第二一章 「その人の名は 前編」
カロゼリア王国基準表示時刻1月8日 午前8時14分 首都アドナルドシュテッヒ 宰相官邸
この世界は広い。一方の大陸で大地を揺るがすほどの火薬を使い、惜しげも無く人命を投じた戦争をしているかと思えば、流麗な建築の並ぶ官庁街にあって、政策や外交にまつわる世間話に花を咲かせるごく少数の人々がいる。そして大抵、後者の方が民の生活に大きな影響を与え、さらには進行中の戦争の帰趨をも決めてしまう。この場合、前者に関してはこう言うしかない。「取り敢えず、お疲れ」と……
この日、カロゼリア王国首都アドナルドシュテッヒの中枢、王宮東苑に位置する行政区たる「官庁宮」、その一部を占める宰相官邸では奇妙なまでの活気が生まれていた。宰相との面談を求める有力者と地方の代表が、宰相執務室に隣接する待合室に通されるのがこの時間帯なのだ。時間帯にして正午までの三時間か四時間。しかしこの国では支配層と被支配層、あるいは所有する富の多寡という点で彼らの中間に位置する人々にとって、階層間の摩擦を可能な限り解消するのに必要な時間であった。ただ当の支配層にその自覚を持つ者は、あまりに少なかった。だいいち、宰相位が新王即位以来ずっと空席という状況で、折角参内を果たしたところで誰と面談せよというのか?
王国商工会議所 総会頭ラヌス‐ダガ‐リーザは、待合室の席に座り、待合室を見渡すようにした。壮麗な宮廷のいち部屋らしく、待合室として使われているこの部屋の調度もまた見事なものであったが、すでに幾度もこの部屋の客になっているリーザからすれば、別段特別な感動を催すものではなかった。宰相は空席だが、面談の相手はいるにはいる。その面談の相手が、変な気まぐれを起こさないか祈るばかりだ。何せ相手は大貴族。平民相手の約束を違えるなんて、塩と砂糖を間違える程度の過ちとしか捉えていない人種であることを、リーザは長年の経験から知っている。
横目がちに隣席を顧みる。先客が何人もいた。彩色と個性に乏しい、葬式にでも赴く様な服装。その洗練度ではリーザに遥かに及ぶべくも無い。ひと目で地方から王都に上って来た人間だとわかる。饐えた体臭から、恐らくは前夜は何処にも一泊せず、宮殿の外門の傍でそれが開くのを待っていたのではないだろうか……自分の乗る車が宮殿外縁を通る度、それらしき人々が門の傍に集まっているのを見る。彼らの数は次第に増え始めている。不公平と貧困……「転移」前から存在していたこれらの宿弊が、加速を付けて顕在化している。
面会までにはまだ時間があった。リーザは懐からタブレットを取り出した。ニホンの首都東京に留学している孫娘が、休暇帰省の際にプレゼントしてくれたものだ。使い方もみっちりと教わった。起動するのと同時に、毎日見ているニュースサイトのトップページが開く。ここ一週間、世界的にはノドコール情勢がニュースのトップを占めている。カロゼリアも含むユーレネルラント系通信社の記事、「圧倒的な軍事力を持つニホンが、独立したばかりの小国を「圧殺」している」記事が――
「…………」
リーザは鼻で溜息をついた。こちらの記事がニホンに批判的なのも無理は無い。あの開戦と前後して、ユーレネルラント全体では、総勢三万名に及ぶ若者がノドコール共和国に義勇兵として赴いている。反ニホン的な思想の持主、高い報酬に魅了された者、情報収集など様々な理由から身分を隠して前線に赴いた軍人、冒険心を満足させるべく前線に飛び込んだ若い貴族――但し彼らは義勇兵の中では決して多数派では無い。貴族や有力者が「買い上げた」貧しい農民や無産階層を、代価と引き換えにノドコールのローリダ人に送っているのだ。カロゼリアより文明度の遅れた何処かの王国では、賭け事の負けが込んだ貴族が、領地の農奴を義勇兵として「売り払い」、負債を完済したという話も聞く。そういう不条理な話が、リーザの属する階層になると嫌でも耳に入って来る。
ドアの向こうで、誰かが入って来る気配がする。面会の相手かと思ったが違った。王宮詰の官僚に導かれ入って来たのは若者が一人、身形は地方人の先客と変わらぬ地味な風采だ。深く被ったハンチングキャプに頭の大半は隠れていたが、この待合室の平均年齢を十年……否二十年くらいは下げるだろう。それ位に若々しい顔立ちであるのが判った。若者は官僚に礼を言い、末席に腰を下ろした。面会にはもはや遅すぎる時間。ひょっとすれば、そこに座っているだけでこの日の面会時間が終わってしまうのではないかと思えるほどの末席だ。
