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白銀のヘカトンケイル  作者: 北十五条東一丁目
第一章 第一節
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5.殴ってみろと言われても

 熊のような男が、アルフェをにらみつけている。彼はアルフェが靴を履いたままここに上がり込んだことが気にくわなかったようだ。

 しかしアルフェは釈然としなかった。さっきは慌てて誤ってしまったが、こちらはきちんと来訪を告げたのだ。黙っていたのはそっちではないか。


「あの、私は」

「いいから玄関で靴を脱いでこい! 話はそれからだ!」


 口答えをしようと思ったアルフェだったが、また男に発言を遮られてしまった。

 それにしてもこの男は、女性に人前で靴を脱げというのか。初対面の男性の前で靴を脱ぐ。それはひどくはしたない行為だと教わった。それとも市井にはそのような作法があるのだろうか。


「道場は神聖なものだ! 土足で上がることは許さん!」


 戸惑っているアルフェに対して、たたみかけるように男が言う。その雰囲気が有無を言わさないものだったので、アルフェはすごすごと玄関まで引き下がり靴を脱いだ。

 靴下だけになり、アルフェは再び男の前に進み出る。見れば彼も靴を履いていない。それどころか靴下さえない。裸足である。アルフェは何だか良くないことをしている気分になった。恥ずかしさに耐えかねて、彼女はもじもじと足をすりあわせた。


「何をくねくねしておるか。張り紙を見て来たのか? 入門希望か? 良く参ったな。歓迎するぞ! 細っこい身体をしているが、何、俺にかかればお前も立派な拳士になるだろう!」


 アルフェとは対照的に、男はえらく上機嫌である。


「何せ今日まで一人も客が……、おほん! いや、それはいい。それでどうした。強くなりたいのか? 拳闘大会に出場したいのか? ん……、お前は女だな……。あの大会に女は出れたか? まあいい、女でもかまわん! お前は今日から、俺の弟子第一号だ!」


 男の中で話が勝手に進んでいく。アルフェはその勢いに、すっかり気圧されてしまっていた。


「まあとりあえず、まずはおまえの力をみてみるとしようか……。何をしてる小娘。ぼやっとしとらんとこいつに着替えてこい。そんな服で修行ができるか!」


 そう言って、男は白い服を差し出してきた。えらくごわごわした布でできた服だ。男の着ているものと同じものだろうか。アルフェが手元に押しつけられたそれと男の顔を見比べていると、男は自分の名を名乗った。


「んん? ああ、そうか。俺の名前はコンラッドだ! この武神流の総師範だ! これからは、俺のことを師匠とよべよ!」


 どうやら彼の中で、アルフェが弟子となることは決定しているようだ。流されながらもアルフェは聞いた。


「あの、ここで着替えるのですか……?」

「あん? 嫌か? ……まあ、そうだな、あそこの物置で着替えてこい」


 町の人々の直接的な口調には慣れたつもりだったが、コンラッドの物言いは、それよりもずっと乱暴だ。しかし少なくとも悪意は感じなかったので、アルフェは言いなりになって服を着替えた。変わった型のズボンとシャツだ。真っ白な生地は、質素だが不潔な感じはしない。

 やはりこれはコンラッドの着ているものと同じ物である。ただ、彼の着ていたものは帯が黒かったが、アルフェに渡されたほうは、帯の色も白い。何か意味があるのだろうか。

 それまでアルフェが着ていたのは、すねまで隠れるスカートだ。どこにでもある町娘の服装だが、確かに運動には向かないだろう。彼女はそれを脱ぎ、肌着の上から渡された服の袖に腕を通した。

 見よう見まねだが、こんな感じで良いのだろうか。少し袖があまるが、丈が大き過ぎるだろうか。そんな風に迷いながらも、なんとか着替え終わった。


「本来なら靴下も脱ぐべきなのだが……、次からは気をつけろ」


 靴を脱ぐのも大分勇気が要ったのだが、やはり裸足にならなければならないのか。コンラッドが変な意味で言っているのではないということはわかったが、やはり尻込みしてしまう。


「さあそれで? お前は一体、どこまで強くなりたいんだ」


 コンラッドが尋ねたので、ようやくアルフェが口を開く機会がめぐってきた。


「あ、あの、実は私、冒険者として依頼をこなせるようになりたいのです。それで、そのために、戦う術を身につけたいのです!」


 相手に合わせて、アルフェの方も少し大きな声になってしまう。


「……冒険者?」


 その単語を口にしたコンラッドの目が、少し鋭くなった。


「……冒険者志望か。変わった娘だな……。まあいい、冒険者結構。つまり、お前は魔物と戦いたいのだな?」

「は、はい」


 戦いたいのとは少し違う。自分はあくまで自活を目指しているだけだ。戦いはその手段に過ぎない。アルフェはそう思ったが、逆らわずにうなずくことにした。


「魔物結構! 俺の編み出した武神流は魔物相手にも非常に効果的だ。看板に偽りは無い。十日でおまえを戦える身体にしてやろう。来い!」


 そう言ってコンラッドは裏庭に飛び出していく。十日で戦えるなどと言っているが本当だろうか。張り紙にはそう書いてあったが、そんなことが可能なのだろうか。今になって、アルフェにはこの男のことがかなり怪しく思えてきた。


