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第三章  「上陸作戦」 (1)




シレジナ方面基準表示時刻11月03日 午後14時23分 ローリダ政府直轄領シレジナ マナビアス沖


 背嚢、装帯、弾薬入れ等から成る共和国国防軍の野戦軍装に身を包んだとき、どんなに兵営に身を置くことを厭う新兵でも、圧し掛かる義務感と身を焦がす愛国の一念を受け入れ、身の引き締まる思いでこれより進攻する敵地を睨んだものだ――現在、マナビアス湾より30リークもの距離を置いた海域に終結を果たした上陸部隊の中核をなす輸送船上で、一時間後に迫った上陸作戦に臨むローリダ共和国国防軍陸軍の兵士たちの多くが、やはり遥かな昔に兵役を経験した彼らの父祖からそう語られ、諭されて育ったものだった。


 だがそれには、絶えまない戦勝という前提が必要であることに、今やその父祖に続き営門を潜り、前線に立つに至った彼ら若人の多くが思い当るまでに至っている。兵士個々人にとって戦勝とは、つまりは敵より少ない犠牲で戦いを終わらせることであり、その犠牲の列に彼らが加わらずに済む、ということでもある。ほんの五年ほど前までは、それが常態であったからこそローリダ共和国国防軍の兵士は不安の一方で敢然として前線に赴いたものであったし、強制的かつ不公平(!)な徴兵に対する不満もまた、不満を押し殺し得る大多数の同調圧力によって解消し得る種類のものであったのだ。


 だが――三年前から、そうも行かなくなった。厳密に言えば、そうも行かない敵が彼らの前に現れたのである。



 ――艦砲射撃は、なおも続いていた。

 早朝の閑散が一転し、上陸部隊の兵士でごった返す上甲板で、セオビム‐ル‐パノンは、被った鉄帽の紐を解くのに難渋を決め込んでいた。顎を締付ける紐は、それを調整した当初は良い具合であるように思われた筈が、生まれて初めて戦場に赴くに当たり、今ではどういうわけか窮屈なものであるように少年には思われた。装具をはじめ身に付けているものに不具合を感じつつ戦い、そして死ぬのが少年には嫌だった。


「そうだ。坊や、鉄帽の紐は緩めといた方がいい」

 年長の兵士の忠告をパノンは聞いた。パノンより頭一つ程背の高いその上等兵は、顎紐を緩めるどころか最初から結わえてはいなかった。

「爆風でヘルメットを頭ごと持って行かれるからな。生きてようが死のうが五体満足で故郷に帰りたいだろう?」

「…………」

 唖然として、パノンは傍らのクリム‐デ‐グースと顔を見合わせた。クリムに至ってはとっくに、鉄帽をその細い顔に密着させんばかりに紐を締め上げていた。

「おっかねえ……!」

 慌てて顎紐を解き始めたクリムを他所に、パノンはマナビアス湾とは反対方向の水平線上に視線を転じた。水平線上の一角、カメラのフラッシュのような断続的な発砲炎の黄色い瞬きは、それから一秒程の時差を置いて轟く砲声をも生み出し、そしてパノン達上陸部隊の頭上を飛び越えて湾側の沿岸部に破壊の鉄槌を振り下し続けている。巡洋艦以上の海軍艦艇による、上陸前の支援砲撃だった。ミサイル万能の時代とはいえ、無誘導の砲弾がコスト的にも威力的もミサイルに優越することは、パノンのような新兵にもおぼろげながら理解出来ることだった。昼を回る頃には、輸送船団を守っていた駆逐艦隊も砲撃に加わり、それらは巡洋艦よりもさらに沿岸部に迫り、巡洋艦以上の短間隔でその速射砲の砲門を開き続けている。事前に予想された空海からの敵の反撃は、共和国海軍の誇る電子索敵網を以てしても未だその片鱗すら見出せてはいなかった。むしろ今まで一機たりとも敵の機影を見なかったことが、艦隊に安心感を与えていた。

「…………」

 背中一面を占める背嚢と同様、肩に圧し掛かる重量に、パノンはベルトを握り直した。大きさにしてパノンの身長の半分よりやや長身(ながみ)の、総重量121ペンドの鉄と合材でできた「兵士の恋人」。共和国陸軍制式自動小銃、ザミアー7でパノンが射撃訓練をしたのは、これまで数える程度でしかなかった。そいつは最大で十発の弾丸を薬室に装填でき、一度棹桿を引けばあとは引鉄を引けば引くだけ高威力の弾丸を前方へと注ぐことが出来る。だが射撃時の反動は、小柄なパノンの身体には些か強烈に過ぎた。おれがこいつで人を殺すのなんて、無理だろうな……などと、パノンは今では半ば本気でそう思っている。


 そのとき、一人の士官を前にパノンの眼差しが止まった。共和国陸軍の野戦服に均整の取れた長身を包んだその中尉は、髭面の曹長を前に出撃前の人員確認を続けていた。

「……パノン、あれがハーレン中尉だぜ?」

「ああ……知ってる」

 グラノス‐ディリ‐ハーレンという名のその中尉が、かの「スロリア戦線」からの帰還兵であり、ニホンの虜囚経験者でもあることは、噂の形でパノン達も知っていた。「ニホンの虜囚」――スロリア戦線の詳細を知らない士官連中は、彼らの事を「蛮族に武人の誇りを売り渡した連中」と蔑んでいたが、パノンにはそうは思えなかった。


