39.師弟
コンラッドと別れてから三日目。やみくもに探しても仕方がない。マンドレイクは湿気と日陰を好むとある。森の最深部は全体が日陰の様なものだが、少しでも条件に合う場所を探さなければならない。そのために、今日のアルフェは小川を遡ってみることにした。
森を流れる小川の水はあまりにも澄んでいて、意外な水量がある。この水は、はたしてどこから流れてきているのだろう。今コンラッドがいるはずの、遥かな山の上からだろうか。
初日に倒した大ハリネズミの肉は、煙で燻して食糧にしてある。昼頃まで探索すると、彼女はそれを保存食の代わりに口に入れた。
――あれは……。
川沿いに上流を目指していると、初めて強力な魔物に遭遇した。二本の大きな牙の生えた、四足の魔獣だ。それが夢中で川の水を飲んでいる。見るからに手強そうだ。戦って、勝てるかどうかは分からない。
――……戦うか?
あの魔獣一体が相手ならそれでもいい。しかし、今回は目的が違う。
とにかく気付かれないように、草むらに伏せて息を潜め、気配を殺した。心臓の鼓動が大きくなり、その鼓動の音さえも、魔獣に聞かれると思うと煩わしく感じる。彼女は魔獣が場所を移すまでの時間、そうやって死んだふりをして過ごした。
魔獣が去った後、アルフェはようやく体を起こしたが、気が付くともう日が暮れかけている。その日の探索は打ち切らざるを得なかった。
――明日はもっと、上流を探してみよう……。
明日になれば、あの魔獣はいないかも知れない。徒労感からか、その日は泥のように眠った。
「――誰だッ!」
夜中、魔物の気配で目が覚め、アルフェはとっさに跳ね起きた。木のうろの外から、爛々と光る黄色い眼が、こちらをのぞき込んでいる。彼女は枕元に置いてあったハリネズミの棘をとっさに掴むと、光る眼に向かって投げた。
思ったよりも上手く飛んだ。そんな風に、アルフェは場違いなことを考えた。
甲高い叫び声を上げて、何かが落下していく。重たいものが地面にぶつかる音がして、外は静かになった。静寂の後に、虫の声が戻ってくる。
生死を確認しようかとも思ったが、外は完全な闇だ。どうしても見に行く気になれず、警戒したまま夜を明かした。
今まで幾夜も、独りで夜を過ごしてきたというのに、アルフェには目の前の暗闇が、急に怖ろしいもののように感じられた。
孤独だからか? ……いや、違う。多分逆だろう。
いつの間にか、孤独ではなくなったからだ。
――早く、明日になればいい。
念じながら、少女の体はわずかに震えていた。
早朝、木の下で死んでいたのは、異形の蝙蝠のような魔物だった。小型の動物に死骸を漁られたのだろうか、体毛の無い黒い身体のあちこちが欠損している。アルフェは無表情に、その死骸を見下ろしていた。
「片付けないと……」
忌々しく思ったが、その感情をどこにぶつけるわけにもいかない。アルフェは淡々と作業に集中し、心を平静に保とうとした。丸太で土をかいて穴を堀り、引きずってきた死骸を、そこに投げ捨てる。
野営地を移すべきかとも考えたが、やめた。この森の中にいる以上、どこでもさして違いはあるまい。ただ今日からは、夜でも火だけは絶やさないようにしよう。
死骸を片付け終わったアルフェだが、その日は足が中々探索に向かなかった。昨夜は睡眠もほとんど取れていない。しかし、ここで止まってしまったら、自分はもう動けなくなる。それが分かっていたアルフェは、萎えそうになる心を奮い立たせて、再び周囲の探索に出発した。
――またいる……。
遠くの岩陰に身を隠して、アルフェは魔獣の様子をうかがっている。昨日遭遇したものと同じ魔獣だ。ここはあの魔獣の縄張りなのだろうか。迂回を考えたが、周囲は樹木が密生している上に、地形が険しい。川をたどらずに、道に迷わないでいられるかどうかは自信が無かった。
いっそ、戦ってしまおうかとも考えた。しかしあれに手を出して、負けはしないまでも重傷を負えば、そこで目的は遂行不可能になる。
――一旦、諦めましょう。
ここ以外にも、探索できる場所は多い。
引き返そうとした時、アルフェは足元の小枝を踏んでしまった。かすかだが、確かな音を立てて枝が折れる。気付かれたと思った瞬間、足はもう走り出していた。
「――っ!」
咆哮を上げた魔獣が、すさまじい速度で追ってくる。とにかく闇雲に走り回って巻こうとしたが、小さな木などものともせずになぎ倒して進む魔獣に、徐々に距離を詰められる。振り向くことも出来ないが、アルフェは、魔物の鼻息が首筋にかかっているような感覚すら覚えた。
アルフェを捕まえようとした魔獣の前足が空を切る。距離を詰めきれずに業を煮やした魔獣は、少女に向かって飛びかかってきた。
その気配を感じたアルフェは、とっさに横に飛んでそれをかわした。魔獣が前方の木にぶつかる。大の大人でも抱え切れないくらいの幹を持つ大木が、バキバキと倒れて地響きを上げた。しかし、魔獣の方はまったく堪えた様子も無く、またもアルフェに飛びかかろうと、全身を低く沈めている。
「――くッ!」
この場は戦わざるを得ない。アルフェがそう覚悟しかけた時、横合いから大きな黒い塊が飛び出てきた。
――二頭!?
