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第三一章 「ソロモンの悪夢 前編」


ノドコール国内基準表示時刻1月12日 午後22時07分 ノドコール南部洋上


 夜の海にブザーが鳴く。艦載機の緊急発進を告げるブザーだ。つい一時間前、陸上での戦闘開始の情報が海上の護衛艦隊にも共有されて以来、航空護衛艦DCV-102「かつらぎ」の広範な飛行甲板上で生み出され続けていた喧騒に、敵影に直面した緊迫感が加わる。爆装したTA-4ジャリアー艦上攻撃機を寒々しい夜の空へと送り出す儀式の、それは終盤であった。

 発艦に備えた最大戦速の生む強風に抗いつつ蠢く発艦誘導員のイエロージャケットが、輝度の抑制された作業灯の下でも鮮やかに映えていた。誘導員の振回す誘導灯に従い、艦橋(アイランド)傍の駐機エリアより発艦ラインにまで滑走したジャリアーがつんのめる様にして止まる。傍目から見れば母艦の巨体に比してあまりに小振りな機影の、鈍重で頼りなげな前進であった。むしろ搭載する兵装の量が、機体の行き足を鈍くしているのかもしれなかった。


 機体の胴体を占める25mm機関砲、翼端部に繋がれた二基のAAM-5改短距離空対空誘導弾(SRAAM)、そして翼下に吊下された左右各六、計十二発の60kg「S弾」――それらは後継装備の配備に伴い余剰となった陸上自衛隊 FH-70 155mm榴弾砲用の砲弾を改造した無誘導航空爆弾だ。同じく退役した203mm自走榴弾砲用の砲弾を改造した120kg「SS弾」と併せ、それら即製航空爆弾は、海自航空部隊の主力対地装備として定着を始めた観があった。一発一発の威力は「正規品」の500ポンド通常爆弾に劣るが、携行数量が増えた分、計算上広範囲への攻撃が可能となる。広範な戦場に散開するKS軍に対し、有効な打撃力となることが期待されていた。


 先行したジャリアーと発艦ラインを隔てていた排気遮蔽板ブラストディフレクターが下りた。コックピットから飛行甲板を見下ろせば、広角HUDの緑のフィルター越しに、誘導灯を握る誘導員がタブレットで「スロットル全開(フル)」を指示するのを見る。踏み込んだブレーキ越しに、愛機が飛翔を待ち切れず暴れているのを感じる。発艦に臨む激しい震動だ。そこに管制室からの指示が飛んできた。


『――風向(WD)218度7ノット、ヴァルキリー204、発艦を許可するクリヤードフォアテイクオフ

 操縦士が誘導員に敬礼した。誘導員が「発艦」サインを送る合図でもあった。


「ヴァルキリー204、諏訪内 航 行きまーす!」

 号令一下、ブレーキの拘束を解いたジャリアーが「かつらぎ」の甲板を走る。スキージャンプで高度と加速を稼ぎ、落下から暫くの低空飛行の後、速度を得たジャリアーは徐々に上昇を始めた。発進の加速と降下を体感する間、ジャリアー搭乗員の鼓膜を低空警報が苛む――それが暫く続いて不意に静寂に転じ、准空尉 諏訪内 航は機体が安定に復したことを体感する。すでに主脚を収納する速度に達していた。


『――ヴァルキリー編隊へ(ヴァルキリー)高度15000(エンジェル15)針路0-3-7(ステア037)を維持せよ』

 爆弾に加えて増槽まで吊下し(さげ)ている以上、航程が安定するまでスロットル全開(フル)は維持する必要があった。燃料を食う、帰還後の点検整備に手間が増える、エンジン自体の寿命が縮む等、デメリットには枚挙に暇がない。練習機上がりの小型エンジン故の難点だ。その一方で小柄な機体は、「かつらぎ」、「じゅんよう」クラスの艦体で多数機を運用するには最適であることを今次の作戦行動は証明しつつあった。これ以上の大型艦建造が財政的にも物理的にも不可能に近い以上、ジャリアーの配備と改良は続くものと認識され始めている……


 薄緑色に染まる電子の視界――途切れがちな下層雲を統合ヘルメット照準システム(JHMCS)に投影された暗視画像に捉えつつ、機体が加速し上昇するのを航は感じた。と同時に自分が長機であることを自覚する――二機編隊(エレメント)長機(リーダー)という自覚。僚機(ウイングマン)を連れていく側という自覚だ。


「ヴァルキリー208、報告しろ(リポート)順調(ノーマル)か?」

『――208!』

 雑音混じりだが、気負った返事であることは一声で判った。操縦士 一等海尉 有馬 駿と同じく戦術航法士 二等海尉 羽佐間 真樹 共に防衛大卒の幹部自衛官であり、艦載機搭乗員としては初の実戦任務であった。そのふたりを准空尉の航が指揮し、母艦に連れ帰らなければならない。准空尉が一等海尉を指揮する……空における飛行と実戦の経験は、地上の階級よりも優先されるべきことであって、それは長機と列機双方にとっても本土における教育課程の段階から叩き込まれている事項であった。少なくとも航空自衛隊と陸上自衛隊航空部隊ではそうだ。


 海上自衛隊はどうだったか――指定された高度と針路で自動操縦(オートパイロット)を起動し、航は左後背を顧みた。暗視装置に映える黒い機影、小刻みに翼を振りつつ追従するその様は、操縦士たる彼が手にした過分な力を、使いこなせずに持て余している様に航には思えた。岩国基地の延長教育で、編隊飛行「だけは」本土でみっちりと教育されたようだ。二日前に「ノドコールヨットクラブ」に合流した新米士官たるふたり、現状、海上自衛隊は本土で育てた母艦搭乗員を、積極的に前線に送り出している。ノドコール進攻作戦にあたり大規模な海戦の生起が事前に想定されず、実際生起しなかった結果に生じた「余裕」の様なものだ。「ノドコールヨットクラブ」――現在敵地ノドコールの海に現出した航空護衛艦(DCV)二隻、航空機搭載大型揚陸艦(LAD)二隻を主軸とする日本の大艦隊の通称である。敵のいない艦隊。あまりに強過ぎるが故に――