若者が鞄からタブレットを取り出し、リーザは内心鼻白んだ。その拍子に若者とリーザの目が合い、若者は軽く会釈する。その若者を、リーザは以前何処かで見た様な気がした。直接会ったわけではないが、知っている顔……視線の交錯も一瞬、若者は開いたタブレットの画面に向き直る。身形と場所に不相応な情報機器……というだけでもう只者ではないとリーザには判る。
はて……誰だったか――タブレットを持ったまま、リーザは天井を仰いだ。天井画の天使とも意図せずに目が合う。かと言って天使が彼の疑問に答えてくれる筈も無く、周囲で話し込む面会希望者の声のみが、脳内に空虚に反響した。再び待合室の外が慌ただしくなるのが聞こえる。官僚を従えて入室してきた長身の青年に、リーザは思わず腰を浮かしかけた。
「伯爵……!」
小さく叫ぶリーザ―には目もくれず、青年の目が末席に向いた。
「ロルメス?……ロルメスなのか!」
「お久しぶり。アリド会議以来……かな」
タブレットから顔を上げ、青年は腰を上げた。長身の伯爵の笑顔が、長年の友人を見出した様に緩んでいた。
ロルメス-デロム-ヴァフレムス!――今になって自身の脳内に引き出された名前に、リーザは驚愕する。ハンチングキャップを脱いだ青年の顔は、リーザの記憶よりも精悍さをより増していた。
窓から注ぐ日光が暖かい。外から聞こえる小鳥の囀りが、朝方の執務室に清々しい空気を運んできた。
宰相府首席秘書官 伯爵 カリムト-ド-ファン-ガルヒの執務室は、その地位に相応しい荘厳さと形式に拘らない機能美とを併せ備えているように感じられた。年齢にして若干20代後半の彼が、カロゼリアの名門ガルヒ伯爵家の当主に収まったのは三年前のことで、それ以前の彼は、辺境のいち王国ミランに本拠を置くローリダ系資源採掘会社の幹部であり、ひいては有力な株主となった。本来伯爵家を継ぐ筈であった彼の兄が、交通事故死という不慮の死を遂げるというトラブルがなくとも、その才幹と財力で子爵位くらいは掴み取ったかもしれない。ロルメスとはそれ以前に遡る、家族ぐるみの仲であった。
獣人のメイドに運ばせたクリームティーを啜り、そのカリムトは言った。
「失脚したって聞いたけど。どういう風の吹き回しだ?」
「相変わらずきつい冗談を言う」
クリームティーに手を付けること無く、ロルメスは笑う。ロルメスが看破した通り、カリムトの言葉は冗談であった。
「ところで、来客の方はいいのかい?」
カリムトは頭を振った。
「それは代行閣下のお仕事、と言いたいところだが、ムジク侯の来庁は遅れるだろう。就任してから大抵はそうだ。事によると午後になるかもしれない。昨日は狩猟だったかな。リエンシュヴァルク公と。昨夜にお伺いした時には筋肉痛で体中が痛いって仰っていたな」
王国の最高権力者のひとりの名を出し、カリムトは口元を歪めた。彼は呆れている。
「じゃあ今は君が面会を……?」
「実際に君とこうやって面会している」
カリムトはおどけた様に手を広げて見せた。「で、要件は?」
「まずはこれを……」
ロルメスは鞄から厳重に封印された書状を出し、そして差し出した。様式からして、それが国家監督下にある外交文書であることぐらい、この国では下級官僚でも判る。
「驚いたな……」
手にした外交文書に瞠目しつつ、ロルメスの同意を得てカリムトは封を開けた。文書を凝視して読むカリムトの表情から、貴人らしい余裕が一読ごとに退いて行く。
「執政官の署名付きか……凄いな……まあ、我々の権限で出来ないことではない」
「やってもらえるかい?」
「我が国としても、その他諸国としてもやるべき事だろうな。だが……」
「だが……?」
「これでニホンはノドコールから引き下がると君は思うのか?」
「ニホンの動きは封じられないが、その動きを鈍らせることはできる」
カリムトは頷いた。
「もしこれをやるとして、君の国の執政官がこの効果を過大評価していないことを祈るばかりだな」
「それはないな、執政官ご自身の発案じゃないから。執政官閣下からすれば、当れば儲けもの、程度の話でしかない。君にとってはいい迷惑かもしれないが」
「あの女の策か……君の派遣も含めて」
カリムトの表情に苦々しさが走る。彼の言う「あの女」も関わった過去の外交交渉の一幕を思い返し、ロルメスもまた苦笑した……それも一瞬、文書を受け取り、カリムトは新たに切り出した。
「先日、ノドコール情勢についてグナドス大使と話をした」
「グナドス?……確かニホンとも揉めているな。旅客機乗っ取り事件で」
