第二八章 「銃後 そして志願兵」
日本国内基準表示時刻1月9日 午前6時31分 東京都港区 文明放送メディアセンター内 ラジオ放送「A」スタジオ
「――時刻6時31分です。今朝のコメンテーターはシンクタンク 日本国家戦略学校代表の井山 正晴さんです。サンケイ新聞から……番組冒頭にお伝えしたレムラ将軍襲撃より続報が届いています。海上自衛隊 護衛艦隊司令部より発表。9日未明に実施された、海自特殊部隊による敵要人襲撃任務において確定した戦果は以下の通りです。既にお伝えの通り、KS東部方面軍司令官 スロデン-レムラを殺害 装甲車両5両を破壊 輸送トラック3両を破壊 4両を捕獲 他車両10台余りを破壊あるいは行動不能にしKS軍戦闘員を120名余り殺害……錚々たる戦果ですが、私としてはこれを僅か二十名余りの自衛隊員で成し遂げたことに改めて驚きを隠せないわけですが……井山さん、この点どうでしょうね?」
「――これは彼らからすれば出来て当然のことなんですよ。実際彼らは富士や北海道の演習場で襲撃訓練は平時から何度も繰り返していますから。ロメオ-スカッドの破壊任務もまさにその応用です。『ベース-ソロモンの虐殺事件』直後、政府がその気になればキビルまでパラシュート降下してKSの首脳を全員殺害して終りだった筈なんですよ。KS首脳の居場所も掴んでいたわけですから。私個人の意見だけではないのでこの際申しますが、この海自特殊部隊にしろ陸自の特殊作戦群にしろ、政府はどうも特殊部隊の使い方が下手ですね。戦争指導に問題があるとしか申せません」
「――うーん……つまりそれは特攻ということでしょうか? それでは向こうに行ったとしても帰れませんよね?」
「――彼らなら行きますよ。それでも命令されれば行く様に教育されていますし、志願する前からその覚悟ができている人々ですから。こうやって作戦が公表されたから申しますが、私はこの襲撃部隊の指揮官を知っています。若い一等海尉でしてね、御祖父さんの代から海軍軍人の家系なんですよ。彼は今回の作戦の際にも御祖父さんの形見の士官用の短刀を持って行きましてね。出撃前にメールもくれたんですよ。その文面が本当に泣かせるんですよ。詳細は本人の許可もらった上でSNSにも上げてますからリスナーの皆さんにはぜひ見ていただきたく思います。この時代、人倫の乱れた日本にこれほど志の高い若者がいるのかという位高潔な文章です。彼は死を覚悟して任務に臨み、そして義務を果たしました。自民党政府も見習ってほしいですね」
「――いま井山さんのSNSを開いてますが、何と言っていいか……一途な文章ですね。あと……時折割り込んで来る広告が多いかな……」
「――それは私の著書です。新刊を出しましたのでリスナーの皆様にはぜひ宜しくお願いします。書名はズバリ、『悪魔の国ローリダに勝つ正義の国家戦略』です。電子版もありますのでそちらも是非」
「――海上自衛隊といえば、現在ノルラントとローリダが交戦中のシレジナにも行っておりますよね? 陸の戦いがメインでしょうけど海自にとってもやはり必要な任務なのでしょうか?」
「――ええ、現状では制海権はローリダが握っているわけですから、その際に生ずる陸戦への影響を知る必要はあると思いますね。これも私だけの意見ではないので申しますが、やはり政府はシレジナ方面に航空護衛艦を派遣するべきでしたね。であればシレジナのみならずローリダの海上での優位を崩すことができたわけで、デルエベのテロリストへの対処もずっと容易になったと思いますよ?」
「――それではノドコールのKSに対する圧力が薄くなりはしませんか?」
「――本土には未だ『ひゅうが』『いせ』がいますよ? あれらをシレジナ近海で泳がせるだけでローリダの海軍は退きますよ。それに『ひゅうが』は現在日本でどんな任務に就いているかわかりますか?」
「――いえ……どのような任務ですか?」
「――『いせ』は先週より日本近海で訓練任務中ですが、『ひゅうが』は外洋に出て、現在とある装備の運用試験を実施しています」
「――ほう……」
「――私と親しい海自上層部の方の情報によりますと、これは電磁砲、いわゆるレールキャノンの運用試験です」
「――レールキャノン……?」
「――そうです。『ひゅうが』型は全通式の飛行甲板がありますから、そこにレールキャノンを敷設するわけです。あと制御室と観測装置は格納庫に収まりますから。試験艦としては『ひゅうが』は格好の場所にもなるわけですよ」
「――それで、効果の程はどうなのでしょうか?」
「――然るべき機関のシミュレーションによれば、最大荷電時に射出された電磁砲弾一発、それも突入時の運動エネルギーだけで、小豆島と同等の面積の島ひとつを消し飛ばす位の破壊力を発揮すると聞いています」
「――ほう……それが場合によっては、富士のトールハンマーの様にノドコール戦線に投入される可能性もあると?」
「――投入の是非は兎も角、あれは士道二尉の発案なんです」
「――士道二尉? あの、共和党士道党首の御子息の……?」
「――そうです。先々年にですね、私の主宰する国家戦略研究室と民間企業が運営するとある財団と共同で懸賞論文の企画をやりまして、そのとき幹部候補生だった士道君にも参加してもらったんですよ。士道君はあれで謙虚な若者ですから、『つまらないものですが』と忙しい中を書いて持って来てくれたのですが、それがいきなり最優秀賞を取りましてね」
「――ほう……それはどのような論文でしょうか?」
「――懸賞の名前が『帝国復活のための真・新世界戦略』というものなのですが、応募論文の中で士道君は『ひゅうが』『いせ』にレールキャノンを搭載した『航空戦艦』化を主張しておりましてね、そのアイデアが海幕、つまり海上幕僚監部の目に留まったのでしょう。そう聞いております」
「――それはやはり御父上の薫陶が行き届いていると言ってもいいわけなのでしょうか? たしかお父様の士道党首も防衛大でしたよね」
「――同じような話を年初の壮行会のときにしたのですが、本人苦笑して『まだまだ父には及びません。ひょっとしたら一生追い付けないかもしれないです』と言ってましたよ。日本のためにも、彼自身のキャリアのためにもシレジナの戦線で見聞を広めて帰って来て欲しいですね」
「――確かに、有望な人材が育って行くのは我々の世代からしても安心できるものではあります。次のニュースに移りますが、その前にCM」
日本国内基準表示時刻1月9日 午前10時40分 長崎県長崎市 某小学校
