「……痛たた」


 少し眉をひそめると、アルフェはぷらぷらと両手を振った。いかに魔力で体を硬くしたと言っても、これだけの骨を素手で砕き続けたのだ。彼女の拳にはかなりのダメージがたまっていた。

 アルフェは周りを見渡してみたが、新たに近寄ってくるアンデッドは見当たらない。遠くにはまだ多くのスケルトンが徘徊しているが、彼女を気にする様子は無かった。どうやらスケルトンたちの知覚範囲は、それほど広くないようである。


 このまま沼地中のスケルトンを駆逐するわけにもいかないし、とりあえずこの辺りのキノコを採取するとしよう。そう決めると、彼女は近くに置いておいた採取籠を取りに戻った。


「これ、本当においしいんでしょうか……」


 少女の疑わしげな声が、誰もいない沼地に響いた。

 今回の遠征の目的である滑りキノコは、確かに沼のあちらこちらに生えていた。

しかしこの赤黒い傘と、妙に生白い柄は、どこからどう見ても毒キノコである。おまけに傘の表面には、点々と白いいぼのようなブツブツが浮いている。食用になるというのは信じがたいが、姿かたちは冒険者組合の薬草辞典にあった絵姿と全く同じだった。


「うぅ……、ぬめぬめしてる……」


 滑りキノコの名前は伊達ではなく、そのキノコは全体が粘度の高い液体で覆われている。素手で触るとねとねととして非常に気持ち悪い。


 ――手袋をして来ればよかった……。


 アルフェは心中でぼやいた。

 そういえば、道具屋では採取用の手袋なるものも扱っていた。変に節約せずに買っておけばよかったと後悔する。それでもアルフェは次々とキノコを採取していった。

 冒険者組合からの借り物なのだが、果たして薬草籠についたこの粘液は、洗えば落とせるのものなのだろうか。そんなことを考えながらも、彼女は百本近くのキノコを採取した。籠は既にはちきれんばかりに膨らんでいる。網目の隙間から粘液がしたたり落ちるのを見て、最悪この籠は廃棄しなければならないだろうとアルフェは思った。

 だがそれにしても、キノコを百本採取持って帰ったとして、報酬は銀貨三枚と銅貨が少しだ。丸一日以上かけて遠出してきた報酬としてはちょっと物足りない。


「もう少し、何かないでしょうか……」


 周りに転がっているスケルトンの骨は使えないだろうか。案外、死霊術士か何かに売れるのではないだろうか。――まあ、死霊術士など見たことはないが。そんなことを考えながらきょろきょろと辺りを見回していると、少女の視界に奇妙な物体が映った。


 ――何だろう、あれ。


 沼の周りに生えている枯れ木の根元に、べったりと紫色のコケが付着している。自然のものとは思えない、やけに刺激的な明るさの紫だ。それを見て、アルフェははたと思い出した。


 ――これはもしかして……、貴人ゴケというものでしょうか? 染料に使われるという。


 紫色の染料はそのコケを利用して作るしかないから、紫の布地は貴重なのだと、何かの本で読んだ記憶がある。

 薬草辞典にも、沼地でとれる品の中にこのコケの名前があった気がする。依頼として張り出されてはいなかったが、これならば採取していけば買い取ってもらえるのではないか。そう思ったアルフェは、早速コケが付着している枯れ木の側に行った。


「これを見たら、もう絶対に紫色のドレスは着たくありませんね」


 アルフェは独りで冗談を言ってみた。しかし当然、聞いている人間は周りにいない。辺り一帯よどんだ沼が広がっているだけだ。転がっているスケルトンの残骸が、笑ってくれるわけもない。

 それにもう二度と、自分がドレスを着る機会など無いだろう。そう思うと、アルフェの口の端に自嘲の笑いが浮かんだ。彼女は気分を切り替えるように頭を振り、目の前の紫色に眼をやった。


 腕を組み、さてこのコケをどうやって持ち帰ろうかと考える。アルフェは少し悩んでいたが、最終的に木の皮ごとはがすことにしたようだ。

 立ち枯れた木の皮は、アルフェの素の力でも比較的容易にはぎ取ることができた。薬草籠にはもう入りきらないので、丸めた木の皮をつたでくくった。

 予定よりだいぶ大荷物になってしまったが、これだけあれば幾らかにはなるだろう。満足したアルフェは、拠点の廃村に引き返そうと踵を返した。


 だがその時、人型の黒いもやがアルフェの目の前に現れたのだ。


 ――っ敵!?


 アルフェは素早く荷物を放り投げ、戦闘態勢を整える。


 ――スケルトンじゃない!