「その乗っ取り犯を、生きて母国に帰したいというのがグナドスの方針だ。その点で我が国に協力を要請してきた」
「協力するのか?」
ロルメスの眉が、険しく顰んだ。敵国の件とは言え、人質を取り、要求を通そうとするような真似に寛容な人間では、ロルメスは無かった。
「協力はできないよ。表立ってニホン人の敵意を逆撫でする様なことは出来る筈も無い。ただ、仲介はできる」
カリムトは微笑んだ。「この場合、仲介する者はひとりより、ふたりいた方がいいと思うんだが」
宰相府を出たロルメス-デロム-ヴァフレムスの足は、そのまま王都の一角、決して中枢とは言い難い場所へと向かう。
既に断絶したさるカロゼリア貴族の邸宅であった邸、今となっては「日本国大使館」とカロゼリア語、新世界共通語、そして日本語で銅板の表札が為された邸の正門に入ったとき、警備の自衛隊員は庶民然とした異国人の青年を訝しげに睨んだものであった。まあ無理もないか――差し出したカリムトの発行した紹介状を一読した自衛官の表情が一変するのを、ロルメスはひと時愉しんだ。それからは、異国の要人を迎えるのと同様に状況はすんなりと進む。
「――母国で謹慎状態であったと伺いましたが、驚きましたな。相応しいお迎えも出来ず申し訳ありません」
カロゼリア王国日本大使 安納 彰人は表情一つ変えず、応接室に招き入れたロルメスに椅子を勧めた。カリムトと違い、言葉に冗談の要素は一切無かった。一方で想定外の客に対する驚きよりも、招かれざる客に対する警戒をロルメスは安納大使の表情から感じ取る。ひょっとすれば、彼は早くから自分のカロゼリア入りを察知していたのかもしれない……ともロルメスは考えた。
「あの老人か……」
「何か?」
少し考えるロルメスの表情を見逃さず発言を促す安納大使に、ロルメスは会釈を作って見せた。スーツ姿の日本人がコーヒーを運んできた。
「三年ぶりのコーヒーです。いい匂い……美味そうだ」
コーヒーカップを取り、ロルメスは目で安納大使の表情を伺った。安納大使が微笑し、飲む様促した。ロルメスの香りを堪能し、そして一口啜る様は市井の日本人のそれと変わらなかった。
「ローリダ共和国では、飲む機会は無かったので?」
「ええ……我が共和国は目下ニホン製品排斥運動の真最中でして」
「ああ……」笑顔を消し、安納大使は納得した素振りを見せた。
「ですが、どういうわけかニホンの物産は我が共和国にどんどん入ってきています。本当にいい物は政府の規制を以てしてもこれを防ぐことはできない。文化や情報もそうです。遺憾ながら、あなた方の文物は我が共和国のそれよりも一日、否三日の長はあるとわたしは認めます。願わくはお互い規制など排斥などという意地を張らずに、自然に文物ひいては人間の往来ができる様努めたいものですね」
「それで、ご用件は?」ロルメスの言を無視するかのように安納大使は聞いた。ロルメスとてこれで話が弾むことを元より期待してはいない。
「近々、私はカロゼリア大使代行に着任いたします。今回はその御挨拶と言ったところです」
「……エ-ラファス大使の件、未だ進展はありませんか?」投げ掛けた疑問から、驚愕の鼻息が漏れる。
「残念ですが……」とロルメスは頭を振った。「……ですが、時計の針は進めねばなりません」
「テロリズム、スロリアで捕虜となった私がニホンに滞在していた時に学んだ言葉です。飛行機諸共囚われた30数名のニホン人同様、ラファス大使をも襲った非道を語るのに、これ以上の言葉はありません」
「ええ、ベース-ソロモンで死んだ600余名の我が国同胞もそうですな」
「…………」
ロルメスと安納大使の視線が交錯した。老練な外交官の眼光の他、一個人としての怒りの眼光を、ロルメスは安納大使に見た。退き際だと青年は感じた。
「この新世界において顕在化した新たな火種、つまりテロリズムに対処するべく、我が共和国も近々行動を起こす予定です。出来得れば貴国にも協調願うと、サカイ首相閣下にお伝え頂ければ幸いです」
「了解しました」
事務的な口調で、安納大使は応じた。暫しの沈黙――否、対峙であったかもしれない――の後、ふたりはほぼ同時に椅子から腰を上げた。お互いに言うべきことは言ったし聞くべきことも聞いた。だが、これから二人には互いの言動の真意を探るという、外交官としてより困難な仕事が待っている筈である。
ローリダの青年は去り、安納 彰人は彼を正面玄関まで見送った。ロルメスという名の「次期ローリダ大使」を乗せた車が、正門の先に見えなくなるまで見送ったところで、安納大使は執務室へと足早に踵を返した。屋内では知らず、小走りになっていた。「水だ。水を一杯くれ」
