156.出会い、別れ
がらんどうの秘蹟の間を出て、アルフェたちは大聖堂の入り口に向かって歩いた。
夕刻までには、まだ間がある。しかし秋の日は短い上に、ここは結界外の森の中だ。いつまでも長々と話している時間は無かった。アルフェが先頭に立って歩き、従者クラウスはその後ろについている。さらにその背後には、グラムとフロイドが立って、クラウスの背中に目を光らせていた。
「あの男の動きが分かりましたら、アルフェ様にお知らせします」
大聖堂を出たところで、クラウスが言った。
日光の下で、アルフェは改めてクラウスの格好を観察した。彼は土埃で汚れた肌に、金属板で補強された冒険者風の肩当てや胸当てをしている。どちらもすり切れていて、長い旅をしてきたことがうかがえた。
「しかし、そうですね……、どうやって連絡を付けたものか……」
二人が連絡しようにも、その手段が無い。クラウスはそれを考えているようだ。
都合よく、遠く離れた人間同士が話せる魔術でもあればいい。実際、占星術の系統にそういったものがあると聞く。しかしそれはかなり高等で、固定された設備や様々な準備が必要な部類の高位魔術だった。
そう言えば、情報屋組合のゲートルードならどうだろうか。あの組織は、帝国内でも有数の情報網を有しているはずだ。アルフェは言った。
「町にいる情報屋に、私宛に手紙を預けて下さい。少し時間はかかるでしょうが、届くようにしておきます」
「情報屋……ですか」
クラウスの表情は、その単語とアルフェを結びつけるのに苦労しているようだ。彼にしてみれば、まだベルダンに居た頃のアルフェの残像が、抜けきらないのだろう。
「町の冒険者組合に行けば、そういう人間がいます」
「知っています。ですが……冒険者組合?」
「届きますから」
詳しい説明はせずに、アルフェはそうとだけ言った。既にこの男とは、「あなたがいなくなったあと大変だったんです。私は冒険者になったんですよ」とか、そんなのんきな話をするような間柄では無くなった。アルフェ自身も変わってしまった。ベルダンの家で、アルフェがこの男の帰りを待っていた時とは、何もかもが変わっている。
ゲートルードの伝手を使えば、普通の郵便屋を使うよりも、早く確実にクラウスからの手紙を受け取ることができるはずだ。差出人に居所を探られにくいというのも都合がいい。アルフェはまだ、この男を完全に信用してはいない。
「では、失礼します」
クラウスは、アルフェに向かって恭しく頭を下げた。そういう態度に、彼の「使用人らしさ」のようなものがにじみ出る。己はもうラトリアの臣ではないと彼は言ったが、骨身にしみた習慣というものは、中々消えるものではないらしい。
クラウスは、アルフェたちとは逆方向の、北門からこの廃都市に侵入したのだそうだ。荷物も何もかもそこに置いてあるというから、この聖堂前で、一旦別れようということになった。
――一旦……か。もう会えないということも有り得るけれど……。
ここまでクラウスが並べた情報が嘘八百で、再度この男が雲隠れするということも、アルフェは当然想像していた。だが、多分そうはならない。それはアルフェの勘だった。
「あなたはこれから、どこへ?」
アルフェがそう尋ねると、クラウスは少し考えてから答えた。
「一度ラトリアに、戻るかもしれません。……もしお会いすることができれば、大公妃様に、アルフェ様がご無事だということはお伝えします」
「……お願いします」
大公妃とは、アルフェの実の母である。不要だとは、さすがのアルフェも言わなかった。
「……アルフェ様、どうか、ご無事で」
「……ええ、あなたも」
最後に行われたこのやり取りは、双方ともに、かなり迷った挙句に口にした。
クラウスは、徒歩でアルフェたちから遠ざかっていく。追いかけるべきか、彼の姿が見えなくなるまで、アルフェは迷った。
「……行かせて良かったのか?」
クラウスが見えなくなってから数分して、それでも彼が去った方向を見つめていたアルフェに、フロイドが声をかけた。
「構いません」
冷たい口調で言ったこの台詞は、本気だったのだろうか、それとも強がりだったのだろうか。それはもはや、アルフェ自身にも判別が付いていなかった。
敢えて尊大な口調で、冷ややかな目をして物を言う。この二年で、そういった強がりというものに、少女は随分と慣れてしまった。
「この聖堂には何もありませんでしたが、収穫は大きかったです。……二人も、今回はありがとうございました」
アルフェの礼は、ネレイアとグラムに向けられていた。
「ううん。逆に足を引っ張ったみたいでごめんなさい」
ネレイアに言われて、アルフェはクラウスが彼女を人質に取った時、そのまま彼女を見捨ててしまおうかと考えた事を思い出した。恐縮そうな顔をするネレイアに、若干の後ろめたさを感じながら、アルフェは答えた。
