第三二章 「ソロモンの悪夢 中編」
ノドコール国内基準表示時刻1月13日 午前4時12分 イェリカド包囲軍防御陣地「アレシアⅡ」
夢を見ていた。
灰色の空の下に、灰色の街並みが見渡す限りに拡がる。暖房の効いたタクシーの座席で眼を開け、少年は灰色の世界を前にまどろみを喪った。外壁の剥げ掛けた雑居ビルの並ぶ街区の、それも歩道で非文明的に焚かれる火、それこそが少年にとって父の祖国カナダ バンクーバーの街の、最初の強烈な印象であった。成田空港から空路で太平洋を越えて辿り着いた異国の旅は、未だ始まりに達したばかりであった。生物学者たる父の故郷たる北のユーコンまでは、ここから更に飛行機を乗り継がねばならない。そこから先も長い陸路が待っている。
厳寒に支配され荒廃した街の一角と、暖を求めてそこに集う家無き人々……それらこそが、少年を父の国に於いて歓迎したすべてであった。路上、ドラム缶にくべた木材から火と煙が昇っている。それらの周りに群れ、目に入る限りの路上に佇み、あるいは座り込む家無き人々……彼らが何故に家を失い、路上に放り出されたのかを、少年は拙い知識で半ば懸命に考えたものだ。
「戦争のせいだよ。ロイド」
と、それだけを少年の父は言った。それだけではなかっただろう。あの頃のニュース映像で流れていたのは、戦争を象徴する鉄と火の風景だけでは無かった様に思う。経済破綻、病疫と麻薬の蔓延。そして気候変動――烈しい風雨と絶え間ない山火事、それらに蹂躙されて荒廃した都市と農地――結果として国は民衆を守り養う術を喪い、地方の民は朦朧として都市の外に溢れ、あるいは群となって国境すら跨ぐ……そのような「BREAKING NEWS」を、あの頃の少年はTVで何度目にしたかわからない。
少年には政治が判らぬ。それでも幼心に嫌気のさす光景だった。「終末が迫っている」と、真顔で言う者もいた様に記憶している。ユーコン川の畔に面した小さな町、自分が生まれ育ったその場所に父たる彼とその息子が居たのは、結局は僅か三日の間だけであった。衰退は、父を育んだ長閑な田園すら容赦なく浸食していたのである。
「うぅ……!」
日本に帰りたい――夢の中で少年は思い、そして寒気の下で魘されつつ「ロイド」の意識もまた覚醒した。先刻から彼の名を呼ぶ声に、身体を揺さぶる感触が加わった。
「――ロイド、ロイド!」
荒々しい声ではない。北海道の実家にあって寝坊しかけた自分を揺り起こす母の声と、ニュアンスは似ていた。ただし目を開けた瞬間に広がったのは優しい母の顔ではない、鉄帽を被った厳めしい男の顔だ。円らな眼と薄い口髭の載った分厚い唇、やや浅黒さの残る肌の、凡そ日本人の平準から外れた顔立ちの同僚。陸上自衛隊 第5旅団 第27普通科連隊所属 一等陸士 柳原-N-路偉留の仮眠を破ったのは、そういう男だった……と同時に、覚醒した意識でロイドは自分が今もなお、灰色の世界に身を置いていることを自覚する……タクシーの外の世界よりも冷たく過酷な戦場。この世の終わりの様な、荒涼たるノドコールの原野――
「……っ!」
舌打ち――対砲シェルターに直結する交通壕から身を起こし、ロイドは緩めていた防護服のマジックテープを締め直した。鉄帽の顎紐は前線に着くまで締めない積りでいた。立て掛けていた15式特殊用途銃を背負うのを見届けたところで、彼を起こした同僚が先を歩き始めた。一等陸士 吉村 慧照射 ロイドも含め、同僚は皆日頃から彼のことを「エディ」と呼ぶ。そしてロイドと同じく、「転移」前の外国に血統上のルーツを持つ自衛隊員だった。しかもそれはロイドのカナダの隣国、「前世界」で最強の経済と軍事力を誇った超大国アメリカ合衆国だ。出自が隣同士だから同じ個人壕を宛がわれたわけではないのだろうが、ふたりの仲は教育隊で二段ベッドを共有した頃から良好に保たれていた。
少し歩くうち、ロイドはエディに追い付いた。前を歩くエディが片手に煙草を挟んでいることに気付く。戦場では「火元になること」「見栄えが悪いこと」を理由に喫煙を禁じる指揮官もいたが、吸いたい隊員はこっそり持ち込んで「対策」する。幾ら人の意識が潔癖に進み、技術も発達したところで、この寒い中、寝起きの気だるさを吹き飛ばすのに喫煙は最も手軽で最良の手段だからだ。
実のところ喫煙は兎も角、戦闘中の飲食は黙認されていた。戦場で厳格に飲食時間を設定する不合理が指摘されたことも然ることながら、適度な飲食が戦闘で受ける精神的重圧を緩和する効果があることが、ひろく周知されていたこともある――それらを無理にでも制約すれば、兵士は抑圧感の解消に薬物などよりリスクの高い方法を択ぶのは、長い戦争の歴史が証明していた。
薄暗さに馴れた眼が、壕内で寝そべる自衛隊員の影を捉え始めた。段差を付けて深めに掘られた交通壕の縁で、ブランケットを抱き眠りの井戸に墜ちた隊員の数は決して少なくは無い。中には戦闘任務に就かせられないと思える程に痛々しく包帯を巻いている者もいる。防護服の防寒機能も手伝ってか、砲弾の直撃を受けて生き埋めになる恐怖故に、あるいは急襲に対する迅速な反撃を企図して、退避壕の外での休息を択ぶ隊員が多くなっている……昔みた映画――たしか、「西部戦線異状なし」とか言ったっけ……――の、最前線の場面がロイドには思い出された。ただし身ひとつの他銃剣一本で敵戦線に突撃をさせられる恐怖は、此処には既に無い。