秘書官が持ってきた冷水を一気に飲み干す。椅子の背凭れ深くに身を委ねて一息つき、指示を待つ秘書官に命じた。
「奈良原君を呼べ」
日本大使館付情報官 奈良原 喜一が、安納大使の執務室に入ったのは、きっかり10分を経過した後のことであった。喪服かと思わせるほど黒いスーツに長身を包んだ細身の男。その顔色は爬虫類かと思わせるほどに悪かった。何もこの日のことだけではなく、着任してから――おそらくは、着任するはるか以前から――この男の形はこうであった。警視庁からの出向、警視庁時代には入庁以来警備畑一本で、一時は特殊事件捜査班の指揮官を務めていたとも聞く。それでも安納大使からすれば、全く見慣れることの無い外見であった。
秘書官を退出させ、執務室が二人だけになったところで安納大使は切り出した。
「先刻の話、盗聴いていたな?」
「はい」
「じゃあ話は早い。ローリダ大使館に対する監視は続けているか?」
「続けておりますし、強化も致します」
「王宮も監視対象に加えた方がいいな」
「それは既に」
奈良原は軽く頷いた。安納大使に従いつつも、観察している様な眼差しを安納大使は察した。それ故に彼の前では心を許せない。
「しかし想定外だった。いきなり王宮に乗り込まれるとは」
「リーザ氏とのパイプが功を奏しましたな」
取り出した携帯電話の画面に、安納大使は目を細めた。朝方に入った携帯電話のメールが全ての発端であった。リーザ総会頭名で送られてきたメールは、その文面こそ恐らくは驚愕で乱れていたが、ロルメスの王宮闖入という事態の急変を日本大使館に迅速に伝え、ひいてはこの日の安納大使の予定まで変えたというわけだ。
「ところでラファス大使失踪の件だが……」
「ハッ……」
今度は、安納大使もまた奈良原を観察するように見つめた。
「前も聞いたと思うが、もう一度聞く。本当に我が国とは関係ないのかね?」
「それが……」
そこまで言い、沈黙と視線で語る――ことを悟った安納大使の表情から柔和さが完全に消えた。
「やはりか……!」
「閣下は、『ミュンヘン』という映画をご存知ですか?」
「『ミュンヘン』……若い頃に見たな。今の私の立場からすれば、おぞましい映画だ。そうまでしなければならないのかと……」
「話が早いですね。私も同感です」
映画の内容――自国民を大量殺戮したテロリストを、情報機関が地の果までも追い粛清する――「前世界」の何処かの外国であった実話を、棲む世界を変えた今では我が国がなぞっている……奈良原の沈黙の内に安納大使はそのことを察したが、それでも否定を彼は望んだ。然し否定は、容易く裏切られる運命にあった。
「……あの映画と同じことを、ひょっとして君たちもやっているのか?」
「御想像にお任せします。御理解も得ようとは思いません。ですがこの世界で日本を守るためには避けては通れない途です」
安納大使は嘆息した。
「わかった……じゃあ、あの若者も殺るのか?」
「場合によっては」
「そうか……!」
今度は茫然として、安納大使は椅子に凭れかかった。
「閣下、この場を借りいまひとつ、報告したいことがあります」
「何かね?」
「近い将来、この国でクーデターが起こると思われます」
「は……!?」
目を見開き、安納大使は奈良原を見返した。大使の驚愕を見届けた無表情が、ものを言う機械の様に口から報告を紡ぎ出す。
生じた戦慄は決して広くは無い執務室をすぐに飛び出し、いずれは大使館内に満ちて行く。
そして、今自分が座っているこの椅子からは、もう降りられないことを安納大使は悟った。
シレジナ方面基準表示時刻1月8日 午前9時27分 シレジナ地方ナガフル ノルラント軍前線基地「ドナン1023」
蜂の巣を突いた様な……では済まない、嵐の到来を思わせる混迷が「ドナン1023」の広大な段列を襲っていた。
昨夜だけでも前線に配置した監視拠点七箇所、補給拠点二箇所が夜間に敵軍の奇襲を受け壊滅している。自動車による迅速な機動と離脱。その後には徹底的に破壊され、戦略的価値を喪失した瓦礫と死体の山が残された。もっとも、拠点に対する強襲は陸戦上の有触れた戦術であって、威力偵察の一環と見做されてはいたが、それも規模を拡大すれば攻勢となる。被害も出ているのならば尚更だ。しかも、凶報はそれだけではない――攻勢が始まったのだと、少なくともノルラント同盟 シレジナ方面軍司令会議議長 イザク-アリイドラは判断した。