 ヴァルキリー204編隊は高度15000フィート(エンジェル15)を維持しつつ海岸線を越え、そこで先行した編隊に合流した。ヴァルキリー201編隊のジャリアー二機、一等空尉 長浜 智章が指揮する編隊(エレメント)。開戦前の母艦任務適応訓練以来続く上官にして「戦友」。彼とは幾度も組んで敵陣に銃爆撃を叩き込んだが、今度の出撃では個々に編隊を率い航空支援に従事する。目指すはノドコールの深奥、PKF陸上自衛隊とKS軍の戦闘が再度始まったベース-ソロモンである。航からすれば、戦時特例で付与された編隊長資格であって、新人パイロットの迅速な任務習熟を企図した昇格でもあった。それ故に彼は「平和な」ロギノール飛行場から、鋼と油と火の臭いに満ちた航空護衛艦に引き戻されてしまったとも言える。人事的には長浜一尉の「引き」も、多分に作用していたのだが……


『――ワタル、二次下方!』

 後席、「ヴァルキリー204」戦術航空士 准海尉 菅生 裕が声を上げた。促されたかのように視線を向けた先で、光球となった噴煙が複数攻撃編隊を追い抜いていくのが見えた。操縦席の多機能表示端末(MFD)を戦術情報表示に切替えれば、それらが海上の友軍艦艇より発射され、地上目標へと邁進する巡航誘導弾であることはすぐに判る。開戦時と同じ勢いが、今になって戻り始めているように航には感じられた。


 下方?……そういえば――閃くがまま、航はMFDの一枚の表示を切替えた。戦術データリンクハブで連接した自機の周辺状況が、掌大の矩形の空間に浮かんだ。戦線の南、ロギノールのすぐ北、ノドコール東部の要衝イェリカドの空には、風雪を衝き無数の機影が犇めいているのが判った。ロギノールより集中的に投入されている陸上自衛隊の輸送ヘリと攻撃ヘリ、そして偵察攻撃ほか任務を担う各種無人機の機影だ。対する地上では、イェリカドを包囲する陸上自衛隊とその突破を図り東方より攻めるKS軍の間ですでに砲火の応酬が始まっていた。攻撃ヘリ(AH)示標(シンボル)が複数、編隊より距離を置き、KS軍の後背へ回ろうとしているのが判る。


 砲列か? それとも指揮所か?……詳細は見えなくとも、何かしら重要な施設を叩こうとしているのが航の様ないち操縦士であっても手に取る様に見えた。重要な局面に投入される機動的な打撃力――そういう意味で攻撃ヘリ群には「江角閣下の母衣衆(ころもしゅう)」という別称がよく似合う。地上の基地と海上の母艦を発ったジャリアー隊は戦闘の始まったイェリカドの近傍で合流し、そのままより北へと飛び続けた。


『――オハイドよりヴァルキリー編隊各機へ、キビル周辺より複数の機影発進を探知。機影、キビル近傍で集合中。戦闘機と思われる。警戒せよ』

「204了解(ロジャー)…!」

 MFDの画像が、より広域を表示した戦況要約図に切替った。作戦に先立ちロギノールを発進した「オハイド」こと新鋭のE-1J早期警戒機(AWACS)の報告と連接(リンク)が、ノドコールの空を飛ぶ友軍機全機に同時に生起する。「スロリア紛争」の翌年に初号機が初飛行した国産早期警戒機。MRJ中型旅客/輸送機をベースにした機体にAESAレーダーを積んだ新鋭機だ。前身のE-2Dに比して対空、対水上の目標探知/追尾能力が向上したのも然ることながら、限定的ながら地上目標を捜索追尾する機能も有する……戦況要約図の西端部、不意に出現した示標(シンボル)が六つ、速度を上げつつキビル方面へと向かうのが見えた――


『――F-35!』

 後席の菅生准尉が低い声で叫んだ。ジャリアーの針路上、ノドコールのど真ん中を10000フィート前後の高度差を置いてF-35Jの編隊が航過する。一個飛行隊相当数の敵機を相手に6機という少数で対処するあたり、彼我の数の優劣というよりも、機材の性能の隔絶ぶりが航には意識させられた。胴体内格納庫の他、ステルス性低減の不利を呑んで翼下にも空対空誘導弾(AAM)を満載した、俗に言う「ビーストモード」の場合、F-35一機が搭載可能なAAMは20発にも及ぶ。ステルス性能を生かした作戦開始時の第一撃担当、それに続く要撃制空任務への投入――F-35はその導入時より構想された運用法を忠実なまでに実行しているように航には思われた。


『――ワタル、第一返針点』

了解(コピー)!」

 東寄りに機首を傾け、そこから高度を下げた。眼下は白銀の雲が地上を塞ぐように覆っている。母艦の気象報告(ウェザーリポート)よりも現地の雲量が多い様にも見える。キャノピーガラスに張り付く白い氷に、予定高度が冷たい雪雲と重なるのを体感する。折角の爆弾が凍り付かなければいいが――


『――ペットショップ各機へ、散開ののち各個照準。各個照準し目標を撃破せよ』

 イェリカド方面に展開する「江角閣下の母衣衆」こと攻撃ヘリ群の交信が共通回線に聞こえた。攻撃ヘリの場合、根拠地たるロギノールからの距離が短く、その分大量の兵装が搭載できる。その搭載量が決して広いとは言えない敵の戦線に火力として叩きつけられようとしている。砲座、車両、そして物資――およそ戦争の継続に必要なそれらを、イェリカド方面のKS軍は喪おうとしていた。


『――先にイカロス302、307に攻撃させる。イカロス301、ヴァルキリー201、204は高度18000(エンジェル18)旋回待機(スタンバイ)目標座標(TC)は追って指示する』

『――301』

『――201』

「――204!」


 E-1J「オハイド」からの指示が飛ぶ。攻撃待機位置として使う空域は発艦前のブリーフィングで伝えられていた。MFD上の自機位置が半ば自動的に待機空域の方角に向きを変えた。E-1Jと連接(リンク)した結果、誘導通りの針路に自動操縦(オートパイロット)が切替ったジャリアーが設定空域まで向かう。機上の航は欠伸(あくび)を漏らし掛け、それに気付いて慌てて背筋を伸ばす様にした――自分は、何処の目標に割り振られるのだろう? 空護上で実施された発進前ブリーフィングでは、戦闘地域に点在する敵砲兵陣地に、空爆は集中することになるとは言われていたが……


