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白銀のヘカトンケイル  作者: 北十五条東一丁目
第一章 第三節
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16.鍾乳洞

 アルフェとテオドール、マキアスの三人組は、魔の森の探索を続けていた。

 森の奥に進むにつれて、周囲の木々はさらに巨大になってくる。それに伴い、大気に満ちるマナも徐々に濃厚になっていた。周縁部とは比べ物にならないほど、魔物の生息に適した環境というわけである。

 探索の中で、彼らは偶然一つの洞窟を発見した。あまり目立たない入り口で、気付かずに通り過ぎてもおかしくないようなものだった。それが見つけられたのは、洞窟の前に落ちていた白い布の切れ端のおかげだ。布の切れ端を発見したマキアスが、それをアルフェに見せた。


「なあアルフェ、これは何だと思う?」

「……エプロンの切れ端に見えます。リアナちゃんのものでしょうか」

「まさか、この洞窟に入っていったのか?」


 三人が洞窟の奥を覗き込む。かなり深い穴のようだ。入り口から全貌をうかがい知ることは出来ない。奥からは、なぜか不思議な淡い光が漏れている。

 他に当ては無かった。可能性があるのなら、確認しないわけには行かない。三人は洞穴の中に歩を進めた。


「この手の洞窟は天然のダンジョンだ。間違いなくモンスターが住み着いてる。油断するなよ」


 マキアスが注意を促す。外からは想像できないほど、洞窟の中には広々とした空間が広がっていた。辺りを流れる発光する水のおかげで、外の薄暗い森よりも明るいくらいだ。


「……早速来たようだぞ」


 敵の気配に気がついたテオドールが、剣を抜いて構えた。他の二人もそれに習い、戦闘態勢をとる。穴の奥からギチギチという音を鳴らして、直立する昆虫が現れた。その大きさはまちまちで、青年二人の背丈を超えるものから、アルフェよりも小さいものまでいる。


「ここは虫の棲家だったか。……厄介だな」


 ゴブリンやオークなどの亜人系の魔物と違い、昆虫系の魔物には高度な知性は備わっていない。彼らはただ本能にしたがって、自ら巣穴に侵入してきた食料たちを、肉団子に加工しようとしているだけだ。

 また一般に、甲虫型の魔物の甲殻は恐ろしく硬い。光沢のあるその外皮は、時に金属に代わって、武器防具に加工されることもあるほどだ。なまくらな剣ならば、はじき返してしまうほどの弾力と硬度を併せ持っている。


「でもこいつらなら……、訓練所時代に嫌というほど相手をしたろ?」

「ああ!」


 しかしテオドールとマキアスはうろたえない。二人は剣を水平に構えると、ジャイアントビートルの身体の節に目掛けて、すばやく突きを繰り出した。狙いを過たず、騎士の長剣が巨大な虫の頭と胸の間に突き刺さる。魔物は緑色の体液を噴出しながら仰向けに転がった。

 

「たいした生命力だな!」


 明らかな致命傷を負いながらも、ジャイアントビートルは、まだその腕をギチギチとせわしなく動かしている。

 マキアスが剣を振り下ろし、千切れかかっていた魔物の頭部をはねた。ビートルはそれでもまだしばらくもがいていたが、やがて動きを止めた。


 ジャイアントビートルは硬いが、脅威度は下の上といったところだ。いっぱしの冒険者ならば、十分対処できる範囲である。火に弱い上に、動きが鈍い。今のテオドールたちのように、甲殻を直接狙わなければ鋼の武器でもやりようはあった。


 だが、それは腕に覚えのある者に限っての話だ。リアナと呼ばれる少女がこの洞窟に入ったのならば、その身は非常な危険にさらされている。


「さあ、じゃんじゃん来たぜ……!」


 それに、敵は数匹と言うわけではない。ここは彼らの巣なのだから。死んだ同族の体液のにおいを嗅ぎつけ、洞窟の隙間から、何十匹ものジャイアントビートルが這い出てきた。


「さすがに数で押されるときついぞ……。手早く片付けていこう!」

「おう! 任せろ!」

「分かりました!」


 テオドールの号令で、三人はそれぞれ別方向の個体と戦闘に入った。

 テオドールとマキアスは、手慣れた様子で甲虫の関節部を攻撃し、順調に相手の数を減らしていく。しかしアルフェはというと、若干のやりづらさを感じていた。


 ――ちょっと、魔力を通しづらい感じですかね。


 ビートルの前脚による横薙ぎを、上体を反ら(スウェイバック)してかわしながらアルフェは思った。

 敵の動きは鈍いので、攻撃を当てること、避けること自体は苦ではない。だが目の前の巨大昆虫の外皮には、魔力はほとんど通らないようだ。コンラッドから学んだ武神流の基本術理が、魔力の相互干渉によるものである以上、魔力の通しづらい相手には、アルフェの掌打は効き目が薄い。それはスケルトンとの対戦で分かっていたことだ。今も何度か試したが、甲殻の上から魔力を通そうとしても、いまいち効いている様子ではなかった。


