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第二二章 「その人の名は 後編」


ノドコール国内基準表示時刻1月8日 午後13時11分 ノドコール南部 ロギノール市郊外 ロギノール飛行場


 高度24000フィートで旋回を続ける機窓からは、急造の滑走路に進入する機影が見下ろせた。航空自衛隊のKC-46輸送/空中給油機。本土から100名に及ぶ陸上自衛隊 第四師団先遣隊第一陣を乗せて来たKC-46だ。KC-46は速やかに滑走路を走って駐機場に進む。飛行場に足を下ろした第四師団の隊員は、その後休む間も無く完全武装で迎えのCH-47J大型輸送ヘリに搭乗し、空中機動により前線へ北上することになる。予定であればこの後、民間航空のボーイング767旅客機が200名前後の第四師団の隊員を乗せ、以降ノドコールの真ん中に続々と兵力を送り込んで来る筈であった。

 彼ら民間機はロギノールで給油と後送の負傷兵を収容の後、本土への帰路に就く。本来2500メートル程度の全長でしかなかったロギノール飛行場の滑走路を、陸海空の施設部隊と民間の建設業者が突貫作業で仮設鋼板を繋ぎ、2900メートルまで延伸した結果に可能となった空輸であった。KC-46の着陸は、工事が完遂したわずか三時間後という際どさだ。輸送機を管轄する航空自衛隊 航空支援集団の司令部は工事が未達であっても着陸を強行し、工事の完遂まで機体と乗員を飛行場に留め置くことまで覚悟していたと聞く。


 三年前の「スロリア紛争」の頃と違い、ノドコール方面の作戦における民間航空の関与は格段に増していた。空域の安全への懸念と国権の発動する戦争行為への忌避感など、反ローリダに沸騰する世論の前では意味を為さなかった。現に「スロリア紛争」時、政府より打診された後方支援への参加を拒否した航空会社に対する抗議が起こり、それは大規模なチケット不買運動にまで発展している……その航空会社は現在、有事の発生に前後して国内に在って自衛隊基地間の空輸補助業務に従事している。それが必要な程、多数の作戦用輸送機がノドコール方面に投入されているのだ。


 KC-46が駐機場に進んで止まる。それまで銀翼を翻し旋回を続けていた航空自衛隊所属 U-4多用途機が着陸する順番が巡って来た。本土から五時間を掛けて前線に辿り着いた中型の機体。危険な陸上空路を避け、南へ海上を迂回して来たが故の長旅であった。それを感じさせない滑らかな降下と接地――カモメのそれを思わせる細長い主翼の効果、あるいは操縦士の胆力を客席の彼女は思う。

 主脚が仮設鋼板を蹴る烈しい音――それに続きU-4は止め処ない滑走に入った。滑走の途上で烈しい震動と反動を、機体を通じ客席と全身に感じる。滑走路の「出来」が悪いのかと思ったが違った。減速を企図して逆推力装置(スラストリバーサー)が起動しているのだ。それも短く、凪の上を走る舟を思わせる静かな滑走に入ったU-4は、地上からの誘導に従い、KC-46の隣に流麗な機体を滑り込ませた。


 KC-46に繋がれた仮設のタラップから、小銃を担いだ戦闘服姿の陸自隊員が続々と降り立っている。機体下部の貨物室からも荷卸が始まっていた。背嚢、厳重に梱包された重火器と機器、そして物品……それらは前線で普通科部隊が機能するに当たり、必要最小限の物資を積め込んで来た観があった。物資は大型トラックの荷台に速やかに載せられ、隊員も点呼の後、駐機場に隣接する段列まで徒歩で移動を始めている。


 U-4と入れ替わる様に、重々しく離陸滑走を始めるのはC-130であった。その向かう先はベース-ソロモン。前日までの激戦が嘘の様に退いた結果、今では戦術輸送機の離着陸が可能なくらい滑走路の安全が確保されている。KS軍の猛攻に耐え、今なおベース-ソロモンを確保し続けている第一空挺団への補給物資を載せての離陸であった。尤も、その方面のKS軍の敵将たるロイデル-アル-ザルキスがノドコール解放軍との戦闘で「戦死」した結果、彼らの攻勢は一気に下火となってしまっている。西進する第5、第14両旅団、後続の第10師団がベース-ソロモンとの交通路を啓開し、確保するのは時間の問題である様に思われた……但し、KS西方軍の抵抗はなお続いている。


 轟音が生じ、そして一帯に広がる。飛行場の敷地外ではあるが、滑走路から遠くない距離であった。光が白煙を曳き青天に向かい延びる。それも無数。光は北東の方角へ徐々に軌道を変え、そして蒼穹を越えて消えていく。揚陸を果たした「雷神の鎚(トール・ハンマー)」――12式地対艦誘導弾改Ⅱ――が、西進部隊を拘束しているKS軍に向かい攻撃を始めた瞬間であった。


