第二章 「共和国の残照」 (3)
ルス博士の発表が陰性の熱狂の内に終わり、三人目の登壇者へと道は譲られる。ルドナス‐ル‐タ‐セラ大佐だ。
国防軍総司令部 第一兵站局 ニホン課――かの「スロリア戦役」の翌年に国防軍総司令部にあって、作戦立案の一切を担当する第一兵站局の一隅に新設されたこの部署が、開設から二年を経た今では将来を嘱望される若手参謀士官の、栄達への登竜門的部署となったのは、やはり必然の成せる業であったのであろう。砲兵科出身、就任前は砲兵大学校教官の前歴を持つセラ大佐は二代目の課長であり、今年40を過ぎたばかりの気鋭の高級士官であった。何よりも長身、赤と銀を基調とした軍服より透けて見える均整の取れた筋肉質の体躯が、階級以上の威厳をこの人物に与えているように思われた。
『――御来場の皆様には、神聖なる元老院において我々国防軍に研究発表の機会を与えて頂き、恐縮に堪えません。しかし事態は急を要します。何故ならニホン!……あの狡猾で残虐な蛮族は、先年の敗北に飽き足らず今なお軍備を拡大し、あの蛮族には不似合いな技術力にものを言わせ、最新の兵器を続々と送り出しているからです』
「…………」
嘆息――軍人のもの言いにナードラは内心で失望した。おそらくはこの場に居合わせた全ての文民もそうであろう。ただし、かつては彼女自身もまた軍人として国家に仕える身であったことを思えば、それは皮肉ともいえる感慨ではあった。あのスロリアを廻る一連の戦役で、共和国が本当に勝利したとすれば、今頃あの極東の蛮族が大手を振って世界中を渡り歩いていられる筈がないではないか? 勝った勝ったと吹聴して回っているにしては、その利益は余りに少なく、むしろ持ち出しこそが年を追うごとに増している。
瞑目――
否……自分がいけないのだ――ナードラには判っていた。占領地から撤退したのではなく、現有の国境線を守り切ったことを強調することで今次の敗戦を糊塗するという三年前の自身の献策が、結局は現状認識に疎く、敗戦の中に自己正当化の論拠を探っていた軍部を、結局は偽りの勝利の中に安住させ、現実に向き直ることを忘却させている……
セラ大佐は聴衆席の一隅に向け指で合図を送った。聴衆席の只中、国防軍広報部直属の映像収集中隊の手によりにより据えられた大型映写機。スイッチが入るや、フィルムを回し始めたそれは同時に太い光を講壇の中央に投掛け、背景を為す白皙の壁面全体に画像を映し出した。
「おお……!!」
荒波を割り洋上を驀進する軍艦の縦列に、目を驚かさない聴衆はこの場にはいなかった。天を突くかのような高さを以て屹立する黒いマスト、城郭のような艦橋を持つ灰色の軍艦が何処の国の軍艦か、もはや知らない者は共和国ローリダはおろかこの異世界の主要国には一人としていないであろう。かの「スロリア戦役」で、無敵を呼号した筈の共和国海軍洋上打撃艦隊を完膚なきまでに壊滅させ、今や世界最強の海軍という表現すら定着しつつあるニホン海軍機動艦隊の特徴ある縦列陣――共和国海軍軍人が言うところの「ニホンの単縦陣」――は、ローリダの報道媒体ではここ近来に亘り「ニホンの脅威」の象徴的な光景として受け止められている節があった。テレビの報道番組が「ニホンの脅威」だの「ニホンとの軍事的対立」だのを煽る時、決まって流れるのがこの護衛艦隊の映像なのだ。
「…………」
ナードラもまた、一瞬言葉を忘れ映像の中のニホン艦隊の威容に目を奪われる。元軍人でありながら騎兵士官であったが故か、海軍戦略というものには決して明るい方ではないナードラからしても、映像から垣間見るニホン海軍の陣容には内心で圧倒され、そして感銘を受けるのだった。
研究会の前日、「ルーガ総研」において行った事前研究の場で、ナードラ自身の講師を務めたミヒェール‐ルス‐ミレスの所見を、ナードラは脳裏で反芻した。
「――イージス艦……おそらくはこの世界でも最強の水上戦闘艦でしょう」
洋上を驀進するニホン海軍の新鋭艦の写真……それを見ながらにミヒェールの言葉は続く。
「――イージス艦の搭載レーダーは全周囲半径1000リーク余りの距離を時差なく、それも一瞬で探査でき、探知した目標の形状まで識別してしまう性能を持つと言います。同時に探知し、そして追尾可能な移動目標は最大で300、その何れの位置関係、脅威度すら識別し、搭載する対空ミサイル目標の優先順位まで割り振る……イージス艦の搭載する電子計算機はそれらを全自動で、瞬間的に行うことが出来るようです」
「我々の知る方式のレーダーとは違うと?」
「――原理的には、アンテナを使用するという意味では同じです。しかし平面上に無数の小型アンテナを配置し、多数の捜索電波を照射することで探知精度を向上させ、機械的な駆動装置の省略を図ったものを、ニホン人はイージス艦用のレーダーとして使用しているのです。もちろん……この実用化には高精度の小型アンテナの開発と、多数の電波を同時に制御する技術が前提となるわけですが……」
そこまで言って、ミヒェールは口を噤むようにした。彼女が言った技術的課題の全てが、ローリダでは克服はおろか着想すらされていないものであった。そして着想されたとしても、その実現には長い時間と多額の費用を必要とするだろう――
「……そのイージス艦を、判明している限りではニホンは6隻保有しているわけだな?」
ミヒェールは頷いた。
「――イージス艦に準ずる対空監視能力を有するヒュウガ型航空巡洋艦、アキヅキ型駆逐艦をも入れれば、彼我の格差はさらに拡大するものとおもわれます……この点だけを取っても、あの『スロリア戦役』以前の段階で我々はニホンの海軍力に対し、絶対的な戦力差を付けられていたと言うことができます。そしてさらに憂うべきは、彼我の戦力差は現段階ではさらに開いているということです。アカギ型航空巡洋艦の就役、それに伴う『機動部隊』の復活は、まさにその象徴と言えるでしょう」
「『機動部隊』と……?」
近年になって再就役が確認されたニホンの巨艦の写真を、ナードラは思い浮かべる。「スロリア戦役」で脅威となった、共和国海軍本部の呼称するところの「航空巡洋艦」あるいは「ニホンの移動海上航空基地」。ナードラが接した写真の中で航行するその艦は、それを縦に引き延ばしたかのような威容を誇っていた。それは前述の艦よりずっと多くの回転翼機を運用できる上に、固定翼の攻撃機すら搭載可能にしている。つまりはスロリアで再度の海上戦ある場合、海軍のみならず内陸の友軍にすら脅威が及ぶことを意味する。事実、「スロリア戦役」後、ノドコールとスロリア亜大陸中西部を分断するかのようにニホン人が設けた「飛行禁止空域」の監視に、この巨艦を根拠地とする戦闘機が投入されている節があった。戦闘機を軍艦から飛ばすという発想の突飛さも然ることながら、「スロリア戦役」の経験が、却ってニホン人に彼らの軍備増強の名分を与えているのか? あるいは……
「…………」
元老院でのセラ大佐の発表を聞きつつ、ナードラは先月、共和国海軍士官学校で行われた海軍戦略研究会の席上で「ルーガ総研」を代表して行われた、やはりミヒェールの研究発表内容を思い出している。
「――『機動部隊』の復活は、ニホンの海軍軍人にとってひとつの悲願でありました。移動航空基地というべき航空巡洋艦を以て陸海に対する圧倒的な優位を確保し、これを中心とする複数隻から成る艦艇を以て、世界のどの海域にも即座に展開可能な海上機動打撃部隊とする。航空母艦――ニホン人は航空巡洋艦のことをこう呼んでいますが、これを艦隊の主要戦力とし、さらには複数隻の航空母艦を集中的に運用するだけで、周辺の海上及び沿岸域、さらには内陸部に至るまで強大な打撃力を投射できることを、ニホンの海軍軍人は『転移』前の経験から知っています。それが予定の計画であれ、あるいは我が共和国に対する方策の一環であれ、彼らがその機動部隊の再建に成功しつつあるという事実は、より厳粛に、かつ深刻に受け止められるべきことと小官は主張するものです」
