第二九章 「Horse Sailor」
日本国内基準表示時刻1月10日 午前8時11分 東京 内閣総理大臣官邸地下 官邸危機管理センター内
「――坂井内閣総理大臣 入室されます」
係官の声が空虚な会議室に響く。それでも集約される情報の奔流が生む喧騒が、対キズラサ国戦の中枢たる危機管理センターを厳然と支配してはいる。しかし地上、その更に外、総理大臣官邸の外で拡がり続けている新たな動揺を目の当たりにしては、会議の参加者たちにとってそれらは困惑を以て受け止められるべきものであった……それでも、会議の参加者の誰もがこの戦争を停める意志を持つに至っていない。むしろ逆に戦争の完遂を決心した者が増えたかもかしれない。それは怒りの発露であるのかもしれなかった。
そう……現在の日本国内には動揺が拡がり、同時に怒りと憎悪もまた生まれている。
一斉に起立した室内の文官武官の別なく、入室した内閣総理大臣 坂井 謙二郎が、同じく入室した官房長官 蘭堂 寿一郎を伴い円卓の上座に進むのを注視した。既に起動していた室内の壁面全体を占める情報表示端末が、日本国内周辺と、スロリア方面の陸海空自衛隊配置をグラフィック表示するその一角で、昨夜より国会議事堂の周囲で生じていた群衆の波を映し続けている。
日が変わった今となっては、国会だけではなくここ内閣総理大臣官邸の周囲にも生じている群衆の海。つまりは報道各社がSNS上でライブ配信しているデモの映像であった。会議室内で、これと同じ規模の大きさを有する民衆の集まりを、過去の記憶として持っている人間は一人としていない。しかも反戦デモではなかった。外から官邸の玄関口、ひいてはこの部屋に通されるまでに、車上で遠雷の如くに響くサイレンの音を聞いた者もいた筈である。
「皆さん御苦労さまです。楽にして下さい」
明瞭だが、抑揚の乏しい声で坂井は一同に着席を勧めた。坂井に並んで着席する蘭堂 寿一郎の目は依然として、ライブ配信中のデモに囚われたままであった。およそ考え得る限りの敵国に対する敵意の発露が、画面中にざわめく横断幕や幟の文字に形を変えて老年に差し掛かった官房長官を、内心で困惑させていた。困惑は実のところ、先夜立ち寄った自民党本部でこのニュースに接して以来ずっと続いていたのである。
『日本の敵 ローリダを倒せ!』
『ベース・ソロモンに殉じた六百五十柱の仇を討て!』
『坂井内閣よ 腰の刀は竹光か!?』
『テロ国家の本土に正義の鉄槌を!』
横断幕やプラカードに踊る文字が、明らかな敵意を以て路上に踊る。遡ること四年前、突如出現した「武装勢力」ローリダによる屈従の要求を、困惑混じりに目の当たりにした頃とは街中の空気は明らかに違った。戦争を求めて路上に出て行進する人々の列と海、それらは自然に秩序を持って東京の中心、国家の中心を目指して集まり始めていた。過去の増税や保険料引き上げにも動じず、政府に対する怒りの発露すら無かった人々が、今では外敵に対する怒りの赴くがままに声を揃えて東京の中心を歩き、そして廻る。
発端は、前日の防衛省発表であった。奪回と前線基地としての再利用が始まったノドコール中部 ベース-ソロモンの周辺で警戒任務に当っていたPKF陸上自衛隊 第10師団に所属するいち小銃分隊が、森の一隅に広範な埋め戻しの跡とカメラをひとつ発見したのである。
カメラ内に保存された動画は撤退の途上、一方的な攻撃を受けて壊滅する自衛隊員と避難民の様子と、彼らの躯に埋め尽くされた道路の一帯を歩き回り「戦利品漁り」に興じるロメオの民兵を映し出していた。
埋め戻しが再び掘り返されたのは当然にして即座のことであった――当日中に動画の一部始終以外の全てが速やかに公表され、次には国内外の有力動画サイトに「虐殺」の一部始終が尋常ならざる早さで掲載された。後者は当の防衛省からしても想定外であった。カメラを回収した小銃分隊のいち隊員が「真実」を公表するべく基幹連隊通信システムの回線を流用した結果であり、当然隊規違反の行為であった……その結果が、日本中に驚愕と憤怒を生み続けている。「ベース-ソロモンの虐殺」が、明るみになったのだ。
「――蘭堂君、やはり君を持ってしても衝撃的かね?」
「…………!」
傍らより坂井総理に語り掛けられ、蘭堂 寿一郎は傾きかけた意識を責務へと引き戻した。あり得べからざることだと内心で自身を責めた。
「申し訳ありません。始めましょう」
「いや、いいんだ。わたしも同感なんだ」
会議の開始ではなく、坂井は「虐殺」関連のニュース拡大を命じた。人工知能の操作による画面の拡大と同時に音声も部屋に伝わる。日本の脈動とも言うべき街の交通の音を圧し、高圧的なシュプレヒコールと騒乱の音もまた聞こえた。デモの様子、番組司会者とゲストの会話、街頭のインタビュー……国営放送の手によるそれらを一巡させるの同時に、顔色を無くした出席者もむしろ落ち着きを取り戻したかのように蘭堂には思われた。
『ルーガ-ラ-ナードラ 次はお前だ!』
「…………!」
画面中に林立するプラカードに聞き慣れた名を見出して、蘭堂は虚を突かれた様に端正な表情を凍らせた。四年前の、河 正道前首相一行遭難事件に際し、襲撃の首謀者として彼女の名が挙がったのは「スロリア紛争」の翌年のことで、それは警察庁外事部の情報収集活動の成果であった。当初は内閣安全保障会議の会議室の外から出なかった彼女の名が、何時しか情報開示法に基づく公開情報として人口に膾炙し、今となっては断片的に伝わる華やかな経歴と美形の容姿も相まって、一部のネット掲示板では「危険人物の代表」として「神格化」すら始まっていると聞く。
「覇道の女神」
「悪女の星」
「ローリダのオサマ-ビン-ラディン」
大した出世だな、ミス-ナードラ――ネット上で散見されるという彼女の「二つ名」を思い返し、蘭堂は皮肉っぽく口元を歪ませた。現状ではナードラは前首相襲撃を首謀した「容疑者」のひとりであって容疑そのものは確定していない。それを確定するために外事部は彼女の動静を追っている。末席、やはり今回の会議に加わった警察庁長官官房長 八十島 景明が蘭堂に神妙な視線を注いでいた。当然ながら他人に凝視されるのはいい気がしない。それ以上に彼に対しては思考の深奥を覗かれている様な気がしてならない……頃合いだと思い、蘭堂は坂井に向き直る。
「総理、そろそろ」
「うむ」
頷いた坂井に黙礼で応じ、蘭堂は一座に切り出した。
「会議を始めます。外はあの通りですが、列席の皆さんには冷静な報告と議論を期待します」
統合幕僚長 松岡 智を、蘭堂は最初の報告に指名した。今回、彼には報告してもらうこと、そして尋ねることが数多くある。
――ノドコール国内基準表示時刻1月10日未明を期して、KS軍 東方軍はベース-ソロモンことアリファ西方へ向かい潰走を始めている。
その兆候は防衛線の瓦解と散発的な戦線放棄という形で9日に入った段階で現れ始めていたが、東方軍司令官たるスロデン-レムラの「戦死」が、東方軍将兵の戦意を大きく削ぐ結果をもたらしたのは否定できない様に思われた。戦意が無いからには、退くしか途は残されていなかった。しかし、彼らの潰走には目的地があることが既に判明している。それは、東方軍に先駆けて壊滅した故ロイデル-アル-ザルキス将軍指揮下にあった北方軍の残存戦力を掌握し、キビル方面防衛軍より兵力の抽出を受けた新編北方軍――別名「ジョルフス軍団」――との合流であった。
「ジョルフス軍団」とは、今回の情勢分析について防衛省当局者が敵新編北方軍に対し便宜上与えた名称ではない。傍受した「キズラサ国」ことノドコール共和国のラジオ放送と軍用通信から判明した当該部隊の名称であった。元ローリダ共和国国防軍大将にして、現ノドコール共和国独立軍総司令官 エイギル-ルカ-ジョルフスは、ノドコール進攻作戦開始の翌日を期してノドコール共和国独立軍元帥の地位を与えられたことが、彼らの本国ローリダ向けの発表により判明している。そのジョルフスが、キビル周辺に配されていた精鋭部隊を引っ提げて新編北方軍の直接指揮を行っている。
「ジョルフス? 聞いた名だな」
「四年前の『スロリアの嵐』作戦時、ロメオのノドコール駐留軍に在って一個師団を指揮していた人物です。イル-アム方面で我が方地上部隊の包囲を受け、すんでのところで脱出した……」
閣僚がひとり漏らした疑問を、自衛隊幕僚が補足する。理解した様に愁眉を開いた閣僚の口元に、皮肉が笑みを作った。