 12式地対艦誘導弾改Ⅱは事実上の地上発射巡航弾、それも目標突入時にマッハ5/時まで加速する極超音速巡航誘導弾であった。当の日本を除けば、自国に向かい音速の倍以上の速度で飛来する飛翔体を迎撃する軍事技術を有する国は、あのローリダ共和国を含めてこの異世界に在っては皆無に等しい。日本からすれば最強の矛とも言えるこの装備が、富士教導団において試験運用部隊の編成完了という形で在る程度の実用化を見たのは「スロリア紛争」の最中のことであった。紛争の展開如何によっては、本装備も「試作機」扱いのまま海を渡ることになったかもしれない。

 その際に試験部隊に付与されたコードネーム「トール・ハンマー」が、採用にあたりそのまま本装備の正式名称となった。名称こそ対艦誘導弾ではあるが、地上目標の攻撃も可能、さらに有効射程は従来型の12式のそれを遥かに超える1500km前後に達する。ただし、弾体の形状変更と重量増により、発射車両一台当たりの装弾数は従来型の六発から四発に減少している。そして、どの世界にも口の悪い新兵がいて――




「――おっ、ネオアームストロングサイクロンジェットアームストロング砲じゃねえか。完成度高けーなオイ」

「――コラ! トールハンマーと呼ばんか!」


 本土から到着したばかりの新隊員と古参との間で、軽口にも似た応酬が聞こえるほどの優勢でありながらも、なお駐機を続ける迷彩されていないU-4の白い機体は、否が応にも目立った。禿鷲の群の中の白鳥一羽……という表現は誇張であるにしても、外見の優美なるが故にロギノールの近傍に潜んでいるかもしれぬ敵の注意を惹くのではないかと考える者は飛行場の関係者の中にも、そして当のU-4の客の中にもいた。飛行機を長居させることはできなかった。


 その客の一人が地上に一歩を記し、そして出迎えの幹部に尋ねた。

「警視庁の村雨です。Dチームの宿営地まで案内頂きたいのですが」

「Dチーム……ですか?」

 いかにも部内選抜昇進といった感じの、壮年の幹部は進み出たスーツ姿の女性に目をパチクリさせたものだ。足先から頭頂まで隙なく黒基調のスーツに身を包んだ美しい女性、眼前のその姿に、幹部は今年大学三年生で、本土に在って就職活動中の彼の娘の姿を重ね合わせた。ただし眼前の女性の様な日常離れした精悍さは、さすがに彼の娘には無かった。

「恐らくは南側最端の仮設倉庫かと……向こうには特戦の関係者しか立入が許されないので。許可はお持ちですか?」

「顔パスです」

「へ!?」

 言葉の内容を理解しかね、表情を歪めた幹部を他所に、女性は指し示された方向を顧みた。

「遠いわね……オーケー、独りで行くわ」

 会釈で礼を言い、女性は足早に歩き始めた。戦闘服と作業服の犇めくこの前線基地に、黒基調のスーツ姿は否が応無く目立つ。それも非武装だ。先刻の幹部をはじめ、この基地にいる自衛官はひとりの例外も無く外にいるときは銃を手放すことを推奨されていない。


『――――! ――――! ――――!』

 警報が鳴る。対地ミサイルの接近を告げる警告が響く。途端に周囲の戦闘服の動きが慌ただしくなる。村雨 素子はと言えば足を止めた。周囲の人影の流れから退避壕の方向に当りを付けたそのとき、一台の軽装甲機動車(LAV)が素子の傍らで止まった。運転席から顔を覗かせたカーキ色の空自迷彩が声を投げ掛ける。

「姉ちゃん! 表参道じゃねえんだぞ! なにを能天気に歩いてるの!」

「ちょうど良かった。乗せてくれる?」

 すかさず、素子は身分証を示した。身分証を一瞥しただけで、運転手の表情から柔和さが消えるのがわかる。自身が下手な佐官級幹部よりも高位の人物と対峙していることを、ハンドルを握る隊員は自覚していた。

「退避壕までですか?」

「違う」

 退避壕とは別方向を素子は指し示した。路傍で死神に出くわしたかの様に、彼の顔から血の気が引いて行く。

「冗談でしょう?」

「断ると、此処から一生還れなくなるわよ」

 素子からすれば冗談の積りであったが、自衛官はそれを真に受けた。決して広いとは言えない路地を、軽装甲機動車は抜群の旋回性能を発揮して転回して走る。広帯域無線通信機と連接した情報表示端末が、弾道ミサイルの飛来を、相も変わらず警告し続けていた。その巨体からは想像できない位LAVの車内は狭い。拘置室の窓を思わせる狭い車窓から、一筋の白煙が勢いよく天へ延びるのが一瞬見えた。