航空母艦が総力戦、あるいは領土紛争の一局面としての海上戦に必須の戦略単位として機能し得る事も然ることながら、「洋上航空基地」というその特性故、外交の道具としても有用であるようにナードラには思われる。何故かというに、中小国にしてみれば戦争の端緒となる彼我の軍事力の対峙、あるいは衝突はその大半が陸上で発生する。もっと言えば、国家の存亡に直結しない程度の内紛の多くもそうだ。フネにして「移動式洋上航空基地」たる航空母艦はその特性上、紛争の「震源地」、あるいは当事国の要衝に海上から直に干渉することができる。つまり戦争を外交の一側面とするならば、航空母艦はその外交の有力な手駒となりうるのだ。おそらくは「機動部隊」を再建しつつあるニホン人も、このことを理解している筈だ……彼ら――ニホン人――は、その古来よりの領域の外に、新たな領土や利権を望まないと言った。では彼らはこの世界で「大海獣」を復活させて、一体何をしようというのか……?
セラ大佐の声が、切実な訴えの響きを以て広大な会場に広がっていく。
『――資料をご覧ください。かの「スロリア戦役」以来、ニホンは益々その軍事力を増強し、さらには周辺諸国すらその軍事力と経済力とで懐柔、かつ威圧し自らの手駒として利用せんとしております。彼らの飽くなき対外侵略欲の源泉は、この場で言を要するまでもなくこうした強大な軍事力であり、我々国防軍は、上級士官から前線の一兵士に至るまで全軍、共和国への忠誠と愛国の熱意とを以て常時滞ることなくニホン軍の動向を監視し、彼らの軍事力と対峙を続けていることをどうか皆様には銘記せられたい』
対峙――自軍に対するあまりにも過大な評価であり、表現だとナードラは思った。壇上のルス大佐を始め、国防軍のお偉方が心からそう思い込んでいたとしても、「ルーガ総研」の海外情報収集網と分析能力が導き出した実相は違う。ローリダの国防軍や情報機関がニホンを監視しているつもりでも、こちらは未だ完全に政軍両略に亘るニホンの動静を収集するには至っていない。だが、敵手たる日本は、ほぼ完璧なまでにローリダを「把握」している……やはり、あの忌々しいまでに高度な科学技術力を駆使して――
「あの写真」を見た時の衝撃を、ナードラは内心で反芻する――それは一見すれば、ローリダならば主に軍や諜報機関が偵察や地形把握の手段として収集し、近年になって法改正でようやく民間での使用に端緒が付いたばかりの航空写真のように見えた。
上空から撮影した、軍用の航空写真より遥かに鮮明な元老院、国防軍総司令部、軍基地、各省庁、はては元老院議員の邸宅……共和国ならば即座に「重要施設」と見做され、場合によっては検閲や機密指定の手が入るそれらの所在と全容の何れもが、よりによって最近に入手したばかりのニホンの政治誌に掲載されていたのだ。当初は国防軍内部に潜入したニホンの間諜が奪取した物かと「ルーガ総研」を始め、果ては軍警察本部、情報機関までもが色めきたったものだが、分析が進むにつれて判明した真実は、それ以上に衝撃的で、不快なものだった。
「衛星写真……だと!?」
驚くべきことにニホン人は、航空機が飛翔し得る限界の高度より遥か彼方に広がる、暗黒と星々の支配する世界に観測機器を展開させ、共和国の全容を丸裸にしていたのだ! それは戦場で、文字通りの手ぶら状態で最新鋭のニホン製兵器と対峙する以上の衝撃をローリダの当事者たちに与えた。つまりはこちらがニホン打倒のため如何に手を尽くしたとしても、全てはニホンの掌の上……というわけなのであった。通常兵器を駆使した「正攻法」でニホンに対峙する術は、その実スロリア戦の前段階から完全に失われていたのである。
それだけではない。現実はさらに不快だ。
先月の半ば、衛星写真の存在が明らかになるのと前後して、国防軍総司令部は、かねてより空軍総司令部が上申していたニホン本土への戦略航空偵察作戦の実行を決定する。それは具体的には地形識別レーダーと高精度撮影機を搭載したロドム‐775戦略爆撃機4機による、偵察飛行に名を借りた「蛮族ニホン人の領域」への示威に他ならなかった。何より、近年になって配備された同型機改造の空中給油機の存在が、空軍の戦略航空団に作戦遂行上の自信を与えていた。
「――高射砲の届かぬ高高度からの我が軍爆撃機の進撃を以て、蛮族どもの心胆を寒からしめてご覧にいれましょう」
作戦実行命令が下りたその日、作戦立案を担当した空軍参謀はそう豪語したという。長距離、高高度を飛行可能な高性能機を使用する偵察飛行任務というだけあって、作戦の成功を疑った者はこの時点では誰一人としていなかった。だが……
領空域直前の空域に突如出現し、爆撃機梯団の両翼を犯罪者の両脇を固める警官のごとくに抑え、時折機体を傾けては胴体下部にフル装備されたミサイルを見せ付けつつ同航するニホン空軍自慢のイーグル戦闘機を前にしては、如何に大型の戦略爆撃機と雖も任務を断念し引き返さざるを得なかった。結果として写真偵察という手段は放棄され、以降はニホンの領域外で運用する海軍と諜報機関が運用する漁船改造の電子情報収集船、空軍の電子偵察機、距離的に最もニホンに近い植民地に設置された通信傍受施設に、偵察の手段の大半を依存することとなったのである。その一方でニホン本土に強固な防空迎撃網が存在することが判明したのが、この作戦の収穫と言えば収穫と言えた。つまりは――
『――ニホンの本土は極めて難攻不落にして、その狭隘な国土には大量の兵器と軍が犇めいております!』
――再び、ルス大佐の発言。ニホン艦隊の堂々たる布陣が一変し、次には地上を疾駆する戦車の重厚な影となった。凄まじい速度で疾走する一群の戦車隊……直後にそれは一斉に方向を転換するや、走行しながらに火砲より破壊の火焔を瞬かせた。
「――――!!」
一斉射撃の迫力も然ることながら、共和国陸軍の新鋭戦車ガルダーンのそれを超える俊足、全速走行しながらの方向転換という、彼らの戦車の常識ではありえない機動に目立って驚愕を覚えた一群が聴衆席には存在した。本職の陸軍士官であった。ナードラが聞き耳を立てる傍、彼らは軍人としての彼らの知識に基づく所見を、小声の内に披歴しあっている。
「――あれが……『スロリアの虎』か……」
「――まさに飢えた虎のような、おぞましい姿をしている」
『スロリアの虎』――共和国国防軍の機甲兵たちが、「スロリア戦役」以後ニホンの戦車をそう呼んで恐れていることは以前からナードラの耳にも入っていた。戦前、共和国陸軍最強を呼号した機甲師団「赤竜騎兵団」は、いざ戦闘に突入するや彼らの戦車の前に効果的な反撃すら儘ならずに殲滅され、共和国陸軍の機甲軍団はその痛手から未だに立ち直ってはいなかった。何より自国の戦車はニホンのそれより技術面で圧倒的なまでに引き離されており、新たな戦術ドクトリンの策定すら満足に進んでいない状態であった。
軍人たちの話は続いた。
「―― 一種の余興だ。いくら機動性が高いとはいえ、あの機動からの射撃では命中は到底期待できまい」
「――その通り、それに躍進射は余程の訓練を積んでも当てられないからな」
「…………」
はたしてそうか……?
