チョロインの夜は激しい
僕達はファミレスを出た。
さて、昼のデート場所を考えなければならないわけだが、実のところ僕には良い案はなかった。適当にぶらぶらしようと言ってみたはいいものの、滝沢が無口になったせいで僕は行き先に困ることとなった。
「その……」
滝沢に弱みを見せるのはしゃくだが、今はやむをえない。
「どうしたの?」
やはり滝沢は弱々しくなっている。こうして見ると女の子らしく見える。
「やっぱり夜景見に行く前に一回帰ろう。今から何時間も一緒に居てもダレるだけだし……」
「でもエイくんにはモテる練習をしてもらわないといけないし……」
「いや、でもさ、ええと」
「ええっと?」
「初デートは長引かせるなってよく言うし……」
チェスの件は言及しないでおこう。
すると滝沢のうつむき加減が大きくなった。そして僕は、再び「デート」という単語を自分で使っていたことに気付いた。
「エ、エイがそんなこと知ってるなんて……」
「僕だってそのくらいは知ってるよ。」
やっぱり照れている滝沢はかわいい。
「そ、それじゃあ一回解散することにしてもいいけど……」
「で、でもせっかくここまで来たんだからどこか一カ所には連れていって、お願い。」
普段の彼女なら「お願い。」なんて言いそうもないので、ちょっと楽しくなってきた。ずっと滝沢がこんな風なら良いのに。
それで、結局僕達が来たのは、デパートの中にある大きな本屋だった。
「へえ~いかにもエイくんって感じ。」
……滝沢は残念なことにいつもの調子に戻ってきた。
「仕方ないだろう、僕がよく行くお店なんてここくらいなんだから。」
「まあいいわ。それで、大きな書店だけど何の本を見るの?」
決断を迫られたので、とりあえずいつも行っているコーナーに滝沢を連れていった。
「うわぁ……」
「これはすごい。」
「だろ。」
「流石に女の子をここに連れてくるのは理解できないかな……」
……あれ?
「いや、洋書なんて普通の人は興味無いでしょ、英語分かんないし。」
「いや、洋書といっても中学英語レベルのやつとかもあるし……」
「それに日本語と文章展開が違うから読んでて面白いというか……」
「ダメなものはダメ。却下。」
「私が興味のあるところに連れて行きなさいよね。」
「それで、今度はどこに連れて行ってくれるの?」
――閃いた。
「それじゃあ滝沢にぴったりの本を紹介してあげるよ。」
そして僕はある場所へ行って一冊の本を手に取った。
「はい、これ。」
「あなたの意中の相手を落とせ!恋する乙女のための恋愛指南」
「……ッ」
今度の滝沢は耳まで真っ赤にして、一度持ったこの本を僕の方へ遠ざけた。狙い通りである。
昔から物覚えは結構良い方である。僕は滝沢の手なずけ方が分かってきたようだ。
「それじゃ、夜七時にまた。」
「うん」
「晩御飯も一緒に食べようか。」
「うん」
――あ、これは確かフット・イン・ザ・ドアとかいうやつだっけ。同調が続くと次の要求が断りにくくなるっていうあれ。
ためしに何か無茶なお願いをしてみようと思ったが、夜景デート以上に恥ずかしいことは僕には思いつかなかったので、やめておく。
帰りの電車には人が少なく、とても快適な心地がした。
それからいつも通りの午後を過ごした。夜景を見に行ける機会が出来たのは純粋に嬉しく、心が踊った。
そして僕は再び駅前へと向かった。
晩御飯といっても結局平凡な学生が思いつく選択肢なんてファミレスくらいなものだ。……この場合はどうやらデートらしいから、ディナーと呼んでおくべきかもしれないが、呼び方を変えたところで入っているのはただのファミレスだ。
やはり滝沢はあのかわいいフォルムからいつもの感じに戻ってしまっていた。名残り惜しい。
「夜景デートだなんてたまにはエイくんも良いこと考えるのね。」
「まあ僕が見たかっただけだけど。」
まあああいう姿を見せてくれたおかげで少しは僕も滝沢に対する警戒心が薄れた。
「うん、それで、今日はロマンチックな雰囲気で私をエスコートしてくれるんだ。」
「私、エイくんのこと好きになっちゃいそう。」
「もともと好きなんじゃないのか。」
「もっと好きになっちゃいそう。取り返しのつかないくらい。」
あれ、いつもならここで照れてくれるところなのに。
「はいはい、それはどうも。」
「はいって言ってくれたってことはオッケーってこと?」
「それじゃあ料理だけじゃなくて、エイくんのことも食べちゃいたいなぁ。」
「な、何を言ってるんだ。」
「ふふ、私の本心だよ。」
「滝沢、どうした、お酒でも入ってるのか?」
「あらら、私を酔わせて襲うつもり、まだ未成年なのに、大胆。」
「滝沢、頼むからよしてくれ、人目のあるところでそういうことは言うな。」
流石に僕もこれには耐えられない。胸が熱くなってきた。
「それじゃあ、二人っきりなら何してもいいの?」
「頼むから黙ってくれ!」