「03式だ。迎撃が始まったんだ」

 と、ハンドルを握りつつ自衛官が言った。「03式」こと03式中距離地対空誘導弾は、ノドコール揚陸作戦に際し最優先で揚陸が行われた装備だった。現状では二個中隊相当数の03式が飛行場周辺に分散配置されている筈である。特に近年に配備が始まった改善型は弾道ミサイルに対する迎撃能力すら併せ持つ。基地を囲むように各所から延び上がる白煙は、全て西方を指向していた――程なくして警報が解除され、弾道ミサイルが撃破されたことを端末越しに素子たちは知る。「死ぬかと思ったぜ……」 同乗の自衛官が呟くのが聞こえた。


 U-4で乗り付けた処とは違う駐機場で、素子はLAVを停めさせた。暗灰色の真新しいC-130が一機、仮設格納庫の傍で所在無げに鵬翼を休めているのが見えた。それを見上げつつ歩を進める素子の背後で、LAVがやはり足早に元来た途を走り去っていく。傍目から見れば、置いて行かれたと見えても仕方のない構図であった。近付いて行くにつれ、素子はそれが、最近配備が始まった特殊作戦対応型であることに気付く。新規製造ではなく、定期整備に入った機体に大規模な改造を加えることで完成した機体だ。まるでニキビの様に機体各所に目立つセンサー類の出っ張りもそうだが、四枚から六枚に増えたプロペラブレードと、レーダー換装により大きく変更された機首の形状が、この型と従来型との大きな相違であった。そのC-130、開け放たれたままの後部ランプドアに向かい素子は更に歩く。警察官としての勘が、そこに尋常ならざる気配を捉えていた。



「――デリヘルを呼んだ覚えは無いんだがな」

 投げ掛けられた声を、素子は無感動に見上げた。ランプドアの傍らで、金髪の青年が目を笑わせていた。装備を解いた戦闘服姿の青年、戦場にいる筈だが何処か戦場離れしたリラックスした感を、素子は彼らに抱いた。その彼らは五人いた。まるで素子の到着を待ち構えていた様に……

「うちのケンシンを補導に来たのか?」

「んだとぉコラァ!」

 野球チームのキャップを被った中年男がふざけて言い、美少年が男に目を怒らせた。いずれも戦闘服、だが長いバカンスを楽しんでいるかのようにその表情は不敵さに満ちている。

「その服装は……当ててやろう。デリヘルでも捜査でもない、就活だ。就職活動に来たんだ」

「じゃあ面接が必要でアルな」

 アフリカ系と思わせるほどに肌の黒い巨漢、そして昔の子供向け漫画で見た様な忍者の面で頭を覆った男が語り合う。

「お主、名を名乗れ」忍者が言った――彼らが「自分」で遊び始めていることを、素子は悟った。ムキになっては負けだ。


「――よく来た。素子」

「…………!?」

 からかっていた五人の視線が、一斉に貨物室の奥へと向いた。痩せぎすの、だが長身の戦闘服が五人の前に進み出た。煙草を咥えた不敵な眼差しが、後ろ指に背後を指して笑い掛けた。

「あの格納庫の裏、見回りも来ないんだが……どうだい一発?」

「まだ死んでないのか。さっさと死ね。ヤルしか能の無い変態コブラが」

 抑揚に乏しい口から吐き出された反撃に、他の五人がどっと笑った。キャップの中年男が笑いつつ言った。

「オイオイ一本取られたなあ隊長! 変態だってよ!」してやったりと、素子は顔をやや傾けた。

「お久しぶり。コブラ」

「会いたかったぜ。レディ」

「…………!?」

 唐突に投げ掛けられた女性の声、長年連れ添った恋人同士の様にそれに答える男の声は、五人の精鋭から一瞬にして笑いを奪った。不敵な笑みもそのままに、男は薄暗い背後の機内を顧みる。

「キリコ、こっちに来い。紹介するよ。おれの元嫁だ」

「キリコ……?」

 誰が元嫁だ――突っ込むよりも早く、怪訝が素子の眉を顰めさせた。精悍さに物憂げの混じった人影がもうひとり、奥から六人を差し置く様に進み出る。

「キリコは止めてくださいよ隊長。縁起でも無い」

「…………?」

 七人目か――現れたひとりに、素子は思わず目を細めた。個性については他六人に比して明らかに見劣りする青年がひとり。だがそれ故に印象が強烈に残った。

「まだシュンジでいいです」

 キリコ、と呼ばれた青年は、つまらなそうに彼のリーダーを顧みている。

「……それで、何の用だ素子」

「…………」

 七人――この七人が北部戦線の敵将を殺し、戦況を変えた――内閣自衛隊警察の垣根を超え、今や日本の情報機関(インテリジェンス)の間で「伝説」として語られつつある異形の七人――彼らを前に、素子は思わず身を引き締める。


