プロローグ
ただ彼女を守るために、この力はあるんだと思った。
彼女を襲う理不尽な力から守るために。
彼女さえ平穏に過ごしてくれたなら、他には何もいらない。
そんな思いが具象化したのがこの力だと。
プロローグ
窓から見た空は、まるで紅蓮が燃えさかるように赤かった。
家から夕焼けを見ることはないので、その美しさに軽く感動する。
ここは俺が通っている高校の文化棟、その三階にある伝承研究部の部室だった。俺の他に、あと五人部員がいる。その他の部員たちは先に帰っており、あとは俺だけが残っていた。別にハブられているとか、そういうわけではない。
帰る時間をずらしているのだ。
もうすぐ下校時刻となる。いつまでも夕焼けを見ているわけにもいかないので、戸締まりをして部室をあとにした。
世界は俺みたいな凡人が何もしなくとも勝手に回り続ける。
あれほど赤かった西の空も、すでに赤紫になっている。
世界は俺の都合などなにも気にしない。
「あんれー、きたむーじゃん」
俺の思惑通りにことは進まない。
「・・・おう」
ここ最近放課後に絡んでくる奴らだ。直接的な暴力こそ振るわれはしないが、
「テンション低いぜ?もっとアゲてこうぜ?」
「てか北村さあ、今日こんだけ持ってる?」
そう言って彼は指を五本立てた。鉛筆五本という意味でも五百円と言う意味でもない。
五千円持っているか、と言いたいのだ。
「今日売店で散財しちゃってさあ、帰りの電車代がないんだわ」
彼らは全員自転車通学であるし、電車に乗るだけで五千円はかからないだろう。どう考えたところで嘘だった。だが、
「ごめん、手持ちがないから」
そう言うほかになかった。問いつめれば、本当に暴力に発展しかねない。
「へえーそっかあ、持ってないのかあ」
「それ嘘じゃーん。カード持ってるって聞いたべ?」
あっさりと嘘と言われ、鞄を奪い取られる。
中身を放り投げて、俺の財布を探しているのだろう。あるわけがない。昨日同じ手口で二千円やられたので、財布を持ってこないことにしたのだ。
「ホントにないじゃん。なーんだ」
「期待して損したぜ、全く」
彼らは、鞄の中身を放置したまま去っていった。
「・・・・・・くそっ」
悔しかった。
情けなかった。
何も反撃できない自分が腹立たしかった。
あの程度の奴らにおびえている自分が嫌だった。
鞄の中身を全てなおした。教科書が少し折れていた。ノートはぐしゃぐしゃになっていた。
これが帰る時間を他の部員たちとずらしている理由だ。彼らまで、あんな奴らに関わらせるわけにはいかない。
それに部長は、正義感の強い人だった。俺のこの状況を知れば、間違いなく何かしらの行動を起こすだろう。
それは、まるで部長を利用しているような気がして、嫌だ。
だから、見られるわけにはいかないのだ。
いや、正直に言おう。
ただ見栄を張りたいだけなのだ。自分はこんな奴らにたかられるような存在だと認めたくないのだ。
客観に見られたら、それを受け入れなければならない。きっと、多分。
俺は中学生の頃から何も変わっていない。
無駄に格好付けて、自分は特別だと思ってて。
ふと空を見上げる。空はもう明るみを残しておらず、いくつかの星が瞬いていた。
「お帰りなさい、直矢兄さん」
家に帰ると妹の旭葉が料理を作って待っていた。
「ただいま。わざわざ待たなくても良かったのに」
「そう、だったんだ」
「・・・あー、ごめん。忘れてた。本当にごめん」
仕事の関係で、両親はずっと海外にいるため、家族で食卓を囲んだことは数えるほどしかない。だから妹はせめて俺くらいとは、と思って行動しているのだ。
そのことをすっかり忘れるなんて、
「俺、疲れてるのかな・・・」
「疲れてるんだったら先にお風呂入ってきた方が、いいんじゃない?」
「いや、先に食べるよ」
荷物を自室になおし、食卓についてお互い「いただきます」を言い、食べ始める。
「兄さん・・・」
半分ほど食べたところで、旭葉が話しかけてきた。
「ん、どうした」
「今日、何かあったの?」
「・・・・・・・・・・・・」
「やっぱり、あったんだ」
「いや、何もないよ」
そう言った。妹に心配をかけるわけにはいかない。
「だって、今日はいつもよりも変だし・・・」
そこまで変だっただろうか。いつも通りにしているつもりなのだが。
「本当に何もないって。体育で疲れただけだろ」
そう言って、お茶を口に含む。そして飲み込もうとしたとき、
「・・・もしかして、彼女ができたの?」
盛大にむせた。
