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白銀のヘカトンケイル  作者: 北十五条東一丁目
第一章 第三節
20/289

20.酒は飲むとも飲まるるな

「あ~あ。しばらく虫は勘弁だな」


 洞窟の外に出ると、マキアスが背伸びをしながらそう言った。閉鎖的な洞窟から開放されて、皆がほっとした雰囲気を出している。


「まあ、何はともあれ女の子が無事だったんだ。これ以上の成果は無いさ。そうだろ?」

「そうなんだけどな。見せ場は全部アルフェに盗られた気がするよ。これは俺たちの騎士としての面子に関わるんじゃないか? テオドール」

「ははは、そうかもな」


 テオドールは苦笑する。マキアスがこんな軽口を叩けるのも、ひとえに全員が無事だったからだ。


「あの、すみません。本当にもう大丈夫ですから。さすがにこれ以上は悪いです」


 アルフェはまだテオドールの背に負われていた。しかし、そろそろ彼女の顔色も平常に戻ってきたようだ。テオドールは仕方ないなと言いながら、アルフェを地面に降ろした。

 地面に立つ時、アルフェは少しだけ足下が定まらない様子だったが、やがて元通りに歩き出した。


「ふう、ありがとうございます。……だいぶ時間が経ってしまったでしょうか?」


 自分の記憶がどの程度飛んでいるのか分からない。アルフェはそう尋ねた。


「いや、それほどでもないさ。まだ暗くなるような時間じゃないだろう。急げば、日が沈む前に十分町に戻れるよ」

「そうですか。リアナちゃんを、早くお家に帰してあげないと」

「ああ、帰ろうぜ。まだ安全地帯に来たわけじゃないしな。油断しないようにしないと」


 マキアスの言う通りである。ジャイアントビートルの巣から抜けたとは言っても、ここは森のかなり奥地だ。どんな危険に遭遇するかわからない。一行は会話をしつつも、町の方角に向かって進んでいる。


「リアナちゃん、疲れているだろう。私が背負ってあげようか?」


 アルフェを下ろして身軽になったテオドールがリアナに声を掛けるが、リアナはぶんぶんと首を横に振る。アルフェが自分の足で歩き出してから、リアナはアルフェの手をずっと握りしめていた。

 テオドールの差し出した手を拒否したリアナは、アルフェの腰の辺りに無言でくっついてしまった。歩きながら、アルフェはリアナの頭をよしよしとなでている。


「嫌われたな、テオドール」

「……そ、そうなのだろうか」

「おいおい、真に受けるなよ」


 半ば本気でショックを受けているらしい友人に、からかったマキアスの方がフォローを入れる。すっかりアルフェになついた様子のリアナは、ちょっとやそっとでは彼女から引き剥がせそうになかった。


 時間の感覚は曖昧だったが、洞窟から十分に離れたと判断したところで、一行は長めの休憩を入れた。消耗した十歳児を引き連れて、一息に町まで戻ることは無理だったし、二日は何も口にしていないはずのリアナに、とりあえずの食事を取らせる必要があったからだ。


 食事を用意する担当は、行きと同じようにテオドールだった。アルフェがそのことに対して恐縮すると、マキアスが笑った。


「気にしなくていいのさ。料理はこいつの趣味なんだ。あんまり上手くないけどな」

「言ってろマキアス。さあリアナちゃん、アルフェさん、どうぞ」


 とは言っても、メニューも行きと同じ穀物粥だ。例によってマキアスはまたこれかと愚痴っていたが、限界まで空腹だったリアナには、重たい食事よりもずっと適切だっただろう。


「……ありがとう、ございました。ごちそうさまでした」


 無言で粥を掻き込んだリアナは、食事が済むと利口らしく礼を言った。お粗末様と微笑んで、女の子から椀を受け取るテオドールを横目に、マキアスが包帯を手にアルフェに話しかけた。