 この男達が、今より私の指揮下で動く。





 日本国内基準表示時刻1月8日 午後13時12分 東京 内閣総理大臣官邸地下 官邸危機管理センター


『――カロゼリア王国は友邦十余カ国を代表し宣言する。我らの望むものはただ一つ、スロリアの平和である。然るに現状のスロリアは理想より遥かにかけ離れた状態にあることが現実であり、それは甚だ遺憾である。我らには対話の時間と場所を提供する用意がある。対話とは即ち、スロリアの和平回復と、再度の衝突を回避するためのあらゆる方策を編み出す話し合いである』


 壮麗な宮殿と盛装の列を背景に、やはり華麗な例服を纏った老人の発表が始まっていた。カロゼリア王国宰相代行 侯爵 オクセール-サグダ-ド-ファン-ル-ムジク。虚飾に塗れたこの王国の行政上の頂点であり、年季を経た大貴族たる彼は、三年前に訪日した経験がある。そのさらに前年、日本とローリダとの間でスロリアを廻る緊張が高まっていた頃、カロゼリアは駐日大使を通じて日本にある打診をした。「群馬県の無期限租借と日本国内におけるカロゼリア企業の優先受注権」――まるで日本の敗戦と「ローリダ化」を当て込んだような要求にときの神宮司内閣は当然怒り、その翌年、「スロリア紛争」明けの宰相代行訪日はそのまま謝罪の旅となった。その際に求めた天皇への謁見は、当然容れられなかった。それ以来、日本とカロゼリア間には調整と事務手続きを目的とした政府高級官僚同士の往来は頻繁にあっても、政府主要幹部のそれは途絶えがちだ。


 官房長官 蘭堂 寿一郎の言うところの、「印業爺」の宣言が、スクリーン上では尚も続いている。

『――我らユーレネル諸国としては、ニホンの軍事力行使に不安を覚えざるを得ない。我々はニホンとの対立を望むものではない。ニホンには我らの懸念を汲み、そして矛を収めて対話の卓に付いて欲しい。ユーレネルの諸王と民は今やニホンに恐れを抱いている。ニホンも今回の軍事力行使に関し釈明の機会が必要と考えている筈である』


「これも一応は予想の内だったな」と、円卓の上座にあって内閣総理大臣 坂井 謙二郎が言った。円卓を占める文官武官の内、表情で同意を示したものは少なくは無かった。

「総理の仰る通り、想定内です」と隣席の蘭堂も応じる。ノドコール方面で日本の武力行使が表面化した際、有力な第三国が干渉を企図するのは予想されたことであった。ただし、数カ国連名での懸念表明という形での和平打診には、さすがの蘭堂と雖も困惑を隠せないでいる……が、その行動に関してはひとつの確信もまた、蘭堂は有していた。

「ただ意外に早い。おそらくはこれら複数国を取りまとめた者がいるのでしょう。そうでなければこれほど短期間に統一された意志表明はできません」

「心当たりはあるのだろう?」

「はい……」

「ローリダかね?」

「…………」

 今度は無言で、蘭堂は頷いた。画面の一角が切替り、外務大臣 蒲田 義臣の実年齢より若く見える顔を映し出した。但し決して明るい表情では無い。

『――総理、報告致します。まずはノドコール情勢の件ですが……』

「うむ、話してくれ」

『――ローリダの外交当局から打診が入っております。ハイジャック犯との交渉を仲介する用意があるので、ノドコールにおける軍事行動の一切を停止して欲しいと』

「何だと?」

 坂井総理が声を上げるのと、一同のどよめきが明らかに連接していた。

「具体的にはこうです。グナドス本国と368便の抑留先に特使を派遣し、ローリダ独自に交渉を行うとのことです。交渉の結果が出るまでノドコールにおける自衛隊の行動を停止せよと。なお、我が国の同意を得次第KS側ともその旨打診するとも伝えてきております」

