30.仕入れと販売の関係
ここ数日、涼しい日が続いている。通りの並木も色づいて、本格的な秋を感じさせる。
秋が過ぎれば冬が来る。アルフェの故郷は内陸の山脈沿いにあったので、冬になると雪が降る日も珍しくなかった。しかしこのベルダンでは、雪は一年のうちに数えるほどしか降らないそうだ。
城の部屋の窓から見えた雪景色が、アルフェにはやけに遠い昔の事のように思われた。
アルフェが開いた店の経営は、未だ順調とは言いがたい。
客はぽつぽつと入っているものの、それは既知の冒険者ばかりだ。タルボットが宣伝してくれているお陰で、冒険者たちの一部がアルフェの店を訪れてくれるようになったのだが、一般の市民はこれまで数えるほどしかやって来たことが無い。来たとしても、店の中を見た瞬間に、彼らは引きつった顔をして引き返す。
それはどうしてだろうか。アルフェが思うに、商品が充実していないからいけないのだ。もっと珍しい物を店頭に並べなければ。
そう思った彼女は、冒険者組合の依頼をこなす傍ら、各地から売れそうなものをはりきって調達してきた。そしてその努力の結果、確かに商品の種類は増えた。
しかし、ここに根本的な勘違いがある。アルフェは自らの店を雑貨屋と称しているし、商会所における登録上もそうなっている。だが、常識的な視点から見れば、彼女の店は魑魅魍魎の潜む魔窟か、良いところ魔女の住処としか表現できない様相になっていたのだ。
なにせ薬草類を除けば、魔物の一部などが沢山転がっているのだ。どう見てもカタギの人間が入っていい店ではなかった。
「これ、留守の間の売り上げです」
「ありがとう、リアナちゃん」
それでも売り上げが上がるのは、先ほど言った知り合いの冒険者たちの厚意と、優秀な販売員の手腕によるところが大きい。
以前にアルフェが引き取った姉弟の内、姉のリアナは複雑な家庭で育ったせいか、まだ十という歳の割りに大人びていた。働かずに養ってもらうのは忍びないと言うので、アルフェは自分で開いた店の店長にリアナを据えたが、彼女はアルフェがするよりも、よっぽど立派に店番をしてくれている。
リアナはアルフェが持ち帰る奇妙な品の数々を、文句も言わずに売りさばく。
そう、不思議なことに、リアナが店番をしていると、なぜかその手の奇妙な品々が売れるのだ。呪われた武器からスケルトンの頭蓋骨まで、リアナの手にかかれば買い手がついた。非常に特異な販売技術だ。
そんなものだから、アルフェはますます調子に乗って、採取地に行き、とりあえず珍しいものを拾ってくれば、リアナが何とかしてくれると考えているふしすらある。
だから客足が伸びないとは言っても、アルフェは概ね現状に満足していた。商品は皆、アルフェが脚で仕入れて来た物だから、元値は無料だ。これで十分、アルフェたち三人は暮らしていける。
しかしただ一つ、アルフェにとって、困ったといえば困ったことがあった。
「アルフェさん、この……触手? はどこに置きますか?」
アルフェさん。リアナは最近、アルフェのことをそう呼ぼうとするのだ。
――「さん」だなんて、そんなよそよそしい……。
初めて会った時のリアナは、アルフェの事をお姉ちゃんお姉ちゃんと呼んで頼ってくれた。弟妹を持たなかったアルフェにとって、それはたいそう嬉しかった。
だが気がつくとリアナは、アルフェのことをさん付けで呼ぶようになってしまったのだ。
――やっぱり、支配人と店長という関係が良くなかったのでしょうか……。
アルフェは別に、恩を着せるためにリアナをこの店の店長に任命したつもりはない。しかし真面目なリアナにとっては、支配人と店長の上下関係のけじめをつけるという意味で、かしこまった物言いになるのは当たり前なのかもしれない。
それに、これでもいくらかマシになったのだ。最初、リアナはアルフェのことを「アルフェ様」と呼ぼうとしたのだから。
故郷の城にいた時は、それこそあらゆる人間から、もっとずっと敬った呼び方をされていたアルフェだが、そんなものはリアナにも、この町の他の誰にも求めたくはなかった。様付けなど、他人行儀にもほどがある。やはりリアナとは、家族のような、姉妹のような関係を築いていきたいと思うアルフェだった。
「アルフェさん?」
「……リアナちゃん、その『アルフェさん』というのは止めてくれませんか?」
「えっ。……私、何か間違ったことをしたでしょうか?」
青ざめた顔をして、上目遣いになったリアナが聞く。
「ち、違いますよ。怒ってませんよ。――その丁寧な言葉遣いもね。無理する必要は無いんです。私はリアナちゃんと、もっと――、仲良くなれたらいいなって思ってるんです。『お姉ちゃん』って呼んでくれてもいいんですよ?」
「え…………、じゃあ、……お姉様、とかなら」
それもちょっと違う。しかも、どうしてリアナはもじもじと顔を赤らめているのか。アルフェは頭を押さえてため息をついた。
「まあ、それは放っておいていいんじゃないか?」