「ルーガ総研」の収集したニホン側資料に拠れば、「スロリア戦役」において、ニホンの戦車は夜間、3000レーテ以上の長距離から、それも初弾で我が軍のガルダーン戦車を撃破したという。単に戦車兵の練度で片付けるだけでは済まされない技術的背景を、ナードラは思った。
「――マーク10、我が国防省陸軍部内ではこのニホン軍主力戦車のことをこう呼称していますが、これはニホン軍の戦車命名法に倣ったものです。ニホン軍の戦車は固有名を持たず。専ら形式番号で呼称されています。マーク10の前身であるマーク90、ニホン国内に少数存在が確認されている旧型のマーク74……といったように」
平面形、かつ平坦な表面の黒いニホン製受像機は、恐らくはニホン軍の演習場であろう場所を疾駆する多面形の戦車を映し出していた。避弾経始など全く考慮していないかのような、鋭角的な多面形の砲塔がニホン戦車の特徴であることは、ローリダの軍事関係者の間ではすでに共通の認識になっている事実であった。第三国よりもたらされたニホン軍関係の映像……その何れもがニホンでは市井で普通の映画フィルムのように売買されていることを知ったのは、それからかなりの日時が過ぎてからのことだ。
カーブをドリフトし、荒れ果てた丘陵を軽々と踏破するニホンの戦車の姿に目を凝らすうち、ナードラの瞳が疑念に曇った。
「走行中にも関わらず、砲身が微動だにしていない……画像の精度が悪いのか?」
「――その真偽は、この後の映像で判ります」
と、ミヒェールは言った。映像が切替り、射撃訓練に入る戦車の姿を映し出す。さらに切替った車内の映像、ローリダ軍では未だ実用化されていない砲弾の自動装填装置の流れるような動きに目を奪われるのも一瞬……一発、二発、三発と射撃を繰り返す戦車の姿を見詰める内、ナードラの表情から感情が消えていった。
「これは……」
戦車の射撃は、立場上ナードラもまた数え切れないほど目にしている。だが、ローリダ軍のガルダーンやガルド系に見られるような発砲の度に砲身や車体を揺らす「普通の射撃」と、映像のニホン戦車の射撃は、明らかに「質」が違った。まるで射撃時に発生するであろう砲身の後退や車体に係る衝撃まで、ニホンの戦車は吸収し、制御してしまっているように思える。
ミヒェールは言った。
「注目されるべきは搭載する自動装填装置及び射撃統制機構と、射撃時の振動制御性能でしょう。自動装填装置によって乗員の負担を軽減し、射撃統制機構と振動制御機構により命中精度を向上させる……ニホンの戦車は文字通りの第一撃で、それも敵戦車の反撃の及ばない距離から敵戦車を撃破することを想定し設計されています」
ペンで、ミヒェールは戦車画像の一点をなぞるようにした。
「……このペリスコープをご覧ください。『マーク10』はこれを使い捜索時に捕捉した目標との相対位置、速度、脅威度を自動的に射撃計算装置に取り込むことにより、同じく自動的に多目標を追尾しつつ攻撃することが可能と思われます。さらには、原理こそ未だ不明ですが、『マーク10』は友軍との間に戦術情報の交換を常時可能にする機能を有しており、総合的な性能面で判明している限りでは、『マーク10』一両で、我が陸軍のガルダーン20両と同時に交戦可能と考えられます」
――ナードラの回想を現実に引き戻すかのように画像が切替り、次には低空を疾駆する回転翼機の一群を映し出した。ニホン軍が保有する大小の回転翼機……その中でも特に武装し、人間と言う種本来の有する攻撃性を前面に押し出したかのような、業の深い形状を有する二機の姿を見出した時、軍人たちはやはりどよめきを隠さない。
「アパッチ……! コブラ……!」
地上における「スロリアの虎」と同じく、ニホンの武装回転翼機の存在は、共和国陸軍軍人にとって今や最大の悪夢だった。音も無く味方部隊上空に忍び寄り、必殺の対戦車ミサイルを放つ「空の魔物」……緒戦で防空部隊のことごとくが壊滅し、個人兵装としても有効な対空火器を持たなかった共和国地上軍の頭上を、それらは脅かしたのである。
ルス大佐の発言は続いた。
『――この軍事力! 蛮族に不似合いなまでの不浄なる力! 我ら神に選ばれし民ローリダ人は、この世界の秩序を守るためにも彼らの跳梁跋扈を断じて許すわけにはいきません! そして我々国防軍とて、断じて手をこまねいている訳ではない!』
言い終わるのが合図であったかのように、再び切替る画像――直後に現れた光景に息を呑まない聴衆はいなかった。
「――――!」
――荒野の某所、そこに仮設された鉄骨剥き出しの発射台に据え付けられた、電柱を思わせる長大な物体――それが人々の知るそれよりずっと巨大なロケット状の物体であるのを人々が認識するのに数秒の時間を要した。聴衆が固唾を呑んで見守るその眼前で、物体の傍に寄せた燃料輸送車と思しきトラックが止まり、車内から降り立った人影が、急ぎ足でトラックの四隅に散っていく……