『――302爆撃航程(オンコース)……投下いま(ナウドロップ)!』

 先行した302編隊が爆弾投下を告げた。雲の高度が低く、その下の気流は冷たく不安定である。母艦でのブリーフィングでは爆撃コース侵入開始まで安全高度の維持を厳命され、対して低空侵入と目視照準での空爆は回避が推奨されていた。結果として地上の友軍の観測が及ぶ限りの範囲に爆弾が降り注ぎ、敵の前進を止めようと地上で炸裂することになる――


『――こちらソロキャンパー02、目標の完全破壊を視認。効果大、効果大と認む!』

 共通回線に地上からの報告が上がる。地上の陸上自衛隊に同道する航空自衛隊(JASDF)戦闘管制班(CCT)からの通信であった。彼らの姿は開戦前、慣熟訓練のため前進展開した硫黄島で見たことがある。映画や漫画の陸自特殊作戦群に勝るとも劣らない特殊作戦軍装に身を包み、最新の機材を手足の様に扱う精鋭が自身の属する航空自衛隊にも存在することを、航はそのとき初めて知った。ブリーフィングでは、彼らは敵軍(ひし)めく戦地の奥まで浸透し、地上の陸上自衛隊を支援するべく目標の捜索と誘導を実施することになっている。空からの捜索レーダー及び赤外線と、地上からの偵察により、攻撃機は目標を見ずして爆撃航程への進入と投下を可能にしているというわけだ。


『――307爆撃航程(オンコース)……投下いま(ドロップナウ)!』

 爆撃編隊第二陣が投弾を終えるその傍ら、先行した第一陣たるヴァルキリー302が編隊の間隔を開いて雲海を縫い、果敢に銃撃を加えていた。地上のベース-ソロモンで防衛戦を展開する第一空挺団には、奪回後に実施された空輸も相まってその陣容と装備を著しく強化されている。個々の分隊にレーザー/GPS目標指示器が充足している結果として、ジャリアーは地上の目標を目視する必要無しにデータリンクの表示する目標位置表示(TPD)に従い攻撃を継続することが可能になった。爆撃による重目標破壊はCCTの管轄、防衛線至近に接近した軽目標攻撃は陸自各部隊の管轄下にある……



「204爆撃航程(オンコース)!……」

 広角HUDの視界、どす黒い雲海の一点に、着弾点継続計算(CCIP)により導かれた爆弾投下地点が浮かぶ。それが地上からのデータリンクで受信継続中の目標座標点(TPS)に重なる様に機を滑らせる。高角HUDに投影された、自機位置を示すフライトパスマーカー(FPM)投弾線(BFL)で繋がる投下地点示標が、徐々にTPSに近付いていく。時折自動で機外に吐き出されるフレアーの束が、暗いコックピットを派手目に照らし出す……二つの指標が重なった。


「投下いま!」

 操縦桿の投下ボタンを押すのと同時に、ジャリアーが軽く揺れた。HUDの中心に「投下不可」を示す「×」が浮かんだ。機が投弾位置上空を抜けた証でもあった。身軽になったジャリアーを急横転に入れ、徐々に上昇させた。回避機動――急機動に耐加速度服が反応し下腹部が締め付けられるのを航は覚えた。小柄な機体もまた負荷に軋む。


『――……こちらモッコウ、敵部隊への直撃を確認!……効果大!……効果大!』

 雑音混じりに地上部隊の観測報告を聞き、航は機首を事前に設定させた待機空域に向けた。先行した302、307が機関砲弾を撃ち尽くして離脱するまで、204は再度高度を上げて旋回待機しこれを援護する。204の援護はどうか?――思考が時間の無駄と思えた瞬間、航は目を剥いて新たな地上目標を探すべく努めた――連接情報(データリンク)表示に、新たな目標に関する指示は未だない。


「204集合! 旋回待機する」

 僚機と地上への指示を同時に発し、航は更に高度を上げた。地上と空、そのいずれにも脅威の存在と接近を示す兆候は見えなかった。編隊(エレメント)集合(ジョインナップ)が完了したところで僚機に機体の状態と残燃料報告を命じた。近傍の空にはE-1Jの他、電子戦機とドローン管制母機、そして空中給油機(タンカー)が展開している。空中給油機が提供する燃料があれば十分な対処ができる。特に万が一、敵の戦闘機が戦場上空に浸透して来たとき――


「――……」

 酸素マスク内で呼吸を反響させつつ、航は背後を顧みるようにした。ジャリアーの主翼端に繋がれたAAM-5改短距離空対空誘導弾(SRAAM)、乗っているのが戦闘機である以上、飛び上がる度にこいつの破格の威力を試したくなる。空戦への渇望――それが報われる(とき)は、近い将来来るのだろうか?




『――前進観測班(FO)モッコウより報告、ジャリアー隊の空爆効果大。エリア-モッコウに浸透した敵地上軍の30パーセント以上撃破を確認。想定時間との誤差マイナス7分23秒』

「予定どおりね。モッコウの放棄を実施します」


 地下に埋め込まれた仮設シェルターを指揮所に、陸将 江角 垰の淡々とした命令が飛んだ。広角情報端末に表示された戦況要約図、言い換えればベース-ソロモンとその周辺に設定された戦闘地域は、その北東より徐々にKS軍の「赤」に侵食されつつある。その先頭は夜陰に乗じ、既に指揮所の所在するベース-ソロモンの一端まで達しようとしていた……ただし、戦闘開始よりはや三時間の内にKS軍が蓄積した損害は甚大なものと見積もられている。本土より増強を得、事あるに備えて飛行場全体に分散展開した第一空挺団の防御戦闘の威力でもある。

 所定の損害を強要したのち、陣地を放棄して後退というのも事前の作戦計画通りであった。その「所定の損害」を被った敵軍の多くが、後退ではなく前進を択ぶ辺り、KS軍の高い戦意、あるいは形振り構わない勝利への意志を自衛隊幕僚たちに思わせた。彼らの戦意が継続し、そのまま「奥」まで進んでくれれば……


