第1話 81.5
「…………え?」
私は化粧台の鏡に映った自分を見て、呆然としてしまった。
髪の毛が透明になっている。
透け透けになっているのだ。
目をよく凝らしてみないと、そこに髪の毛があるのかも分からないくらい。
しかしその代わりに、今まで髪の毛で隠れていた場所が、くっきりと鏡に映し出されていた。
つまり。
「ぎゃあああああああ!?」
自分の頭皮が丸見えになっているという事なんだよ!!
「いっやあああああああ!!」
私は、自分のあられもない姿を見て、一気に目が覚めた。
つるっつるだよ! 綺麗さっぱり真ん丸頭だよ!
もう本当剃ったような! 髪の毛を一本も残さず、剃りつくしたような清々しい頭だよ!
ていうか、これええ! これえええ!!
私は、この頭にピッタリの言葉を知っている。
「ハゲええええ!? 王女がハゲええええ!?」
先生とお揃いだよ! 師弟揃ってハゲだよ!
いや、違えよ! あんなおっさんと一緒にすんな!!
私、女の子! 可愛い可愛い女の子!
損害が尋常じゃないんですけどおおおお!?
「姫ちゃん! どうしたんですの!」
「――はっ!?」
私の悲鳴を聞きつけたのか、隣の衣装部屋からササレクタの叫ぶ声が聞こえてきた。
ドンドンと扉を叩く音と共に、扉の取っ手を回しているのが見える。
しかし、私の寝室の扉には鍵が掛かっているので、こちらに入ってくることはできない。
やべええ!!
見られたら絶対爆笑される!! 一生もんの傷を負わされるうう!!
死守! 死守せよ!
何人たりとも、この扉を開けることなかれ!
私の本能が即座に決断を下した。
「大丈夫だ!! 寝ぼけてただけ、寝ぼけてただけだから!!」
私はササレクタに、その場しのぎの嘘をつく。
ちょっと向こう行っといて!
一人にさせて! お、落ち着きたいの! 冷静になれる時間を――!
「なら、ちょっと扉をお開けなさいな! 確認しますわ!」
おいいいいぃい!?
ササレクタには、私の言葉なんて関係なし。
逆に、扉を叩く音と取っ手の動く速さが、ひどくなった。
ていうか、扉の取っ手をガチャガチャさせんな! ぶっ壊れるだろうが!!
――いや、今のこいつならぶっ壊すわ、間違いない!!
壊れたらどうなる!?
取っ手が壊れれば、鍵も一緒に壊れてしまうんじゃないか!?
そしたらササレクタが、この部屋に入ってくるじゃん!!
最悪の状況になると判断した私は、急いで扉の前に立ち、ササレクタが壊さないよう取っ手を両手で押えた。
「姫ちゃん!? 姫ちゃん聞いてますの!? 何で取っ手を握ってますの!?」
「いや、お前が取っ手壊しそうだからだよ! ちょっと待てって!」
「待つ理由がありませんわ!」
「ええっ!?」
お前何でそんなにグイグイくんの!?
あーん、もう!
何か、何かないか!? こいつのこの追及を逃れる手立ては!
「いや、その――、は、裸だから! 今何も着ていないんだよ!!」
これでどうだ!
私は焦りながらも、この状況を打破できるそれらしい嘘を思いつくことが出来た。
でもね、これある意味ホントだからね! 頭が剥き出しの真っ裸だからね!
「――ちょっとそこ、お退きなさいな……。扉ぶっ壊しますわ……」
おいいいいぃい!?
いきなり、それ!?
極端すぎるだろうが! どうして、すぐにその発想へいきつくんだよ!?
「聞けよ話! 裸だって言ってんだろ!?」
「そんな嘘、通りませんわよ……」
ちぃい!
こんな時まで勘が良いよね、お前はああ!
「嘘じゃないから! 落ち着け!! 扉を壊そうとすんなよ!!」
「…………」
「おい、聞いてんの!? ササ!? ササ!?」
「……すぅうう」
――やばい!!
私は、ササレクタの気配が変わるのを感じて、横に跳んだ。
こいつ扉を蹴破る気だ!!
ああ!! バレるバレるバレるバレる!! 笑われるううううううー!!