奇妙な姿だった。恐らくはそれを見慣れない人々がそう思うのも無理はなかった。全身を包む緑色の防護服と顔全体を覆う灰色の防毒面の、異常なまでの没個性さに、不安を喚起されない人々はこの場には皆無であった。防護服姿の人々は、あらかじめ決まっている手順を忠実になぞるかのように、推進剤注入口のあるロケット胴体のハッチを開け、そこから姿を覗かせる穴にトラックのタンクから延びるパイプの先端を挿し込み、そして厳重に固定した。
『…………!』
それまで挿入作業を見守っていた指揮官らしき防護服が、タンクの制御盤に取り付いていた部下の防護服に合図を送る。制御盤にスイッチが入れられ、それまでだらしなく地面にその全長の大半を横たえていた送液パイプが、液体の流入に突き動かされるがままに震え始めた――
『…………』
「――聞いたか。あの推進剤……」
「――知っている。とんでもない毒物らしいな。取り扱いを間違えれば、少しの衝撃で発火するとか……」
「――第290工場の事故……液体を頭から被った作業員がいてな……そいつ、骨すら残らなかったらしい」
「…………」
軍人たちの会話に、ナードラは不吉な予言を聞いたような感覚を抱く。「スロリア戦役」以前より研究の始まっていた長距離ロケット兵器、その時点ではロケットエンジンの燃料たる有毒物質の製造と保管、ロケット本体の誘導装置の不調に代表されるあまりの扱い難さに、計画を主導した科学技術部はおろか軍部ですら半ば匙を投げ掛けていたと聞く……それがいま、対ニホンの「切り札」という形で表に出るとは……
――再び、荒野の試験場。
それまでロケット側の燃料計を注視していた防護服が頭を上げ、首を掻き切る仕草を見せた。燃料注入停止の合図だった。制御盤のスイッチが切られ、そしてパイプは切り離される。そこでトラックと防護服の要員の役目は終わった。トラックが完全に安全圏へと退避したのを見計らい、それまで横倒しになっていた発射台が、遠隔操作で起動を始める。
屹立――
あとは、発射を待つだけだ――
機関部から吐き出される白煙――
少しずつ炎を吐きだす推進口――
振動する弾体――
浮遊――
加速――
そして、飛翔――
精度の粗い映像ではあっても、怒涛の如くに地を圧し、蒼空を割くロケットの噴炎は大きく、そして眩しい――
吐き出される噴煙はそのまま白い軌条となり、空を力強く彩っていく――
映像が切替り、一転して典型的な段列陣を映し出した。天幕に倉庫、櫓、そして車両が規則正しく居並ぶ布陣――
光の矢――
天から降り注いだそれが、空を裂き段列の中央部に飛び込んだのは一瞬――
直後に段列の中央に光の柱が生まれ、それは荒れ狂う炎の奔流となって周囲を焼き尽くしていく――
「――――!!」
聴衆の驚愕――だがそれは、先程の「ニホンの脅威」を目の当たりにした時のそれとは、明らかに趣きが違った。どよめき、声を上げながらも彼らの声は決して怯えてはいない。むしろ自信を取り戻し、漆黒の広大なる空間に生じた高揚と熱狂に、進んで自らを委ねんとしているかのようであった。
『――苦節10年! 我らが国防軍技術陣の血と汗の結晶として結実せる長距離攻撃用誘導弾! 我らはその名を「グロスアーム」と呼称しております。この「グロスアーム」、そして現在開発中の性能向上型たる「ドミネティアス」こそ来るべき対ニホン復仇戦の切り札となりましょう!!』
「おお――!!」
感銘にも似た聴衆の声には、ローリダ人としての教養に裏打ちされた根拠があることをナードラは知っていた。「聖典」に登場する破邪の矢の名たるグロスアーム、そしてローリダの古い言葉で「征服者」、「暴君」を意味するドミネティアスは、これらの長距離投射兵器を形容するに相応しい名詞であるに違いない。爆薬等の通常弾頭の他、焼夷弾、集束爆弾、生物化学兵器といった多様な兵器を弾頭部に搭載可能な両者は、敵対勢力の反撃の及ばない常識外の長距離を、同じく敵対勢力の対空砲火の追随できない破格の飛翔速度を以て踏破し、敵地深奥部の重要施設、あるいは都市部を攻撃可能たることを宿命付けられている。特に系統的にはグロスアームの拡大改修型たるドミネティアスは、「神の火」に代表される反応物質爆弾をも弾頭部に搭載可能なよう設計されていると軍内部では専らの噂であった。つまりは――
『――ドミネティアス成就の暁には、我が国は徒に血を流さずして、ニホン本土をも直接攻撃可能な力を得ることになるのかもしれぬ』
ナードラはそう打算を廻らせ、そして呟いた。
「……これが、ドクグラムの言う長剣か」
ナードラは思う。長剣どころではない。もしこれらの兵器が本格的に配備され始めれば、ローリダは時と場所を択ばず、労せずして反逆者に懲罰を与える……あるいは敵対者を殲滅することのできる手段を有することになる。つまりそれは、ナードラの記憶が正しければ有史以来キズラサの神しか持ったことのない、いわば神の領域に属する利器であるはずだった。その神の領域に、共和国ローリダは踏み込もうとしている……?