「――ああ、大勢の部下を放置して独りで逃げたというあの……」
「――噂に聞くあのジョルフスか」
端末に表示された口髭も厳めしい軍服姿の老将の画像を背景に、会議室の一端で僅かではあるが哄笑が生まれた。地上戦の最後に敗軍を掌握して降伏したセンカナス-アルヴァク-デ-ロートを除けば、この老将軍は巷では最も有名なローリダ軍の指揮官であるのかもしれない。特にSNSで活動する軍事マニアの間では彼を「ローリダの佐久間信盛」、あるいは「ローリダの富永恭二」と呼んでいるという。歴史に詳しい者ならばこれが褒め言葉ではないことぐらい高校生でも判る。
「新編北方軍の兵力規模、装備の状態はどうか?」
と蘭堂が聞いたのは、会議の進行役としてごく自然な義務でもあったが、無能な敵将を前に緩みかけた会議の雰囲気を変える必要を感じたからでもあった。情報表示端末を構成する壁面が切替り、列席者の意識も戦時に戻る。松岡統合幕僚長の報告もまた始まる。
新編北方軍はベース-ソロモンを廻るPKFとの戦闘で完全に消耗し、その残存兵力をキビル近傍にまで後退させた前北方軍と交替する形で前進を果たした軍集団である。一個師団、二個旅団基幹という陣容からして、実質的な予備兵力投入という観測もまた統合幕僚監部部内には存在した。そこに8個独立義勇兵大隊が付随し、これに同じく消耗した東方軍の残存兵力を吸収する形でさらなる戦力増強を図っている様にも思われる。
そこに、キビルに通じる主要交通路防衛を担当する西方軍より一個師団の増援もまた受けている。KS側の呼称で「火竜騎兵師団」と名付けられたこれらは、ガルダ―ン戦車と各種自走砲部隊、自動車化部隊の集中配備を以て編成が完結したKS軍の優良部隊と目されていた。
「――質問」
と挙手したのは、坂井総理であった。
「レムラ将軍の指揮した東方軍はこれら義勇兵大隊を巧妙に活用してPKF越境部隊の前進を押し止めたが、ジョルフスの軍も同様の手を使って来ると思うか?」
「いいえ、御懸念は無用かと存じます総理」
松岡幕僚長は続けた。現在、ベース-ソロモンが所在するアリファは完全にPKF陸上自衛隊の制圧下にあり、内陸の交通の要衝にして崩壊した東方軍の策源地たるイェリカドには、前進した陸上自衛隊第5、14両旅団が突入し敵残存兵力の掃討戦を開始している。ロギノールより海路上陸し北上した第7、9両師団の戦闘群、中部の山岳戦を制した第12旅団がこれを援護している。
この場合、ベース-ソロモン以北に集結したジョルフス軍が為すべきは防勢ではなく攻勢である。小兵力ゆえ機動性に優れた独立大隊は、広範な防衛線に巧妙に構築された陣地と組み合わせた防御戦闘においてその威力を発揮する。しかし攻勢となると途端にこの組み合わせは優位を喪う。攻勢に転じる場合、ジョルフスはこれら無数の独立大隊を有機的に再編し、複数の旅団あるいは師団規模にまで統合した上で、さらに統一された指揮系統の下で運用する必要に迫られる。
「――しかし、北方に集結、あるいは南下中のこれら独立大隊が師団規模に再編された兆候はこれまでの情報収集より確認されておりません。推測するに、KS軍には独立戦争を戦う義勇軍主体というその性格上、旅団以上の戦術単位を運用するノウハウ乃至は人材に乏しいのではないかと思われます」
「KS軍は師団長を務められる程の人材に乏しい、ということでいいのかな?」
「そうです総理。防勢であれば、これらのデメリットもある程度緩和できるのですが……」
それだけではないだろう……と、蘭堂は考えた。四年前のスロリア紛争の敗戦が未だに響いているのだ。あの戦闘で空爆や特殊部隊の投入によりローリダ軍の司令部施設を重点的に攻撃するという戦術が実施された結果、当のローリダ軍は将来将官や参謀を務め得る高度の軍事教育を受けた人材の多くを失った。そこから人材の回復が進行していないのだ。
それはつまり、蘭堂がノドコール独立戦争への本国ローリダの関与を疑っていないことの表れでもある。KS軍とローリダ本国は表裏一体であるが故に、受ける影響の程度も著しい。
「そんな状態でKS軍は攻勢に出るのか?」
「地図をご覧ください。現状、イェリカド及びベース-ソロモンを確保した我々は、キビルに王手を掛けております」
彼我の戦力配置を連ねた電子地図にポインターを充て、松岡幕僚長は言った。イェリカド及びベース-ソロモンと敵の首都キビルは複数の幹線道路で結ばれている。いずれも開戦前、さらにはスロリア紛争前に「宗主国」ローリダ共和国の手で建設が行われた道路であった。
これらふたつの要衝とキビルの間では、蜂起したノドコール人の反乱勢力とKS軍との間で戦闘が始まっている。極秘事項ながら、開戦前より行われていた現地情報隊による現地人の組織化とゲリラ戦術の教育が結実した結果であった……言い換えれば、北上と西進を繰り返すPKF陸上自衛隊に備えて防御戦を展開する余裕を、この方面のKS軍は持ち合わせていない。そして独立勢力は、ジョルフス軍の所在する北部でも蠢動を続けている。
「――北部における遊撃戦闘は順調に推移しております」
松岡幕僚長の報告は内容の順調なるが故に速やかに進んだ。ノドコール独立軍は現地情報隊及び特殊作戦群、さらには冬季戦技教育隊の分遣も得て編成された「特殊任務班」の支援を得て、少数兵力で作戦行動を行っている。その攻勢は輸送部隊と物資集積所、通信所に集中している。彼らは原始的とも言える騎馬機動により戦線後方を疾駆し一撃離脱的な破壊工作に徹している。それが現在ではボディーブローの様に効果を表し始めていた。
「――特殊任務班からの報告、無人偵察機による航空偵察から推測する限り、新編北方軍の兵力及び物資の集積は攻勢を掛けるに足る水準になお達していません。ですが……」
首都キビルの独立政府乃至はローリダ本国が、攻勢を強制する可能性が高いと、松岡は言った。このままノドコール独立軍による補給路への攻撃が継続し、同じくPKF海空自衛隊からの空爆及び巡航ミサイル攻撃もまた継続すれば、反撃のため東進した北方軍は動かずして物資を蕩尽し立ち枯れする……であるのならば、余力ある内に起死回生の反攻を択ぶかもしれない。
「――海上自衛隊の巡航誘導弾及び陸上に展開した極超音速滑空弾の効果はどうですか?」
別の列席者が聞いた。坂井総理が無言で回答を促し、松岡は目礼の後報告を切り替えた。
「現状、巡航誘導弾及び極超音速滑空弾は、地上部隊及び特殊任務班による攻撃要請に従い使用される他、キビル辺縁の軍事施設及び通信施設、物資集積所の破壊に集中運用されております――」
緒戦の巡航誘導弾の集中投入は、ニホン軍の侵攻あるに備えて設置されたノドコール国内の軍事施設の過半を文字通りに「消滅」させた。その後は航空支援の不足を埋めるかの様に、地上部隊の要請に応えた使用が継続されている。
ただし地上部隊の脅威排除という面で、当の海上自衛隊側からは無分別に巡航誘導弾を投入することへのコストパフォーマンスの悪さが指摘され始めていた。重要目標とは言えない敵戦車やトーチカを破壊するのに、高額な巡航ミサイルを使うのは釣り合わない、というわけだ。巡航誘導弾に関してはより高度な目標の出現まで備蓄を温存し、大量の無誘導爆弾を搭載したP-1哨戒機による「面制圧」を友軍の針路上に実施し、「消毒」した上で友軍の進攻を容易にした方がよりまし、という意見まで出ている。
「巡航誘導弾の増産は関係各機関を通じて業界と生産部門に指示している。それでもまだ間に合わないか?」と蘭堂。
「そうではありません、問題はもはや戦費、つまり戦場に投入するコストの問題なのです」防衛事務次官 川上 陸朗が言った。
「現状、巡航誘導弾一発の調達コストは航空機投下の通常爆弾四千発分に匹敵します。前線に敵空軍及び対地兵器の脅威が大きく減退したいま、緒戦そのままに巡航誘導弾の大量投入を継続するのは、更なる戦費の増大を招くこと必定ということです」
「成程……それに関しては後々皆に話したいことがあるのだが……」
坂井が頷き、蘭堂に目配せした。戦局の趨勢に関わる今回の会議の核心、今日中にそれを諮る予定を持ってはいても、一旦話題を変える潮時であった。
「……次に、シレジナ情勢だが」
蘭堂が松岡幕僚長に再度目配せする。幕僚長の精悍なマスクがやや顔色を失って引き締まったのに気付いたのは、一座の中でごく少数であった。