そのアリイドラの判断の結果として、二等陸佐 佐々 英彰は作戦会議の末席にいる。
その隣席には一等海尉 磐瀬 詩郎佐がいる。「ニホンの観戦武官団に、我々の抱く危機意識を共有してもらい、ニホン本国に報告して欲しい」というアリイドラ軍監長の要請の結果、佐々はそれまで声すら掛けて貰えなかった作戦会議に席を占めることになったわけだ。当初、磐瀬一尉はその中に入っていなかったが、現地における佐々の副官格、あるいは本土の海自中枢との連絡係、ということで佐々が半ば強引に末席に捻じ込んだ。それを拒否しない辺り、アリイドラ個人の切羽詰まった状況が伺えた。
「――何で磐瀬一尉を連れて来るんだ?」
苛立たしげに佐々に聞いたのは、観戦武官団長 一等陸佐 花谷 靖人である。
「幹部に危機意識を共有させるためです。連絡の手間も省ける」
「何を急ぐ? ロメオがいきなり攻めて来るわけではないだろう?」
「そのまさかが、スロリアでは結構な頻度で起こりました。此処でも起こり掛けております」
「貴様……!」
「わたしが許した」
遅れて入室して来た参謀長格の軍監 ナジース-ジレが、いきり立つ生徒を宥める教師宜しく花谷一佐の肩を叩いた。「四の五の言わず席に付け」という促しであった。不承々々席へと向かう花谷一佐を見送ったジレが、佐々を顧みる。戦傷を隠す丸い黒眼鏡の奥が、花谷一佐を嗤っているのが佐々には判った。
衛兵に導かれ、方卓の上座に程近い席に向かい歩く花谷一佐、彼に数歩遅れて副官の三等陸佐 三嶋 輝由が続いて歩く。彼のことを、佐々は知っていた。「転移」前に実施された世界規模の対テロリズム作戦において、彼とは共に銃火を潜ったことがあった。任官以来一途なまでの普通科畑で経歴に派手さは無いが、堅実な判断と統率ができる人間だったように記憶している。花谷一佐の防衛大の一期先輩だが、負傷による長期療養が元で、復帰以来昇進が遅れていることもまた……「スロリア紛争」時の地位は確か第七師団留守部隊の幹部……現在と同じ、花谷一佐の補佐であった筈だ。
その三嶋三佐の席は、花谷一佐の隣であった。佐々二佐らといえば、二人から少なからぬ席を置き、離れて着座を促される。「わたしは此処がいい」と、ナジース-ジレは佐々の隣に座った。佐々がそれに驚くより早く、上座に就いたアリイドラの狼狽が怒声となって部屋に響く。
「貴様ら! 敵の威力偵察程度に何をうろたえておるのか!?」
怒声の矛先となったのは、既に着座していたノルラント軍の兵団長たちであった。一個兵団が陸自の一個師団に匹敵する兵力として、ノルラントはシレジナ攻略に三個兵団を基幹とする陸戦兵力を投入している。戦略予備的な独立混成団も含むと総勢五万名前後の兵が、シレジナ方面の一方には犇めいているというわけであった。ただしその将兵全ての素養を手放しで褒めるわけにはいかない。
観戦武官団の幹部として着任し、一週間も満たない間に、兵力として使い得るのは三万程度、それ以外は不可、という結論に佐々は達していた。総兵力五万のうち二万、編成上は戦略予備とされているこれらの部隊は老兵、予備役兵からなる後方警備部隊、そしてノルラントの従属国から供出されてきた未熟練兵から成る。予備役とか未熟練とかは聞こえはいいが、実態はつい先月まで所用で道端を歩いていたような普通の人間(あるいはそれ以下)の首に縄を付けて此処まで引っ張って来た様な、兵ですらない人間の寄せ集めだ。それに軍規と脅迫と暴力とで辛うじて集団としての秩序を維持している……といった程度でしかない。この「新世界」の残酷さを体現するかのような陣容だ。
そしてもう一方――方卓の中央に設けられた作戦図を、佐々は凝視した。東シレジナ湾方面から半包囲の状態にあるローリダ軍の要塞地帯、そこに籠っているローリダ守備軍は多く見積もっても二個兵団程度とされている。ローリダ軍は少ない守備兵力を中隊単位に複数分散し、相互に攻勢を援護し合うことで防衛線全体に亘り遊撃戦を展開している様に思われた。当初は威力偵察に見せかけ、散発的な襲撃に留めていたものが、先夜を境にそれはひとつの攻勢となってノルラントの前線を圧迫している。敵が襲撃に馴れ、警戒が緩んだタイミングを図る才幹の冴えはさすがに「あの男」というべきか。装甲化の度合いは兎も角、その機動力からして自動車化も相当進んでいるのだろう。しかしこのような襲撃紛いの攻勢を継続しても、一軍を一時混乱はさせられてもその打破は不可能である――何を考えているアルヴァク-デ-ロート?
