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白銀のヘカトンケイル  作者: 北十五条東一丁目
第三章 第六節
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140.鼓動の答え

 豪華な寝室に、赤みがかった光が差し込んでいる。夕刻が近いようだ。

 ベッドボードには脱ぎ捨てられた部屋着がかかっていて、その隣には騎士服に着替えた少女が立っている。


「……よし」


 ロザリンデは小さく気合を入れた。

 彼女は魔術の施された籠手をはめて、異常がないかを確かめるように、何度か手を握ったり開いたりしている。

 これから戦いに臨む者特有の慎重さで、彼女は騎士服の上に防具を身につけていった。


 ――……さあ、行きましょうか。


 今日が例の地下闘技場での試合当日だ。

 気乗りがしない戦いでも、神殿騎士団のパラディンとして退く訳にはいかない。例え相手が、いつも通りに自分より数段弱くとも、全力をもって打ちのめし、勝利する。

 彼女にとって唾棄すべき父の教えだが、乳児の頃から徹底的にすり込まれたそれは、今もロザリンデの行動を支配していた。

 家宝のハルバードを持ち、準備が整うとロザリンデは部屋を出て鍵をかけた。カタリナは外で、ロザリンデの白馬を馬車につないでいるはずだ。


 ――カタリナさん……。


 カタリナと言えば、ロザリンデは前からカタリナに目を付けていた。

 目を付けていたといっても、“そういう意味”ではない。

 神殿騎士団には女性が少ない。後方支援要員の魔術士・治癒術士にはそれなりに女性がいるものの、ロザリンデのいるような前線に立って戦う部隊には、五十人に一人いるかどうかというところだ。

 同じ部隊に男がいることすら耐えられないロザリンデにとって、カタリナの自部隊への配置転換は以前からの希望だった。


 ――あの方の部下でなければ、とっくに……。


 カタリナやマキアスたちの所属する部隊が、第一団長でパラディン筆頭のヴァイスハイトの直下にあるものでなければ、無理に横やりを入れてでも、ロザリンデは自分の望みを通しただろう。

 しかし第一団長は、ロザリンデにとってすら数少ない“一目置ける”男性である。騎士団内の力関係から言っても、無理を言うことはできなかった。


 ――でも、この機会に仲良くなれたのですから……。


 いつか彼女の方から配置転換の願いを出させることもできるかもしれない。

 そう考えると、ロザリンデの足取りは少し軽くなる。赤絨毯が張られた大きな階段を下りて、彼女は宿のロビーに着いた。


「いってらっしゃいませ」


 ボーイの少年が、ロザリンデに向かって丁寧にお辞儀をする。十二、三歳の、まだ幼さの残る少年だ。

 ロザリンデは、岩の下でうごめく気味の悪い虫を見たかのような視線を向けて、その場を通り過ぎた。


「ロザリンデ様、よろしいですか?」

「はい、お願いします」


 ロザリンデが馬車に乗り込むと、御者台のカタリナが声をかけた。それに対して返事をすると、ゆっくりと馬車が動き出す。

 つながれている馬はロザリンデの持ち馬だが、馬車は宿の所有物である。今日は騎乗でなく馬車だ。前回は武装したまま馬に乗って闘技場を訪れたから、嫌な視線をたくさん集めてしまった。その反省を活かしたのだ。

 馬車が目的地に着くまでは少し時間がある。その間、ロザリンデは取り留めもない事を考えて過ごした。

 マキアスは先に闘技場に行っているはずだ。同じ馬車に乗って移動するなどあり得ないし、別に来なくてもいいとすら思ったが、バルトムンク侯とやり取りするのに、男の彼がいた方が便利なのは確かだ。そういう理由があれば、ロザリンデは男がいても我慢できる。

 それに――


 ――ステラさんはお元気かしら。


 マキアスはステラの兄だ。その点においては尊重しなければならない。

 ステラはロザリンデと同年の少女である。ステラの方は神殿騎士団ではなく神聖教会直下の治癒士なので、接点が多いとは言えなかったが、ロザリンデは当然、彼女のことも知っていた。

 騎士団の上層部にも聞こえる治癒の才能。誰にでも分け隔てなく接する慈愛。ステラもまた、ロザリンデにとってはお気に入りの一人だ。

 実際、帝都の大聖堂に隣接する治癒院では、けが人の治療に精を出すステラをうっとりと物陰から見つめるロザリンデの姿が、幾度か目撃されている。

 ロザリンデとステラに、面識は無い。だが、ここで幸運にも彼女の兄と知り合ったのだ。いずれ彼女にも紹介してもらおうと、ロザリンデは満足そうに微笑んだ。


 ここで注意しなければならないのは、ロザリンデはあくまで男が嫌いなのであって、女性に恋愛感情を抱くという訳ではないという事だ。

 彼女がカタリナやステラに抱く関心は、あくまで同性の友人としてのものであり、同年代の女子と接する機会が少なかった彼女が、特にそういった友情に憧れているというだけに過ぎないのだ、と。