「――何でも、同じく虜囚になった部下を馬鹿にした参謀とやりあって、降格された上に前線送りになったらしいぜ」

「――へえ、うちの中隊長にも見習ってほしいもんだね」

 古参兵たちの会話を又聞きしながら、パノンの目はさり気なく彼の従属する中隊長の姿を探る。パノン達の中隊長たるリガス‐ド‐カレス中尉は、出撃予定時刻が迫ってもなお……否、本国での乗船以来一度として輸送船の士官用居住区から彼ら兵士の前に姿を見せてはいなかった。貴族階級出身。正当な士官養成コースを経ず、さらにはさしたる軍歴も無く、只上層部の縁故のみで中隊長の職を得たお飾りの、あるいは将来的に元老院に議席を得んがための資格を稼ぐための、腰掛け同然の指揮官職の(あるじ)。そんな彼を他所に、古参の士官と下士官連中のみが、すでに心得たように書類と地図を手に人員と作戦手順の確認を始めていた。


「中隊、全員集合! 集合!」

 蛮声を張り上げ、髭面の先任下士官が兵士たちを呼ぶ。喧騒が満ち始めた甲板の外、輸送船の周囲では上陸部隊第一波の将兵を満載した上陸用舟艇が母船たる輸送船の周囲を旋回し始めていた。旗艦からの命令が下り次第、彼らは一直線に敵の待つ海岸線に殺到することになる――そうした船外の光景を他所に、輸送船の甲板で兵士たちは億劫そうに私語を止め、あるいは手にした煙草を踏み消し、集合命令を発した主へと歩み寄る。

「――状況を説明する!」

 甲板に拡げた海岸線の地図を前に、中隊副官たる古参の少尉が声を張り上げる。純然たる士官学校出身者ではなく、一兵士からの累進であることは、中年に属する顔立ちと、軍服上衣の上腕を飾る赤い精勤章の線の本数からすぐに判る。

「観測機からの航空偵察によると、敵はすでに我が軍の艦砲射撃により甚大なる損害を蓄積させつつある模様。我が軍は今より一時間後に下船し、上陸第一陣に引き続き海岸線に進出、然る後橋頭堡を確保する」

「質問」

 と、手を挙げる者がいる。若い軍曹だった。少尉は彼を指示し、発言を促した。

「橋頭保確保の後、我々はどうするのですか?」

「敵の反撃に備え防衛線を構築しつつ、上級司令部からの新たな指示を待つことになると思うが、船に戻ることはないだろう。つまりは前進あるのみだ」

「……」

 重苦しい沈黙が、一同を覆うのに時間は掛からなかった。敗残兵と新兵の寄せ集めたる上陸部隊……自分たちは文字通りに捨て駒だった。信じたくは無かったのに、彼らがそれを真に自覚した瞬間――

「……それが、俺たちの運命だ」

 少尉がぽつりと言い終わるや否や、輸送船の汽笛が間隔を置いて四度、甲高い咆哮を天へ轟かせる――

 ――それは、上陸作戦開始の合図だった。




シレジナ方面基準表示時刻11月03日 午後15時30分 ローリダ政府直轄領シレジナ マナビアス沖


『――上陸統制船「マーカス」より各艇へ、各艇はこれより本船の管制下に入った。各艇交信帯を6に切換え、速力5を保ちつつ旋回態勢を維持せよ』

 母船の周囲を行ったり来たりしている舟艇からやや前方には、他の輸送船や哨戒艇に混じり、一際高いマストの目立つ、甲板上にアンテナを林立させた小型貨物船の姿が見えた。通称「マーカス」。その正体は予定上陸沿岸域に赴く上陸用舟艇の針路、速度を一括して管制し、上陸作戦を秩序あるものとするための通信母船だ。それだけではなく、同じく輸送船改造の仮設砲艦、仮設掃海艦、病院船など、上陸作戦においては国営商社たる南ランテア社所有の船舶や、その他民間船舶が、考え得るあらゆる用途を与えられて使役される。それは対ノルラント及びその他列強との領土紛争、あるいは中小国相手の対外戦争で繰り返されてきた、ごく有触れた上陸作戦の光景でもある。



 砲声は、既に止んでいる。

「……」

 荒さを増してきた波に揺られる上陸用舟艇の舳先、そこから伺える海岸線は、今では虐殺の坩堝(るつぼ)と化していた。そして坩堝は、新たな「素材」を求めんかのように、兵士たちの眼前で醜悪なまでの燻りを続けている。

「見ろよパノン……」

 クリムが言った。その声にはもはや怯えの響きが籠っていた。眼前の光景はもはや彼らにとって他人事ではなかった。何故なら――

「――突入予定時刻は1540。小銃には覆いを掛けておくこと。でないと海水ですぐに使い物にならなくなるぞ。それと救命衣はちゃんと着けておけ。戦死の方が溺死よりはずっとマシってもんだろうからな」

 先任下士官の言葉にも、緊張に伴う声帯の強張りとも取れる硬質な響きが感じられた。速度が上がり、それに比例するかのようにピッチングの烈しくなる小舟の中で、防水のためにビニールで包装されたザミアー7自動小銃を抱くように握り締めつつ、パノンの目は何時しかこれより彼と彼の部隊が一歩を踏みしめようとしている海岸部へと向かう。先行した上陸第一波からの通信が完全に途絶えて、すでに十分が過ぎようとしていた。上陸部隊第一波の総数2200名。その何れもが歩兵主体であり、戦車12両の支援を受けていた筈だ。それらが突入からわずか二時間程で壊滅状態に陥ったこと自体、敵防衛線の強固さと、上陸部隊から遥か後方の海域に居座る作戦部隊司令部の見通しの甘さを物語っていた。パノンたちはこの時点では知る術もなかったが、第一波に引き続き第二波も支援してくれる筈の戦車に至っては、それを搭載した中型上陸用舟艇3隻が全艦、待ち構えていた敵沿岸砲の直撃を受けて大破し、中の積荷諸共海底へのキスを強いられている。