補給に関しては、元々シレジナの西方の陸と海を完全に抑えているローリダ軍が優勢である。海軍力でも大型艦や潜水艦は「スロリア紛争」の結果、その勢力を著しく減じたが、辺境警備の小艦艇や快速艇の類は植民地にも未だ十分な戦力を残している。それが今回の紛争でも十分に機能しているのだ。
情報収集能力もローリダ軍が遥かに勝る。磐瀬一尉経由で市ヶ谷からもたらされる「通信」によれば、ノルラント軍の上陸以来、ローリダ軍はこの方面に度々「ロメオのU-2」こと高高度偵察機を飛ばし、シレジナ方面の航空偵察を行っていることが通信傍受により確認されている。さらには、連夜続いた自陣上空への航空機侵入――これに対し、佐々はあるひとつの確信を抱いている。それも戦慄を伴う確信だ。
何時の間にか、資料の山を抱えた幹部が二人、席を回り参集した幹部たちに資料の配布を始めていた。暗灰色のノルラント軍制服姿の女性士官の他、海自作業服姿の青年幹部がもうひとり、二人はまるで息の合った恋人同士の様に、分担して資料を配り続けた。配布の途中で花谷一佐がその幹部を呼び、二三言会話を交わす様を、佐々はやや憮然として見詰めた。隣の磐瀬一尉が舌打ちするのを聞く。あの幹部、士道二等海尉に関する報告を、佐々は今朝に磐瀬一尉の口から聞いている。報告が事実ならば、これは由々しき事態だ。その資料が全員に行き亘るより先に、副官より紙片を渡されたアリイドラの表情が信号機の様に一変する。
「極めて不愉快な報告だ。今より三時間前、ビトよりシレジナに補給物資を輸送中の我が軍輸送船団が、ローリダ艦隊の攻撃を受け壊滅した!」
「――――!!?」
動揺が広がる。ノルラントの軍人たちは兎も角、アリイドラに程近い花谷一佐までが、その端正な横顔から血色を失っていた。「まるで向こうの軍人だな」ボソリと磐瀬一尉が言うのを聞く。アリイドラがこめかみに青筋を浮かべつつ、平静を強いて続ける。資料を握る手が震えていた。
「軍監長、君の意見はどうか?」
ジレはゆらりと立ち上がった。不敵な笑みが浮かんでいるのを、佐々は見逃さなかった。
「小官が考えるに、状況はすでに時間切れであります。この戦況では純軍事的に打つ手は無い。小官としては本土の総軍監部に打診し、余力ある内にローリダの本国と外交交渉を行っていただけるよう希望します」
「交渉?……どう交渉するのか?」
「我らと違い、ローリダは現在、重大な局面に立たされております。つまり彼らは此処シレジナのみならず、他の勢力圏において敵対勢力と対峙せねばならないという、極めて困難な状況にある。我々としてはこの他戦線の推移に注意を払いつつ、ローリダと交渉していけばよい」
「シレジナはどうする? このまま包囲を維持するのか? それとも退くのか?」別の将官が問うた。ジレは頷いた。
「シレジナからは退かぬ。むしろ兵力と装備を集中する。海路からの補給はこれを継続する。如何に妨害されようともこれを排除しつつ継続する。足らなければ飛行船も使う。砲火は交えぬが、ローリダ人が音を上げるまで我々は此処から動かぬ」
「…………」
「ああ……補足いたしますが、小官の言うローリダ人とは我々の鼻先10ミルス先の前線にいるロートたちのことでは無く、此処から海を隔てたアダロネスにいるローリダ人のことです」
「…………」
内心、ジレには敬意を抱いてもいいのかもしれないと佐々は思い始めていた。ノルラントは現状、ここシレジナだけに注力すればいいが、ローリダはそうはいかない。「スロリア紛争」後の退勢に乗じ、他の列強勢力も動き始めているし、あのノドコールの件も今後の戦況如何によってはどう転ぶかもわからない。その結果としてローリダの広く、一方で薄くなった防衛線の一角たるシレジナを突き破るのがノルラントの戦略である。あるいは――
「――シレジナは奪れぬとしても、シレジナに釣り合う他の植民地をローリダからもぎ取ればよい。そのためのシレジナ方面軍であり外交であると小官は愚考するものである」
戦闘で使い潰すだけが軍隊の用途ではない、とジレは言った。攻略軍が健在である限り、それは外交交渉に於いて譲歩を強いるための交渉材料となる。それは軍事国家であり、行政に文武の別が無いノルラントならではの思考であった。外交による勝利、軍事行動による勝利、そのいずれもノルラントにおいては武官の成果となるのである。
「それは聊か消極的に過ぎるのではないかな軍監長」
と、アリイドラは言った。
「消極的ではありますが、破滅はしません」
「偉大なるノルラントが望んでいるのは勝利だ。単なる成果ではない。戦闘の結果としての勝利の末に得られる成果だ。それ位君だって理解していないわけではあるまい?」
