第二三章 「斬首」
ノドコール国内基準表示時刻1月9日 午前1時27分 ノドコール東部
「――――」
巨大なフロップローターの生む不愉快な振動の中で、海士長 高良謙仁は目を覚ました。不愉快なまでに喉が渇いていた。
反射的にミネラルウォーターのペットボトル手が伸びた。喉を潤す水はだいぶ温くなっていた。喉の渇きも温い水も、異常に効き過ぎるオスプレイの暖房のせいだと思った。赤い夜間照明のお陰で、覚醒した視界が戻るのは早かった。同時に覚醒した嗅覚もまた、濁ったオイルの匂いと金属の匂い、そして硝薬の臭いを拾ってくるのだ――
――激戦の末、恐らくは一カ月ぶりに飛行場としての機能を回復したであろうベース-ソロモンを発進したのは約二時間前であった。ロギノールより北上し、謙仁と彼のSEALチームを拾ったオスプレイが、冷たい硝煙舞うベース-ソロモンに滑り込んだのは、さらに遡ること一時間前のことだ。戦時ながら慌ただしい限りであった。それまで謙仁のチームはベース-ソロモンよりさらに内陸に在って、ロメオの地対地誘導弾を捜索する任務に就いていた。任務が軌道に乗り掛けた途端、任務から引き剥がされるかのようにベース-ソロモンへの移動命令が下った。本土の自衛艦隊司令部の指令だった。指令が届く直前まで、謙仁のチームはすでに二つ目の目標たる輸送車列を攻撃し、ほぼ無傷で離脱に成功している。真の目標たる地対地誘導弾は叩けずにいた。
そのさらに三時間前――
「――全地形対応車はどうするんですか? あのまま棄てて行くんじゃないでしょうね」
「――いまチーム4がノイテラーネから移動中だ。ATVとスカッドハントは連中が引き継ぐ」
「――じゃあ新しい任務は4にやらせたら……」
「――それじゃあ間に合わないとさ。それに……」
「――それに?」
「――分隊長を後送して差し上げないとな」
「――それでうちは誰の指揮下に入るんですか?」
「――後任がC-130でベース-トリントンから来る。ベース-ソロモンで合流予定だ」
チームを収容し、ベース-ソロモンへ移動する海上自衛隊V-22Jの機上で、謙仁たちは語り合ったものだ。語り合った後には、呆れの感情が共有された。折角用意した高価な装備を放り出し、これまでのミサイル破壊とは関係の無い任務に就かせる――海軍用語でいうところの「スマート」ではない、行き当たりばったりな方針転換ではないか? だいいち――
ベース-ソロモンに降りられるのか?――絶望同然の懸念は、機窓に拡がるC-130が、今まさに滑走路に滑り込もうとしている光景を前に七割がた払拭されてしまった。
上空待機を指示されてはいても、C-130の四発エンジンの生む爆音すら聞こえてきそうな近距離であり、低空であった。濛々と湧く土埃すら暗視装置の生む視界の中には生じている。予期していた銃火の瞬きは見えなかった。滑走状態のC-130が転回し、駐機場と思しき空間まで走るのが見える。オスプレイに着陸許可が下りるのと同時であった。フライトモードからホバリングモードへの移行を報せる烈しい震動が機内をも揺らす。使い込んだ89式カービンを抱く手に力を篭め、不安を押し殺す。
『――こちらワルプルギス。高度15000まで上昇、旋回待機する。飛行場周辺に敵影を認めず』
薄暗いキャビンの先頭、コックピットを占める計器類の発する光が夜の星々の様に瞬いている。操縦席に陣取るオスプレイの操縦士が地上と交信する声が微かに聞こえた。
「ワルプルギス」という固有名詞には聞き憶えがあった。ベース-ソロモンに到達する前のオスプレイ機上で行われたブリーフィングの場でその名は聞いた。AC-130Jガンシップのコールサインだ。強力な対地火力を投射可能な攻撃機である筈が、実態は戦闘機に比べて鈍足な輸送機転用の機体。その「ワルプルギス」が中高度以下に降りて地上の友軍に火力支援が可能な程、ベース-ソロモンの戦況は落ち着いてしまっているということか……
「――ベース-ソロモン? 輸送機が降りられるのかよ」
「――それ以前に、おれたちは何をやるんだ?」
フロップローターの生む爆音の中で、囁く様な会話が聞こえる。壺の中の漬物の様に、機内では行き場を無くした疑念が廻り、発酵さえしているようにさえ謙仁には思われた。現地に着くまで任務の内容を明かされないことはよくある。ではあっても明かされない任務に放り込まれるタイミングがおかし過ぎる。自衛艦隊司令部の意図が掴めなかった。
もっとも、謙仁たちがスロリアに出張らずとも、「ロメオ-スカッド」は片付いている可能性があった。何より一時期低調だった空自の航空支援に勢いが戻り始めていた。何よりコックピットで途切れぬ交信に耳を傾けていれば、空自の攻撃機がオスプレイの飛行高度より遥か上空を行き交っている様が感覚的にも掴めて来る。先日、空自は敵キズラサ国の首都キビル近郊で大規模な空中戦をやり、それこそ大勝利を収めたと聞く。それ故に使える戦力に余裕が出て来たのかもしれない……などと謙仁は考えた。
「…………?」
オスプレイの速度と高度がぐっと落ちるのを、増して来た振動で体感する。機体はと言えば、先行する形でベース-ソロモンに降着りた航空自衛隊 前進航空支援班の誘導に従い、着陸コースに進入し始めていた。機体越しに流れる空気が、やけに静かだと思う。
振動が、下から突き上げる様にして止まる。
オスプレイが滑走を始めた。それは戦場に着いたことを感じさせない滑らかな移動であった。不意に誰かが烈しく手を叩き弛み切った感覚を引き締めた。そして先任分隊長 一等海曹 服部 亮二の声が空虚に響く。
「さあ野郎ども降りろ! 仕事だ仕事!」
空虚だが、その声には苛立ちがあった。
「――特別任務の指揮を執る新郷一尉だ。緊急ゆえ君たちを召集して済まない」
おまえ、何処からどうやって此処まで来た?――戦況表示端末を背にブリーフィングを仕切り始めた若い幹部にそのような感慨を抱き、表情にまで出した者は決して少数派では無い。謙仁もまた多数派のひとりであった。新郷一尉と名乗るその幹部は、「スカッド-ハント」の際同道した長谷川一尉よりも若く見え、戦闘服姿が真新しい。言い換えれば、作戦の指揮を執るのに必要な戦闘経験はおろか演習の経験すら少ないように見えた。一応はその彼も、胸に特殊作戦徽章と降下徽章とを重ねて付けてはいるのだが……そして腰に拳銃を収めたホルスターの他、骨董品の様なナイフ……否、短剣が一本――
「質問」と謙仁は手を挙げた。ベース-ソロモンの一隅、海上自衛隊特殊部隊の指揮所兼待機所として設営された仮設ボックスは、決して手狭な構造では無かったが、それでも他戦域や本土から集められた隊員で、立錐の余地も無い様に思えた……あれ? 更に隊員が増えている?