「神の雷を、共和国ローリダは持つというのか……!?」
ナードラの呟きは、その余韻を噛締めるには余りに重く、おぞましい響きを持っていた。背筋を走る悪寒のような戦慄に、ナードラは一瞬抗いかねた。
「――共和国は偉大なり!」
「――共和国の敵、神の敵ニホンに永遠の業罰を!」
「――ニホン人をこの地上から一人残さず消し去ろう!!」
熱狂――三度に渡って制して見せても収まることを知らなかったそれが、時を経て自然に退き始めた頃合いを見計らい、司会者たるコトステノンは最後の登壇者の名を告げた。
『――ミヒェール‐ルス‐ミレス少佐!』
立ち上がり、壇上へと一歩を踏み出した赤い国防軍制服に、聴衆の視線が集中する。
くすんだ金髪に水色の瞳、そして顔立ちの端正さは軍服の華やかさと見事なまでに調和していたが、その背丈の短さと度の強い丸眼鏡を、九仭の功を一簣に欠くかのように捉え、残念がる者も聴衆の中にはいたかもしれない。ナードラ率いるルーガ総合研究所に於いて、国防分野主任研究員の肩書を持つミヒェール‐ルス‐ミレス少佐は国防軍からの出向者である。そして登壇者中唯一の女性であり、さらに言えば登壇者たちの中では最年少の人物だった。
「ニホン建国史に見るニホンの戦争文化」
聴衆に対し事前に配布された資料の中で明らかにされたミレス少佐の発表内容の表題に、首を傾げた聴衆は決して少なくはなかった。何故かというに反ニホン意識と共和国に対する愛国心に気分を高揚させた聴衆の多くが、この場では彼らにとって不倶戴天の敵とでも言うべきニホンに対する、研究発表に名を借りた悪罵や批判的見解を聞きたかったわけで、純粋な学術的考察に基づく「本物の研究発表」などに、それほど関心を示していたわけではなかったのである。
そのような壇下の空気を知ってか知らずか、ミヒェールはごく普通の歩調で壇上へと向かった。平然……というより悠然と講壇に立つと、壇下の光像式投影器の操作係と二三言会話を交わし、持参の資料を捲る――そして一礼。
『――これまで各分野の俊才たる先達の皆様が御指摘された通り、ニホンは我が国にとって顕在化している最大の脅威であり、敵国であります。我が共和国ローリダにおいて、現在のニホンの外交、文化、軍備に関する識者の皆様方の分析は多数にわたります。従ってこれらの分析に関し、小官の如き非才による他言は、今更この場の皆様の必要とするところではないと小官は考えるものです。そこで小官は今回少し趣向を変え、現在の背景としての過去に関する私見を、この場で提示したいと考えます。つまりは、ニホンがかくの如き外交と文化、そして軍備を有するに至った歴史的経緯です。配布資料の一ページ目をご覧ください……』
同時に投影器の画像が切替り、年表と思しき図表を聴衆の眼前に映し出した。
『――ニホンは、彼らニホン人の主張に従えば、凡そ十年前の「転移」より遡ること2000年余り前に建国した王政国家です。全土を統べる王にして、最高位の神官たる天皇の下、祭政一致の政治体制を取り、建国より2000年以上が経過してもなおこの基本的な政体は変化しておりませんし、天皇家の血脈も綿々と受け継がれています。ただし現在では天皇の政治的影響力はすでに失われ、ニホン国民統合の象徴以上の存在意義は無いものと判断されます。ニホンの政治は、我が国では事実上元老院に相当する衆議院、参議院といった二つの議会で運営され、これら両院の議員は四年に一度行われる、ニホン国民自身の手による直接選挙によって選出されています。なお……投票権及び被選挙権は、ニホン国籍を有する者なら誰であろうと、身分の上下、財産の有無に関わらず一定の年齢に達すれば自動的に付与されることとなっています』
「――――!!」
聴衆の驚きの声が、会場内に走るのをナードラは感じた。ただしそれは感銘を伴った驚きではなく、むしろ動揺を伴った驚きであった。共和政、議会制こそ至上の政治体制であることに、微塵も疑いを抱かないローリダの人々ではあったが、その議会の構成員を国民の手で直接選出することなど、彼らにとって想像の外だったのだ。ローリダでは議会制であろうと、政治は建国の始祖以来の貴き血を有する貴族のものであり、蓄財、戦功によって実力でその権利を得た――あるいは買った――有力者や富裕層のものだった。つまり蓄財するか、一命を賭して国家に貢献すれば議場に一席を占める権利を与えられるわけであるが、現在の共和国ローリダに於いてそれは、融通の利かぬ大人が多感な年頃の少年少女に振りかざす建前の様なものでしかない。具体的に言えば、いくら財産があり、共和国に貢献したところで、結局はアダロネスの白亜の殿堂に在って既得権を得た貴族や騎士の喜ぶ人間しか、元老院の一員になることは許されていない。以前はそれを自然なものと別段気にも留めていなかったナードラではあったが、今では形式的にでもいいから、ニホンの国会議員のように数年ごとに選挙の洗礼を経て、庶民の信任を受けて元老院に在るという体裁ぐらいは繕うべきではないのかと本気で考え始めている彼女がいる。形式にはやがて実際が付いて来るものだと、ナードラは信じたかった。
画像が切替った。観閲のためか整列する緑色の甲冑姿のニホン兵の一群、彼らの傍らで白地に赤い円形の単純な構図から成るニホンの国旗が陽光を受けはためいていた。以前は創造力の無い蛮族故か、国章に精緻な構図を導入できなかったのだろうとたかをくくっていたナードラではあったが、現在その国旗に接する彼女には別の感慨がある。
『――あれが異郷に翻る時、人々は幼子であろうとそこがニホンの影響下にあることを認識するであろう……』
「――ナードラ様、これをご覧ください」
前日の事前発表の席で、ミヒェールは教えてくれた。
ナードラの眼前に示された二枚の国旗、1枚は平凡なニホンの旗、そしてもう1枚はその日本の旗の中心を為す、太陽を象ったという赤い円の周囲から、旗の四隅に勢いを付けて延びる赤い光線の束……その色彩の鮮やかさに、ナードラは暫し緑の瞳を細める。
「……これは、ニホンの軍旗だな」
ミヒェールは頷いた。単純だが、見事な構図だとナードラは思った。明るく、そして勇ましい。
「――ニホンの軍旗には、こういう意味があります。平時は赤く丸い太陽だが、有事の際にはより強い光を発し、ニホンの国威を広く世界の隅々にまで知らしめる烈しい太陽……という意味です。かつてニホンはこの旗の下で自国に10倍する領土と軍事力を持つロシア帝国と戦って勝ち、30倍以上の国力を有するアメリカ合衆国に戦いを挑み善戦したのです」
「つくづく……何と恐ろしき国か」
ミヒェールの口から、研究結果の途中報告としてのニホン史の概要―― 「サムライの時代」に続く明治維新、日露戦争、そして太平洋戦争の歴史と経緯とを聞かされた時、さすがのナードラも我が耳を疑ったものだ。それまで刀を差し、髷を結っていた国の民が、異国の先進文明を進んで受け入れるや、ごく短日時の内にそれらに拮抗できる軍事力を有するに至り、さらには倍以上の国力の先進文明国に戦いを挑むなど!……ローリダの空想科学小説家や児童文学者ですら、そんな「出来過ぎた」着想を題材に作品は書かないだろう。