現状、ロイド達第27普通科連隊の籠るイェリカド包囲兼防護陣地「アレシアⅡ」は既に二度東側――イェリカド方向――からの攻勢に直面し、同じく三度西側――キズラサ国西方軍――からの攻勢に直面している。そこにこの防衛線を総称して「アレシア」と呼ぶ真意が存在する。
「前世界」、そこから更に時を遡る紀元前の昔、古代ローマの英雄ユリウス-カエサルはガリア征服戦争の過程で反ローマ部族連合の指導者ヴェルキンジェトリクスを要衝アレシアに包囲した。だがそれは自身を囮としたヴェルキンジェトリクスの罠であった。結果として彼に呼応した反ローマ諸部族の別働軍により、カエサルと彼の遠征軍はアレシアとその外縁より逆包囲される結果となったのである。後世に言う「アレシアの戦」、その際のガリア人による西と東からの、挟撃にも似たアレシア包囲網突破が、おそらくはPKF派遣軍司令部をして、イェリカドを取り巻く戦線を「アレシア」と呼称せしめる結果となった筈である。もちろん、PKF自衛隊は陣地構築の妙を駆使してアレシア攻略に成功し、救援軍をも撃ち破ったローマ軍の側であった。
『――それで、カエサルは勝ったけど、おれたちは勝てるのか?』
個人壕に入りつつ、ロイドは以前に又聞きした、休憩用も兼ねた待機所で話し込む幹部たちの言葉を脳裏で反芻させた。小銃機銃の予備弾薬と対装甲火器――20式個人携帯対戦車弾――が無造作に置かれた、まるでゴミ屋敷の様な個人壕。冬場特有の冷気と土くれの入り混じった臭気が自ずと顔を歪ませた。それにも増して相方の顔が浮かないことに気付いたエディが、また話し掛けてきた。
「どうした? 具合でも悪いのか?」
「胸がムカムカするんだ。昨日から」
「こんなときに風邪か? 感染すなよ」
呆れた様にエディは言ったが、本気にしてはいない。切り出したロイドからして、実際は風邪の自覚は無かった。ただ会話の切欠を作りたかったのである。
「一緒に風邪を引けば、すぐロギノールに帰れるぞ?」
「ヘリは先刻出たぞ。最後の便だ」
「…………」
笑顔で突っ込まれるのと同時に、先刻眠りに混濁した意識でローターの爆音を聞いたことをロイドは思い出した。開戦以来ヘリは始終彼らの頭上を飛び交っているが、配置の関係上間近で離着陸するのを見るのは稀だ。ここ「アレシア」において、ヘリはロギノールから補給物資と増援の人員を載せて仮設ヘリポートに降り、廃棄物と傷病兵を載せてまた南に戻る。そうでなければ、空からの補給は戦闘機物量投下システムより成る補給カプセルに頼ることになる。
これは戦闘機の増加燃料タンクを改造したもので、動翼付きGPS/慣性誘導装置とパラシュートを取り付けたカプセルに補給物資を詰め込み、戦闘機で陣地内に設けられた回収地点(兼仮設ヘリポート)に――まるで爆弾でも落とすかのように――空中投下するのだ。そのFQDSの「使用済み」カプセルが、「アレシア」陣地の一角ではすでに大きな山を作っていた。勿論再使用を前提とした保管であった。
それは三年前の「スロリア紛争」で、空自輸送機の不足と過重任務の発生という、地上軍への空中物資投下作戦で生まれた戦訓を元に、半ば応急的に開発されたシステムであるという。「……あれは戦術核爆弾の技術を応用してるんだぜ」とは先年、入隊したばかりの教育隊の隊舎でミリタリーオタクの同期が訳知り顔で言っていたことであった。彼曰く、有事の際、それもかなり状況が切迫した際にはあれに小型の核爆弾を複数詰め込み、即製の戦術核爆弾として使用するのだ……とも。曹士の命を繋ぐ補給と背中合わせの大量殺戮の技術――まさにブラックジョークだ。
「くそっ、未だ燃えてやがる」
白い息を震わせつつ、ロイドは言った。
距離にして2kmあたり先、枯木の群る森から火の手が上がっている。戦闘の結果であった。「アレシア」造営中に始まった戦闘ののち、休息のために警戒配置を解かれた二時間前と、火の勢いは全く変わっていない様にロイドには見えた。戦闘とはイェリカド方面からの敵軍の反撃で、兵士としての「初体験」は、ロイドとエディは越境から三日後にすでに済ませている。敵の姿すら見えるかどうかという長距離で行われた初の銃撃戦は、次には小隊単位で運動し、縦横に配置された防衛線に浸透しこれを力づくで奪っては前に進むという烈しい接近戦へと変貌した。職種では分隊選抜射手たるロイドですら、ローリダ人の白目を見る程の距離で15式SPRの引鉄を引き、誰が居るかも判らぬ個人壕に手榴弾を投げたものだ……その15式SPRを銃座に据えたところで、ロイドの眼は暫し愛銃の居住まいに奪われた。
