49.冒険者トランジック
「あれ? トランジックさんとアルフェちゃんは?」
「ああ、さっき村を出たよ」
朝、開拓村の宿屋のホールでは、ステラとオズワルドが話をしていた。
一昨日のオークと人間の戦いは、人間側の勝利に終わった。
しかし勝利と言っても、村は多数の犠牲者を出し、防壁や建物のあちこちが破壊されたのだ。その後始末のために、昨日は負傷者の治療や死者の弔いなど、やるべき事が山とあった。
「えっ!? 嘘っ!」
治癒術の使いすぎで疲労困憊していたステラは、今日は少し遅い時間に起床した。そして起きるなり、オズワルドに二人の居場所を尋ねたところ、さっきのような返しをされて驚いていた。
「心配するな、二人とも、ちゃっかり報酬をもらっていったさ」
オズワルドはステラの驚きの意味を勘違いして、少しずれた返答をした。彼は治癒術による手当を受けたとは言え、まだ左腕を包帯で吊っている。しかしその顔には、一昨日までの重苦しい陰は無く、どこか晴れやかな表情をしていた。
「そうじゃなくて……、私を置いて? ひどくないですか?」
ステラが大仰な手振りと共に文句を言う。
トランジックもアルフェも、戦いで多くの手傷を負っていた。二人とも精根尽き果てた様子で、昨日はずっと宿の一室で休んでいた。だからステラは、彼らがこの村を出立するのは、もう少し先のことになるだろうと高をくくっていたのだ。
それなのに、何も言わずさっさといなくなるとは。冒険者は一つの場所に留まらない人種とは言え、ステラとしては、何だか出し抜かれた気分である。
「しかも黙って出ていくなんて……、少し薄情じゃないですか? 一緒にあんなに頑張ったのに!」
「まあまあ、落ち着きなよ。本当にさっきだから……。今から急げば、追い付けるかもしれないな」
「追いついてやりますよ。それで文句を言ってやります!」
「はっはっはっ」
ぷりぷりと憤るステラを見て、オズワルドは歯を見せて笑う。それから彼は少し寂しそうな表情になり、口を開いた。
「――やっぱり、あんたも行くのかい?」
「……はい。他にも、私が必要とされている場所があるでしょうから」
「そうか……」
強い意志の籠ったステラの答えを聞いて、オズワルドは、まぶしそうに目を細める。
「最後まで手伝えないのは、残念ですけど」
この村での、自分の役目は終わった――。ステラはそう思っていた。後は、村人たちの仕事である。
「いいんだ。あんたの言う通りだ。後は俺たちが、俺たちでやるべきだよ」
襲撃による犠牲者は多かったが、それでもなんとか村を維持していけるだけの人数は残った。自分たちは最後までこの村に踏みとどまるつもりだと、オズワルドははっきりと語った。その後に、だからと続けて、オズワルドは片手を差し出す。
「ありがとう。あんたには感謝している。――もちろん、あの二人にも。まあ、あの娘には驚いたが……、それでも俺たちの恩人だ。感謝してる。本当に。追いついたらもう一回、あんたからも伝えておいてくれ」
「オズワルドさん……」
ステラは言葉を詰まらせた。魔物の大群と素手で渡り合ったアルフェを、白い眼で見ていた村人もいたが、こうして分かってくれる人もいるのだ。ステラには、そのことがとても嬉しかった。
「――はいっ!」
そして、満面の笑みでオズワルドの手を握って、ステラは村に別れを告げた。
◇
「はぁ、はぁ、はー。どこまで行ったの……。あの二人、足、速すぎ……」
膝に手を置いて、旅支度のステラが喘ぐ。
ステラは元々、運動が得意な方ではない。それでも村を出てから、彼女なりに精一杯の速度で歩いてきたのに、まだ二人の影も見えなかった。
だが、ステラに、トランジックに、アルフェ――。三人のよそ者が一緒に、命を懸けてあの村を守ったのだ。それなのに、別れがあんなに素っ気ないのは寂し過ぎる。せめてもう一度、会って話がしたい。そしてできれば、次の街まで一緒に――。
「……うん。――よしっ、もうちょっと頑張ろう!」
元気な掛け声を出し、ステラは少し駆け足で街道を進む。
吹き渡る風が肌に心地よい。この季節、この地方では雨が少ない。空は今日も澄み渡っており、彼女の行く道を遮るものは何もなかった。
「――あっ」
しばらく進み、街道が大きく曲がるところで、道脇の草むらの中に、トランジックとアルフェの二人が立っているのが見えた。
――追いついた。
やはり二人は連れ立って歩いていたのか。一人仲間外れにされたステラは、少し頬を膨らませた後、二人のもとに駆け寄ろうとした。
「おーい! 二人とも! おーい! おー……い……」
走りながら手を振って、彼女は大きな声で呼びかけたが、その声は途中で途切れた。
――……あの二人、何してるの……?
