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第三〇章 「指揮する女(ひと)」


ノドコール国内基準表示時刻1月12日 午前10時09分 ノドコール中部


 荒涼たる野を冷たい風が薙ぐ。時折、粒の様な雪が風に混じるのさえ見る。防寒を徹底していても身に沁みる寒さだ。遠い昔、後に母校となった京都大学正門の面する東一条通りを、入学試験合格発表を見に歩いた記憶が彼女には思い出された。

 あのときの東一条通りにも冷たい、乾いた風が吹いていたのがいまになって思い出された。あのとき、世間一般の受験生宜しく高校の制服姿で通りを歩いた少女は、それから三十年以上が過ぎた今となっては陸上自衛隊の戦闘装着装備一式に身を包み、平原一帯を見渡す高地に佇んでいる。



 周囲は全くの自然であった。場所はスロリア亜大陸の西部、ノドコール中央である。


 前進にあたり懸念された伏撃と狙撃兵への警戒は、小型無人機の担うところであった。但しPKF地上軍 陸上自衛隊ノドコール派遣隊の前面から敵影が消えて既にまる一日が経過している。凡そ肉眼で見渡す限り、敵の蠢動は把握できなかった。肉眼の及ぶ遥か先、陸上自衛隊の前線からさらに数十キロを西に隔てた敵戦線後方――目指す敵首都キビルに近い後方――では、陸自の追撃を逃れた残存部隊の再編と物資の集積が継続していることが、監視衛星から判明している。そこからさらに奥、キビルの港ではキズラサ国(KS)の本国からの、「支援物資」の揚陸がなお続いている……


 開戦前も含んだ初期、これら支援物資には軽火器やその弾薬の他、火砲や戦闘車両も当然含まれていた。しかし今となってはこれら重装備の揚陸はすっかりと影を顰めていると東京の統合幕僚監部では判断されていた。送らないのではない。もはや送れないのだ。彼らの本国には、もう送る「モノ」が無いのである。

 彼らの本国――ローリダ共和国――はその本土の他、現状ノドコールとシレジナも含めて十前後の植民地や海外領、属国をその国外に抱える。競合国の侵犯、原住民の反乱に備え、これらの勢力圏にもノドコールと同様に兵員と重装備を配置しているわけだが、現在(いま)となっては事あるに備えた備蓄(ストック)の蕩尽が見え始めていた。何より、それら重装備を運用する人材の不足が加速したのが痛かった。


 もはやローリダ共和国にとって、ノドコールはスロリア以来三年間回復に徹して来た資源と人材を、再び無尽蔵に消費し尽くす「吸血ポンプ」になりつつある。それもごく一月のうちに……である。シレジナの戦闘がごく短日時で決着せず、今に至るまで継続していれば、KSはもとよりローリダの窮状はさらに深まったであろう。窮状を打破するために、ローリダの政府はあの「神の火」の投入すら選択肢に加えることになったかもしれない。それに対し日本は――見方を変えれば、シレジナ防衛戦を担ったローリダ軍の司令官は、間接的に祖国を救ったのかもしれない。但しそれも、これから始まる戦闘の推移如何によってはどう転ぶか判らない。


 1月4日の開戦と同時に実施されたノドコール越境以来、戦線正面を担った陸上自衛隊第5、第14両旅団は烈しい抵抗に直面したが、待ち構えるKS軍の布陣を考慮すればそれは想定されたことであった。東方軍の防勢を二個旅団で拘束し、第一空挺団によるベース-ソロモン強襲を起点とした反攻により北方軍に膠着を強いる。そこで生じた間隙を海自派遣部隊の巡航ミサイルと海空自衛隊作戦機による航空優勢でさらに啓き、陸では(くさび)として第12旅団、水陸機動団による山岳部への空中機動作戦を実施する――こうして強いられた消耗の末、KS地上軍は早期に予備兵力の投入を迫られ、その際に生じた濃密な交信と大兵力の移動は、「戦闘重心」としてのKS軍前線司令部の所在を、自ずとPKFの監視網の前に露出することとなった。


 陸空より乱打され、(ひび)割れたKSの防衛線……そこに、「ハンマー」としての第10師団の戦線投入が全てを決した。問題は投入の方向とタイミングであったが、その際に実施された彼女(・・)の「決心」は的確であったようだ。現在。北方、東方の両方面軍は「重心」を失い、その戦力は瓦解した様に見える。それらの残存兵力を再編し、キビル近傍に展開する西方軍より兵力と装備の増強を得た新編北方軍――あるいは「ジョルフス軍団」――が、PKF陸上自衛隊の新たな敵である筈だった。



 寒風が、強まった。

 副官と護衛を従えた彼女の傍に佇む軽量戦闘車の車上、M2 12.7mm機関砲を載せた遠隔操作砲塔(RWS)が動く。赤外線カメラとミリ波レーダーをも併せて載せたそれは、まるで生物の頭の様に廻り周囲に電子の単眼を光らせていた。丘陵の麓に車列が近付き、武装した軽装甲機動車を先頭にしたそれが軽量戦闘車の前で散開して止まった。大袈裟なことだという内心と表情を隠し、彼女はLAVから降りた幹部の敬礼に答礼した。


「閣下、間もなくお時間です。指揮所に戻りませんと」

「わかりました。じゃあ、行きましょうか」

 首元に巻いた分厚いマフラーの下、ノドコール派遣統合作戦部隊(JTFN)司令官 陸将 江角 (たお)は微笑んだ。柔和な中に観察する様な眼差しは、正対する何者に対しても変わることは無かった。



 江角 垰は京都大学農学部から大学院に進み、のちに中退して陸上自衛隊幹部候補生となった。専攻は施設科、経歴を聞き流せばそれまでであるが、履歴に目を凝らせば異色の経歴であることぐらい誰の目にも判る。そこに自衛隊創設以来初の、女性の将官級統合作戦部隊指揮官への就任。より昔の明治建軍まで遡れば、日本の軍事組織を取り巻く時勢の変転を体現する人物のひとりとして余裕で数えられるに足るであろう。