「そうですか? 私はもっと、リアナちゃんと親密になりたいのですが…」
「十分に親密だと思うけどな」
アルフェにそのことを相談されたマキアスが、茶を飲みながら感想を述べる。そう、テオドールとマキアスの青年騎士二人は、今日もアルフェの店で茶を飲んでいる。ここは決して喫茶店ではないのにだ。
いや、テオドールは違うとアルフェは言いたい。彼は任務で必要な薬草や何やらを、できるだけこの店で買い求め、店の売り上げに貢献してくれている。彼は素晴らしいお客様だ。
しかしマキアスの方は、茶を飲んだり、リオンと遊んだり、この店で時間を潰すだけ潰した後、何も買わずに帰っていく。今日こそは何かを売り付けなければ。そう思っていたアルフェは、とっておきの商品を取り出した。
「それはともかくマキアスさん、今日は何か買いませんか? このソードスパイダーの脚なんかお勧めですよ?」
「それを買って、何に使うんだよ」
「今使っている剣の代わりにしたらどうでしょうか? 切れ味抜群です。金貨一枚におまけしておきます」
「嫌だよ。虫の脚で戦う聖騎士って何なんだよ。あと高ぇよ……」
「個性があっていいと思いますけど」
勘弁してくれとマキアスがつぶやいている。やはり今日も何も買う気が無いようだ。
「アルフェさん、この商品、明らかに呪われていると思うんだが」
別の方向から、売り物の棚を見ていたテオドールが、紫色の刃をしたナイフをつまみ上げて声をかけてくる。それを聞いて、アルフェは小首をかしげた。
「仕入れ先が悪いのでしょうか」
武器防具の主な仕入れ先は、沼地のスケルトンだ。ごくたまに強いのが混じっていて、このような装備を持っていることがある。
「呪いの武器なんて売ってんじゃねぇよ」
「大丈夫です。『呪いの武器を売ってはいけない』という法は、この町には存在しません」
「そういう問題なのかな……」
売れればいいのだ。アルフェは気にしないが、確かに二人の指摘には参考にすべき部分もあった。
それは呪いの武器を好んで買う人間が、意外と少ないという致命的な問題である。リアナが売り子としていかに優秀とはいえ、仕入れ先の新規開拓は続けるべきだった。
「それはそうと、今日はお二人とも、物々しい格好ですね。何かあったのですか?」
彼らもお茶を飲みに来るときは、たいてい剣だけを帯びた平服姿だ。しかし今日は二人して、騎士の鎧を身につけている。
「ああ、冒険者組合に寄ってきた帰りでね。最近、町の近くに盗賊が出没しているそうで、マキアスとその警戒を手伝っているんだよ。……あれ? このナイフ、手から離れないんだが。アルフェさん?」
「盗賊ですか。物騒ですね」
「市壁の北だから、結界の内側なんだけどな。モンスターが出なくても、人間が人間を襲うって言うんだから、やりきれない話さ」
マキアスがやれやれと首を振る。
「その盗賊は手強いのですか?」
「ああ、傭兵崩れだって話だ。領邦の正規軍も手こずっているらしい」
「かなり良い装備をしているそうだよ。……それはそうとこのナイフ、取ってくれないかアルフェさん」
――良い装備?
アルフェはそこで、いいことをひらめいた。
ベルダンの北側には、結界の外になる南側と比べると、遥かにのどかな風景が広がっている。
都市の北側一帯は、市民の食を支える穀倉地帯だ。今の季節は、収穫後の畑一面に、小さな黄色い花をつける草が植えられ、絨毯のように広がっていた。所々で家畜の群れが動き回り、それを世話する農民の姿が見える。
魔物の心配のない、結界の内側だからこその穏やかな光景だろう。ゴブリンの住む魔の森、アンデッドが徘徊する死者の沼地。そのように荒涼とした空気が漂う南側とは、全くの別世界だ。
アルフェは、北門から市壁の外に出るのは初めてだったので、この南北の違いに少なからず驚いていた。ここには結界の外を歩く時の、あの張り詰めた空気が無い。時たま彼女とすれ違い、都市の方に向かう旅人も、どことなく呑気な顔をしている。
「すぅ――……はぁ」
少し立ち止まったアルフェは、両手を広げ、無意味に深呼吸などをしてみる。こういうのんびりとした旅も、悪くない。
ベルダンの北に延びる街道は、最終的には帝都まで繋がっている。町から出てしばらくの間は、石畳の整備された広々とした道が続いているので、足元も快適だった。
――良い装備をした、街道の盗賊……。
しかし、彼女の中で展開されている思考は、のどかな光景には相応しくないかもしれない。
要するに、アルフェは街道に出没する盗賊を締め上げて、武器や防具を奪おうと考えているのだ。頼めば騎士二人は付いてきてくれたかもしれないが、彼女は一人で町を出た。その理由はというと。
――私一人だけなら、盗賊も襲いやすいですよね!
魔物以外と戦うのは初めてのはずだが、それを恐れる様子は、彼女には全く見受けられなかった。
自分の力を、人間相手に振るえばどうなるのか。それを彼女は、本当に理解しているのだろうか。