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白銀のヘカトンケイル  作者: 北十五条東一丁目
第三章 第三節
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127.魔女の思い出

 ここ最近の長雨のせいで、レニ川の支流も増水し、荒れている。山地ということも相まって、足場が悪くなっているところも多い。


「あっちね。また前と場所が変わってる。川の水量が増えたせいかしら……」


 ネレイアが魔術で創り出した水の羅針が、彼女の前でくるくると回転している。それが彼女に、魔物の居る方角を知らせているようだ。

 魔女曰く、標的の魔物の居場所は彼らがたどっている川の源流に近い。当然、ここから上流に行くに従って、地形はさらに険しくなっていくはずだ。しかしまだ、一行の足取りには余裕があった。ぽつぽつと話をしながら、彼らは進んだ。


「俺たちが倒しに行くのは、水を操る魔物なんだろ? この鬱陶しい雨とそいつは、何か関係があるのか?」

「無いとは言えないけど……。この雨は、バルトムンク地方の水のマナが不安定になっていることが原因よ。ルサールカ独りでは、さすがにそんなことはできないわね」

「ただの異常気象ってことか」

「多分ね。……水のマナが全体的に濃くなっているから、ルサールカの魔力は上がっているかもしれない。そう言う意味では、この雨の影響は大きいかも」


 ネレイアはいつもの妖艶な笑みを潜めて、真剣な表情で語っている。言葉だけでない態度の端々から、彼女が今回の敵を厳重に警戒している様子が伝わってくる。


「ルサールカに遭遇するのはまだ先よ。でも明日くらいには、あれはきっと私たちの接近に気がつくわ」


 水の魔物は、水場を介することで、かなり広範囲の生き物の様子を知覚することが可能なのだという。今回のルサールカは、特にその力に優れているのだそうだ。


「やけに詳しいな。お前は、この魔物の事を知っているのか?」


 フロイドがネレイアに尋ねたのは、アルフェも知りたいと思っていたことだった。


「……当然、戦う魔物のことは事前に調べるわ」

「それはそうだ。だが、俺が言いたいのはそういう意味じゃない」

「どういう意味?」

「会った事があるんじゃないのか?」

「…………いいえ」


 ネレイアの様子は明らかに妙だったが、フロイドは深く追求しなかった。その質問は、ただネレイアを揺さぶって、反応を見るために放たれたもののようだ。


「やはり、何か隠しているようだな」


 夜営時、ネレイアが魔力の流れを調べるために二人から離れたタイミングで、フロイドはアルフェに体を寄せて、小声でささやいてきた。この男の言いたいことはアルフェにも分かる。隠し事を続ける依頼主に従って、死地に踏み込む羽目になってもいいのかという確認だ。

 アルフェはフロイドから一歩体を離して、同じように小声で答えた。


「彼女と魔物の間に因縁があり、彼女がそれを隠しているというのは、私にも分かります。でも、それはそれです」


 自分たちはネレイアの提示した報酬に納得して、既に依頼を引き受けたのだ。成否を見る前にこちらから依頼を打ち切るのは、冒険者としての信義に反する。


「事情を隠すのはあいつの自由だと?」

「そうです」

「……まあそうか。仮にあの魔女が裏切るなら、その時は斬ればいい話か」


 その言葉にアルフェはうなずく。そもそも、アルフェ自身は始めからそう考えていた。


「その時にあんたを守るのも、俺の役割なんだろうし……。……ん?」

「どうしました」

「いや、面白いなと思ったのさ」

「は?」


 フロイドは、自分で言った台詞に何かの引っかかりを覚えたようだ。首をひねったりうなずいてみたり、しきりに妙な仕草をしている。


「……そうか、それが俺の役割なのかな」

「……?」

「不思議なもんだ。己が本当にやりたいことってのは、案外、己では見えないものなのかもしれん」

「何を訳の分からないことを……」

「気にするな。俺にも色々、考えることがあるんだ。……そうだな」


 これは、「俺の事情」って奴だ。そう言うと、男はアルフェのそばから離れていった。

 翌日の朝、三人は川縁をさらに上流へとさかのぼって歩いた。川の水量は相変わらず多く、茶色く濁った水の底は見えない。川岸にある、かろうじて人間が通れるだけの岩場を、アルフェは器用に跳ねて登り、ネレイアは魔術で固めた水に乗って、それを浮遊させて移動している。