冬の晴天が川沿いの校舎に昼下がりの空気を運び始めていた。教室に集う子供たちの中には、とうに空腹を覚えている者もいるかもしれない。それでも時限は未だ三時間、いま一時間と少しほど、子供たちは空腹と無為に耐えねばならない。暖かい給食はその先に待ち構えている。
平時の時間割からすれば、生活科の時間であった。然しながらこの日、教室は普段、授業を受けている時に醸し出す沈黙と外目だけの真摯さを教室の外に置いたかの様な喧騒に満ち満ちていた。ちょうど高校で文化祭の準備をするかのような陽性の喧騒だ。
それも当然であるのかもしれない。チョコレート、飴玉、スナック菓子という、小学校の教室では先ず見られない菓子類の山、カップ麺の類すらその山の中に混じっている。一人では食べきれない分量のそれらを目の当たりにして、心の揺れない少年少女などいない筈も無い。地域のクリスマス会の様な賑やかさの下で、三時限目は過ぎていく。
菓子の山からチョコレートをちょろまかそうとする腕白な男子がいる。女子の間から非難の声が上がり、同じく男子を窘める若い女教師……そう、教師もまた子供たちの環に混じり、均等に分けた菓子を包紙に詰込んでいた。若さの割に、薄い化粧と普段着を思わせる姿が、意図して色気を抑えている様な観があった。
包紙は一個の例外も無く、最後に一通手紙を添えて封がされる。この教室から五千キロ以上の距離を隔て、年始から異郷で戦闘任務に就く自衛隊員への感謝と励ましの手紙であった。年が代わって戦争が始まり、そして新しい学期が始まると同時にまた始まった「授業」であった。
「――いま、遠いスロリアの戦場では、自衛隊員の皆さんが平和のために命を賭けて任務に就いておられます。これから前線で任務に就く自衛隊員の皆さんに、お菓子と一緒にお礼と励ましのお手紙を送りましょう」
その日の三時限目、日本各地の小学校ではどの教室でも大抵、担任教師のそのような言葉から「授業」が始まった。本来生活科や道徳のために割当てられた時間である筈が、むしろそれらを名目に「作業」は喧騒の内に続いている。国際社会における日本の立ち位置について考え、公共に奉仕する経験を子供たちに与えたという意味では、それは絶好の機会であるようにも見えた。保護者会の積立金と自治体からの助成金を流用して一括購入された菓子類、衛生用品の類に無垢な子供たちのメッセージを添え、自衛隊の駐屯地に託してそれは終わる。
無論、懐疑する者もいた。
『――子どもたちの中にも戦争を継続中の社会に違和感を抱いている子がいるのも事実、そうした子どもたちの感情を無視するかのような戦争への協力には強く反対する』
同じ時刻、長崎市中心に位置する長崎駅前広場では「国政三大政党」の一角、労働党の県選出議員による街頭演説が始まっていた。外回りの営業職等を除き、市中の大人たちの多くが職場にいる時間帯にあっては、立ち止まって演説に耳を傾ける人影は疎らであったが、それでも立ち止まった人影、均しく不安と困惑が街頭演説仕様のワゴン車を見上げていた。
全ての発端は、南九州のいち町村で始まった、幼児から中学生に至る年齢層の子供たちによる「自発的な」行為であったという。尤も、三年前の「スロリア紛争」の後に、全国の小中学校の間で自衛隊基地に「感謝のお手紙」を送る運動は始まっていたが、それは平時のイベントの様なものであって、戦時に、それも最前線の隊員に、直接手紙とプレゼントを贈る全国的な運動にまでは昇華を見ていなかった。今となってはSNS上で陰謀論的に、菓子等食品業界の暗躍を語る者もいる。目に見える「何か」を作っている限り、それを「戦争」に結びつけることができれば新たな利益の開拓に繋がる、というわけだ。そういう意味では日本は「戦争をする普通の国」になった、と――
そして「戦争」が始まり、昼前の小学校に重々しい車列が差し掛かる。
陸上自衛隊 大村駐屯地所属の輸送トラックと海上自衛隊 佐世保業務隊所属の輸送トラック各一両を先頭に、民間運送業者のトラックが続く。全国規模での運動になり掛けているが故に、本土残置の輸送科部隊の戦力だけでは、子供たちの「支援」に応えることができないのだ。その運送業者すら実際は出せる車に限りがある。トラックは幾らでも作れる(そういう意味では、日本国内の自動車業界は自衛隊需要も相まって空前のトラック生産数を記録していた)が、運転手はそうもいかない。本土で働くより身入りのいい、現状安全なスロリアからノドコール方面部隊の後方基地間の物資輸送に、軍属待遇あるいは派遣雇用で従事する者が多いのだ。三年前の「スロリア紛争」でも起こったことだ。
狭くて入れない正門を避けて校舎の裏手、滅多に開けない運動場に通じるゲートから車列は運動場に入る。砂塵が撒き、車列を解いて規則正しく居並んだトラックの先で、既に集められた贈り物の箱々と子供たちが待っていた。止まない砂塵、エンジンを切ってもなお滞留するディーゼルの噴煙に咳込む子供や教師も多かった。自衛隊トラックから降車した戦闘服姿の隊員が整列するや、指揮官の幹部が進み出て敬礼した。生徒の代表が大仰な目録を抱いて進み出、恭しげに幹部に目録を差出す。生徒の背丈に合わせて長身を曲げた幹部が目録に触れるのと同時に側方、フラッシュの砲列が一斉に瞬いた。行事に先駆けて校内に入った報道関係者だ。
粛々と進む積込みの様子。自衛隊のトラックを取り囲み、物珍しげに見上げ、あるいは触れる子供たちを、カメラは至近で、あるいは遠巻きに捉え続けていた。地域によっては、複数の小学校が市営競技場に「支援物資」を持ち寄り、空路飛来して来た陸海空自衛隊のヘリコプターに積んで行く光景すら放送されている。もはや国ぐるみ、自治体ぐるみでの「運動」であった。
子供たちに見送られて、トラックは動き出した。輸送トラックの荷台、道路に出、速度を上げ始めた車内でとっくに手を振るのを止めた陸士が、共に積込みに掛かっていた同僚に話しかけた。固定された「贈り物」で、彼らの座るスペースは立錐の余地なく狭くなっている。
「――なあ、これどうするんだ?」
「――どうするって、運ぶんだろ? ノドコールに」
「――運んで、どうなるんだ?」
「――さあ……知るかよ」
言い捨てた後で、同僚は不安げに荷物の山を見上げた。箱に詰め込まれた菓子の甘い匂いが此処まで漂ってくる錯覚すら覚えた。それが一層彼の不安を掻き立てた……こんなものでノドコールの同僚の腹が膨れるのかよ、と……それ以上に、こんなもの運ぶ余裕が自衛隊にはあるのか?