新郷一尉は謙仁を指差した。端正な、だが特徴に乏しい顔がやや引き攣っていた……緊張か? あるいは話の腰を折られたとでも思ったのだろうか?
「新郷一尉は、降下経験は何回ですか?」
「10回だが何か?」
「…………!?」
平然と新郷一尉は答え、絶句したのは謙仁だけでは無かった。前線で特殊部隊を率いるには余りに少な過ぎる降下の回数――表情はおろか場の空気すら一変させた回答をしたことを自覚し、新郷一尉の表情が苦渋に歪んだ。
「小隊長、スカッド狩りを指揮した長谷川一尉は降下で右脚を折りました。その長谷川一尉より降下回数が少ないあんたは、両脚を折るんじゃないですか?」
声が上がった。謙仁とは別の小隊であった。挙手するまでも無く声を上げた細身の男がひとり、階級章は二等海尉を付けていた。彼の周りから指揮官に向かい微かな嘲笑が生まれた。若い一尉は明らかな憤怒に顔を紅潮させてしまう。階級が上とはいえ、迂闊な反駁を許さない貫録がその二等海尉には備わっているように謙仁には見えた。
「……今回の任務に降下はない。オスプレイを使った強襲だ。目標はひとつ、KS東方軍司令官の捕縛、または殺害である」
「――――ッ!!?」
驚愕は、謙仁をはじめ集められた男達から一瞬で余裕を奪った。と同時に新郷一尉の背後、薄い広角端末が表示するノドコール東方の地形図、その一点がリモコン操作により拡大し始める――
――国内基準表示時刻1月3日の作戦開始、続く5日より生起したベース-ソロモン奪回作戦は、PKF陸上自衛隊 第一空挺団による強襲占領とそれに対するKS軍の再奪取作戦の結果、KS軍の不意の後退により帰趨を決せんとしていた。
尤も、攻防戦の最中で幾度も実施された航空支援の効果として、再奪取を企図したKS北方軍が被った損害は甚大なものであり、攻勢もまた頓挫を見た。そこに翌日6日深夜、KS軍司令部に浸透を果たした「ノドコール解放戦線有志」による、KS北方軍司令官ロイデル-アル-ザルキス殺害が成功したことも加わり、以後KS軍の攻勢は潮が退く様に勢いを失っていったのである。何より、キビル方面から延びるKS軍補給線が、南方の要衝ロギノールより展開する軽量ドローンとPKF海上自衛隊哨戒機による捜索襲撃任務の結果、その大多数が崩壊し寸断するという憂き目を見たことも、スロリア方面で防勢に徹するKS軍を徐々に、だが確実に消耗させているように見える。
特に、開戦以来最前線のスロリア、ノドコール境界に在って、越境したPKFを相手に防戦を展開するスロデン-レムラ率いる東方軍に掛かる窮状と圧力は時間を経るごとにその度合いを増していた。それでも彼らがなお陸上自衛隊第5旅団、第14旅団、後続第10師団の攻勢を凌いでいたのは、東方軍士卒の戦意の高さも然ることながら、指揮官たるレムラ自身の用兵家としての資質の高さが伺えた。
「あいつら土竜か!?」
苦闘に直面した第5旅団のとある中隊長が思わずそう叫んだほど、東方軍は地上に広範な塹壕陣地を形成し、彼らの防戦は越境部隊の順調な前進を挫折させることとなった。塹壕は相互に交通壕で結ばれ、車両による不用意な前進は壕内に秘匿された無反動砲あるいは軽量ロケット砲の餌食となることを意味した。特に戦車に比して装甲の薄い歩兵戦闘車や兵員輸送車には致命的な打撃だ。戦闘工兵による接近爆破も有効な手段になりえず、却って死傷者を増やす結果をも引き起こしていた。
死傷者の累積は、結果として費用対効果の面から「禁じ手」とされてきた01式軽対戦車誘導弾による固定目標の破壊という、ある意味「非常手段」の実施に繋がった。「スロリア紛争」後に調達が本格化した01式の改善型には「固定目標攻撃モード」という名目で、従来存在しなかった生体温度識別機能が付加されている……つまり、塹壕なり建造物なりの「固定目標」に潜んでいる生体――敵兵――の輪郭と動作を弾頭部のシーカーが感知し、発射時にそれを追尾することで「固定目標」を破壊するのだ。ただし前述のコストパフォーマンスの悪さから、運用教育の段階で、対戦車誘導弾による固定目標射撃は「推奨しない」行為と教育されている。
その「非推奨行為」が、スロリア方面に跨る東部戦線では頻発することとなった。結果として無数の火点が潰され、一発一千万円の誘導弾が小銃弾の様に消耗されていく……さらには迅速な防衛線突破を図り、虎の子の19式高機動ロケット砲システム による面制圧まで実施された。本来ならばキビル前面で想定されるKS地上軍主力との決戦まで温存されるべきこの切り札が、作戦の初期段階で投入されることとなったのだ。日本本土からの追加の動員が決定し、それらがロギノール方面からのノドコール上陸に振り向けられたことも、越境部隊の司令部に焦燥感を与えていた――西進が遅れ、当初の計画通りにノドコール中部でのPKF地上軍合流が早期に果たされない場合、作戦全体の進行に少なからぬ齟齬を来すことになる。キビル方面で温存されているKS地上軍主力に、ニホン軍各個撃破の好機を与えることに繋がりかねない。
「航空支援は!? 空自は何をやっている!?」