「ごほっげほっ!がっ!・・・それこそあるわけない。俺に彼女ができるわけないだろう」
「そんなこともないと思うけど。なら、いいや・・・」
その後は特に会話もなく、黙々と食べ続けた。
「ごちそうさま。うまかったぞ」
「ありがとう」
食器を流しにおいて、風呂に向かう。そのときになって思い出した。
「悪い、俺ノート買ってくるから。先に入っててくれ」
あいつらに投げられた時に、数学のノートが使用不可能な状態になっていたのだ。今から買ってこなければならない。
「うん、わかった」
自室から財布をとって、中身を確認。不必要な分は置いていく。
「じゃ、行ってくる」
「気を付けてね」
俺はこのとき考えもしていなかった。もうこの場所に、帰って来れなくなるなんて。
自転車で十五分ほど走った先に一軒コンビニがある。そこが家からもっとも近いため、よく使っているのだ。田舎なので、近くの店が少ないのである。
自転車を走らせながら考える。
旭葉は中学二年生だが、家事の多くをやっている。もちろん旭葉だけにやらせているわけではない。妹に家事全部やらせるとかどんな鬼畜かと。
そんなわけで家事は分担して行っているが、なぜか料理だけは作らせてくれない。
いろいろと考えては見たものの、理由は見当もつかなかった。
やはり俺の料理がまずいからだろうか・・・。そんな理由だとは思いたくない。
そうやって考え事をしていると、周りが見えなくなる。よくあることだ。
だから気付かなかった。
自転車の前輪が、吹き飛ばされたことに。
「はっ?」
がくん、と自転車ごと前に倒れていく。とっさに自転車から飛び降りた。
直後、自転車は紙屑のように、宙を舞った。
「え、はあっ?」
目の前で起きたことが理解できない。当然だ。ついさっきまでただ自転車をこいでいただけなのだから。
そして理不尽な力は唐突に訪れる。
「えー、きたむーなんで避けるのー?」
聞こえてくる、耳障りなしゃべり方。
「お前・・・」
そこにいたのは、放課後に絡んだきた三人のうちの一人だった。
手を突きだした形で、立っている。
「んじゃ、いいや。とっとと消えてくれん?」
「・・・っ」
こちらの都合などお構いなしに、彼は猛威をふるう。
重要なことは今自分が目の当たりにしたことを、ありのままに受け入れることだ。
彼が手を振る度に、その延長線上にあるものが吹き飛ばされていった。
それが事実だ。
彼の腕をよく見て、攻撃を予測し、避ける。
「あひゃはははは!たーのしぃー!」
奇妙な笑い声をあげながら、縦横無尽に破壊の力をふるう。その姿からは、放課後に見た彼を想像することができない。まるで気まぐれで人を襲う肉食獣だ。
横っ飛びやフェイントを駆使して、その暴虐に抗う。
しかし、今まで見たこともない事象に人はすぐに適応することはできない。
「しまっ・・・!」
予想した方向と逆方向に手を動かされ、ついに直撃する。
何が起こったのか解らないまま、地面にたたきつけられ、壁に当たり、再び地面にぶつかり、ようやく止まった。腹の中が、肋骨が痛い痛い
「いたいぃぃぃいいいぃいいいぃぃぃいいいぎぃぃいいいぃぃいいぃぃいい!」
あまりの痛みに、叫ぶことしかできない。
痛い痛い痛い「いだいよぉ!いたいいたい!ぎぃ!ぃぃいいい!」痛い痛い痛い痛い痛い!
まるで身体が二つに別れたか、体の中に異物ができたような、そんな痛み。
それを意識する度に目の前がチカチカと明滅する。
痛みにのたうち回る度に、ぐちぐちと肉が擦れる音がたって、苦悶が倍増する。痛い痛いいたい痛い!
未だかつてこのような痛みは経験したことがなかった。
「うるせえべきたむー。でも不思議じゃん。なんで死なないん?」
死なせるつもりだったのか、お前、お前、お前は人殺しなのか、、、。
今までにも人を殺したことがあるような口振りだった。
「ふざげ!ぐべぇ!ががぁあがが!」
のどにも怪我を負ったのか、まともに発音する事もできない。それに痛みがひどくて、ひどくて、まともに考えることも出来やしない。
目の前にいる、憎い奴を殺すことしか考えられなかった。
「ごろしでやる!」
叫びながら、突撃する。無謀だ。だが止まらない。感情に身を任せる。
命のかかった戦闘において、それは愚の骨頂、もっともやってはいけないことだ。
動きは必然直線的になり、そこを狙われて終わりだ。
次の瞬間、右腕があらぬ方向へと曲がった。曲がった。反対に、間接の逆側に。
「ひぃぃいぎゃぁああぁぁああぁああぁあぁぁぁあ!!ぐぅい!あぎぃ!」
死ぬ死ぬ、しぬ!