「――せめて煙草でも入れてくれればいいのに」
疑念を口には出さず、ただそれだけを彼は言った。
日本国内基準表示時刻1月9日 午前11時09分 宮城県南部 某総合スーパーマーケット
『――小学校の子どもたちにより詰められた手紙とお菓子は、自衛隊の輸送トラックにより速やかに仙台国際空港まで運ばれ、有事徴用機により空路スロリアの自衛隊基地に運ばれる予定です――以上、〇〇小学校より仙南地方局須藤 慧憐がお送りしました』
カーナビの画面が、民放の定例ニュースを流している。昼が迫っていた。
11時前に職場を抜け出せたのは僥倖だ。ルーチン通りに銀行で支払いを済ませば、そのまま職場に戻る足でスーパーに入り、惣菜売り場名物の洋食弁当にありつける確率が飛躍的に高くなる。
朝、幼稚園に上がる子供を送り出す道程で走った国道はその狭さもあって渋滞気味であったのが、昼近くにはそれも水を打ったような閑散に席を譲る。田畑の海に時折家屋と集合住宅が浮かぶ道沿いの光景が、軽自動車の車窓から流れて過ぎる。地方の長閑な風景である……そう、年初からいきなり戦争が始まってもなお日本は長閑であった。同じく大きな戦争をやった三年前の年末もそうであったように記憶している。
『――防衛国債の販売が好調です。第〇△回発行分は一カ月で売り切れ、財務省の担当者によりますとこれは予想を超える売れ行きのペースであるとのことです』
流れるニュースを聞き流し、佐藤 徳香は踏んでいたアクセルペダルを少し開けた。それまで遥か前方を走っていた筈の軽ワゴン車との距離が急速に詰まっていた。目的地たるスーパーマーケットに面した道で、速度を落とした軽ワゴンが左折から駐車場に入ろうとしているのが見えた。
同じく駐車場から出る車をやり過ごし、広い駐車場に軽自動車を滑り込ませた。駐車場は閑散としている。買い物の車で埋まり始めるのはここからなお半時ほどを待たねばならない。遠い隅っこ、待機か早い休憩か、大きなトラックがまる二台分の駐車スペースを使って停まっているのも見える。
『ノドコール奪還 勝利祈念セール』
「…………」
強化ガラス張りの入口に張り出されたポスターを、徳香はまじまじと見上げた。「勝利祈念」――今週に入り、立ち寄るスーパーや量販店で目立つようになったフレーズだ。戦争が行く処まで行けば、「勝利祈念」が「勝利記念」に変わるのだと、このスーパーより大きい、遠くのショッピングモールに勤めるママ友が教えてくれたのを徳香は思い出した。「まるで日本シリーズの優勝記念セールだね」と、ママ友たちの間で笑いあったものだ。今では戦争が、プロ野球と同じ範疇の話題になっている。三年前は皆、戦争を語る度にこの世の終わりが来た様な深刻な顔をしていたというのに……
買い物籠を取って徳香は店内のより奥へと歩を急いだ。疎らな人影には老人が目立つ。その間を店員が忙しげに行き交っている。昼食時のかき入れ時に備えた慌ただしさだ。見慣れたスーパーマーケットの日常の中を、勇ましい曲調のBGMが流れていた。幼稚園児の息子が気に入っている「新軍歌」のBGMだ。アニメコスプレの様な出で立ちの女性ヴォーカルが、やはりアニメソングの様な曲調の中にも格調高く歌い上げるそれは、子供と大人を問わず聞く側の心を奮わせる。配信サイトのサムネイルに、「防人の運命に従うひとへの賛歌」という副題が付いていた気がする。最近の日本ではこの手の音楽が増えている。まるで、任務に従事する自衛隊員をアニメかマンガの主人公に準えたかのような歌ばかり――
「防人の運命に従うひと」――うちのタケチーはそんな柄じゃないんだけどな――戦地ノドコールに出征した「タケチー」こと弟 沢城 丈一のことを思い、徳香は表情を曇らせた。
弟は三年前の「スロリア有事」のときにはすでに防衛大学校の学生であって、岡山の実家ではそのタケチーを呼び戻すべく家族会議まで開いたという。その時は戦争が早期に終わり、タケチーの出征という悪夢の様な展開は無くなった筈が、それは結局のところ悪夢の先送りでしか無かった様に思う。長じてまた戦争が始まり、とっくに任官していたタケチーは徳香夫婦と子供たちに見送られて佐世保の港から海路出征して行ったのだ。不安だらけの見送り――しかし子供たちにとって、初めて宮城を出た長い旅行と若き陸自幹部たる叔父、そして自衛隊との触れ合いは、いい思い出として印象付けられた様に母親には思われた。
惣菜売り場に並ぶ目当ての弁当を籠に入れ、徳香は店内を暫く廻った。帰社予定時刻までは十分に余裕があるし、帰社する会社も夫の親類が経営する小さな自動車整備工場で、経理の手伝いを頼まれてバイト感覚で働いているというのが実相といったところでそれ程大仰な話ではない。戦争中であること、弟が自衛隊幹部であるのを切欠に、民間人たる彼女も自衛隊と関わりを持ってしまったことを除けば、岡山から遠い宮城に嫁入りした徳香の生活は、緩やかな時間が支配するところとなっていた。
雑誌スペースに置かれた子供向けの図鑑に、彼女は心持ち愁眉を開いた。
「たたかうのりもの」――そう題された子供向け図鑑、表紙に戦車と戦闘機の写真が映える小振りな本を、徳香は手に取って籠に入れた。以前子供ふたりを連れて買い物に出たとき、息子がこれを物欲しげに眺めていたことを彼女は思い出していた。
図鑑の他、消耗品と菓子をいくつか買い込んでスーパーを出た路上、散歩中の保育園の子供たちが歩道から手を振るのを徳香は見た。対面、山の様に巨大で暗い緑色の車列、陸上自衛隊の車列だ。歓声を上げる幼子に応えるかのように、装甲車のセンサーカメラが何度も頷く。車上の隊員も笑顔で手を振っている……軽自動車は車列と行き合い、そこから速度を上げた。状況が変われば、彼らもまた本土を離れることになるのだろうか?