 前年、拝命まで茨城県ひたちなか市に所在する陸上自衛隊施設学校の校長を務めていた江角陸将が、召喚された東京都 防衛省本庁舎にて統合作戦部隊司令官就任を打診されたとき、以前に就いていた統合幕僚学校(JSC)教官と、「転移」前のパレスチナ、スーダンに派遣された平和維持部隊在任時の経験が考慮されたものと周囲は見、当人も同じ感慨を抱いたように思われた。


 指揮官としての実績ならば「転移」後にも重ねていた。「転移」故に生じた突発的な気候変動と、それに起因する自然災害に見舞われた異国の救援任務を担い渡海した陸上自衛隊 施設科部隊の指揮に、気鋭の少壮幹部であった江角二等陸佐(当時)もまた辣腕(らつわん)を揮ったものであった。むしろ「施設(工兵)の専門家」としての陸自中枢の彼女に対する評価は、このときに定まったのかもしれない。帰国後彼女は一等陸佐に昇進し、以後の陸将まで続くキャリアもまた順調に推移した。



 その陸将 江角 垰が所謂(いわゆる)「ノドコール侵攻軍総司令官」就任を内外に発表されたとき、顕著な反応を見せたのは日本国内ではなく、むしろキズラサ国の後見たるを自認するローリダ共和国であったかもしれない。首都アダロネスの主要紙では彼女をして「『忌まわしきサカタ』の後継者」と一面記事で書き立て、彼女個人に対する憎悪とニホンに対する敵愾心を煽ったものであった。が、この日の新聞を手にしたアダロネス市民には別の感慨を抱いた者もいたようで……


「ニホンでは女子が将官のみならず、一軍の司令官にもなれるのか」

 という内容の投書をした者が少なからずいたという。ローリダでは四年前の「スロリア戦役」以来、彼我の技術発展の比較と同様、比較文化論的に共和国ローリダと「蛮族」ニホンを論じる学識者や文化人は既に多く、そうして得られた「敵国」ニホンに対する知見は、学術誌や週刊誌を介してローリダの都市部には広く膾炙(かいしゃ)を始めていたのだった。


「ニホンには女子の元老院議員がいる。官庁及び企業の主要ポストも女子が占めることがあり、それは軍組織も同様である。現在ノドコールの同胞掃滅を目論むニホン軍には女子の戦闘艦艦長がおり、女子の戦闘機操縦士がいる。女子の連隊指揮官がおり、女子の司令部参謀がいる。我ら賢明なる共和国の市民は、今となってはこのニホンという敵を単に「蛮族」と片付けるべきであろうか? 彼らを「蛮族」と呼び続ける積りでいるのならば、身分と富の多寡のみならず、性別に基づく区分をも超えた広い人材登用を、我らが共和国政府は受容するべき時に来ているのではないのか?」


 一例を挙げれば、元老院平民派に近い政治誌は時局記事上でこう主張し、民心の「啓蒙」を図ったものであった。だが「あまりに内容が急進的に過ぎる」という理由で、執筆者は一時共和国内務省保安局(ルガル)に拘束されている。のちに後援者たる平民派議員数名の尽力で当人の拘束は解かれたものの、それは外的要因――それも不倶戴天の敵国――からもたらされる市民感情の変化に、治安機関もまた敏感になり始めていた証とも言えた。




 疎らではあるが、雪が降り始めた。江角陸将が前線視察から指揮所のある段列に戻ったのとほぼ同時であった。

 降雪そのものは気象観測隊の予測の中にあった。だが降雪がどれほど続くのかとなると不確定となっている。機動性を重視したが故に、装輪車両の比率が高い地上部隊の脚が止まる可能性。さらには悪天候が惹起する空輸と航空支援の作戦計画への影響を考慮せねばならない。

 そしてもう一つ、PKF地上部隊には至近に迫ったKS軍主力との「決戦」にあたり懸念事項が存在した。弾薬不足である。現状、厳密に言えば全軍で一会戦を実施できる数量は確保している。ただしそれは過去の戦例と演習(シミュレーション)に基づいて算出された「予定数量」であって、実戦ではこれを超過する可能性が極めて高い。言い換えれば不測の事態に備えた「予備」が皆無なのであった。前述の戦例でも、四年前の「スロリア紛争」でも起こったことだ。


 現にスロリアの戦闘では、戦闘部隊の攻勢に補給が追い付かず、輸送隊のみならず「スロリア通運」こと有事特別契約により徴用された民間業者の輸送車列までもが、事前協定に基づいた行動範囲を超えて戦場を機動する部隊に追従するのを強いられることとなった。陸自とローリダ軍が撃ち合っているそのすぐ傍で、軍属待遇の民間人ドライバーが物資や燃料を満載した陸自仕様の10トントラックで最前線に乗り付け、荷下ろしまで行うという「異常事態」すら戦線の各所で発生していたのである。民間人に負傷者が発生せず、紛争に勝利したからこそ大問題にならなかったものの、そうでなかったらどうなっていたか……


 「予備弾」の枯渇。特に高機動ロケット砲システム(HIMARS)の専用弾が現状では圧倒的に不足していた。主な要因を挙げるに、スロリア――ノドコール国境から主攻を担った第5、14旅団の突破力不足を補うために、それらは過分に投入された趣さえあった。そこに、両旅団に消耗を強いたKS東方軍の防御戦術の巧妙さが加わる形で、結果として専用弾の浪費を助長したのであった。

 現在、専用弾の集積こそスロリア方面、南のロギノール方面から陸路空路を使い継続しているが、予想される最大規模の戦闘に間に合うか否かは、未だ判らない。そして現状、中部の要衝イェリカドを廻る攻防でHIMARS専用弾の消費は続いている……


 その一方で気を吐く形となったのは、国境付近と海路によりロギノール方面に配置された12式地対艦/対地誘導弾であった。無人偵察機と衛星による目標捜索と位置評定により、これらは生来の長射程を遺憾なく発揮している。当初はロメオ-スカッドと称される対地ミサイルと、尚も前線に少数生き残っていた地対空ミサイルに対し猛威を揮っていたそれらが、現在では照準を敵地上軍の指揮所及び物資集積所にシフトさせ始めていた。開戦初期、激戦の末に確保された山岳地に設置された中間誘導システム群が、正確な目標破壊を補助(アシスト)してもいる。