「愚策です。いかなる形であれ、テロリストとの融和はあり得ません」

 坂井総理に視線を流しつつ声を上げたのは、防衛大臣 桃井 (ほのか)であった。それも即座に。蒲田外相と同じく実年齢に比して若く、冷たい女性の声は、文字通りにこの場の男達に冷水を浴びせかけた。よく考えれば、日本政府の公式見解でも「ローリダ共和国」は外交交渉の対象になり得る「国家」ではなく、ただ「ローリダ共和国」を自称する「武装勢力」なのだ。彼らの言動に対し探るべきは悪意と打算の所在であって、善意や友好のそれでは無かった。


「――このタイミングでか? やはりKSとローリダは一枚岩ではないか?」

「――ハイジャック犯の背後もローリダではないのかね?」

「――事件発生のタイミングも考えれば大いにあり得ますな」


「デルバリアとの交渉はどうだ?」 私見をぶつけ合う列席者からは超然として蘭堂は言った。苦労症を思わせる蒲田外相の表情が一層に曇るのが見えた。

「彼らは戦闘機の供与を求めております」

「え? 戦闘機?」と声を裏返させて聞き返したのは防衛担当補佐官 島村 速人であった。「金銭とかではなく現物ですか?」

「彼らは戦闘機が欲しいと言っています。日本製の最新鋭戦闘機を供与して欲しいと、当然無償で、です」

「話にならないな」

 呆れた様に言い、蘭堂 寿一郎は広角情報表示端末の世界地図を見遣った。辺境と言うも恥ずかしい地の涯、「デルバリア」と表記されたそこで赤い機影のアイコンが止まっている。遡ること1月7日の深夜、368便の降り立った位置だ。一瞥を止め、蘭堂の視線は上座の坂井総理に廻った。安全保障関係のレポートに度々その名が上る故か、彼らのことは知っている。国家を自称しているが、武力を背景にした周辺地域からの収奪と、海賊勢力とも連携した人質商売で糊口を凌いでいる様な無法者の集まりでしかない。過去に一度は奴隷貿易の取締りを廻り海上保安庁との間で大規模な武力衝突にまで発展している――そんなのとどうやってまともな交渉を続けろというのか?


 坂井総理が言った。

「蒲田君、ローリダ人にはこう返答しろ。交渉だけでは駄目だ。368便の人質全員を無傷で此処まで連れて来たら、ノドコールの状況については考慮する、と」

「考慮?……あくまで考慮ですか?」と、蘭堂は聞いた。

「そうだ考慮だ。即時停戦ではない」と坂井。それが打診の拒否であることに気付かない者は、この円卓上にはいない。だいいち、ローリダ人の打診に活路を見出そうとする者がこの場にいる筈が無い。

「テロリストはどうしますか?」と桃井防衛相が聞いた。語尾が恐らくは苛立ちで震えていた。普段の彼女が見せない感情の発露であった。直接の交渉を回避した搦め手ではあっても、テロリストとの交渉を彼女は恐れていた。その桃井を顧みることなく、坂井総理は言った。

「桃井大臣、人質救出作戦の策定はさせているか?」

「はい。本省を中心にいくつかのパターンに分けて作戦立案を進行させています。戦力も中央即応集団(CRF)及び第一空挺団(1stAB)の残置部隊を待機させております」

「デルバリアならば、少なからぬ抵抗も想定されるな」

「はい……!」

「……テロリストは、全員生かさない判断をするかもしれないよ」


 低い声で、坂井総理は言った。決して大きな声ではない。但しその声は暖房の効いている筈の広範な会議室に、鳥肌を生じさせるほどの冷風を吹き込んだ。「ノドコールの戦況報告を」

 松岡統合幕僚長が立ち上がった。同時に端末上の地形図が拡大し、主戦場たるノドコールの全容を表示したところで止まった。

「ロギノール北方の某村、現状便宜上ベース-コンペイと呼称しておりますが、此処を確保できたのは幸いでした。中北部からキビルまでを射程内に収め得る12式SSM改の発射拠点となり得ますし。中型UAVを発着可能な広さも有しております。戦車の被弾故障と、その回収作戦の際に生じた武装勢力との戦闘という偶発事が福に転じたとも申せましょう」



 故障した10式戦車を廻る攻防戦の一部始終は、すでに日本中の報道媒体を駆け廻っていた。戦闘に参加した隊員の装備する軽量(CCD)カメラの捉えた銃火の交差と迫り来る敵影、そして敵兵の密集する闇夜に向かい敢然と応戦する自衛隊員の姿が生々しく、そこに航空支援に展開した攻撃ヘリの暗視画像が加わった。「英雄」が出現したこともそうだが、防衛省の管理下にあるそれらを当局が躊躇なく公開した結果として、戦時に爪先を踏み入れた積りでしか無かった日本社会は一変したのだ。


