第25話 近衛騎士隊の隊長
「姫ちゃん、どうしたんですの!?」
「姫姉!?」
背後から声が聞こえた。至極天から飛び降りてきたのだろう。ササレクタとイルミネーニャも、この場所にやって来たようだ。ミーレちゃんが、実はユーノ王女だという事実を知った私は、半ば放心状態でそちらに振り向いた。
「うっわ!?」
「姫ちゃん……」
近衛騎士の間から現れた二人は、私を見て滅茶苦茶顔を顰め、自分の鼻を押える。そして、二人はそれ以上近づかなくなった。酷い。ちなみに、私は鼻で息をしていない。口でしている。
「ササアアー……。イルミネーニャアアアー……」
助けを求めて、両手を二人に向けゆっくりと持ち上げた。そして、右足一歩だけ歩みを進める。
「ちょ!? こっち来ないで!」
イルミネーニャが後ずさる。それに釣られて、辺りの近衛騎士たちも一歩足を引く。酷い。
「そんな事言うなよー……」
そう言いながら、そのままもう一歩左足を前に出す。
「ちょ!? ホントにこっち来ないでってば!」
「ひ、姫ちゃん! お止めなさい!」
すると、イルミネーニャがまた後ずさる。今度はササレクタも。そして、それに釣られて辺りの近衛騎士たちも、また一歩足を引く。酷い。そこで私はピタリと足を止め、腕を下した。
「…………」
酷いよ、皆……。こんな事になっているのは、私のせいじゃないのに……。
「ひ、姫姉……?」
俯いて押し黙った私に、イルミネーニャが心配そうにこちらを窺う。
「…………」
「ご、ごめん、姫姉。ちょっと言い過ぎたよ」
「…………」
「大丈夫、すぐに水を持ってくるから――」
――なんてな!
「イルミネーニャああああ!」
私は、がばっと顔を上げると両腕も前に突きだし、イルミネーニャに向かって走り出した。
「ぎゃあああああああああ!?」
「姫ちゃん!?」
『うおおおおおお!?』
絶叫するイルミネーニャを、ササレクタが抱えて走り出す。私も負けじと、追いかけ始めた。近衛騎士たちは、そんな私たちから逃れようと、慌てて道を開けてくれる。
「まーてー! おーまーえーらー!」
「ぎゃあああああ!? こっちくんなああああ!!」
イルミネーニャの悲鳴からは、必死さが伝わってくる。随分と、この私の事がお嫌いのようだ。しかし、それは誤解から生まれた、悲しいすれ違いに過ぎない。なればこそ、私はイルミネーニャをこの胸に抱きしめ、その誤解を解かなければいけないのだ。その暁には、今まで私に欠けていた愛も、きっと伝わるはず。
そうさ。取って付けたような仕草なんか必要なかったのだ。ただ、抱きしめる。これだけで良かったのだよ。そして、それはササレクタにだって伝わるであろう。というわけで――。
「まああてえええ!」
「いやああああああああ!」
くけけけけ! お前らも道連れじゃああ! 同じ目に遭わせてやる! ぎゅうっと抱き着いてくれるわ! 私は、ただ只管に、彼女たちの愛を求め走り続けた。待て待てー!