教育隊における新隊員教育課程を終えたロイドが普通科連隊に配属されて分隊選抜射手となるのと、15式SPRが新装備として部隊に配備されるのとはほぼ同時であった。初めて手にしたときは、ステンレス製銃身の黒光りですら初々しく、儚いものである様に見えた新型銃は、その後の訓練や演習で幾度も使い込むうち、絶大な信頼を寄せるに足る「相棒」となった。不満は無い。ただ、口径が改造元となった89式小銃と同じ5.56mmであることを除けば――15式に関し、「小手先だけの改良に徹した、89式小銃の有効射程を無理矢理延ばしただけの銃」という評価を、評論家のみならず一部の隊員からも為されていることをロイドは後に知った。
「7.62ミリ、最低でも6.5ミリ口径に作ってくれれば文句なしなのに……」という古参陸曹のぼやきを聞いたこともある。「新規に専用弾のラインを作るよりも89式との弾丸共用化を優先した結果」という真偽の判らない事情もまた、風聞の形で流れていた。あるいは、「本命」たる7.62ミリ口径の改善型の運用試験が始まったところで「スロリア紛争」が勃発し、既に完成しており、かつ新たに弾薬生産ラインを開設する必要の無い5.56ミリ型の生産が優先されたとも言われる……これが事実ならば、戦争によって平時の軍の装備計画が狂った数多い類例のひとつといえよう。
ピカディニ―レールで繋がれた倍率変換用ブースター付きホロサイトは狙撃照準鏡も兼ねている。ほか、15式SPR と89式小銃との外観上の最大の相異は、後進の89式カービンに採用されたのと同様の稼働式銃床と、銃身と接触しない様に配された強化プラスチック製のハンドガードと二脚であろう。いずれも短~中距離の銃撃戦における高い射撃精度を実現するための採用であった……確かに中ることは中るのだが、殺せない。より厳密に言えば射程と命中角度によっては敵兵の鉄兜やボディーアーマーを抜けない場合があったのだ。人を殺すのには弾丸が軽く、その威力も低い――それ故に新型狙撃銃を嫌う射手もいる。
射場や演習場で使い込まれる内に真新しさを失い、ついには戦場の風に晒されて初々しさをも喪った15式SPRのホロサイトを、ロイドは覗く。
ロイドは眼を鷲の様に細めた。夜間対応機能も有する望遠ブースターと併せれば、SPRは時を択ばず十分にその精度を発揮する。それは越境以来数度に亘り経験したキズラサ国軍との戦闘でも証明できていた。
具体的には、距離にして89式小銃の有効射程500メートルを越えた距離で、SPRはその威力を発揮する。塹壕や機銃座に籠った敵兵をその死角から狙撃して斃し、そして味方の前進路を啓開する……それがSPR本来の運用目的であり、ここに辿り着くまで、自分ひとりで優に一個小隊分の数を殺したのではないかという自覚もまたロイドは抱いていた。自分が殺した敵の死体を、ロイドは越境以来直に見たことが無い。それ故か罪悪感は、今のところ感じずに居られている。自分が引鉄を引くだけ、多くの戦友が生きて日本に帰れる。
「くそっ、重いな」
「……」
相方のぼやきを聞きつつ、彼が据えた89式小銃にロイドは眼を遣った。
二脚を立てた89式小銃に繋がれた強化プラスチック製ドラム式弾倉は、越境直前に航空便で運ばれて配布されたものであった。装弾数60発、MINIMI分隊支援機関銃の陳腐化が進み、新規開発の14式分隊支援火器の一般部隊への配備もまた追い付かないが故の、暫定的――あるいは応急的――な措置であった。軽量化と生産効率の向上を図って装弾用の羽根まで強化プラスチック製という触れ込みだったが、不良品故か酷使のせいか、射撃中に「羽根が割れて装弾不良になる」ケースもまた報告されている。ただし、一部の89式小銃にこれを繋ぎ、弾幕投射量を増して応急的な分隊支援火器として使おうという意図は、いまのところ総じて成功している様にはロイドには思えた。ダットサイトの望遠機能を併せて使い、敵の射程外から弾丸を集中させて斃す、という運用法である。エディの射撃の腕は、悪くは無い。
この「89式分隊支援火器」を使う相方たるエディは、配置上は機銃手で、入隊前は東京の自動車整備専門学校にいたという。一応卒業したのが「スロリア紛争」が一時終結した年で、そのまま当然の様に郷里北海道の陸上自衛隊に入隊した。この点、同じ東京の大学を二年で中退して以後一年を漫然と過ごしていたロイドとは違う。父親の出自も実は違う。大学の助教授というロイドの父親と違い、関東にいて中古車と輸入食品を商っているエディの父親は元アメリカ合衆国海兵隊の隊員で、五歳違いの兄もまた水陸機動団の隊員として前年のスロリア戦を経験している。エディはこの兄に触発されて入隊したのだと言っていた。父兄には入隊を強く反対されたのだとも、エディは言った。
「兄貴が、ロギノールに入ったって」
と、エディが広帯域多目的無線機の情報端末を見せてきたのは、展開を済ませてからの時の流れが、だいぶ落ち着いた頃のことであった。メール添付の画像の中、ライト級ボクサーを思わせる細身の弟と違い、C-2輸送機を背景にロギノールの飛行場に立つ偉丈夫の兄は、軽量ヘルメットといい新型軽量防護服といい、ロイドの知る限り特殊部隊特有の軍装を纏っている。
「偵察隊だっけ? 水陸機動団の」