灰色の空を仰ぎ、第14旅団のとある中隊長が呻く。航空支援そのものは開戦から続いている。それでも前線の部隊が望んでいたのはこの忌々しい前線からの解放に必要な、より徹底した航空支援であった。その目標も的防衛線後背に拡がる補給段列や秘匿されて補給処であって、PKF地上軍の前進を援ける効果を発揮するのには未だ時間を要したのだ。
ひとりのローリダ人の画像を背景にしたまま、新郷一尉は言った。
『――我々海自が膠着状態を打破する。艦隊情報群がこの男、KS西方軍スロデン-レムラの所在を電波発信源の追跡により特定した。このスロデン-レムラが今回の我々の目標だ』
「…………!?」
照明の落とされた空間の闇で、屈強な男達の間から驚愕と困惑のざわめきが生まれる。
「…………」
貧相な男だと、謙仁は漠然と思った。威厳の面で過日戦死したザルキスの、魔族の親玉を思わせる魁偉な容貌と比べるべくも無い。それでも創作の世界では、画面の中のスロデン-レムラのようなごく平凡な容姿の人物こそが真に有能な、警戒すべき人物として描かれることが多い……そして謙仁が身を置く現実の世界もまた、今回はそうした創作世界のルーチンに倣っている様に思われた。
『――手強い男だ。彼の用兵手腕のお陰で、友軍越境部隊はまる二日に亘り停滞を強いられている。停滞は混迷を生む。我々海自特殊部隊が、この混迷に終止符を打つ』
遠隔操作でレムラの顔が隅に追いやられ、代わりに東部戦線の戦況表示図が拡大する。膠着とは言いながらも、PKFの先鋒は既にKS軍の最終防衛線に達していた。その最終防衛線の一角で、指揮所を表す指標が眩しく瞬いている。そして指標は、時を追うごとに移動し続けていた。
『――統合幕僚部の観測では、東部戦線の敵残存兵力はこのまま後退しつつ退路上に伏撃部隊を再配置し、追撃するPKFに出血を強いるものとされている。指揮所の移動はその際に戦力再配置の意図を持って実施されていると推測されている』
「――指揮所を追跡しているのか?」
と、一人の幹部が質問した。先刻の二等海尉だ。よく見れば「スカッド-ハント」を経験した謙仁らの班と違い、服装も装具も真新しく見えた。長谷川一尉と同じく本土から合流して来た隊員なのだろう。
『――六時間前より、我が海自の中型無人偵察機が追跡監視中だ。襲撃予定時刻までは十分滞空できる』
「襲撃……!?」
「ロメオのど真ん中じゃないか!」
「襲撃」という単語に対する部下の反応が過敏に聞こえたようで、新郷一尉の顔には少なからぬ狼狽が見えた。海自特殊部隊隊員は勇敢だが無謀では無い。だが今回、任務の性格が後者に振り切れていると思う者はこの場には決して少なくはない。彼らの思いを代表するかのように、服部一曹が発言を求めた。
「襲撃の成否は兎も角、離脱の手順および経路は保証されているのか?」
『――陸自の攻勢に呼応して、我々は急襲により敵の指揮系統を破壊する。敵は混乱している。今回の作戦において浸透と離脱に関しては、そこに我々の活路がある』
「はあ!? 何だそりゃ!」
謙仁の傍らで、呆れと怒りをない交ぜに真壁三曹が叫んだ。経験の少ない上官ではなく、無礼を働いた後輩に対するかのような叱責の感情を、謙仁は真壁三曹の語尾に聞いた。
「おれらは特攻隊じゃないんスよ? 使い捨てにされる積りで訓練した覚えは無え。これが終わったらまた任務に就かなきゃならねえんだ。敵の将軍を殺れと言われればもちろんやってみせるよ。でもヨォ、また五体満足で出撃できるようあんたらが段取りしてくんないと此方も困るンスよ」
「…………!」
自分たちは特攻隊ではない――その真理が、謙仁には今更気付いたかのように思われた。そうだ……この任務が終わっても、おれたちは戦い続けなければならないのだ――謙仁の沈思を他所に、顔色を消した新郷一尉の言葉は、いい意味ではなく皆の予想を完全に超えた。
『――陸自の特戦はザルキスを討ち取った。海自特殊部隊も続かねば国民に申し訳が立たない! 万難を排しレムラ将軍を殺らねばならんのだ!』
「…………!?」
驚愕こそ広がったが、海自特殊部隊の隊員にとって特戦の介入は推定され得る可能性であり、事実であった。現地人の独立軍とはいえ、山賊に毛の生えた様な連中が正規軍同然に武装した敵軍と真っ向から渡り合える筈がない。敵将の居所を特定し、これを討ち取る芸当などはじめから至難の業であろう。それには質的にも数段上の軍事力を行使する必要があるのは謙仁の様な駆け出しですらわかる。とは言うものの――
三時間後――
「――特戦ができたから海自もできるだと? だいいちこれ、やる必要があるのかって」
「――海自以外に動ける部隊が無いってことだから、動いてやらにゃいかんでしょうよ」
「――でもそれ、あの分隊長が言ってることでしょ? 海幕の見解はどうなんですかね」
「…………」