「アルフェ、傷を見せてみろ」

「あ、いえ、もう大丈夫です」

「大丈夫なわけないだろうが。ほら……。何と戦ったんだ。酷い傷じゃないか」


 彼が言うとおり、四人の中ではアルフェの怪我が最も酷い。特に痛々しく見えるのは、やけどのように赤く腫れた右腕だ。加えて若干右脚をかばうような歩き方もしていた。もしかしたら、骨に異常があるのかもしれない。


「スライムとか……、色々です」

「スライム……? 酸にやられたのか。……触るぞ」


 マキアスが、左手でアルフェの右手を取る。青年の手つきは慎重だったが、肌が触れた瞬間、アルフェの手は熱い物に触れたようにびくりと動き、痛みに眉をひそめるのが分かった。

 己の右拳を額の前に持って行ったマキアスは、両目を閉じて小声で何かつぶやいている。


「……これで少し、マシになっただろ?」

「……今のは?」


 マキアスの握り拳から淡い光の滴がこぼれ、アルフェの赤く焼けた肌に降り注いだ。それを浴びると、彼女の腕の腫れは目に見えて引いたのだ。


「治癒術だよ。ちょっと自信があるんだ。……家系でね」


 それでもまだ少し赤みを帯びているアルフェの右腕を、マキアスは包帯で器用に包んでいく。その手際が、これまで見せていた彼の少し乱暴な物言いとかけ離れていたので、アルフェは面食らってしまった。


「あ、ありがとうございます」

「どういたしまして」


 休憩が終わると、四人は再び帰還の途についた。賑やかなお喋りというほどでなくとも、ぽつぽつと世間話などもしながら。



 しかし、それを油断と言うのだろうか。弛緩していた空気は、先頭を歩いていたマキアスの声で一度に張り詰めた。


「しっ……! 皆喋るな。……何か、嫌な感じがしないか?」


 手振りで他の三人に止まるように指示しつつ、マキアスがそう言った。

 全員の表情が緊張に強張る。


「……そういえば、静かですね。――静かすぎます」

「……鳥の声が聞こえない。虫の声も。……何か居るのか?」


 アルフェとテオドールの言葉通り、気がついてみると森の中が妙に静かだ。静寂に溢れているとは言っても、普段は様々な生き物の気配がするはずなのに、今はそれが無い。声をひそめ、三人は周囲の気配を探った。


「……まずい」


 そう呻いたマキアスのこめかみに、一筋の汗が浮いている。


「何かでかいのが居るぞ……。森の魔力が濃すぎてわからないが、相当ヤバい奴だ」

「……そうだな。まったく今日は厄日だな。見つかる前に、ここを離れないと」

「……魔物ですか?」

「いや、少なくとも普通の魔物ではありません。行きましょう」


 二人は聖騎士だ。魔物を感知する力はアルフェよりも優れているが、それほどに邪悪な気配がするというのか。時間が経過するにつれ、二人の額に浮かぶ汗は段々とその量を増やしている。


「走ろう。少しでも町に近づく」


 歩いていては振り切れないと判断したのだろう。テオドールがそう言った。彼はリアナを腕に抱えると、他の二人を促して走り始めた。


「――おい、テオドール! 近づいて来てるぞ!」

「ああ、分かっている! 急げ!」


 しばらくすると、地響きと木をなぎ倒すような音が響いてきた。ここまでくればアルフェにも分かる。後方から何か、恐ろしいものが近づいている。


「引き離せません!」

「クソッ! 完璧に目を付けられてる!」

「変異種か、固有種だ! それも特級の! 今の我々では手が出ないぞ!」

「何でそんなのがここに!?」


 追いつかれる前に結界の中にたどり着くしかない。彼らは力の限り走った。しかし彼らと後ろから迫る何かとの距離は、着実に縮められていく。


 そして四人が森の中の開けた草地に出たとき、それは現れた。


 巨大な狼だ。いや、狼と言っていいのか。図鑑でならアルフェも狼を見たことがある。それも大変危険な動物だと書いてあったが、こんなに巨大なはずはない。狼が魔物となったワーグ《魔狼》ですら、せいぜいで人間ほどの大きさのはずだ。