「なり立てホヤホヤだけどな」
と、ロイドの問いにエディは笑った。「おれの兄貴は強いんだ。イル-アムの激戦でロメオの士官を投げ飛ばしたこともあるんだぜ」と、エディは以前に誇らしげに話したこともある。その自慢の兄すら、国内勤務からここ最前線に回されようとしているのは、ロイドにとっては正直いい気がしなかった。一度義務を果たした彼らに再び死と大怪我の影が付きまとうのも然ることながら、今の日本にまともな予備戦力が残っているのかという疑念すら生じる。戦線の拡大が、野放図ではないのかという疑念――
「ロイドは姉ちゃんとは連絡取らないのか? 姉ちゃんも出征してるんだろ?」
「ああ……防機(防衛機密)で色々あってな」
「おれらと違ってエリートだからか……」
「うーん……」
エディの言葉に、ロイドは苦笑交じりに顔を曇らせた。ロイドには姉がいる。前職大学中退ほぼフリーターの弟と比べて、姉は防衛大学校に進み首席卒業までした。今ではC-2輸送機のパイロットとして、姉もこの戦場の空の何処かを飛んでいるのだろう――そのとき、広帯域多目的無線機の端末が警報の着信を表示する。西方からの敵影接近であった。
4:26am
アレシアⅡ 地上レーダー装置より報告
西方より五個大隊相当数の敵影の前進を捕捉、追尾中
防勢配置
追加
自走対空機関砲 自走砲と思しき装甲車両の随伴を視認。警戒せよ
生死を掛けた慌ただしさが、敵軍より先に普通科連隊の陣地内を蹂躙し始めた。敵の攻勢第四波、これまで三度の攻勢を撃退した経緯を鑑みれば、相当数の敵兵を殺し、大隊を壊滅させた筈である。それなのに敵は後退の気配を見せていない。
『――前進観測班 こちら一小隊長 射撃要求 「おさびし山」 曳火砲撃……』
「始まった……!」
無線交信に耳を澄ますうち、砲弾の滑空音が寒空を切り、便宜上「おさびし山」と呼称された丘陵と地平線の彼方へと落ちる。
120mm重迫撃砲の射撃もまた始まった。遠雷の如く砲声が響く。隣接する他の防護陣地からの射撃だ。重迫に混じり、乾いた射撃音も聞こえた。陣内にハルダウンしていた近接戦闘車 機動対戦車砲システムの105mmライフル砲の咆哮であった。新型装輪装甲車の派生型たる装輪自走砲で、普通科部隊の火力支援を想定して開発された装備、これまでの戦闘で、敵装甲目標に対する直射のみならず塹壕に対する榴弾砲ばりの曲射でもその威力は証明されている。旋回砲塔故の即応性の高さも、東西からの攻勢に対し有効であるようにも見える。
陣地各所に配された携帯地上レーダー装置と連接し、短間隔で撃ち出されたそれらは、フレシェット弾故に突進するKS兵に甚大な被害を強要した。炸裂した砲弾から飛び出した無数の金属の矢が、KS軍の針路上に瞬間的に弾幕をばら撒いたのである……ロイドとエディはと言えば、火器の射程の短さ故に、個人壕に籠ったまま射撃の機会を待つのみであった。
鉄帽にマウントした個人暗視装置を下ろし、青白く浮かび上がった稜線にロイドは眼を細めた。距離にして2000あまり。稜線の横一列に疎らながら展開を始める敵兵の影が見えた。迫撃砲弾、ライフル砲弾の着弾に巻き込まれて斃れる人影も見えたが、攻勢そのものに対し弊害となっていない様にも見える。
105mm砲に続けて射撃を開始したのは、同じくハルダウンし機動砲塔と化した近接戦闘車 歩兵戦闘車であった。砲塔の40mm機関砲が弾幕を吐き出し、敵の隊列に穴を穿った。ライフル砲と違って短間隔で撃ちだされる光の矢が頭上を過り、そして稜線で火花を上げる様まで暗視装置なしでもはっきりと目で追える。
4:35am
アレシアⅢ 地上レーダー装置より報告
東方 イェリカド方面より敵の前進を探知
敵勢力 まもなくドローンの哨戒圏に入る
防勢配置
背後からもか――すでに二度経験しているが、うんざりする。ロイドの様な「いち兵士」にとって、準備砲撃と爆撃によりとっくに廃墟と化したイェリカドから、敵兵が湧き出て来るのは予想外の領域に属した。ノドコール人にイェリカドのさらに東から攻められている筈の彼らの何処に、その様な余力があるというのか? 作戦指導も兼ねてノドコールの解放勢力に同行している陸自特殊部隊からの報告では、包囲開始と同時に市中に突入した解放勢力は守備軍と住民の抵抗を前に多大な犠牲を出しつつも市の半分を制圧し、解放勢力の増援もまた、着々とイェリカドの東方に集中し続けている。それなのに――
「……っ!」
前方――不意の爆発に、ロイドは身構えるようにした。防御陣地との距離が2000メートルを切った敵兵、その足許が破裂し人影を消し飛ばす。一箇所だけではなく、見渡す限りの一帯で連鎖した様に爆発が続いた。防衛線を取り巻く広範に撒かれた「江角さん家の百合畑」こと小型地雷の毒牙に獲物が掛かる。その威力以上に、四度の攻勢を生き残った地雷が未だ多いことに、ロイドは内心で驚いた。戦争が終わったら――もしそれまで生きていられたら――「片付け」にはえらく手間がかかりそうだ。