道脇の草むらの中に、トランジックとアルフェは正対して立っている。では二人は、どうしてあんな草むらの中に立ち止まっているのか。
何か言い知れない、不穏な気配が漂っている。ステラは走る足に力を込めた。
◇
「なぜ、俺についてくる」
トランジックは、目の前に立つ銀髪の少女に、低い沈んだ声をかけた。
「……」
少女からの返答は無い。
村を出たトランジックの後を、付かず離れず、この少女はずっと追ってきていた。
それを隠す気すら、彼女には無かったらしい。道から外れて草原の中に立ったトランジックの前に、こうして当然のように立っているのは、つまりそういうことなのだろう。
「……俺に、何か用でもあるのか」
言いながら、トランジックは少女を観察する。
アルフェという名前の少女は、開拓村に現れた時と同じ格好をしている。銀色の脚甲に革の腕甲、身体には大きいボロボロのマント。そう言えば、顔を隠していたフードが無い。オークの血に汚れたあれは捨てたのだろうか。同じく血塗れになったマントは丁寧に洗われ、血が落とされているのに。
「レスター村のトランジックですね」
トランジックの問いかけを無視し、少女が彼の名を呼ぶ。
そうやって呼ばれるのは、何年振りか。レスター。幼い頃に滅んだ、トランジックの故郷の名前だ。その名を耳にするだけで、懐かしさに涙が出そうになる。
「……ああ、そうだ。懐かしい名前だな……。それで? どうしたよ、改まって」
どうしてこの少女がその名前を知っているのか。その理由を彼は承知している。アルフェの目的も、そして彼女がこれからしようとしていることも、トランジックには始めから分かっていた。
そもそも、彼女があの村にやって来たのだって、きっとそのためだったのだ。
「領主の館からの金品の強奪、器物の破損、衛兵の殺傷、市民の誘拐――」
アルフェの口から出てきた言葉は、どれもトランジックの身に覚えがあることばかりだ。
トランジックがこれまでの人生で犯した罪状が、少女の小さな口から、淡々と読み上げられていく。その言葉の一つ一つが、トランジックの胸に後悔という棘を突き立てた。何かに救いを求めるように、彼は天を仰ぐ。しかし空にはただ、一塊の白い雲が流れているだけだ。
「……お前の首には、賞金がかかっています」
最後に、アルフェはそう結んだ。
「……っ。……やはり、お前は、俺を追ってきた、賞金稼ぎか」
トランジックは、どうにかそう言った。今のアルフェの口上は、賞金首を捕らえる前の、冒険者の作法である。
賞金首の彼は、どこに行っても追われる立場である。故に、こんな辺境を流れるしかない。いつどこで、自分の首を狙う賞金稼ぎに出くわすか知れないからだ。
そしてあの開拓村で、初めて見た時からずっと、この娘が自分を追ってきた人間であるという予感がトランジックから離れなかった。年端も行かない少女を警戒する自分を、できれば笑い飛ばしてやりたかったが、無理だった。彼女が村で見せた行動の一つ一つが、トランジックの予感を確信に変えていった。
アルフェの姿を見る度に、トランジックは狩人を前にした獲物の気分を味わった。
そんな中、トランジックが村を守ろうと思ったのはどうしてだろう。
最初は隠れ蓑のつもりだった。仕事を求めてきた冒険者のフリをしていれば、あわよくば見過ごしてくれるのではないかと。そうでなければ、オークの襲撃の混乱に乗じて、村を見捨てて逃げようと。
あるいは、オズワルドを刺し、指導者を失った村にわざと魔物を引き込むことも考えた。
でも、それもできなかった。
村人と堀を補強し、矢を削り、共に生き残るための方策を立てる中で、彼にはまるで、遙か昔に己が失った故郷を、再び守る機会を与えられたような気がしたから。
「俺を……どうする?」
みっともなく叫んで逃げ出したい心をぐっと抑えて、トランジックはアルフェを見た。
「…………」
トランジックの問いに答える代わりに、アルフェはマントを外して放り投げた。
草むらを渡る風が、そのマントを少し離れた場所に飛ばし、緑色の波を作る。
「大人しくついて来なさい。抵抗するなら、お前の命をもらう」
トランジックは少女の視線から、思わず目を逸らした。それほどひどく荒れ果てた目だ。
どうしてこいつはこの歳で、こんな目ができるようになったのか。だが、それは考えても詮無いことなのだろう。事情は知らないが、よくある話だ。自分だって、こいつと似たようなものではないか。
「――はは」
思わず、トランジックは渇いた笑みを漏らしていた。
「ああ、いいぜ。こんなクソみたいな命で良けりゃ、持ってけよ」
そう言ってトランジックは長剣を引き抜き、鞘を捨てる。
抵抗の意志と受け取ったのだろう。棒立ちの少女から、空気が歪むほどの殺気が押し寄せてきた。トランジックは笑みを浮かべたまま、長剣を正面に構えた。その体からは、戦意が全く感じられない。
それはそうだ。ついて行ったところで縛り首、戦ったところで――
――この娘は、正真正銘の化け物だ。勝てるわけが、無いだろうが。
彼女が次に動いた時、自分のこのくだらない人生も、ようやく終わる。終わらせてもらえる。