『――防衛省 統合幕僚監部発表によりますと、ノドコール中央、KSことキズラサ国首都キビル前面より幹線道路沿いに大規模な敵兵力の集結を各種情報収集活動により確認、PKFノドコール方面派遣隊はノドコール中部及び南部より前進北上し、KS軍主力に対する攻勢を実施する予定です』
カーナビの画面では現地地図を背景に、有事関連のニュース放送が続いていた。とは言っても日本が戦争に負けて、暴虐な敵軍が土足で日本本土に踏み込んで来るという悪夢を想像する者は今となっては皆無に等しい。それ故に余裕を持って異世界の戦況を傍観していられるのだ。ただし、親族に自衛官がいる徳香の場合、事情は少し違う。
ポケットの携帯電話が振動し、メッセージアプリへの着信を告げた。信号待ちで停止したところで開いた画面に、徳香は眉を曇らせた――グループ名は、「隊友会」。グループを開く指が自ずと震えた。来るべき時が来たのだとも思えた。
『――本日1630 喪服着用で〇×会館前で合流 お願いできますか?』
「…………!」
絶句した。喪服という単語と、事あるに備えて既に話を通していた葬儀場の名。「戦死者」の葬儀の手伝いという、これまでに何度か参加した会合での「有事」を想定した取り決めが徳香の脳裏を目まぐるしく廻った。背後からパッシングされなければ、彼女は何時までも交差点の前に車を佇ませて、困惑を持て余し続けていたのに違いなかった。やや乱暴な加速で交差点を抜けて暫く走った先、徳香はコンビニエンスストアの駐車場に滑り込む様にして車を停めた。ランチのことなどとうに忘れ去っていた。震える手で再び携帯電話の画面を開く。
『――亡くなったの誰方ですか?』
『――横光さんとこの祐志君。第5旅団にいた。五時ぐらいに御遺体がお家に帰って来るみたい』
「…………」
横光さんが……前に会合で顔を合わせた夫婦の姿を思い出し、徳香は悄然として画面を見つめた。横光という名字の、農家も兼業する市役所勤めの夫と専業主婦の妻は、老境に差し掛かった年齢であることを差し引いてもただ大人しさと影の薄さのみが徳香の印象に残っていた。彼らの子、陸上自衛官としてノドコールに赴いた横光 祐志一等陸士は四人兄弟の末っ子で、出征の時点で二十歳になったばかりであったのを徳香は覚えていた。横光家の兄弟で自衛官になったのは彼だけだ。
その横光 祐志が「戦争」で死んだ。戦死の状況はわからない。岡山県出身の幹部自衛官の姉である徳香が、主に退役自衛官と民間の自衛隊関係者とで組織される「隊友会」宮城支部に参加したのは、単に員数合わせとして頼まれるがまま、軽い気持ちの為せる業であった筈が、今となっては傍観を許される立場だと一瞬でも考えたのは、余りに不遜であった。自衛隊員戦死の報は宮城県の各地からもぼつぼつと上がり始めていたが、それでも出身地から戦死者が出ていない地区の方がまだ多い。その順番が、徳香の家がある地区にも廻って来た形だった。
「まじかぁー……」
ハンドルに突っ伏し、徳香の思考は廻った。頼まれごとを拒否する選択肢は最初から排除していた。主婦であるところに手伝いに出るからには昼からの予定も大きく変わる。仕事は早引けするべきだろうか? 夕飯の支度も慌ただしくなるだろう。子供たちの迎えは夫に頼むべきか……いや、夫は定時で上がれるとは限らない。夕飯も含めてお義母さんの家に頼んだ方がいいのか――地方の長閑な日々が、徳香の脳裏で一転していく。ハンドルから頭を上げ、ふと見遣ったコンビニの入口――
『わたしたちは自衛隊員のみなさんを応援します』
まるで新商品の販売広告の様に目立つ一文は、徳香の困惑に名状しがたい動悸を添えた。
日本国内基準表示時刻1月9日 午後0時23分 東京都港区赤坂 TTSテレビ/ラジオ放送センター 情報番組「ひるまち!」
『――政府は本日午前中の閣議で、予備登録法案の国会提出を閣議決定しました。法案は新世界情勢に対応した重要法案として国会における審議に掛けられる予定ですが、法案の、特に予備登録の対象年齢及び適用する公共サービスの範囲を廻り野党二党の烈しい反発が予想されます』
「白石さん、今回審議対象となる予備登録法案ですが、具体的にはどのような法律となるのでしょうか?」
『――えー……予備登録法案ですが、これは18歳から26歳の日本国籍を有する男女を対象に、志願登録した該当者を定期的に召集し、学業及び社会生活に支障の無いと判断される期間、予備自衛官訓練生として必要な訓練を実施していく法案になります。適用対象は全国の陸上及び航空自衛隊、海上自衛隊の一部です。所定の訓練を修了し任官したこれら予備自衛官を必要に応じて召集し、主に後方支援任務に従事させるのが今回の法案の骨子です。登録窓口としては全国の陸海空自衛隊地方連絡本部の他、市町村役場及び高等学校以上の各種学校を想定しています』
「訓練ですが、登録者には日常の仕事の他、学業もあるわけですよね? 訓練に臨む場合、日常生活との兼ね合いはどうなるのでしょうか?」
『――法案によりますと、登録者が在籍している民間企業及び学校には国庫より助成金が支給されます。その代償として、職場及び学校は在籍する登録者が訓練及び実任務に速やかに従事するために日程の調整等便宜を図る義務が生じます。これらを理由にした解雇等不当な扱いも当然違法となります。また、登録者が訓練及び実任務に従事するのに必要な交通費及び宿泊費等諸費用は自衛隊より支給されます。それ以上に着目すべきは、予備登録者には特典として公共サービスの提供に関し、あらゆる面で便宜の提供が行われると法案に明記されている点であると思われます』
「それはどのような便宜でしょうか?」
『――登録者には学費の一部あるいは全部免除の他、奨学金取得審査の際予備登録の有無が考慮されます。医療費及び資格取得に必要な費用の減免も実施されます。そして映画館及び競技場等の娯楽施設利用時の入場料の割引、商業施設及びコンビニ、ショッピングサイトにおけるカード及び携帯アプリによるキャッシュレス決済時の特典付与、ローン審査時の優遇も各業界内ではすでに検討が始まっています。また、厳密には便宜ではありませんが、一般公務員試験及び企業の採用試験の際にも書類審査で予備登録の有無が記載項目になる見通しです』
「それはつまり……将来これら機関及び企業の採用に関し、予備登録が必須になるということでしょうか?」
『――取材に応じてくれた政府関係者によりますと、あくまで召集時に発生する混乱……と言いますか齟齬を回避するための記載事項であるとのことです。将来予備登録法が施行された際、具体的な対応は当該各機関及び企業側に一任されるのではないでしょうか。ただ、東京に本社機能を有する企業、いわゆる大企業の多くが採用時の書類選考において予備登録の有無を明記させる方針を決めており、予備登録の事項が入社希望者にとって不利益にならないよう採用時に配慮する意向を見せています。以上、報道部でした』