端末画面が切り替わる。主戦場たるスロリア亜大陸から一転、海空数千キロを隔てたシレジナ半島の地形図、そして二名の自衛官の素性と顔写真を映し出す。うち若い二等海尉一名の容姿に接し、動揺を隠せなかった者は少なからずいた。蘭堂官房長官ですら、不機嫌に眼を細めて二等海尉を睨む。
「――去る9日午後、観戦武官としてノルラント軍 ローリダのシレジナ守備軍攻略部隊に従軍した一等陸佐 花谷 靖人 二等海尉 士道 資明の両名はシレジナ半島中部における彼我両勢力の衝突に巻き込まれ、現在ローリダ軍の拘束下にあることが確認されております。なお、ノルラント軍の攻勢はローリダ軍の巧妙な機動防御により失敗し、ノルラント軍は本国に増援を要請しつつ敗軍の再編を続けている状況です」
二名の幹部拘束は、外務省を経由したノルラント本国からの連絡であった。「拘束」という表現を用いてはいても、拘束されているのが武官であり、囚えているのがローリダ軍である以上、当事者からすればどうしても「捕虜」という単語が浮かぶ筈である。そして士道二尉があの共和党党首 士道 武明の息子であることが、当事者たちにある種の困惑を与えていた……蘭堂の眼差しには、同じ自衛隊幹部の息子を持つ者としての、士道に対する同情もまた含まれている。
「私に敵国の捕虜になった息子などいない」
未明の深夜、この第一報が国内メディアにまで届いたとき、共和党本部前で待ち構えていた報道陣に言葉を求められた士道 武明の第一声が、これであったという。それだけを言い捨て、悠然と差し回しの乗用車の後部座席に身を沈める士道の、一分の私情も動揺も感じさせない姿をTVニュースで目の当たりにし、蘭堂は父親としての同情と共に政治家として畏敬の念すら覚えた。
日が変わった今となっても士道はこの件に関しては沈黙を守り、この件に関する「善処」を求める共和党からの打診も政権には一切来ていない。ただ、士道の「内心を忖度」したらしき共和党シンパが複数名、自民党本部にまで来て早期の「幹部解放」を血気盛んに求めた結果、応対した職員や議員とひと悶着を起こしてはいるが……
「鎌田外務大臣、ローリダからは何と言って来ている?……というか連絡は来ているのか?」
坂井総理が外務大臣 鎌田 義臣に聞いた。冷や汗を拭いつつ鎌田外相が口を開いた。汗を流す様な暖かさでは、室内は無い筈だが……
「ローリダ側からは依然、この件に関する連絡及び情報開示はありません。ひょっとすれば、彼らもまた幹部の扱いに苦慮しているのではないかと……」
「デルエベの件も併せ、有効なカードとして使えるのにか?」
蘭堂が投げ掛けた言葉は、坂井総理も含めて一同を更に困惑と沈思に誘った。デルエベの人質解放交渉の仲介と併せ、いまのローリダ側は「ニホン軍捕虜」というカードまで偶発的にではあるが手に入れた。これらの「カード」がスロリア情勢に対し投じられる可能性を誰もが考慮せずにはいられない。彼らローリダ人がKSという在外同胞の苦境を救うべく、「カード」を使う前にスロリアの軍事行動に「手心」を加えるべきか、それとも……
「それで……どうなさいますか?」
蘭堂は坂井に聞いた。腕組をして椅子の背に凭れつつ、坂井は苦い顔をした。
「まずはローリダ側が何と言って来るかだ。まずは彼らに彼らなりの事実を語らせ、それから我々は原則論で応じる。早ければ今頃何か言って来ているのではないか?」
原則論は言うまでも無く幹部二名の無条件解放である。観戦武官という慣習と地位がこの世界の戦場にも存在し、自衛隊幹部による観戦が日本とノルラント間の合意に基づく行動である以上、何を譲歩することがあるだろうか?――このときそこに、蘭堂は引っ掛かるものを覚えた。覚えた瞬間、それを口に出した。
「まさか観戦以外のことをやっていたわけではないだろうな? 職権を越えてローリダ軍を探るとか、軍事顧問宜しくノルラント軍の指揮を執るとか……」
「官房長官は、観戦武官としての任務を逸脱した可能性をお考えでいらっしゃいますか?」列席者が聞いた。
「そうだ」
蘭堂が言葉を濁さずに応じたことが、動揺を隠さない幕僚長をさらに鼻白ませた。
「それはあり得ません。彼らは優秀な自衛官です。観戦とそれに伴う情報収集という任務から逸脱した行動は許されておりません。それは彼ら自身理解し身を律している筈です」
「ローリダ人がそう発表するかもしれない。捕虜の意志など関係ない。私としてはその際ローリダ側の声明を否定する材料が欲しい」
「…………」
「確認したまえ。大至急で」
坂井総理が言った。最高司令官にまで畳み込まれては幕僚長も応じるしかない。自衛隊幕僚が連絡のため一名席を立ち、速やかに室外に出るのを見送る者はいない。皆が端末の表示情報と報告を続ける松岡幕僚長に視線を集中させている。その中で蘭堂はさり気なく末席の八十島官房長を見遣った。巌の様な沈黙の中、獣の様にぎらつく官房長の眼に、蘭堂もまた内心で鼻白んだ。獲物を見出した獣の様な眼だと思えた。坂井総理が一時休憩を命じた。
「心配性だな」
「……必要だと思っただけです」
横の坂井総理の囁きに、同じく小声で蘭堂は返した。動揺、それに続く重い沈黙から落ち着きを取り戻し始めた会議室に、不意に入室した係官が新たな参加者の到着を告げた。但し決して歓迎されない客で、武官だ。「入りたまえ」と言う坂井総理の口調には一片の感情も籠っていない。彼女の入室と同時に休息はほぼ自動的にその気配を消すことになるだろう。爆弾テロ――あるいはそれ以上の「攻撃」――をも想定して複合材とチタンをウエハース菓子の様に重ねた分厚いドアの向こうから、場に似つかわしくない、明るい気配がツカツカと近付いて来るのを予感した者は、決して少なくはなかった。
「御機嫌よう、皆様」
やや芝居掛った、女性特有の高い挨拶の声であった。先導していた係官の存在感を完全に消す程の覇気を振りまきつつ、海上自衛隊の第一種幹部常装が歩く。背は決して高くはない。しかし細身の黒い制服が年齢を感じさせない、流麗なプロポーションを浮き上がらせ、霊気とも相まって実際以上の背丈を見る者に錯覚させた。
不遜な美貌がその両袖に海将の金筋を振り撒いて進み出、そして最上席の総理大臣に正対する……直後、護衛艦隊司令官 海将 神 明日香が背を糺して敬礼する淑女の顔が、一転して海上自衛隊将官の精悍な無表情へと変わる。男達は呆気に取られ、そして直前までの彼女の不遜さを一時忘れた。華やかさと剛直さの異常なまでの、それは調和であった。戦前戦後を通じて初の女性の「連合艦隊司令長官」、かつ当年46歳という、海軍史上最年少の「連合艦隊司令長官」の立ち居振る舞いだ。
「何故此処に召喚したか、わかるな?」
蘭堂の感情のこもらない声が、場の男達を現実世界へと引き戻す。坂井総理が手を上げて着座する様に促した。感情を消した神海将が随員と共に着座するのを、男達はまるでこの場にルーガ-ラ-ナードラが来たかの様な緊張を以て見守った。「発言の許可を求めます。総理」
「宜しい。言ってみたまえ」
「過日1月9日深夜に実施されたスロデン-レムラ殺害は、全くの偶発事でありました。このことは明言させて頂きます」
「それが偶発事ではなく、事前の作戦行動計画から逸脱した、意図的な特殊部隊投入だというのが皆の見解だ」
「功を焦ったとでも、皆様は仰りたいのですか?」
「…………!」
海上自衛隊独断でのスロデン-レムラの捜索と追跡が、内閣はおろかノドコール方面の作戦の一切を仕切る統合幕僚監部にまで容認は勿論、報告された記録もまた存在しない。「スカッド-ハント」の一環として偶然現地に降下した海自特殊部隊がレムラの車列を発見し、攻撃した結果のレムラ殺害、というのが護衛艦隊の主張であった。ただし直前まで他地域で「スカッド-ハント」に従事させていた特殊部隊を統幕はおろか現地方面隊にも無断で動かし、レムラの通過地点近くに集合させた彼女の意図に、不信感を抱いた者は決して少なくはなかった。
その神海将が言った。
「特殊部隊の優先目標は、事前の取決め通りあくまで『ロメオ-スカッド』でございますよ? 鰯を獲るために張った網に偶々鯛が一匹混ざっただけのこと。他意はございません」
「レムラの動静は以前より現地の中央情報隊に追跡させていた。襲撃と捕縛作戦の予定実施時刻も実際の襲撃と同時刻だ。そしてこの秘密作戦実施は総理にも事前に説明済みである。それは君も知らない訳ではあるまい?」