「まずは、こいつを殴ってみろ」


 遅れて庭に出たアルフェに対し、コンラッドがあごでしゃくって示したのは、棒にくくり付けられた藁の束だ。

 外からは塀に遮られて見えなかったが、意外と広さのある裏庭だ。白い砂利が敷き詰められた庭には、草一本生えていない。その空間にはコンラッドが示した藁束以外にも、木でできた人形のようなものや、その他わけのわからないものがいくつも置かれている。


「な、殴ればいいのですか?」

「そうしなければ始まらんだろう」

「わ、分かりました」


 アルフェは言われるままに拳を固めて、藁束に殴りかかって見た。


「――えい!」


 ぽすっという音がする。最初は恐る恐るという感じだったが、藁は柔らかく、手はそれほど痛くない。コンラッドは何も言わないので、アルフェはそのままもう二、三発拳を突き出した。


「――やあ!」


 こんな感じでいいのだろうか。アルフェがコンラッドの顔をうかがって見ると、彼はあごに手を当て、何やら真剣な表情で考え込んでいる。少しは見込みがあるのだろうかと期待したアルフェに、コンラッドは無情な事実を突きつけた。


「うむ、酷いな」

「う……、酷いですか」

「ああ、すがすがしいくらいにな」


 分かっていたが、やはりそう都合の良いことはなかった。しかし落ち込むアルフェに、コンラッドは希望を持たせるようなことも言った。


「だが、思ったよりはマシだな。意外と芯がしっかりしている。ここに来るまでに何かやっていたのか?」

「え? ……ダンス、くらいです」

「ダンスぅ?」


 使用人が教養の一環として教えてくれたダンス。アルフェがしたことのある運動というと、それくらいしかない。実はそれ以外にも、この町に来るまでの数ヶ月のサバイバル生活で、アルフェは貴族の令嬢にしては妙に基礎体力がついてしまっていたのだが、アルフェ当人もコンラッドも、そんなことは知る由も無かった。


「ダンスってお前、貴族のお姫様じゃないんだから……」


 コンラッドはぼやいたが、しかしアルフェは実際に貴族のお姫様だったのだ。それも、この帝国ではかなり上位の。しかしそれを言っても始まらない。アルフェは何も言わなかった。


「だがこれなら、案外なんとかなるかもしれんな……」


 呟きつつ、コンラッドは庭に置かれた木の人形の方に歩いていく。そして大げさな身振りでアルフェを振り返ると、大声で言った。


「いいだろう小娘! 俺がお前を強くしてやる! だが、その前にだ! いまいち俺を見くびっているようだから、まずは我が流派の真髄を見せておいてやろう!」


 そう言うと、コンラッドは木人の前で構えを取った。足を前後に開き、左右の手は身体の前で天地を指す。拳は緩く開かれている。


「はぁぁああああ!」


 気合の声を発するやいなや、アルフェにも分かるほどの膨大な力がコンラッドの体内から吹き上がってくる。しばらくの溜めの後、彼の右足は前方に向かって大きく踏み出された。


「破ァ!」


 裂帛の気合を上げて、コンラッドが両の掌を木人に突き出す。その突きはすさまじいまでの迫力だが、それだけでなく、木人に触れる瞬間、アルフェの目にはコンラッドの掌から巨大な魔力のようなものが噴出したのが見えた。

 破壊的な音を上げて、木人がきりもみをしながら吹き飛んでいく。アルフェの身長よりも大きなそれは、どう見てもそんな簡単に吹き飛ぶような代物には見えなかったのにだ。

 木人の勢いは止まらず、庭奥の塀に激突した。そして塀を突き破りいくつかの破片になった木人は、塀のかけらとともに丘の下に落ちていった。下から屋根の瓦が割れるような大音と、うわあぁっという町民の悲鳴が聞こえる。

 ――下の住民は大丈夫だろうか。アルフェは頭の隅でそう思ったが、それよりも彼女は、今し方コンラッドが見せた力に目を奪われていた。


「し、しまった……。塀が……。ま、まずいぞ……、このままでは大家に叱られてしまう……」


 庭に土ぼこりが舞っている。奥の塀が大きく破壊され、町の風景が一望できるほど、庭はずいぶん見通しが良くなってしまった。さっきまで自信満々だったのが打って変わって顔面蒼白になり、コンラッドはなにやら呟いている。