居眠りからの覚醒と同時に、服部一曹と真壁三曹の会話が聞こえる。未だ意識は混濁していた。機内まで揺るがすV-22Jオスプレイ特有のフロップローターの爆音が、意識の混濁に力を貸していた。降着の時間が近いのではないかと思い当り、謙仁は意識を醒まそうと務めた。腕に嵌めたルミノックスは、降着まで時間が少ないことを謙仁に教えた。覚醒した意識に、機内を仕切る服部一曹の声が響いた。
『――降着まであと五分。各員装具点検』
股に抱いた14式分隊支援火器を持ち上げ、謙仁は薬室を覗いた。60発入り箱型弾倉を繋いでいたが装填まではしていない。手持ちの銃器を暴発させるのは、特殊部隊隊員として最大の恥のひとつだと、謙仁ならずとも新人の頃から徹底的に叩き込まれている。狭い機内、片手で取り扱うには弾丸入りの銃はさすがに重い。分隊支援火器による突入支援が、今回の作戦で謙仁が演じる役割であった。
機上整備員の手でランプドアが開かれた。ランプドアに重い74式7.62ミリ機銃を据え付ける彼の手付きも馴れたものであった。銃手も兼ねる機上整備員が、双眼式の旧型暗視装置をヘルメットマウントから下ろしているのに気付き、謙仁も彼に倣った。目標への接触手順は、目標位置近傍でのファストロープ降下を予定している。肉眼で降りる場所を臨めない夜間高高度のパラシュート降下よりずっと気が楽……とは言っても手順の性質上、高価なオスプレイを目標の近距離に、それも超低空で接近させねばならない。
外の冷気が流れ込むのを全身に感じる。星明りの下で、暗緑色の大地が暗視装置のフィルター越しに拡がる。驚くほどの低空をオスプレイは這っていた。頭を上げた先で、後続するオスプレイの黒い機影が、至近距離で赤外線灯を瞬かせている。
『――降着まであと一分』
服部一曹の声がイヤホンに響く。同乗のシールズが一斉に腰を上げた。ランプドア手前に立つ謙仁の眼前で、地平線が左右に揺れた。揺れる度にオスプレイの高度がさらに下がる。地上からの探知を避けるための特殊飛行に転じたことを謙仁は体感した。謙仁を追い越す様に、真壁三曹の長身がランプドアの舳先に出た。幅の広い背中に背負った巨大な円筒形を、謙仁は思わず凝視した。
正式名称 20式個人携帯対戦車弾。部外向けの正式名称は「ハンドキャノン」だが、部内の通称では「ドカン」の方が通りがいい。文字通り土管の両端に発泡スチロール製の緩衝材を取り付けた外見のそれは、「パンツァーファウスト」こと110mm個人携帯対戦車弾の後継装備でありながら、性能面で01式軽対戦車誘導弾を補佐することを期待されていた。開発完了と調達開始は「スロリア紛争」の前であったが、「弾薬」扱いで調達が本格化したのは紛争後のことである。謙仁も本土に居た頃何発か撃ったことがあるが、その照準方式もあって「よく当たる」対戦車弾ではあった。真壁三曹が今次の作戦では20LAMの射手も担当する。予備弾三発を、謙仁も含む三名の隊員が分担して装備している。
『――カウントダウン! 降着まで30!……25!……』
オスプレイの前進が止まり、機体が震えつつじわりと高度が下がる。何度経験しても馴れないホバリングモードへの移行――ブリーフィングの際、新郷一尉が付けていた短剣が、旧日本海軍の士官用短剣であることを謙仁は出撃直前に知った。話の出処は工藤という名の、ブリーフィングの際謙仁に続いて挙手した二等海尉だ。何でも旧海軍の士官であった新郷一尉の曾祖父以来、彼の実家に伝わる品であったようで、彼の任官以来、御守として託されるようになったのだとか……その工藤二尉が過日の「キナレ-ルラ号事件」の際、イリジア中央空港に在ってシージャック犯捕縛任務に派遣された分隊の指揮官であったことをも知り、謙仁は二度驚愕したものであった。
工藤二等海尉は、襲撃任務の打ち合わせに謙仁の班の許まで来た。
曹士候補生出身の工藤二尉は元同僚の服部一曹を頼って、ブリーフィングでは為し得なかった「細部の詰め」を行う積りであって、その点服部一曹にもまた心得がある。経験の浅い幹部を立てつつ、指揮下の曹士が口裏を合わせて任務の体裁を整えるというのは海上自衛隊という組織において、前進の帝国海軍からある「慣習」の様なものであって、詰め自体は五分程度で終わったが、オスプレイに便乗するべく解散する段になって、彼は謙仁を顧みて言った。
「お若いの、元気がいいのは結構だが、あれは根に持つタイプだからな。モノの言い方に気をつけろよ」
「はぁ……」
呆気に取られ、謙仁は思わず生返事で応じた。振り返り際に工藤二尉は親指を立てて謙仁にニヤリと笑った。彼が悪い人間ではないことだけは、謙仁にはその瞬間確信できた。間髪入れず、服部一曹が謙仁の背後から肩を叩く。
「そうだぞチョッパー。だがまあ気にするな。脳みその隅っこに置いとけばいいんだ」
『――10!……5!……降下! 降下! 降下!』
ファストロープと一人目がほぼ同時にランプドアから躍り出る。重装備の真壁三曹ともうひとりから始まり、二人ずつ弾かれるように静止するオスプレイからファストロープを伝って滑る。地上を踏んだ精鋭の影が、即座に駆けて四方に散る。馴れた動きであり、数秒の後には謙仁もまた違和感なく動きの一部となっている。土と冷気の臭いを鼻に吸い込みつつ、謙仁は14SSAを構えて走る。走る先は出撃前に決まっていた。20LAM射手たる真壁三曹の隣だ。