「ササレクタ様!? どうしたんですか!?」
扉が蹴破られると思った次の瞬間、動揺したようなシトエスカの声が、足音と共に聞こえてきた。
足音の数からするに、ゼニシエンタも一緒に来ているようだ。
「……ふうー」
シトエスカ達が来てくれたおかげで、ササレクタの気配から必殺の気合が無くなった。
た、助かったあー……。間一髪だよおおお。
しかし、依然として予断を許さない状況であることには、変わりはない。
「シトエスカちゃん、ちょっとこの扉を開けて下さるかしら?」
「は、はい?」
ほらね!
そう言うと思ったよ!
「えっと……」
シトエスカは、困惑しているようだ。彼女は状況を理解できていない。
しかし、私の侍従官である彼女は、この部屋の鍵を持っているのだ。
「シトエスカ!! 駄目! 今開けたら駄目だからな!!」
私は扉の前に戻ると、取っ手を持ちながらシトエスカにそう伝える。
「え? 殿下、起きてらっしゃるのですか?」
「起きてるよ! とにかく扉を開けちゃあ駄目だからな! 今裸なんだよ! だから駄目!!」
「構いませんわ。開けて下さるかしら?」
「駄目、駄目! ぜーーったい駄目!!」
「えっと……。どうすれば……」
シトエスカは、私とササレクタの意見に挟まれて、右往左往としているようだ。
よし! ここは私に任せろ!
「シトエスカ! ササを連れて大広間に戻ってくれ!」
私はキリリとした声で、ビシッと指示を出した。
「は、はい! 畏まりました!」
よっしゃあああ!! 流石はシトエスカじゃあああい!
お酒が抜ければ、頼りになる侍従官なんじゃあああい!
ふっふっふ。
あの子は私の!侍従官だからな。
最終的に、この私の意向を汲むのは当然なのさ!
まあ、シビアナはそうじゃないけどね!
「姫ちゃん……。いい加減になさいな……」
これで片が付いたと思ったのも束の間。
ササレクタから、苛立ちを孕んだ怒気の声が聞こえてきた。
全然納得なんかしていないと言わんばかりだ。
「お前がいい加減にしろ!! 私が問題ないって言ってんだろ!!」
しつこすぎるぞ!
どうして、そこまで拘ってんだよ、お前は!?
「ふー……。やっぱり蹴破りますわ」
「ササレクタ様!?」
「おいいい!?」
状況が一気に振り出し戻った。
ああ……これはもう、あかんかもしれん。
くうう……! 最早これまでか……。
ここまで頑張ったのに! ちくしょうおおお!
私が半ば諦めかけていた、その時。
「あー……。ササレクタ様、ちょっと……」
今まで黙っていたゼニシエンタが、ササレクタに声を掛けた。
「――どうしたんですの? ゼニシエンタちゃん?」
おお……おお!?
何気に凄いぞ! ゼニシエンタ!
なんとあの子の言葉で、ササレクタの行動に待ったをかけることが成功していたのだ。
戦闘態勢に入りつつあったあいつに、そんな事できるとは……。
ゼニシエンタ、末恐ろしい子!
「少し言いにくいんですが……。あの……私聞いたことありまして……。こちらへ」
「何ですの?」
ゼニシエンタの言葉につられて、ササレクタの気配が扉の前から少し遠のいた。
「実はですね――。ごにょごにょ――」
小声で何かを喋っているようだ。
何だろう? 何話してんだ?
私は扉に耳を当ててみたが、その扉に遮られて、ゼニシエンタの声が上手く聞き取れなかった。
ただ、
「お酒を飲みすぎるとですね……」
「裸になっているっていう事は……」
と、言っているのは聞こえた。
それから少しすると、ササレクタの気配がまた扉の前に戻ってきた。
ああん!? こいつ、まだやろうってえのか!?
私が身構えていると、ササレクタが「はあ……」とため息をつき、
「姫ちゃん」
「何だよ?」
「おねしょしたんなら、そう言いなさいな……」
と、疲れた声で言ってきた。
………………。
はあ!?
はああ!?
「するわけないだろ!?」
私は声を張り上げた。
お前何言ってんだよ!? 私がこの扉ぶっ飛ばすぞ!?
………………。
し、してないよな?
一抹の不安を感じてしまった私は、念のため一応下着を確認する。
――おお、してない、してないわ。
と、当然じゃないか。
「はあ、もういいですわよ……。流石にこれは笑いませんから……。いえ笑えませんから……」
何で少し寂しそうに言ってんだよ、お前!
