プロローグ:告白作戦
日は傾き始め、空はオレンジ色に光りだしていた。生暖かい風が吹き込んだ。
校舎を横目に自分とこの女の子は向かい合っている。数瞬間沈黙した後、彼女は顔を上げて僕と目を合わせた。意外にも鋭い目つきに、僕は一瞬まごついたが、再び彼女と目を合わせた。
彼女の高校生にしては長めの髪が、風になびくと、彼女はこう切り出した。
「あなたに話したいことがあるの。」
散りかけの桜が舞う。
「私は、あなたのことが好きなの。もちろん恋愛的な意味で。」
女子にこんなところまで呼び出されるということは、つまりこういうことだと頭では分かっていた。しかし、実際には僕は口を開いて何かを発音すべきなのか、それとも何らかの行動をとるべきなのか分からなかった。
彼女の声はものすごく冷静だった。いまの暖かな気候とは正反対なほど冷淡であった。そのことが僕を余計に困惑させていた。
自分の頭の中から、フィクションで出てきそうな言葉を検索して、どうにか返答しなければならないともたついている間に、彼女は二の矢を放った。
「だから、取引をしましょう。」
「だから」が文脈から外れすぎて、この語が順接の意味だと思いだすのに頭のリソースを費やした。僕は、ただ彼女の意味不明な言葉の表面を理解するだけで手いっぱいだった。
「私に告白されて嬉しいでしょ、エイくん。」
エイというのは僕のあだ名だ。彼女がその名を口にするのを、僕は初めて聞いたと思う。
「だから、取引をするの。」
「私の恋心と、君の自由を。」
「どういうことだ?」
声が少し裏返ってしまったが、当然の反応だと思う。
「私はね。」
「自分の感情をコントロールできる。」
「だから、あなたが私と恋愛するのにふさわしい人間かどうか、私が査定するの。」
「もしもエイくんがふさわしくない人間なら、私はこの恋心を放棄する。」
「もしもエイくんがふさわしい人間だと証明できたなら、私はあなたにこの身を捧げる。」
……if文で恋心は制御できるのだろうか。そんな疑問を抱いた。この目の前にいる美少女が、とりあえずただものでないことは分かった。
「その証明のためのコストを僕に払わせようってことかい?」
「そういうこと、どう?面白い提案だと思わない?」
もはやこの人が自分に恋をしているのかがまず疑わしいのだが。
「君が僕のことを好きだというなら、君が僕の良しあしを判断すれば良い話じゃないか?」
「どうして僕が君のために自分を持ち上げないといけないんだ。」
「あれれ」
「私、結構いい女だと思うんだけどな。モテてるし。」
こいつは皆が思っているような理想の人間じゃない。そう確信した。
確かにこの目の前の女の子、滝沢結衣の容姿はずば抜けている。それは残念ながら認めざるを得ない。雑誌に出てる美人タレントの容姿にケチをつけるのは簡単だが、目の前に美しい女性がいるなら、男としては認めざるを得ない。
ついでに言えば性格も文句なしだと思っていた。……ついさっきまでは。窓際の席でひっそりと佇んでいるだけで女友達がたくさん寄ってきて、どんな男にも優しい態度をとる。女子高校生としては申し分のないスペックである。ついでに勉強やらスポーツもそつなくこなしている。
それで、今目の前にいる滝沢は「私と付き合いたいんでしょ?」「取引しよう。」と提案しているわけだ。
ここまですごい相手は男からすれば恋愛対象として申し分ないわけだが、あまりに完璧すぎるせいで、実際に滝沢を狙う男はほとんどいないだろう。僕もそのクチである。
さて本題に戻るが、どう滝沢に返事をすればいいのやら。まず、滝沢が「いい女」であることに対して、リアクションをせねばなるまい。相手は変人である。小手先の手段が通じるとも思えないので、ここは堂々と行こう。
「まあ、そうかもな。」
ここで滝沢は初めて頬を赤らめた。告白まがいのことは平然とやるのに、自分で蒔いた種で照れるのか。
「ま、まあ、だから私の言いなりになって良いとこ見せてよ。」
またさらっとすごいことを言われたが、まあ頼んできていることを要約するとこうだろう。
この提案を受けるのかどうかは、自分で決断しなければならない。面白い提案のような気もしたが、今の僕がすぐに決めてしまうには、少し時間が足りなさすぎる。
「そうか」
「考えておくよ。」
あくまでクールに、僕は立ち去った。弱みを見せてはならない。
滝沢結衣はスカートを風に揺らされながら、一人小さくほほ笑んだ。
「エイくん」は、滝沢結衣から離れて冷静さを取り戻すと、「自分の感情をコントロールできる」という言葉の意味するところを、深く考え直した。