そう言って僕はテーブルから身を乗り出して滝沢の口を塞いだ。前言撤回、こいつはかわいげのある女の子でもなんでもなくただの悪女だ。
滝沢の抵抗が弱まって僕が手を離すと、店員が気まずそうに料理を出すタイミングを窺っていた。僕は気まずくなってすみませんと頭を下げた。滝沢もそれに続いた。
「厄介事は起こさないでくれよ、頼むから。」
滝沢は少ししょんぼりとしていた。
しかし、食事を終えて店を出るとまた彼女はそのテンションを取り戻してしまった。
「エイくん。」
と言いながら、彼女は僕の右腕に寄りかかってきた。
僕は何の抵抗もしなかった。いや、できなかった。
……あまりにもがっちりとホールドしてくるものだから抵抗しようものなら色々なところに触れてしまいそうだったからだ。……もしかしたら既に触れているのかもしれないが、それは考えないことにした。
夜の街中を歩く二人の姿は、傍目からみれば間違いなくカップルだ。
僕は人の右腕を掴みながら歩くのは、歩きにくいと思うのだが、滝沢はいつまでたってもそれを止めようとしなかった。
「滝沢、やめろっ。それに同じ高校の奴がいたらどうするつもりなんだ。」
「ふふっ、そしたら校内公認カップルになるんだもんね。」
「ならない!確かに今僕達がやってるのはデートかもしれないけどカップルにはならない!」
「あれぇ、じゃあどうして私の言うことを忠実に聞いてくれるのかなぁ?」
「そ、それは……」
確かに、僕が滝沢とした――ではなく彼女に一方的に言われた取引はそういう内容だった。
僕がふさわしい男だと証明する代わりに滝沢が僕に身を捧げる。それこそが僕があの告白の日に告げられた内容だった。
タワーに着くまで、僕はドキドキしっぱなしだった。滝沢と目を合わせることなどできなかった。右隣にひっついている彼女から目を逸らすので精一杯だった。
タワーの入り口に着くと、僕たちは後頭部が首とくっつくくらい頭を上にあげた。
「うわー、高ーい。」
「ああ、本当だな。」
そこにあった建物は、遠目から見て目立つだけの建造物ではなかった。
「さ、早く中に入ろう。」
「へいへい。」
僕は入場券を二枚買った。滝沢もようやく僕の腕にひっつくのはやめたようだが、きっと僕達はカップルだと思われていることだろう。
高速エレベーターで展望台まで昇った。
エレベーターのドアが開いた。その瞬間、僕は街のはるか遠くの方で輝く光を見た。
滝沢と足並みを揃えて、もう何歩か踏み出すと、僕は眼下に広がる絶景を見た。
「うわぁ、きれいだね。」
「ああ、とてもきれいだ。」
僕がそう言うと、彼女はまた僕の腕を抱き寄せてきた。
「流石私の見込んだ男、良い場所を知ってるのね。これは加点対象かな。」
僕は一瞬戸惑った。そういえば滝沢は僕のことを見込んで取引を持ちかけてきたのだった。いや、それどころか滝沢は僕のことが好きなのだった。
すると、彼女は突然僕の目をじっと見てきた。どういうことなのだろうか。
「ダメだなぁ、ここで私に言うことがあるでしょ?」
滝沢に言うこと……?なんのことだろうか。幾秒か考えて、僕はこんなことを思った。
まさか、彼女は僕に告白しろと言っているのか?
僕の体は指先まで脈打った。彼女が僕に持ちかけていた取引には、なんんだか答えているようにはなってしまっていたが、僕は滝沢の告白に関しては何一つ答えを出していなかった。
そんなことを考えていると、
「もう、仕方ないから教えてあげる。」
「夜景もきれいだけど、君の方がきれいだよって言うの!はい!」
「夜景もきれいだけど、君の方がきれいだよ。」
考え事をしていたせいで、意味も考えずに言ってしまった。
「はい、よく出来ました。ご褒美のキス。」
と言って滝沢は、僕の頬に口付けした。
僕の頬の赤みは、展望台の暗さで隠されているだろうか。
帰り道、滝沢と二人並んで駅まで帰った。滝沢はもう僕の腕にしがみついたりはしなくなった。
それでも、この帰り道は、来た道よりもずっと恥ずかしかった。
道中、滝沢がこんなことを言った。
「それで、エイくんは良い雰囲気のデートをした後私をピンクな場所の連れて行っちゃったりするのかな~」
「しない。」
僕は俯きながら即答した。俯いていたのは、滝沢の言葉の内容が恥ずかしかったからではなく、今日一日の自分の行動をふり返ってみての恥ずかしさからだった。
滝沢は笑いながらこう続けた。
「そっか。楽しかったよ、今日のデート。」
駅前まで来ると、滝沢は小走りで僕の前の方まで出て行って、僕の方へふり返った。そして、
「ありがとね、エイくん。」
と言ってきた。
「ああ、楽しかったよ、滝沢。」
「うん、それじゃ、またね。」
そうして、滝沢は去って行った。
髪をなびかせて歩く滝沢の後姿を、僕はしばらく見守っていた。
今日僕の目に映った滝沢は、とても魅力的だった。
僕との「取引」。こんな関係も悪くないかなと思った。