「白石さん、ありがとうございました」
「これ、形を変えた徴兵制だと思うのですが、鶴田さんどう思われますか?」
「これが行きつくと有利な特典を得るため、高給も得られてかつ安定した職業に就くためには予備登録しないといけない世の中になるわけですよね。憲法の保障する職業選択の自由に抵触する恐れも発生します。由々しき事態到来といった印象ですよね」
「いやいや、私が心配するのはむしろ予備登録者の方が会社の選考上不利になる可能性です。登録して予備自衛官に任官した際には当然訓練と任務に拘束される時間が出るわけで、政府が幾ら補償するからと言っても欠員のリスクを負う予備登録者の採用には及び腰になるのではないですか? 小幡さんどうですか?」
「わたしが防衛省関係者から得た情報によれば、特定の規模以上の企業に予備登録者の採用枠を作らせ、不履行の場合は政府発注事業への入札参加禁止措置も想定しているようですけどね。もちろん、規模の大小を問わず採用枠を設けた企業に対する優遇措置も検討されています」
「それは市場競争の原理に抵触するのでは?」
「そう思われるのならば該当しない企業も予備登録者に対しそれなりの優遇措置を検討するべきです。いまは非常時なんですよ? 非常時に競争もクソもありますか? 労働者の福利厚生を蔑ろにする抜け駆け的な長時間労働やダンピングも平時ならば通ったでしょうが、今回ばかりは大企業のみならず中小企業も協力して頂かないと国が滅びるわけです。予備登録者が働きやすい環境を作る一方で、それを阻害する因子は政府が先頭に立って排除するべきでしょう」
「それはかなり乱暴な議論だなあ……」
「確かに言い過ぎましたが、国を挙げて戦争をしているのですから、銃後の我々としては前線に立って戦う人間が安心して任務に従事できる環境を用意してやらねばならないのです。これまでの対応を見るに、企業や公機関も含め、銃後にその意識が醸成されているとは言えません」
「ミーコちゃん、これどう思う?」
「だいたい疑問なんやけど、この戦争に勝ってスロリアからローリダ人を追い出したところで、わたしたち何か貰えるんですか? お金とか、特典とか」
「まず平和は手に入ります。そしてノドコールまでを包括する開発と投資の権利も確保できるでしょう。それは廻り廻って日本国内に新たなビジネスチャンスと雇用を生みます。私個人としてはこれ以上にローリダにも賠償金を要求するべきだと思っています。何であるのならばローリダの領土でもいい、政府は要求するべきです」
「まるでローリダみたいなこと言うなあー。世知辛いわ」
「言うも何もこれ要求しないとローリダ以外の強国に舐められるからなんですよ? 三年前と同じく当のローリダにもまた舐められるでしょう。我々が流れ着いたのはそういう世界なんです。戦国時代も同然ですよ」
「鶴田さんそれは政府方針に反しますよね」
「強国の理不尽には断乎として対処しつつ、弱い立場にある中小国の意志を代弁し平和を尊重する、という政府方針には反していません。ローリダは守るべき小国ではありません。叩き潰すべき敵です。だいいち日本はローリダを国とは認めていません。小幡さんミスリードは止めてください」
「しかしこれ以上ローリダを追い詰めるのは問題だ。どんな手を使って来るかわからないではないですか。仮にも核保有国なのですからそこは慎重に……」
「核なんて我が国の技術力と財力を以てすればすぐに保有できます。実はすでに保有しているとか公然の秘密とかいう表現も見られるようになりましたが、そうであるならより強力なものを作るべきですし、使用は政府の決断の問題です。でも自民党だもんなあ……」
「共和党ならできるのですか?」
「何度も申し上げておりますが、我々共和党は『転移』前より核兵器の保有と管理、運用に関わる一切の議論を続けています。我々なりの自信もある。持っているだけで何もしない自民党とは違う」
「いやいや持っているという言い方はまずいよ! 仮にも国会議員が!……」
「あんたも国会議員だろ! 前線じゃ数万人の自衛隊員が身命を賭して戦っているんだぞ! 銃後の国民がそんな弱気でどうするか!」
「はい! ここでCM! CMになりまあす!」
ノドコール国内基準表示時刻1月9日 午後13時00分 ノドコール南部 ロギノール市南 ロギノール港
分厚い灰色の雲海、いわば天上を刺し貫く日差しが、水平線の一点に延びて銀灰色の海原を金色に照らし出す。それはさながら海上に生まれた金色の花畑だ。水平線から離れた海岸線に在る身ではあっても、眺める者の網膜を灼くのに十分な光であった。眺める内に、心もまた水平線の彼方へと跳んでいくのだ。過去の記憶もまた、彼方へと遠ざかればいいのに――
「おい」
「…………」
「佐藤!」
「ひっ!」
ドスの利いた声で呼び掛けられ、二等陸士 佐藤 直人はバネの様に背筋を奮わせた。ここは戦場、自分が何者であるのかを掘り下げる場合ではないことを、直人は改めて自覚する。機械の様な動きで振り返った先で、腕を組んだ大男がヒラの二等陸士を睨んでいる。傍目から見れば人生が終わったかの様に思われるシチュエーションだ。無精髭、熊を思わせる頑健な体躯に加えて重厚な旧型防護服という組み合わせが、まるで人智を超えた異形という印象を、自衛官なり立ての若者に思わせた……やはりこの人には、巨大な両刃斧が似合うと思う。我ながら典型的なソシャゲ脳だと思う。
「独りでぼさっとするな。ロメオの便衣兵に狙われるぞ」
「あ……はっはい!」
拍子抜けし、次には我に帰る。陸曹長 向山 秋憲が頭ごなしに部下を怒鳴る様な粗暴さとは無縁な人間であることはとうの昔から判ってはいたが、彼の魁偉な容貌に接する限り、どうしても警戒が先に立ってしまう。それでも、自衛官としての直人の態度は不適切に過ぎるはずだ。予備自衛官として入営以来幾多の訓練を重ねて来てはいても、なお一般人であった頃の癖は抜け切れていない。特に人見知りのはげしさなどは……
歩く脚は、向山曹長が早かった。自然、付き従う様に後を歩く直人に、曹長は語りかけた。
「しかし、良く考えてみればおれたち不運だよな。本来なら留守番要員なのに、今じゃ当然の様に最前線だ」
「りょ、旅行と思えばいいんじゃないですか?」
鼻で笑う音を、呆れたのだと察する。「成程、おれはガイドか」
「い、いえ! そんなわけでは」
「海の向こうを見ていたろう?」
「はい」
「おれも海を眺めながら一服つけようかと思っていたが、予定が急いている。おれたちが働かないと、前線のやつらが困る」
「そうですね……」
うつ向き気味に、直人は言った。旅行という言葉を使ったのは強がりの積りであった。実戦経験など当然の様に無い。それ以前に本土で実施した訓練は基礎応用含めて合わせて半年程度、それなりに辛い訓練ではあったが、ここノドコールで役に立つとは思えなかった……そう思わせるだけの話が、主戦場たる北からどんどん下ってくるのだ。それも、ここロギノールに到着して一日も経っていないうちに――佐藤 直人の所属する第196特設普通科連隊は、先日に「戦地」ロギノールへ展開を果たしたばかりであった。