『――ベース-ジャブローより発進の攻撃編隊、あと10分で戦闘地域上空に到達』

 オペレーターの報告と同時に、広角端末の一端に戦闘機を表す示標(シンボル)が生じた。指標は加速したのか移動の速さを徐々に増し、ベース-ソロモンの上空を北西に過る。先日の昼に本土の青森県 航空自衛隊三沢基地よりより、長句進出を果たしたばかりのF-15EJストライクイーグル支援戦闘機四機であった。彼らは前線ではなく敵の後方、ベース-ソロモンの一角に齧りついた先頭集団に後続する敵部隊を目指す。それらを痛撃し、敵の継戦能力を削いでいく……


「……北部の敵の進行速度が鈍い……もう少し誘引できませんか?」

「おそらく積雪の影響ではないかと思われます。それにドローンからの監視報告を信じる限り、道路事情が北西方面より劣悪で手持ちの車両では対処し難いのではないかと……」

「ふむ……」

 江角 垰の無表情に困惑のエッセンスが加わる。但し彼らの総司令官が本気で困っている様には周囲の幕僚には見えなかった。取り掛かっている論文の構成をどうするか逡巡している研究者のそれを、夜間照明の白熱に照らされた彼女の青白い横顔に連想した幹部もいたかもしれない。青白い顔……武人というより育ちの良さそうな、端正な母親然とした横顔……


 ……その江角 (たお)は戦闘に際し指揮所をベース-ソロモンに設定した。

 江角陸将が指揮所を「最前線」に置く意志を表明したとき、恐らくは幕僚たちの半分が彼女の決定に反対した。ベース-ソロモンは敵の主攻と考えられ、一方で航空支援を充実させるとは言っても防勢する陣容に不安がある。つまりは総司令官を最前線に立たせることに、幕僚たちの多くが逡巡を覚えたわけであった。

 対案として、幕僚たちはロギノールからの指揮を提案し、江角陸将は平然としてそれを却下した……「『ベース-ソロモン』に入れないのでしたら自決します」と彼女はやはり平然と言い放ち、説得に訪れた第一空挺団派遣部隊の指揮官 二等陸佐 沖本 司を鼻白ませたものであった……と同時に、ことを知った空挺団の隊員たちの士気は上がった。指揮所にベース-ソロモンを択んだ以上、司令官たる江角陸将は敵の大攻勢の矢面に立たされる空挺と死命を共にすることになる。あの()司令官は、それを承知で死地に立って決戦に臨むのだ。精鋭たる空挺に身を預けた総司令官をむざむざと死なせるなど、空挺団の名折れではないか!――意図的に創り出された「背水の陣」を前に、順調な進撃に浮かれる陸自全部隊の意識を引き締めるという効果をも、彼女の決断は与えた。



 広角端末の北、そこで西進を続ける指標を睨みつつ、江角陸将は言った。

「……第10師団(10D)の前進に支障は生じていませんか?」

「現状、その様な報告はありません。分散進撃中の10D各部隊の前進は存外……予定通りです。GPSとドローンによる前路偵察が功を奏しているのではないかと。10Dの機動が敵軍に関知された兆候も報告されていません」

「上々」と、江角陸将は満足げに頷いた。


 第10師団の西進は続いていた。第10師団は複数の部隊に兵力を分散し、作戦計画通りの運動を完遂しようとしている。夜間、それも悪天候ながら彼らの前進が順調な進捗を見せているのは、航法機器が充実していることも然ることながら、各部隊に現地の地形に通じたノドコール人ゲリラの「案内人」が付随していることも大きい――第10師団の運動が完遂されたとき。それはKS軍にとって逃れることのできない、絶対の陥穽となって立ちはだかることになるであろう……ただ、運動の完遂にはタイミングが重要となる。願わくば10Dの機動――否、布陣――が完遂したとき、東進して来た敵の全兵力がベース-ソロモンとその周辺への浸透を果たしているのが望ましいのだ……


『――前進観測班(FO)エイラクより報告、エリア-エイラクに浸透した敵地上軍の30パーセント以上撃破を確認。想定時間との誤差プラス1分07秒!』

「後退させなさい。迅速に」

 端末を注視する江角陸将の眼差しの先で、エリア-エイラク配置の陸自部隊を示す指標が点滅を始めた。それは一瞬の後、緩やかな後退に動きを転じる。それを包囲せんと拡がるKS軍の戦線――




ノドコール国内基準表示時刻1月13日 午前2時08分 ベース-ソロモン防御陣地「エリア-エイラク」



1:18am

モッコウ監視陣地(OPS)

現在後退中

敵に大打撃を与えつつも追撃なお勢いあり

状況訂正……現状、モッコウ04が後退を止め応戦中

現状、周囲の友軍の完全後退確認不可


04支援のため特科支援を要請……目標情報を送信する……



1:20am

アズチ射撃指揮所(FDC)

モッコウの射撃支援要請を受信

これよりエリア-モッコウに榴弾砲射撃を実施する

弾着予想地点データを送信……射撃開始まで三分



 広帯域多目的無線機を構成する情報表示端末の画面が、文字の羅列で慌ただしくスクロールする。戦術情報掲示板(タク-チャット)に書き込まれた周辺の戦況、それも敵の攻勢に直面し防勢一方に回る友軍の窮状を示す書き込みだ。砲撃、航空、そして情報――地上に在って攻勢に圧される形となった平和維持軍 陸上自衛隊 第一空挺団の各支隊の報告に、凡そ考え得る全ての支援を求める文面が踊っているのが端末の中で手に取る様に見えた。但し未だ、彼らから後退を求める文面は見えなかった。


1:20am

アズチ射撃指揮所(FDC)

射撃いま!