アルフェを追ってきたのと別種の魔獣だ。これで敵は二体になった。だが、二体の魔獣はお互いを認識すると、とたんにもみ合いになって殺し合いを始めた。走り回っているうちに、他の魔獣の縄張りに侵入してしまったのだろうか。
こちらを忘れてお互いに喰らいあっている魔獣を置いて、アルフェは遁走した。
「野営地に……、戻らないと」
これだけ必死に走ったのは、初めてゴブリンに追いかけられた時以来だ。だが今回は、闇雲に走りながらも方角だけは認識していた。丸一日かかったが、そのおかげで彼女は何とか拠点に戻ることができた。
――でも……。
この数日の成果は芳しくない。やはりこのような依頼を遂行するなど、自分には無理だったのだろうか。アルフェは、だんだんと後ろ向きになっていく己の思考を止められないでいた。
そもそも自分は、なぜここで死ぬ思いをしているのだろう。どうしてこんな依頼を引き受けてしまったのだろうか。ローラは確かに知らない仲ではないが、なぜその人のために、自分が命を張っているのか。
師匠の言った通り、助からない病にかかった人間を、見捨てることの何が悪いのか。
――っ! 違う、違う!
アルフェは自らに生まれた暗い考えを振り払おうと、ぶんぶんと首を振る。
「寝よう……」
しかしそれ位しか、今の彼女には良い方法が思い浮かばなかった。
◇
山の上は、さぞかし寒いと思っていたが、意外にも暖かい。山頂の方は流石に白くなっているものの、コンラッドのいる中腹辺りは雪も無い。それは、地面自体が熱を持っているからだ。
ここは火を噴く山なのだろう。空気中の火のマナが濃い。それどころか、わずかに地面が鳴動しているようにさえ感じる。
「――コォォ……」
細長い呼吸をし、集気によって少しでも魔力を回収する。体力が尽きる事も怖いが、それ以上に、魔力が尽きる事が恐ろしい。いざ本命の魔物と戦う時のため、道中では、魔力の消費は最低限に抑えなければならない。
それでもここに来るまでに、コンラッドは随分魔力を使ってしまっていた。
武神流は、体内の魔力を直接使って技を行使する。そのため、調子に乗って使えば、魔力の枯渇はすぐに訪れる。世界に溢れるマナに干渉し術を放つ、一般の魔術に無い大きな欠点だ。
確かにコンラッドの魔力は、鍛錬によって常人とは比べ物にならない量を誇る。だがそれは、あくまで鍛錬によってどうにかできる範囲でしかない。
彼はあの娘の様に、並外れた魔力を持っているわけではないのだ。
出会ってから今日まで、アルフェは尋常ではない速度で力をつけて来た。それはいったいどうしてか、コンラッドはしばらくしてから気が付いた。
それはあの娘の身体に内在する魔力が、異常に豊富だからだ。あるいは既に、自分すらも上回る量の魔力を、彼女は内に秘めている。そしてそれは、修行によって得られたものではない。恐らくは、生得的なものだ。
しかしアルフェの技は、コンラッドから見ればまだまだ無駄が多い。魔物と戦う時も、その膨大な魔力を振り回して、力押しで何とかしているだけだ。
――急がなければ……。
呼気を切って、再びコンラッドは走り出す。
大家の命がいつまで保つのかも気にかかるが、それ以上に今は、弟子の命が危機にさらされている。いかに力をつけたとは言え、所詮は子供。魔の森の最深部で、そう長く一人で生きられるものではない。
――やはり――。
それを断り切れずに連れてきてしまったのだから、やはり自分は駄目な師匠だ。
しかしコンラッドには、自らの命を危険にさらしてでもローラを救いたいと言ったアルフェの気持ちを、無碍にすることはできなかった。そうしたくなかった。
――あいつはやっぱり、根は優しい娘なんだ……!
それだけで、コンラッドは十分だった。どこの何者なのか、良く分からない所もある。もしかしたら、気にも留めずに人の命を奪う、恐ろしい一面もあるのかもしれない。だが、あれはまだ、ただの幼い娘なのだ。
冒険者として、大の男に混じって依頼をこなそうとも、魔物を倒し、それを生活の糧にしようとも、すました顔で、やたらに大人びた言葉で話そうとも、あれはただの、何も分からない小娘なのだ。
その弟子の優しいわがままを、聞いてやれずに何の師か。
――そうだ……。俺が、俺があいつの師匠なんだ!
世間知らずの、恐ろしい魔力を秘めた娘に、何も考えずに殺しの技を仕込んだ、確かに自分は駄目な師だ。
しかし、駄目なら駄目なりに、弟子のため、できる限り早く戻ってやるのが自分の務めだ。戻ってこれから、あの娘を正しい道に導いていく責任が、師の自分にはあるのだ。
――っ! しかし、中々そうは、させてもらえんか……!
コンラッドの行く手を、四体の巨大なエレメンタルが遮っている。
微光を放ちながら脈動する、血の様な赤。エレメンタルの最上位種の一つ、ラーヴァエレメンタル。その溶岩の身体は、鉄をも溶かし、生物を一瞬で消し炭にする。しかもこの山の魔力を受けて、並外れた大きさに育っているというおまけ付きだ。
――これは……、勝てるか……?
コンラッドのこめかみを、一筋の汗が伝う。
「――いや!」
勝てる勝てないではない。勝たなければならない。
勝って、先に進まなければならない。
「まだまだぁッ! この程度で、俺が怯むと思うなよ!」
コンラッドは、山々にこだまするほどの雄たけびを上げた。