特設普通科連隊といい、あるいは予備普通科連隊ともいう。本来、制度発足にあたり後者の呼称を充てられる予定であった筈が、呼称上正規の普通科連隊との間に「格差」の存在を想起させるとして、特設という呼称を用いられる運びとなったが、当の陸上自衛隊内部ではこれらふたつの呼称が、好悪いずれの感情の有無に関わらず未だ併存しているのが現状であった。但し特設普通科連隊はその部隊番号に三桁数字を用いるため、番号と連隊称号のみで正規連隊との区別が容易になっている。
定期的に実施される集合訓練と召集に応じる他、一般社会において生活の基盤の大半を置く予備自衛官及び予備自衛官補を、短期間のより実践的な訓練を経て前線に送り出す。その際彼らと彼らを指揮監督する少数の正規自衛官を以て連隊規模の部隊を編成し前線後方における補助的な任務を担わせる――「転移」前より、東アジア有事に備えて継続された予備自衛官の増員事業の結果として、「スロリア紛争」時に彼ら予備自衛官を中核として複数の「臨時支援大隊」が日本国内に編成されて駐屯地業務及び軽度の災害派遣等の任務に従事し、前線の作戦行動を支えた程、兵力面での余裕を見るに至った。後には、紛争後の地域復興業務に従事するべくスロリア中部まで渡洋した大隊も出ている……これが、連隊規模にまで拡大したところで陸上自衛隊はノドコールの有事を迎えた。
短時間のブリーフィングの後、コンテナ輸送仕様の10トントラックを囲む形で、車は隊列を整えた。岸壁に張っているラフタークレーンと大型フォークリフトの威力でコンテナ積載そのものは楽だが、目的地の基地ではコンテナを開けての辛い荷下ろしと補給物資の仕分けが待っている。かつては上陸地点であった荷揚げ地点、回送を待ち山積みにされた空コンテナを横目に車列は動き始める。基地の維持と前線の作戦を維持するために、本土より海路にて敵地に運び込まれた補給物資を、次には陸路を走って運ぶ輸送車両部隊だ。
車列の最後尾、それ故に未だ動き出せないでいる3トントラックの荷台に、直人は難渋しつつ脚を掛けた。覆いの無い緑の地肌剥き出しのヘルメット、甲冑の様な旧型ボディーアーマーの上に89式Ⅱ型小銃を背負った身では上がるのにもひと苦労――荷台から差し出された手を、微笑と共に握り返す。
「有難う。早いなあ」
「いい場所だからな。駄弁るには」
マスクから覗く細い眼が笑っていた。完全装備に身を包んだ彼の表情を直人が伺う手掛かりはそれだけであった。「曹長どのも工夫すればいいのに」と、手にした電子タバコをボディーアーマーの裏に隠して彼は右の銃座に付く。直人は左銃座の担当だった。本土の予備倉庫から引張り出して来た74式7.62mm車載機関銃を据え付けた反回転式の仮設銃座がふたつ。迷彩した民生トラックに載せるには過分な武装かもしれない……尤も、彼らふたりの足下には連隊隊員の装備や荷物が塵山の様に積っている。そして銃座のすぐ下に固縛された「対装甲火器」たる110mm個人携帯対戦車弾――イヤホンに繋いだ無線機に、指揮通信車に詰める向山曹長の声が空電混じりに聞こえる――『――各車、配置に付き次第報告せよ』
「李くんは休憩の間ずっと独りでそこにいたの?」
「もうひとりいたよ。短大生のアキちゃん」
「あ!」
荷台に上るまでの道程で行き合った他小隊の女性隊員の顔を思い出し、直人は思わず声を上げた。直人と「李くん」こと二等陸士 李 懸一と、他小隊に女子短大上がりで可愛いと評判の予備自衛官がいることを前日語り合ったのを直人は思い出していた。先刻遭った「アキちゃん」がまさにそれだった。19歳で未だ童貞の身で、つい十数分前までこの荷台で行われていた事を聞くのは堪える。しかし余りにフリーダム過ぎるとも思う。
「手が早いなあ……」
「帰ったら聞かせてやるよ」
「どうだった?」
「慣れていたのは確かだな」
「…………」
あんな清純そうな顔で――長い黒髪に白い肌、円らな瞳の「アキちゃん」を思い返し、直人は内心で暗然とした。いままで意識しないよう努めていた積りが、裏切られた様にも思えた。女に免疫が無いという自覚はあったが……無線機の共通回線と背後で同時に、懸一が鼻で笑うのを聞く。
「ナオトも探せばいいじゃんか。風見さんなんかどうだ? いつも欲求不満そうだぜ?」
「冗談!……」
言い掛けて、また笑われた。初心な相棒を嗤ったというよりも自分で発した冗談がツボにハマった様な笑いに聞こえた。李くんはいつもそうだ。やることなすことが嫌みに見えない。
直人の眼前、一台の背の高い車が地響きを立てて停まる。野戦救急車仕様の軽量戦闘車だ。最初の護衛任務を終えて到着した北側の基地を早朝に出たときには、直人らはこの車の直援を任されていた。天井の分厚いハッチを開けて覗いて来た眼つきの悪い女を前に、直人は顔を引き攣らせた。「あ!……」と言う間もなく眼前に飛び込んできた空き缶を避け切れず、まともに受けた鼻柱が火花と激痛を生んだ。共通回線が生きているのを忘れていた自分を心から呪った。
「コラ! 誰ぁれが欲求不満だ!」
三等陸曹 風見 操の怒声は、イヤホンをした耳ではあっても烈しく響いた。口が悪い上に李くんとは違う意味で手が早い。しかし看護師の彼女は今や特設連隊衛生小隊の本部要員として総勢六百名を超える連隊員の命運を一手に握っている。噂では夫の不倫と使い込みが理由で離婚し、子どもの親権と慰謝料の支払いを廻って散々揉めたところで半ばやけくそに入隊を決めたともいうが……それもさもありなんと思わせるほど癇が強い。と言うか怖いと思える。
気が付けば背後から李くんの気配が消えていた。足許に潜って雷をやり過ごす積りなのだ。為す術を知らず、なおも歯をむき出しにした三等陸曹に睨まれて直人は本当に震えた。不細工ではない女の顔が怒っている。美人だが「アキちゃん」の様な清楚さと瑞々しさが無いのは年齢相応か……そのとき間の抜けた男の声が下から聞こえ、それは悲鳴となって緊張を破った。
「風見さぁーん! 開けてくださーい!」
排気煙と砂塵に塗れ、息を切らせた男が軽量戦闘車の後部ドアを叩く。首から89式Ⅱ型をだらしなく提げた様が、熟練した正規隊員と半分民間人の予備自衛官との差を嫌でも印象付ける光景に見えた。敵意を直人から下界に向けた風見三曹が、教育隊の鬼班長張りの罵声を上げた。
「吉永ぁ! 今何時だと思ってるんだバカ! 飛行場まで走って付いて来いや!」
「ふええごめんなさぁい! トイレ行ってたんですうぅぅ!」
「飛行場まで一時間じゃねえか! それぐらい我慢しろよバカ!」
「そんなあああああ!」
周囲の車からどっと笑いが生まれた。締め出され、泣き顔でドアを叩く軽量戦闘車の銃手、陸士長 吉永 剛の姿を、直人だけではなく懸一もまた荷台の防弾板から身を乗り出して眺めている。