 その口は、人間をたやすく飲み込めそうなほど大きい。そこからは、歪にねじけた牙が何十本も生えている。大木を引き倒しながら進んできた、異常に筋肉の発達した前脚。四つある瞳に、瘴気をまとった漆黒の毛皮。その全てが、それが尋常な生き物でないことを告げていた。


 ――この魔獣には、勝てない。


 三人は一瞬で理解した。勝つ負けるの話ですらない。人間がこれを、どうにかすることなど出来ない。これは森の悪魔か、あるいは神の一種ではないだろうか。そう思わせるほどの迫力があった。

 しかし、これが神であるはずはない。立ちすくむ人間たちに吹き付ける恐ろしいほどの悪意が、そのことを知らせている。


「……これは、だめだな」


 マキアスが、諦めたようにつぶやく。その手は凍えたように震えている。だが、それでも彼は、その足を踏みしめて剣を抜いた。


「テオドール! アルフェたちを連れて逃げろ! 俺がここで、あいつの注意をそらす!」

「え!?」

「馬鹿を言うなマキアス!」


 決意した表情のマキアスの言葉に、アルフェとテオドールが血相を変える。


「止めるな!」

「止めるものか! ――私も一緒だ!」


 テオドールは叫ぶと、剣を抜いてマキアスに並んだ。彼が腕に抱えていたリアナは、地面に下ろされるとアルフェの元に走り寄った。


「アルフェさん、すまないが、リアナちゃんを連れて二人で逃げてくれ」

「そんな――!」


 二人の騎士は気丈に振舞って見えるが、体の震えは隠しようが無い。鳴りそうになる歯を、必死でこらえているのが分かる。アルフェ自身も二人と共に戦うべきだと思ったが、まともに戦えるだけの魔力は、彼女の身体には全く戻っていない。


 魔獣は品定めをするように、そんな彼らのやり取りを見ていた。


「お前を守ることも、俺の役目なんだがなぁ……」

「お守りは要らないさ、マキアス」

「……言っても聞かないか。……そうだな、そういう奴だ、お前は。――そういうことだ。アルフェ、お前達は逃げろ!」


 アルフェの思いを余所に、騎士二人は納得し合った様子で魔獣を見据える。それを見て、アルフェは叫んだ。


「だめです! 私だけ逃げられません! どうして私だけ!」

「さっき言ったじゃないか。騎士の面子って奴だよ。――リアナちゃんだっているんだ。頼むからさ。逃げてくれよ」


 懇願するマキアスの口調に、アルフェは自分にしがみつく少女を思い出した。その眼はすがるように、アルフェをじっと見つめている。

 二人の騎士を犠牲にすれば、生き延びられるかもしれない。いや、このリアナさえも見殺しにすれば、アルフェだけは確実に――


 ――逃げる……。逃げる?


 そう、生き延びるために逃げるのだ。そもそも彼女が冒険者になったのは何のためか。


 死にたくなかったからだ。


 死にたくないから逃げる。全てを捨てて、故郷の城から逃げた時も同じだったはずではないか。だから今も逃げるべきだ。そこに何の問題があるだろうか。


 ――違うッ!


 アルフェは強く否定した。

 自分は何のために、戦う力を身に着けたのか。

 抗うためだ。理不尽な運命に抗って、己の人生を生きるためだ。決して、逃げるためではない。


「違うッ!!」


 心に芽生えた恐怖を振り払うため、彼女はもう一度、声の限りに叫ぶ。黒い魔獣に向けて剣を構えていた青年二人が、驚いて彼女を振り向いた。


「私も戦います!」

「――馬鹿な! 君は戦えるような状態じゃない!」

「強情を張るな! リアナまで死なせるつもりか!」


 自分にしがみついていたそのリアナを、肩をつかんでアルフェは引き剥がした。澄んだ碧い瞳が、リアナの眼を貫く。


「リアナちゃん、私たちが食い止めます! あなたは走りなさい! 自分の力で、家に帰りなさい!」

「――なっ」


 気圧されたテオドールが絶句する。


「まだ私は戦えます! 冒険者なのですから! 最期まで戦います!」


 アルフェは二人の青年の前に出ようとする。顔を上げて魔獣をにらみつけ、彼女はもう一度、自分の中に残された魔力をかき集め始めた。


 ――魔力を集めれば……。私の中の魔力を、森の中の魔力を、もっと集めれば……!


