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白銀のヘカトンケイル  作者: 北十五条東一丁目
第一章 第一節
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4.運命? の出会い

「……う」


 粗末な窓に、申し訳程度についているカーテンから、光が差し込んでいる。朝になり、アルフェは目覚めた。彼女は一瞬、ここがどこだか分からず、戸惑う。

 寝台の上だ。ここはベルダンの、自分の家か。そうだ、昨日はとても疲れたので、家に帰るなり、倒れるように眠ってしまったのだ。まだ床の上で眠ったのでなくてよかった。体の節々が痛む。自分はどうして――


「――!」


 ――そうだ……。泥棒が…………。


 寝ぼけていた頭がだんだんと覚醒し、アルフェは昨日のことを思い出した。南の森でゴブリンに襲われ、命からがら逃げ帰って来たら、盗人に家を荒らされていたのだ。

 昨日は、アルフェにとって踏んだり蹴ったりの一日だった。疲れたやら哀しいやらで、わけがわからなくなって、彼女は現実から逃避した。とにかく眠ることを選んだのだ。

 だが、否が応でも朝はやってくる。彼女は自分の置かれた状況を、直視しなければならなかった。床にはアルフェが所持している、わずかな衣服が散らばっている。これはアルフェがそうしたのではない。盗人がやったのだ。これを片付ける気力すら、昨夜のアルフェには残されていなかった。


 ――お金……。


 そして、そのことを思うと、アルフェの顔は青ざめる。家にあったわずかな財産は、全て盗まれてしまったのだ。

 今となっては悔やまれる。なぜ軽率に、仕事を探そうなどと思ったのだろう。もっとよく考えればよかった。こんなことになるのなら、外に出ず、家の中に閉じこもっていればよかった。


 昨日と今日では、アルフェを取り巻く状況は大きく違っていた。冷えた頭で考えると、クラウスが残してくれた資金はやはり大金だった。あれがあると無いとでは、全く持って大違いだ。稼ぐことの難しさを知った今では、余計にそう思う。


 ――銀貨が二枚と……、銅貨が二十四枚……。


 昨日、アルフェが皮袋に入れて、外に持ち出していた金はそれで全部。それだけは無事だった。


 ――これで……、これで何日生活できるの?


 昨日は銀貨一枚と銅貨六枚を使った。昼の食事代と、薬草辞典の閲覧料だ。夕飯は食べていない。

 あまり真剣に想像したくない。が、切り詰めれば食事代だけで一ヶ月くらいは生活できるだろうか。そうやってじっと待っていれば、クラウスが戻ってくる可能性も――。


 ――そう、クラウスが戻ってくれば……。


 だがしかし、あの従士はどこに行ったのだろうか。自分をこんなところに放っておいて、あの男は何をしているのだろうか。


 ――だいたい……、本当にクラウスは帰ってくるの?


 考えたくないが、そう思わざるを得ない。

 城から救い出されて以来、アルフェはクラウスに盲目的に従ってきたところがある。箱入り娘だったアルフェにとっては、頼れる者が彼だけだったのだから、仕方ない面もあるだろう。だが、クラウスにとってはどうだろうか。家も何もかも失った今のアルフェを守る理由が、彼にあるとは思えない。


 ――私はもう、大公家のお姫様じゃない……。クラウスが守る意味なんて……。


 その想像からは、ずっと目をそらしていた。しかしひょっとしたら、自分は見捨てられたのかもしれない。昨夜から引き続く空腹のせいだろう。アルフェの思考は、つい悪い方、悪い方へと転がっていく。

 仮に見捨てられたのが事実だとしても、アルフェには他に行くところもない。頭を振って、彼女は妄想を頭から追い払った。結局、今できることは昨日と変わらないのだ。


 ――働かないと……!


 アルフェは無理矢理、己を奮い立たせた。そう、働く道を見つければ全てが解決する。その必要性と緊急性が増しただけだ。可及的速やかに、アルフェは自活できるようにならなければならない。

 しかし、この惨状の後始末をどうしようか。そう思って、彼女は荒れ果てた室内を見渡した。盗人が出たら、町の衛兵に通報しなければならないはずだ。


「あ……」


 衛兵という単語を思って、アルフェは急に気がついた。そう言えば、クラウスは衛兵を避けて行動していた。


 ――ひょっとしたら、私は、お尋ね者なの……?