「まったく、お前の事を考えてやってるのは、俺だけだな……」


 馬のイコに話しかけながら、その手綱を引いて、這うように登っているのはフロイドだ。


「おい魔女、俺たちにもそいつを使わせろ!」

「ごめんなさい、私一人を運ぶので精一杯なの」

「本当かよ……」

「……私が運びましょうか?」


 はるか上方で、岩の上に乗ったアルフェが、馬を登らせようと苦心するフロイドを見下ろしている。

 確かにアルフェなら、馬を担いで山を登ることも可能だろう。


「遠慮しておく。こいつも馬で、その前に男だからな。主人に背負われるのは嫌だろうさ……! よし、いいぞ! 踏ん張れイコ!」


 そんな調子で、文字通り平坦な道のりではなかったが、彼らは丸一日かけてルサールカが居ると思われる場所の近くまでやってきた。


「雷でも落ちてきそうだな……」


 次の日の朝は、空にかかる雲が特に厚かった。フロイドの言う通り、黒い雲からは時たま不穏な響きが聞こえてくる。


「今日は、無闇に動かない方がいいぞ」

「そうですね」


 移動中に万が一落雷を受ければ、全員ひとたまりもないだろう。若干の足止めになるが、ここは無理をする場面ではないと、アルフェも同意した。


「そういうことだ、魔女。今日はここで様子見するぞ」

「……分かったわ」


 ネレイアは水の羅針を見つめたまま、ぼんやりとうなずいた。ルサールカの住み処が近づくほどに、彼女は言葉少なになり、ここに来てからは、ほとんど何も喋らない。

 一行は今、川岸にあった小さな洞窟で休んでいる。天候の具合によっては、最悪ここで、しばらく夜営を続けることになるだろう。アルフェはそう予感し、実際、その予感は的中した。雨の勢いは段々と強くなり、やがて雷雨となったからだ。


「止まないな……」


 洞窟の入り口の壁に寄りかかって、フロイドがつぶやいた。

 それに答える声はない。アルフェは黙って雨の様子を眺めているし、ネレイアは昨日から、水の羅針を見つめたまま動かない。

 激しい雨と共に、時折大きな稲妻が落ちる。とても外を歩けるような天気ではなかった。


「――ねえ」


 数時間の沈黙が続いた後、それを破ったのはネレイアの声だった。


「あなたたち、どうして私があれを倒したいのか、知りたいんでしょう」


 洞窟の奥で横になっていたフロイドが体を起こし、ネレイアを見た。入り口の手前に移動していたアルフェも、座ったまま魔女の方に顔を向けている。


「もう聞いたさ、魔力を高めるためなんだろ」

「それは嘘よ」

「…………」

「あれは、私の先生の仇なの」


 先生の仇。その言葉を聞いたアルフェの表情が、かすかに動いた。


「あのルサールカは、私の故郷から、この帝国に流れてきた魔物よ」

「故郷だと?」

「ええ」


 ネレイアは過去を思い出すように、水の羅針が放つ光を見つめている。

 「水の魔女」ネレイア・ククリアータ。彼女は元々、この帝国出身の人間ではない。そう言われれば、ネレイアの使う魔術は、帝国に普及している一般的な魔術体系からは少し外れる。

 彼女が生まれたのは、帝国の東方にある小国で、そこには、彼女と同じ水の魔術を扱う一族の、村のような共同体があった。そしてその村は、外の血を取り込むために、才能ある孤児を引き取って育てていた。ネレイアが先生と呼ぶ人物は、その一族でも特に優秀な魔術士だったという。


「……私も孤児よ。一族に迎えられた時は五歳だったかしら。ククリアータという名前も、この魔術具も、その先生からもらったの」


 女性だったネレイアの先生は、孤児の彼女にとっては母親の代わりでもあったようだ。彼女は慈しむような表情で、碧い宝玉を撫でた。

 ネレイアは成人するまで、先生の教えを受けてその村の中で育った。そして「その日」が来た頃には、彼女は先生を超えるほどの水の魔術の遣い手となっていた。


「ルサールカが一族を襲った時、私は村に居なかった……。戻った時には、もう村は全滅していたわ」


 唯一息のあった彼女の先生が、村を襲撃した魔物の正体を伝えた。自らの腕の中で息絶えた恩師の亡骸を抱え、彼女はルサールカに対する復讐を誓ったのだという。

 そこまでのネレイアの話は長いものではなかった。雨の音に混じって静かに話す彼女の声を、アルフェとフロイドは黙って聞いていた。


「それが、私があれと戦う理由よ」

「……なるほどな、恩師の復讐か。で? どうしていきなり、俺たちにそれを話す気になったんだ」

「本当は、私独りで決着を付けたかったの。あなたたちに頼らないで」


 それができないのは、自分の力が足りないからだとネレイアは言った。その言葉に、アルフェはネレイアから目を逸らして、洞窟の外を見た。


「でも、仕方ないわ。これ以上あれを野放しにしていたら、また犠牲が増えるもの。もう、終わりにしないといけないの。だから――」


 自分で手を下すことができなくても、せめてアルフェたちには、あの魔物を倒す理由を知っておいて欲しい。

 ネレイアが言葉を切った後、洞窟の中には雨と雷の音しか聞こえなかった。

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