 長射程故に後方に配置されたそれら地上発射巡航ミサイルは、補給の心配なく必中弾を敵陣に叩き込み続けている。ただし一発あたりの単価がHIMARS専用弾と比べてずっと高額なる故に、費用面で戦争継続への影響を懸念する声も決して少なくは無かった。現代の「最高戦争指導会議」とでも言うべき内閣安全保障会議(NSC)でも話題に上った事だ。



 これより予想される主戦場は、ベース-ソロモンとイェリカドを結ぶ交通路と周辺地域である。

 イェリカドは北のベース-ソロモンと南のロギノール、ひいては首都キビルを結ぶ交通路の結節点に位置し、11日、「ニホン軍」PKF陸上自衛隊はイェリカドを包囲する形で前進展開を完了した。それ以前に、イェリカド自体が現地人の反乱を前に無秩序な状態に陥っていた。

 

 KS側からすれば本来、開戦前よりKS西方軍の兵力がロギノール防衛軍の後詰めとして配置されていた筈が、そのロギノールにPKFが上陸して程無く、北方のアリファ(ベース-ソロモンのローリダ側呼称)に陸上自衛隊 第1空挺団が浸透し、首都キビルと両拠点間に跨る領域の防衛を担当する西方軍司令官 アブカス-デ-ロイク中将は何処の方向に増援を振り分けるか決断に迫られた。大軍を抱えて決断する経験に、この男は乏しかった。


 ロイクが決断に迷ううちに南北双方の戦闘は瞬く間にPKF優位に進行し、そこにイェリカド市内でローリダ人の監視下、奴隷同然の陣地構築作業に駆り出されていたノドコール人が暴動を起こした。叛徒は家内奴隷、市外に潜伏していた独立勢力とも連携し、それから日を置かず市そのものが戦場に変貌した。交通の要衝なるが故に、要塞化を図って労働力としての「奴隷」を市中に大量に引き込んだことが裏目に出たのである。

 それが一向に収拾しないまま、東方よりKS東方軍の防衛線を突破したPKF第5、14旅団が到達し、南より北上を果たした第7師団が市近傍に殺到した。結果、内に反乱を抱えたイェリカドは東南よりPKFに半包囲された。


 PKF地上軍の方針としては、北よりベース-ソロモンとイェリカドに迫るジョルフス軍団を第10師団が迎撃し、西より迫る西方軍を第9師団が叩く。航空優勢が圧倒的とは言え、師団で軍団を叩くという用兵上の非常識。そこに加えて予備兵力と言えば南東部の山岳戦を制した第12旅団と、ロギノールに残る第4師団、水陸機動団。それらは異変に備えた予備兵力と言えば聞こえがいい位には心もとない。

 言い換えればこれが四年前より続く「スロリア戦争」の現実なのであった。「スロリア戦争」――あのスロリア中部へのローリダ軍侵攻より始まり現在に繋がる一連の武力衝突と、それを包括した三年間に及ぶ国内情勢への影響を、とある文芸誌が先年に総称した言葉だ。名詞は静かに、そして着実に日本社会に認識されつつあった。時代を象徴する用語になったと言ってもいい。あの「十五年戦争」と同じように――



「――ジョルフス軍団及びロイク軍団の後背に対する独立派勢力の撹乱工作は現在も継続しています」

 調整会議の席上、情報幕僚の報告が続く。


 PKFと共闘する独立軍の攻勢は、占領地の維持に加えてジョルフス軍団と「ロイク軍団」こと西方軍の補給線寸断に傾注されている。そこにイェリカドの蜂起も重なり、恐慌はキビル近傍にまで及び始めていた。これは各種通信の傍受から明らかになったことだ。ロイク軍団の守るイェリカド以西の地域に住むローリダ人入植者が土地を離れ、列をなしてキビルに向かい……否、避難を始めているのも航空偵察から判明している。それこそ街道を使ってイェリカドに向かうロイク軍団の増援部隊の移動速度が、行き合う避難民と克ち合って著しく落ちる位に……である――それもまた、ノドコール人ゲリラの襲撃目標ともなっていた。

 傍目には不条理な展開だが、これを掣肘する義理を今回のPKFは持っていない。誰も表立って口には出さないが、むしろこういう「汚れ仕事」をさせるためのゲリラの組織化だ。勿論、倫理面で「許容範囲」を超えた暴走は可能な限り制止する心積もりではあるが……



「――痛し痒し……ですね」

 幕僚の報告に、江角陸将は困惑した様に眉を顰ませた。個人として良心が咎めるところでもあるし、敵増援部隊の移動速度が落ちて部隊の集結が遅れるのも望む処だが、その進軍が避難民の移動と交錯している以上、躊躇なく空爆を要請するわけにはいかない。避難路の途上には救護所と思しき施設の存在も確認されており、空爆にそれをも巻き込めば、この世界における日本の立場を危うくする恐れがあった。

 場合によっては、東京によって企図されたP-1哨戒機による、敵移動ルートに対する面制圧爆撃作戦の内容にも修正が必要だろう。尤も、彼我兵力が入り乱れ市街戦を展開中のイェリカドに関してはその限りではない。「民間人」などはじめからいないものとして空海自の戦闘攻撃機による苛烈なまでの銃爆撃が敵軍に叩き込まれている。



「……情報幕僚、敵に対する偽情報の件、どうなっていますか?」

 (てのひら)の中でペンを(もてあそ)びつつ、江角陸将は聞いた。表情が少し和らいでいた。普段、実年齢より若く見えがちなこの陸将の顔に、仕掛けた悪戯が露見するのを愉しんで待つ子供のそれを連想した幕僚は決して少なくは無かった。情報科部隊による欺瞞通信、そこに戦線でKS軍と対峙しているノドコール人の口と、確保したKS軍捕虜を「逃がす」形で広めた「敵情」が、ジョルフスとロイク両敵将の耳に入るのが待ち遠しく思える。