松岡幕僚長が言った。憐れむ様な眼差しを上官である筈の男に流し、形のいい、不遜な唇がまた開く。
「この場を借り申し上げますが、あのノドコールの山賊どもに、何をせせこましい配慮をする必要があるのですか皆さん」
「…………!?」
呆気に取られた男たちを前に、軍服を纏う淑女の挑発は続いた。
「この後、ローリダ人を追い出してもなお、新国家ノドコールの面倒は日本が見ることになるのです。現地人に華を持たせるよりもむしろ世界に対し日本のノドコールへの関与をより詳らかにし、日本の領域であることを知らしめるべきです。あの島スロリアは、日本以外の何者にも委ねるには余りに危険過ぎます。勿論現地人にも」
「……それは、武官の論理ではない! 少なくとも制服を脱いでからすべき話だ」
「ハァ……」
艶めかしい、だが突き放す様な女の溜息が、剛直な武人から反抗の気概を削いだ。
「勿論、この戦が終わったら小官は制服を脱ぐことになるでしょうね。そして幕僚長閣下あなたも」
「貴様……!」
「セクハラではなく、いま脱いでもいいんだぞ?」
激発しかけた松岡を、二人に水を差す形で制したのは蘭堂であった。さすがに鼻白んだ武官ふたりを制する様に交互に視線を流し、蘭堂は言った。
「神司令官、レムラ襲撃で空いた特殊部隊の穴はどう埋める? 『スカッド-ハント』の継続と完遂は既定事項だ。地上軍の安全を確保する上でも滞らせることは許されないぞ」
「そこに関してはご心配なく官房長官」
神海将は続けた。
「本土より予備部隊を急派し当該任務に付けております。また、レムラ襲撃が速やかに終了したことにより、襲撃班も原任務に速やかに復帰させる目途が付いております。ただ……」
「ん……?」
「襲撃班の内数名を事情聴取のため隊に同行させる旨、特務より打診されております。どうなさいます?」
「同行……だって?」
坂井総理の視線が、松岡統幕長の方に泳いだ。不機嫌そうな表情を隠さず、統幕長は言った。
「現地特務班の裁量範囲の内かと……」
「…………」
坂井と蘭堂が眼を合わせた。眼の動きで互いの意志を交わし、そして汲む。最初に口を開いたのは蘭堂であった。
「事情聴取に関しては特務と情報部に任せよう。それと神司令官、君の発言はこの室内限定の意見として聞いておく。この部屋の外で同じ発言はできないという自覚は、勿論あるのだろうな?」
「『スカッド-ハント』の進捗に狂いが生じなかったからこそよかったものの、次は無いよ?」と坂井も言う。
「勿論、イエスで御座いますよ」
余裕のある淑女の表情は、なお変わらなかった。そこに何か含む処を察した男は、この場には一人もいないのだろう――そのことが、女提督を内心で満足させた。
ノドコール国内基準表示時刻1月11日 午前4時21分 ノドコール中部
神から見放された荒野を、水平線に沿って並ぶ岩山の壁を横目に見遣りつつ馬が走る。
砂埃を撒いて疾走するトラックの荷台から見まわす限りに、騎兵の進軍は続いていた。ファンタジー映画の様な光景、だが馬の手綱を握っているのは甲冑に身を固めたファンタジー世界の騎士ではない。薄汚い布衣を纏ったノドコール人のゲリラだ。征服者から先祖伝来の土地を取り戻すために彼らは駆ける。小銃は元よりロケット弾、手製爆弾の類を背負い、ノドコールの戦士は敵地を疾走る。
突風とそれが吹き付ける砂が湿布した鼻柱を撫でた。唐突の痛みに海士長 高良 謙仁は鼻を抑え、腰を下ろして荷台に蹲った。前日にやらかしたミスに対する懲罰がなおも続いていた。嘲弄った馬に蹴られた痕が、痛みとなって時折襲いかかる。それ故の車の旅だ。
「チョッパー!」
少女の声、荷台で呼び掛けられ、謙仁は声の主の指差す方向を見上げた。まだ星々の支配下にある空の低みを、黒い機影が前方に向かって過る。今回の作戦を支援する中型無人航空機だ。単に敵情を偵察し監視する任務ではなく、あのUAVは今回の任務に関し火力支援も担う。ヘルファイア対地ミサイルと7.62mmチェーンガンという重武装――襲撃と片付けるには、今回の攻撃目標はあまりに大き過ぎる。UAVが旋回しつつ上昇し、星々に照らし出された雲海に不吉な影を投じた。
「ニホンの戦闘機だ! 助けに来てくれたんだ!」
「戦闘機? 違う!」
減速の気配に見えない車上、烈しく揺れる荷台の上でノドコールの少女が木箱を開けた。陸上自衛隊制式の81mm迫撃砲の砲身を抱えて出し、瞠目する謙仁の眼前で流れるような手際で組上げる。手際の良さも然ることながら、彼らゲリラに対する日本側の支援の手厚さが窺い知れる光景だ。
意識を戦場に傾けて14式分隊支援火器を外に構え直すのと、トラックを追い抜く様に疾駆する同僚の馬に気付くのと同時であった。工藤二尉と服部一曹、そして真壁三曹の三人が連れ立って駆け抜ける。真壁三曹に至っては覆面した眼を笑わせて手を振って来る。傍目にも素人の馬捌きとは見えなかった。その三人に先導されるようにして、新たな騎馬の群が追い抜いていく。
聞いてねえぞ! あいつら馬に乗れるなんて!――地団太を踏み掛けた謙仁に並走するように一騎が近付いていた。手早く迫撃砲を立ち上げた少女がそれを指差して歓声を上げた。
「おっ姐御だ!」
「なっ……!?」
子供の様な短躯が手綱を握り、馬は受容として騎手に従って奔る。その騎手にも見覚えがあったが海自特殊部隊の同僚ではない。あいつは――思い返した途端、今なお已まぬ疼痛が股間に襲いかかる。吐気すらした。ノドコールの少女が手を振って叫ぶ。
「姐御ぉーーーーーーっ!!」
「姐御」と呼び掛けられた現地情報隊スロリア派遣特別任務班 二等海尉 弦城 亜宇羅が馬上から89式小銃を掲げた。覆面から覗く眼は大きく、そして笑っている。
覆面を解いた弦城 亜宇羅の素顔に接したとき、彼女の属する特務班と行動を共にすることとなった海上自衛隊特殊部隊の面々は、その未成年と見紛うばかりの容姿と美貌に圧倒された。美貌……それも、迂闊に触れ難い雰囲気を漂わせる美形であった。それに圧倒され、刺々しいとさえ思った謙仁の傍で、工藤二尉と服部一曹が小声で話すのが聞こえた。
「――……あれが、弦城二尉ですか」
「――そう……『砂の薔薇』計画の成果だよ」
「――幻の「砂の薔薇」、か……」
「…………?」
聞き慣れない単語に顧みた謙仁には、二人はばつ悪そうに俯いた様に見えた。再び視線を戻した先で、弦城二尉は謙仁たちのことなど関知しないかのように不動の姿勢に入っている。精悍さすら見せるその横顔が美少年ではないかという錯覚すら起こさせ、本来その様な趣味が無い謙仁に、反射的に頭を振らせた――何を考えているんだ。おれは。
「気を―――つけ!」
よく通る、心地よい声であった。そういう年齢ではない筈なのに少女の響きがした。不動の姿勢を取った謙仁たちの眼前に、部下を従えた巨漢が天幕を潜って来た。骸骨柄の覆面をした巨漢。「こいつほんとに自衛官か!?」と内心で驚かなかった者は海自特殊部隊の面々には皆無であった。覆面の隙間から大きな、だが厳めしい眼が謙仁らを見下ろした。見下ろしつつ、睨む。背丈は謙仁や真壁三曹よりもずっと高い。「休め」の号令を待つ謙仁らの前で、不意に左手が上がった。指先まで手袋に覆われた手――
「……義手の機嫌が悪いんだ。こういう時は誰かを絞め殺さないと収まらない」
義手の手が二三度開閉した。それは生身の人間のそれと何ら変わらない様に見えた。そこでふと、巨漢が自分を見つめていることに謙仁は気付く。
「あのう……新郷一尉は……」
声を掛けたのは、工藤二尉であった。
「『マスター』が見てくれている。新郷一尉には報告のために本土に戻ってもらうことになった。彼本人のミスとはいえ誰かさんが怪我をさせてしまったからな」
謙仁を見る目が、睨む目になった。蛇に睨まれた蛙とは、こういうときのことを言うのか――今更ながらに思い当り、そして謙仁は震える。生まれてこの方他人を恐ろしいと思ったことは無い。しかし、こいつの恐ろしさには、底が無い。
「ジョーカー」
弦城二尉が囁く様に言った。思い出した様に「休め」を告げ、「ジョーカー」と呼ばれた男は海自の戦闘員たちを視線で一巡した。
「おれのことは一応『ジョーカー』と呼んでくれ。此処の特務班を仕切っている。まことに不本意だがお前たちを拾い、おれの指揮下に加える。これは神 護衛艦隊司令官の同意もある」
嫌みか――と謙仁は察した。恐らくは彼だけの感慨では無かった筈だ。かといってそれに対しすぐ突っかかるには、「ジョーカー」ではあまりに相手が悪過ぎることも知っている。