「コング、展開完了」
「チョッパー、展開完了」
『――各員前へ、伏撃地点まで進出』
全員の展開を確認し、最後に降着を終えた服部一曹の声が、共通回線を明瞭に駆けた。遥か東方の地平線に山岳の連なりを見る以外には、ここノドコール東部の地は平坦に近い。その山岳地帯は開戦から二日ほどで陸自の水陸機動団に制圧され、続いて展開した軽量榴弾砲が遥か下方のKS軍砲兵陣地に対し猛威を揮っている。それでも、敵砲兵の脅威が払拭されてもなお、PKF越境部隊の進撃速度は上がらなかった。
『――こちらヤマト、ドローンを出す』服部一曹の班に先駆けて降着し、道路周辺に展開を終えた新郷一尉の声が飛び込んできた。
『――目標のAP到達までどれくらいか?』情報を求める服部一曹の声が上ずっていた。
『――UAVによるとあと五分だ。向こうの移動速度が速い。感付かれたかもしれない』と、新郷一尉を補佐する工藤二尉が応答する。
「あほう! ドローンなんて悠長に出してる場合か!」真壁三曹が苛立たしげに言った。
「チョッパー、走るぞ!」
「了解!」
ドローンよりも長時間かつ高空を遊弋する無人機のもたらす情報が正しければ、襲撃部隊が伏撃に必要な態勢を整えるのに残された時間は決して多くは無かった。生来の巨体に似合わず、そこに20LAMのような重量物を背負っている状態でも真壁三曹の脚は早い。謙仁ですら追従には難渋を覚えた。白い息を乱れさせつつ二人は走り、そして未舗装道の路肩を目前にしてほぼ同時に伏せた。息を落ち着かせている間、微かに空気と地面の震える音が生まれていた。それは消えず、むしろ次第に此方に近付いて来る。重い車の気配だった。
「コング、配置に付いた」
「チョッパー同じく!」
『――車列の先頭はやり過ごせ。ロメオの車列が鼻先を通り過ぎてから先頭に火力を集中する。獲物の腹を我々の目前に晒したい。コング、できるか? 以上』
『――おい服部一曹、勝手に命令するな!』
「こちらコング、やってみせるぜロック。以上」
『――貴様!』
『――ロック終り。ヤマトどうぞ?』
『――…………』
同時多発的に噛み殺された笑いが、耳に嵌めたイヤホン越しに共通回線を輻輳させた。
それは謙仁自身も含めて、襲撃隊の全員が「ヤマト」こそ新任分隊長の人格と識見を見切った瞬間であるように謙仁には思われた。部隊の仕切りは服部一曹と工藤二尉がやるだろう。分隊長どのには安全な場所にいて、おれ達の仕事を黙って見ていてくれればいいさ……前任者と違って着地の際に脚を折らずに済んだだけでも僥倖というものだ。分隊長が変に出しゃばらない限り、すぐに終わって帰還れる任務――敵地深奥部に降りて敵将を殺るという重要な任務が、何故か訓練よりも楽な、安易な仕事であるように謙仁にも思われてならなかった。それは慢心だろうか?……とも謙仁は自分を訝った。
『――こちらロッキー、UAV「キッカ」と連接した。広帯域多目的無線機に動画を送る。AP到達まであと五分』
「ロッキー」こと工藤二尉の声を聞いた。傍らの真壁三曹が20LAMを持ち上げ、胡坐の姿勢から構える様子を見せた。誘導方式に予測照準線一致方式を採用した20LAMは、照準した目標の未来位置に向かい自動的に軌道を修正して飛ぶ。一般の軍事関連書籍では誘導弾として扱われることもあるが厳密には誘導弾ではない。それ故に20LAMは、前身の01式LMATと違い構造も価格も単純かつ安価に抑えられている。
射撃位置は路傍から離れた叢の中、伏撃には絶好の位置であった。それは真壁三曹から間隔をおいて、二脚を立てた14SSAで伏射の姿勢を取る謙仁も実感するところだ。
『――ヤマト、到達まであと3分』
工藤二尉から打って変わり、新郷一尉の声がイヤホンの中で震えた。語尾が震えている上に抑揚が無い。怯堕のせいではなく緊張のせいだと謙仁は軽い同情と共に察した。ボディーアーマーに繋いだ広多無専用タブレット端末の暗視画面が、UAVの電子の目を通じて敵の車列を追っていた。先頭は四輪式の軽量装甲車だと車体の輪郭から察せられた。本土に居た頃に教育課程で写真を見たことがある。決して手強い相手ではなく、連中の母国でも骨董品も同然の旧型装備と聞く。ゴキブリの触角を思わせる長大なロッドアンテナが二本、悪路に突き上げられて左右にブンブン揺れていた。ゴキブリを先頭に、車列が謙仁と真壁の眼前を過った。
「――――!」
軽く口笛を吹き、真壁三曹がカメラを構えるTVクルー宜しく20LAWの砲口を廻らせた。サイトを装甲車に合わせて引鉄を一度押す。実弾に内蔵されたシーカーが覚醒し、サイトが追尾した通りの軌道をその電子の神経に刻み込む。引鉄をもう一度押した。反動も噴煙も無く赤い砲弾が飛び出し、それは上り調子の軌道を描いて車列の先頭に突っ込んで行く――頭上で破裂。
「――――!?」