「上陸したらその場に留まらず、全速で疾走し遮蔽物に潜り込め。その後で各個に塹壕を構築。後続する友軍を待ちつつ、細心の注意を払って敵陣へ前進しろ!」

 先任下士官の指示が続く一方、パノンたちの中隊長は彼の傍らで所在無げに立ち尽くしている。その表情はまるで、つい数分前に首都アダロネスに在る彼の実家の豪奢な居間から、物理的な距離と時間の壁を越えていきなりこの場に放り込まれたかのように呆然とし、怯えきっているように見えた。野戦服を着た青年貴族は、今更ながらに彼自身の立場の持つ重大な意味を鼻先に突き付けられたようなものであった。


「……神よ、偉大なるキズラサの神よ。我を守りたまえ。我をして――」

 クリムが首に架けた聖章を掌で抱き、祈りの言葉を呟くのをパノンは聞いた。その声に一片の震えも無かった。時を同じくして祈りの詞はパノンの乗り込む上陸艇の各所から上がり、神に対する忠誠心の薄い少年の胸をも震わせる――地方出身者はいい。素朴な育ちゆえの神に対する篤い信仰心が、自身が死と直面しつつあることを忘れさせてくれるのだ。パノン自身の内心に、神が住んでいたのは果たしてどれくらいの年頃までであっただろうか?

「――中隊長、宜しいですね?」

 と、全ての指示を終えた曹長が彼よりも二回りも若い指揮官を顧みた。何も言わず、蒼白な顔で頷く青年、それで突入前に行われるべき全ては終わった。曹長の腕時計が1540を指すのと同時だった。


「――――!! ――――!!」

 長く、太い汽笛が二本――


『マーカスより各艇へ、横隊を維持し、速度10で第一侵入線まで前進せよ!』

 直後、舟艇の群は母船を取り巻く円周の軌道を解き、一斉にその舳先を海岸線へと向ける――

「――第一侵入線突破!」

 上陸艇尾部の操舵室で指揮を取る艇長が怒鳴る。上陸用舟艇隊は、その事前に上陸予定地点に対し地図上で三重の線を設定していた。第一、第二、第三……それを経る度に敵の抵抗は烈しく、突入に際し危険度が増すであろう、というわけだ。敵前に向かい海上を突進し、兵員の輸送及び支援を行うという性格上、上陸用舟艇もまた相応の武装を備えている。標準型の上陸用舟艇は完全武装状態の兵士を最大で40名搭載し、対地、対空両用を兼ねた重機関銃を一丁、軽機関銃を二丁、そして対地制圧用の擲弾発射銃を一丁装備している。ある程度軽微な敵防衛線ならば、船隊のみで十分に対処可能な武装を有していた。

「――第二防衛線突破!」

 直後、海原を割りパノン達の上陸艇に併走する一隻の上陸艇が、水柱と爆音に包まれるや、破片と乗員を撒き散らしつつ横転し爆沈した。何が起こったのか、パノンたちにはわからなかったが、それは海軍部隊が討ち漏らした機雷の為せる業であった。パノンたちにとって、脅威という名の怪物の棲家は、水上や陸上だけではなかったのだ。同じく機雷の咆哮は広大な上陸海域の二、三か所で連続し、運悪くその余波に捉えられた二隻が沈み、あるいは擱坐しその場で漂い始める。そして――


 空を切る何物かの音――

「……!?」

 全速で疾駆し、波濤を乗り越える度に烈しく上下する船体にしがみ付きながら、パノンたちは身を伏せた。そして彼らの予期し恐れたものは、直後にやってきた。

 着弾!――それも数発同時!

 着弾時の轟音と、水柱の太さから、少なからぬ数の指揮官が移動可能な軽量の野砲だと直感した。彼らの直感は正しかった。あれほど長く烈しい艦砲射撃に晒されてもなお、敵は上陸部隊に抗し得る火力を温存――あるいは秘匿――することに成功していたのだ。かといって移動目標を狙うことに不得手なそれらが、高速で海上を疾駆する舟艇に対し効果的な威力を発揮することなど到底望めることではなかった。むしろ真の脅威は――


 火砲の槍衾を掻い潜り、波を割りつつ前進する舟艇の前面に、先程と比べ小さく、細い水柱が十数本立ち、そして怒涛の壁を作った。水柱を割り、降り懸かる海水を物ともせずに驀進するパノン達の上陸艇の直上を、黄色い光弾が数珠繋ぎに飛び去り、海上に散っていく――

「――!?」

「機関砲弾だ!!」

 船上の誰かが怒鳴った。それはむしろ悲鳴と言ってもよかった。海岸線の何処かより水平方向に投掛けられ、そして海上で交叉する様に編まれた対空機関砲の弾幕は、忽ちの内にその射程内に達した上陸艇数隻を捉え、そして撃破し粉砕していく。着弾の水柱はそれが至近であるだけ、決して頑健とは言えない上陸艇の船体を揺るがし、逃げ場のない将兵を動揺させるのだった。

「神様!!」

 悲鳴と神の名を呼ぶ声の交叉する船上で、パノンもまた被弾に怯え船体にしがみ付く多数の内の一人でしかなかった。船が海岸線に迫るごとに機関砲弾の空を切る音は一層に距離と速度を増し、それは死神の足音となって今にも荒々しく船上に踏み込んでくるかのようにパノンには思われた。

 爆発音――!!