 甲殻を殴って破壊できなくもないと思うが、あの皮は打撃にも強そうだ。効率は悪いだろう。

 再び魔物が脚を振り回してくる。アルフェはひょいとそれを避けると、ちらりと横を見た。テオドールが、虫の甲殻の隙間に器用に剣を突き刺している。


 ――うん、あんな感じかな。


 一度ビートルから距離をとると、アルフェは右手を五指を伸ばした状態――貫き手に構えた。そこに魔力を行き渡らせ、硬体術で強度を上げる。


「せいッ!」


 そして彼女は、その手を昆虫の腹の節目に、剣と同じ要領で突き刺した。


 ――う……。思ったより気持ち悪い……。


 ずぶり、と音を立て、アルフェの右腕が肘の辺りまで昆虫の腹に飲み込まれる。魔物がギィィという苦しそうな悲鳴を上げた。引き抜いた手には、大量の緑色の体液が付着している。

 隣で見ていたマキアスが引きつった表情をしているのは、きっと気のせいではないだろう。


「これはちょっと、できればあまり繰り返したくないですね」


 目の前のビートルが倒れると、アルフェは素直な感想をもらした。


「普通はそんなことできねぇよ! 相変わらず、化け物みてぇな女だ!」


 長剣を振り回しながら、マキアスが失礼なことを言う。心外であるとアルフェは思った。化け物とはひどいではないか。最近は少し打ち解けてきたと思ったのに、相変わらず口の悪い青年である。


「なら、やり方を変えましょう」


 魔物の体液を振り払い、アルフェが構えを解いた。肩から力を抜き、トントンとその場で軽く飛び跳ねる。


 前回の冒険の後、アルフェは新しい装備を手に入れた。

 沼地で骸骨の戦士から奪った曲刀は、思ったよりも良いものだった。わずかだが、何らかの魔術が掛けられていたらしい。

 魔法の武器は、どんなに些細なものでも高級品だ。そのまま売って金にするという手もあったが、アルフェはそれを武具屋で下取りしてもらって、新しい防具をあつらえたのだ。


 アルフェが新しく手に入れたのは、銀色のグリーブ(脚甲)だ。すねから下を覆うこの具足には、やはりわずかに魔術が施されている。

 ほんの少しだけ防具の強度を向上し、軽量化させる魔術。ただそれだけの基本的なエンチャントだが、アルフェはコンラッドから学んだ新しい戦闘技術を活かすために、この防具を選択したのだ。


 魔力を整えたアルフェが、再び構えをとった。今度は脚に魔力を集中させる。


「せあァッ!」


 次の瞬間、左足を踏み込んだアルフェは、右脚を高く上げて、勢いをつけて魔物の側頭部に叩き込んだ。


 コンラッドの編み出した武神流は、拳から魔力を敵の体内に送り込み内部から破壊することを基本とするが、それで対処できない相手が現れた場合のために、物理的な破壊力を重視する技も存在する。それが今、アルフェの使用した蹴り技だ。

 アルフェが装備した鋼のグリーブは、防御面を考慮してというよりは、彼女の軽い体重を補い、この蹴りの威力を上げるためにあった。


 アルフェの上段蹴りを受けた巨大昆虫の頭部は、ぶちぃという音を立てて胴からちぎれ、ぐちゃりと壁にぶつかった。


「やっぱり化け物じゃねぇか……」


 マキアスが他のビートルを突き殺しながら、再度あきれたようにぼやく。

 その後も次々と、アルフェは魔物を蹴り倒していった。


「ふぅ。……どうでしたか? 実戦では初めて使う技でしたが……。自分では、結構上手くできたと思います」


 ジャイアントビートルの襲撃は三人を止められるものではなく、しばらくすると全ての個体が地に沈んだ。戦闘が一段落すると、アルフェは心なしか得意げな顔で他の二人に感想を求めた。


「どうって言われてもな。大したもんだとしか言えないな。……故郷の妹が、お前みたいにならねぇことを祈ってるぜ」


 マキアスは真顔で言ったが、少なくともほめられていない気がする。少女は不満げな表情をした。


「テオドールさんはどうでしたか?」

「えっ」


 初対面の時のテオドールは、年若いレディが魔物と殴りあうという事実を受け入れられず現実逃避していたが、今では色々と諦めたようだ。


「い、いや、すごいと思うよ。さすがアルフェさんだ」


 彼の笑みは若干引きつっている。それでもアルフェは満足そうに微笑んだ。


「ただ……、その、女性がそのように、あまり脚を上げて、攻撃するものではないと思うな。その……、色々と……、不安になってしまうから」


 しかしなぜだか、テオドールはしどろもどろになっている。

 少し考えて、言っている意味が分かった。確かにこのスカートは短くしすぎたかも知れない。この装備には、まだ改善の余地があるだろう。アルフェの顔は、久々に羞恥で赤くなった。