迫撃砲、ライフル砲に加え、遠方の防護陣地からも機関砲の射撃音が重なって聞こえる。それらのうち幾つかはイェリカド方向に曳光弾の束を注いでいる。同じく陣地内各所にハルダウンした軽量装甲車の有するM2 12.7mm遠隔操作砲塔もまた咆哮を始めていた。前方監視赤外線とミリ波レーダーとも組み合わさったそれは、文字通りの自動長距離狙撃装置として敵兵の接近を阻んでいる。敵の前進は、多大な犠牲を払って防衛線の直前に達したところで再度頓挫した。
4:43am
アレシアⅠ 中型ドローンより報告
五個大隊後背に大規模な戦車部隊の集結を確認
ガルダ―ン型他40両前後と推定
警戒せよ
「…………!」
「…………?」
戦術情報掲示板の受信に、ロイドとエディは同時に顔を見合わせた。これまでの攻勢三波で自衛隊の消耗を誘い、それが極限に達したところで主力を投入して勝敗を決する――ローリダ人の指揮官が考えていることが、兵卒ふたりには容易に察せられた。だが……
「駄目押しの積りか。どの陣地もまだ壊滅していないのに……!」
白い息を吐きつつ、エディが89式小銃を構え直した。防御陣地の前面、金属製の他、現地で調達した木材を組み合わせた「江角さん家のアスパラガス」――仮設障害物――が西からの浸透を防ぐように点在している。対歩兵というより戦車の様な装甲車両の妨害を企図した配置であった。障害物で戦車の動きを止め、対戦車火器でとどめを刺すというのは、住む世界が変わっても共通の対戦車戦術である。
その戦車が迫ろうとしている。一方でこちらには幾つもの選択が残されている。エディの89式小銃が連射モードで咆哮する。撒かれた弾幕に捉えられて斃れた敵兵は、一人や二人では効かなかった。何よりふたりの周囲、同じ個人壕の各所から小銃や機銃の射撃が始まっていた。小銃弾、それもタイミングの違う射撃ではあっても、それらもまた敵にとっては前進を妨げ生命すら奪う弾幕となって襲いかかって来る。ロイドもまた、15式特殊任務銃のサイトを覗き、敵の捜索を始めていた。
「いた!」
仮設障害物の下で蠢く複数の人影に、ロイドは眦を険しくした。眼を凝らせば細長い筒を組み立て始めているのも見える。爆破筒だと直感した。射撃を躊躇う理由は無い。遊びを引ききった引鉄の、更にその先へと指の力がこもる――
「――――っ!」
ひとりの脳天を、5.56ミリ弾は貫いた。斃したひとりの傍ら、もうひとりが片腕を抑えて蹲ったことからもそれがわかった。斃したローリダ人の躯を抜けた弾丸が、片割れにも中ったのだ。それでもあとひとり、組み上げた爆破筒を地面に押し込んで点火しようもがいている。あいつ逃げないのか? 大した勇気だとロイドには思えた。ホロサイトの輝点が、敵兵の顔面を捉えた。と同時にロイドは困惑した。
「…………!?」
子供じゃないか?――軍服と言うも粗末な服装の、分厚い毛皮の帽子の下で、幼い顔が息を吐いていた。それが懐からマッチを取り出し、火を付けようとした刹那、ロイドは仲間を守るために射撃つことを決めた。一発!――人形の様に倒れ伏す最後のひとり。だが爆発は障害物の各所で生じた。重火器が撃ち漏らした敵工兵により爆破され、破壊される障害物の破片が、爆煙に巻き上げられて四方に散る。穿たれ、拡張された進撃路に、堰を切る奔流の如くに敵影が殺到する。
そこを狙い、弾幕が集中する。その時になって死体特有の血生臭さが寒風に乗り、自衛隊員たちの鼻腔を不快に擽った。そこに硝煙の臭いも重なる。余りの臭いの酷さに嗅覚が狂い、鼻から出血した隊員もいる。敵兵の躯の山を迫撃砲弾が直撃し、かつては人体であった肉片すら派手に千切って飛ばした。真白い雪原が、各所で朱に染まっていく。
「装填!」
声を上げ、エディが空になったドラム弾倉を外して次弾を挿し込んだ。89式の銃身全体から湯気が立っていた。銃身冷却のために応急的に粉雪を掛けた結果であった。少なくとも89式までは、陸上自衛隊の制式小銃は「転移」前の専守防衛構想を反映した、拠点防御を想定した構造を有する。言い換えれば「兵士が携帯できる簡易な軽機関銃」という、「太平洋戦争」の戦訓に基づいた発想である。それが今となっては進攻作戦に際して有効に活用されている。
速やかに装填を終えたエディの89式が、軽快な連射音とともに曳光弾を薄暗い戦線に向かいばら撒く。見渡す限りの周囲が薄暗い。夜が終わりに近いことをロイドは察した。と同時に彼も敵兵ひとりを狙撃った。突撃を支援するために軽機関銃を据え付けようとした敵兵を――太い矢の様な曳光弾が一発、闇の向うから土嚢に刺さり炸裂した。銃弾でも擲弾でもない、それらより重く速い弾着が防衛線の各所に生じた。
『――状況戦車砲! 戦車砲!』
『――敵戦車隊、接近! 対戦車戦闘準備!』
イヤホンに交信を聞きながら、ロイドは反射的に伏せた頭を上げた。薄暗いながらも見える地平線が、此方に突進する鋼鉄の獣で埋まっていた。最大速力で動く無限軌道の軋む音、地を揺らす響きが迫る。人為的に生み出された鉄の不協和音が自衛隊員の聴覚を苛む。戦車の中には砲塔の一箇所が赤く光るものもいる。噂に聞く、照準システムが強化されたやつだろうか……?