LAWの内蔵する指向性成形炸薬弾は先頭の装甲車のみならず、後続するトラック一両もまた激しく炎上させて走行を止めた。トラックから火達磨になり飛び降りる人影が無数。謙仁が14SSAを彼らに向けるのと同時に、別方向から撃たれた20LAWが車列の最後尾で炸裂した。これは直撃であった。恐慌の中で車から降り展開を始める敵兵に向かい、謙仁は14SSAの引鉄を絞った。手応えを感じつつ二十発は撃ったかと体感した頃、やはり周囲からの弾幕を浴び、防弾の為されていない軍用車が複数燃えた。健在な装甲車が天蓋から機銃弾の弾幕を撒き始めた。それもまた、別方向からの20LAW、そして狙撃で沈黙していくのだ。
「――チョッパー!装填だ!」
予備弾を求めて真壁三曹が吠える。背負った予備弾のカプセルから次弾を引き出し、真壁三曹の構える発射装置の背部から勢いよく押し込んだ。三曹の後頭部を叩き装填終了を告げた。間髪入れずに撃ち出された二発目は車列の中央、部下をまとめて迎撃の指揮をとろうとしたローリダ人を、彼の出て来た車ごと粉砕した。直撃だった。横転し燃え上がる車、斃れたまま動かない人体――それらに14SSAの銃口を向けつつ、謙仁は道路へと走る。
『――車列の三台目だ。通信頻度が烈しい』
『――そいつが指揮所か?』
『――わからない。接触し確認しろ!』
倒れたまま拳銃を向けようと足掻く一名を、謙仁は一発で斃した。それが呼び水の様に、各所から散発的な銃声が聞こえて来た。運転席の延焼する三台目、ローリダ正規軍制式の指揮通信車であると謙仁は察する。行き足を止められて酷く傾いたトラックの荷台、背負う指揮通信装置の後部ドアが、歪に開いていた。先行して傍に付いた隊員が、謙仁に中に入る様促した。
「――――!」
恐怖は無かった。息を吸い込み、手を伸ばして重いドアを掴んだ。勢いよく開けようとしたところで、立付が歪んで開かないことに気付く。仕舞には14SSAを背負い、両腕に力を篭めて曲がったドアを引いた。耳障りな響きが謙仁から戦場に在るという実感を少なからず奪った。
「…………」
手早く構えたSFP9自動拳銃のライトが、身を捩る誰かを車内に見出した。それ以外に二名、動かない人間を謙仁は見出した。傾いている故か足元は拙い。車内で踏ん張り、ライトと銃口を向けつつ、謙仁は言った。
「降伏しろ。命は取らない」
「…………」
顔を隠すかのように手を上げたもう一方の手で、眼鏡を拾おうとしているのが見えた。武器では無かった。頭から流れる血を、ライトが捉えていた。内壁に配された大型無線機に視線が向いた。
「まさか!……オイ何を報告した!? 援軍を呼んだのか!?」
「……ロート閣下に決別電を打っただけだ。援軍なんて……初めからいやしないよ」
「ロート閣下……?」
内壁に凭れかかりつつ手を振り、そのローリダ人は言った。出任せを言っている様には聞こえなかったし、酷い怪我をしている様にも見える。それでも拳銃を構えつつ、謙仁は不安定な床にもう一歩を踏む。車体が更に傾き、それは謙仁を転倒させつつ完全な横転となった。
「痛って!」
痛みと感情を吐き出しつつも、任務を忘れてはならない。それでも横転の衝撃で拳銃を手放したことに気付き、謙仁は愕然とした。拳銃の在処を探るよりも先、気配の接近に気付き、謙仁は顔を上げた。
「…………」
スロデン-レムラだと思った。写真を見てとうに解っていることだが、彼は軍人らしからぬ貧相な青年だった。写真よりも遥かにやつれた顔、その上に服が酷く汚れ、そして彼自身も傷を負っていた。
そのスロデン-レムラが何時しか謙仁の傍らに立ち、怪訝そうに謙仁を覗きこんでいる。殺されるという気は、何故か起きなかった。レムラが無言で謙仁に手を差出し、反射的に、謙仁もまた手を伸ばす――
「――――ッ!」
何かがレムラの頭を烈しく打った。眼鏡が飛び、同じく飛び散った血が謙仁の顔を汚した。眼前で起こったことを理解できないまま、謙仁は車内に飛び込んできた人影が、倒したレムラに小銃弾の追い撃ちを掛けるのを見た。
『――制圧完了! 敵将スロデン-レムラ、このヤマトが討ち取った!』
89式カービンを構えて飛び込んだ新郷一尉を、謙仁は驚愕というより唖然として見上げた。フラッシュライトの照らしだす銃口の先、見える限りの死体に弾丸を撃ち込む細身の腰に、短剣が揺れていた。新郷分隊長?――起き上がれないまま愕然とする謙仁の眼前で、狭い車内に特殊部隊員の人影が増えていく。但し彼らが撃つべき敵兵はもはやそこにはいない。潮が退く様に外へ出る特殊部隊。とっくに外に出、部下に報告を促す新郷一尉の弾んだ声が聞こえ始めた。
「――チョッパー! チョッパー!」
隊員が去り、新たな隊員の気配が踏み入って来る。真壁三曹だと気配で察した。謙仁が半身を起こすのと同時に、真壁三曹が謙仁に太い手を差し伸べた。グローブのされた幅の広い手でそれをしっかりと握る。
「くそっ! 火薬と血の匂いが此処まで漂ってきやがる!」
毒付く真壁三曹を、怒りに任せて押しのけて謙仁は外へ出た。驚く真壁を尻目に、怒りに任せた感情の破裂が戦場に響く
「おいコラ! 待てや!」