いたいいたい!
無理に曲げられた右腕は皮膚がちぎれて、血が滴り始める。その周りには斑点のように血が浮き出てくる。
「叫ぶのやめてくれん?うるさくてかなわんわー」
痛い、ただひたすらに、痛い!
痛い痛い痛い痛い痛い痛い!
意識が飛ぶ度に、痛みで戻される。悲鳴が口から漏れ出てくる。目玉が裏返る。裏返って覚醒と気絶を果たす。
はいずりながら、逃げる。逃げる。必死に、目の前の驚異から遠ざかる。一秒でも十秒でも生きながらえようと、本能に従う。身体を動かす度に気が遠くなるほどの痛みの奔流が襲う。
べぎゃご。
変な音だ。
その方を向くと、ひだりのあしが、へんなほうこうに、まがっていた。膝には彼岸花が咲いていた。つまりは血が、おびただしい血が、
「ひぃっ、ひぃっ、ひぎゃぁあああぁぁぁ、あがががあがあがぁ!」
ちぎれる、ちぎれる!きりきりする。脳が痛い!きりきりきりきり。頭の中で醜悪な虫が何匹ものたうち回る。虫が醜い鳴き声を上げる。「ぎぃぃぃいいいぃぃいぃぃいぃぃいい!」俺もだ。目の前が真っ赤に染まり、目の奥では火花が散る。そのたびに痛みが電流みたいに俺を襲う。
しぬ、しぬ、死ぬ!しにたくない!
痛みに目を見開きすぎて、赤色の涙が頬をぬらす。
どうして自分がこんな目に遭わなければならないのか。ただノートを買いに出ただけでどうしてこんなことになるのか。死にたくない!
涙と鼻水と血で、顔はぐちゃぐちゃになっていた。
一体俺が何をした?右腕と左足を折られるようなことをしたのか?
このままじゃ、しぬ。絶対に死にたくない。
勇気も力もないけど、生きる気だけは、誰よりもある。
誰でもいい。神様でもいい。もう死なないなら何でもいい。
犬の糞だろうが靴だろうがなんだって舐めてやる。殺されたくない。このまま何もないまま終わりたくない。
生きるためだったらなんだってやってやる。
だからその『なんだって』をしなくちゃならないんだ!
足とか腕で、遊ばれている間に!
逃げることもできず、腕も足も使えない。そんな状況でも、俺にできることは、できることは、何かある。きっとある。
ただの高校生に、できること?この状況で?何も、いや違う!何かある!絶対にこの状況を覆して、俺は生き残るんだ!
状況は、腕が折れて、膝も折れて、多分肋骨も折れて、あれ?
何ができる?
何もない。何もできない。
俺にはなんの力もない。
それを理解した瞬間、全力で脳が原因を探し始める。
こんなことになった原因を、俺を苦しめた奴を!
すぐに答えは出た。
こいつだ。
こいつさえ、いなければ、こいつさえ、消えれば、こいつさえ、____
____殺せれば。
殺す、殺す、俺を、俺は折られた。絶対に殺し、殺す。
「おまえ、つ、つ、こ、ろし」
おまえを殺してやる。
自然と身体の痛みは引いた。
そしてなぜか、身体全体が一瞬だけ発光した。
頭の中に情報が流れ込む。『変異、発現、身体能力を向上、・・・』
俺はそれに従い、意識を集中させた。
瞬間、俺の身体を装甲が包む。まるでヒーローものの変身のようだ。
装甲は紅と黒の、メタリックなデザインだった。
どんな方法でもかまわない。
どんな力でもかまわない。
目の前にいる奴を、殺すことができるなら。
「んー?このタイミングで?なう?」
わけのわからないことを言っているが、無視して一気に距離を詰める。
刹那、俺の拳が奴の頬にめり込む。
「ぐぼおおおお!?」
何かが砕ける音を立てながら、彼は吹き飛ばされる。
「こんのやろ・・・」
彼も手を振るい、その強力な力を発現させる。
だが、その能力は俺の身体に触れると、何もなかったかのように霧散した。
「ちょっ、なんで、マジか!」
相手が動揺したのを見て、後ろに回り込み、右腕をつかむ。そして、徐々に力を加えていく。
「ちょっ、きたむっ、タンマっ・・・!」
待つわけがない。いきなりお前は俺を襲った。痛めつけた。殺そうとした!