「おい、何勘違いしてんだよ!?」
「大丈夫。私達だけの秘密にしておきますわ」
「いや違うから! 違うんだよ!? ササ! ねえササ!?」
お前さっきまで勘が良かったのに、何でこんな時だけポンコツなの!?
分かるだろうがっ!
「じゃあ、私は帰りますわね」
「ええ!?」
ササレクタは納得したのか、扉の前から動き始めるのが分かった。
ていうかお前、誤解したまま帰るんじゃないよ!
「おい! おい、ちょっと待て!」
「シトエスカちゃん、ゼニシエンタちゃん。後はよろしく、ですわ」
「はい、畏まりました」
「はい!」
「こら! 話を聞けって! え? ササ? ……あれ?」
ややあって、遠くで前室に続く扉が、閉じる音がした。
ササレクタは本当に帰ってしまったようだ。
………………。
何で、あいつは私の話を微塵も聞こうとしないの?
ササレクタのいなくなって私が唖然としていると、「さて!」とゼニシエンタの明るい声が聞こえてきた。
「姫様、私達も戻りますので! あ、私、宴会の片づけついでにそのまま厨房へ行って、ちょっと朝ご飯食べてきますねー」
――え!?
「ちょちょちょちょーい!!」
「ん? どうされました、姫様?」
何その言い草? 何事もなかったように言いやがって!
お前が言ったことが引き金となって、私の沽券に係わる事案に発展したんだよ!?
自覚なしか!
「ゼニシエンタ!! お前ササに何言ったんだ!?」
せめて説明していけ! 元凶!
「あー……。いやあ、お酒を飲みすぎた時って、そのまま寝るとおねしょするって北都じゃ有名な話だと。それで、着替えるのに全裸になることはよくあることだって、お母さんに聞いたことがありまして――」
「しねえよ!? そんなのと私を一緒にすんな!」
「あ、はい。分かってまーす」
心が籠ってねーなー、お前はよおおお!
ていうか、とんでもないわ! 北都の人間とんでもない! そんな日常嫌すぎるだろ!?
それ真に受けちゃったの、ササレクタは……?
「それじゃあ姫様行ってきますねー」
「いや、お前全然信じてないだろうが! おい待て!」
しかし、私が引き止めるのも空しく、たたたっと走る足音が遠ざかっていく。
最早、私の言葉は届かない。
あの子の頭は既に、「今日の朝食何だろなっ」的な思考に支配されているのだ。
ていうか私の事より、自分の食い気を優先すんな!! このポンコツ二号が!
「殿下……」
最後の残ったのはシトエスカだ。
「シトエスカ、あのな――」
「その、この件についてシビアナ様には、申し伝える様な事は致しませんので……。殿下の御支度が終わりましたら、私すぐにでも洗濯しておきますから……」
うう、私を気遣う心配りができるとてもいい子! でもね!
「違うって! 洗濯なんかする必要なんてないから! いつもの様に取り替えるだけでいいって!」
私が使った毛布等の寝具は、彼女たち――私付の侍従官に、毎日取り替えてもらっている。
後は、雑務担当の王宮侍従官にその寝具を渡して、洗濯をお願いしているのだ。
「も、勿論誰にも気づかれない様に洗濯します! 任せて下さい!!」
「いや、だから――」
「私、誰にも言いませんから! ササレクタ様もシエンタも言いませんから安心して下さい!!」
そう言い終わると、シトエスカがダッと走っていくのが分かった。
「おーーーい!」
君も行くのかポンコツ三号ちゃん……。
…………。
ま、まあいいさ。
どのみちこの状況で、おねしょをしてない事を証明するには、この寝室に入ってもらわなければならなかったし。
どうしようもないからな。
でもさ。
どうしてあいつらは、私の言う事を信じないんだよ……。そこは信じようよ……。
おねしょだよ?
流石にそれは無いだろうって何で思われないのよ、私は……。
彼女たちが去った後には、ちゅんちゅんと雀の鳴き声が聞こえるのみであった。
「とりあえず、おねしょの事は後でいいな……」
今起こった騒ぎのおかげか、私は平静を取り戻すことができていた。
言われなき汚名を被ることになった私だが、そんなのはこの寝室に入れば、誤解であったと分かるのは明白だ。
今はとにかく、この髪をどうにかしなければならない。
私は、シトエスカに言われて気付いた。
――そう、もうすぐシビアナがやって来るのだ。
「どうしよう……。あいつが来たら終わりだぞ……」
もう最悪の未来しか予想できない。
このままいけば、私の心が抉られるのは確実。それも時間の問題だ。
大爆笑の上、絶対テレルに言うだろうな、あいつ……。
あと……何するんだろう?