「偽情報の拡散から十分な時間が経過している筈ですが、敵の部隊移動及び指揮通信網に顕著な変化は見られません。もう少し情勢の変化を待つべきかと思われます」

「効いていない可能性もありますね。敵の指揮官がそういう高潔(・・)な人間ならばいいのだけど……」


 現時点で、その敵将が高潔な人間であるという情報は入っていないし、将来に亘り入る可能性も皆無に等しい。既に入っている情報にもジョルフス、ロイク両名が優秀な指揮官であり、人格者でもあるという点は指揮所の誰にも見出せなかった。



「イェリカド周辺の陣地構築は順調ですか?」

「施設科大隊を主力に、他部隊も協働させ進めています。構築についてはロギノールからの増援も得ておりますが、イェリカドのKS軍に察知されるのも時間の問題ではないかと……」


 イェリカドとその周辺が、KS地上軍主力との決戦の舞台になる想定は開戦前から存在した。問題となったのはどのように決戦するか、である。大勢となったのはノドコール人部隊とロギノール方面隊にイェリカドを攻略させて敵を浮足立たせた上で、北方のベース-ソロモン周辺までKS軍主力を誘引し決戦を挑む案である。東方から急進するPKF主力と南方から攻め上がる別働隊に直面し、KS軍はどちらに対するか判断に苦慮するであろう。あるいは兵力を分割し二方面に当たるかもしれない――事実、KSはある意味兵力を「二分」した。


 幕僚の報告通り、PKFはイェリカドを東南より半包囲しつつ陣地構築を進行させている。イェリカドのKS軍をイェリカドから逃がさないことはもとより、想定されるロイク軍団の前進を防ぐための防御陣地であった。場合によっては、防衛線はロイク軍団の攻勢とイェリカド守備軍の反攻に挟撃される恐れが生じる……それもまた、想定の内である。

 一方でその北――ベース-ソロモンでも作戦初期に飛行場を制圧した第一空挺団、これに合流した第10師団の隷下支隊の手でより重厚な陣地構築が始まっている。飛行場補修と管制、航空機整備の要員はこれらを速やかに退避させた。これはジョルフス軍団が飛行場に浸透し、ベース-ソロモンそのものが戦場となる可能性を想定した措置で、結果としてベース-ソロモンは再占領から僅か一週間程でその機能を再び喪失することとなった……KS軍主力の攻勢を受け止め、防御陣の深奥まで引き込んで彼らを消耗させ、その動きを止めた先――さらにはキビル周辺の敵残存兵力まで予備兵力として前線に投入された先――に、東京が決断した「真の決戦」が始まる。



 ノートPCと直結したプロジェクターで表示された戦況要約図に、江角陸将はあらためて目を細めた。

「こうして見ると、長篠とアレシアの戦場が同じ場所に出現したようなものですね……すごい」

「……しかし、あまりに急な判断ではないでしょうか?」

 戦史を持ち出した江角陸将の言葉に、感銘を受けた様に見える幕僚はいない。一方でひとりの幕僚が表情を曇らせて言った。イェリカドを廻る作戦の先に在る、東京が決めた「決断」について、である。決断が急であることも然ることながら、その実施にあたりこの作戦でPKF主力がKS軍主力を壊滅させるという前提がある。作戦の実施には自信がある。だが、東京の判断はあまりに投機的で、希望的観測に依ってはいないか?


 要約図――その敵首都キビルに近い一箇所から目を離さず、江角陸将は言った。

「確かに急で、危険な判断ですね。成功すればこの戦争は早期に終わるでしょうけど……」

「成功すれば……ですか。かつてこれと同じことをやろうとしたロシア軍は――」

 幕僚が言い掛け、口を噤んだ。作戦の全容に「前世界」まで遡る史実を連想し、言葉を失った幹部は決して少なくは無い。その様を見遣り、江角陸将は困惑した様に微笑(わら)った。苦笑に近かった。


「此処に空港があったのがどう転んでも運の尽きですね。ただ……」

「…………?」

「此処から全てが始まったと思うと、どんな形であっても、此処で終わらせないといけない様にも思えるわね」

 感情の無い陸将の顔が、菩薩の様にまた微笑んだ。それが周囲の幹部たちに戦慄と信仰すら与えた。それを豪胆と皆が受け止めるには、江角 垰という女性は将官としての経験に恵まれているわけではなかったのである。




 ノドコール国内基準表示時刻1月12日 午前11時11分 ノドコール中部


 小雪交じりの灰色の雲の間、微かに白い飛行機雲が延びるのが見えた。


 丁度干し出したシーツを取り込みに、天幕の外に出た瞬間であった。飛行機雲の高度は高く、それは南から北へとほぼ一直線に延びて雲の山々へと吸い込まれる様にして消え往く。そしてノドコールの南は、年が変わってからすぐにニホン人のものになった。つまりはニホン人に占領された南のロギノールの飛行場から飛び立ったニホンの戦闘機が、中部の独立軍に対する空爆を続けているのだ。しかし、ニホンの戦闘機は野戦病院の所在する此処まで暴虐の手を延ばして来ない。


 ニホン人は、「安全圏」を設けているのではないか?――新編北方軍に属する独立軍士官の会話、聞き耳を立てて得たそれを、籠に半乾きのシーツを取り込みつつユウシナ-レミ-スラータは脳裏で反芻した。彼女の所属する北方軍は、今となってはキビル方面からの増援を得てジョルフス軍団――あるいは新編北方軍――とその呼称を替えていた。北方軍は回線劈頭からニホン軍の制圧下に置かれたアリファ飛行場の奪回に失敗し兵力の大半を蕩尽、更には司令官たるロイデル-アル-ザルキスの死を以てその敗退が確定した。


 急に始まった無秩序な後退、無慈悲な追撃――後退の道程、ニホン軍の空爆に加え現地人反ローリダ勢力による襲撃でその残存兵力は更に減った。細りゆく敗残の列、そこに開拓地を棄てて着の身着のままで合流して来た入植者も加わった。立場上は後方勤務の民兵であったユウシナですら彼らを守るために銃を執らざるを得なかった。後退の過程で、ザルキス司令官がノドコール人の武装勢力に指揮所を奇襲されて殺されたことを彼女は知った。表向きの話はそうだが、実はそうではないという話も敗残の陣中では乱れ飛んでいた。追撃を受けつつも敗残の列は徐々に合流し、程無くしてキビルからの増援部隊の指揮下に入った。