「ニホン人は戦争を知らぬ。戦争とはその前に国力や外交力で勝ってこそ、それが勝利に終わるものではないのか。だがニホン人はそれら全ての手順を無視して戦端を開いている……彼らは一体何を考えているのだろうか?」
ミヒェールは微笑む。ニホンについて語る時、彼女はまるで彼女自身の子について語る様に頬を紅潮させている。
「表面上は平和を愛する民たるを謳っていますが、その実彼らは戦闘種族ですわ。それも文明的な……」
さらに発言を促すナードラの緑色の瞳に向け、ミヒェールはさらに続ける。
「……彼らは武勇を尊重し追求する過程で、集団と自身とを律するための哲学として武士道を生み出しました。そして武士道に則った剣術や格闘術も……小官は、当初は彼らの『戦闘術』が、我々の知る蛮族のそれのように神秘主義や後進性に根差したものと考えていましたが、研究を進めるうち、決してそうではないことに気付きました。サムライの「戦闘術」は極めて合理的なのです。彼らの人間に対する理解、敵と味方を見分ける方法、防御から反撃に移る手順、制圧から殺害に至る流れ……何れも人体構造学的にも、物理学的にも理に適っています。特にロルメス議員が送って下さったニホンの映像……『武士道』を理解する上であれには助けられると同時に驚きました。恐らくは今あの映像を見ている軍の教官たちも驚いていることでしょう」
「ふむ……」
事実、当のナードラもその「ニホンの映像」を見ている。ローリダ製の撮影機材で撮られたそれは、枯木のように小柄なニホンの老人と、彼よりも遥かに若く、恵まれた体格を有するローリダ人捕虜との力比べを映し出していた。両手を重ね、がっしりと組み合った体制のままの対峙が続いた後、どういうわけか捕虜は老人に圧倒され、遂にはその場に膝から崩れ落ちる……
「――自分としても、全くわけが判らなかった。ただあのニホンの老人と組んだ途端、徐々に腕の力が抜けて行くのが判った……幾ら力を入れても、あの老人に力を吸い取られていくかのような感覚だ。そして最後には、自分は立っていることすら出来なくなった」
帰国したその捕虜は、その時の体験についてそう話している。映像の中で老人が語るのには、「自分がやっているのは魔術とか、超能力といったものでは決してない。力を加える方向と順序さえ合っていれば、僅かな力で自分より大きく、力の強い相手を倒すことが出来るし、相手の力を受け流して相手にぶつけることもできる」ということらしいが……その老人が、演武と称し次々に襲い掛かって来る、彼より御一回り、二回りも体格に優れた刺客役の門弟たちを、まるで子供をいなすかのように投げ飛ばし、突き飛ばす様を目の当たりにしては、ナードラも唖然とし、事の真偽を量りたくもなる。
「これは、わざと負けているのでは?」
「いや違う。私は実際この場に居合わせたが、あのニホンの老人の強さは本物だ。個人的にも好感の持てる人物でね、僕にも幾つか技を教えてくれたよ」
これが結構使えるんだ。もしもの時に暴漢を抑え込むのに丁度いい……と、映像資料を見せてくれたロルメス‐デロム‐ヴァフレムスは笑ったものだ。事実、ロルメスの他にも捕虜となった数人の士官や下士官が、アイキドーなるこの「戦闘術」に惚れ込んで習得を志願し、許されて他数種類のニホンの「戦闘術」を、数か月という短い間だが学んでいる……その敵国の貴重な「技術」を本国に持ち帰った将兵を待っていたのは、その他多数の例に洩れず、その種の貴重な経験を積んだ人材を、悪意を以て本国から追い立てるかのような植民地警備部隊という「島流し」同然の処置であった。これに関してはナードラも看過せず、祖父の助けも借りて彼らの本国帰還を働きかけているところだ。「植民地の騒乱及びノルラントの侵略という危機が迫っている現在、捕虜が持ち帰ったニホンの情報は、国防軍将兵の戦闘力を向上させる上で、大いに有用である」と……
研究の過程で、ナードラとミヒェールの会話は弾んだ。
「――しかし不思議な種族だ。あれ程の技術力を有していながら、一方ではあのような旧い技術を守り続けている。そのさらに一方では、あれ程に堕落した生活様式に染まっている……我らの基準では量れぬ種族ということか」
「これは反共和政的な意見かもしれませんが、我らの属する文明の思考や生活が、彼らに比べ余りに単調に過ぎるだけなのかもしれません。我らの文明で測るには、彼らの文明はあまりに複雑で、広範に過ぎるのです。こればかりは歴史の蓄積の差によるものが大きいのでしょうが……」
「歴史の蓄積がある割には、ニホン人は戦争が巧いとは到底言えぬな。個人で例えれば些細な喧嘩でも加減を知らず、相手を殴り殺してしまう様な性格の人間だ。傍目から見れば危なっかしいことこの上ない」
「少なくとも、日露戦争以降はそうでしょうが、それ以前……具体的に言えばセンゴク時代は違うと思います」
「センゴク……少佐が好きなサムライの時代か」
敵の強さは認めつつも、その敵に対するにナードラの評価は痛烈であった。そしてミヒェールはそれを否定する根拠をニホン関連の歴史資料から未だに見出せていない。ただ、彼女が見るところ戦国時代までは謀略を駆使し、あるいは敵を買収することによって戦わずして戦略目標を達成するとか、あるいは一旦戦端を開いても、先ず補給を充実させ、敵の本拠を大軍で包囲し屈服を強いるなど、出来る限り流血を避けた節が垣間見えた。ミヒェールが見るところ、そうした「戦略」の代表的存在がトヨトミ‐ヒデヨシであり、彼の後を襲ったトクガワ‐イエヤスであった。では、「トクガワ時代」の平和を経て、ニホンに近代軍を創設した彼らの「後継者たち」はどうだったのだろう?……というところに、現在のミヒェールの主だった関心がある。
「……何時か、セキガハラに参謀旅行に行ってみたいものです。あの戦いには、戦略とはかくあるべしという全てがある。同時期のギルタニアの歴史にも、あれ程の会戦はありません」
と、ミヒェールは声を弾ませたものだった。
そのミヒェールの発言は、なおも続いている。
『――ニホンの軍隊は基本的に志願制を取っています。兵士は入営の前提として、基本的に我が国で言うところの高等学院以上の教育を受け、中には大学及び専門学院以上の、いわゆる高学歴者も志願する場合があります。これが我が軍捕虜が口にするところの、「ニホン兵は知性があり、教養を有する。中には士官以上の教養と学歴を有する兵下士官もいる」という証言の根拠であろうと小官は考えます。士官は、主に我が国でいうところの士官学校に相当する防衛大学校よりその多くが供給されています。その他大学卒業後に入隊し幹部教育を受ける幹部候補生制度、航空機操縦士を養成するための士官養成機関が存在し、多岐にわたる経路から、有能な人材を登用するというニホン軍司令部の意図をここから推測することができます。幸いにも、関係各方面からの情報提供により、ニホン軍の精鋭養成に関する資料の一端を入手することができました。これをご覧ください』
