桜坂東高校体育祭 後編
ついに体育祭当日を迎えた。当日はもう真夏のような暑さで、燃え盛る太陽が僕の肌に直射していた。
全校生徒が一斉に校庭に整列する中、僕は前の方に滝沢の姿を見た。
……滝沢は僕にヒーローになれと言った。はっきり言って、それは無理な話だ。僕の運動音痴ぶりは並大抵のものではないし、票を集められるような知名度もない。
そしてどうして滝沢は僕にヒーローになれと命じるのか。それが分からなかった。僕にできそうなことは、滝沢の意図をくみ取ることくらいだが、それすらも僕には難題だった。
体育館種目はバスケよりも先にバレーをやるらしく、僕は滝沢の試合の応援に行くことにした。
体育館の中に入ってシューズを履きかえると、実行委員の明夫が廊下でせせこましく動いていた。
僕のような目立たない人間は楽をしたい気持ちが先行して、こういう仕事は引き受けないので、僕は彼が羨ましくもあり、可哀そうでもあった。
それでも、本当は青春ってこんなものなのかもしれない。
体育館のギャラリーに上って奥の方へ歩いていくと、静斗の姿を見つけた。
「よう、静斗。」
「おう。」
僕は黙って静斗の横に立って、柵に寄りかかかった。
「俺らのクラス、勝てるかなぁ~」
静斗がこぼした。
実のところ、僕は自分たちのクラスが勝つかどうかに関心を抱いていなかった。ただ滝沢がいるからなんとなく見に来ようと思っただけで、そうでなければ部室にでも行って暇潰しをしていただろう。
だからこそ、純粋にクラスが勝つかどうかなんてことを考えられる静斗が羨ましかった。こういう風に単純に生きられるのは、素直に羨ましい。
そうか、青春っていうのは気取ったことをしなくても、くだらないことを楽しめればいいのか。そんなふうにも思った。
第一試合が始まった。相変わらず滝沢はバレーがうまい。どこにローテーションしても正確にボールを処理しきり、相手に隙を見せない。
バレーの試合は穏やかだ。三回以内にボールを打ち返せばいい。少なくともこの素人同士の戦いは、どこかまったりとしているところがある。
派手なプレーは特になかったが、試合は順調に進み、僕たちのクラスは勝利を収めた。
特に見どころのある試合でもなかったが、滝沢が喜んでいる姿を見ると僕まで嬉しい気持ちになった。
自分が喜ぶにはクラスの勝利というのはスケールが大きすぎるけれど、滝沢の勝利は自分のことのように喜べた。
そんなことを思いながら、ギャラリーの反対側でも湧いているクラスメイトを見ていると、僕は不思議と下の方から視線を感じた。僕がコートの方に目を向けると、丁度滝沢が僕の方から目を逸らしていた。
二回戦では、僕のクラスは負けてしまった。流石の滝沢も、この結果ではヒロインは逃してしまうことになるだろう。負けた滝沢は僕のいるギャラリーを見上げてきたのだが、今度は滝沢と目があった。
滝沢の顔は意外にも笑っていた。純粋に楽しんでいるのだろうなと、僕は少し羨ましく感じた。
その後男子のバスケも始まったのだが、僕のクラスは意外にもあっけなく負けてしまった。僕自身も大した動きができず、いつものように足を引っ張っているだけだった。
そんな中途半端な試合だったのにも関わらず、クラスメイトの声援は大きくて気持ちがこもっていた。
僕もこんな風に感情豊かであったらいいのにと思った。
僕はヒーローにはなれない。そんなメッセージを込めて滝沢のほうを見ると、滝沢は笑っていた。
午後の男子サッカーは最後の種目だった。滝沢は「一緒に見よう。」と言って、クラスの試合に僕を誘ってきたので、快諾した。
サッカーの試合は素人同士とはいえ動きが激しい。滝沢は何かしら試合に動きがあると、「惜しい!」とか「やった!」というようなことを大声で言っていた。
