8.キノコ狩りに沼地へ
アルフェが初めての依頼を達成してから、一ヶ月が経過した。彼女はあれから三日に一度は森に出かけ、薬草採取の依頼をこなしている。残りの日はもっぱら鍛錬のために道場通いだ。
一ヶ月の間に状況に変化があった。従者のクラウスから手紙が来たのだ。故郷の城が陥落したおり、アルフェを助け出したクラウスは、今どこをほっつき歩いているのか。それは知らないが、少なくとも、彼女のことを忘れてはいなかったということだろう。
アルフェを一人にしておくのは、真に遺憾だが――とか何とか、一通り彼女に対する詫び言を書いた後、クラウスはアルフェの故郷、帝国の南東に位置する大公領に関する、いくつかの情報を書き記していた。
それによると、どうやらアルフェのただ二人の肉親、母と姉は生きているようだ。母である大公妃は隣国の王の手によって、城に軟禁状態にあるらしい。姉は何がどうなったものか、アルフェと同じように城を脱出し、どこかをさすらっているという。
そしてクラウスはというと、どうやら姉の消息を追っているらしい。手紙の最後には、しばらくはアルフェの元に戻ることができない旨が記され、当座の資金として、金貨二枚が同封されていた。
「……なるほど」
久しぶりに見た金貨の輝きを前に、アルフェは頷いた。やはり自分は、もうしばらく一人暮らしを強いられるようである、と。
「お姉様が心配なのは分かるけど、私はいいのかしら……」
アルフェは愚痴らしきものをこぼしたが、そもそもクラウスという青年は自分の従者でもなんでもなく、姉の従者だった。それが城が急襲されたあの日には、彼はどうしてか姉ではなく、アルフェを城から救い出した。
そのことには感謝している。感謝しているが、救い出したままで放置というのもどうなのか。
――このお金は、しばらくは使えませんね。
当分自活しなければならないとなると、貯えはいくらあっても困らない。アルフェは寝室の屋根板を外して天井裏に金貨をしまい込むと、仕事に出かけた。
「う~ん」
そして今日も、アルフェは冒険者組合の掲示板を見ている。最初の依頼をこなした日から、これは日課になっていた。
最初は他の冒険者から、奇妙なものを見るような目で見られていたアルフェだが、最近はそれも少なくなってきた。一応彼女は、町娘の格好をした変わった冒険者として、周囲から認知されてきたようだ。
しかしそんなことよりも、アルフェには最近悩みがある。アルフェの通っていた南の森だが、最近そこで採れる薬草の量が、明らかに目減りしてしきたのだ。その原因を、アルフェは承知していた。
――私が採り過ぎてしまったから……。新しい群生地を見つけられればいいんですけれど。
アルフェが最初に発見した薬草の群生地は、やはりゴブリンたちの狩場だったようだ。薬草を採りに来た弱そうな人間や動物を、獲物として襲っていたらしい。彼女がそう思うのは、あれからあそこに行く度にゴブリンに襲われたのと、草地の隅でいくつかの白骨を見つけたからだ。
襲ってきたゴブリンを、彼女は全て返り討ちにした。それはコンラッドに教わった技術を、実戦で試すいい機会にもなった。
はじめは敵討ちとばかりに、ゴブリンはだんだん数を増やして襲い掛かってきた。しかし、十匹ほどのゴブリンを引き連れて襲ってきた、一回り大きなゴブリンの頭をアルフェが吹き飛ばしてから、それもなくなった。今ではあそこは薬草群生地というよりも、ゴブリンの墓場と言った方が良い。
ゴブリンを倒すだけでも、いくらかの懸賞金が出ることも後から知ったが、向こうが出てこなくなったのでは仕方がない。だからアルフェは、黙々とシムの花を採取し続けた。
だが、いくら何でも間を置かずに通いすぎたようだ。目に付くシムの花を、彼女は全て採り尽くしてしまった。一月ほど待てば、再び花をつけるとは言っても、その間無収入になるのは勘弁願いたいところである。
――でも、なかなか見つけられないんですよね……。
ゴブリンの狩場とは言え、アルフェが最初にあの群生地を見つけられたのは、かなりの幸運だったらしい。同じような場所が無いかと探索したが、あそこ以外には、ぽつぽつと生えている薬草しか見つけられなかった。それを採取するのも一つの手ではある。だが、まとまった収入を得るためには、あまりにも非効率だ。
――もっと、森の奥に入ってみようかな?