「――ザルキス将軍はニホンの『抹殺部隊』に殺されたのだ」

 開設したばかりの野戦病院で、負傷治療中に接したザルキス将軍の司令部付であったという幹部が軍医に吐き捨てるのをユウシナは聞き、そして彼女は内心で震えた。「抹殺部隊」と「シールズ」……これらのいずれも戦場と化したノドコールで、ローリダ人が最も恐れているものの名称であった。夜の深い闇を突いてローリダ軍を急襲し、狙った人間を殺して疾風の様に去っていく黒い刺客たち。彼らの皆が爛々と光らせた眼をそのままに、ローリダ人に容赦なく銃弾を叩き込む。

 彼らは特に指揮官を狙う。指揮官を探して殺し、軍の頭脳を破壊することに徹しているのだ……否、行動を起こす前から彼らは指揮官の居所を把握し、狩人の様に追跡しているのではないかとも大人たちは囁いている。死神が亡者を求めて常に頭上を彷徨っている様なものだ。ニホン軍の前進に備えて情報は司令部の統制下に置かれたものの、充満した風聞が噂の形を借り、緘口令という堰を切るのに時間は掛からなかった。


「――東方軍のレムラ将軍がニホン軍に殺された。シールズの仕業だそうだ」

「――シールズがジョルフス将軍を狙っている。やつらは将軍の所在をもう掴んでいるそうだ」

「――ロイク将軍もシールズに狙われているそうだ。連中、『空飛ぶ魔女』まで投入するつもりらしい」


「空飛ぶ魔女」――名前を聞き、ユウシナは身震いした。大人たちが「空飛ぶ魔女」と呼ぶニホン軍の攻撃機が空を過った痕を、彼女と仲間たちは後退の途上で通ったことがあった。

 夜、物資輸送の途上を「空飛ぶ魔女」に見つかり、結果として醜く焼け焦げた残骸を路上に横たえるトラックの列……数あるニホン軍の飛行機の中で、「空飛ぶ魔女」の破壊力と恐怖は別格だった。どうやっているのかわからないが、そいつは空から大砲の弾と機関砲の弾幕を撃ち下ろしてくる。その様すら、遠巻きにではあるがユウシナは見たことがある。分厚い銀灰色の雲のさらに上から、地上に降り注ぐ砲弾と弾幕の光。それらは無慈悲に大地を耕し、地上の生あるものを全て薙ぎ払う。ローリダ人がこれまで経験したことの無い、異質な戦争をニホン人は此処ノドコールで展開している。タナ従姉(ねえ)様も、四年前のスロリアでこれを目の当たりにしたのだろうか?



「――神は見守っておられる。迷える人を、泣ける人を、悩める人を……未来への絶望は無用の行為である。神は神を信ずる者に、より善き未来を与えるであろう……」

 野戦病院に隣接するようにして設けられた天幕の下で、司祭による説教が始まっていた。どんなに荒涼とした場所でも、そこに神を見出した以上人は必ず集う。群衆、というほどの数ではないが、流民同然の入植者に手空きの兵も加わって街の様な喧騒が生じていた。喧騒を縫い、追いかけっこに興じる子供たちの嬌声――


「――神は荒野を歩む者に慈雨を与えん。日陰を与えん。楽園は永遠の牢獄なり。荒野を歩む者は何れ何処かに辿り着かん。何処(いずこ)かを恐れる勿れ。何処かが在る限り、我らは常に神と繋がれり」

 「何処か」――その単語が、ユウシナには胸に刻まれる様にして心に響く。その何処かが地獄であっても……否、居場所が地獄であるからこそ人は神に一層縋る。そして宗教は人を支配する。



「――将軍は? ジョルフス将軍は何処にいるんですか!?」

「…………!?」

 甲高い声がユウシナの意識を現実に引き戻した。薄汚れた野戦服の国防軍士官に、凡そ場違いなまでに身綺麗な(なり)の人々が詰め寄っている。本土から首都キビルを経て紆余曲折の末に此処までやって来た人々、本土の大手紙に属する新聞記者の人々だ。年初からこうして負け戦が続いている現在、どういう積りで此処まで来たのかと思いきや、事情を知ってユウシナは呆れたものだ。


「ばかな人達ね。自分たちが書いた記事を信じてこんなところまで来たんだから」

「あ……」

 イスターク-エゼルが、何時の間にか傍に立っている。覗いたフィルムカメラがそのまま前方のやり取りに向けられた。カメラレンズの遥か先で騒ぎは一層に大きくなる。異変を嗅ぎ付けた兵士が士官の周りに集まり、それが更に記者たちの敵意を掻き立てた。遠く離れた祖国ローリダでは、どうもキズラサ国軍と民兵が攻めて来たニホン軍を果敢に撃退し、スロリアから追い落とさんばかりに攻め立てていると喧伝されているらしく、記者たちの場合、自分でそういう記事を書いておきながら、いざ現地に足を踏み入れて今更ながらに前線と後方の乖離に気付いたという有様であった。


 ユウシナは、言ってみた。

「エゼルさんは、あの人たちを連れて一緒に帰った方がよくありませんか?」

「どうして?」

「記事やフィルムもだいぶ溜まったことですし……それに、これからまた戦闘が始まったら貴方達の居場所、ありませんよ?」

「居場所くらい自分で作るわよ」

「わたしたち、もう構ってあげられなくなるわ。これから決戦になるんだから」

「…………」

 エゼルから顔色が退くのが、ユウシナにははっきりとわかった。戦争が始まって一月も経たぬ内に、戦線がキビルに迫っている。この辺りで総力を注いで決戦を挑まない限り、僅かな勝機すら掴めなくなっている。だから友好国とはいえ異邦人に対しこれまでのような配慮など出来なくなる。エゼルですらそれを一瞬で理解したかのようであった。そのエゼルが困惑の内に慰め、あるいは繕いの言葉を脳裏で択んでいるうち、俄かに礼拝周りが騒がしさを増した。