 難しいことは、アルフェにはよくわからない。だが、逃亡した大公家の娘を捕らえるために、王国から追っ手がかかっている、ということもあるのだろうか。衛兵のところには行かない方がいい。それは最後の最後の手段にしよう。とりあえずはそう判断し、彼女は室内を片付け始めた。

 片付けが済むと、アルフェは一階に降りた。とにかく腹が減っている。昨日の残り物のパンだけは、キッチンに残されていた。さすがの盗人も、これには手をつけなかったらしい。

 昨日よりもさらに硬くなったパンを飲み込み、どうにか少女の空腹は満たされた。しかしこれで正真正銘、家にあった食料は尽きたことになる。あとは、手持ちの金を元になんとかするしかない。

 アルフェはもう一度、自分にできることを考えた。

 物乞いにでもなるべきだろうか。いや、それはできない。それは許されない。そんな惨めな思いをするぐらいならば、飢えて死ぬか、魔物に食われた方がいい。ならば商会所の男が言っていたように、誰かの「支援」を受けるべきか。それならば、物乞いになる方がましだという気がする。ということは、それも選べない手段ということだ。


 ――昨日はあと少し……、もう少しで上手くいったのだから。あのゴブリンさえ出てこなければ……、もしくは、私がゴブリンを倒せたら。


 根本的には、彼女はあまり懲りていなかったのかもしれない。結局、そんな風に考えていた。


 ――戦う方法を見つけないと……。冒険者の人たちは、とても強そうでしたし、私も強くなれば……!


 そうすれば、魔物から身を守りつつ、薬草を採取できる。

 とにかく、家に引きこもっているという選択肢は失われたのだ。飢えないためには、行動を起こさなくてはならない。彼女は立ち上がり、扉に向かう。ドアを開いたところで、ちょっと振り返った。


 ――もう、本当に盗むものはありませんし……。泥棒がまたやってくるなんて、ないですよね?


 そう考えると怖くなって、アルフェは足早に家を出た。



 冒険者組合の裏手から、少し急な坂を上っていくと、鍛冶屋や道具屋の並ぶ通りがある。この町の組合の冒険者は、ほとんどがこの一角で物資を調達していた。

 戦う手段を見つけよう。そう決めたアルフェは、その通りの武具屋に並べられた刀剣類を物色していた。カウンターでは年配の店主が口を開けて、武器を眺めている謎の美少女に見入っている。


 ――高い……。何故こんなに高いのでしょう。


 アルフェは細長いパンを小脇に抱えながら、真剣に悩んでいる。武器調達よりも、食料調達のほうが優先されたためだ。


 ――小剣ショートソードが、銀貨三十枚? 安い物でも金貨か、銀貨が何十枚も要る……。このパンが何百本買えるのでしょう……。


 必要は成長の母と、誰かが言った。世間知らずだったアルフェの経済観念は、この二日間で大きく発展していた。その目から見ると、この店で扱っている武器防具は、どれも値が張る。冒険者組合の御用達だけあって品質はいいのだが、彼女に使える手持ちは銀貨二枚。とても買えるものではない。

 唯一アルフェの手が届くのは、革製の投石器スリングだけ。しかしアルフェには、それの用途すら不明である。値段を交渉する気にもなれず、アルフェは武具屋を後にした。

 この通りには、他にもいくつかの武具屋が並んでいた。中には中古品を扱う店もあり、一応全てをのぞいてみたものの、今のアルフェにあがなえる品物は無かった。


 ――だいたい、剣を買ったからと言って、戦えるようになるわけではないですよね……。お姉様のように、私に剣の才能があるわけもないですし……。


 アルフェの姉は、女だてらに剣を振り回すのが趣味だった。大人の兵隊ですら、そう、アルフェを助けたクラウスも、姉には訓練で叩きのめされるばかりで、誰も敵わないと聞いたことがある。しかしそれは姉の話であり、アルフェが剣を振った経験は皆無だ。

 では、魔術ならばどうだろうか。

 貴族の子弟ならば、大体が魔術教育を受ける。ご多分に漏れず、アルフェにも魔術が使えた。しかし、こと戦闘に用いるとなれば話は別だ。アルフェが使えるのは、簡単な治癒術だけ。それも擦り傷を治す程度のものだ。戦いに使用するような、破壊的な魔術は使えない。


 ――今から魔術を身につけて、間に合うわけがないし……。


 魔術は高度な学問知識に裏打ちされた技術体系だ。数年かけて努力して、ようやくまともに魔術を使える。対して、アルフェが家人から学んだのは基礎の基礎だけ。今から魔術を学ぶなど、彼女にはそんな悠長なことを言っていられる時間も、資金もない。

 悩みながら通りを歩いていると、アルフェの耳に、なにやらわめき声が入ってきた。それは、男たちの叫び声だ。


「練兵場……?」


 考え込んだまま、いつの間にか坂の上まで登ってきてしまったようだ。見ればその一角には、民家でも商店でもない建物が並んでいる。柵の向こうに見えるのは、ならされた土の上で木剣を構え、大声をあげて打ち合う若者たちだ。

 練兵場と言った、彼女の見当は大外れでもない。ここは剣の道場だ。町には衛兵や冒険者を志す若者たちのために、戦闘技術を教えるこうした私塾が、いくつか存在していた。

 アルフェはしばらく、そんな若者たちの訓練風景を、柵の向こうから見学していた。周囲には、アルフェの他にも何人かの少女がいて、見目の良い若者の一挙手一投足に、黄色い声を上げている。


 ――このような練兵場に通えば、私も戦えるようになるのでしょうか?