「宜しくお願いします!」
間髪入れず言ったのは工藤二尉だ。前年の復仇を果たす機会を、此処に見出したのかもしれない。彼の配下数名もまた、闘志に眼をぎらつかせているのが謙仁には判った。「キナレ-ルラ号事件」――近年の海自特殊部隊が関わった多くの作戦の中でも重大な黒星だ。その結果が、現在の日本を取り巻く世界情勢になお陰を落とし続けている……
ふたたび、馬上――
『――こちら「マスターズ」。「ジョーカーズ」、敵を発見した。大隊規模の機甲部隊と思われる。送れ』
共通回線から流れて来た「マスターズ」指揮官 「マスター」こと三等陸佐 壹岐 護の声を謙仁は聞いた。 ノドコール人のゲリラ部隊は現地情報隊所属の「ジョーカー」の率いる支隊とは別に、陸上自衛隊 特殊作戦群の「マスター」がもう一支隊を率いている。彼らは相互に連携し、UAVの火力支援を受けて北部のKS軍を襲撃する手筈となっていた。「ジョーカー」と「マスター」――あの伝説の、「影の部隊」の創設メンバーであったふたり。彼らと同じ場所の空気を吸うと思うだけで、背筋が震えた。
『――「ジョーカーズ」了。そのまま追尾できるか? オーバー』
『――追尾は可。このまま監視を続行する。おくれ』
『――「フェアリー」の指揮権を預ける。ぶっ叩いて敵の姿を見せてくれ。オーバー』
『――了解。感謝して使わせてもらう。おくれ』壹岐三佐の苦笑が漏れるのを、謙仁は回線越しに聞いた。
『――「ジョーカーズ」以上』
別方向からKS軍を追跡中の「マスター」の持つ広帯域情報表示端末の画面には、高高度を旋回する武装UAVの映し出した敵部隊の全容が見えていることだろう。壱岐三佐が市販のゲームコントローラー宜しくそいつを操作し、ロメオの戦車に照準を合わせる様が眼に浮かぶようであった。彼はゲームを嗜む方なのだろうか?――やり掛けのまま本土の宿舎に残して来たゲームのことが、僅かに謙仁の脳裏を過った。
「チョッパー! 砲弾を出して!」
烈しく揺れ始めたトラックの荷台、謙仁の傍らで少女が怒鳴った。少女とは言っても華奢な背丈と体躯の他、眼に入る限りの出で立ちは騎乗姿のむさい男どもと変わり映えしない。要するに少年兵という立ち位置だ。その少女兵の腰に嵌ったカランビットナイフが目に入り、一瞬げんなりとした謙仁であった。してやられた……という顔である。海自特殊部隊がゲリラの秘密基地でノドコール人と引合わされたときからの、未だ短い付き合いだ。
「――それいいナイフだね。頂戴」
初めて会ったとき、その少女兵はカリナと名乗り、次にはそう言って手を差出して来た。初めは女だとは思えなかった。初見で少年?……と錯覚させる雰囲気が弦城二尉によく似ていた。言われるがまま、少し預ける積りで抜き出したカランビットナイフを、カリナはまるで自分のもののように軽々と掌で転がして見せたものだ。プロの男でも目を見張ったことだろう。
年齢に似合わない、ナイフに馴れた者の手捌き――余りの巧さに愕然とした謙仁の眼前で、カリナは滑らせるようにナイフを腰に差した。まるでずっと昔から彼女自身の持ち物であったかのように、だ。焦りと同時に事の重大さを謙仁は悟る。
「おいおい!」
「いいじゃないか。おくれよ」
媚びるような哀願は、少女のそれであった。むっとして延ばした謙仁の手を、カリナは蝶の様にかわした。そのまま踵を返して逃げる。当然謙仁もその後を追った。周囲で一部始終を見ていた同僚、そしてノドコール人たちがどっと笑うのを背中で聞いた……それ以来、ナイフは取り返せないままだ。そのカリナは、ローリダ人入植者に育ての親の祖父母を殺されて以来、三年間を独立派ゲリラ戦士として戦い続けている。彼女の様な境遇の少年少女が、独立軍には数多くいた。
まるで飲食店の開店準備の様にカリナは迫撃砲の展開を終えた。迫撃砲本体も、謙仁が開けた箱に詰まった砲弾も、日本から提供された兵器であった。それを日本製トラックの荷台から、射点を変更しながらに撃つ。ゲリラ部隊によっては砲を分解し、ウマや現地の家畜に載せて使う。むしろ車両輸送の方が少数派かもしれない。
当初、将来的な現地市場の拡大を望んだ自動車業界の意を受けた政治家や軍事研究家を中心に、自動車を大量に供与すればいいではないかという声が大きくなかったわけではないが、「スロリア紛争」時より現地に浸透を果たしていた情報科員の報告がそれらを一蹴した。安易に自動車を送り込めばいいとか最新兵器を供与すればいいとか、そう簡単に済む問題ではないらしい。何よりノドコールでは車の運転が出来る者、修理はおろか補修の知識を持つ者が皆無に等しく、燃料もまた簡単には入手できない。
だいいちゲリラが頻繁に交戦するローリダ人の入植者からなる民兵部隊も――自動車化も進行しているとはいえ今なお――移動と輸送の手段の過半を馬や驢馬、牛に負っている。特に高い機動力と奇襲能力を併せ持った騎兵部隊は手強い敵としてゲリラ勢力にも現地情報隊にも認識されていた。前世界のアメリカの歴史の様な、植民者自身の手による植民地の自活と自衛――それもまたローリダの「国民性」なのだと。
「――ローリダ人入植者は鎌倉武士みたいなものだ。彼ら自身が確保し、開墾した土地を守るためならば彼らは身を賭して敵に抵抗する。その敵がかつて彼らの土地の所有者であったとしても、だ。だからこそ彼らは常に身近に銃を置き、訓練もまた欠かさない。甘く見ないことだ」
「導師」こと壹岐三等陸佐は出撃前のブリーフィングにあたり、特務班と海自特殊部隊の混成部隊にそう語った。それは謙仁に不思議な感銘をもたらした。「武士というのは階級や職業ではなく生き方だ」という言葉が思い出された。かつて冒険家であり格闘家でもあった父も同じことを言っていた。その父と壹岐三佐の姿が重なったのだ。武士を生き方の種類と捉えれば、同じ生き方をしている人間は当然日本一国に留まらず世界中に居る筈だ。それが「不倶戴天の敵」ローリダ人であったとしても――
疾駆するトラックの横を、騎馬が数群、駆け抜け、そして遠ざかる。索敵任務もあるが、散開し敵を包囲するための、いわば「運動」であった。車上の謙仁からは陣型の移動が手に取る様に判った。戦国ものの時代劇とか、手の込んだファンタジー映画の騎兵部隊を思わせる、それらは勇壮な光景だ。
元来、ノドコールにウマはそれほど多くなかったという。輓馬輸送に不適な山岳地帯や湿地帯が国土に点在することもあるが、王権による統一後、一度支配下に置いた地方領主の反乱を恐れた歴代の王たちは、王都と地方の交通インフラを独占するのと併せて地方領主の馬の保有数を制限に掛かった。後に鉄道や自動車に類する輸送機械の普及も始まったがその数も少なく、結果としてそれが、王軍がローリダという未知の侵略者に対し、有効な反撃態勢を取り得る手段の喪失に繋がった。そして日本は、独立を望む現地人に「機動力」を付与する必要に迫られた。
「スロリア紛争」の翌年より、日本と通商関係のある複数国、その複数国とも通商のある国々――いずれも、馬ほか家畜の有力な生産国――から何者かによる馬匹や輸送、農業に適した家畜の購入が拡大した。
年を追うごとの拡大であった。輸出先はノイテラーネと他数国であり、輸入代理店がノイテラーネとクルジシタンという西方のいち王国に所在していたという……というのは、ニホンによる「ノドコール」進攻が本決まりになった前年末、それらの会社が突如事業を清算し「消失」してしまったからであり、それまでに取引された馬匹は騎兵師団を複数個編成できるまでの数にまで膨らんでいた。国によってはこれで家畜や飼料の国内市場価格が高騰したところもあったので、傍目から見ても尋常な事態ではない。
ただし、これがニホンによる「戦争準備」の一環であるとまで看破した者は皆無であった。「戦争準備」の結果として、ノドコールのゲリラは強力な騎兵軍団へと生まれ変わることとなったのである。後に「ジンギスカンR作戦」と呼ばれることになった秘密支援計画の、それが全容であった。
一方で防衛省の内部では、ノドコールの現地情勢に適した馬匹の確保と供与に関わる一切の施策は、情報科員の報告及び助言と、本省のいち部局に勤務する、やはり現地事情に通じた某二等陸佐の采配で実施されたという噂が生じていた。現地情報隊と通じた陸上自衛隊 特殊作戦群の指揮官とその二等陸佐との間に知遇があり、さらには当の二等陸佐が国内の大手総合商社にも人脈があったが故に実現した支援計画であったという。あの「スロリアの嵐」作戦にも前線指揮官として参加したという、その二等陸佐の名は――