入隊前は専門学校を出て地方都市で派遣のSEをしていたという吉永陸士長は、在職中に自衛隊の中枢で働けるという希望を抱いて予備自衛官の門を叩いたというが……直人らと同じく小銃を担いで後方支援業務に従事している今となっては、中枢はおろか師団のシステム管理部門で働くだけの経験も技術も無かっただけだという陰口が飛ぶ有様だ……ただし、直人にはこの吉永陸士長には別の感情があった。出征直前に訓練を共にしたとき、たまたま同じアニメのファンだということがわかり、吉永陸士長とは意気投合したのだった。彼とはそれ以来の仲だ。荷台から半身を乗り出し、直人は声をかけた。
「ヨッシーさん、こっち来て。早く乗って乗って」
「佐藤くぅん……!」
涙と鼻水、そして砂塵に塗れた顔を向けて、「ヨッシー」こと吉永陸士長は更に泣いた。泣く泣く荷台に身を乗り上げては失敗する陸士長を、直人は防護服の取っ手を掴んで引き上げた。何時の間にか懸一の手も伸びて手伝いに掛かっている。その様に目を更に怒らせ、風間三曹が怒声を上げようとしたところに通信が入って来た。誰何の声だ。
『――ストライダーより103号、103号応答せよ。応答せよ。おくれ』
『――李配置に付いた』
『――佐藤配置に付きました』
言いつつも、ともに配置には付いていなかった。ずぼらが過ぎるが、それにも構わず向山曹長の指示が続いた。
『――伏撃に注意しろよ。まさかというときに敵は撃って来る。それは今日かもしれない』
『――了!』応答したのは二人同時であった。
『――ストライダーおわり』
通信が終わるや否や、懸一が運転席の天板を叩いた。配置完了と出発を促す合図だった。銃座に付いた直人の眼前を、銃座に付いた風間三曹が忌々しげにガンを飛ばしながら過る。軽量戦闘車の後に付いて、武装トラックも走る。速度を上げたコンボイの中で港に滞留した潮臭い風が、心地よい向かい風へと変わりゆくのを肌で感じる。コンクリート打ちと砂利敷きが交互に続くローリダ製の幹線道路の舗装は悪く、車は時折激しく上下に揺れた。敵襲に備えなければならない事を除けば、直人はこの瞬間が好きになり始めている――定時制高校で机を並べた李 懸一と共に予備自衛官に志願して、未だ二年も過ぎていなかった。
中学時代の二年間を通して不登校――引きこもり――になった佐藤 直人が17歳にして関西にある定時制高校に入学したとき、18歳の李 懸一はすでに建設現場で職工として働いていて、生来の険しい美形と長身の上に少年離れした貫録すら漂わせていた。一度ならず「特攻服」姿で教室に姿を現したこともある。それが線の細い直人を却って警戒させたのではあったが、むしろ最初に直人に声を掛けてきたのは「李くん」の方だ。英語の小テストのとき、偶然隣の席を占めた懸一が、監督の教師が所用で教室を出たのを見計らう様にこう囁いたのである。
「――なあ、こいつの意味教えてくんね?」
「――…………?」
驚くと同時に呆れ、次には素っ気なく答えを言う直人がいた。とにかく、関わり合いになるのを避けたかったのだが、何故かそれから、直人の日常に懸一が交差する様になった。授業がある度に懸一は直人の隣に座り、しきりに課題や講義について質問をするようになったのだ。ノートのまる写しの要求などは日常になった。かと言って要求しっぱなしというわけではなく、入学して最初の夏、懸一は直人をアルバイトに誘った。当然、建築現場のアルバイトであった。肉体労働に尻ごみする直人を、懸一は早朝から半ば強引に現場まで連れ出したものであった。重労働という予感は的中したが、実入りは良かった。
それから、夏冬にまとまった休みが生まれる度、直人は懸一に誘われるがまま建設現場で働いた。カネも貯まったし体力もそれなりに付いた様に思う。建設会社の正社員とフリーター……その肩書のまま、李 懸一と佐藤直人は友人となり、共に予備自衛官となった。直人の場合、高校を出たところで行くべき処を見出せなかった、ということもある。言い換えればモラトリアムだ。直人には自分が何をやりたいのかが、わからなかった。そのわからないところで、予備自衛官部隊という脇道が見えて、若者は安易に飛び込んだ。その結果――
『―――――――ッ!』
直上――タービン音を獰猛に嘶かせて回転翼の影が車列を過る。「グリフォン」こと友軍のAOH-01攻撃ヘリコプターだ。先日、ここ戦地ロギノールに第一歩を標したときにもそいつは直援に車列の上空を飛んでくれた。幾度か車列の頭上を旋回し一足早くロギノール飛行場まで遠ざかりゆく攻撃ヘリの機影を見送るうち、戦場に踏み入ったのだという感を強くして直人は震えた。武者震いだと思いたかったが、やはり怖くなったのだ。かといって引き返すことはもうできなかった。車列に沿って直進加速を続けていたグリフォンが不意に上昇し、より高空を旋回する態勢に入った。車列の周囲を監視警戒する積りなのだろう。免疫の無い者ならばすぐに目を奪われるほど滑らかで素早い機動であった。
『――あのヘリに、蘭堂健太郎が乗ってるんだろ?』
『――え、そうなの?』
直人と同じく74式機銃の銃口を、廃墟と化した街へ廻らせつつ懸一が口走る。荷台の反対側で警戒に当たる直人と吉永士長にとってそれは初耳だった。直人たちが空路日本を発ちロギノールに到着する寸前に、ノドコール中部山岳地帯の戦闘で生まれた「英雄」――二等陸尉 蘭堂 健太郎の武勇譚はとうに特設連隊の予備自衛官の間にも伝わっていたが、その当人が連隊司令部の所在するロギノール飛行場で自分たちと「同居」しているという実感はあまり無かった。尤も、戦線の後方に在って支援業務に従事する直人らにとって、航空部隊が本土に居た頃から縁遠い存在であったことも原因かもしれないが……
『――港の海自に聞いたんだ。無線で声が聞けるからわかるって』
『――盗み聴きってやつ? いいのかな』
『――いいんじゃね? よう判らんけど。何なら聴いてみるか?』
とぼけた口調に、直人と吉永は思わず噴き出した。肝の据わり方が違うのか、懸一の態度は本土に居た頃と全く変わり映えがしていない。その一方で戦地に進出を果たして一日も経たない内に心身の不調を訴えて医務室送りになった予備自衛官が少なからずいる。李くんに背中を守ってもらっている限り、この戦で死ぬ心配はせずともよさそうに直人には思えた。
沿道に集まって車列を見送る人影は、先日よりも数を増していた。街の大多数を占めるノドコール人が、戦火の退いた街にぼつぼつと戻って来たのだと判る。かつてロギノールを支配していたローリダ人では、勿論無かった。民族衣装を纏った褐色の肌が自衛隊の輸送部隊に歓呼の声と共に手を振る。祝福の花弁を投げ掛ける娘も見えた。それに対し車上の予備自衛官も笑顔で手を振り返して応じる。笑顔で手を振る子どもたちに向かい、車上より菓子類や戦闘糧食のパックを投げて寄越す隊員もいる。敵地の住民に歓迎される解放軍の、それは典型的なまでの構図だった。