 それを見て、悦んだ魔獣は天に向かって咆吼した。木々の枝葉とそこにいた四人に衝撃が伝わる。しかし二人の青年の眼は、既に魔獣の方には引きつけられていなかった。


「何だこりゃ……! 何をする気だアルフェ! テオ、まずいぞ!」

「アルフェさん! やめるんだ!」


 彼女のどこにこんな力が残っていたのか。森のマナが、アルフェに向かって収束している。それ以上に、彼女自身の中から恐るべき魔力が吹き出ている。

 魔獣に匹敵するほどの魔力の胎動が、アルフェの中でこだまする。それに圧倒され、青年たちは叫んだ。


 体内の魔力が尽きれば、人は死ぬ。


 あれは、コンラッドが言った言葉だったか。――それでもいい。流されて死ぬよりは、抗って、戦って死んだ方がずっとましだ。


 彼女は城から解放されたあの日、そう決めた。


 集まった魔力が凝縮していく。一個の生命に宿るとは信じられないほどの魔力が、辺りの空気すら震わせる。


 ――私の前に、立ちはだかるなら。


 二人の青年の声も、もはや彼女の耳には届かない。


 ――死ぬのは、お前だ……!


 魔力と共に、凶暴な気持ちがアルフェの中からあふれ出す。牙をむきだして、アルフェは血走った目を魔獣に向けた。――これを放って、たとえ自分が死んだとしても、必ずお前を道連れにすると。

 そして彼女は、うなりを上げる魔獣の前に、また一歩足を踏み出した。





「――そこまでだ。馬鹿弟子」


 その時だ。天から低い、落ち着いた声が降ってきた。


「は?」「なっ」「え?」


 突然の出来事に、アルフェを除く三人が上空を見やる。そこには、はるか高い枝の上に、マントをはためかせた人影が立っていた。


「とうっ!」


 人影は華麗に跳躍すると、回転しながら音もなく地面に降り立つ。その正体はアルフェの師匠――コンラッドだ。


 ――な、何者だ!?


 テオドールとマキアスは心の中で同時に叫んだが、当然彼らがコンラッドのことを知るはずがない。

 コンラッドはアルフェと魔獣の間に立つと、腕を組んで弟子の姿を見下ろした。


「未熟者め……。そんな後先考えないことをして、自分がどうなるか分かっとるのか。大体お前は――。……おい。……おい! 聞いとるのか!」


 しかしアルフェは歩みを止めない。今にも暴発しそうな魔力を抱えながら、その眼は魔獣の方だけを見ている。


「――全く、世話の焼ける弟子だ」


 穏やかな声でそうつぶやいたコンラッドは、平手で軽く、アルフェの頬を打った。


「――あっ」


 パンと乾いた音がした。

 それだけで、貯えられていた膨大な魔力が霧散していく。アルフェの目が初めて、己の前に立っている人の顔に気付いた。


「……し、しょう?」


 その言葉を残して、少女は糸が切れたように草地に倒れこもうとして――、それをコンラッドが抱き留めた。


「……本当に、馬鹿な娘だ。鍛錬以外では、そう無茶をするなと言ってあるのに……。ここまですることもないだろうが」


 コンラッドは、ゆっくりとアルフェを地面に横たえる。乱暴に見える言葉遣いの影に、彼なりの優しさがこもっていた。

 背を向け、しゃがみ込んだまま動こうとしないコンラッドに、魔獣が吠えかかる。森の木々だけでなく、岩々までも砕けるような、凄まじい魔力の籠ったハウリングが響く。それが収まると、巨大な魔獣は鋭い牙をむき出しにして、コンラッドに食らいついてきた。