「……思い出せねえ」
謙仁は内心で頭を抱え込んだ。戦国時代に同じ名字の武将がいた様にも思ったが、それすら今は思い出せないでいた。トラックに追い付く様に一騎が近付き、それは手綱を握る弦城二尉の姿となって運転席と並走する。運転席と大声で二三言会話を交わし、弦城二尉は再び手綱を引いて駆け離れていく。
「姐御ぉ!――――戦神の加護を!」
「貧乳ーっ!!」
ノドコールの戦神に祈る声に併せる様にして、謙仁は叫んだ。直後、怒りに目を煌めかせた弦城二尉の銃口が躊躇なくトラックに向けられた。発砲!――そこまでするかと思う前に身体が動いていた。カリナを押し倒した頭上すれすれを、自動小銃の曳光弾が複数飛び抜けていく。殺意と腕の確かさがよくわかる。
「チョッパー!?」
『――アウラどうした!? 敵襲か!?』
『――こちらα支隊、敵と接触! 交戦中!』
混信の形を取り別部隊から入って来た報告に、揺れる車上で謙仁は戦場に意識を引き戻した。見上げた前方の上空から、遠い地平線に向かい機関砲の太い弾幕が降り注いでいた。弾幕には対地ミサイルの噴煙と思しき白煙も時折加わる。無人攻撃機に対する応戦と思しき細かい弾幕が複数地平より飛び上がり、無軌道に空を舞うのも見えた。敵の所在もまた見える。応戦が、所在を暴露する効果を襲撃者たちにもたらした。
『――フェアリー、敵戦車破壊! 効果大! 効果大!』
無人機オペレーターの弾んだ声が聞こえた。『突撃! 突撃!』とノドコール語の声すら回線に入って来る。気分、周囲の馬脚が更に速まるのを謙仁は感じた。弦城二尉の姿はもう見えなかった。
トラックが急に曲がり、戦場に荷台を向けて止まった。戦場に向かい迫撃砲を直接照準し、前方と連携して弾着の修正を行うのが謙仁の任務だ。射点も、試射に必要な緒元も出撃前にすでに決めてあった。あとは試射と修正を続けていけばいい。
『――こちらコング、観測位置に付いた。チョッパー射撃準備どうか? おくれ』
「チョッパー、『第一射点』に展開完了、おくれ」
『――何時でも落としていいぞ。ぶちかましてやれ。おわり』
「カリナ! 着発信管だ!」先行した真壁三曹との交信を終えるのと同時に、謙仁は言った。撃鉄が起きた砲身に滑り込んだ砲弾が、激発と同時に砲身を奮わせて冷たい夜空に飛び上がる。射撃の度、衝撃を吸収しきれずに車体が揺れる。少しの間を置き、地面が微かに揺れた。『――チョッパー右! 右に少しずらせ! 暗くて距離が測れない』
日が昇っていないこともあるが、直接照準、それも近距離射撃であることも加わり、修正に必要な数字が出せないのだ。同時に、周囲に響く射撃音の数が増え始めた。彼我の距離が詰まっているのだと察した。修正弾――
『――効果大! 効果大! いいぞチョッパー! そのまま射撃を続けろ!』
真壁三曹の声が打って代わって弾む。修正弾が開けた敵防御線の間隙に、ノドコールの義勇兵が勇躍し入り込む。射撃音と爆発音、そして悲鳴の交差が、見渡す限りの周囲を支配する音へと変わっていた。着発した迫撃砲弾の炸裂に敵の車両が燃え、あるいは敵兵の身体が弾かれるのも見えた。ノドコール人は征服者ローリダの軍隊に戦いを挑み、そして現在優位に戦闘を進めているかに見えた。燃え上がる燃料車が一帯をオレンジ色に照らし出し、漏れ出した燃料の臭いが血の臭いを上書きする。
『――フェアリーより各員へ、東より敵の増援が来る! 戦車三両を確認! ガルダ―ンだ! ガルダ―ンがいるぞ!』
『――フェアリー、こちらはロッキー、足止めできるか? あと20分でアークライトが来る! オーバー!』
『――フェアリー、やってみる。オーバー』
『――フェアリー頼む!』
「ロッキー」こと工藤二尉が、とっくに操作を代わった無人攻撃機オペレーターと交信していた。輸送部隊襲撃に気付いたロメオの本隊が来れば、速やかに撤収するのは事前に決めていた。というより、この本隊を誘引し、空爆で叩くのが襲撃作戦の本質でもある。「アークライト」とは、爆撃仕様のP-1洋上哨戒機のコールサインだ。ただし、交信が始まる前に周囲が慌ただしくなり始めていた。より正確に言えば、新手の敵の接近に気付いたノドコール人たちが、下馬して防御線を作り始めていた。
「こちらチョッパー、ロッキー、こちらも増援に対処したいがどうか? オーバー」
『――チョッパー頼む。タブレットを見たところ敵戦車には随伴歩兵がいる。迫撃砲なら減らせるだろう。オーバー』
「了解。アウト! 陣地転換だ!」
交信を切るや、謙仁は声を上げた。カリナが運転席の天井を叩き、謙仁が指し示す方向に車を転回させた。その頃には東側では銃火の交差が生じ始めていた。目指す先でノドコール人が撃つ110mm個人携帯対戦車弾と、「RPG」ことロメオ製の携帯対装甲ロケットの特徴的な発砲炎が見える。より遠方からは赤緑の発砲炎と同時に、機銃の曳光弾が数珠繋ぎに迫り、明後日の方向に刺さって土柱を上げた。照準が合うまでに時間は掛からないだろう。
車を停めて再び迫撃砲の調整を終える頃には、薄らと明け始めた暗い空の下、丘陵を乗り越えて迫る戦車の影、歩兵戦闘車と思しき砲塔付き車両の影、さらにはそれらに金魚の糞宜しく付き従う人影が無数、駆け足で迫って来るのが見えた。随伴歩兵!――
『――そっちに増援を送った! あとはアウラに従え!』
「――――!?」
ハッとするのと同時に、近接信管の使用と連続射撃を謙仁は指示した。謙仁が覗いた照準器の狭い視界の中で、矢継ぎ早に発射された迫撃砲弾が炸裂する。砲弾の爆圧と破片になぎ倒されるKSの兵士。混乱に突き動かされるかのように装甲車が奔りながらに機関砲を乱射する。照準が雑過ぎてそれらは悉く、謙仁たちの頭上を飛び越えて無人の野に着弾するばかりであった。無人攻撃機の銃撃に装甲車が炎上し、停滞に陥るKS軍の全容が照らし出される。対装甲ロケット弾を受けて覆帯が外れたガルダ―ンに、騎兵が肉薄し火炎瓶を投げ付けた。火が機関室に廻り、砲塔から飛び出した敵兵がゲリラに撃たれて斃れる。炎上するガルダ―ンから生じた黒煙が一帯に拡がり、謙仁たちから視界を奪った。
『――フェアリー、撃ち終わり! くそ! ガルダ―ンが未だ生きてる! 一人戦闘員が撃たれた! 弦城二尉だ! 弦城二尉が撃たれた!』
「…………!?」
思わずカリナと顔を見合わせる。蒼白になったカリナの表情を目の当たりにし、謙仁は一瞬で意志を固めた。
「カリナ! 馬を回せ!」
「アンタ馬乗れんの!?」
前日に派手に落馬した謙仁を見ていたが故の心配だが、それをされる余裕など今は無い。止める間もなく謙仁はトラックを降り、カリナが口笛を吹いて仲間を呼び寄せた。騎乗したノドコール兵が駆け寄り、謙仁は叫んだ。「代わってくれ!」騎乗した途端に馬が回転した。
「くそっ……!」――思えば最初に騎乗したときもこれで調子を狂わされたのだ――手綱を握り締め、踵で腹を叩いて姿勢を回復しようと努めた。「言うこと聞けってんだこの馬刺し野郎!」回復もしないうち、悪態をつき終わらないうちに馬が走りだし、謙仁は唖然として疾走に身を任せた。当然、敵のいる方向だった。
「すまんすまんっ今の取り消すって!」
速まった馬脚が足元から恐怖を喚起した。恐怖を無視する様意志を堅く務めた。立ちこめる黒煙の壁、その更に向こうの地獄に向かい、騎乗した海上自衛官が突撃する――
「チョッパー!!」
カリナの呼ぶ声が聞こえた様な気がした……気がする位にカリナとは離れた。次には黄色く光る弾幕が眼前に飛び込んできた。至近弾――迫る弾幕を馬の首に齧りついてやり過ごそうとした。
「――――ッ!」
煙の壁を抜けた先、敵味方が入り乱れ、至近距離から銃を撃ち合う。いわば乱戦の最中であった。暗がりと硝煙が、彼我の兵士から視界と照準を奪っていた。烈しく揺れる馬上、背負っていた14式分隊支援火器を翻し、息つく間もなく片手で引鉄を引く。片腕での乱射では初めから命中など期待していない。だが引きっぱなしで放たれた銃弾に捉えられたローリダ人が複数斃れた。応戦しようと銃口を向けるローリダ兵を抜き去り、あるいは弾き飛ばし、反動で鞍からずり落ちた姿勢のまま、謙仁は手綱にしがみ付いて疾走に耐えた。しがみ付くだけで精一杯であった。その精一杯の中に、謙仁は弦城 亜宇羅を見出した。斃れたまま動かない馬の傍で半身を起こし、烈しく嘔吐く彼女、その更に先――