 重複する絶叫――!!

「――!」

 一隻の舟艇が被弾し、炎に包まれるのをパノンは見た。横に傾いた舟艇は火達磨となっても速度を落とすことなく、やはり火に包まれた将兵の人影を多数、無残にも海面に弾き飛ばしながら暫くの間を疾走し、パノンの船のすぐ前方まで不自然に旋回したところで爆発し砕け散った。

「取りぃーかぁーじ!!」

「取り舵了解!!」

「避けろぉーっ!!」

 舟艇の乗員とて必死であった。海軍に属する彼らの任務は船の「荷物」たる陸軍兵士を、敵の待つ海岸線まで送り届けること。その後で彼らは艦隊へと取って返し新たな任務を課せられるまでの暫く間を安全な場所で過ごしていられる。もしそうで無かったならば――言い換えれば、彼らの船が各坐なり何らかの事由で艦隊へと戻ることができなくなった場合に――彼らもまた「荷物」たる陸軍と合流し陸戦に参加する事を命令されている。それは陸戦に不慣れで、今回の作戦の苛烈なることを知っていた彼らにとって是が非でも回避すべきことであった。一蓮托生という言葉など、所詮は同乗する船が無事に海岸に着くまでの事でしかない。

「――第三防衛線突破!!」

「総員! 上陸よーい!!」

 上下に揺れる船上の各所から小隊、分隊指揮官の声が上がる。それは兵士たちを死地へと導き、あわよくば死と破壊の生産行為の成果を天界より掠め取らんとする死神の歓喜の咆哮だった。


「――!?」

耳許を掠める苛烈なまでの唸りを、パノンは聞いた。心胆を震わせる響きを伴ったそれは、パノンたちの搭乗する上陸艇のすぐうしろを航行する他の上陸艇を前方より直撃し、それは搭乗者らの身体と絶叫とともに着弾に荒れる波濤の懐へと吸い込まれた――沿岸から放たれた火砲の直撃を受け、木端微塵に吹き飛ぶ上陸艇。火砲だけではなく機関銃の軽快な射撃音すら陸地の方向から聞こえ始めていた。同じく、沿岸一帯に漂う硝煙とも霞とも区別の付かない靄の向こうで、塔や防壁と思しき灰色の影が、巨人の肢体を思わせる不気味な輪郭を薄らと見せていた。その各所が時折黄色に、あるいは赤く光り、弾幕の息吹を新たな侵入者に向け吹き付け始めている。


ドン!……ドンッドンドン!!


 身を震わせる銃声――否、それは銃声と片付けるにはあまりに重く、激しい空気の震えを伴っていた。その有効射程に入った舟艇搭載の自衛用機関砲が、陸地の敵陣へ向かい応戦を始めたのだ。発砲の度に薬室より弾き出された薬莢が砲手の足許で鳶色の山を作り、それらの一部が安住の地を逐われたかのようにボロボロと転がり、上陸を待つ兵士たちの足許で止まった。


「総員、前進せよ!!」

 舟足が止まり、ランプドアが開くか開かないかの内に、最前列にいた十数名が頭や胴、胸から鮮血を噴き出しつつ倒れた。被弾した者は、パノンらの押し込まれた小隊中の前三列にまで達した。敵は湾の突端、海を跨いで浜辺のすぐ背後に控える丘陵地帯に深い塹壕を張り巡らして艦砲射撃を遣り過ごすと、その後に来るであろう上陸部隊が、彼らに向け不用意に横腹を晒す瞬間を、据え付けた機銃、機関砲を以て待ち構えていたのだ。その直感が上陸部隊を構成するローリダ軍将兵の全員に周知されるかされないかの内に、機銃の一斉射撃で数多の兵士が斃れ、重機関銃の集中射撃を浴びた数隻の揚陸舟艇が被弾浸水し、あるいは炎上した。


「――!?」

 すぐ前にいた新兵――ただし、パノンよりも五年ほど年長の兵士だった――の胸を機銃弾が貫き、貫かれた兵士が顔を苦痛に歪め、足元から崩れる様にして倒れ込んだ瞬間、生温かい何かが自身の頬に飛び付くのをパノンは覚えた。反射的に触れた彼の指先の感覚が覚えたヌルリとした感触、それから一瞬も経ない内に、パノンは同僚から噴き出した鮮血で、どす黒い赤に染まった掌を放心と驚愕と共に凝視する――

「ひ……!」

「ばか! 伏せろ!!」

 パノンの背後に居たクリムが、両手でパノンを押し倒した。すでに船上の将兵の多くが、決して広く、かつ頑丈とは言えない揚陸舟艇の艇内で、身を寄せ合うようにして頭を抱え、身を屈めていた。その間にも息を吹き返した――否、それまで息を潜めていた野砲や曲射砲、噴進弾が丘陵の向こう側から虐殺の砲列を敷き始めていた。至近弾に揺られ、擦抉する弾幕に震える艇内で、彼ら新兵と敗残兵は、運命と砲火に翻弄されるひ弱な葦でしかない……