「――平和国家の日本人が、まるで映画のアメリカ兵の様に戦っている」――とある地方紙に為された投書が主要紙にも取り上げられ、日本中に衝撃を以て広がるのに時間は掛からなかった。隊員の募集部門は当初、動画の衝撃的なるが故に志願者の減少と新隊員の大量離任を懸念したというが、むしろ動画を見て意欲(闘志と言うべきか)を掻き立てられた者が、数を増して地方連絡所の門を叩く様になったという。「今となっては、若者は男女を問わず鬼か巨人でも退治に行く様な感覚で自衛隊に志願する」――ノドコール戦の前年、新聞の時局記事に載ったとある評論家の言葉もまた、今や広く人口に膾炙する処だ。


「――前線で戦う自衛隊の皆さんに、生徒たちがお菓子や手紙を届けたいと言っている。何か方法は無いか?」

 とある県では、近隣の小学校からそのような打診を受けた駐屯地があったという。「正規の補給網を圧迫する」という理由で、陸幕で一旦却下されたそれが、後に一転して防衛省での検討事項となった。桃井防衛相自身の指示であったという。この際国民に対し「点数」を稼いでおきたいという計算が働いたのかもしれない。三年前と違い、今のノドコールを廻る戦いには明らかに軍民を巻き込んだ「熱気」が生まれ始めている……それが日本の今後にもたらすのは吉か凶か、確信を以て判断できる者は此処には未だいない



 ――広角情報表示端末の一角、居並ぶ部隊指揮官の写真と官姓名が並ぶ一点に目を遣った蘭堂の眼光が、幹部の中にひとつの顔を見出し和らいだ。

「沢城……?」

「彼に何か……?」

「うちの健太郎の友達だ。彼は今どうしている?」

「ロギノールにて指揮下の中隊共々休養、待機中です。彼の部隊はロギノール港確保から東方の山岳戦と連戦続きでしたので」

「成程……大変だな。総理……」

「ん……?」

「この際、多国籍軍によるノドコール中南部の治安回復という既成事実を進行させた方がよいでしょう。友好国の軍を、後方支援という形で投入するべきです」

「早過ぎはしないか?」

「ノドコールの平和回復のためです。我々がKS政府打倒を既定としている以上、KS無き後の平和維持活動を事実として進行させるべきでしょう。これまでの想定よりも早期に、です」

「成程、それがロメオの打診に対する我々の回答になるわけか……」

「工程表の内容が少なからず変わるわけですが、已むを得ませんね」

 桃井防衛相が言った。同時に松岡統合幕僚長に目配せをする。目を瞑り、松岡幕僚長は頷いた。


「三年前のような終わらせ方は出来ない。何が起ころうと我が国はノドコールからロメオを逐い、平和と不可侵を回復する。諸君らもその心構えで職務に当ってもらいたい」

 坂井総理の言葉には、列席者の身を奮わせる響きを有していた。




デルバリア同盟内基準表示時刻1月8日 午後13時14分 デルバリア同盟領デルエベ藩王国 デルエベ飛行場


 中点を過ぎた太陽が、赤みを増して西の地平線へと降りて行くのがこの季節ではすぐにわかる。その烈しい光の下で、狭い滑走路の隅に停まった旅客機はその全容が陰となり、そこから延びた影もまた滑走路の矩形を不吉なまでに横切っていた。B-767Jの巨体を停めるにはその滑走路は狭過ぎ、それは着陸時の烈しいオーバーランとなって実証された。機体が再び離陸できるか否かは、もはや判らなかった。滑走路がアスファルト造りではなく、コンクリートブロックをタイルの様に繋ぎ合せたもので、その所々が割れたり欠けたりしているのに、乗客であった人質は地上に降り立って初めて気付く。作りは粗末で、しかも長年に亘り手入れが為されていない。飛行場とは名ばかりの、荒廃したコンクリートの平原――

 

 街も無ければ緑すら見えなかった。言い換えればこの世の涯を思わせる殺風景のみが飛行場の周囲を支配していた。早過ぎる黄昏の魔手が、その殺風景振りに一層の暗欝さすら加えていた。暗欝さが、希望を望む者からそれを奪っていく――

 豚の様な顔と体格をした武装兵に、飛行機から降ろされた人間はそれこそ家畜の様に銃口を向けられ追い立てられた。押し込められる様にして収容された、かつては倉庫として使われていたかもしれぬ建物はコンクリート造りではあったが、風を凌ぐという建物本来の機能を果たすことができるかどうかも覚束ない。裸に近い上半身に弾帯や防弾服を巻いた男達、中には明らかな異種族すらかなりの頻度で見受けられた。彼らの手にする重火器に軍隊の様な統一感も無ければ、彼らの表情にハイジャック犯に比べて知性など欠片すら見出すことができない。人質となった日本人は機から下ろされるや否や、彼らの向ける銃口と獲物を見出した獣のそれ同然の眼光を向けられることとなった。