「――――っ!?」

 反射的に端末から顔を上げたその視線が、北西の地平線、その一点で止まる。後背のベース-ソロモンに隣接する高地――先年、「ローリダ軍の李牧(りぼく)」ことセンカナス-アルヴァク-デ-ロートが巨砲を配置し、ベース-ソロモン奪取に王手を掛けた高地、年が変わった後、奪回を経てそこに展開した「火力戦闘車」こと155mm装輪自走榴弾砲(WSH)一個中隊5両の一斉射撃だ。


 自動装填装置の威力か、半ば速射砲を思わせる短間隔で撃ち出された砲弾が、暗い蒼穹を斬る様に過る。花火の如き上昇が、流星の如き降下に転じる。曲線の軌道が複数地表に達しようかと思えた瞬間、03式155mm榴弾砲用多目的弾Ⅱ型のレーダー信管が動作する。弾体は目標上空で炸裂し、千単位のタングステン球を豪雨の如くに地上に注ぐ。

 黄色く光る、針の様に鋭い豪雨――それらは明らかに歩兵主体のKS軍殲滅を企図した対処であった。クラスター弾が降り注いだその下、地上を支配する闇の帳が赤く瞬き、着弾は這うように一帯に拡がって行った……砲撃の第二波、第三波が降り注ぎ、昼間は(みどり)の山肌とか平原とか呼ばれた土地を鉄と火で紅く耕していく……



1:18am

モッコウ監視陣地(OPS)

弾着を視認

効果大、効果大と認む

モッコウ04を後退させ離脱 支援感謝す


1:23am

キヨス作戦指揮所(CP)

地上監視警戒機(G-STARS)ライジンより報告

エリア-エイラク、ゴサンギリ、アゲハ三方面に北西方面より多数兵力の浸透を確認。迎撃配置に付け

なお、エインロウを発進した作戦支援機6機があと五十分で上空に到達する



「…………」

 広帯域多目的無線機の情報端末掲示板(タク-チャット)から顔を上げ、陸曹長 穴沢 里久斗(りくと)は北西に目を凝らした。暗視双眼鏡越しに睨むノドコールの平原。決して平坦ではないが荒漠たる淡緑の世界を、蟻を散らした様に白い人影が走る……03式弾の撒いた鉄の雨を掻い潜ったローリダ兵(ロメオ-チャーリー)の群だ。銃を構えた者、対装甲ロケット砲と思しき長物を担いでいる者、より砲身の太い無反動砲を担いでいる者……中には足を引き摺り走る者、時折転んでは起き上がり走る者も目立つ。

 彼らの装備にも服装にも統一性は無い。支援射撃はおろか砲撃に対する敵の応射も無い。戦闘の始め、突撃準備射撃と思しき砲撃こそあったものの、それは即座に空自の航空支援で潰された。ただ夜と煙幕を突いての浸透のみで、彼らの進撃は成り立っている様にも見えた。「前世界」でいう、「便衣兵」ではないのか?……などとつい半日前に着陣を果たしたばかりの穴沢曹長は思ってしまう……それが、彼が生まれて初めて直に見たローリダ人であった。それ故に胸が高鳴った。

 


 こいつらを狙撃()つのか……


 穴沢陸曹長は先日にC-2輸送機で本土の埼玉県 航空自衛隊入間基地を発ち、「増援」として最前線のベース-ソロモンに送り込まれて戦闘配置に付いた。富士教導団隷下の普通科教導連隊狙撃班に所属していた彼が、連隊長より上級の富士教導団団長 陸将補 椙山 嘉孝直々に派遣を打診されたとき、会議室に集められた他数名の同僚に緊張の色が走るのを背中で察した。椙山団長は「志願」と言い、狙撃班長 二等陸尉 荒木 義郎をはじめ実戦参加を決めて一歩前へ出た者の一方で、沈黙を纏い足を踏み出さなかった者もいる。穴沢曹長はと言えば、隊の先任、上級曹長であるが故にそれを受けた。そうでなくとも派遣命令を容れるつもりだった。前線から漏れ伝わる戦況に煩悶を覚えていたこともあるが、何より腕を試したかった。


 時間にしてわずか三十分の内に派遣メンバーが決まり、その日の内に災害派遣宜しく慌ただしく装備を整えるや、穴沢曹長たちは木更津から派遣された輸送ヘリで空自輸送機の待つ入間へと送られた。すでに日本中の方面隊から飛んできた陸自、空自ヘリで入間のヘリ駐機場(ランプ)は埋まっており、自分たちと同じように日本中の陸自基地から腕利きの狙撃兵が集められていることを穴沢曹長は知り驚いたものだ……日本には、未だこれだけの精鋭が残っているのか。しかし、これだけの狙撃兵を緊急に、それも形振り構わず集める程の「重要任務」とは……


 四年前の「スロリア紛争」の際、華々しく喧伝された精密航空爆撃の陰に隠れてしまったが、陸上自衛隊の「SS」こと偵察狙撃兵(スカウトスナイパー)は凄まじい活躍をした。高い偽装能力を生かして最前線、あるいは敵軍の至近にまで浸透を果たしたSSは、前述の航空攻撃に際して重要目標の捜索と追尾、レーザーやGPSを駆使した攻撃誘導まで担っている。

 勿論本業たる狙撃でも彼らは戦果を上げた。12月の開戦から僅か二週間のうちにSSが狙撃したローリダ兵は1687名。うち将官3名も含めた高級幹部に至っては212名の大台に上る。たったひとりのSSを前に前進が頓挫したローリダ軍の中隊が続出し、中には僅か一時間のうちに部下の半数を狙撃()たれたのに気付かなかった中隊指揮官すらいる。更には旅団長と参謀長がSSに狙撃されて戦死し、司令部が壊滅状態になった旅団すらあったとも聞く。技量の高い狙撃兵の大量投入による指揮系統の崩壊――これを、スロリアにおけるローリダ軍の敗因と語る他国の専門家もいる。スロリアで証明された彼ら狙撃兵の威力は、当の陸自すら戦慄したとも聞くが……



「――敵先頭集団。距離2000切った」

「…………!」

 潜伏を続ける丘陵の頂点のひとつ、擬装服(ギリースーツ)姿を伏せさせたすぐ傍で声を掛けられ、穴沢曹長は内心をびくつかせた。近距離照準用暗視装置(CRA-NVG)を覗く擬装服がもうひとり、そいつの傍に二脚で寝かされた狙撃仕様の64式小銃が、彼の任務が狙撃手たる穴沢曹長の支援、狙撃目標の捜索と状況報告にあることを静寂の内に物語る。

 二等陸曹 黒崎 覚人 穴沢と同じく普通科教導連隊狙撃班の一員であり、富士学校において偵察狙撃兵養成のために毎年実施される偵察狙撃教程では助教を務める頻度も高い。つまりはそれだけ優秀な偵察狙撃兵であり、今回の任務では穴沢曹長の観測手(スポッター)を務めている。