「てめえら何ボサっとしてるんだ! 早く出ろ! 出ないか!」

 怒声は、本来パノンら兵士たちを鼓舞し、率いる立場にある下士官や下級士官のものではなかった。敵の防衛線を前に怖気付き、一向に艇外に出ようとしない友軍の兵士に業を煮やした海軍の艇指揮官が、非難の声を上げ陸軍将兵を追い立てに掛かったのだ。

「あれが見えないのか!? 俺たちに死ねと!?」

「死ぬも何も、我々にはまた母船に戻り、再び此処に取って返して後続の将兵を送り届ける任務があるのだ!」

「お前ら!……任務に(かこつ)けて俺たちを見捨てる気か……!」

「見捨てるも何も、お前ら此処で前進しなかったら軍法会議だぞ」

「……!!?」

 愛国心の発露、あるいは背後から突き付けられた現実――それに内心を突き動かされたからか、またあるいは突き付けられた現実からの逃避を図ろうとしたのか、それまで虐殺の巷と化した海岸線を無言のまま見詰めていた一人の下士官が、パノン達を顧みた。

「貴様ら、覚悟を決めろ。はっきりとしていることは只一つ、ここには生者の居場所は無い」

「……」

 海岸線の一点を、下士官は指し示した。

「あそこに遮蔽物がある。敵が敷設した障害物だ」

 引き潮故か、砂浜にその半身を埋めた状態で佇む鉄骨の塊に、パノンとクリムは目を凝らした。戦車の侵入と前進を食い止めるために設置された障害物、しかし今ではそれは、海岸線に上陸を果たした敵兵を、彼らの友軍の銃火から守る盾へと変えていた。だが……そこまで行けるかどうかは神のみぞ知る処だ。事実、そこまで辿り着けなかった第一波の兵士と思しき死体、あるいは身体の一部が、障害物の周囲に無数に散らばっていた。

「……!!?」

「我々はこれよりあの地点まで全力で移動し、橋頭保を確保する……!」

 パノンは小銃を抱くように握り締めた。ビニール製の封を開けていないことに、今更ながら気付いたが、切迫した状況下では如何ともし難かった。

「行くぞ!」

 完全に封を開けた小銃を構え、下士官が駆け出した。パノンとクリム、そして数名の兵士がそれに駆け足で続いた。ともすれば背後より寄せてくる波に、あるいは重い砂に足を取られつつ、兵士たちは生を求めて吶喊へと足を踏み入れて行く――


「――!?」

 滑空音――近い!

 爆発音――近い!

 不意に、背後が熱くなるのをパノンは駆けながらに感じた。金属でできた何かが千切れ、弾け飛ぶ音を聞いた。だがそれが何か、一々立ち止まって確認する暇など弾幕の飛び交うこの場にあろう筈が無かった。横、背後、そして前方――上陸場所のあらゆる処で人間に弾が当り、人間が斃れる気配を感じつつパノンは奔る。一瞬でも立ち止まれば弾丸に生命を奪われるより早く、戦場を支配する狂気に心を滅ぼされそうな気がした。


 身を屈めて奔り――

 足を縺れかけ――

 息を乱れさせ――

 遮蔽物に滑り込んだとき――

「パノン!」

 先に飛び込んでいたクリムが、今来た道を指し示した。その指先に曲射砲の直撃を受けて赤々とした炎に包まれ、外板とも乗員とも知れぬ何かを吹き飛ばしつつ傾く揚陸艇の断末魔を見出した時、パノンは彼自身の帰路が完全に断たれたことを悟った。

「伏せてろ! 頭を上げるな!!」

 下士官が叫んだ。揚陸艇の末路に完全に目を奪われたパノンの眼差しの先で、海中に飛び込み、辛うじて難を逃れた生き残りの兵士たちが、這うようにして砂浜へと上がって来るのをパノンは見た。その大半が瀕死の身、それでも束の間の生還の喜びに浸る暇すら与えられず、機銃掃射を前に一人、また一人と止めを刺されていく友軍の将兵――

「……!?」

 パノンは丘陵の向こうに目を凝らした。自然の造形物たる丘陵の中腹、あるいは陵線上……偽装網を被せられ、狭い銃眼から殺戮の咆哮を放ち続けるそれらは、迫りくる敵兵の波を押し止め、効率的に駆除するために設けられたコンクリート製のトーチカだった。

「総員、応戦しろ!」

 下士官が怒鳴った。応戦しようとしてパノンは我が目を疑う。小銃は完全に包装されたまま、それに一発の弾丸も籠められてはいなかった。包装を破り捨て、堅い棹桿を引いて薬室をスライドさせ、震える手で十発(つづ)りにされた弾丸クリップを押し込む間にも、同僚の兵士らは遮蔽物から応射を始めていた。乾いた銃声とともに、断続的に吐き出される空薬莢が、兵士たちの足元で山を作り、弾丸を撃ち尽くした兵士は驚くような手際で弾丸を込め、再び射撃を始めている……トーチカの向こうの、肉眼で判別し難い敵に向かって――


 パノンは銃を構えた――

 兵営で教えられた通りに息を吸い、そして止め――

 引鉄の遊びを引く――

 だが――

「……!?」

 眼前に黄色い光が飛び込んでくるのを目の当たりにした時、自ずとパノンの銃は空を向き、虚しい一発を弾き出した。反動に抗えずに小銃を取り落とした直後に、機銃弾に姿を変えた地獄はパノン達がいる遮蔽物に飛び込んできた。

