ホントの自分
平穏な日曜の朝のことだった。目を覚まし、ベッドから出てスマホを開くと、一件の通知が来ていた。僕は余計なアプリの通知はほとんど切っているし、申し訳程度にやっているSNSも友達がほとんどいないものだから、このメッセージウィンドウを見ることは珍しかった。
そこには、こう書いてあった。
「メッセージ 滝沢結衣より 『モテなさい』」
……このメッセージアプリで僕のアカウントを友達登録するのは簡単だ。僕はクラスのグループにも入っているからそこから辿れば良い。いままで女子から友達登録されたことはほとんどなかったのだが、それも良い。相手は滝沢だから。
だが問題はこのメッセージの中身だ。
「モテなさい」?
滝沢が僕のことを好いているのなら、僕はモテない方がライバルが少なくて好都合なのでは?そもそもなんでそんなことを日曜の朝早くに言ってくるんだ?
という気持ちを「どういうこと」という六文字に込めて送った。
返信が来たのはそれから数時間後の十一時ごろだった。
「今から駅前に来て。」
……どうやら僕の尤もな質問には答える気がないようだ。しかも、「今から」駅前に来いと無茶な命令を下してくる。なんという暴君だろう。
その後西口で待ち合わせするだとか今から何分くらいで着くといったやりとりをして、僕は駅前まで自転車を走らせた。ちなみに駅前と言うのは、家から最寄りの駅ではなく、学校最寄りの比較的大きな駅のことなので、僕は休日にも通学路と同じ道を通う羽目になった。
そうして予告していた時刻通り待ち合わせ場所についたわけだが、滝沢の姿は見当たらなかった。何事かと思って、連絡を入れたが反応がなかった。
滝沢が待ち合わせ場所に姿を現したのは、指定時刻の十五分後だった。よりによって自分から企画しておいて遅刻かと思っていたら、彼女は満面の笑みを浮かべて僕の方へ駆け寄って来た。
「ごめーん遅くなっちゃった。待った?」
すがすがしいまでの開き直りである。僕は正直に答えた。
「待ったよ。とても。」
すると滝沢はムッとした表情になってこう言ってきた。
「ダメ、こういう時は『今来たとこ』って言わないといけないんだから。」
「だって十五分前に着いてたし。」
「朝送ったメッセージのこと忘れたの?」
「メッセージって……『モテなさい』のこと?」
「そうそう、あれはそういうことだから。」
何がどういうことなのかさっぱり理解できない。
「『モテなさい』って言うけどさ、滝沢は僕のことが好きなんだろ。」
滝沢はニヤニヤしながら僕の話に耳を傾けている。
「だったら、僕がモテない方が好都合じゃないか?」
滝沢の頬が少し赤くなったようにも見えたが、すぐに彼女はこう言い返してきた。
「へぇ、デート序盤に『俺のことが好きなんだろ?』なんて大胆だねぇ。」
「そういうつもりで言ったわけじゃない。」
やっぱりこの人には敵わない気がする。
「それじゃ、『俺はお前だけもの』ってこと?少女漫画みたい!」
「だから違うって、何が少女漫画だ。」
「ええー今の言葉結構ポイント高かったんだけどな~」
「だから『モテなさい』ってどういう意味なんだよ。」
「まあまあ、とりあえずお昼ご飯にでもしよ。」
と言われて、僕は滝沢に連れられてファミレスに入っていった。
「さて、それじゃ『モテなさい』の意味なんだけど。」
どうやらこの話題ははぐらかされずに済んだらしい。
「要するに男を磨きなさいってこと。」
「男を磨く?」
まあそういう意図なら分からなくもない。僕はパッとしないし。
「そう、美少女の私にふさわしい人間になりなさいって言ってるの。」
……確かに間違ってはないが、自分で美少女って言うか。美少女自慢したら顔にニキビができるみたいなペナルティーを科した方が良いのではないか。神様。
「それで、具体的には僕にどういう人間になって欲しいんですか。……美少女さん。」
おそらく「美少女」に反応してだろうが、滝沢は満足そうな顔を浮かべながら答えた。
「うーん、彼女が遅刻してもフォローしてくれる人とか?」
「もし滝沢が遅刻した件についての話をするつもりなら、僕がもっと理由を追及してあげてもいいんだぞ?」
「あっ、ちなみにさっきの遅刻はエイくんを試したんだ。ごめんねー。」
「さらっととんでもないこと言ったぞ、今。」
「とりあえずモテるために何かやってみようよ。」
このタイミングで注文していた料理が届いた。