 頃合いか――決意とも覚悟とも判らない意識に任せ、穴沢曹長は狙撃銃に繋いだCRA-NVGのファインダーに鋭い眼を合わせた。レミントン-アームズ M24A2 それが偵察狙撃兵になって以来、彼が愛用する狙撃銃の名だ。


「…………」

 14倍率に設定した照準装置では、暗視機能が備わってはいても迫って来る白い人影は儚い程に漠然として、それが斃すべき相手には見えなくなることすらある。言い換えれば実戦に直面しているという感覚すら希薄になる。昼間用の通常スコープでは800メートルというM24A2の有効射程は、暗視機能も有する光学照準とデジタル弾道計算機能も備えたCRA-NVGでは1500メートル前後にまで向上する。射撃陣地展開にあたり、穴沢曹長は1400メートルに照準を設定した。訓練でも滅多に実施されない長距離狙撃の想定を前に、「本気ですか?」と黒崎二曹は苦笑したものだ。「風が変わったら報告しろ」とだけ、穴沢曹長は言った。第一弾目の装填は、その時にさり気無く終えた。


 待つうちに暗視装置の視界の中で、白い影が無数、輪郭を明確にしつつ走り寄るのが見えた。「1500切ったな」と、穴沢曹長は言った。走る方向は区々(まちまち)だが、それでも距離は明らかに詰まる。

「――ウインドノース5。向かい風。エレベーション一つ上」

 風向北 風速5マイル/時……黒崎二曹の助言(リコメンド)に従って照準機の上下エレベーションダイヤルを1クリック上げた。1000メートル以上の距離、そこに向かい風では発射した弾丸が()されて弾道が下落する。大砲もそうだが、野外の狙撃に於いて初弾が有効弾となることは経験上皆無に等しい。ただし――狙った箇所に(あた)らない、という意味で。


「――――ッ!」

 呼吸を一瞬止めて引鉄の遊びから先、人差し指に力を籠めた。手を振り上げて後続の兵士を顧みた人影が照星と重なる。指揮官か?――その直感こそが穴沢曹長に彼を狙撃()つ動機を与えた。

 撃発――消音器(サプレッサー)に発射音を抑制された銃身では、むしろ機関部が生む衝撃のみが撃ったという自覚を狙撃手に与える。撃った――頭に照星を重ねた積りが、胸板と思しき胴体を撃ち抜いて敵影を斃した。噴き出す血すら温度を伴った白い影として暗視装置には生々しく映える。ダイヤルを1クリック上げるよりも、照準目盛をずらす(・・・)ことを穴沢曹長は即座に決心した。暗視装置の緑の視界の中で、白い群が乱れるのを見た。斃した敵影に駆け寄る者もいる。人間を狙撃()った興奮か恐怖か、鼓動が高鳴って抑えるのに難渋する。

「命中! 照準は曹長が加減して下さい」と、黒崎二曹も理解(わか)っている。その声に感情は無かった。彼も初めての実戦だ。お互い緊張しているのだと思った。


「……1200切ったら再調整する。頼むぞ」

 と言いつつ、銃身を廻らせて目標を探る。次弾を機関部に送り込む遊底操作もごく自然に終えた。穴沢曹長たちから1500メートルを隔てた先、敵の所在は大軍を展開するのに適した土地ではない。そこに目算では一個旅団近くの敵兵が殺到している。分散させないのではない。ローリダ人が空爆が効果を発揮し辛い地形を択んで進軍していることもあるが、他の経路を取れば空爆より先に待ち構えていた友軍の前進観測班と偵察ドローンに察知されて砲弾を叩き込まれることになる。あるいはルートを外れれば戦闘に先だってヘリでばら撒いた「江角さん()のカボチャ」こと対物小型地雷の餌食となる。彼らも先刻からの経験でそのことを身を以て知っているのだろう……つまり今回増派された偵察狙撃兵(SS)の任務の真髄は、それらでも埋めきれない間隙を埋めることにある。


「…………!?」

 暗視装置の視界の中で、敵影が次々と斃れるのが見えた。此方は狙撃()っていない。暗視画像ではあっても頭や首から散る肉片、そして胸から上がる血飛沫の影すら捉えられる程に照準機の暗視能力は高い。前線に分散展開している偵察狙撃兵(なかま)狙撃()ち始めたのだと察した。外す者はいない。弾丸の全てが敵影に刺さり、貫いて斃す。指揮官から斃し、次に通信兵、分隊指揮官と獲物の範疇を拡げて群の秩序を破壊する。

 現状、陸自狙撃兵の多くが新型の豊和HCR狙撃銃を使っているが、穴沢曹長を含め少数、旧型のM24に拘る者もいた。なにより旧い型故に、文明の関与を拒むかのような流麗な形状が自分の肉体と周囲の自然に馴染むのだ。穴沢曹長からすれば、使っていて安心するライフルだった。だからこそM24を使える限り使う。


 彼自身、それから全弾10発を撃ち尽くすまで五分も要さなかった。闇を裂いて襲いかかる弾丸と見えない敵――それらに直面し、恐怖に駆られて背中を向ける敵影すらその頃には目立ち始めた。砲撃と地雷以外に恐るべき脅威が潜んでいることに、敵は今更ながら気付いた様にも見える。

「装填!」

 10発入りの弾倉を機関部に挿し込んで装填した。装填した端から捉えた敵影にM24を咆哮させた。一人目を斃すや否や、応射の弾幕に混じり、何処からか放たれた照明弾が決して高くない頭上で烈しく熱い光を生んだ。暴露した!?――背中を冷たい指が奔った様に震えた。


「前方1200右! 歩兵砲と思われる!」

「――――っ!」

 絶句と共に指された方向に照準機を向けた。玩具の様に小さい大砲を押し曳きして歩く敵影がふたつ、二輪車のスポークホイールを思わせる車輪に、バズーカ砲のそれを思わせる短砲身が載っているように見えた。それは穴沢曹長の注視する先で展開を終えると、短い砲身を夜空へと向けた――仰角を上げた?