――私の侍従官にはバラすな。うん、間違いない。
そうなると、さっきの騒動は意味ないじゃん……。
まあ、ササレクタには笑われなかったから良しとするかね。
それから父様には、報告が上がるよなあ……。
はあ……。
これからの事を思い、ズシリズシリと気が重くなってきた。
「しかし、どうなっているんだ? 何で髪の毛が透明になった?」
シビアナが来るにはまだ時間がある。
できる事をやっておこうか。
まあ、できることなんてたかが知れているけど。
私は透明になった髪の毛を手に取った。
掌が透けて見えている。まるでお湯を掬っているようだ。
「何かの感情で、こうなったのか?」
純粋な白と黒以外にも、なったことのない色はある。
だけども、無色――しかも透明だなんて初めての事だ。
いつもは何かしらの色になるはずなのに。
「うーん……」
この状態で、血統の力が使えるのかな?
試してみる、か?
――いや、やっぱりちょっと待てだな。
使えたとしても、何が起こるか分からん。
今はこの透明の髪を、元の銀髪か違う色に変えられるかどうかだ。
私は、今朝起きてからの状況を、思い起こしてみる。
つるつるになった自分の頭を見て、私は滅茶苦茶驚いた。
強い感情が、そこにあったのは間違いないだろう。
でも、髪の毛の色は、変化しなかった。
もう感情では変化しないって事か?
だとしたら、一生このままなんだろうか……。カツラを被る人生なのか……?
事実を確認していくと、自らの手で自分自身を、どんどん絶望の淵へ追いやっている気がした。
もうこれ、結婚とかそんなこと言ってる場合じゃないんですけど……。
「取り敢えず、身体検査しておくか」
はあ、結局裸になるんかい……。
初めて見る色が出た時は、こうやって体に異常がないかを調べる。
これは、トゥアール王家に生まれた女性に、古くから伝わる仕来りなんだよ。
私は髪の毛を適当に纏めて結ぶと、寝間着を脱いで化粧台の前に立った。
それから、異常が見当たらないか体を捻って確認を始める。
はははっ、すごいなー。
頭上から足のつま先まですっぽんぽんだわー。こんなん初めて見たわ……ううっ。
もうね、何とも言えない心境だよ。
どうして私はこんな目に合ってるんだよ……。
確かに私のお肌は、透き通るような白いお肌。
でも、髪の毛先の先まで、透き通ることはなかったんじゃないのかね……。
「えーっとお……」
鏡の前で色々な向きに体を動かしてみる。
うん。大丈夫か。他に変わった所はないようだな。
後ろ姿も確認したが、どこにも異常は見当たらなかった。
やれやれ。
どうやら異変があったのは、髪の毛だけの様だな。
これは、とりあえず良かったって言っていいのかねえ。
はあ……。
――ん? あれ?
――!!?
一先ず安心できたと思った矢先。
体を横向きにして鏡に映った瞬間。
私は今までに感じたことのない、ぞっとするような恐怖を覚えた。
嘘……。
嘘、嘘、嘘、嘘、嘘、嘘――!!
私は、慌てふためきながら少し幅の広い紐を、化粧台の引き出しから取り出す。
そして、急いでそれを、脇の下から自分の体にぐるりと回して、おっぱいに当てた。
この紐には印がついてるんだ! 私のおっぱいがどれくらいの大きさか分かる様に!
頼む、私の見間違いであってくれ!
そう念じながら、私は恐る恐る紐の印を見る。
「――!?」
息を呑んだ。
私の思いとは裏腹に、紐の印はいつもの場所よりズレていた。
「おい、冗談だろおお!!?」
惨烈な事実を受け入れられず、私は何度も何度もやり直して、紐につけた印を確認した。
しかし、結果は変わらない。
紐の印はズレたままだった。
嘘、嘘だ……。
昨日まではいつも通りだったじゃないか……。
どうしてこんな事になってるんだよ……。
あまりにも強い衝撃に、私は紐を持つ手が震えていた。
私のおっぱいが……。
私のおっぱいが……!
「小さくなってるんですけどおおおおお!!!?」