「……!!?」

 飛び散る火花、火柱――

 何かが千切れ飛ぶ音――

 反射的に、パノンは伏せた。頭を抱えて蹲る様にした。それこそ、砂浜に潜り込まんかのような勢いだった。狭い空間内に撃ち込まれ、荒れ狂う弾幕に翻弄される中、自分でも何を言っているのか判らない程の悲鳴をパノンは上げ続けた。

「――撃たれたぁ! 助けて!! 助けてくれ!!」

「――!!?」

 自身のすぐ横、肩を抑えつつ呻吟する兵士の姿には見覚えがあった。

「クリム!?」

「パノン……おれ撃たれた……助けて……」

 パノンはクリムに這い寄った。這いつつ周囲を見回せば、下士官を始めその場にいた兵士全員が集中的に撃ち込まれた機銃弾に引き裂かれ、原型すら留めない哀れな姿で血の泥濘に沈んでいた。下士官に至っては手足全てを荒れ狂った機銃弾にもぎ取られ、弾丸に切り裂かれた腹部からは臓物が飛び出していた。誰かの手や脚、あるいは内蔵の切れ端が鉄骨製の遮蔽物にへばり付き、火薬の据えた臭いに混じり、甘ったるい血生臭さが周囲に充満し始めていた。

「ウッ……!」

 反射的にパノンは口元を抑えた。朝に胃の中に入れた全てが、苛まれる神経の導くがまま食堂を逆流してくる。堪らずパノンが口から汚物を撒き散らすその傍らで、朱に染まった肩を抑えて震えるクリムの眼には、涙すら満ち始めていた。頭を左右に振り、再び身を起こした時、別の場所の掃射を終え、トーチカから突き出た機関銃の銃身が、再びこちらの方を向くのをパノンは見た。

「――!?」

 知らず眼、その次に顔が強張るのを覚える――

 パノンは、死を覚悟した。

 そのとき――


 レシプロエンジンの爆音――それは頭上。

 黒い何か見上げた上空をかすめ飛ぶのを見た。

 飛行機――!?

 双発のプロペラ機だった。それも、雁行状に編隊を組んだそれらは細い胴体に、金魚の様に膨らんだ腹を持っていた。爆撃機の編隊は突っ張った下部の扉を開き、そのままトーチカの拡がる陵線へと突っ込んでいく。下からボロボロと落下した何かが、直後には丘陵一帯を火焔と衝撃波の爆風で覆う。正規の空軍では無い。悪名高い「南ランテア社」の「傭兵空軍」だ。虐殺を欲しいがままにしていたコンクリートの塔、あるいはトーチカが粉々に吹き飛び、紅蓮の炎に燃え上がる、それに加え、漸く接近を果たした駆逐艦群や商船改造の仮設砲艦による近距離からの砲撃が続いた。

「そこの兵隊! こっちへ来い!!」

 呼び掛けられ、パノンの視線は巡り、そして海浜の一点で止まった。砲弾の着弾痕と思しき大穴に潜み、前進を待つ他隊の兵士、それが弾幕の奔流のど真ん中に取り残されたパノンらを呼ぶ声の主であった。そして兵士たちの一団の中央に居る士官には、見覚えがあった。

『ハーレン中尉……?』

 鉄帽を被り、顔を硝煙に汚しながらも、その端正な顔立ちと傍らの通信兵の背負う通信機に向かい指示を下す様子には、見覚えがあった。大穴の中から一人の兵士が手を振り、パノン達に移動を促していた。

「……」

 クリムを抱き起こしつつ、パノンは海側を顧みた。その全容が判別できる程に海岸線に接近した共和国海軍の駆逐艦の艦影。その主砲が破壊の閃光を瞬かせ、直後には鋭い滑空音となってパノンらの頭上を駆け巡った。

「……!!」

 至近距離からの射撃は的確で、暴力的なまでの威力を伴っていた。駆逐艦の主砲と言っても、地上軍の有する野砲や榴弾砲に比べその射程と威力は破格で、何よりも速射が可能という利点がある。空爆により沿岸の対艦戦力が掃滅されたのを見計らい、敵の迎撃と座礁の危険を冒して海岸線に接近した三隻の駆逐艦は砲撃を続け、それは鉄の暴風となって丘陵部のトーチカ群を荒れ狂った。

「クリム、歩けるか?」

 パノンに抱かれながら、作り笑いで応じるクリム、だがその額には脂汗が宿っていた。嵩張る武器と背嚢を棄て、クリムからもそれを取り上げる。そうして身軽になったところで、パノンはクリムに肩を貸し、そして駈け出した。

「……!」

 駆け抜けながらも、頭上からの圧迫感を覚える、レシプロエンジンの爆音を伴ったそれは一度目の攻撃を終え、再び攻撃位置に就いた軽爆撃機群が、止めを刺すべく瀕死の敵陣上空に突っ込んできた証だった。

「早く! 早く来い!!」

 クリムを放り投げる様にして穴へ押し出し、そしてパノンは滑り込んだ。姿勢を崩して穴の底に倒れ込んだとき、交信を終えたハーレン中尉の見下ろす視線と、見上げるパノンの視線が交差した。