 ビートルの群れを駆逐し、一行は捜索を再開した。それからも幾度か魔物の群れに遭遇したが、彼らはほとんど無傷で通り抜けた。そうやって、一体どこまで続いているかも分からない長大な鍾乳洞の中を進む。だが、一向に行方不明の少女、リアナの痕跡は見つからない。


 ――このまま奥に進み続ける訳には……、どうする。


 既にテオドールの心には迷いが芽生えていた。できれば魔物の巣での野営は避けたい。日が沈むまでにはまだかなり時間があり、メンバーの余力も残っていたが、それでもパーティーのリーダーとして、どこかで引き返す決断をしなければならないだろうと。

 しかしまだ救いがあったのは、ここまでの道がほとんど一本道だったことだ。横穴もないことはなかったが、どれも人間が通れるとは思えないものばかりだった。


「――! ……聞こえたか? テオドール」


 もう引き返すべきか。引き返すべきだろう。テオドールが決断しかけた時、マキアスがそう言った。アルフェも耳にしたようで、その目を大きくしている。

 奥の方から聞こえた、わずかな音。あれは確かに人間の声だった。三人は一様に息を飲んだ。


「ああ。悲鳴……、だったように思う。やはりここに入っていたのか」


 救出対象は生きていた。だが、今の声が断末魔の悲鳴でないという保障はどこにあるのか。


「急ぎましょう。きっとまだ間に合います」


 しかし、今は悲観的になっている場合ではない。三人は洞窟の奥に向かって駆け出した。

 奥に行くほど、道が細くなってくる。狭い通路の天井に手を突きながら身をかがめる様にして進んだ後、三人の前に分かれ道が現れた。おあつらえ向きに、道は三方に分かれている。


「ちっ、ここで来たか……。どうするテオドール。どっちに行く」

「――時間が無い。賭けになるが、散開しよう。手分けして奥を捜索する」


 マキアスが指示を仰ぎ、テオドールが即断する。だが、その表情は非常に苦い。


「ここでか? もし強力な魔物がいたら、俺たちも二の舞になるぞ」

「……可能性はあるだろう。その時は迷わず引き返してくれ。奥の探索は二時間に限る。それまでには、必ずここに戻ってくる。繰り返すが、無理だけはしないでくれ。手に負えない魔物がいたら、引き返すんだ。……それで、どうだろうか」


 最後の方は絞り出すような声だった。テオドールの端正な顔の、眉間によった皺が深い。彼も自分の判断に自信が持てていないようだ。アルフェとマキアスは決然とした笑顔で、その決断を後押しした。


「分かりました。女の子の命には代えられません。……きっと見つけ出しましょう」

「一番引き返しそうにないのはお前だろ、テオドール。万が一の事があっても、この身に代えて、なんて思うなよ」

「……すまない、ありがとう二人とも。くれぐれも、皆無事で」


「ああ」「はい」


 三人の拳が中央で打ち合わされる。


「――行くぞ!」


 テオドールのそのかけ声を合図に、三人はそれぞれの道に駆け出していった。



 ――……お父さん、お母さん。


 洞窟の隅でうずくまり、リアナは昔を思い出している。幸せだった昔の事をだ。弟が生まれたばかりのころの、母が家を出て行く前の生活を。


 ――あの頃は、お父さんも優しかった。お酒を飲んで暴れたり、リアナを叩いたりしなかった。


 しかし、ある日突然、彼女の母はどこかに出て行った。それからだ、父が酒に逃げるようになったのは。

 酒を飲んだ時のリアナの父は、血走った眼でリアナをにらみつけた。父に殴られてついたあざが、彼女の身体のあちこちに残っている。


 どうしてこうなってしまったのだろう。自分が何をしたのだろう。何か悪いことをしてしまったのだろうか。神様は、悪い自分を見捨てたのだろうか。

 許して欲しい。神様、許して下さい。誰か許して下さい。せめて弟だけは、リオンだけは許して下さい。リアナは膝を抱える手に力をこめた。


 ――おかあさん。


 家にいたころの母は、寝る前によく、リアナにおとぎ話を聞かせてくれた。リアナが好きだったのは、高い塔に閉じ込められたお姫様を悪い魔物から救い出しにやってくる、白馬の王子様のお話だ。


 だが今は、王子様どころか誰も来ない。


 この洞窟の中に迷い込んでから、いったい何日経ったのか。しばらく何も食べていない。もう涙も出なくなってしまった。自分はきっと、このまま魔物の餌になってしまうのだろう。

 幼い少女の心は、壊れかけていた。


 その時、少女の身体に影がかかった。リアナがぴくりと身体を震わせる。


「……おとう、さん?」


 朦朧としていた彼女は、ついここにいるはずもない人間を呼ぶ。もしかして、父が自分を迎えに来てくれたのかと。哀れな少女が恐る恐る顔を上げると――


 そこにはひときわ大きな虫の化け物が、彼女を見下ろし立っていた。

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