 この若者たちが、どの程度戦えるのかは分からないが、少なくとも、昨日見たゴブリンを相手に後れをとることはあるまい。

 気が付くと、何人かの若者がアルフェを見ているのに気が付いた。彼らの打ち合いの手は止まっていたが、アルフェと目が合うと、真っ赤になって訓練を再開した。さっきまでよりも、はるかにすさまじい熱の入れようだった。何となく妙な空気になったので、アルフェはその場を後にした。

 剣の道場の隣には、槍術の道場があり、さらにその隣では弓を教えていた。そうやって見学しながら歩いていると、建物の並びは途切れた。そこまで来ると、風景は小高い丘の上のようになってきた。町の大部分を見渡すことができ、市壁の外の、少し遠くの景色まで見える。町の中心部に顔を出している大きな建物は、アルフェが昨日訪れた、商会所だろうか。


 ――ん?


 町を眺めている間に、アルフェは道の突き当たりにまで来てしまった。奥には一軒、みすぼらしい建物が建っている。先ほど見たような道場と、外見は似たような造りをしているが、それらと異なり活気がない。人が居るかどうかも怪しい。

 あれも何かの私塾だろうか。なぜか興味を惹かれたアルフェは、てくてくとその建物に近づいた。


「魔物を素手でぶちのめそう。君も十日で強くなれる。見学者歓迎、体験無料……。無料?」


 玄関の横には、そんな文句が書かれた張り紙が張ってある。顔を上げると、「武神流道場」と大書された看板が掛かっている。武神流、良く分からない、大げさな響きだ。

 アルフェはもう一度、張り紙に目を注いだ。そこには先ほどの宣伝文句の他に、ひげ面の男が魔物を拳で打ち倒している絵が描かれている。男の笑顔がやけにキラキラしていて、なんだか気色が悪い。張られてから随分時間が経っているようで、張り紙の端は破れ、風になびいていた。


 ――拳闘術? を教える道場でしょうか……。


 絵と文句からはそう読める。アルフェは首を傾げた。

 拳闘術とは、いざと言うときの護身術や、競技として行われることがあるらしい。これも本の知識だが、帝都では毎年、拳闘大会なるものも開かれていると聞く。だがこの張り紙を見るに、どうやらここでは、素手で魔物と格闘する術を教えているようだ。


 ――十日……、十日で強くなれる? 拳闘術なら武器を買う必要も無いし……、何よりも、無料というのがいいですね。


 金銭にまつわるここ最近の悲劇が、少女にこの怪しい過剰広告を信じさせた。

 物は試しと思ったアルフェが扉をくぐると、外と雰囲気が一変した。この建物の外観は、町の他の建物のようにレンガと漆喰造りだったが、中は壁にも床にも木の板が貼られている。玄関は土間になっているが、それはわずかな空間だけで、二段ほどの階段を上ると、すぐに板張りの床に変わる。見たことのない建築様式だ。


「すみません」


 アルフェはおとないを告げるが、応対するものは誰もいない。

 いや、広間の奥に誰か座っている。やけに大きな男だ。


「すみません、よろしいですか?」


 もう一度アルフェが玄関から声をかけても、その男は微動だにしない。

 しかたがないのでアルフェは室内に入り、男性の側まで歩み寄った。


「あの、表の看板を見たのですが」


 そう言いながら、彼女はしげしげと座っている男を観察した。

 大きい。男は座っているのに、頭の高さがアルフェの身長くらいまである。着ている白い奇妙な服の上からでも、巌のような筋肉が盛り上がっているのが分かった。

 そして顔だ。目を閉じてはいるが顔が怖い。眉間にしわが寄っている。短髪で浅黒い肌をしている。このひげ面は、表の看板に描かれていたのと同一人物だろうか。

 しかし、まるで反応が無いのはどうしてだろう。首を傾げながらさらに近くまで寄り、アルフェはもう一度男に声をかけた。


「あの――」


 その瞬間、突如として男が目を見開き、大音声を挙げた。


「神聖な道場に!! 土足で踏み入るとは何事かぁぁ!!」

「すみませんんん!!」


 アルフェは思わず、謝ってしまった。

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