しかし、そんな追いかけっこも、すぐに終わりを告げる。ササレクタが、その手に持った槍を私に向け、立ち止まったからだ。
「姫ちゃん。それ以上近づいたら、此咬みを食らわしますわよ……」
先程の外壁門の時より、よほど殺意の籠った眼で睨みつけられ、本気だと分かる。
「ちぇっ」
流石に今は、至極天を相手にする気にはなれない。私はしぶしぶ追い回すのを止めた。
「イルミネーニャ、水を頼む」
「はあ、はあ……。――もう! ホントそういうのは、冗談でもやめてくれよ!」
「はーい。ごめんなさーい」
そう謝りつつも隙を窺う私に、ササレクタの槍はこちらに向けられたままであった。ちっ、よく分かってるじゃないか。
「じゃあ、ちょっと桶に水汲んでくるからさ」
「うん、お願いね」
「いやいやー、大丈夫だよー。イルミちゃん」
イルミネーニャが研究所に向かおうとすると、私たちに声を掛けて来る者がいた。
それは、緑がかった黒髪をすき上げた中年の男性。背はササレクタより若干高く、体格はごつくもなく細くもない。ただ、引き締まってはいる。しかし、顔の締まりは何処にもない。
いつも眠そうな垂れた目。今は無精髭も。全体的にだらけている。その相変わらずの緊張感のなさは、彼の低めの声からも滲み出ていた。
「あ! ゴトキール様!」
イルミネーニャが言う様に、彼の名前はゴトキール。そして、近衛騎士隊の隊長。つまり、副隊長であるイージャンの上司だ。
「イルミちゃん、その服似合ってるよー。そこにおわすドロドロのお方より、よっぽどお姫様らしい。はっはっは!」
「い、いえ。そんな……」
「いやいや。おじさんは可愛いと思うなあ。ねえ、ササレクタ様?」
「う・ふ・ふ。ですわね。似合ってますわ」
「あ、ありがとうございます……」
ゴトキールとササレクタに褒め殺しをされて、イルミネーニャは顔を赤くしながら縮こまる。
「ちっ。ゴトキール……。いたのかよ……」
「舌打ちとは酷いですなあー。こちらのお姫様は」
「ふん」
こいつは、適当人間だからな。これくらいが丁度良いんだよ。
「ほら、水を持って来ましたから、これ頭からぶっかけて下さい」
ゴトキールはそう言うと後ろを親指で差した。すると、そこには桶を抱えた近衛騎士が二人控えていた。
「まだ、持って来させています。何杯か被った方がよろしいでしょう」
「ああ、助かる」
やれやれ、有難い。これで、この状態からおさらば出来るわ。私は、桶を受け取りそのまま頭から水を浴びせた。
「ふう……」
ゴトキール達の持ってきた桶の水を頭から被ったり、顔を濯いだおかげで、綺麗さっぱりになった。そのせいで、頭に着けている布も含め、服が水浸しになってしまっているが。地面も水溜りになっている。ま、すぐに乾くだろう。
臭いもないと思う。これで、鼻から息もできる。しかし、ゴトキールはそうでもないが、ササレクタとイルミネーニャの距離は若干遠い。ふふ……、寂しいもんさ。
シドー先生は、私と同じように水をもらい、ミーレちゃん――じゃなかったユーノ王女の介護をしている。まあ、あそこじゃ水を飲ますくらいしかできないから、すぐにでも動き出すだろう。シカルアヒダの一行と一緒に、部屋で安静にしていた方が良い。
しかし、ミーレちゃんがユーノ王女とはねえ……。未だに信じられないんですけど。全く見事に騙された。まあ、この件はユーノ王女が回復したら、きちんと説明してもらわなければな! 私を謀った謝罪とかもな!
近衛騎士たちは、ゴトキールの指示の元、事後処理に当たっており、中庭にぱらぱらと散開していた。結局その数は三十七人だった。狼煙玉も低かったとはいえ上がったし、そろそろ王国兵士が来そうだ。その対処も彼らがするだろう。
「はっはっは。いやー水も滴るいい女とは、まさに姫様の事ですな」
「うるさい」
そんな世辞を、真に受ける私ではないのだ。ホントこいつは調子が良い。自然と溜息も出るってもんだ。そして、その通り「はあ」と息を吐くと、何の気なしに鼻から息を吸い込んだ。
「――うっ!?」
すると、またユーノ王女と同じような匂いがして、私は顔を顰めた。今回の犯人は、別人。隣に立っているこのおっさんだ。
「ゴトキール!」
「はい、姫様?」
「お前も、お酒飲んでたのか!?」
ちょっと、そりゃないだろ!? 職務中に何やってんだよ! しかし、咎める私に気付かないのか、彼は嬉しそうに、その垂れた目を細めた。
「いやあ、シドー様が御婚約されたと聞きまして。居ても立ってもおれませんでした。はははは!」
「はあ!?」
こいつはー! 何、呑気な事を! お酒を飲んでいたとは、職務怠慢も甚だしい。結果、無事に事なきを得たが、下手すれば死傷者だって出たかもしれないのだ。それに、こいつは近衛騎士隊の隊長。他の騎士たちに示しがつかない。