同じ痛みを与えるまで、絶対に放さない。放すわけがない!
ぎりぎりと、音が鳴り始める。
「まじっ!まじで北村くん!ストップ!」
そして、ぼきっと、何かが折れる音がした。きれいな音だった。腕は醜く血を滴らせた。そしてそのまま、地面にたたきつけ、壁に当て、地面にもう一度、たたきつけた。さっき俺が与えられた痛みと同じ手順だ。
「・・・ぐへぼっ・・・ぐううぇえぇえぇえ!」
彼は痛みに苦しみ、吐血する。血だまりを作る。汚い。
報復だ。倍返しにしてやる。
腹に馬乗りになって何度も、何度も、何度も何度も何度も何度も殴り続ける。
「ごばっ、ぐうぇええ!ぎゃっ!げぼばっ!」
口から血を吐き出す。叫び声が打つ度に返ってくる。
お前の!せいだ!お前の!せいだぁぁああ!
今日起きたこと全部!お前が、関わってきたから!
腕さえ、潰せば!こいつはなにもできない!ただの人だ!
お前から全てを奪ってやる!力も、カネも、命も!
何度も何度も殴り続けるうち彼はなにも反応を示さなくなった。
「ほぅら見ろ!」
やっぱりお前みたいな奴は弱いんだよ。徒党を組むか、力がないと何もできない!俺も同じだけどなあ!
でも俺が勝った!今俺が勝った!つまりぃ、お前は俺より弱いんだぁあ!
弱い奴が何で俺を襲うんだよ、ふざけんな!
体を殴る度に、何かが砕けるような音がした。柘榴が飛び散る。肉が裂ける。ぐちゃぐちゃと、べちゃべちゃと粘着質な音を立てる。
その音すら、しなくなった。
とどめをさそうと、地面に倒れる彼の心臓をめがけて、血塗れの拳を振り下ろそうと構える。
その拳が、誰かの手に止められた。
「・・・・・・・・・」
その、拳を止めた手の先を見る。顔を見る。見知った顔があった。
「・・・時宮、先輩」
「もうやめなさい、北村君」
俺が所属する伝承研究部の部長、時宮玲奈がそこにはいた。
非日常にあった感覚が現実に戻される。
そこには、砕け散ったアスファルトと、壊れた自転車と、血塗れの男の身体があった。
「お、俺は、今、何を、しようと・・・?」
俺は今、人を殺そうとした。確かに殺そうとしていた。自分が殺されかけたと言えども、その事実は変わらない。
さっきの彼と何も変わらない、人殺しだ。
「大丈夫よ。彼はまだ死んでないわ。今のあなたと同じだから」
先輩はあくまでも冷静だった。
「ぅうっ・・・」
何かが胃の中からこみ上げてきた。耐えきれずに先輩から離れて吐く。それが喉を通る気持ち悪さに、もう一度吐く。胃の中の物を出し尽くす。酸っぱい味が歯の間に染み渡る。
何処かに電話をかけて、彼を運ぶように伝えると、こちらをまっすぐと見る。
「あなたにも説明しないといけないわね」
「・・・何を、ですか?」
「その力について」
そう言うと、先輩は歩き始めた。
「着いてきなさい」
憔悴した俺に、そうする以外の選択肢はなかった。
歩きながら、先輩は説明する。
「あなたが使ったのは進化した人類の力。次代の人の力よ。死にそうになったときや危険が迫ったときに、極稀に発現すると言われているわ」
「じゃあ、先輩も・・・?」
「ええ。というより、伝承研究部の部員は全員超能力者よ」
「そうなんですか」
そう言う意味で聞いたのではないのだが。
「思っていたよりも驚かないわね。普通、こんな訳の分からない力を手にしたら、もっと動揺すると思うのだけれど」
確かに普通の状態だったら、もっと驚いていたし、動揺もしていただろう。
しかしついさっきまで極限状態にあったので、心がひどく落ち着いていた。実際に目の当たりにしたし、自分がそれを使ったというのもある。
「やっぱり日本文化の影響ですかね」
そんなことを言って誤魔化す。そしてふと気になった。
「それよりどこに向かっているんですか?」
「わたしたちの家。超能力者の集い場」
わたしたちの家・・・?