「発砲炎! 距離1000!」

「えっ!?」

 一門だけではなかった!――察した瞬間、穴沢曹長は発砲炎を目で追うべく努めた。砲弾を目で追うのは容易だった。叢から生じた光弾が一条、白煙を曳いて夜空を過る。軌道は急カーブを描いて地に落ち、着弾の寸前で破裂したように見えた――穴沢曹長の顔が、戦慄に強張る。先刻の友軍の榴弾砲一斉射撃が、スケールを替えて此方に向けられる。


「――時限信管! 炸裂弾か!」

「曹長!」

 黒崎二曹が叫び、次には小銃を構えて撃っていた。中距離狙撃用の64式小銃。観測手は狙撃手に必要な情報を与える一方で、接近する脅威から狙撃手を守る任も負っている。本来ならば新型の15式特殊任務銃(SPR)を持つべきところを、彼は半ば強引に予備装備用倉庫からこの銃を引っ張り出して持って来た。有効射程では15式に劣らず、15式より口径の大きい分、より威力のある弾丸を使う64式に、黒崎二曹は信頼を置いていたことになる。

 セミオートの威力を発揮して連射を続ける黒崎二曹の傍ら、敵兵の接近――油断を悔いた穴沢二曹もまた、M24の照準機にローリダの軽量砲の輪郭を重ねた。暗視装置には砲身が過熱しているが故に眩しい程白く映える、所在を掴むのは容易だった。次弾を装填しようと構えた砲手の頭に、照星が重なる――


「――――ッ!」

 息を止めるのと同時に放った一発が、砲手の脳天を鉄兜と共に弾き飛ばす。二発目で無線機を担いだ一人の首を貫通させて斃した。狙撃を逃れた歩兵砲の射撃が狙撃兵の頭上で炸裂し始め、それは巧妙に散開した筈の狙撃兵に、退避を迫る圧力となった。より多くの敵兵を引き付けるべく、もう少し粘りたいのだが……


『――退避しろ! 砲はこちらが狙撃()る!』

「――――!?」

 無線機に繋いだ骨伝導(DB)イヤホンを凛とした女性の声が叩いた。それは天啓の様に男達には聞こえた。直後に遥か後背から落雷の様な射撃音が聞こえ、レーザーを思わせる一閃がロメオの軽量砲を撃ち砕く。後背に展開した対物狙撃銃(アンチマテリアル)か!……絶句したまま動けない穴沢曹長の肩を、黒崎二曹が叩いた「行きましょう!」

「行こう!」伏せていた身体を上げ、炸裂弾が咆哮する下を二人は奔る。後退した先、再度の潜伏地点(プランB)は事前に決めている。狙撃兵(われわれ)の任務は敵の撃退ではない。敵に損害を与えつつ、「罠」の待つ深奥まで誘引することにある。遅滞行動――後退の途上、曹長たちはやはり反撃から逃れて来たひと組のペアと合流した。彼らは無傷では無かった。運悪く炸裂弾に捉えられたのだろう。動かない一名を担いだもう一名、前年の射撃競技会で見知った顔故に、曹長は話しかけた。


「そいつは生きてるのか?」

「……息はあります」

「黒崎、こいつの装備を持ってやれ。おれが援護する。こいつらと一緒に行け」

 同時に、黒崎二曹に64式小銃を奪う様に取上げた。弾丸の供出を命じるのも忘れなかった。「ランボーじゃあるまいし無茶しないで下さいよ」と呆れる黒崎二曹に作り笑いで応じ、先に行くよう促す。「第二潜伏点(プランB)で会おう」実のところ、軽口を言うのはこれが精一杯であった……予想外に早く敵の気配が迫っていると感じた。部隊レンジャー課程の最終想定を思わせる緊張感だ。

 

 三人と別れ、穴沢曹長は独り、少し上った高地の窪みに身体を隠した。軽量スコップを使い浅い窪みを掘り下げて潜る。程無くして覗いた暗視双眼鏡の光景を前に、穴沢曹長はやはり戦慄した。ほぼ横隊で平原を走る敵の数が、減っていない。むしろ彼我の距離が1000メートルを切っている。と同時に、風向がやや西寄りの北になっているのを察した。


「倍率10……ウインド北西(ノースウェスト)……ちょい下……ウインド3から4……やや強い」

 脳裏で呟きつつ寝かせたM24A2のサイト調整を終えると、穴沢曹長は照準機で眼下を覗くようにした。部下を連れて走る指揮官の影が見えた。伏せつつ、彼らが鼻先を過ってその全兵力が後ろを見せるまでやり過ごした――距離700?……風向と高度差を考慮して照星をやや右に逸らし、引鉄に充てた指に力を籠めた。

「――――っ!」

 背中から撃ち抜いたが、心臓の位置だった。昏倒した敵指揮官に集まる敵兵には目もくれず、暗視装置は更なる獲物を探っていた。その間も、軽量砲と対物狙撃銃の撃ち合いは続いていた。命中精度の差か、先刻より軽量砲から勢いが消えている。ロメオが装備している軽量砲の話は齧った程度であるが聞いてはいた。旧日本軍の歩兵砲に似た外見のそれは「スロリア紛争」の時点ですでに旧式兵器であり、やはり歩兵の直接支援用火器でもあり、車両での牽引輸送、搬馬での分解輸送も考慮された作りになっていたと聞く。近年自衛隊の影響を受け迫撃砲の装備が本格化する様になった今では、それら軽量砲は予備兵器扱いとなり、彼らの民兵集団にも供与されるようになったとも……


「――――!」

 息を止める。反射的に引かれた引鉄が必中の弾丸を送り込む。二弾目は携帯ロケット砲の砲手を斃した。流れるような動作で装填した三弾目で、箱の様な通信機を背負った兵の頭を貫いた。入れ食いだな!……感嘆はしたが恐怖もまた生まれていた。

 四弾目――戦場に在って、悠長にも部下を集めて地図を拡げる指揮官の後頭部を吹き飛ばした。五弾目で彼の傍に控えていた通信兵の胸を貫いた。向かうべき場所を見失い散り散りになる敵兵――指揮系統が崩壊した敵軍の姿だ。ふと抱いた安堵――それは一瞬にして、心臓を潰す程の衝撃に席を譲った。