まるで鋼の獣の、怒りの赤い光に満ちた眼――それと目が合ったのか、「眩しい!」と不快にうめく声が各所から上がった。「熱い!」と言う自衛隊員もいる。熱線の実害はその程度に、次には個人壕の頭上スレスレに戦車砲弾の赤い矢が過った。それらは防護陣地を飛び越え、イェリカドの方向に着弾する。決して少ない数ではない。躍進りながら撃っているせいか、狙いもまた決して良くは無い。陸自戦車部隊の行進間射撃と比べるのも恥ずかしい。それでも前方、鉄の獣がフラッシュの様に瞬き、砲弾が高速で空を過るか地面に刺さって爆発する――何処に着弾るか判らないという恐怖が、動揺となって陣地内に広がるのを鳥肌と共に体感する。
「対戦車班、応戦はどうした!?」
遠方から怒声が上がるのをロイドは聞いた。求めるものは即座に与えられた。
『――AT班 「おさびし山」中央 敵混成群 誘導 班集中 撃て!』
小振りな誘導弾が噴煙を曳いて空に昇り、そして加速して敵軍に直進する。中距離多目的誘導弾の一斉射撃だ。照準はMMPM発射器本体の火器管制装置のみならず、地上レーダーと上空展開のドローンとも連接する。一斉に上った灰色の噴煙が、ロイド達の頭上で幾重にも分岐し、個々の獲物へと向かう――弾着は同時、黄色い火柱が赤い火球へと変わり、白銀の丘陵を禍々しく燃やす。誘導弾の直撃を受け、燃えながら疾走る戦車が、大破し炎上する戦車に乗り上げる様にぶつかるのも見える。火の壁を背景に右往左往する敵兵の影まで黒く、そして儚く見える。
「……!」
望遠照準鏡に映る敵軍の戦線に、ロイドは目を見開いた。
炎上する戦車の傍らで這う兵士が見えた。両脚を失くしているのだと気付くのに、僅かな時間が必要だった。烈しい出血で雪原を朱に染めながらに彼は這って逃げる。しかし逃げる方向を見失っている様にも見える。その彼の頭上で、脚のある兵士が前進から一転し逃走に掛かっていた。地上に立て掛けた機銃をそのままに、引き出した歩兵砲や無反動砲すらもそのままに、着の身着のままで来た途を奔って引き返すローリダ人の群また群――それに対し、流れる水を思わせる秩序の発生すらロイドに感じさせたとき、敵兵の目指す先、闇に染まり掛けた彼方が無数に光った。敵の反撃かと思ったが、違った。
「え……!?」
「マジかよ!」
絶句という形でロイドとエディは眼前の現実を直視した。遠方より伸びた赤白緑の弾幕が、逃げるローリダ兵を薙ぎ倒す。あるいは吹き飛ばし、引き裂いていく。始めは誤射かと思ったが、後背から撃たれて後退を止め、再び「アレシアⅡ」防御線に向かうローリダ兵の群を目の当たりにして、ロイドは火線の正体を察した。
「督戦隊だ……!」
逃げる味方を後方から撃つ――話には聞いていたが、それも過去の歴史という枠組みの中での話で、現実の戦場で見るとは微塵も思ってはいなかった。それ故にロイド個人の受ける衝撃も大きい。通信回線からも悲鳴と怒声が上がるのが聞こえた。
『――味方を撃っている!……やつら正気か!?』
『――督戦隊か!?……狂ってやがる!』
後背から撃たれているとはいえ、それはKS軍の都合であって自衛隊の都合ではない。そして防衛線に詰める曹士たちには防御戦闘の責務がある――その意識が皆に共有された結果として防衛線の各所から弾幕が生まれ、前方の大地を面単位で潰すかのようにそれらは注がれた。ロイドとエディもまた、照準に入る限りの敵影に引鉄を引き絞る。倍率を上げた照準鏡の視界の中で迫撃砲や擲弾が炸裂し、敵兵の躯と影が切り裂かれていく。赤黄緑に光る曳光弾の太い粒が敵兵の群に穴を開ける――
『――指揮所よりドローン班へ、督戦隊の位置を捕捉できるか? 発見次第座標を報告せよ。送れ!』
「おい、聞いたか?」
「連隊長だ……」
ロイドとエディは顔を見合わせた。共通回線に流れる声の主が、27普通科連隊連隊長 二等陸佐 長束 良であることをふたりはその声から知っていた。エディと同じく、ボクサーの様に引き締まった中背、グレイの頭髪、褐色の精悍なマスクに口髭の似合う連隊長は母親がフィリピン人だと聞く。言うなればふたりと似たり寄ったりの血統上の履歴を有している。その長束二佐の、直接指揮の真価がいま発揮されようとしていた。
『――CPより重迫小隊へ、督戦隊の座標を確認し次第送信する。弾種をGPS誘導に切替え督戦隊を狙え。督戦隊を潰せば全軍が崩れる。急げ!』
命令が通信回線を奔る。120ミリ重迫撃砲の重々しい射撃音が空を斬る。迫撃砲射撃は27連隊も含まれる第5旅団の守る「アレシアⅡ」の防御陣地の各所から広範囲に広がって連続する。敵の砲撃を警戒し分散配置が実施された結果であった。