一体、どういうことだろうか。超能力者の集い場というのは何となく想像はつくが、前者はよくわからなかった。
十分ほど歩きながら説明を受けた。
超能力者には、能力を持たない者を『オールド』とさげすんで、危害を加える者もいる。先ほど俺を襲ったのはその急先鋒らしい。
そして今向かっているのは、そういう過激思想の者たちを抑えるための組織の集い場だというのだ。
「着いたわ」
そう言って先輩が止まったのは、道の真ん中、周りに塀ばかりがあるところだった。思い出したように先輩が話しかける。
「あなた家族には連絡した?」
「あっ・・・」
まずい。ノートを買ってくると言って出て、もう四十分ほど経っている。そろそろ旭葉が心配し始める時間だ。連絡をしておいたた方がいいだろう。
しかし、
「なんて伝えますか、この状況を?」
ありのままに事情を説明して良いとは思わなかったため、先輩に確認した。
先輩は、少しだけ表情を歪めて、
「きちんと考えて、伝えなさい。もう家には戻れないわよ」
その衝撃的な事実を告げた。
「家に、戻れないとは?どういうことですか?」
「・・・私たちのような超能力者がいると、その家族まで過激派は攻撃してくるわ。だから、覚悟を決めなさい」
・・・そういうことは、もっと早く伝えてほしい。
家に帰れないということは、たった一人の家族、旭葉と、もう会えない、ということでもある。そのことは俺の胸に深く、食い込んだ。
いや、会うこと自体はできるだろう。しかしそれは、旭葉を危険に巻き込むということでもある。
絶対に、旭葉を危険な目にあわせるわけにはいかない。
だから、もう会えない。
「何で・・・」
何でこんなにも、今日は厄日なんだ。
「それから、不自然にならないように、家族からあなたの記憶を消させてもらうわ。だから、よく考えて、言葉を残しなさい」
さらに苦しい事実が告げられる。
「・・・・・・・・・・・・」
携帯は幸いにも画面にひびが入っただけで、壊れてはいなかった。
五分ほど考えて、旭葉に電話をかけた。
数コールののちに、旭葉が出る。
『もしもし。どうしたの、兄さん』
「・・・ごめんな」
『えっ、本当に、なに?何かあったの?』
「大丈夫だ。何もない」
『そっか、よかった。・・・じゃあなんで電話かけてきたの?』
「ちょっと伝えたいことがあって」
俺たち兄妹が交わす最後の会話だ。
「俺にとっての家族は、お前だけだ。だから絶対に、俺はお前を忘れない」
俺にとって旭葉は心の芯だった。
『えっと、兄さん?何を、言ってるの?』
実際に俺と血がつながっているのは旭葉だけだ。父さんと母さんは、両親を亡くした俺たちを引き取ってくれた。
だけど、途中で子育てを放棄して、仕事を理由に海外に逃げた。今は金だけが送られてくる。このことを、旭葉には伝えていない。
だから、
「お前には、本当に申し訳ないと思っている。でも、俺はお前が好きだから」
喧嘩をしたときもあったけれど、やっぱり旭葉を嫌いになることはなかった。
それでもこの事実だけは、伝えられなかった。
傷つく旭葉を見たくなかった。
最後に旭葉を傷つけたくなかった。
最後の最後まで、なんて勝手な兄なんだろう。
『え、ええ?好きって兄さん、どういうことっ!?』
「一方的でごめん。今まで、一緒にいてくれて、ありがとう」
そう言って、電話を切った。
そして、先輩に顔を見せないようにしながら言う。
「すいません。長く待たせてしまって」
「・・・いや、いいのよ」
本当は泣き叫びたかった。もっと旭葉と話したかった。泣いて泣いて、抵抗したかった。
だけど、それは旭葉に危害を加えるのと同義だ。
俺は、妹を傷つけることは絶対にしない。
それに、多分先輩もこの悲しみを乗り越えているはずだから。
目元を袖でぬぐって、向き直る。携帯の電源は切っておいた。もう、旭葉と関わることはできなくなる。
さようなら、旭葉。
心中で、もう一度呟いた。
先輩が塀の前で何事か呟くと、塀に黒い穴が開いた。
「ここが入り口よ」
先輩は先に入ってしまう。
さっきから超常現象ばかり起こっているが、特に驚きはなかった。感覚が麻痺しているのだろうか。
「・・・俺は、まだそっちに行くって決めた訳じゃないですよ」
ためらった後で、俺も後に続いた。
この瞬間から、北村直矢は普通の世界から『超能力者』というものが跋扈する世界へと、足を踏み入れていた。
プロローグ 了