 現れたのはシャドウだ。影法師とも呼ばれる、人の輪郭を持つ黒い影。その顔には口も鼻も無いが、目には青白い光が揺らめいている。スケルトンよりも一段格上のアンデッドである。

 シャドウの体は非実体。魔術以外で傷つけるには、最低でも銀の武器か、特殊な処理を施した魔法武器マジックウェポンが必要になる。


「来なさい!」


 だが、魔力を帯びたアルフェの拳ならば、若干でも損傷を与えられるはずだ。

 アルフェは呼吸を整える。シャドウは虫の羽音のような異音を立てて、少女に飛び掛ってきた。


「はァッ!」


 シャドウの攻撃よりも一瞬早く、アルフェは渾身の突きを繰り出した。しかし、まるで霞か煙に腕を突き入れたように、彼女の手はシャドウの体をすり抜ける。それと同時に、シャドウの影がアルフェの胸を通り抜けた。


「ぐぅぅっ!」


 アルフェはとっさに駆け抜け、シャドウから距離をとる。ぐしゃりと、足がぬかるみに踏み込んだ。今まで彼女は沼地の周辺の、固い地面を足場にして戦っていたが、慌ててしまったのだろう。


 ――胸が、熱いッ!!


 やけどをしたような、冷たい氷を飲み込んだような、奇妙な痛みが胸を襲う。左手で胸を押さえながら、それでも精一杯けん制するように、アルフェは右腕をモンスターのほうに向けて突き出した。


 ――泥が、スカートに、まとわり付いて!


 アルフェがまとっているすねまであるスカートが、泥水を吸って彼女の体に張り付く。この状況はまずい。アルフェが足元に視線をやった瞬間、再びシャドウが突進してきた。


「――ぶふッ!」


 回避が一瞬遅れたため体勢を崩し、肩から泥に突っ込んだ。アルフェはつぶされた狸のような声を上げる。何とかすぐに立ち上がってシャドウの方を向いたが、全身が泥まみれだ。

 慌ててはいけない。落ち着いて相手を見なければならない。アルフェはコンラッドの言葉を思い出す。とっさのことで頭が混乱したが、冷静にかかれば決して勝てない相手ではないはずだ。


 アルフェは既に、膝まで沼地に埋まっており、今も少しずつ沈んでいる。対するシャドウの方は、泥に足を取られる様子はない。


 アルフェは冷静に、しかし高速で頭を回転させた。

 さっきの自分の攻撃には、わずかしか手ごたえが無かった。スケルトンと戦っていた時の延長で、魔力のほとんどを身体の強度を高めるために使っていたからだ。自分の未熟さ故の失態である。

 この魔物には物理的な力は通用しない。魔力を直接叩き込むように、攻撃のやり方を切り替えなければならない。


 ――よし。


 アルフェは腰を落として左手を前にし、右の掌を腰の横に構えた。体内の気を循環させる。シャドウがまたも飛び掛かってくる。沼に足を取られ、踏ん張ることができない。アルフェは腰から上の動きだけでシャドウの飛び込みを迎撃した。


「くぅッ!」


 何とか上手く攻撃を合わせたが、それでもシャドウの腕はまた彼女の身体をすり抜けた。再び焼けるような痛みが走る。


 ――やった!?


 今度は手応えがあった。いつの間にか影の魔物は消え去り、辺りに静寂が戻っている。魔力をぶつける事さえできれば、驚くほどに脆い存在のようだった。


 アルフェは沼地から這い出しながら服の胸元をずらし、シャドウに触れられた部分を確認した。白い肌が、若干だが赤くなっている。手傷を負ったというほどではないが、ひどく疲れた感じがした。まるで触れられた部分から、生命力を直接吸収されたかのようだ。


「――はぁ」


 しかしそれ以上に、アルフェは自分の姿を見てため息をこぼした。彼女の全身は、沼地の黒い泥に覆われている。銀に輝く美しい長髪が見る影もない。頭の天辺からつま先まで完全に泥まみれだ。洗ってはみるつもりだが、この服はもうだめかもしれない。

 そもそもこんな場所まで、町娘のような姿で出てきたのが甘かったと反省する。今までは幸運にも、傷らしい傷を負うことはなかったが、自分ももう冒険者なのだ。少しは装備に気を使った方がいいのかもしれない。


 ――……でも、痛い出費になりますね。


 しかし装備を購うとなると、どれくらいの金がかかるのだろう。

 アルフェはそれを思って肩を落とし、もう一度大きなため息をつくと、荷物を抱えて廃村の方に戻っていった。

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