「た……ただでさえ家賃を待ってもらっているのに……。お、追い出されてしまったらどうする……?」


 彼のつぶやきはやがて、悲壮な嘆きに変わっていったが、アルフェは聞いていなかった。


「……す、すごい! すごいです!!」

「え?」

「いったい何をどうされたのですか!? あんなにすごいの、私、初めて見ました!」


 手を胸の前で合わせ、瞳をキラキラさせながら、少女は感に堪えないといった様子ではしゃいでいる。


「わ、私も練習したら、今のができるようになるんですか!? ――すごいです! これでもう、魔物も怖くありません!?」

「す、すごいか? まあな!」


 少女の単純な反応に気を良くしたか、あっけなくコンラッドは立ち直った。


「あれができるようになるまでに、十年はかかる……! しかし、そこいらの魔物を蹴散らすくらいなら、あれほどの大技は必要ない! 我が流派の基礎を学ぶだけで、お前も立派に戦えるようになるだろう!」

「はいお師匠様! よろしくお願いします!」


 アルフェの方も大分調子がいい。彼女はさっきまで目の前の男を疑っていたはずであるが、そんなことは忘れてしまったようだ。


「おししょうさま?」


 コンラッドは、アルフェの放ったその単語を繰り返すと、腕を組んでうんうんと頷いた。


「お師匠様……。お師匠様か……。……うん、いいな。いい響きだ! これからは俺の指導を良く聞き、共に修行に励むのだ。わかったな小娘!」

「はい!」


 にやけるコンラッドの前で、アルフェは満面の笑顔で返事をする。そうやって、アルフェの弟子入りは決まった。


「まずお前は、武神流の根本原理を知らなければならない」


 二人が庭から道場に戻り、向かい合って座ると、コンラッドはそう切り出した。


「武神流は俺が二十年の歳月をかけて生み出した、魔術と体術を融合させた、まったく新しい格闘術だ」


 二十年の修行と言った。そんなに歳を取っているようには見えないが、この人はいったいいくつなのだろうか。アルフェはそんなことを思った。


「魔力には二種類あるのは万人が知るところだ。自然や大気の中に宿るものが『マナ』、人間から魔獣、虫けらに至るまで、生命に等しく宿るのが『オド』と呼ばれ大別されている」


 しかし改めて見ると、この道場は変わった内装である。コンラッドの背後の壁には、縦に広げられた巻物のような紙がかけられている。書かれているのは何かの文字のようだが、アルフェの知らない言語だ。何と書かれているのだろうか。


「一般的に魔術を使うときは、マナのほうが主に用いられている。魔物に比べ、人間の体内に流れるオドは決して多くない。それならば、世界に無尽蔵に溢れるマナに指向性を持たせ利用しようと言うのが魔術の基本的な考え方だ」


 この道場は一階建てだが、コンラッドはここで生活しているのだろうか。それにしては生活感が無い。奥にはまだ部屋があるようだが、それが彼の私室だろうか。


「魔術を使用する時、個人のオドは付け木のような役割を果たしている。外にあるマナに『きっかけ』を与えることで、何らかの現象を起こすのだ」


 それにしても、庭の壁は見事に粉々になった。町の風景が良く見えるし、開放的な感じになったから、これはこれでいいのかもしれない。


「しかし我が流派では、基本的にこのオドの方を用いる。体内の魔力を活性化させることで、身体を強化し、普段以上の瞬発力やりょ力を得るのだ」


 道場の中には、アルフェとコンラッドの二人だけだ。他に門下生が来る様子はない上に、先ほどコンラッドはアルフェが弟子の第一号だと言っていた。ということは、どういうことなのだろうか。


「そして命中の瞬間にのみ、魔力を体外に向けて爆発させることで、岩をも砕く威力を生み出すのだ。筋力は重要だが、武神流においては全てではない。その気になれば赤子でも、巨人を打ち倒す力を得ることができるのだ――って、聞いてるのかお前!」

「はっ、はい!」


 コンラッドに怒鳴られ、思考をふわふわさせていたアルフェは居住まいを正した。


「聞いています! 聞いていました! で、ではお師匠様、学べば私も、お師匠様のような技が使えるのでしょうか?」

「……うむ。そのはず、だ」


 コンラッドはいきなり自信なさげにうなずいた。


「そのはず?」

「それはいい! ともあれまずは実践だ。基本的な技からやってみるとしようか」


 そして二人は再び裏庭に降り立ち、コンラッドはアルフェを藁束の前に立たせた。

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