「あっ!」

 エゼルが思わず声を上げ、ユウシナは小声で軽く叫んだ。銃を背負った男達、だが明らかに顔付きと目付きが入植者から成る民兵とは違う。より険しく感情の無い顔が、木の棒を手に記者たちに迫る。長らしき顎髭の男が、僧帽を被っていることに気付く。彼らが巻く腕章の紋様には、二人とも見覚えがあった。

「民族防衛隊……!」

 言葉を抑えた積りが、数名の訝しげな、かつ血走った視線がふたりに向かう。一方で僧帽の男が記者たちを怒鳴り付けた。

「貴様ら! 礼拝中であるぞ! 不信心であろうが!」

 言うが早いが振り上がった棒が記者に振り落ちる。数人がかりで肉体を打つ鈍い音と悲鳴がユウシナ達の場所まで聞こえた。戦慄と共に立ち尽くすふたりにも、男たちが厳めしく歩み寄る。

「おまえたちも礼拝に参加しないか! 非番であろうが!」

 難詰の声はエゼルにすら向けられた。「この人は!……」言い掛けたユウシナの頭を、男の節くれだった手が()った。金髪を振り乱して踏み止まった少女が心身の衝撃に肩を震わせるのを前に、エゼルの眉が吊り上がる。


「あんたたちそれでも男なの!? 子供に手を上げて!」

「異邦人か! 貴様まさかニホンの間諜ではあるまいな!」

「ローリダの狂信者と言われるよりはマシね!」

「この異教徒め!」

「触らないで!」


 男が手を延ばし、エゼルが腕を振ってそれを退けた。揉み合う内に撥ね飛ばされたフィルムカメラが地に落ち、派手に分解しつつ転がった。気を取られて叫ぶエゼル。彼女に向け振り上げられた棒――鋭いジェットエンジンの爆音が天幕と地面を揺らし、機影が地上を撫でて冬空を駆け昇った。顔を上げたユウシナが、小振りな機影を見上げたかたちとなった。翼に描かれた灰色の「ヒノマル」まで見える低空、(やじり)の様な機影がふたつ、灰色の空を軽々と舞う。それだけで横暴な男達の間に恐慌が生まれた。


「ジャリアー……?」

 機影の名前を口走ったときには、周囲にも混乱が生じていた。礼拝を中断して四方八方に逃げ惑う人々、怒声を上げ応戦準備を命じる男達、先刻まで彼らに棒で()たれていた記者が小型カメラを取り出し、遠ざかる機影を追う様にシャッターボタンを押し続ける――呆然と立ち尽くすユウシナの手を、誰かが強引に引いた。


「え……!?」

「離れるわよ! 急いで!」

 声を荒げるエゼルに引き摺られる内、ユウシナの足にも力が籠り出す。しかし離れる――この島の何処に、「戦争」から離れていられる場所があるのだろう?




『――対空電探より報告。敵攻撃機二機、司令部より北西20リーク上空を通過……機影、遠ざかる』


 スピーカーによる報告と同時に赤色の警戒灯が平時を示す白熱灯に切り替わる。その間も陶器の皿とナイフフォークが触れ合う硬い音は続いた。但し会話は無かった。恐怖が、昼食の席から会話を奪っていた。それでも視察を名目に前線の各所を動き回っている限り腹は減る。

 警戒灯の赤い光の下、テーブルの上座にあって主菜(メイン)の「牛肉のワイン煮」に取り掛かる「ジョルフス軍団」こと新編北方軍司令官 ノドコール共和国軍元帥 エイギル-ルカ-ジョルフスの様子は平静そのもののように見えた。あるいは豪胆に見えたかもしれない。それを目の当たりにする幕僚とキビルから派遣された随員はといえば、至近の激突を思い蒼白な顔もそのままにナイフとフォークを使っていた……否、激突に至るまでも無く、主将の死を以て今次の会戦は終わるかもしれない。


 恐ろしい噂が流れていた。ニホン軍がローリダ軍の勢力圏内に刺客を放ち、ジョルフス将軍の命を狙っている、という噂である。これを荒唐無稽と嗤う根拠は前線部隊の間では既に消え去っていた。前北方軍司令官ロイデル-アル-ザルキス大将、消滅した東方軍司令官スロデン-レムラ中将、ともにニホン軍「トクシュブタイ」の襲撃を受けて横死したと言われており、厳重な防護を突破して延びた襲撃者の長い手が、ジョルフス将軍の喉元にまで達しないと言い切れる根拠はこの場の誰も持ち合わせていなかった。


「攻撃機だと?……偵察機ではないのですか?」

 ひとりの幕僚が言った。「スロリア戦役」以来三年間の情報収集で判明したことだが、ニホン軍の航空偵察能力は異常なまでに充実している。前線で敵軍の動静を探る戦術偵察から、戦争及び外交に関わるより高度な意志決定に必要な戦略単位の情報収集に至るまで、ニホン軍は高性能の各種機材を保有し、無人で稼働する偵察機を運用する部隊もまた存在する。隙の見えない航空偵察によって収集された情報を元に、ニホンの「刺客」が動いているのではないかという観測は当然存在した。


 これら偵察機が行き交う空の更に上では、やはりニホン人が打ち上げた「衛星」が(めぐ)り、軌道上より監視の眼を戦場に注いでいる。それだけではなく、「衛星」による監視は本国ローリダにまで及び、軍部隊や艦艇、航空機の移動すら常時把握されているとも聞く……これで独立戦争に勝てるのか? 否、彼我戦力にあまりに格差のある激突を、純粋に戦争と言ってしまってよいのかという困惑がこの場の幹部たちを支配しつつあった。



 軍属がデザートを運んできた。ハーブ茶とレモンパイであった。中に詰まったレモンクリームを掬うのに、スプーンで厚いパイ皮を破る必要がある。そのスプーンをレモンパイに突き立てたまま、ジョルフスは言った。

「上から狙われないだろうな……」

「…………?」


 困惑が、幕僚たちを襲った。反射的に司令部陣地の天井を見上げた者もいた。現状、「ジョルフス軍団」司令部陣地主要部の構造は半地下、ジョルフス自身の司令部は計算上砲爆撃も到達しない地下に配置されている。その規模からして長期に亘る対陣に備えて、やはり時間を掛けて造営する類の構造物だが、それが短日時の内に竣工したのは、本土から運んできたニホン製建設機械の高性能に他ならなかった。本来開拓地の造成用に持ち込まれたもので、さらに遡れば四年前のローリダ軍によるスロリア侵攻の際、ニホンの開発基地から接収されたものだ。