トランジックの顔に浮かんでいるのは、諦めの表情だった。
ただ、せめてもの救いは、最期にあの村を守れたことか。
「――待ってください!」
「――!」
「……ステラ!」
しかしその時突然、村に置いてきたはずのステラが、二人の間に割って入った。
その髪は振り乱され、荒い息で両手を広げている。彼女はトランジックとアルフェの、どちらを止めようとしているのか。
「何してるの!? 二人とも、何やってるんですか!」
どちらを止めるべきなのか、彼女にも分かっていないようだ。ステラは精一杯体を大きくして、トランジックとアルフェ、両方を交互に振り返っている。
最終的には、トランジックの方を向き、ステラは両手を拡げて彼を睨みつけた。剣を構えているトランジックが、アルフェに害を為そうとしていると判断したのだろう。無理も無い。客観的に見れば誰でもそう思う。
「ステラさん」
歯を食いしばってトランジックを見つめるステラの背後から、アルフェの声が響いた。
「どうして、その男をかばうのですか?」
「かばう……?」
ステラの視線が、そう言ったアルフェの身体の上を動く。それでステラは、どちらがどちらを追い詰めているのかを直感したようだ。
「ア、アルフェちゃんが……? どうしてって……!」
「その男は、薄汚い賞金首です。あなたがかばう必要など、ありません」
アルフェが沈んだ、冷え切った声を出す。
「――ひっ」
ステラが息をのんだ。トランジックですら身震いするほどの威圧感が、その台詞には込められていた。
それでもステラは、きっと目を見開いて、アルフェの前に立ちはだかった。その足は可哀そうなまでに震えている。
「どいてください」
「――どきません!!」
事情の全てを理解した訳でもなかろうに、ステラは強情を張る。
――ああ、あの人にも、そういう所があったなぁ。
一瞬、トランジックの目には、その姿が彼の故郷に住んでいた憧れの人に重なった。しかしその憧憬は、すぐに自嘲の笑みへと変わる。
「ステラ、どけ。……俺も、もう疲れた」
ここで終わりにしたい。トランジックの弱々しい声音は、ステラにそう伝えていた。
「嫌です!」
「ステラ……」
「どきません!」
「……どうしてもですか?」
アルフェの声音は、心底不可解そうだ。
「――どうしても!」
「…………」
アルフェから発せられる威圧感と殺気が、増大していく。
オークの軍勢と正面から渡り合えるだけの気迫だ。そこに立っているのは、見かけ通りの娘ではない。さながら大きな魔獣を前にしているように、トランジックには感じられた。
まさかステラにまで、アルフェがその殺意を向けるとは考えられない。だがトランジックにも、男としての意地の様なものが残っていた。彼にはこれ以上、年下の娘の背中にかばわれている気は無かった。
剣を下ろし、後ろからステラの肩に手を置いて、トランジックは言う。
「もういい、ステラ、俺は――」
「良くない! 良くないよ!」
そう叫んで、ぶんぶんと首を振るステラの目から、光るものがこぼれ落ちている。
「させませんから!」
「させないって……、お前……」
ステラがこの娘と戦って、止めるとでも言うつもりか。
「駄目ですから! 二人とも――、そんなの、駄目ですから!」
まるで子供がわがままを言う様に、ステラは歯を食いしばって、真っ赤になってわめいている。
それを説得するための言葉が、トランジックには無かった。
「…………そうだな。……分かったよ。……アルフェ」
観念したようにつぶやいたトランジックが、手に持った剣を草むらに投げ出す。
「抵抗はしない。連れていけ」
その声は、やけに清々しく響いた。
「……」
「……どうした? 俺の賞金が目当てなんだろ?」
ステラとトランジックを見るアルフェの目は、先ほどまでとどこか違う。トランジックには、彼女の荒んだその瞳に、一瞬だけ、澄んだ輝きが走ったように思えた。
そうしてしばらくじっと、アルフェは黙って二人を見ていた。
「……あ」
ステラが気の抜けた声を出す。アルフェは急にくるりと振り返ると、風に飛ばされたマントを拾い、草むらを出て行った。
道脇に置かれた荷物を持ったその足は、全く止まる気配が無い。彼女は街道を、こちらを振り向きもせずに歩いて行った。
アルフェの姿が見えなくなったころ、トランジックは草むらの中にがっくりと膝をついた。
「アルフェ、ちゃん」
ステラはアルフェが去った方角と、トランジックを代わる代わるに見ている。
「私……」
「……行ってくれ」
うつむいたまま、トランジックはつぶやく。
「え……」
「頼む……行ってくれ」
「……トランジックさん」
絞り出すように言ったトランジックが、どういう表情をしているのか、ステラには見えない。だがその声はまるで、泣いている子供のようにステラには聞こえた。
「俺は……俺はこれから……、どうするか分からない。……でも、俺は、大人だからな。自分の始末は、付けられるさ。……だから、行ってくれ」
草原を一陣の風が吹き抜けていく。
ステラは顔を上げ、もう一度アルフェの去った道の先を見つめた。