重迫砲弾の着弾が太く赤い火柱を上げて地上を耕す。それに機動対戦車砲システムの105mmライフル砲が短間隔射撃で続く。戦場の低空を航過し、高速で敵軍に落着したライフル砲弾がミシンの様に大地に穴を穿つ。ライフル砲弾自体は無誘導だが、索敵システムと連接した火器管制を有するそれらは、速射も相俟って効果的な面制圧を実施した。
5:21am
アレシアⅠ 中型ドローンより報告
戦車部隊、半数稼働不能と認む
督戦隊と思しき独立部隊の消失を確認
敵歩兵部隊 再度後退を開始
『――上空待機の哨戒機隊に航空支援を要請しろ。脅威度の高い部隊から叩け』
「おっ……!?」
戦術情報掲示板に表示された戦術情報が反攻の予兆を示す。次に耳に入ってきた無線通信を聞き、反射的にロイドの顔が空に向いた。明け始めた灰色の空が、徐々に白さを増す。
爆音が聞こえる。ターボフロップ特有の耳に刺さる爆音。薄くなった雲海、その更に向こうに航過し旋回する薄灰色の飛行機雲が四条――低空で飛行機雲を引く位にこの地の寒さは極まっている。その低空から下界に向けてP-3C哨戒機の攻撃が始まる。空対地中距離多目的誘導弾が翼下から離れて赤い噴煙を曳き、意志を持った生物の様に軌道を変えて大地に刺さる――
「――っ!?」
着弾と爆風に大地が揺れた。個人壕から見渡す限りに炎の半球が生まれる。生き残っていた装甲車両と火砲を薙がれ、それら破壊を掻い潜る様にキズラサ国兵士の後退――否、敗退が始まる。統一された軍装も装備も無い、無力な民兵の群が西へと逃げる。PKFは四度目の攻勢を凌ぎ、一方で背後たるイェリカドからの攻勢は強まった。背後から友軍の銃声が烈しくなったことから、それが判った。未だ終わらないのか……辟易とし掛けるロイドが顧みた遠方の街、雲々を震わすジェットの爆音と同時に、無数の火柱が生まれて廃墟を砕き、燃やす。荒く冷たい風に乗り漂う燃料と火薬の生む戦場の臭い。それらに血の匂いも重なる。
戦闘から更に遡り、5旅団の布陣に先駆けてイェリカドの市西部2kmに亘り空爆が行われていた。陣地構築を妨害するであろうイェリカド守備軍の浸透に適した家屋を破壊し、第5旅団各隊の陣地構築を円滑ならしめる意図で行われた爆撃であった。
そこに敵軍撃退後に実施された再度の空爆。容赦がないとロイドには思えた――「イェリカドに非戦闘員はいない」という、ノドコール解放軍従軍の陸空自特殊部隊からの報告が、空自の忖度無い爆撃に根拠を与えていた。だいいち、戦闘員と非戦闘員の区別はできるのか? いたところでどうしろというのか?……そして障害物と地雷は、イェリカドの西にも敷設されている。イェリカドのローリダ人を町から逃がさないかのように……
5:43am
アレシアⅠ 無人偵察機より報告
イェリカド 市西部爆撃効果大
イェリカド方面の敵軍の攻勢頓挫を認む
解放軍 市西部に到達
解放軍別働隊 市南部より突入
5:44am
追加
KS西方軍 攻勢断念 撤退の兆候あり
「前進……するのかな」
タブレットから顔を上げ、ぼやくようにエディが言った。勝利の余韻は彼の声からは聞こえなかった。とっくに射撃を止めた89式小銃の銃身が、連射のやり過ぎでまた白煙を上げていた。ふと視線を移したエディの足許で、空薬莢が鳶色の山を作っている。薬莢の塵山。安全管理と弾薬の節用に煩い日本の演習場では絶対にあり得ない光景だろう。先年に本土を発つ間際、小隊長に「空薬莢は回収するんですか?」と真顔で聞いた同期を思い出す。「命が掛かっている戦場で、悠長に薬莢拾いなんかする馬鹿がいるか!」と、一般入隊からの叩き上げ、三年前の「スロリアの嵐」作戦にも参加した小隊長は目を剥いて部下の質問を否定したものであった。
「ダルい……本土に帰りてえ」
「おまえな……」
ロイドは言い、エディは苦笑した。本気半分、冗談半分の積りでロイドは言った。口調からそれを察したからこそ、エディも本気で怒らない。遠方から警笛が鳴る。同時に広帯域多目的無線機と繋がるタブレットが新たな命令を受信する。連隊指揮所が敵の追撃を決心したこと。それに備えた小隊の集合をタブレットの文面は表示していた。分隊長の陸曹が隊員を呼ぶ声が遠方から聞こえる。集合の命令だ。暗く臭い個人壕から少し上げた頭、完全に白んだ地上が眩しく見えた。
「おい」と、エディがロイドの背中を叩く。指差した南の地平線を乗り越える様に低空で迫るヘリの機影が複数。ローターの爆音が遅れて近付く。先に個人壕から出ようとしているエディが、20式個人携帯対戦車弾を担いでいるのを見、ロイドは思わず目を剥いた。
「あっズルい!」
「先に行ってるぜロイド」
手を振りつつ、エディは足早に壕から上がった。あとは89式小銃の、60発入り特注弾倉の詰まった重い箱が足許に残る。つまりはそれを担いでロイドは壕を出ることになる……迫るローターの風圧に、反射的に頭が上がる。爆音を撒き散らして着陸コースに入るUH-1JY汎用ヘリの機影。その両翼に繋がった対地ロケット弾を、ロイドは見逃さなかった。これから自分は追撃に加わる。総退却を始めた敵への追い撃ち。