「大丈夫か?」

「……」

「さあ……立て」

 ハーレン中尉は手を差し出した。パノンが差し出された手を掴むのに、数秒の逡巡が必要だった。パノンを立たせると、ハーレン中尉は言った。

「君らは何処の隊だ?」

「第112連隊グラ中隊であります!」

「エイラ中隊のハーレンだ。この屠殺場の最中(さなか)で御苦労な事だな」

 武器を置いてきたことに、今更のように気後れを覚えたパノンを少し凝視し、ハーレンは傍らの曹長を顧みた。何時もハーレン中尉の傍にいる、厳めしい髭面の曹長だ。

「ギラス、この兵士は健在だ。彼に銃を渡してやれ。重傷者のものがあっただろう?」

「はっ!」

 曹長が部下の古参兵を呼び、パノンは古参兵の手ずから新しい銃を渡される。血と砂に汚れたそれを、パノンは緊張と共に握る。気が付けば、穴の底では負傷し戦闘続行不能となった兵士が、虚ろな視線もそのままにこれよりさらに死地へと進む健在な同僚たちを見上げていた。そしてクリムもまたその列に加わろうとしている――

 ハーレン中尉はパノンに言った。

「若いな……幾つになる?」

「17になります……あと二日で」

 ハーレンは嘆息した。

「世も末だな。酒の味も知らないような子供が、前線に駆り出されるなんて……」

 降下の姿勢に転じた双発爆撃機の機首が敵陣へ向け白煙を噴き出し、機影は白煙を引き摺りつつバンクを振って陵線を飛び越えた。機首に集中装備した機銃を以て、未だ生残っている敵兵に掃射を加えていたのだ。ハーレンは通信兵を顧み、命令した。

「健在な戦闘工兵を呼び出せ」

 数刻の後、洋上の司令船と連絡を付けた通信兵が送受話器をハーレンに差し出した。送受話器を握り締め、ハーレンは言った。

「エイラ中隊だ。君たちの指揮官に繋いでくれ」

『――こちらアウハル工兵小隊。小隊長は戦死されました。現在最先任たる小官が指揮を執っております』

「貴官の姓名及び階級は?」

『――マシモ‐デ‐アチス伍長であります……!』

 「ではアチス伍長、君らの右方に位置するトーチカの廃墟が見えるか?」

『――はっ、確認しました』

「我々とあのトーチカ群との間に、広範な地雷原が存在する。我が隊が前進し火力支援するので、早急に啓開して欲しい。やってくれるか?」

『――ハッ! やらせて頂きます』

「我が隊との合流に関しては追って時間と場所を指定する。それまで爆破筒の準備を頼む」

『――了解!』

「艦砲射撃を要請しないのですか?」

 と、傍らのアスズ‐ギラス曹長が聞いた。ハーレンは即座に頭を振った。

「我々とトーチカ群の距離が近過ぎる。下手に制圧射撃を要請して巻き添えを食うのは御免だな」

 ハーレンは健在な兵士を呼び集めた。

「これより我々はあのトーチカを攻略する。工兵が到着するまでの間、連中の注意を我々に集中させねばならない。ルイス伍長!」

「ハッ!」

「八名連れてトーチカに接近しろ。トーチカの右側面から回り込むように見せるだけでいい。正面は我々本隊が引き受ける。ゼム軍曹!」

「はっ」

「十名与える。君の隊は左側面だ。対戦車砲も持って行け」

「了解しました!」

「おいそこの新兵!」

「!?」

 唐突に指差され、パノンは仰け反る様に上身を曲げた。頬に傷を走らせた、始終不機嫌そうな顔立ちの軍曹だった。たしかゼム軍曹と言っていたような――

「兵隊が足りない。貴様も来い」

「は……ハイ」

「何だ? 怖気付いたのか?」

「い……いえ!」

「じゃあ準備をしろ。持っていくのは銃と弾丸だけでいい。他は此処に置いていけ。防衛線の向こうまで進むわけではないからな」

「はい!」

 不思議と、震えは覚えなかった。だが無性に、頭や頬、そして背筋がカッカと燃える様に熱く感じられた。他の兵士がやるように小銃の薬室に弾丸のクリップを押し込み、そして腰に巻いた弾丸入れの他には水筒だけを肩から下げた。

「……?」

 下からの視線に気付き、パノンは穴の底を見回すようにした。衛生兵に包帯を巻かれたクリムが、神妙そうに彼の友人を見上げていた。

「パノン……」

「クリム、じっとしてろ。すぐに帰って来るから」



「行くぞ! おれに続け!!」

 無数に拡がる着弾痕に沿い、分隊は死地へと駆ける。

 背後に援護の分隊支援機関銃の射撃音を聞きつつ、あるいは這う様に身を屈めつつ兵士たちは海浜を駆ける。パノンはと言えば縦列で疾駆する分隊の最後尾にいた。小銃を抱くようにパノンは着弾痕に飛び込み、あるいは飛び出し、敵のトーチカへと接近を続ける――

 先頭を行く軍曹が不意に拳を上げ、停止を促した。

「対戦車特技兵、来い!」

 対戦車ロケット砲を抱えた砲手と装填手を配置に付かせ、軍曹は一基のトーチカを指差した。

「あの塔だ。ぶちかましてやれ」

「はっ……!」

 トーチカはすぐ前方の――ハーレン中尉らのいる――敵兵にその注意を傾注していた。それによって穿たれた側面に対する警戒の穴を、軍曹は見逃さなかった。装填手が手慣れた動作でロケット砲の後部より鏃の様な弾体を押し込み、着火線を繋ぐ、準備を終えた彼がロケット砲を構える砲手の頭を軽く叩いたのが合図だった。ストーブの煙突のような携帯対戦車ロケット砲が、火焔の矢をその砲身から吐き出す。曲線状の軌道が、ロケット弾そのものが噴き出す白煙で容易に視認できた。