 そのジョルフスは、前線に出て司令部の所在を三度替えている。不意の空爆、あるいは刺客の襲撃に備えた措置であったが、臆病との誹りは味方の間からも免れ得なかった。司令部変更の度にニホン製建設機械は威力を発揮し、陣地転換の度にジョルフスの司令部付隊はこれらを引き連れて移動した。配下の将兵の間では、王侯の巡幸を思わせるこれらの隊列を指して「ジョルフス工兵連隊」という蔑称すら早くに囁かれている有様だ。お陰で隷下部隊との連絡に齟齬が生じること甚だしい。



 通信士官が、メモを手に入って来た。

「――義勇偵察隊より報告。敵第10師団先頭集団、ベース-ソロモン南方へ迂回、飛行場近傍に布陣を認む。以上です」

「偵察部隊か?」

「それが……詳細は不明であるようです」

「もっと詳細な報告を送る様に言え。偵察隊の本分を全うさせよ」

 陰険な老人の様な不機嫌を隠さず、ジョルフスは言った。軍団の索敵能力は実のところジョルフスの将器とはもはや関係が無い。軍団規模での偵察に必要な機材も、そして将兵の練度も現状では不足している。それに加えてジョルフスは偵察部隊の怯懦(きょうだ)を疑っていた――偏見とも言えるそれは、実はかなりの確度で正しかった。


「二個旅団は? イェリカド方面のニホン軍二個旅団はどうなっている? そちらの報告は無いのか?」

「南部戦線の敵二個旅団にも動きはありません。イェリカドに突入せず、先日よりイェリカドを包囲したままです」

「西方軍はどうしている?」

 幕僚の一人が執成す様に言った。首席参謀のゲセフス-ル-ザ-ザラス。外見はジョルフスと変わらない年齢であるように見え、基調となる(あか)が色褪せた共和国陸軍士官制服に、予備役大佐の階級章が鈍く光っていた。

「別命無い限り西方軍は動きません。キビルとの連絡線確保は西方軍の主管事項にしてキビルの絶対命令でありますので……」

「ではキビルに命令を出させろ。前進しイェリカドの包囲を突破させるのだ」

「お忘れですか元帥閣下? 西方軍のロイク司令官は閣下に増援を要求しております。キビルからの増援を4個大隊だけでも分けてほしいと……」

「……」

 アブカス-デ-ロイクからの増援要請は、日が変わってから五度に及んでいた。もともと希少な機械化兵力たる火竜騎兵団を供出させられている上に、キビルからの増援たる独立義勇兵大隊も数的にジョルフス軍団の強化に優先されている。義勇兵上がりの叩き上げたる壮年のロイクと、士官学校卒業以来三十年以上に亘り軍歴の正道を歩んできた老将ジョルフスとでは、武官としての「政治力」は明らかに後者が勝った。ロイクはキビルを恃むのみだが、ジョルフスの背後にはアダロネスがある。



「イェリカドからニホンの猿どもを叩き出せば、そのまま前線の押し上げが成るではないか? 南側に防衛線を敷けばロギノールのニホン軍も北上を躊躇しように」

「ですが閣下、現状の兵力でニホン軍の包囲を突破しイェリカドを奪回したとしても、残存兵力で防衛戦など継続できるでしょうか?」

「此方からの増援は、イェリカド奪回が成ったあとに行えばよい。これでどうか?」


 アリファ飛行場の奪回こそがすべてを決するのだ、ともジョルフスは言った。尤も、この老将の脳裏にはアリファ方面は自分の担当戦区、イェリカド方面はロイクの担当戦区という観念がある。アリファ方面を守るニホン軍は精鋭の降下猟兵が主力とは言っても、その数は少なくあとは下等な現地種族民兵の寄せ集め。兵力を集中して力押しに攻めればこそ勝機は拓く、と彼は考えていた。

 西方軍がこの攻勢に加われば、勝機は更に拡がるだろうが、キビルとの連絡線防衛をも担当する西方軍は、当然渋るであろう。それに加え、戦線後方で発生しているもうひとつの問題が、ジョルフスの背中を迅速な攻勢へと押していた。



「後方の補給部隊に対する下等種族どもの攻勢が相変わらず増大していると聞く。制圧はできているのか?」

「……っ!」

 同席していた高級士官数名が、(うなじ)を叩かれたかのように顔を上げた。彼らの苦り切った表情が、独立軍を自称する「原住民」の掃滅作戦が順調に進捗していないことを如実に物語っていた。先年より馬術と射撃にすぐれた入植者を主体に独立した掃討部隊を結成して対処させているが、近来では「原住民」の戦術の巧みさと数に圧されている。ニホン軍の軍事顧問が加わって原住民を指揮しているという情報があり、そこに加え叛徒は東スロリア方面より大量の馬匹を支援され、機動力をも向上させている。


 自動車の走行に適した道路の数が未だ少ないノドコールの地に於いて、馬は未だ交通と輸送の主要な手段であった。しかも「原住民」はニホン空軍という「神の雷」をも手に入れ、通信拠点や重砲陣地といった、後方部隊や物資集積所よりも戦略面で重要な装備や施設にまでその破壊の手を延ばしていた……四年前の「スロリア戦役」において多くの将官と高級士官を殺し、恐るべき威力を発揮したあのニホン空軍だ。


「先夜の火竜騎兵師団の被害は、未だ算定できていないか?」

 ザラス首席参謀が言い、幹部たちはその蒼白な顔からさらに血色を消した。今次アリファ奪回戦の切り札である「火竜騎兵団」、ノドコール共和国軍の有する唯一の機甲兵力たる彼らですら、「原住民」による襲撃の対象になった。燃料輸送を担う輸送部隊が夜陰に乗じて襲撃され、反撃を担った戦車大隊二個がニホン空軍の「死の鳥(トルフォルゲル)」に捕捉され攻撃された……反撃は頓挫し、火竜騎兵団は二個大隊相当数の戦車と将兵、貴重な燃料を喪失した。空襲を免れた残余の燃料が尽きる前に、アリファへの攻勢を成功させねばならない、というわけでもある。攻勢開始まで時間は残されていない……回答が出来ずに口ごもる幹部たちに畳みかけるように、ザラスは言った。