しかし、森の奥にはゴブリンなど比較にもならない、さらに恐ろしい魔物が出現すると言う。
ゴブリンを倒して、いささか自信を付けた少女だったが、屈強な冒険者たちが「恐ろしい」と表現するような魔物と戦う危険を、あえて冒すほど無謀ではないし、またその必要も感じなかった。
ならばいっそ、薬草摘み以外の全く新しい金策の方法は無いものかと、掲示板に貼り付けられた依頼をにらみつけているアルフェだった。
――ん……、これはどうでしょうか。酒場から食材の調達依頼、沼地の滑りキノコの採取、十本で銅貨三十枚、三十本につき銀貨一枚……、結構割がよさそうですね。
頭の中で、アルフェは素早くそろばんをはじく。この彼女がひと月前まで、貨幣に触れたことすら無かったとは、とても思えない。
――沼地、ですか……。沼地って、いったいどこにあるんでしょうか?
たまには森以外にも出かけてみたいし、食材の調達というのが気に入った。自分で食料を確保する当てがあれば、お金が尽きても食べることはできるだろう。そう考え、アルフェはこの依頼を受けてみることに決めた。
「あの、すみません。この依頼をお受けしたいのですが……」
「お前か……。ああ、はいはい、分かったよ……」
力なく答えたのは、冒険者組合の受付のタルボットだ。
彼もちょっと前までは、アルフェが森に行こうとするたび、すごい剣幕で押しとどめようとしてきた。しかし、アルフェがゴブリンの首領の頭を持ってきて以来、止めようとはしなくなった。その代わり、この様に何かを諦めたような、投げやりな応対をされるようになってしまったわけだが――
「……沼地? まあ、お前なら何とかするか……」
冒険者としての信用はついてきているのかもしれない。タルボットは口ひげをいじり、首をかしげながら、アルフェの力と行先の危険度を秤にかけているようだ。
「だがなぁ……。う~ん……」
と言ってもタルボットには、目の前の娘の力を、どのような基準で判断するべきかが分からなかった。数多の冒険者を見てきた彼の眼力が、この少女には全く通用しないから困ったものだ。
「危険でしょうか。私では無理ですか?」
「いや、変わったことをしなけりゃ、森の浅層と大して変わらないんだが……」
そもそも彼には、アルフェが、どうやって魔物を倒しているかが分からない。森に入って薬草を採取しているのも、襲ってくるゴブリンを返り討ちにしているのも本当らしいが、その方法が完全に不明だ。
アルフェは確かに若い。しかし、このくらいの歳の子供が冒険者をしていることが、あり得ないことだとは言わない。実際にタルボットも、アルフェほど若い冒険者のことを、何人か知っている。だがそういう者たちはたいてい、剣の腕か、魔術の才能に秀でているものだ。聞けばアルフェは、そのどちらもまともに使えないという。前に好奇心旺盛な冒険者の一人が、そのことを本人に確かめていた。
――なぁ、お嬢ちゃんは武器もなしでゴブリンを倒したんだろう? 魔術士なのかい?
――いえ、私は魔術はあまり使えないので……。
――じゃあ、どうやってゴブリンを倒したんだい?