その様子を見て、スポーツはこんな風に見るものかと思った僕は、クラスのチームがうまくカウンターを決めたとき、「おお!」と声をあげた。
僕の声は、滝沢の「やった!」という声と混ざった。僕は心地良い風を体に感じた。
そしてフォワードがシュートの態勢に入ると、滝沢は「おお!」と声をあげた。その声を聞いて、僕も慌てて「おお!」と合わせた。かわいらしい声の滝沢が言う分にはいいが、自分が大声をあげるのは恥ずかしかった。
すると、フォワードが放ったシュートはゴールに吸い込まれていった。滝沢は僕に両掌を向けた。僕はそこに自分の手を合わせた。一瞬触れた彼女の手は意外と華奢で、女の子なんだと意識した。
サッカーは良いところまで勝ち上がったが、優勝は逃してしまった。他の競技でも目立った成績を残すことなく閉会を迎えたが、クラスメイトたちはそれでも満足そうな表情をしていた。
クラスで記念撮影をしようと、グラウンドの端の方で三列に並んだのだか、不運にも女子と男子の境界線に立っていた僕は、隣にいた滝沢のピースサインを顔に重ねられた。
教室に戻ると、廊下には既に帰路に就いた生徒が現れ始めていた。そして、教室を出ようとした僕は、誰かに腕を掴まれた。
僕がふり返ると、そこには美しい女の子がいた。滝沢のことである。
「とりあえず話したいんだけど、せっかくだから体育館裏なんてどう?」
「ちょっと警戒心を抱かざるをえないかも。」
「大丈夫、お金巻き上げたりはしないから。」
意外と生々しい例を出されて少し驚いた。
「それじゃあ。」
僕は滝沢と一緒に体育館裏に向かった。
体育館裏に着くと、滝沢はこう切り出した。
「どうだった?体育祭は?」
わざわざ呼び出すほどの話でもなかったので、その意図するところを理解するのに少し時間がかかった。
「ま、まあ楽しかったよ。」
「合格」
へ?
「ヒーローになんかならなくても良い。とりあえず学校生活くらい楽しんでほしかったの。」
僕は首をかしげた。
どうやら話は突然僕への要望へと飛んだようだ。
「僕は学校生活を楽しめてなかったったこと?」
「そういうこと。」
「私と一緒にいたいなら、行事のときくらい楽しんでもらわないと。」
「だから滝沢は体育祭のことを僕に意識させるために、『ヒーローになれ』とか言ったわけか。」
正直少し回りくどいと思う。でも滝沢も僕もそういう人間だから構わない。
「まあ、なれっこないのは最初から分かっていたけどね。」
「失礼な……」
確かに、滝沢は学校生活を楽しんでいるように見える。僕はと言えば、それほどでもない。多分人種が違うから楽しいと思うことが違うのだ。
それでも、今日は結構楽しかった。それは、多分滝沢がいてくれたおかげだろう。滝沢がいてくれたから、「学校」という大きな規模での行事を身近なものとして感じられた。多分そういうことなのだと思う。
ここで自分と滝沢の心理的な距離が縮まっていることに気付く。僕は、いつのまにか滝沢の影響を強く受けるようになって、楽しみだとか悲しみが共鳴するようになってきたのだ。
「ありがとう」
「え?」
滝沢が目を丸くした。
「今日楽しめたのは、滝沢のおかげだ。滝沢のおかげで今日が楽しくなった。」
なんだかトートロジー的な発言をしてしまったが、それは僕の気持ちを精一杯伝えようとした結果だった。
「おおげさだよ、私なんて何もしてあげてないのに。」
「それでいい」
「滝沢のそばにいて、一緒に何かをしているだけで十分幸せだ。」
「随分キザなことも言えるようになったのね。」
滝沢は恥ずかしそうに目を逸らした。
僕の体育祭は、素朴だった。どうしようもないくらいの体験だった。
けれども、それで良かったのだ。
たった一つ、僕は新しい喜びを知れたのだから。