「うるさい」


 後ろも見ずにコンラッドが繰り出した裏拳が、魔獣の鼻っ柱に命中する。それだけで魔獣の巨体は浮き上がり、木々を薙ぎ倒しながら吹き飛んだ。

 その有様を見ていたテオドール、マキアス、リアナの三人には、一言も出せる言葉がなかった。


「こいつが起きるだろうが」


 コンラッドはマントを外し、ふわりとアルフェの身体にかける。そして立ち上がった彼の全身からは、凄まじいまでの闘気が噴き出していた。


「……ワン公」


 平素と変わらない表情に見えるが、彼の眼光はいつもよりもはるかに鋭い。声にすら殺気が籠っているようで、それを聞いたテオドールとマキアスは、思わずびくりと体を震わせた。


「よくも、俺の弟子に手を出してくれたな……。代わりに俺が、武神流総師範のコンラッドが相手をしてやる。――光栄に思え」



 勝負は一瞬でついた。


 起き上がった魔獣が、再びコンラッドに襲い掛かった。その牙は鋭く、人間など容易にすりつぶしてしまう様に思えた。

 しかしコンラッドは、それを片手で事も無げに受け止める。人間にしては大柄だが、魔獣から見れば余りにも小さなその身体が、微動だにしない。


「――憤!」


 それどころか、コンラッドはその牙を掴んだまま、黒い魔獣を横倒しに引き倒したのだ。魔獣の首から、骨のきしむ嫌な音がした。

 そして痛苦の声を上げる魔物の眉間に、コンラッドが軽い突きを打ち込む。そのただの一発で、魔獣の頭部は爆散した。


「――ふん。無駄な殺生は好まんが……。俺の弟子に、手を出した報いだ」


 最後にコンラッドはそう言い放った。

 こうして、その日アルフェたちに降りかかった困難は、全て退けられたのだ。





「リオンが、弟がっ……、お腹が空いたってっ。だからわたし、お金を、かせがなきゃってっ」


 リアナが泣きじゃくっている。ここはベルダンの町の冒険者組合だ。一行はようやく町に帰ってきた。冒険者組合の職員たちが、リアナに今回の事情を聞いていたところ、このようなことになっている。


「ごめんなさい……! 勝手に森に行ってごめんなさい……!」


 この幼い少女が謝る必要が、どこにあるのだろうか。テオドールとマキアスは、リアナの謝罪の言葉を聞きながら、憤りと哀しみの入り混じった複雑な表情をしている。町に帰ってきてから目覚めたアルフェは、ずっとリアナの背中を抱いていた。

 コンラッドは寝ていたアルフェを抱えて一緒に帰ってきたはずなのだが、彼はいつの間にか、ふらりとどこかに消えてしまった。


「お前たちが出て行ってから、組合のほうでも色々と、細かい事情を調べて見たが……」


 組合のタルボットが口を開いた。彼はリアナの耳に入らないように、小声で二人の騎士に告げる。


「どうもこの子の家庭は、あまりよくないな。母親が出て行ってから、親父はずっと酒びたりだそうだ。実際その子が、給仕やら何やらで働きに出て、どうにか家族を養ってたんだ。近所のオバちゃんたちがそう言っていた」