画面が切替り、軍服は元より顔面にまで迷彩を施した屈強な男たちの姿を映し出した。その男たちが教官の罵声を浴びつつ練兵場を疾走し、あるいは練成体操に励み、障害物を克服し、重火器を操作し、あるいは重武装で鬱蒼と茂る森林を駆け抜け、ヘリに乗り込み、汚れた姿で銃を担い行進する……最後の段になって飛行中の輸送機の後部ハッチから落下傘を背に飛び降りようとする姿、口を血で汚しつつ蛇の生皮を剥ぎ取ろうとする姿には、聴衆の中の幾人かから悲鳴にも似た呻きが聞こえて来た程だ。
『――ご覧ください。ニホン陸軍は優秀な兵士を選抜し、過酷な訓練を施すことで、レンジャーと呼ばれるより精鋭の兵士を作り出しています。彼らは全員高度な戦闘技術、生存技術を有し、潜入、爆破等の破壊工作の訓練を受け、あらゆる火器の扱いに長じ、外部からの支援なしに独力で課せられた任務を遂行可能なよう訓練されています。先のスロリア戦役でもこれらのレンジャー部隊は広範囲に渡って戦線に投入され、我が軍の後方を攪乱し、我が軍主力を混乱させる任務に暗躍していた模様です。レンジャー兵一人で、我が共和国陸軍歩兵一個中隊分の兵力と互角に戦うことが出来たと、当時のニホン軍司令部はレンジャー部隊に高い評価を与えています』
「――サムライというよりは、ニンジャだな」
と、ナードラは内心でミヒェールの発言を総括してみせた。あの武士道や『戦闘術』もそうだが、ニホンの戦士文化は奥深い。サムライがその表の存在ならば、そのサムライに従属し諜報や暗殺等の裏の仕事にあたるニンジャは影の存在とも言える。そのニンジャの「伝統」は、ニホンでは未だに息づいているようにナードラには見える。
『――こうした兵種を育成し、集中的に運用するのには相応の利点があります。通常の歩兵部隊には困難な任務が実行可能であること、本土に侵入した敵対勢力の破壊工作員の掃討にも有用であることもそうですが、最大の利点としては他国に対し政治的、物理的な理由により正規軍の大規模な投入が困難な場合、少数で多数の一般部隊に相当する能力を有する戦力単位として、独立した特殊部隊は極めて有効であるということです。事実、過去10年の間に判明しているだけで四件、ニホンは周辺国にこうした特殊部隊を派遣し、反ニホン分子の掃討や周辺国の混乱に乗じた秘密作戦任務に投入しています。ニホン軍が想定している彼らの任務の中には、敵対勢力の重要人物の誘拐ならびに抹殺も含まれていることもまた、見逃すことはできません』
「…………!?」
聴衆の動揺……彼らの中にはいざ有事の際、その「ニホン軍特殊部隊」の誘拐あるいは抹殺の対象にされかねないような「重要人物」もまた多い。それを自覚した時、彼らの中には首筋に何やら薄ら寒いものを感じた者もまた多かったのだろう。だがナードラとしては、それは笑止な話だった。ローリダですら、かつて……否、現在に至るまで特務機関や南ランテア社の実行部隊を使い敵対勢力の重要人物を「抹殺」し、敵対国の内部に内乱の種をばら撒いて来たのではなかったか? 事実ニホンに対してすら――此方と同じ手法を、ローリダへの報復に燃えるニホン人が使わないという確証がこの世界の何処にあるだろうか?
だが……当の軍部は特殊部隊なる兵科の創設と保有に否定的だった。何よりもまず敵地後方に潜入し、敵味方の帰趨を明確にせずに敵を撹乱する戦術そのものに、正規軍が関与する事に軍部は否定的だった。ナードラの良人で故人のサドレアス‐コート‐カーティファロスの言葉を借りれば、「戦場で軍服を着ずに戦うなど、武人としてはもとより高等文明の担い手たるローリダ人の採るべき戦い方では無い。野蛮人の戦い方である。そのような方策は諜報機関に任せておけばよい、というのが頭の固いお偉方の考え方なのさ」というわけだ。そのような軍指導部から見れば、平然と特殊部隊という名の「非正規部隊」を育成し、堂々と前線に投入するニホン人など、まさに蛮族そのものの所業にしか見えないのだろう。
だが、そうだろうか……?
……漏れ聞こえるニホンの「特殊部隊」に関する情報によると、特殊部隊の訓練は極めて厳しく。志願者の半分以上が訓練の途上で脱落すると聞く。そうして「選別」され、特殊部隊の列に加えられた彼らの多くが一般兵の水準以上の知性を有し、高性能な兵器や高度な機器を使いこなし、高度な戦闘技術、生存技術を有する。その知性と戦闘力故に、彼らは士官、下士官兵の別なく作戦時の重大な決定に関与し、作戦全体の方針に影響力を有すると聞く。また、これは断片的な情報ではあるが、彼らの中からさらに選抜された要員が、ニホンの利権が関わる地域に騒乱の予兆が察知されるや、少数の集団に別れて当該地域に派遣されるというものもある。「任務部隊」と称される彼らは、派遣先の異国ではその国の言葉を話し、異国の習俗に融け込んで活動する。そして時が来れば暗殺、誘拐、破壊――ニホンの言葉でいう「汚れ仕事」――を、彼らの関与を匂わせることすら無しにやり遂げ、再び闇に還っていくというのであった。これこそ、先にミヒェールの述べた特殊部隊の利点、ひいては今は亡き良人、サドレアス‐コート‐カーティファロスの理想を、見事に体現したものではないのか? 彼らこそまさに、現在「ルーガ総研」が主唱している、今後の共和国ローリダが取るべき軍事戦略――「水面下の戦い」――に打って付けの戦力……!
『――小官に言わせれば、ニホン軍において最強の兵器はイージス艦でも戦車でも、かのイーグル戦闘機でもありません。ニホン軍の最強兵器、それは人間です。人間の肉体と精神を一つの兵器と見做し、烈しい練成の末にこれを完成させる。その点では、ニホンの軍には未だサムライの精神が深く息衝いているとも言えます。これはかのスロリア戦において、我が軍捕虜に対しニホン軍人が取った公正明大な行動及び態度からも明白です。ニホン人は決して野蛮な、堕落した種族ではありません。彼らは我々と同等の倫理観を持ち、我々以上の高等文明を有する種族です。彼らを侮ってはなりません。小官はここに提言します。我が国、ローリダ共和国国防軍もまた、ニホンと同様に特殊技能兵を養成し、特殊作戦部隊を保有するべきです。これはニホンに対抗し得る兵器を新規に開発する以上に我が共和国にとって有益であり、より速やかに実戦配備に付けることも可能です。そして現に、我が国植民地において特殊部隊を必要とする局面は数多存在し、情勢はより切実さを増しています』
「…………」
人々の沈黙――だがそれは、今やミヒェールの発言に集中しているが故のそれではなかった。ミヒェールの発言に、共和国の方針……あるいはローリダ共和国の人種観に対する明確なまでの批判を、皆は彼女の発言の中に感じ取ったのである。共和国に於いて、それは軍人の為すべきことではなかった……かといってミレス少佐は嘘を言っているわけではない。かの「スロリア戦役」後、ローリダの支配下にある各植民地において、急速に反乱の気運が高まっているという風聞は、すでにナードラのような上流階層のみならず市井の一般人に至るまで共有する明白な事実となっていた。そして、反乱に対する大規模な正規軍や傭兵部隊の投入も、財政面でもはや重大な負担になりつつあるということも―――