横取り同然に手に入れた勝利の余韻と高揚感、だがそれらに身を任せたまま通信手と話し込む新郷一尉が、足早に迫る殺意に気付いた時にはそれは終わっていた。新郷一尉が回避を図るよりも早く、長大なリーチに任せた謙仁の拳が、落雷の速さで新郷一尉の顔面を貫いた。若い一等海尉が表記不明の悲鳴を上げて吹き飛ぶのと、若い海士長が同僚に組み伏せられるのと当時であった。謙仁の長身を抑え込むのに、三人分の海自特殊部隊隊員の体躯と膂力が必要であった。ラグビーのタックル宜しく真っ先に組み付いた服部一曹が、蒼白な顔を謙仁の耳元に寄せた。
「ケンジン落ち付け! お前何やってるんだ!? 気は確かか!?」
「気が確かかどうかはあいつに聞けって! あいつ撃ちやがった! 無抵抗の人間を撃ちやがった!」
「ハァ!?」
服部一曹が唖然として頭を上げた。その服部一曹の視線の先で、殴り倒されたまま動かない分隊長を取り囲む隊員の数もまた増え始めている。作戦終了後も広がる動揺の中で、謙仁が身を起こす隙もまた生じた。広がる動揺は、何も謙仁が幹部に手を上げたせいだけでは無かった。広帯域多目的無線機に直結した情報端末を睨む隊員が声を荒げる。
「――南西より敵味方不明の兵力が接近! 数50!……いや200はいる!」
「――200! 自動車化部隊か!?」
「――違う! こりゃ騎兵隊だ! 暴走族みたいにこちらに突っ込んで来る!」
「――北からも来るぞ!」
襲撃前に放たれたドローンのもたらした情報であった。時が経つにつれて地面が微かに揺れ始める。それが一群となって迫る馬蹄の生む地響きであることに気付いたときには、襲撃を成功させた筈の海自特殊部隊の間には戦慄が生まれていた。包囲されるという戦慄――
「散開しろ! 防御線を敷け! それと回収を急がせろ! オスプレイを呼べ!」
工藤二尉の声がした。服部一曹と並びベテランと称されるだけあって、次席として指示を下す挙動には余裕が見えた。謙仁もまた14SSAを構え直し、北へと走った。走り際、並走する形となった真壁三曹が囁いた。
「いいパンチだったぜ。チョッパー」
追い抜いて行く真壁の背中に鼻で苦笑し、謙仁は道路の反対側に出た。手頃な窪みを見出して伏せ、14SSAを構え直した暗視照準装置の先、騎乗姿が無数、足元から土埃を蹴立てて近付いて来る。現代戦には似つかわしくない世界の、それは接近であった。
「――味方だ! 攻撃するな! 射撃止め!」
誰かが叫ぶ。疑念と共に声の主を探る視線を無数に感じた。一帯に拡がる敵意が、安堵と困惑に席を譲る。吐く息も荒く、迫って来る騎馬の質量――その先頭を行く騎乗姿が馬を停める脚捌きももどかしそうに飛び降りた。
「指揮官は何処か?」
男が声を上げた。長いマントにターバン帽というノドコール人牧夫そのものの出で立ちが澱み無い日本語を話し、こちらに近付いて来た。胸に繋いだ89式小銃がガチャガチャと音を立てていた。ボディーアーマーも着ていた。
立ち上がった謙仁の目が男と合い、男は早足で近付いて来た。歩く度に何かが軋む音が謙仁には聞こえた。義足か?――察する頃には、男の気配が至近まで迫っている。中背であった。ターバンに巻かれた顔に、素性は見えなかった。
「おいヒョロガリ、幹部は何処だ?」
「ヒョロガリ……!?」
唖然とする謙仁の感情など斟酌はしない、そういう態度であった。同じく馬を下りた配下が、小銃を構えて襲撃場所の各所に散り始めた。その一人が横転したトラックの荷台を覗き、声を上げた。日本語では無かった。ノドコール人の言葉ではないかと思った。男は耳を抑え、通信を受ける素振りをした。
「なに!?」
布に覆われた顔が、血色を失った怒声と共にトラックの方向へ向いた。「ヒョロガリ付いて来い!」謙仁に言うが早いが、男は駆け出した。義足のせいか上半身の揺れに微妙な癖が見出せた。男の足は謙仁自身が突入したレムラのトラックに向かった。謙仁もまた後を追う。後を追いつつも、内心に暗雲が拡がり始めていた。部下の手引きに従い車内を覗き込んだ直後、男の声が共通回線に烈しく伝った。
『――誰だ!? 誰がレムラを撃った!』
「あ……!」
唖然とし、謙仁は周囲に視線を泳がせた。異変を嗅ぎ付けた隊員が、警戒を解きトラックへと走り寄って来るのが見えた。その頃にはすでに周囲に騎兵が駆け入り、外縁の警戒、あるいは残敵の掃討を始めていた。混沌――眼前の光景に、謙仁はそれを思った。散発的な銃声が、再び寒い闇夜に響く。
「おいチョッパー、誰だあいつ」
「さあ……」
何時の間にか駆け寄って来た真壁三曹が言い、謙仁は首を傾げた。続いて走り寄って来た血色を欠いた顔もそのままに、工藤二尉が声を荒げた。
「オイオイ! 特務が何の用だ!?」
「特務!?」
謙仁と真壁は顔を見合わせた。「特務」こと現地情報隊に関する噂は、彼らも特殊部隊の末席に居る限り否応なしに耳に入って来るものだ。今次の作戦でも投入は知らされていたが、まさか此処でバッティングするとは――