「くそっ!」
炎と燃料、そして硝煙が作りだした臭い霧の向こうで此方に走りつつ砲塔を廻らせるガルダ―ン戦車の影を見出した瞬間、謙仁は神の采配を心から呪った。ガルダ―ンの戦車砲が咆哮し、それは遠方ではあっても顔面を打つ程の衝撃となって一帯に響く。戦車砲の着弾に巻き込まれたノドコール人が吹き飛ばされ、悲鳴と怒声もまた響いた。破片とも肉片とも区別の付かない何かが地面に落ちる音を聞く。
「チョッパー!! 来るなぁ!!」
謙仁の接近に気付いた弦城二尉が、反吐を吐きながらに叫んだ。駆け寄って来たローリダ兵が彼女に銃口を向けた。謙仁が撃つより早く、彼女が引き抜いたSIG SAUER P226自動拳銃が咆哮するのが早かった。電光の如くに放たれた拳銃弾にローリダ兵が斃される。半死の体であっても反応の素早さに謙仁は舌を巻いた。彼女の傍に、RPGを転がっているのに気付いたのはそのときであった。よく見れば無数の死体が彼女の周りは転がっている。
「貧乳! そいつを寄越せ!」
「――――ッ!!」
怒鳴り、しがみ付く様にして馬上の姿勢を整えた。14SSAをかなぐり捨てて弦城二尉の足許を指差す。ガルダ―ンが更に距離を詰める――再び射撃。近い着弾に身を伏せ、謙仁が求めるものに気付いた弦城二尉が、歯をむき出しにしてRPGを持ち上げた。
「チョッパー!!」
弦城二尉の傍らを過る瞬間、放り上げられたRPGの負い革を握った。不遜な騎馬兵の接近に気付いたガルダ―ンの砲身が廻った。砲口が正対するや反射的に伏せて疾駆する先を逸らした。発砲音と衝撃波が聴覚と触覚を殺し、砲弾の質量を伴った音速が凶悪な気配と化して謙仁の横を掠めた。見えない巨人に圧される様な衝撃に、謙仁と馬は耐えて奔った。引き摺り上げたRPGを脇に抱えて更に距離を詰める。槍を構え敵中に突進する騎士のように――ガルダ―ンの尻がディーゼルの特有の濃い噴煙を上げた。回避機動――
「死ねっ!!」
鋼の矢が馬上で光る。光の矢はほぼ直線にガルダ―ンの砲塔と交差した。矢はそのまま砲塔と車体の隙間を食い破り、そこで砲弾をも巻き込んで爆発した。爆発の衝撃が波となり、直撃する形となった謙仁の意識もまた奪われる――
「――――!!?」
直撃の瞬間は、憶えていない。それらは天地がひっくり返るほどの衝撃を受け、地面に叩きつけられるまでの短い間に消えた。その後には時間間隔の喪失が訪れた。
「…………」
全身を苛む激痛の中で、覚醒していく意識、そして掠れた視界の片隅に炎上する鋼の塊を見出したとき、謙仁は考えるよりも早く半身を起こした。背中が痛むが、骨や内臓に甚大な損傷を負ったという自覚は無かった。ボディーアーマーが無かったらこうはいかなかっただろう。眼前で醜く燃え上がるロメオのガルダ―ン戦車……それが、自分が先刻に撃破した敵戦車であるのを、謙仁は起き上がりながら思い出した。但し意識は明瞭には程遠いことを、ボディーアーマーへの唐突の衝撃を以て自覚させられる。
「――――ッ!!?」
撃たれた!と思った時には、謙仁は再び地面に叩き付けられていた。飛んできた弾丸がボディーアーマーを抉り、それでも吸収できない衝撃が謙仁の長身を押し倒した。見上げた視界に銃剣を振り上げたローリダ人を捉えるのと、引き抜いたP226自動拳銃の引鉄を何度も引き絞るのと同時だった。ローリダ兵は血飛沫を上げて斃れ、謙仁の視界から消えた。もうひとり、突進しつつ銃口を向けるローリダ兵を更なる連射で斃す。
『チョッパー! 無事か!? チョッパー!?』
外れた通信用イヤホンから呼ぶ声が聞こえた。イヤホンを嵌め直す暇は無かった。急激に増えて白刃を振り翳すローリダ兵、銃口を向けて迫るローリダ兵に向かいP226の銃口が咆哮する――咆哮が止まる。戦慄――弾丸切れと同時に、死神もまた迫る。
「チョッパー!」
「…………!?」
唐突に前に出た人影が、89式小銃をフルオートで撃った。正確無比な単連射が射的の様にローリダ兵を打ち倒す。弦城 亜宇羅だと思った。「この寝坊介! さっさと起きて応戦しろ!」怒声に突き動かされ、P226に弾倉を叩き込み撃つ。見える限りの敵に向かい撃つ、撃つ、撃つ! スピンして滑り込んだトラックがふたりの背後で停まり、次にはより圧倒的な火力がローリダ兵の前に壁を作り、そして弾き飛ばした。
「チョッパーを回収しろ! アークライトが来るぞ!!」
『――ジョーカーより各員へ、アークライト爆撃コースに入った! 投下まで45秒!』
『――全員退避! 安全圏まで退避! 急げ!』
服部一曹の、柄にも無い怒声が響いた。荷台から延びた剛腕が謙仁のボディーアーマーの取っ手を強引に掴み引き摺り上げる。コングだという直感は正しかった。服部一曹と真壁三曹のふたりが、荷台から敵にぶつけ得る限りの機銃弾をばら撒いている。
トラックが泥濘を蹴立てて走り出した。遠ざかりつつもなお追い縋るローリダ兵に、謙仁もまた荷台からP226を咆哮させた。反撃を受け斃される敵兵が無数。車体に不快な振動が続く。追い撃ちの敵弾だ。すぐ傍でカリナもまた、ローリダ製の小銃を構えて撃っていた。誰のものとも知れぬ熱い薬莢が飛び跳ねては身体に当った。
『――20秒!……10秒!……』
『――アークライト1、投下いま!』
白みかけた地平線の先から爆音が迫る気配がした。「アークライト」こと爆装P-1が、低空飛行から爆弾投下コースに入ったのだと察した。比高100メートル以下の低空から急上昇し、上昇の航程で投下される無数の200ポンド爆弾、それらは目標地点まで放物線を描いて落ち、最後は弾頭を真下にして地表へと刺さる――炸裂音と同時に噴き上がる無数の火柱が、トラックの荷台から見る戦士たちに地獄の針山を思わせた。
大地から衝き上がる鉄と火の奔流にローリダの車が、火砲が、そして人体が呑み込まれて擂り潰されていく。上昇し遠ざかる一機の過った側方、低空から突進し駄目押しに爆弾を撒くP-1の機影がもうひとつ――
『――アークライト2、投下いま!』
直進航程であるが故に、撒かれた爆弾は見渡す限りの広範囲に刺さり、第一撃を生き残っていたすべてを耕した。訓練通りの至近着弾爆撃を前に、一個旅団相当数の敵影と重装備が消滅する様を、投下地点から遠ざかりゆくトラックの荷台から謙仁たちは無心に見送っていた。朝の到来を告げる冷たい風が大地を舞う。血肉と硝煙交じりの臭い砂埃が圧し出される様に拡がり、延び上がる朝陽に照らされて朱に染まる――多くの生命と運命を吸い、赤く成長していく朝の光……ただし、謙仁たちにとって全て終わったと思うのは早計に過ぎた。
『――こちらジョーカー、アウラ応答しろ。アウラ無事か? 以上』
「こちらアウラ、健在です。まだ戦えます オーバー」
『――だろうな。ところでアウラ、問題がひとつ持ち上がった。そこにいる海自の連中を全員拘束しろ』
「了解!」
「……!?」
謙仁らが反応するより早くそして迷わず、弦城 亜宇羅のP226が謙仁の後頭部に向いた。砂塵に紛れ、何時しか四方を取り囲んでいた騎馬の特務班員とノドコール人が、小銃の銃口を一斉にトラックの荷台に向けていた。服部一曹と真壁三曹、応戦しようと外に向いたふたりの銃口も、唐突な事態の急転を前にして迷うばかりに左右に廻る。その日本人ふたりを、カリナが構えた小銃の銃口が睨む。困惑は、さすがに隠せなかった。
「ど、どういうことですかジョーカー!」と服部一曹。
「見ての通りだロック。工藤二尉と彼の部下も既に拘束した。彼はやってはならんことをやった。潜伏拠点に入ったら君達からも事情を聞くことにする。もちろん横須賀にいるあのキツネ女にも――」
「キツネ女……?」
服部一曹が呟き、次には表情が険しくなる。そこに、ジョーカーの独白が続く。
『――あの女は昔からこうだ。澄ました顔して、姑息なことを何時も考えている』
「あの女?……キツネ目……まさか……!」
コングの困惑には、少なからぬ驚愕が加わっている。自分たちを激戦地に導き、現在に至る全てを引き起こした「キツネ女」を、二人は知っている?……困惑は、そのまま動揺となって謙仁にすら言葉を紡がせた。
「え?……コング何よ? 何だっての?」
「わからないのチョッパー? 海自特殊部隊直属の使用者のこと」
「…………!」