「軍監長閣下、お言葉ですが、それは100パーセントの勝利であります。それを望める時期は当の昔に過ぎております。この戦、完勝は望めません。完勝出来ずともこのまま耐えれば偉大なるノルラントは勝利を得られます。完勝を望むのでしたら、より早期にニホンと誼を通じるべきでありましたな」
「軍監長、貴公には悪いが本職は決めた。これより我が軍は、ローリダ軍に対する全面攻勢に移行する。これ以上補給に掛かる負担を看過するわけにはいかぬし、それに今次の敵の攻勢はこの後に控える全面攻勢への助攻、と考えられるのではないか? であればローリダ人の出鼻を挫く必要がある。この場合、一撃を与えれば敵は退くより先に崩れるだろう。ハナヤ大佐」
「ハッ!」
花谷一佐が立ち上がった。不自然なまでに胸を反らし、方卓に居並ぶ幹部たちを一瞥する。
「軍議に先立ち、小官はアリイドラ閣下との間で協議を行いました。事態は急を要します。何故なら今次の戦役にあたり降伏は勿論、敵との講和もまた不可能であるからです」
「…………!」
驚愕、戦慄、そして茫然――三様の感情が議場に生まれ、そして交錯する。一方で花谷一佐は、異邦人たちを取り巻く感情に満足したかのようであった。そして議場に渦巻く感情から超然とする人格を装うのだ。
「ローリダの指揮官は、センカナス-アルヴァク-デ-ロートと聞く。かつて幾度もノルラントに苦杯を嘗めさせた狡猾な指揮官であり、冷酷無比な男だ。先年末、ノドコール東部において我が平和維持部隊拠点を急襲し、我が部隊600余名を含む五千名に及ぶ非戦闘員の殺戮を主導した張本人である。彼がノドコールに留まらずシレジナにおいても同様の蛮行を働かない保証は何処にも無い」
「…………」
今度は佐々が唖然として、花谷一佐を凝視した。佐々が彼を見るより早く、花谷一佐は上から佐々の表情を伺っている。その佐々の表情にすら、花谷一佐は満足を覚えた様に見えた。
「もはや我々は一蓮托生である。であるからして国の別、立場の別を越えて生存への途を探らねばならない。小官にはそのための秘策があります。願わくば諸将にも小官の策を容れて頂きたい」
「何を……!」
佐々が言い掛けたとき、再び報告が飛び込んできた。
「報告、シレジナ方面より敵軽攻撃機二機、東シレジナ湾上空に侵入、停泊中の我が軍艦船を空爆せり。なお、全弾海上に着弾し我が方に被害なし」
「何故報告が遅れた?」アリイドラが言った。
「低空からの高速侵入による奇襲であります。対処が遅れ申し訳ありません!」
「港湾施設に被害はないのか?」
「そのような報告は入っておりません」
「機雷を投下したのでは?」と、花谷一佐が言った。であれば完全に海上の交通路は絶たれる。再度拡がる動揺――反射的に、佐々は磐瀬一尉を顧みた。
「あり得ない話ではありません」と磐瀬。
「お言葉ですが閣下、確認が必要だと思いますが……」佐々が言い掛けたところを、花谷一佐が遮る様に言った。
「機雷投下と海上封鎖は今後も継続するでしょう。であれば前に進み、要塞を制圧する他に途は無い」
「花谷さん! あなた何の権限があって!」
堪らず、佐々は声を荒げた。
「佐々君! 今は非常時だぞ!」詰として、花谷一佐は佐々を睨んだ。「では武官団を撤収しましょう! 状況は危険なのでしょう?」
「……で、またロートに騙し討ちされるのかね? それとも君はロメオの手先か?」
「あんたな!」
花谷一佐に声を荒げたのは磐瀬一尉であった。「言っていいことと悪いことあるでしょ! 取り消せ!」
「取り消すも糸瓜も無い。生存し、この記憶を日本に持ち帰る。本官はそのためにはどんなことでもやる。邪魔をするな!」
「何だと!?」
「退出したまえ。ここで君らにできることはもう無い」
「…………」
ジレの手が不意に佐々の肩に触れた。肩に触れる手から、じんわりと力が加わる。
愕然とする佐々を、黒眼鏡が冷厳と覗いていた。
雨は降り出してはいないが、遠方から雷の唸る音が聞こえた。
司令部施設ではなお議論が続いている。ただし方針は完全に決した。前方のローリダ軍要塞に対する全面攻勢だ。その攻勢を勝利に結びつけるための議論が続いている。異邦人であった筈の花谷一佐が今やその議論の中心にいる。それを誇るべきか否か、二等海尉 士道 資明には未だ確信が持てないでいた。
作戦指導には関与せずという、観戦武官団本来の業務を盾に反駁した者はいる。佐々二等陸佐と磐瀬一等海尉のふたり。しかし彼らは最終的には総司令官アリイドラの命により、「護衛付き」で司令部から退出を命じられた。要塞を守るローリダ軍の指揮官という、センカナス-アルヴァク-デ-ロートの「前科」を持ち出された以上、それは緊急避難としての花谷一佐の作戦指導に正当性を与えるものでしか無く、何よりノルラント人がそれを望んでいた。