 空気は、昼を過ぎたのにも拘らず熱く乾いている。


「――みんな! よくやったわね!」

「――先生!」

 周囲の荒廃に似つかわしくない、若い男女の歓声は、否応が無く人質たる日本人の注意を惹いた。諏訪内 佐那子もまた例外ではなく、亡羊(ぼうよう)とした彼女の眼差しの先で、青い制服姿のグナドス人たちが、彼らを迎える人だかりの中にやはり同じ青い制服姿を見出し、そして駆け寄る光景が次には生まれていた。武装兵に取り巻かれハイジャッカー達を迎える金髪の青い制服に、佐那子は瞳を亡羊から驚愕に転じる。

「ユニ-ゼテク博士……!」

「なに? 知ってる人なの?」

 傍らを歩く商社員が、憔悴しきった顔を佐那子に向けた。彼を顧みることなく頷いた佐那子の背筋が、突き上げて来るような怒りに震えた。教え子との同窓会での再会を喜ぶ教師宜しく、ユニ-ゼテクという名の女性は駆け寄るハイジャック犯らを出迎え、一人ひとりを抱きすくめている。

銃を投げ捨て、女性の周りに集うグナドスの青年たち――

思わず声を上げようとする佐那子――


「――私はデルバリア同盟統一国民会議終身議長にして国軍最高司令官、デルバリア聖教の庇護者にして国家英雄、新世界のあらゆる自然と動物の庇護者にしてマルジア王国デルバリア公爵、ローリダ聖十字騎士団団員、グナドス国家哲学博士にしてニホン国際信州学院大学名誉教授であるデデリバ-アル-バ-デルバリア-ドス-ザミンである!」


 野太い声が、長旅に疲れ切った人々の神経を萎縮させた。不快な上に、威圧感のある声であった。唖然として全員の視線が集中した先で、煌びやかな勲章を纏った軍服、それも幼児向けの特撮ドラマでしか目にしない様な装飾過剰の軍服が佇んでいた。樽の様な幅の広い巨体。相撲取りを思わせる肥満体が、再び声を張り上げる。

「――私は新世界清浄化同盟の掲げた理想に共鳴し、飛行機の受け入れを認めるに至った。その結果君たちニホン人は私の客となった!……だが!」

 黄ばんだ、大きな目が見下ろす様に動いて日本人を見まわす。およそ人間の顔では無かった。昔のファンタジー小説に出て来る悪鬼(オーク)を思わせる、首の太い猪の様な異相であった。その様な貌故に、重厚な装いが一層に似合っているように佐那子には感じられた。


 ザミンと名乗るその人物は、さらに濁声を張り上げた。

「――君たちが客であり続けられるか否かは、君たちの政府の決断に掛かっている。君たちの政府が我々の偉大なる事業の障害たらんとしたとき、私は君たちの未来に対し重大な決定を下さねばならないであろう。その責任は全て君たちの政府にあることを、この場において銘記しておいてもらいたい!」

 そこまで言い、ザミンはニヤリと笑った。下顎から突き出た二本の犬歯が太く、それ故に地獄で亡者を引見する魔王すら佐那子に連想させた。この狭い飛行場の王らしきこの異邦人が、日本人にとっての救いの神では無いことは子供にすら判るだろう。


「おれたちは此処でも人質か……!」

 何時の間にか佐那子の傍らにいた商社員が、表情を怒りに歪ませている。グナドス人たちが「先生」と呼ぶ女性が、やはりハイジャッカーの若者たちを引き連れてザミンの許へ歩いて来た。初老の女性、かといって決して老境という風貌では無く、年齢以上にその肌色は若々しい。誰の目にも明らか作り笑いをそのままに、グナドスの女性はザミンに両手を拡げて見せた。浮世離れした、雅な口調であった。

「ザミン総統! 闘争成就に向けた総統の御厚意と助力、この若人らを代表し感謝いたしますわ」

「博士、ニホンは間違いなく屈服するのでしょうな?」

 厳めしい表情を崩さずにザミンは言った。撥ねつける様な口調、しかし敵対関係にあるわけではない様に佐那子には思えた。ザミンの問いには答えない。そのゼテク博士が、嫌味な作り笑いを人質たちの一群に向ける。