だがそれは、追撃に名を借りた虐殺になるかもしれない。
ノドコール国内基準表示時刻1月13日 午前6時05分 ベース-ソロモン飛行場傍 PKF統合指揮所
『――KS西方軍 「アレシア」より後退、撤退の兆候あり』
広角情報端末を動かしつつ、通信幹部が報告する。大きさにして畳一条分はあろうかに見える広角端末、そこに展開された戦況要約図は、ベース-ソロモン主飛行場の全域を併呑し、防衛線を圧迫しつつあるキズラサ国 ジョルフス軍団の規模と布陣とを示標と数字の羅列に換えて追尾し続けている。敵はPKF防衛線の深奥まで到達し、同時に索源たるクザンゲイルへの凱旋に要する距離もまた延びた――予定通りに。
「敵西方軍の損害率は算定できますか?」
『――人工知能による算定ならばすぐ出せますが。宜しいですか?』
「お願いします」
JCPの上席から微動だにせず、陸将 江角 垰は促した。迫る敵軍を目前にしても、その口調に動揺は無い。指揮所のノートPCに向き直った作戦幕僚が僅かな時間の後、情報端末に分析結果を表示する。直後、戦況を注視する幕僚たちの間に驚愕が走る。
「損耗率46パーセント!? 壊滅だというのか?」
幕僚たちの絶句は、「アレシア」こと南部戦線におけるPKFの勝利をも示していた。戦況要約図の中、KS西方軍――と呼ばれていた集団――を表す示標が、切り刻まれたかのように細切れになりつつ後退を続けている。そこに戦場の南、ロギノール湾上の空護機動群より発進した攻撃機隊が殺到しつつある。防御戦闘で主力を務めた第5旅団指揮所からの、航空支援の要請であった。戦力の再編を進める第5旅団の意図が何処にあるか、理解できない幹部はこの場にはいない。
「第5旅団には追撃準備をさせておりますが、宜しいですか」
「準備でき次第速やかに北上させ、北部戦線へ投入しましょう。追撃の必要は認めません」
「ハッ!」
第5旅団の再配置を江角陸将が指示した後、通信幹部が新たに報告した。と同時に、一変する戦況要約図が、幕僚たちを再びどよめかせる。
『――第10師団先頭集団、攻勢予定位置に到達。北進機動を完了しました』
「……!」
「ベース-ソロモン」を廻る主戦域たる北部戦線、その更に北より戦線を包括するかのように西進する第10師団の隊列が、戦況要約図の画面の中で動く――それは見方によっては、ベース-ソロモン奪回を企図し前進を続けるKSジョルフス軍団と、彼らはるか後背――つまりジョルフス軍団の索源――たるグザンゲイル間の連絡を遮断せんとするかのように延びていた。
『――第10師団全戦闘群 展開完了!』
隊列はそのまま複数の戦闘群に別れ、そして南を指向する――完全な遮断であり、それは包囲であった。と同時に指揮所の入ったシェルターの天井が細かく揺れた。敵の攻撃ではなく友軍の爆撃であることを、戦況表示盤の推移が教えていた――つまりはそれだけ敵が迫っている。此処に来るまでに彼らが被った損害を思えば、彼らローリダ人が戦慄すべき執念を持って前進を続けているのがよくわかる。あるいは、前進以外何も考えていないか……その前進も、程無くして終わるだろう。だが……
「彼ら……未だ気付いていないの?」
と、江角陸将は言ったのは、誘引の結果として押し込まれた形となっているベース-ソロモン方面の戦線に懸念を抱き始めたからでもある。現に、敵の先頭集団は会戦前に設定した最終防衛線に到達しつつある。
「頭に血が昇っているようですな。尻に火を付けて頭を冷やさせますか?」幕僚のひとりが言った。江角陸将は頷き、第10師団指揮所と回線を開く旨指示した。連接がとっくに済んでいるのか、通信用端末画面の全面に、野戦装備の壮年男性の姿が広がる。第10師団 師団長 陸将 谷 巨城。将官の彼ですら長距離、それも敵中を進軍したことの緊張はさすがに隠せていない様に見えた。
『――お待たせしました江角閣下、これよりKS軍のケツを蹴っ飛ばしてやります!』
「お願いします。こちらもそろそろ限界ですので」
表情にやや喜色を滲ませて、江角陸将は応じた。展開を終えた第10師団がいま為すべきことを師団長が弁えていることへの安堵も、彼女の表情には恐らくは含まれていた。
『――第10師団の全長距離火力、ジョルフス軍団後背を捕捉! 目標追尾中!』
「……っ!」
指揮卓を囲む幕僚たちの視線が、一斉に戦況表示盤に集中した。榴弾砲、多目的誘導弾、そして高機動ロケット砲システム――凡そ一個師団の有する長距離火力全ての射程を示す覆域が画面に生じ、そして敵軍の後背に重なる。
……それは、会戦の終末を告げる鉄と火の嵐の予兆であった。