「……!」

 ロケット弾は塔型のトーチカの、中腹部分に命中した。軍曹が血色を欠き部下に声を上げた。

「総員頭を下げろ!」

 波乱は、側面からちょっかいを入れた「こざかしい敵兵」に対する重機関銃の掃射という形でパノンらに降り懸かって来た。頭を抱え、地下にもぐり込むようにして着弾痕の底にへばり付き、あるいはしがみ付く分隊の周囲を、重い着弾の振動と共に砂柱が上がる。もはや応戦すら儘ならなかった。

『――アウハル工兵小隊、配置に付いた。指示を請う!』

『――敵は左側面の友軍に気を取られている。この機に乗じて前進し、地雷原を爆破せよ!』

『――了解、できれば我々が作業を終える間、正面方向からの火力支援を要請したい。可能か?』

『―――こちらエイラ中隊、最善を尽くす』

『――……』

 軍曹が言った。

「貴様ら、ありったけの手榴弾を寄越せ。俺の前に集めろ」

 その場の誰もが、始めは軍曹の意図を図りかねた。それでも積上げられた手榴弾の山を、軍曹は雑嚢に詰め込んだ。一つの雑嚢には入りきらず、その場で供出させたもう一つの雑嚢をも満杯にしたところで、軍曹はパノンを指差した。

「おい貴様。そこの新兵」

「はっ!」

「俺と一緒に来い。これより俺たちはトーチカに肉薄し、手榴弾を以てこれを破壊する!」

「……!?」

「どうした? 返事は? それとも今度こそ怖気付いたか?」

「わ……わかりました!」

「銃は要らんぞ。邪魔だから置いていけ」

 軍曹は、次席の上等兵を指差した。

「セミール上等兵、貴様は此処に残って俺たちを援護しろ」

「了解しました」

 軍曹は雑嚢を肩に架けると、もうひと袋をパノンに放った。

「よし、行くぞ!」

「ハイッ!」

 覚悟を決める暇も無かった。反撃の弾幕が途切れるのを見計らい、上等兵以下の兵士が一斉に壕から銃を出し射撃する傍らを、パノンは軍曹に続いて駆け出した。手榴弾を詰め込み重くなった雑嚢が、走る度不快に揺れるのを抱きかかえる様に抑え、パノンは急く足に一層の力を入れる。死へと向かう傾斜を駆け昇る自分、それを除けば自分は一切の丸腰なのだ……!

「……!」

 眼前に飛び込んできた岩陰、軍曹に続き、パノンもそこにしがみ付く様にして飛び込んだ。トーチカの細長い銃眼が、もはや眼と鼻の先だった。

「あの細い窓が見えるか?」

 軍曹が銃眼を指差した。パノンは無言で頷いた。

「工兵が地雷原を爆破したら、手榴弾をあいつに叩き込む。いいな?」

「はい!」

 応じつつ、パノンはトーチカの基部に目を凝らした。正面の部隊が銃座の注意を引き付けている間、にじり寄った戦闘工兵が細長い爆破筒の設置を急いでいた。その過程で倒れ込んだまま動かない戦闘工兵らしき人影が複数……設置点まで辿り着いた工兵が、決して多くは無いことをそれは雄弁なまでに物語っていた。


『――点火用ー意!……点火!!』

 轟音――それは瞬時にして周辺の地雷に誘爆し、友軍と防御陣に挟まれた一帯に即席の砂嵐を誘発させた。そこに、軍曹とパノンが付け込む隙が生じた。

「行くぞ!!」

 軍曹が岩陰から飛び出した。直前の爆発に動揺し、注意を失った銃座の間隙に付け込む事などもはや容易なことだった。完全に銃座の死角に達したところで軍曹は一個の手榴弾の安全ピンを抜いた。パノンもそれに倣った。

「いち! にぃ! さん!」

 放り投げる様に、あるいは銃眼に押し込むように軍曹は手榴弾を銃眼に叩き込んだ。パノンもそれに続いた。

「伏せろ!!」

 言うが早いが、軍曹はパノンを押し倒した。空気すら揺るがす衝撃は、それからすぐに襲ってきた。 「――!!?」

 何かが揺らぐ音――

 何かが崩れる音――

 吹き下ろす爆煙の奔流――

 ――それらにパノンは、身を伏せて耐える。



「――ようし貴様ら! 道が拓いたぞ! 前進して敵を殺せ! 進め!!」

 聞き覚えのある声には、吶喊の響きと報復の快感があった。そして人間の気配は、銃座を吹き飛ばされ、誰も抗う敵のいなくなったトーチカに満ちる友軍兵士の喊声となってパノンの戻り掛けた聴覚に飛び込んできた。

「――軍曹! 軍曹!?」

 背後から、同じ友軍兵士の迫って来るのを感じる。やがてパノンは引き摺り上げられるように身を起こされ、汚れを払う間もなく小銃を押し付けられるのだった。

「行け! 行って敵を殺せ!」

 朦朧としたまま、惰性で昇り切った丘の頂上。未だ生き残っていた敵兵がパノン達に背を向け、一斉に遁走に入っていた。それらに銃を向け、追い撃ちをかける友軍――

 周辺に広がる軽快な射撃音。友軍の上空を航過し再び掃射の姿勢に入る双発爆撃機――何時しかパノンも再び銃を構え、小銃の照星越しに知らず、逃げ惑う敵兵の背後を物色し始めていた――

「――!」

 アイアンサイトの端に重なる、一人の兵士の遁走――

 自ずと引鉄の遊びを引く指――

 パンッ――!

 敵兵の背中は呆気なく地面に崩れ落ち、そのまま動きを止めた。




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