「――実を言うと、君のお父上に話はしてあるのだ。これで私が隊を離れることがあっても、私の立場は揺るぐことはない。国軍復活の大志は達成されるのだ」
前日、花谷一佐はそう資明に言った。「心ある国民は、私と共に在るだろう。今年の国政選挙でそれが明らかになる」
「――……で、あればよいのですが」
「――で、あるべきなのだ」
花谷一佐の口調が強くなり、資明は鞭打たれたように背を糺したものだ。
「――君も男子ならば、腹を括れ」
回想を止め、資明は自分の立ち位置を踏締める様にした。宿舎たる幹部用テントまで目前の距離であった。軍議と並行する一方で、資明は報告書の作成を命じられている。花谷一佐らの「作戦指導」を正当化し、佐々二佐の造反を「乱心」と片付けるための報告書だ。命令を否定することはできなかった。花谷一佐のためにも、父、武明のためにも、そして――
「――シルビア?」
「――モトアキ」
軍議を中座して司令部を出た直後、待っていたシルビア-ソム-ルクスの白い手が伸び、資明は手を伸ばしてそれを握った。指を絡めるように資明の手を握り返し、シルビアは微笑んだものだ。
「――大丈夫だよ。コワクナイ」
「怖くない……怖くない」――何時しか呟きが漏れていた。そのまま歩を勧めたテントの列、その影から延びた剛腕は、資明の細い身体を容易く引き摺り、陰に圧し捉えた。
「昨夜は、お楽しみだったな」首元を抑えた腕の向こうで、怜悧さに満ちた憤怒が睨み付ける。
「磐瀬一尉!」と呻こうとして資明は失敗した。稚い表情と短躯に似合わず磐瀬一等海尉の膂力は強い。それを今更ながらに資明は思い知らされる
「――――ッ!」
「情報収集の一環か? それとも単にラノベの主人公の気分を味わいたかっただけか?」
「…………」資明には、答えられない。
「まあ、それは本土に帰ってから明らかになることだ。蟻の一穴で堤は崩れる。その一穴を穿つ積りか?」
「ち、違う!……」圧し掛かる腕力に抗しようと、資明も両手に力を込める、その結果として、鉄の塊を相手にしている様な無力さを否応なく感じる。
「何が違う? おまえ、自分が何をしているのか判っているのか?」
窒息する!――周囲が騒がしくなるのと同時に、磐瀬一尉の腕力が緩んだ。ノルラント語で誰何する声が聞こえる。ノルラントの武装兵があっという間にふたりを囲む。取り囲む突撃銃の銃口は平等に、掴み合う二人の日本人に向けられていた。
「――――ッ!」
舌打ち――放り投げる様に拘束を解き、直後に磐瀬一尉は離れていく。ノルラント兵がその周りを囲んで付いて行く。監視だと、混迷する意識の中で資明は思った。
呼吸を回復しようとえづく資明を、もはや誰も顧みなかった。
シレジナ方面基準表示時刻1月8日 午前11時27分 ローリダ政府直轄領シレジナ
「――前線監視哨より報告。ノルラント軍主力、段列を離れ前進、要塞に接近しつつあり」
紙片を握った通信兵がシレジナ要塞の士官食堂に入ったとき、熱いアダロネス風シチューの放つ芳しさに通信兵は目を白黒させたものだ。彼からすれば好きなメニューだが、事態の急変に際し違和感を覚える匂いであったからだ。さらには……
「…………」
広さでは通信兵自身の故郷にある居酒屋程度でしかない士官食堂の真ん中で、二人だけが食事をしている。ひとりの青年士官と、エプロン姿も可愛らしい少女の、まるで歳の離れた兄妹を思わせるふたり。匂いの元が二人の傍らに置かれた大鍋であることに気付き、通信兵は内心で喉を鳴らした。多忙故に食事を未だ摂っていなかった。メニューは通信兵の予想通り、アダロネス風シチューだ。
「ん……?」
青年士官が通信兵を顧みた。階級は国防軍少将――滅多に見ない階級故、通信兵は緊張から自ずと両の踵を揃えた。
「ほ、報告!」
躊躇い……怪訝そうにその様を見遣る少将が言う。
「続けて」
「ノ、ノルラント軍主力が要塞に接近中です!」
「そうか……」
若い少将は食べ掛けのシチューに視線を落とした。
「作り過ぎだな……どうしようか」
「おじさまが言わないからよ。みんな出払ってるって」
「そうだな……すまない」
「どうするの?」と少女の瞳が聞いていた。「急用ができた。あとは任せる」
少将は腰を上げた。少女が無表情に片付けに取りかかる。
「じゃああとはパノン達にでもあげようっと」
言葉には、やや拗ねた風が感じられた。
指示を待ち立ち尽くす通信兵と入れ替わる様に、少将は出口へと向かった。要塞は決して広くない。食堂を出て少し歩いただけでこの男、センカナス-アルヴァク-デ-ロートの有事の指定席へと辿り着く。
「……うまく釣り上げてくれよ。アル」
すれ違い様、共和国国防軍少将 センカナス-アルヴァク-デ-ロートの呟きは若い通信兵にはそう聞こえた。