「言い方を変えよう。火竜騎兵団の残存兵力はどれくらいか?」

「単純な算定で隷下四個戦車大隊の内、二個大隊を失いました……対処としては二個大隊の残存戦力に第二師団より機甲戦力を抽出して増強し、一個大隊に再編するのが適切かと」

「うう……」


 幹部の報告を聞き、ザラスは自信の無い上目遣いで上席のジョルフスを見遣った。当の火竜騎兵団 団長 共和国陸軍予備役少将 デラゼス-ガ-ヌ-ジラスは現在前線に在って残存部隊の掌握と再編に当っているのであろう。昼食に同席できなかったのは、ジョルフスが頻繁に司令部を移動した結果、前線との連絡が滞りがちになったためかもしれない……というか、ジラス少将をはじめ前線の師団長格、義勇兵大隊指揮官の多くが差し迫った作戦開始を前に、司令部で悠長に飯を食うことに価値を見出さなかったこともある。無表情にハーブティーを飲み終え、ジョルフスは言った。


「全軍の攻勢開始地点への展開が終了した時点で、再度司令部を移動する。これはニホン軍の航空偵察から司令部を守り、強固な指揮系統を維持するための措置である。食事が終わり次第直ちにかかれ。そして通信参謀――」

「……!」

 ジョルフスの指示は、通信参謀のみならず、居合わせた全ての士官たちを唖然とさせた。




 雪は、未だ止まない。


 陸上自衛隊 ノドコール派遣統合作戦部隊(JTFN)司令部宛にローリダ語の電文が投ぜられたのは、時間にしてその日の午後三時を回った辺りであった。


 「ジョルフス軍団」司令官 ノドコール共和国軍元帥 エイギル-ルカ-ジョルフスの名で打たれた文面は、老熟した将官らしき謹厳さこそ見えたが、文章の間隙に(トラップ)の如くに埋め込まれた自衛隊への敵意、そして女性への蔑視が文面に接した誰の目にも察せられた。


 内外電を通じて司令官 江角 垰陸将の素性と経歴は敵方たるキズラサ国(KS)にも知られていたから、敵将ジョルフスがニホンの将に女性としての側面を意識していることは明らかに予想されたことであって、そこに四年前の復仇の念も加わるであろう……にしても、「凡そ戦は女子の担う処に非ず。今すぐにでも軍服を脱ぎ家庭に戻られよ」という一文などは、将官同士の形ばかりの敬意という垣根を軽々と越えてしまっている様に、司令部の少なからぬ幹部には思われた。


「……」

「ふぅー……ん」

 紙片にして一枚に収まった電文、通信隊幹部より受け取ったそれを眺める江角陸将はといえば無感動に、だが幾度か全文を黙読した最後には、やはり無言で紙片を丸めてゴミ箱へと放る。学生の不出来なレポートを没にする指導教官の素振りと変わらない。そのような司令官の無感動に焦れたのか、通信担当幕僚が席上から半ば身を乗り出す様にして江角陸将に言った。


「閣下、返信はどう致しましょう?」

「返信? しないといけないのですか? こんな失礼な電文に」


 軽い驚愕こそ聞こえても、無礼な電文に対する怒りの響きは無い。それでも非礼に対して無視で返すというのもまた道理が通っている。むしろ幕僚たちは、彼らの指揮官が感情の人ではないことに安堵するべきであったのかもしれなかった。それでも幕僚の中には、通信幕僚をはじめ我慢ならないという者もいたようで。


「これは一種の攻撃です。巧く反撃して、ジョルフスの鼻柱を折る必要があるのではないかと思います」

「攻撃……ね……まあ成程、そうですね……」


 躊躇いがちに呟き、江角陸将は考える素振りをした。凡そ戦略を構想する軍人ではなく翌月の報告会に臨む助教授の思索を、彼女の素振りは見る者に思わせた。ただしそれも時間にして三十秒あまりのことだ。江角陸将の回答は凡そ幕僚たちの意表を突いた。意味すら図りかねた者もいたかもしれない。



NUTS(ナッツ)! にしましょう」

「『馬鹿め』、ではないのですか……?」

 と言った首席幕僚は、彼女の回答の出典を知っている。それでも暗に翻意を求めたのは、出典となった「前世界」の故事が今となってはあまり有名ではないから、味方から見ても強烈な反撃になり得ないと彼なりに考えた結果でもあった。現に周囲は江角陸将の意図を測りかねてざわめき始めている。言葉の意味すら知らなさそうな若い幹部もちらほらいる。


「『馬鹿め』? それはどちらかと言えば海自(かいぐん)さんの流儀でしょ?」

「…………」

「だからナッツ! ナッツ!と返して」


 やや語気を強めて江角陸将は言った。「子供に自分が買って来た服を押し付ける母親の様な口調だ」と思った幹部もいる。困惑する男たちを前に我を通したいのも然ることながら、会議で既に設定を終えた作戦発起時刻が迫っていた。所詮は口喧嘩、それを売られたとはいえ瑣末なことには関わっていられなかった。


「……雪も降っていることだし、敵の挑発にこう返信(かえ)すにはいいシチュエーションじゃないですか」

 


「NUTS!」――後にその一言は、その出典と返信の経緯と共に、流行語としても日本国内で広く記憶されることになる。



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― 新着の感想 ―
[気になる点] 更新ありがとうございます。 この世界の西普連はスロリア戦役以降に水陸機動団へ改組したという認識で宜しいでしょうか。史実と同時期にウクライナ侵攻が勃発したとなると、少なくとも20年代前半…
[一言] 予備弾の枯渇… この作品でも匂わされていますが、ウクライナ戦争の教訓は重火砲弾薬の重要性、その補給、そして備蓄及び生産能力がいかに大事かですよねぇ。 冷戦終結後は治安維持の対人戦が主だった為…
[一言] 更新待ってました! これで暑い夏を乗り越えられます!!
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