そのとき、トラックの陰から向けられた銃口が工藤二尉の足を止めた。それは何時からそこに潜んでいたのか、それが判らないほどのタイミングであり迅速な反応だった。89式小銃を構えた小柄な人影が、機械の様に工藤二尉の前に立ちはだかる。背負った巨大な通信機から、長いアンテナがやはり触角のように曲がって延びていた。それ故に人為らざる異形という印象すら、謙仁はその人影に抱いてしまう。
「弦城二尉、やめろ!」
トラックから出て来た男が声を上げた。急展開を前に困惑を隠せない謙仁らの前に、新たな人影が複数現れる。
「ジョーカー、彼がレムラを討ち取ったと……」
「…………」
もう一人、今度は細身のノドコール衣装が進み出た。特務に伴われた新郷一尉は、鼻柱を襲った打撃と鼻血に今尚顔を歪ませていたが、拳を上げた謙仁には目もくれず、特務に連れられて歩を早めるのだった。新郷一尉を伴って来たというより、連行して来たと言った方が適当であるように謙仁には見えた。
新郷一尉は、男に敬礼した。
「強襲任務班の新郷一等海尉です! 呼び出しを受け参上致しました!」
「レムラを殺害したのは貴官か?」
「そうです!」
応じる新郷一尉の声には、自らの行為を疑わない信念が聞こえた。
「この強襲任務は、誰の命令か? 誰がこんな馬鹿な作戦を命令した?」
「馬鹿な作戦とは心外です。特務がそれを知る必要があるのか?」
「言いたくないか? 我々別班は内閣安全保障会議の指揮下で現在まで任務を継続している。貴官らの任務の詳細くらい、NSC経由でいずれわかるぞ?」
「自衛艦隊司令部の緊急指令です。任務はこの通り、急を要するものでした。海自の作戦に口を挟むと碌なことになりませんよ?」
「――――!」
ロケットパンチの様な素早さと迫力であった。正面から延びた片手が新郷一尉の首根っこを掴む……否、握る。それを外そうとして新郷一尉は失敗した。ボディーアーマーまで着こんだ完全装備の特殊部隊隊員の両脚を、軽々と浮かすほどの腕力――それも片腕!――眼前に出現した「怪物」を前に、謙仁は思わず14SSAを構え直した……否、構えようとして失敗した。その謙仁の真横に何時の間にか廻り込み、冷徹に向けられる89式小銃の冷たい銃口。
「……銃を下ろせ。木偶の棒」
男の声ではない、女とも少年とも区別のつかない低い声が、抑揚も無く謙仁に話しかけた。女か?
「貧乳が……!」
思わず吐き捨て、14SSAを下ろした。通信機を背負った短躯が、微かに銃口を震わせたのに謙仁は気付かなかった。
苦渋を隠せないでいる新郷一尉を掴みあげつつ、特務の指揮官は語り掛ける。
「おれは三等海佐だぞ。口の利き方に気をつけろ小僧」
「…………!?」
新郷一尉が足をバタつかせていた。首を絞める膂力と締められる圧迫感が尋常ではないことぐらい、傍目からでも瞬時に察せられた。新郷一尉を連れて来た細身が駆け寄り、男に話しかけた。
「『ジョーカー』、その辺で止めておきましょう。KSも事態の急変を嗅ぎつけてきます。急いで撤収しないと」
「ジョーカーだと……!?」
傍らの真壁三曹が驚くのを謙仁は聞いた。当の謙仁自身、「ジョーカー」という固有名詞には教育課程の頃から聞き憶えがあった。彼の抱く「ジョーカー」の記憶には、「出来た先輩」の範疇を軽々と越えた、「伝説上の人物」というニュアンスがあった。言い換えれば……
「……ヤバいやつだ」茫然とした謙仁の呟きは、彼らには聞こえない。
「そうだな『マスター』、事情は前線秘匿拠点に戻ってからじっくり聞くことにするか」
「…………!」
海自の人間ではないが、『マスター』という名にも聞き憶えがある――謙仁が思い当たるのと「ジョーカー」が手を離すのと同時であった。そのまま地面に落とされた新郷一尉が恥も外聞も無く蹲り、烈しく咳込む。真壁三曹が新郷一尉に駆け寄り、介抱に掛かっていた。何処からオスプレイの飛来を告げる声が聞こえる。喧騒というより混沌が、硝煙に乗り大地の漆黒に拡がり始めている。撤収の機運もまた拡がり始めていた。
死地を脱することができるという安堵――それ以上に、これからどうなるのかという不安。
「…………?」
正面に佇む背の低い影に、謙仁は不審に眉を曇らせた。「貧乳」か……何時の間に?――気配を消す能力が異常なまでに高いと思った。
銃口はとっくの昔に下りていたが、ターバン越しにぎらつく瞳は意外に大きい。その光に謙仁は怯みを覚えた――涙目?
「貧乳、どうした?」
「――――!!」
瞳が更に大きく見開き、眼光は怒りの発露となる。
「…………!!?」
下半身、それも股間から打ち上がった衝撃と鈍痛は、喩え長身の男であっても耐えがたい苦痛を与える。それが不意打ち同然の蹴りであれば尚更であった。表記不明な絶叫と共に跪く謙仁を、スロリアの冷気同然の眼光が見下ろした。怒りと侮蔑の光であった。
「死ね!」
言うが早いが唾を吐かれた。跪き、それでも苦悶に耐えられず頭から地面に突っ込む謙仁の記憶が薄れていく。
「――チョッパーこのバカ野郎! また問題起こしやがったのか!?」
薄れていく記憶の片隅に、少女の面影の濃い貌と、服部一曹の怒声が追い縋る――女の声に、聞き憶えが感じられたのは気のせいだったか?