「…………!!?」

 ロケットモーターに点火! 近い!――そう察したときにはスコープから眼を離して伏せた。同時に地震と思しき振動と灼熱! 薄れかける意識を喪わまいと歯を食いしばる。身体中が熱い。鉄と火の臭いが濃い。烈しい耳鳴りがする……重くなった身体を、引き摺る様に這わせて潜伏地点(LUP)から出た。後は転がる様に傾斜を滑り(くさむら)へと潜る。人が迫る気配が上からした。

 油断したか……息を殺して草壁越しに見遣った潜伏地点(LUP)から火が昇る。それに照らし出されて、無数の人影が蠢くのを穴沢曹長は見た。ローリダ語と思しき怒声すら聞こえて来た。今更ながらに身体中が軋む……肌が熱い……そして痛む。

 

 最悪だ……頭を伏せつつ曹長は思った……おれは、包囲(かこ)まれている。


 地面が四方八方から響くのを身体で感じる。硬い靴――軍靴が土を踏みしめる振動だ。それも多数が自分の周囲を歩いている。ローリダ兵が前進している。今のところ見つかっていない。しかし逃げられない。次には塞がったままの耳であっても、装具や銃器の触れ合う音も聞こえて来た。そこにローリダ兵の会話と息使いも続いた。擬装服(ギリースーツ)は現状欺瞞効果を発揮してはいる。ただし未だ周囲に敵の狙撃手が居るという意識が敵にある場合、それはいつまで持続するかわからない。そこに無いと思うから、見つけられないものがこの世には多い。しかし、そこにあることが判っていれば話はだいぶ違う。


「――死んだのか?」

「――消えた」

「――探せ。遠くには行っていない」

 

 本土で聞きかじった程度の、うろ覚えのローリダ語は、穴沢曹長にはそう聞こえた。見つかったら何をされるか判らないという恐怖が、ともすれば移動と逃走への渇望を喚起する。理性と勇気を振り絞り、必死でそれを押し止める――これが葛藤というやつか! 眼を瞑って地面にしがみ付く様に伏せ続ける曹長のすぐ鼻先を、ブーツの気配が踏んで過ぎた。ブーツの足先が血溜りを踏んだ。

 血溜り?――穴沢曹長が愕然とするのと同時に、上から延びた敵兵の手がそれに触れた。見上げた穴沢の眼と、見下ろした敵兵の眼が合った。


「…………!」

「…………?」


 白い、たおやかな手が朱に染まっていた。汚れた手をそのままに少女の円らな瞳がニホンの狙撃兵を臨む。その他鉄帽から零れる様に伸びる金髪と華奢な体躯が、敵兵が女性であることを対峙のうちに物語っていた。何も言い出せずに表情を強張らせた異国の男女――目を怒らせた女が声を発しかけ、穴沢は取るべき途を見出せずに硬直する。


そのとき――

「――――ッ!?」

 女の上半身が消えた、穴沢曹長はそう思った。かつては可憐な少女だった肉片が四方八方に散って周囲に落ちる音が聞こえた。その瞬間、頭上を恐慌が生まれて奔る。応戦する間も無く弾丸が人体に刺さって斃す音、悲鳴に加えて退避と応戦の声が各所から聞こえた。這い(つくば)ったまま動けない穴沢曹長をそっちのけに、それはあっという間に命が消えた静寂へと転じた。


『――掃討完了(オールクリア)! 何時まで寝てるんだ! 起きて走れ!』

「…………っ!」

 女の声、対物狙撃銃の銃手だと思った。怒声の次には立ち上がって走っていた。立ち上がった間際、対物狙撃銃に直撃され、歪に千切れた女の身体を見、次には見開かれた空虚な瞳と目が合った。憐憫――それをかなぐり捨てて穴沢曹長は奔った。斃れたまま動かない敵、逃げ回る敵、その場から動けずに銃身を廻らせる敵――そのいずれもが奔る穴沢曹長の姿を意識していない。まったく奇妙な情景だった。あるいは拳銃を抜き、目に入った敵影に撃ちつつ彼は走り続けた。走る内、近くを(よぎ)る弾量が目に見えて増え始めた。「見つかった! 撃たれている!」と察したとき、自分を呼ぶ声が聞こえた。


「曹長! こっち!」

「あっ!?」

 小銃を撃ちつつ、黒崎二曹が呼んでいた。自分を撃とうとした敵兵が立て続けに三名斃されるのを見た。射撃の冴えは自分以上かもしれない――黒崎二曹は大胆にも潜伏地点(LUP)から進み出、射撃しつつ此方に走り寄って来る。

「よかった! 生きてたんだな」

「攻撃機が来ます! 急いで!」

 会うや否や、黒崎は強引に穴沢曹長の手を引いた。分厚く黒い雲海を突き、ジェットの爆音が鋭く嘶くのを聞いた。背後から迫る敵兵の動きが乱れ始めた。空爆を待つ間、イヤホンに雑音が混じり始める。次には爆音を伴った質量が降りて来る――潜伏地点に放る様にして穴沢曹長を押し入れ、次には彼が覆い被さる様に伏せた。一瞬の静寂を過ぎ、次には瀑布が荒れるが如き弾着が襲って来た。無数の爆弾が降り注ぎ、地上の生命全てを刈る音――両耳を塞ぎ、口を開けてふたりは耐えた。何時終わるとも判らぬ着弾の衝撃、永遠に続くと思われた着弾の衝撃。これを乗り切った先に勝利が待っているとは思えなかった。


 こいつは悪夢か?――途切れがちな意識にしがみ付き、銃を失った狙撃手たちは只管(ひたすら)に耐え続けた。悪夢……でも意識を無くすよりはマシだ。


 たとえ悪夢ではあっても、夢を見続けている限り、自我は守れる。



2:18am

キヨス作戦指揮所(CP)

地上監視警戒機(G-STARS)ライジンより報告

エインロウを発進した作戦支援機 P-1哨戒機6機 全弾投下

効果大。効果大と認む




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― 新着の感想 ―
[良い点] 更新お疲れさまです とうとうやって来たソロモン決戦、今までの泥沼な戦いから一転して。双方共に決戦を指向した展開、この作品を読んでいて待ち望んでいた話ですね。ノドコール共和国の戦車師団の活…
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