その質問に、アルフェはあっけらかんと「手を使いました」と答えていた。ほっそりとした、白い指を見せながら。
それはそうだろう。手は使うに決まっている。その時は結局はぐらかされて、タルボットたちには彼女の得物が何かはよく分からなかった。分からなかったが、この娘はその後、森のゴブリンチーフまで討ち取ったのだ。ただの町娘だと思ったが、それなりのことはやれるのだろう。
タルボットはそこまで思考し、歯切れ悪く答えた。
「まあ、大丈夫……、かな。ただ、手強そうなのには手を出すなよ」
「手強そうなの? 何がいるのですか?」
「アンデッドだよ」
◇
帝国都市ベルダンから街道を南に一日ほど行ったところに、その廃村はあった。そこは、もともとは街道の中継地点として建設が試みられた開拓村の名残である。魔物の侵入を拒む大結界の外にこうした開拓村をつくる試みは、昔から定期的に行われていた。
しかし、人類の生活圏を拡げようというこの種の試みは、魔物の襲撃や物資の不足によりたいていは失敗に終わっていた。ここもそうして遺棄された村の残骸の一つだ。もはやそこには、人の営みの気配はない。
そして、その廃村からほど近い低地には、かなりの大きさの沼地が広がっている。そこにはかつて、見渡す限りの草原が広がっていたのだという。しかし古代から、この地は何度も戦場として使われた。斃れた兵士たちの屍が積み重なり、行くあてのない彼らの怨念が周囲の魔力に影響を与えた事で、草原は沼地に変貌を遂げたのだ。その結果、現在この地はアンデッドたちが跋扈する死の領域となっている。
以上が、アルフェが冒険者組合で教わった、南の沼地についての説明だ。
――沼地の情報が銀貨二枚、魔物辞典と薬草辞典の閲覧料が銀貨一枚ずつ……。
手痛い出費である。新しい採取地に出かけようとすると、思ったよりも支度に投資が必要だった。市壁の側にあった森と違い、沼地まではそれなりに距離もある。野営の準備なども考えると、他にも細々と調達しなければならない物もあった。
例えば、この機会にアルフェは背嚢を一つ購入した。ベルダンの道具屋の品ぞろえは思ったよりも充実しており、中には女性的なかわいらしいデザインのものもあったが、彼女が選んだものは実用本位だ。アルフェはできるだけ丈夫そうで、たくさん荷物を詰め込めるものを買った。
品によっては、魔術で内容物の重さを軽減してくれるものや、見た目以上の荷物を入れられる物もあるそうだ。しかし、それらはどれも目の玉が飛び出るような値段だった。
正直そんなものを買うぐらいなら、その金で何年か働かず暮らした方がいいのではないかと考えるくらいには。
――いつかはああいう物も、手に入れられるようになるでしょうか……。
組合のベテラン冒険者たちは、騎士のように華美ではないが、それでも質のよさそうな品を使っている。冒険者は体が資本だ。優秀な冒険者ほど、稼いだ金を最優先で装備の充実にあてていた。
ともかくもそうやって準備を済ませ、アルフェは廃村への道を歩いていた。彼女の他に徒歩で移動している人影は無い。ベルダンへと向かうらしい馬車の一団と何度かすれ違っただけだ。魔物の危険性の少ない地域とは言え、ここは結界の外である。それらの馬車も愛想無く走り去っていった。
アルフェはできるだけ速足で歩いているが、目的地に着く前に一度は野営をする必要があった。そして日が暮れる前に、彼女は街道脇の小屋にたどり着いた。旅人たちの宿泊地または避難所として、誰かが建てた掘っ立て小屋だ。簡単な魔物除けが施されていて、一晩留まる程度なら大きな危険はないという。アルフェは一人で野営するのは初めてだったが、その辺りの要領は組合の冒険者に聞いてきた。
夕食には用意してきた簡単な糧食を頬張る。ちゃんとした食べ物があるのは良いことだ。夜は寝袋にくるまり、次の日アルフェは、まだ太陽が昇り切らないうちに小屋を出発した。
「着いた……」
小屋を出てから半日ほど歩き、アルフェはようやく廃村に到着した。元々はそれなりの規模の村だったようで、周囲が簡単な防塁に囲まれている。しかし三十件くらいある村の建物は、いくつかを除いて倒壊していた。
アルフェはその中の、まだかろうじて原形をとどめている建物に荷物を隠し、最低限の道具を持った。
「――よしっ!」
アルフェは小さく気合を発した。彼女は大きく身体を伸ばし、体内の魔力を整えていく。
「往復で三日もかかるのだから、その分しっかり採取しないと」
そう呟いて、アルフェは組合で買った情報を思い返す。
今回の主目的は、沼地のキノコの採取だ。赤黒い笠が特徴的なそのキノコは、この季節の沼地ならば、探すまでもなく見つかるという。用途は食用・薬用である。スープに入れると独特の風味がしておいしいらしい。単に焼いても煮てもいい万能食材だ。
出現する主なモンスターはアンデッド。アルフェは今回、採取する品の情報だけでなく、採取地の魔物についてもしっかりと学習してきていた。初めて行った南の森では、軽率さと無知から危険な目に遭ったのだ。まず敵の情報を知ること。それが大切だとコンラッドも言っていた。
「さて、頑張りましょう!」
そしてもう一度気合を入れると、アルフェは沼地に向かって歩いていった。