 タルボットのいかつい顔も非常に苦しげだ。


「少なくない借金もあるそうだ。……ひでぇ話なのはな、そんなこの娘を、親父はよくぶん殴っていたらしい」

「……」


 一同に声は無い。だが、考えているのは同じようなことだろう。


「それだけじゃねぇ。一度は人買いに、弟の方を売り飛ばそうとした。この娘が、必死にそれを止めたんだと」

「……胸くその悪い話だ。その親父は真性のゴミ野郎だな」


 マキアスが吐き捨てる。

 男たちの顔は一様に暗い。そのような事情を抱えているというのに、情けないが、自分たちはこの娘に何もしてやれない。

 このまま貧に追い詰められれば、彼女はまた、森の中に入らざるを得なくなるだろう。それは自明の理と言えた。


 沈黙がその場を支配する。

 しばらく経った後、リアナをなだめていたアルフェが、急にすくりと立ち上がった。


「行きましょう」

「……? どこに行くつもりだい?」


 アルフェの言葉の意味が分からなかったテオドールが尋ねた。


「決まっています」


 その問いかけに、当然という顔でアルフェが答えた。


「その『ゴミ野郎』を、ぶっ飛ばしに行くのです」



「畜生……、何で俺がこんな……」


 世の中に対する不満をぶちまけながら、男は髪をかきむしり、酒をあおる。

 彼は今日も酔っていた。家の隅で、子供が震えて泣いている。酔った頭にがんがん響くので、また殴りつけてやろうと思ったが、面倒なのでそれもやめた。彼は再び酒瓶に口をつける。


「……ちっ、切れたか。おい! おぉい! 酒買って来い!」


 子供の泣き声よりも、酒が切れたということの方が男にとっては重要事態だ。男はいつものように、己の娘に酒を買ってくるよう命じる。しかし、返事は無い。


「……? あいつはどこぉ行ったんだぁ?」


 そう言えば、何日か前から娘の姿を見ていない気がする。困った。これでは酒が飲めないではないか。仕方ない、隅で泣いているガキに買いに行かせるか。男がそう思った時、家の扉が勢いよく開かれた。


「お邪魔します」


 入ってきたのは若い女だ。男の酔いが一瞬覚めるほどの美形だが、いかんせん若すぎる。その女はお邪魔しますと言いながら、悪いとは全く思っていない様子で家の中にずんずんと踏み込んできた。さらにその後ろから、どやどやと男たちも入って来たような気がしたが、酒で朦朧とした彼の頭では良く分からなかった。


「なんだぁ? てめぇ」

「あなたの娘さんと、息子さんを引き取りに参りました。渡していただきます」


 その女は、偉そうな口調でいきなり言った。彼は呆気にとられたが、それにも構わず女は続けた。


「あなたのようなゴミ野郎に、あの子たちの父親である資格はありません。――恥を知りなさい」

「……はぁ?」


 なんだこいつは。いきなり現れた小娘に、なぜこのように罵倒されなければならないのだ。男の頭から、酔いが引いていく。


「おめえ、その物言い……、どっかいいとこのお嬢サマか? これはこれはようこそおいでに――、へっ。ガキが人の家に、口出しすんじゃねぇ!」


 酒瓶を片手に、男はすごんで立ち上がった。しかし娘はひるむ様子も無く、まっすぐ彼をにらみつけている。

 本当に何なんだこの女は。彼は無性に腹が立ってきた。おもむろに酒瓶を振り上げると、彼は少女の綺麗な顔に勢いよく振り下ろした。



 ダメ親父は、アルフェのカウンター一発で沈んだ。マキアスとテオドールは、やれやれといった様子でそれを眺め、ついて来た組合の職員たちは、ただぽかんと口を開けている。

 魔物を屠るアルフェの拳だが、きっと手加減してやったのだろう。マキアスはそう思った。親父はテーブルに突っ込んでのびているが、死んではいない。


 だが、さっきアルフェが子どもたちを引き取ると言っていたのは、本気なのだろうか。


 アルフェは親父に指を突きつけて、何か言っている。どう見たって完全に気絶しているのだ。聞こえる訳がないだろうに。


「あなたが立派に立ち直ったら、娘さんたちはお返しします……。この私が、いつでも受けて立ちましょう」


 何を受けて立つというのだ。果し合いでも挑めというのか。


 ――俺があの親父なら、おまえと殴りあうのは絶対に御免だけどな。


 マキアスはアルフェを眺めながら、心の中でまたそんな失礼なことを思った。

 しかしそんな彼の目は、彼女をまぶしそうに眺めていた。

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