謙仁から銃口を逸らさないまま弦城二尉が言った。呆れた様に掛けられた助け舟の一言が疑念を晴らすのと同時に、謙仁に更なる困惑を喚起した。
「うそ……だろ?」
日本国内基準表示時刻1月11日 午前8時38分 神奈川県横須賀市 海上自衛隊横須賀基地 海上自衛隊護衛艦 DDH-182「いせ」
佐世保が提携港である筈の「いせ」が横須賀に入ったのは訓練航海の帰路のことであった。
それは「交換部品の搬入と乗員の休息」を名目にしていた。「転移」後の改装で実施された通信設備増設の結果として、「いせ」の艦体深奥には同じく大改修を実施した戦闘指揮所に併設する様にして新たな通信区画が存在する。衛星中継通信は元より、量子暗号を駆使した厳重な秘匿通信を実施する専用設備は、日本本土の防衛省中央指揮所、首相官邸地下の官邸危機管理センターとの同時通信と、音声から画像に跨る各種データの共有すら可能にする。
早朝、視察を名目にした乗艦は、CIC入口の前で随員と護衛を待たせたところで単独行となった。それから程無く、護衛艦隊司令官権限で接続した通信システムで、場所と立場を無視した物憂げな会話が始まる。
「――無情いじゃない? 同じ海上自衛隊でしょジョーカー?」
『――同じ海上自衛隊だからこそ、情報本部に報告する前にこうやって話してるんです』
粗い画質の向こうで、覆面の男が制服姿の将官に畏まる。間取りにして四畳半程度、その狭い空間に凝縮された広角端末と電子機器類の発する光以外、一切の灯りの存在しない空間で、椅子に陣取る護衛艦隊司令官 海将 神 明日香の青白い顔が微笑んでいた。艶っぽい細目から笑いの無い、妖気の籠った光が画面を睨む。並の男ならば正視できない、烈しい光であった。その眼光を見返し、ジョーカーは声を曇らせた。
『ひょっとして……もう掴んでいるのですか?』
「ロッキー……工藤クンは見事にイリジアの雪辱を晴らしたわよ? もっとも、送信してくれたデータは誰かさんが邪魔して途中で切断ちゃったけど」
『その内容、途中まで読んでどう思いました?』
「……」
スロデン-レムラ抹殺から始まる工藤二尉らの合流は、単なる「実績欲しさ」の誘うものではない。神 明日香はそれ以上の「事態」を察したからこそ、こうしてレムラ抹殺を主導し、護衛艦隊司令部から操縦できる「手駒」として特殊部隊を送り込んだのだろう……結果として工藤二尉は任務中に特戦のデータベースへの接触を図り、ジョーカーは済んでのところでそれを実力で止めた。その結果がこの「交信」だ。
笑っていない眼光を其の侭に、提督の目元が微笑った。とうに齢四十を超えた筈なのに、三十代前半と言っても通じる若さが、提督の表情と素振りには見えた。「魔女だから年齢を取らないのだ」という、海自部内の彼女に関する陰口が脳裏を過ったかもしれない。
「ジョーカー? 私はいま酷く不機嫌なの。何か隠してると思ったらこれだもの。どうして人の目が届かない処でコソコソとこんなふしだらな事やるのかしらねえウチの政府は。盛りの付いた海士長のガキじゃあるまいし」
『覗き見だけならまだしも、服を脱いで加わろうとした誰かの言う事ではありませんな。火遊びも程々にしてください提督』
ジョーカーの声に、階級を超越した威圧が加わる。しかしそんなもので萎縮する相手であると、画面のジョーカーは思っていない。むしろ窘める必要を感じたかもしれない。
『……行儀良く順番を待っていればいずれ声は掛かるでしょう。思うにこの事件、特戦だけでは荷が重すぎます。いずれ海自特殊部隊の投入も決定される筈です。何しろ今度の敵は――』
ジョーカーが言い掛けたところで、艶やかな溜息に呆れの発露が加わる。
「それはそうでしょうね。核兵器を強奪して国を飛び出す様なイカレポンチをどうにかしろなんて。それで、どうして自衛隊がロメオの尻ぬぐいをしなければいけないの? あの忌々しい野蛮人の島が核の炎に包まれたとしてもこっちは手間が省けていいじゃない」
『特戦から流れて来た情報ですが、ロメオの中枢に内通者がいるようです。その人物が我が国に助けを求めて来た、というのが、事が露見した真の理由です』
「あの高慢稚気なロメオらしくない、ダサいことするわねえ。内通者って誰よ?」
『政府は素性を掴んでいる様ですが、素性に関する情報は、特戦はおろか情報本部にも未だ下りて来ていません。ひょっとすれば事態が収拾されてもこの先ずっと公開されないかも』
「…………」無表情な沈黙が、ジョーカーに更なる言葉を促した。
『それでどうします? 貴方の事だから止めてもダメなのでしょう? ロッキーたちも事態の辺縁に触れた以上、当面本土には戻せません』
「政府が海自に泣き付くまで待機でどう? 貴方達だって応援が要るでしょう? 政府も慌て始めてるし、震源に近いほど対応もし易いでしょうし……ね?」
『…………』
口元が、微かだが愛嬌の様に歪んだ。
「内通者のことは、わたしが心当たりのある人に探ってみます」
『ジョーカー……了解』
「通信終わり」
接続を打切った瞬間、神 明日香は椅子に凭れかかって背伸びをした。背伸びの限界に達したところで提督は笑みを噴出した。悪魔と契約した魔女を思わせる、呼び水の様な微かな笑いがけたたましい笑い声にまで高鳴る、ただし防音の効いた狭い部屋で、魔女の哄笑いは外の誰にも聞こえなかった。
「ロメオの核テロリスト、か……そいつは絶対海上自衛隊が殺らないといけないわね」
嘆息と独白と同時、もう一つの端末に神海将は視線を流した。遠くノドコール上空で活動中の無人偵察機部隊、その一機が収集した戦闘の一部始終、今日の未明に行われた海自特殊部隊とKS地上軍との戦闘の光景だ。激戦の終盤、一騎がロメオの戦車に突進し手にした携帯ロケット砲を撃つ。流鏑馬宜しく馬上から放たれたロケットが白煙を曳き戦車に刺さる――戦車の断末魔、烈しい爆発に画面の光が揺れる。
「あら……カッコいいじゃない」
提督の細い眼が見開き、爆風に翻弄される一騎の侍に奪われた。
日本国内基準表示時刻1月11日 午前8時50分 東京都千代田区 総合商社 隅友商事本社ビル ビジネス用メッセージアプリ上での対話
HYDE「英ちゃん? よかった……生きてたか。何度もメールして済まないな。勿論、衛星電話経由だから送信だけでも痛い出費さ。何とかしてくれ総務省って感じだよ。いや通産省かな。ま、いざとなったら経費で落とせるけどな。ああそうそう……」
HYDE「英ちゃんが仕切った『ジンギスカンR作戦』、大盛況の様だぞ。今朝から盛んにTVやネットで報道されてるよ。ノドコールのゲリラは馬でローリダの戦車部隊と互角に戦ってるって」
Lc.S『そいつはよかった。実は少し不安だったんだ』
HYDE「伊勢邦や三伊物産の連中も驚いてる。自分たちが苦労して買い付けた牛や馬がこんなに戦争の役に立ってるなんてってな。連中、英ちゃんとまた飲みたいと言ってたよ。もっといい店で御馳走したいって」
Lc.S『シレジナの状況ももう日本中に伝わってると思うけど、どんな感じだ?』
HYDE「野党第一党党首の御曹司、それも連中が言うところの将来の総理候補が捕虜になったんだもの。そりゃもう永田町は上や下への大騒ぎさ。かと言って自衛隊はノドコールで大きな作戦が控えてるっていうしな。救出作戦までは手が回らないと思う。外務省も手が遅いから政府が動くのも未だ時間が掛かるだろう」
Lc.S『だろうな。出発前にメアドを交換しておいて良かった。こうして生存報告ぐらいはできる。気長に待つよ』
HYDE「いや、やり様によっては早くシレジナから出られると思う。捕まった同僚も解放できるかもしれない」
Lc.S『……危ないルートか? 止めておいた方がいいな』
HYDE「去年、フレイコットの話しただろ? そこからローリダの中枢に話を付けられるかもしれない」
Lc.S『ビジネスパートナーの話か? 信用できるのか?』
HYDE「実はもう話をしてあるんだ。今日会いに行く」
Lc.S『日本でじゃないよな。まさか……』
HYDE「日本人は滅多に行かない場所だからな。向こうに行く航空券を取るのに苦労したよ」
Lc.S『ばか、そんな深い仲じゃないだろおれ達』
HYDE「商談メインに決まってるだろ。ついでに貸しも作る積りさ。覚悟しとけよ」
Lc.S『確かに、大きな借りになるな』
Lc.S『この件はおれからも東京に話してみる。マサトも無理するなよ』
HYDE「英ちゃんも慎重にな。また連絡する」