『――養成計画の具体案ですが、既存の戦闘工兵及び狙撃兵、山岳猟兵及び水中工作兵の養成体系を利用することによりこれは成就します。具体的には、素質のある兵士を、出自、兵科に拠らず各地の部隊より広く選抜し、高度な訓練を課し、実戦を想定した最終試験により特殊作戦兵採用の可否を決定するという方式が考えられます。この上に落下傘降下、要人警護の訓練を加えれば、特殊作戦兵運用の自由度は飛躍的に高まるでしょう。ニホンには軍の特殊部隊の他、警察機関内部に要人警護及び人質救出、凶悪犯罪者制圧に特化した特殊部隊を有していることもここに捕捉しておきます。我が共和国本土に於いても、こうした部隊を必要とする局面が何時現れても何ら不思議なことではありません。事態は急を要するのです』
「――発言を止めろ! 発表中止!」
「――――!」
怒声――それがした聴衆席の一端を、ナードラは睨みつけるようにした。先程の軍人たちの一団だった。守旧派の息のかかった連中だろうか?……彼らの怒声は激しさを増し、それは共和国の正義を信じ、愛国心に心を揺るがせた聴衆をも壇上の発表者に対する弾劾へと駆り立てる――
「――共和国の批判は許されない! 即刻降壇せよ!」
「――衛士、何をボサッとしている! 壇上に反逆者がいるぞ!」
口々に上がる非難の声に、掣肘を浴びせかけたのは意外な人物だった。
『――静粛に! 静粛に! ここは元老院による保護の下、自由なる意見発表を約束された場所であるぞ。発言者に対する謂れなき批判、讒言の類は司会者としてこれを看過するわけにはいかぬ! 司会者の権限を以て警告する。讒言はこれを撤回すべし! さもなくば卿らが退席せよ!』
巨体を揺らし、柄にも無い怒声を張り上げコトステノンは注意を促した。コトステノンがただの「金持ち」ではなく、その実彼もまた共和制国家に忠誠を尽くす政治家であることを、ナードラが再確認した瞬間――
名差しで弾劾された軍人たちは一斉に立ち上がった。明らかに申し合わせたかのようなタイミングだった。舌打ちし、あるいは悪態を突きながら憤然と講壇に背を向ける軍服姿の男たち。それに少なからぬ数の聴衆が続いた。流石に運営側の席で、そのような事は起こらなかったが……
「愚かな……また痛い目を見たいというのか?」
デロムソス‐ダ‐リ‐ヴァナスが、苦虫を噛み潰したような表情もそのままに言った。ヴァナスは軍部に対し批判的でありながらも、その実ニホンを 「何れ時が来れば滅ぼさねばならぬ敵」と見做している点でロルメスのような対ニホン宥和派とは違うし、ヴァナス自身も彼我の技術的、経済的格差を認識している。その彼からしてか、軍人の不作法ぶりは頭痛の種であるらしかった。
『――我が国は、軍事的に重大な転換期に差し掛かっているものと小官は愚考します。変化はこれを歓迎するべきです。ニホンに対するに必要な国防軍の備えは未だ十分とは言えません。完全な備えの終わらぬ内に再攻勢に出るのは勿論、何もせぬ事もまた愚策であります。「時間稼ぎ」としての政治と外交政策の創出は必要であり、皆々様にこれを提言し、小官の研究発表の結びとさせて頂きます。御清聴有難うございました』
研究会は終わった。今までの研究会と違う点は、何一つ得るものの無かった人間と、喩え一つであろうと何かを得た人間に、その場に居合わせた人間が二極分化したことであるのかもしれない。それが彼ら個々人の現在と将来にいかなる影響を与えることになるのか、この段階で把握し得る者はいなかった。
――――――――――――――
「……スロリア戦後に思い、先程までの議論を傍で聞いていて確信したことだが、我が共和国は、もはやこれまでのようにはいかぬということであろうな」
散会後、挨拶のために訪れた司会者用の休憩室で、コトステノンはナードラに語ったものだ。
「確かに、これまでのように武力による威圧、あるいは直接的な武力行使は、ニホンに対する限り自殺にも等しい行為でありましょう」
「では……ニホン人をどうやって止める。軍事力では無くとも、現にニホンはこの世界中に影響力を拡大しつつある。商圏の拡大という形でな」
「ほう……?」
軍事ではなく通商面でのニホンの異世界進出――コトステノンの切り口が、ナードラには新鮮なもののように思えた。ナードラの視線に自分に対する興味の存在を察し、コトステノンは続ける。
「ニホンの商人……彼らの言葉ではショウシャというのだが、彼らの才覚と行動力は驚くべきものだ。彼らはこの世界の何処にでもいる。彼らは常に商いの種を探していて、それを見出した後の行動は疾風のように素早い。彼らは何でも売込むし、そして彼らに調達できないものはこの世界には一つとして無い」
「ショウシャ……」
その固有名詞は、「ルーガ総研」における情報収集作業の過程でナードラも聞いたことがあった。ニホンの誇る高度な情報技術を縦横無尽に駆使し、今や世界中のあらゆる場所に商圏を有するに至った異質の商人集団。かつてのスロリア戦と同様、国外のローリダ企業もまた彼らの商圏拡大に対応できず、あるいは出し抜かれて徒に損失を重ねていると聞く。ローリダ以外の異国の企業や商人の中には、すでに彼らの影響下に置かれたものも少なくないという噂も、あながち嘘ではないのかもしれない。
「実は、わしはそのショウシャのニホン人に会ったことがあってね……若い上に異教徒にしては話の判る、大した男だったよ。もちろん、商談の場所は国外のわしの別荘だがね」
「……それは、聞き捨てならぬ話です。クルセレス小父」
「なあに、実際に取引をするのは植民地に設けたわしらの子会社さ。そこにはローリダの名など一行たりとも出てこない。ニホン人とて、彼らの国民の目というものがあるからな。子会社の背後については見て見ぬ振りをしてくれることになっておる。お互い様ということだ」
「何を取引するのですか小父上、まさか……」
武器か?……あるいはそれ以上の重要資源か?――憤りさえ伴ったナードラの懸念を察したかのように、コトステノンは手を振って苦笑した。
「果物だよ。リリシア産のフレイコット、その他諸々だ。ニホン本国では今大層人気があるらしい。彼らが言うには特に女性の肌にいいとか……その代わり、わしらはニホンの製造機械を頂く。彼らの国では型落ち同然の旧型らしいが、我が国に持ってくれば最新の機械だからな。それと、ニホン式電話機……ナードラも知ってのことと思うが、神聖なる共和国本土であれを野放しにして置くわけにはいくまい?」
「……確かに」
「あれをローリダ国内で使えるようにするための正式な窓口を、わしの出資で作ろうと思っている。通信省は頭が固い上に腰が重いゆえ埒が明かぬでな……」
「…………」
初耳だった。祖父の親友たるコトステノンが、生業たる紡績、繊維業の他、少なからぬ「後ろ暗い副業」に手を染めていることをナードラは知っていたが、それに「宿敵」たるニホンが関わっている、あるいは関わろうとしていることは、彼女にとっても想像の外であった。
「ナードラ、勘違いするでないぞ。わしはニホン人と誼を結んでおるわけではない。連中を利用しているだけだ。連中が利用するに足るものを持っておる間はな……」
『――ニホン人とて、あなたを利用している積りでいるのでしょう』という言葉を、ナードラは内心で喉の奥に抑え込む。眼前の祖父の友人もまた、その事を弁えているだろうから――