新たな問題児
翌日の午前の休み時間のことだった。
僕は、珍しく右隣の席の女子から話しかけられた。
「英雄くん。」
彼女は自分の席に座りながら僕の方に体を向けて、真っすぐと僕の方を見据えてきた。いままでほとんど話したことがない相手だったので、僕は驚いた。
「どうしたの。」
この女子の名前は翡翠咲。滝沢と仲の良い女子で、どうやら女の子らしい話題を特に好む人のようだ。
「結衣のことなんだけどさ……」
滝沢の話を彼女からされて、僕は驚いた。
「英雄くん、結衣とどういう関係なの?」
僕は頭の中が真っ白になった。今聞かれて一番困る質問を、ピンポイントに彼女は選んできた。
「どういうって……別になんでもないけど。」
本当はありありなのだが。
「ん~でもそんな風には見えなかったけどな~」
……この手の女子は恋愛が絡むと強い。
「そう、別に普通の関係だと思うけど。」
僕は動揺を隠す。本当は痛いところを突かれているのだ。
「この前帰りのホームルームが終わった後、結衣に何か耳打ちされてたでしょ。」
「うん、でも別に……」
なんとかやり過ごそうとして必死に「別に」を重ねた。
「なんでもないってことはないと思うなあ、だって英雄くんその後結衣をどこかに連れ込んでたでしょ?」
「連れ込んでいた、っていうのは語弊があるな。」
僕は頑張って話を逸らそうとしたが、追及は続く。
「まあそれはそれとして、一体何をしていたの?」
どう答えるべきか。とりあえず一番当たり障りのない嘘は「滝沢が部活に入りたいって言ってた。」という答えなのだが、これだと滝沢の方へまた追及が行きそうだ。確かにこの件は元々滝沢が蒔いた種だが、ただでさえ今、なんだか滝沢とぎくしゃくした感じになっているので、厄介事は避けたい。
いや待て、そもそも僕がこの質問に答える義務などあるのか?適当にはぐらかすのが最善手なのではないか?
そして僕は言った。
「それは……秘密で。」
「ふーん」
「もしかして、告白されたとか?」
彼女は目を輝かせて言った。
残念それはもっと前に……と口を滑らせかけたが、焦りながら取り繕った。
「そ、それは違う、かなぁ。」
いかにも怪しい返事をしてしまった。
「へぇ、でも人に言えないようなことをしてたんだぁ。」
「結衣が男子に耳打ちするなんて、よっぽどのことなのになぁ……」
「え?そうなの?」
僕は心外にも大きな声を上げてしまった。彼女は少しびっくりした様子であったが、またすぐに話し始めた。
「まあ、結衣はお高くとまっているからね。自分から男子に話しかけるのは、世間体を気にしてできないんでしょ。美少女すぎるのも困りものね。」
「まあ、そうかもな。」
「それで……」
「そんな美少女に声をかけられる英雄くんは、一体何をしたのかな~?」
「え、ええっと……」
その瞬間、チャイムが鳴って次の先生が教室から入ってきた。
「あら残念、もっと話を聞きたかったのに。」
そして彼女は前に向き直った。
変わり者にはやはり、変わり者の友達ができるのだろうか。いずれにせよ、僕は悩みの種が一つ増えることとなった。
その授業は二時間目だった。授業中にふと滝沢の方を見ると、いつものように真面目にペンを走らせていた。
そして授業が終わった。翡翠はまた僕に追及をしてくると思って身構えていたが、意外なことに彼女は滝沢の方へ向かった。
「結衣ちゃん、ちょっと話があるんだけどさぁ。」
「どうしたの、咲。」
……以降の会話には、首を突っ込まないようにしておこう。僕はとりあえずまた翡翠が戻ってこないように、席を外した。
ちょうどチャイムが鳴る直前まで、静斗の席に他のクラスメートと群がっていた。
チャイムが鳴って僕が席に戻ると、翡翠は何か言いたげな笑みを浮かべながら僕を見てきた。
僕は三時間目を、彼女に何を言われるかに怯えながら迎えることとなった。
授業の終わりを知らせるチャイムが鳴った。……さて、どんな試練が僕に待っているのだろうか。
「ふーん」
悪い予感を告げる声が流れた。
「そっかそっか~」
「ど、どうしたんだよ。」
「英雄くん、」
「結衣といいコトしたんだってね、ふーん。」
……ちょっと待て、結衣の奴はこんな答え方をしたのか。どう考えても僕に投げてきていやがる。
「具体的には――」
ちょっと間延びした声に、僕も心の中で「具体的には……」と繰り返していた。
「校内を手繋いで歩いた?キスとかしちゃった?ひょっしてハグとかしちゃった?」
「え?」
素直に思っていたことが声に出た。なるほど、「いいコト」っていうのは一般的にはこういう意味なのか。
……なんて納得している場合じゃない。僕はそんなことはしていない。
「違う!」
ちなみにここでの正解は、「何もしていない」であって「違う」ではない。
「へッ!」
彼女が一瞬驚いたような声を上げて頬を赤らめた。
「そ、それじゃあ、もしかしてこういうこととか?」
彼女は四本指を丸めて空洞を作り、そこに人指し指を出し入れしてみせた。
これは何を意味しているのだろうか。何がの暗号だろうか。僕には分かりかねた。
「それって、どういうこと?」
僕が尋ねると、彼女は一瞬立ちあがって、僕の肩を突っぱねた。
「もう、そんな恥ずかしいこと女の子に言わせないでよ。」
彼女は顔を真っ赤にしながら言った。……そんなに恥ずかしいことなら、聞かなければ良いのに。
結局、僕は彼女が最後に言わんとしていたことの意味は分からなかったが、なんとか釈放されることになった。
僕の平穏な学校生活は、だんだんと何かに侵されていくのであった。