「いえ、ネレイアさんがいなければ、これ程簡単にはいかなかったと思います。グラムも、本当にありがとう」
「私もまだ、借りを返し切れていない、という気がしますが」
ネレイアとグラムの二人は、アルフェが許せば、まだ彼女について行きたそうな表情をしている。
実際、アルフェが頼めば、二人は喜んで彼女に協力しただろう。
「もう十分です」
しかしアルフェは首を振った。
この二人には、帰る場所がある。たとえ誰も待っていなくても、帰りたいと思う場所が。
それを奪ってはいけない。
「十分返してもらいましたから」
そしてそれ以上に、アルフェはこれ以上、誰かと心を近づける事を恐れていた。
死んでしまったコンラッドのように、裏切られたリグスのように、そしてアルフェが引き取って置き去りにした幼い姉弟や、アルフェを追ってきたのに突き放したあの騎士のように。近づき過ぎれば、いずれまた傷つくしかない。
だから――
「これは一時的なパーティーですから。ですから、今回限りでお別れです」
二人と眼を合わせないで、アルフェは言った。
素っ気ないアルフェの言葉の調子に、彼らは何を思ったのだろう。ネレイアは、そうねと寂しそうに笑って、グラムは無言で頷いた。
廃都市の城壁外に出ると、アルフェたちは荷物を回収し、再び馬車で移動した。
御者台にいるフロイドを除いても、荷台にはアルフェとネレイア、グラムの三人が、荷物の隙間で身を寄せ合うようにして乗っている。彼らの距離は、つま先が触れるほどに近い。だがアルフェは行きと同じように、眠ったふりをしたままほとんど喋らなかった。
まずはグラムをオークの集落跡に帰し、それからバルトムンクまで、ネレイアを送り届ける。そしたらもう、どこかここではない別の領邦に移ろう。これからのことについて、アルフェはそう決めていた。
仇の情報を手に入れる当てができたのだ。あとはアルフェが強くなれば、全てが解決する。導いてくれる人はもういない。それでも、いや、だからこそ強くならなければならない。
そうすれば、今回のように誰かの手を借りることもなくなるはずだ。
「ネレイア、お前は国までどうやって帰るつもりだ?」
「そうね。一度帝都まで川を下って……、それから船で内海に出ようかしら。定期便は無いけど、織物を運ぶ商船が行き来しているはずだから」
「結界の外を移動してくれるなら、私が送り届けてもいいが」
「オークに冗談が言えるとは思わなかったよ、グラム」
「本気だ。オークは冗談を言わない」
「そうかい」
「ふふ、ありがたいけれど、遠慮しておくわね」
誰かのこういうたわいも無い会話が、とても愛しく、羨ましく感じられる。これも自分の弱さだと、アルフェは考えていた。
強くなれば、そう感じることは無いのだと。
「フロイド、アルフェちゃんをよろしくね。あまり危ないことをさせちゃダメよ?」
「俺が言って、このお姫様が聞くかよ」
「忠義を尽くし、主のために死ね、フロイド。それがオークの誇りだ」
「ふん、俺はオークじゃ無いんでね」
「冗談だ」
フロイドは、まだアルフェに付いてくるつもりのようである。
この男は……、別にいいかとアルフェは思った。帰るところも何も無い、アルフェと同じ、ただの人殺しの化け物だ。
死んだところで、誰も嘆かない。それもきっと、アルフェと同じだ。
「グラム、今度からオークを斬る時は、喋るオークじゃないか確認してからにしてやるよ」
「そうしてもらおう」
「あなたたち、あんまり騒ぐとアルフェちゃんが起きちゃうわ」
「また黙れって言われるか」
多分フロイドは、肩をすくめてそう言ったのだろう。和気あいあいとした笑いが、三人の間で起こった。
起きていますとアルフェが言えば、彼らは静かになるかもしれない。
でも、アルフェはそうしなかった。
今の自分は弱いから、それでも今は構わないから、もう少し、このたわいも無いお喋りを聞いていたいと、アルフェは思った。
◇
夜。
廃都市の大聖堂の周囲に、人影は無い。
黒い塊のようになった廃墟の陰や木々の間から、不気味な魔物の鳴き声が聞こえる。
大聖堂を根城にしていた魔獣が死に、その縄張りの中に、早速魔物たちが集まってきたのだ。
「……」
人影は無いと言ったが、よく見ると違う。大聖堂の前には、まるで陰に溶け込んだようになりながら、沈鬱な表情をした一人の青年が立っている。
「……何も無い。やはり、この聖堂にも……。……はるか昔に、居なくなった」
どれだけの時間立ち尽くしていたのか分からない。だがその青年――、ここでアルフェと別れたはずのクラウスは、決意したように足を踏み出すと、聖堂の中に入っていった。