『――現状敵影無し。なお警戒は続行中』
『――ドローンからも見えている。明日にでも物資の空中投下が始まるそうだ。ノドコール人の食糧事情も多少は好転するだろう』
「…………」
飛行場にある連隊司令部からの交信が聞こえ、直人は耳を欹てるようにした。自衛隊機からの救援物資投下の話は直人ら予備自衛官部隊の間にも広く伝わった話だった。何より、乗務しているトラックにスピーカーを付けて住民への宣撫放送を行う案が持ち上がっている。その放送の中に、救援物資の投下時刻と地点を伝える予定があると聞いている。投下時の航空管制と投下地点の安全確保のため、本土から海空自の降下救難員を増派する話すら持ち上がっていた。救難員は現地において医官を補佐する形で医療活動の実施も期待されている。その分、日本本土の救難、災害派遣業務に支障が生じるかもしれない。「救難部隊を護衛する任務も発生するかもしれない」とは向山曹長の言だ。護衛、それはつまり――
『右前方400メートル先に不審な人影がいる。警戒を厳に』
「――――ッ!」
瞬間的に込み上げて来る緊張に任せ、直人は74式機銃の重い銃身を廻らせた。制式の銃架とは違う、娑婆では溶接職人という予備自の手によるレール式の自作銃架だった。ただ銃自体が支柱の上でクルクル回るだけの制式銃架を、皆が「クソの役にも立たない」と切って捨て、それが勢いで通ってしまう位スロリアの実戦経験が本土の予備部隊でも幅を利かせている。ひと昔前――特に「転移」前――ではあり得ないことだったと嘱託の予備自教育担当官は言っていたものだ。それでも、撃つたびに手の込んだ分解整備を要求する74式機銃の「気難しさ」は払拭できていないが……誰もがその「手入れ」が嫌で、直人は銃手を半ば押し付けられていた。李くんは?……同じ74式機銃の銃座に在って、外を眺めつつ悠然と電子タバコなんぞ吸っている。これで射撃も直人より巧いし、手入れの手際もいいのだ。
銃身にポン付けされたダットサイトの光る中心に、瓦礫の陰で蠢く人影が重なった。心持ちか車列の速度が上がったのを体感する。銃口こそは向けているが弾丸の装填はしていない。機銃手の場合、命令が出るギリギリまで射撃はおろか装填すら現状では許されていない。実際、口径の大きい分だけ74式機銃は撃てばとてつもない威力がある。現地で多用されている干し煉瓦造りの壁など簡単に粉砕してしまう位に――反撃できない恐怖よりも、生身の人間を撃ち殺してしまう恐怖の方が今の直人には大きかった。それが無抵抗の民衆ならば特に……民間人と戦闘員の区別を付けられずに混乱の中で死んでいく兵士が多いと、直人は基礎教育で教えられていた。
荷台の後部では吉永陸士長が陣取って89式Ⅱ型小銃を外に向けていた。特に後方支援部隊、あるいは予備自衛官と治安機関が使用すること想定した89式小銃の機構簡略型。ピカディニーレールを標準装備したハンドガードに伸縮式の銃床という外見は従来型より遥かに一新されていたが、一方で連射機構と三点バースト射撃機構がオミットされている。「新兵の無駄撃ちを防ぐためらしい」とは、それが授与されたときに盛んになされた噂であった。つまるところこの銃は、予備自衛官が本格的な実戦を想定していないことの、何よりの例証だ。
走る車上故に臨む視界が変わる。銃口で睨む人影が瓦礫の陰から出て、それは日差しの下でバラックを組み立てる現地人の姿となった。
『――ドローンより報告。周辺に敵影無し。前路上に敵影無し』
「…………」
溜めていた息を吐き出しつつも、銃の構えは崩さない。戦闘終了を告げられても油断はするなとは本土で喧しい位に叩き込まれている。車列の移動中は始終中型ドローンが上空をくっ付いて警戒している手筈になっているが、隊員の中には隊制式のドローンでは数が足りないということで、自腹で小型ドローンを購入して持ち込んでいる者もいる。これにはさすがの上層部も禁止令を出そうとしたが、それを一喝で押し切ったのが、当の196連隊長であった……イヤホンの中で聴きなれた歌の前奏が始まり、次には明るい女性の歌声を運んできた。
天に代わりて不義を討つ
忠勇無双の我が兵は
歓呼の声に送られて
今ぞ出で立つ父母の国
勝たずば生きて帰らじと
誓う心の勇ましさ♪
推しのアニメ声優のヴォーカルによる古い軍歌――発信源たる吉永陸士長が親指を立てていた。思わず顔が綻び、親指を立てて返す。退屈凌ぎに自分で聴いている歌を、直人の音楽プレイヤーにも飛ばしてくれたのだった。もともと軽妙な歌詞だったところに、女性声優の歌声がその明るさに拍車をかけていた。市井では「スロリア紛争」後、急上昇した自衛隊人気を背景に軍歌まがいの歌が多くリリースされたが、結局旧くからの軍歌には敵わなかった……何より、年端のいかない子供でも簡単に歌える点、親しみやすい(!?)アニメ声優の声でカヴァーした点が大きかった様に直人には思える。
砲工歩偵の兵強く
連戦連勝せしことは
百難おかして輸送する
兵糧輜重の賜物ぞ
忘るな一日送れなば
一日たゆとう兵力を♪
歌詞が終盤に差し掛かるのと同時に、周囲から人影は完全に消え、目指す基地の正門が見えて来る。巧妙に配置されたコンクリートブロックと障害物に直進を妨げられた道路、そこから脇に逸れれば埋設された対戦車地雷が牙を剥く。それ故に正門側の銃火は一斉に道路に集中している。
敵の空港施設を流用したそれら正門と土壁の向こう側では、航空機の離発着が活発に続いていた。車列の先頭が今まさに正門を潜ったそのとき、民間の旅客機が本土では見られない急上昇の姿勢で、しかもフレアを撒きながら青天のはるか上へ昇っていく。遅れて爆音と衝撃波が臭い砂塵を舞わせて来た。思えば先々日、連隊の皆はあの様な旅客機に本土は福岡県 北九州空港からまる一日詰め込まれてロギノールの地を踏んだのだ。しかし機内が効率的な兵員輸送を図って二段座席に改装されていた結果、その圧迫感も相まって「空飛ぶ奴隷船」と皆はこの空の旅を嫌がっていた……
正門からやや離れて佇む高地、そのさらに頂上で部下と佇む人影を目にして、直人は内心息を飲んだ。輸送路の視察であるように思えたが……
『――あれ、連隊長か?」
『…………?』
李くんが口走り、直人は思わず彼を顧みた。再び視点を向けたはるか先で、風に晒される連隊長のロングコートは「転移」前に遡る昔、彼が戦ったロシア軍から鹵獲したものだという。使い古した制帽を目深に被りながらも、マスクから覗く鷲の様な眼光が遠方からも伺えそうにも思えた。
第196「予備」普通科連隊 連隊長 二等陸佐 立花 祥悟。今になって連隊長を務めるには余りに年季を積み過ぎた観がある中にも、その特異な経歴故、生きながらに「軍神」と呼ばれ畏れられる男の下で、直人らは任務に就いている。出征の中に生まれた平穏、しかし彼の存在こそが嵐の予兆であるように直人には思えた。