 少なくともロザリンデ本人は、いや、ロザリンデ本人だけかもしれないが、自分のことをそう思っている。

 

 ロザリンデたちが闘技場に着くと、前回とは違う入り口から通された。ここはアリーナを通らずに、闘技者の出場ゲートや貴賓室にまで行くことができる特別な通路だ。今回は武器を携えたまま、ゲオ・バルトムンクと面会することになる。


「来たか」

「お久しぶりです、バルトムンク侯」


 果たしてゲオ・バルトムンクは、既に貴賓室でロザリンデが来るのを待ち構えていた。マキアスの姿も同じ室内にある。

 老侯はロザリンデの騎士装束とハルバードを眺めてから、口を開いた。


「今日は、存分に手並みを拝見させてもらうぞ」

「はい、どうぞご存分に」

「ふん……。対戦相手は、かなりの手練れだということだ。まさか神殿騎士団のパラディンが、一介の冒険者風情に後れを取ることは無いと信じているが」


 相手の見下した視線と皮肉交じりの言い方を気にせず、ロザリンデは尋ねた。


「冒険者なのですね? 私の相手は」

「そうだ」

「お名前などは、聞かせていただけないのですか?」

「相手方がどんな戦士を出してくるか、それは儂も知らん。ただ、冒険者とだけ聞いている。……しかし伝えたはずだ。どんな敵が来ようと、パラディンなら打倒して見せるがいい」

「かしこまりました」


 ロザリンデは、余裕の笑みを浮かべた。


「パラディンとして、アイゼンシュタインの名を継ぐものとして、恥じぬ戦いをお目に掛けましょう」


 しばらく待つと、闘技場の人間がロザリンデの出番が来たと伝えに来た。

 ロザリンデは立ち上がると、その男の案内を受け闘場入り口へと向かった。

 マキアスとカタリナは、老侯と共に闘場での戦いが一望できるあの部屋に残る。闘場を挟んで向かい側には同じような貴賓室があるという。ロザリンデの相手というのは、その部屋の主が雇ったものなのかもしれない。


 ――……あれ?


 歩きながら、ロザリンデは自分の異常に気が付いた。

 胸に手を当てると、妙に鼓動が早い。その鼓動は闘場に近づくにつれ高まっているようだ。

 緊張しているのだろうか。いや、そんなことは無いはずだ。この程度の戦いで緊張するほど、ロザリンデは未熟ではない。


「……?」


 なぜか分からない。でも、鼓動はどんどんと早くなる。こんなことは初めてだ。

 たくさんの扉が並んでいる空間に出た。

土や鉄さびの匂いと、血と汗の匂いが入り混じっている。ここが闘技者の控え室なのだろう。人間の気配以外にも、魔物の気配すら感じるのは、ここが噂通りの場所だからだ。


 ――すん。


 男たちの汗の匂い。ロザリンデが一番嫌う匂いのはずなのに、今日の彼女は特に吐き気を催さなかった。

 それどころか、どこか遠くから、今までに嗅いだ事の無いようなかぐわしい香りが漂って来るような気さえする。

 どうしたのだろう。胸が熱い。呼吸が苦しい。


「大丈夫か?」

「は、はい、大丈夫です」


 胸に拳を当ててうつむいた彼女に、闘技場の人間が気遣わし気な声をかけた。

 彼の目には、戦いを前にした緊張で、少女が動けなくなってしまったようにしか映らなかっただろう。

 アリーナで、次の出場者に呼びかける声が響いている。喚声が地下を揺らし、天井からぱらぱらと砂ぼこりが落ちた。


「……行けるか? ここで棄権はできないが……」

「問題ありません」


 息を整え、ロザリンデは毅然とした表情で前を向いた。

 この体調不良の原因は不明だが、とにかく今はパラディンとして、目の前の試合、すなわち目の前の任務に集中するべきだ。


「開けるぞ」

「――はい」


 その言葉と共に闘場への扉が開き、薄暗い地下に光が差す。くぐもって聞こえていた喚声が明瞭になった。

 ハルバードを軽く一振りしたロザリンデは、ゆっくりと戦いの舞台に歩を進め――





 そこで彼女は、運命に出会った。

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