「お前――!」
「ええ!? シドー様、ご結婚されるんですか!?」
私が問い質そうとすると、驚いた声がイルミネーニャから上がった。
ああ、この子は知らなかったか。まあ、私だって昨日知ったばっかりだしな。イルミネーニャは休日だったから、その機会はなかったか。
「うん、そうなんだよ、イルミちゃん! いやあ、実にめでたい! だから、おじさん、ついつい朝までシドー様と飲んじゃってねえ! はっはっは!」
先生と飲んでたのかよ。しかもついさっきまで。まあ、ここにいるって事はそうか。しかし、お酒は飲んでも飲まれるなを、きちんと守っている先生は流石である。あの動きは、そんな感じではなかった。
「はああー……。信じられない……。あのシドー様が……」
イルミネーニャが、瞠目しながら先生の方に顔を向ける。いやホント、皆同じような反応するよね。――って、それは取り敢えずいい。私は、詰問をやり直す。
「おい、ゴトキール! お前、職務中に――!」
「いやいや、姫様。もちろん私は非番だったんですよ? はっはっは」
何だ、非番だったのか。そりゃあ、私は何も言えんわ。規則に、背いているわけではないしな。運悪く、その非番の日に襲撃があったと、言い訳ができる。だがな、お前は肝心な事を忘れているぞ。
「ほう……。しかし、お前の妻は、どう思うかな?」
「う゛っ!?」
私が何も言えなくとも、彼女は、違うと思うなあ。ゴトキールも、イージャンと同じ恐妻家なのだ。そして、その妻はシビアナとは違い、純然たる実力行使派。
だから、貴賓である他国の王族がいるのに、朝までずっと先生とお酒飲んでたら、賊に襲われました――。これを知ったら、例え非番であったとしてもその体たらく、只では済むまい。
「あいつは、お前がここで酒を飲んでいることを、知っているんだろう? ええ?」
故に、逃げ場なしである。鉄拳制裁が下るであろう。ちなみに、言い訳でもしようものなら、それは火に油を注ぎ、でっかい花火の玉を放り込むようなものである。実際どうなるかは彼のみぞ知る、だがな。
「いや! その――! も、もちろん、妻は知っております! ですが、大丈夫ですとも! 今回は不可抗力です! 不可抗力! はははは……」
「ほーお、そうか、そうか。そうだといいなあ」
「はは、ははは……」
こいつ、態度が豹変しました。冷や汗掻いとります。ここに行くことは伝えていても、先生と大酒飲むつもりだったことまでは言ってないな、こりゃ。だから、大丈夫と。襲撃も防げたし、お酒の事まで追及は来ないと踏んでいるわけか。ふっ甘いな。
「ん゛っんん……。それよりも、姫様」
咳払いをして、なに話を逸らそうとしてんだか。ま、私が言わなくても、その内バレるだろう。
「襲撃者のこの戦力。姫様から見てどうでしたか?」
「何?」
いきなり真面目な話になったな。
「シドー様やササレクタ様、そして姫様抜きでも、充分対処可能でしたかな? 最後のを入れても、です」
「ふむ……。そう、だな……」
私は襲撃の様子を思い返してみる。だが、そんなに時間は掛からなかった。すぐに、結論は出る。
「多少、時間は掛かかるが、いけるな。問題ないと思えた」
「あの三人は?」
「奴らは、二、三人で囲めばいいだろ。――いや、それすらも必要ないように感じたがな」
「そうですか。姫様にそこまで言って頂けるとは。いやいや頼もしい限りですな、我が近衛騎士隊は」
ゴトキールは無精ひげを擦りながら、うんうんと頷いた。
「姫様」
「ん?」
「後で、彼らに労いの言葉でも、お願いします」
「ああ、勿論だ」
彼らがいてくれたおかげで、この襲撃は失敗だ。その働きは見事。流石は、騎士最強といえよう。シカルアヒダの皆に、被害は出ていないのも面目躍如だな。ユーノ王女は、まああれだが……。
しかし、ローリエや王宮侍従官がいなかったのは、助かったな。守る対象が少なくなった。これで、シカルアヒダに専念できたはずだ。ただそれでも、守り切れる公算は大きかったと思うが。
「ああ、そうだ。ゴトキール」
「はい?」
「ローリエが何処にいるか知っているか? あと、王宮侍従官達も」
知っているなら、教えて欲しいな。気になってたんだ。
「知っております。安全な場所、ですよ」
「どこだ?」
でもさ、ここら辺で避難に向いている場所って、少ないよね。近隣には王国兵士の屯所もなかったはずだ。私には、思い当たる場所がなかった。そして、ゴトキールが教えてくれた場所も、意外であった。
「カトゼ大神宮です」
「ええ!? あそこか? よく避難させられたな?」
ここから、カトゼ大神宮は距離がある。避難場所には適さないような気がするんだが。