「だから具体的には何をすればいいの、女の子を遅刻させる以外で。」
「彼氏持ちの女友達とかに聞いてみれば?」
「女友達居ないって分かって言ってるだろ、絶対。」
「あちゃ~これは失礼。」
白々しい反応を見せた後、彼女はまた何か面白いことを思いついたように笑った。
「それじゃ、私の友達紹介するから、口説いてみる?」
飲んでいた水を危うく吹き出しかけた。
「そ、それは無理だって。」
「あらら、純情男子ね。」
滝沢は僕をモテさせたいのではない、からかいたいのだ。
「まあ、真面目な話だけど。」
「今日のこれからのデートコースくらいは考えておくことね。」
「滝沢とデートの約束をした覚えはないぞ。」
そもそもデートって恋人同士で使う言葉じゃないのか、普通。
「私と付き合いたいんじゃないの、クライアントさん。」
「僕は滝沢の顧客になったつもりはない。」
僕はふと思った。そもそも僕はなんでこの場にいるのか。僕は彼女との取引を飲んだことになっているのか。――自分でも分からなかった。それが、自分が望んでいることなのか、ただ流れがそうさせているだけのことなのか。
「まあ、なんでもいいんだけど。私の言うことを聞いてくれてるってことは、私に興味がないわけではないんでしょ?」
僕の心拍数が上がった。確かに、そうなのかもしれない。
「そういうことで、はい、今日のデートコースは?」
滝沢はテーブルに軽く乗り出して、僕の口のあたりに、軽く結んだ握り拳を差し出してきた。おそらくはマイクでインタビューしているつもりなのだろう。
「そんなこと言われても、僕にはデートコースなんてさっぱりだよ。」
……本当は「デートコース」以外の言葉をチョイスしたかったが、うまい代替案が浮かばなかった。そのことが余計に僕をドキドキさせた。
「それじゃ、エイくんが普段行かないけど、周りの人はよく行くような場所を探せば良いんじゃない?」
「うーん、遊園地とか?」
「まあデートコースとしては定番だけど、私人ごみは嫌いだから。却下。」
「そう、まあ僕もそうなんだけど。たまには気が合うね。」
「私の好みを分かってない、一点減点ね。」
「そんなこと知るわけないじゃないか。しかも僕はただ案としてあげただけなのに。」
「あれれ~そんな言い訳してると目の前の美少女が逃げちゃうぞ~」
「自分で言うな!あと別に僕は滝沢に好かれたいわけじゃない。」
それは、本当だろうか?本心だろうか?
多分僕にはまだ答えが出てない問題だ。
「そう、そりゃ残念。」
滝沢はおどけているようだったが、僕には悲しんでいるようにも見えた。
「それで、他のデートコースの案は?」
再び僕に難問が突きつけられる。
「うーん、分からないや。」
「それじゃ、エイくんの行きたいところで良いから、早く決めて。」
「それじゃあ……」
「それじゃあ?」
「桜坂タワーで夜景が見たい……かな。」
滝沢は俯いた。僕は滝沢の表情を窺うことができなかった。
ひょっとすれば、僕らしくない発言をしたせいで、笑われているのかもしれない。
すると、滝沢は顔を上げた。頬は赤く染まっていた。
「い、いきなり夜のデートに誘うんだ。」
いつものように僕をからかうかのような口調で言ってきたが、その言葉にいつものような覇気はなかった。
「で、でも、昼はどうするの?私は夜デートも一向に構わないけど。」
意外と僕の提案は滝沢に効いているようだ。 やっぱり滝沢がデレるタイミングは分からない。
「まあ、適当にぶらぶらしようかな。」
「でもなんで夜景を見に行こうなんて?」
――僕はこのときとても頭が冴えていた。だからとどめの一撃を思いついた。
「嫌だった?」
滝沢はまた頬を赤らめた。
「嫌じゃ、ないよ、多分……」
効果てき面である。人生で一番輝いていた瞬間だったかもしれない。
「もともと夜景はきれいだから見に行きたいなあと思ってたんだけど、あういう場所ってやっぱり一人じゃ行きにくいじゃん。だけど滝沢と一緒なら大丈夫かなぁと。」
「うん、分かった。」
普段の滝沢なら「一緒にいく相手がいないんだ。」なんていじられるところだが、今は違う。
こうして僕は美少女と、今夜の夜景デートの約束を取り付けたのである。
今日の僕は、なんだかいつもと違う気がした。滝沢といると、僕は、なんだか本当の自分を出せるというか。自分の思ったことを素直に口に出せるようになるというか。
不思議な安心感があった。滝沢は、僕を受け入れてくれる。