「へえ、これが貴方達の生きた戦利品ね」

「ゼテク博士!」反射的に、佐那子は声を荒げた。

「どうしてこんなことをしたの!?」

 今や彼女の従属物でしかないグナドス人の若者たちが、冷たい銃口を一斉に佐那子に向けた。煩わしげに銃口を下げる様促し、ゼテク博士は佐那子に向き直る。

「この世界に神はいない。だから誰かが罰を与えければならない。思い上がったニホン人に」

「罰? 何の罪があって……!」

「てめえの胸に聞けよ。下等種族が!」

グナドスの若者が目を怒らせた。自然、再び持ち上がった銃口が佐那子を睨む。銃港からは超然として、佐那子の柳眉が吊り上がる。グナドスの若者を怯ませるに、それは過分な威力を発揮した。もはや銃口を収める素振りすら見せず、ゼテク博士は口元を歪ませた。

「悪いけど貴方達と話す口も時間も私たちには無いの。これから凱旋パレードのスピーチを考えないといけないから」

「その卑しい言い方、反吐が出る」

「何ですって……!?」

 皺が目立つ水色の瞳の奥で、怒りが瞬いた。ゼテク博士が手を出し、生徒が拳銃を抜いて渡す。躊躇なく佐那子に向かう拳銃の銃口――思わず身を竦め、佐那子は目を瞑る。引鉄は、やはり躊躇なく弾かれた。

「ヒッ……!」

 腰こそ抜かさなかったが、佐那子は身じろぎした――周囲から狼狽が生まれる。但し佐那子の後背では無く前で。薄らと開けた眼前に、グナドス人がダキと呼ぶドレッドヘアーの異邦人が立ち、ゼテク博士の拳銃を握る手を明後日の方向に捩じっている。

「触るな下等種族!」苦痛を怒りに繕った上品さをかなぐり捨て、ゼテク博士はダキを罵った。周囲のグナドス人はといえば、手にした銃をどちらに向けるべきか困惑の色をあからさまにしているのが判った。困惑は、佐那子にすら容易に感染した。罵声に眉一つ動かさず、ダキは無感動にグナドス人を見下ろした。

「こいつは医者だ。身代金もそれだけ多く獲れる。面倒を起こすな」

 射竦められ、巌に挟まったかのように動かないゼテク博士をそのままに、ダキはザミンに向き直る。目配せを受けたザミンは軽く頷き、配下の兵士に手を上げた。中断しかけた虜囚の連行が始まり、佐那子もまた強制に従う。ダキと行き合う間際、佐那子は呟く様に言った。ふたりの背の丈は奇しくも同じであった。

「……ありがとう」

「……フン!」

 傲然として日本人の列を見送るザミンの傍らに、幹部が駆け寄る。耳打ちを受けた瞬間に、ザミンは目を剥いた。

「何だと!? それは本当か!?」

 魔王の貫録から一転、ザミンは明らかに狼狽した。声は大きく、周囲の人間はおろか遠ざかりゆく日本人の少なからぬ数もまた彼を顧みた。地平線を占める山際から爆音が近付き、程無くしてそれは低空で飛行場の上空を舐める巨大な機影となって赤い空を過った。地上からの困惑と侵入者に対する怒声からは超然として、四発エンジンのプロペラ機が低空を廻る。左方向に傾けた鵬翼が、軽金属地肌の機首をぎらつかせつつ滑走路に正対させた。降りる積りであるのは、下ろしたフラップと主脚から地上の誰の目からも明らかだ。

「ありゃあローリダの国章じゃないか!」

 佐那子の隣を曳かれていた商社員が、半ば唖然として言った。主翼と胴体に描かれていた絡み合う竜の紋章に、佐那子は思わず目を奪われた。警備のデルバリア兵を茫然とさせつつ、四発機は着陸から速やかに駐機場に進入して脚を停める。開かれた胴体扉から簡易なタラップが下ろされ、やがて一人の真白い人影が扉を潜り、降臨した神宜しく地上の人々を睥睨した。

「ルーガ-ラ-ナードラ」

「誰?」

 ダキが苦々しげに呻き、佐那子は無心に戸惑う。人々の思惑を他所に、フードに覆われた女性のシルエットがタラップを降り始める。途上、女性がフードを拭う。

「…………!」

 粗い、乾いた風に(そよ)ぐ長い黒髪と端正な横貌が、佐那子を遠方からであっても圧倒した。何故圧倒を覚えたのかは彼女には判らなかった。同時にダキがナードラと呼んだその女性が物憂げな眼差しを眼下に廻らせるのが佐那子には判った。


「緑……?」

 思わず佐那子は呟いた。瞳に湛えられた緑の光が、何時しか自分たちの方に向いていた。



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― 新着の感想 ―
[良い点] 政治からハブられたらしきナードラさんが活躍?しそうな所。 人質にされた人々をどうか助けてくれー! [気になる点] [新世界浄化連盟]か…。存在しない神の代わりに裁きを行使するって、実質神を…
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