「なに、単純な話ですよ」
ゴトキールは肩を上下に揺らした。
「ローリエちゃんは昨日のうちに、あちらに移ってもらっていたのです」
「え? そうなの?」
「彼女には、他国の王族が滞在するということで、外してもらいました。王宮侍従官も今はそこです」
成る程ね。襲撃がある前から、ローリエは既に安全な場所にいたというわけか。あそこは、カトゼの武人がわんさかといる。ある意味、近衛騎士隊より戦力があるだろう。王都では、王宮の次くらいに安全な場所だ。しかし、私はこの答えが腑に落ちなかった。
「うーん」
「どうしました?」
「いやな? シカルアヒダの都合で、ここに泊まったわけだろ? だから、些か不躾だと感じる。それに、そんな事シドー先生が許すわけないじゃない?」
先生は、こんな事くらいで、ローリエに別の場所で寝泊まりしろとか言わないだろう。追い立てるような蔑ろにするようには思えなかった。
ローリエが婚約者だろうがなかろうが、別に気にしないよ。誰が泊まろうとさ。逆に、シカルアヒダへ彼女に気を遣えとまで言いそうなのに。すると、ゴトキールが何でもなさそうに答えた。
「姫様ならいざ知らず、他国の王族がいるのでは、息が詰まりますよ。それなら、いっそ離れていた方がいいでしょう?」
「ふうむ。それなら納得できるか」
まあ、確かにそう言われてみればそうだな。あの子は、私の前でも豪く緊張していたし。それが、他国の王族ともなると、更に気が気ではなくなるかもしれんな。先生は、ローリエに気を利かせていたのか。それが、功を奏したわけだな。
「教えてくれて、ありがとな」
「いえいえ」
「――で、こちらの他の損害は?」
これも、確認しておこう。シカルアヒダは皆無事だが、近衛騎士の方はどうだったのかな? 見た感じ、重傷者はいなかったんだけど。
「人的被害は皆無です。怪我人もなし」
「そりゃあ良かった」
やはり、問題なかったようだな。
「ただ――」
「ん?」
「物的被害は、まあ中庭だけが甚大ですなあ……」
ゴトキールはそう言いながら、中庭に目を移した。まあ酷い有様だ。昨日私が暴れてできた破壊の跡が、可愛く見える。外壁門の惨状よりも酷かった。砕かれ抉られ尽くした地面。そして、奥にはササレクタの至極天が突き刺さっている。
「これは補修が大変でしょうな」
「だろうな」
「ま、姫様が昨日あれだけ暴れて破壊してましたから、やる事は然程変わりませんかな? はっはっは!」
「うっさい」
余計なことを言うんじゃないの。
「姫ちゃん、それは初耳ですわね……」
「姫姉……。何やってんだよ……」
二人の非難めいたジト目視線が私に突き刺さる。ほら、こうなった。
「こほん。ま、それはともかく――」
私も咳払いをして話を逸らす。
「ゴトキール。あの襲撃者はどうする?」
如何せん数が多い。ここいる近衛騎士だけでは、手に余るだろう。とはいえ、これは機密に関わる事らしいから、王国兵士たちには任せられないのではないだろうか。援軍を王宮から呼び寄せる気かな?
「近衛騎士隊としては、あまりやる事はありませんな」
「ん? どういう意味だ?」
「あちらをご覧ください」
ゴトキールが指差した方を見ると、それは、白装束の中身を検分していた近衛騎士たちだった。彼らは、白装束を剥ぎ始めた。すると、中から見えていたのは、人間とはまるっきり違うものであった。
形は人間に見える。だが、黒い煙から出てきた連中と同じだ。珊瑚頭だった。殴った時に、手応えがおかしいと感じた理由は、やはりこれか。私は、千響万歌を使い終わった時に、おかしいと違和感を覚えた。
そして、同じだったのだ。あの目つきの鋭い奴を、殴り飛ばした時に感じた感触と、こいつら殴った時の感触が。人間を殴った感じがしなかった。感覚的なものであるが、人より硬いと感じた。
しかし、おかしいのは、それだけではない。
「嘘……、何あれ……?」
イルミネーニャがこう言うのも無理はない。白装束の服だけではないのだ。全てが白い。中身が、石で出来た白い彫像のようだった。一体何なんだよ、あれは……?
「シドー様が仰るには、あれは石灰――、だそうですな」
「石灰……」
はあ……。これは、王家に関係なくとも、機密扱いになるような事案だな……。
「死んだら、石灰へと変質するのだとか。いやはや、これは――」
ゴトキールは、目を細め顎を擦る。
「まあ、死んだらと言ってもいいのかも、私には分かりませんがね」
それは、私もだがな。
「姫様。恐らくここらへんの事情は――」
ゴトキールは、そこで言葉を止め、言外にその先を匂わすに留めた。
機密か。
「分かった」
私は、ゆっくりと頷いた。




